私の鉄道趣味の大先輩に「中村進一」さんという方がおられます。京都市電を中心に鉄道全般の写真を撮っておられる方です。最近は貴重な写真があちらこちらの展示会やアーカイブで展示されていますのでご覧の方も多いと思います。
そんな中村さんの写真資料が立命館のアーカイブに収蔵されることになりました。
そこで中村さんにお願いして『ここどこ?わたダレ?』のタネにできそうな写真を貸していただこうと思い、お願いしました。
お宅へお伺いしたら既に用意して下さっていましたが、なんと段ボールに二箱もあります。車を取りに帰ってお借りして来ましたが、整理がたいへん!中村さんはお付き合いが広いためいろんな方から写真を贈られています。ただ全くデータがありません。そこで優秀な探偵の皆さんにお願いです。
整理が付き次第ご覧頂きますが、写真の車輌のわかる限りの情報を教えていただきたいのです。
機種・場所・時期などのほか特筆すべき事があればそれもお願いします。
では、その【予告編】をご覧下さい。

投稿者「米手作市」のアーカイブ
『通勤形電車』の変遷 河 昭一郎様ご寄稿
河 昭一郎様より鉄道雑誌に掲載予定で編集された表題の論文をデジ青用にご寄稿頂きましたので掲載いたします。
ただ、頂いたのは出版用に割り付けられた完全原稿のため、そのままでは掲載できません。一旦ばらしてデジ青仕様に組み替えましたのでご了承下頂きます。内容・文章には手を付けておりません。併せて以前に投稿された藤本哲男さんの73系に関する記事もご覧下さい。
再度、『かえだま』に関する考証を
河 昭一郎さんより、先の投稿に補追として写真と解説が送られてきました。
我々には事故による車輌運用の事件として面白おかしく伝えられてきた話題ですが、当事者には大変な、歴史的大事件だったことが先の河さんによるご投稿で明らかになりました。『かえだま』などと揶揄していた不見識を恥じるばかりです。
それでは送っていただいた当時の貴重な記録写真と解説をご覧頂きます。
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河 昭一郎さんよりプレゼント!
久しぶりに河 昭一郎様からメールで『こんなん、あるでー』と写真の差し入れを頂きました。
さすがは国電の大家、一目で懐かしい写真だと分かるのですが、私は門外漢の悲しさ、値打ちが分かりません。また、我々への挑戦状なのか、データが入っていません。
よしッ受けて立とう!!
で、皆様に分析・解説(撮影場所と撮影時期が分かれば)をお願いします。(丸投げ!)
こんな面白い写真をお持ちの方は挑戦状を送って下さい。当会の探偵がたちまち解決します!
「かえだま」については、2014年5月6日の特派員氏の投稿に詳しいので転載させて頂きます。
《昭和39年4月24日のことだが、静岡~草薙を走行中の宇野行き特急「第一富士」2001Mが、静岡操車場を通過しようとしたところ、踏切を直前横断したダンプカーと衝突、1~6号車が脱線、とくに先頭1号車のクロ151-7は、線路に直角に全軸脱線し大破した。 ちょうど新幹線開業前で、「こだま」形は九州乗り入れを控えて改造入場中で、予備編成が全く無い状態だった。
そこで、事故翌日の4月25日から5月6日の間、上り「第1こだま」、下り「第2こだま」は、153系11連で代走することになり、特急料金は半額となった。これまでも、ダイヤの乱れで所定の運用ができず、153系を特発した例もあったが、長期間153系代走となったのは、これが初めて、いわゆる“替えだま”と呼ばれる特異な例となった。》
恥を忍んでお尋ねします!
梅小路に新駅がオープンしてまもなく一ヶ月!
同時に西側に平行して既設の旧渡り線を利用して連絡橋ができました。
この橋への登り口は七条通を西へ進み、山陰線をくぐったすぐの北側にあります。エレベーターと階段がありますが、ホテルが建設中のため、まだ利用者は少ないようです。線路は南へ進むのにつれて西へ300mのカーブになり、10‰の下りとなって梅小路貨物駅へと入っていました。その線路跡をそのまま使っているのでなにかとマニアには面白いようで、たまにしか通らない通行人に対してマニアの割合が多いように思います。
まず、両脇の側壁はそのままだし、歩道の中央にはレンガで線路が表記されています。さらに進むと、
連絡橋は駅本屋に近づくと左折してエレベーターと階段で駅に入るが、遊歩道は10mほど突きだして旧線跡を見られるようにするらしい。
さて、余談が続きましたが本題に入ります。
この連絡橋の側壁の中間に、いくつかの標識が当時のまま残っています。
その記号についての質問です。
こんな事もシランのか!との罵声を覚悟の上で恥を忍んでお尋ねします。この記号群の意味をおしえてください!
『昭和の電車』突然終了!最終回 新京阪デイ100とC5343
イチローついに引退
あまり野球に興味の無い私でもイチローの名は肝に染み込んでいます。
常に謙虚で、ひたすら我が道を追求する姿には比叡山の千日修行を経た大阿闍梨にも似た気高さを感じます。
最後の瞬間まで超一流であり続けたのには感銘しました。開幕戦で見せたライトから三塁へのレーザービームはとても引退とはつながりません。でも求道者であるご本人には打撃不振が我慢ならなかったのでしょうか。
歌手で言えば、古くは『藤山一郎』『美空ひばり』『三波春夫』ぐらいでしょう。引退まで声量・音程ともに落ちなかったように思います。相撲なら『双葉山』に尽きます。力量・精神力はもとより教養も高く、引退時の見極めもすばらしかった。
さて、こう考えていると『鉄道』では何が超一流だったのか?と考えました。
特急でいえばなんでしょうか?
引退まで超一流であり続けた特急は何でしょうか?
長い歴史があるだけではダメです。生涯を常に幹線のみで活躍して、地方へは都落ちせずに廃止された特急。だれが見てもその時代を代表する特急。
『つばめ』と言いたいが九州で地方巡業している。
『はと』はどうだろうか?
『あさかぜ』なども超一流の人生を送ったのでは?
機関車では何が超一流に値するでしょうか?
頭に浮かぶのは『C53』ですが、これは3気筒という機構が使いにくく、地方線区には向かなかったと聞く。『C62』も出自に問題があります。D52からの改造ともいえて、終盤には軸重を軽減して北海道へ転封させられています。
私は『C59』を機関車のイチローとしたいですね。
他にも電車では?私鉄では?気動車では?など切り取り次第ではいろいろなジャンルで『イチロー』が認定できるのではないでしょうか?
ここで述べた基準と候補は私の個人的好みです。基準を含めて皆様の『イチロー』を認定してみませんか?
新駅『梅小路京都西』開業!
永らく工事していた山陰線の京都ー丹波口間に新設される新駅・丹波口京都西駅がいよいよ開業する。
思えば、子供のころから遊び場であった梅小路貨物駅や国鉄官舎跡に梅小路公園ができ、さらに水族館や鉄道博物館が開業すると観光客が殺到してホテルと駅ができることになった。理屈は分かるが、青信号特派員氏が時を同じくして報告してくれている北海道の鉄道と比べると個人的には北海道の住民に申し訳ない気持ちで一杯だ。
開業直前の様子をご覧頂く。



















