昭和の電車 一畑電鉄デハ20型

「昭和の電車」が一ヶ月単位になって、注意してみているつもりでも目こぼしがあるようです。この作品も1月31日に掲載されていたのですが見落としていました。
先日、関三平先生から事務局に「忘れているようなので・・」とコピーを送って下さいました。事務局長から「以後気をつけるように」との厳命を受け身の引き締まる思いで投稿させて頂きます。

ここはどこ?私はだれ?【臨3】

それでは五日間の旅行に出ますのでその間に宿題を出しておきます。
よく調べて回答して下さい。

なお、1900生さんには解答権がありません。なぜなら一緒に行って写っているからです。コメントも禁止します。ブチブチつぶやいたらカンニングと見なし退学と致します。

では五日間、これを保たせて下さい。

ここはどこ?私はだれ?【臨】

年末・正月の閑散期つなぎ便として運行した『ここどこ?わたダレ?号』の運行を終えてホッとしていしたが、写真展に全勢力を費やした幹部の皆様は打ち上げ会で写真展の成功に焼き餅を焼いたとみられるゲリラから流感菌をばらまかれてらしく伏せっているとのことで、回復までのつなぎに再度の『ここどこ?わたダレ?』臨時便を編成いたします。
今回は初めて画像処理(文字のボカシ)を致しております。駅名が入っているからです。撮影は昭和38年3月です。

臨時便『西村・米手』号?

どですかでんさんの『併結便』も好評で大成功!

そこで夢をもう一度と行きましょう!
昨年10月15日に西村さんが投稿した「広島駅に残る客車への給水設備」というのを覚えておいででしょうか?あれを見たときに思いついた風景がありましたが撮影に手間取りました。やっと叶いましたので私の「ここはどこ?私はだれ?」との併結便でご覧に入れたいと思います。
諸賢には何をするものかはお判りでしょうが、これが現在も存在するのです。
さて何処にあるのでしょうか?

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ここはどこ?わたしはだれ?【増3】

【増3】号車は半車座席指定(ロハ)です。お乗り間違いの無いようにお願いします。まずは自由席(ハ)はどなたでもお答えください。

簡単だ!と侮るなかれ、お答えを下さるのは常連さんばかり。ほとんどの方からは音沙汰無いところを見ると難しすぎるのかと考えこみます。全くヒントがないとどこか分からないのは当たり前。でも、ヒントの出し方が難しい!この世界は特定の分野に長けた方がいて、そんな方がすぐに答えてくださるので頃合いが難しいです。


続いては指定席(ロ)です。いままで答えたことの無い方だけ、お答えください。

西村さんへの借りを返すの巻

不肖・米手作市が伏せっているときに間を取り持ってくださった愛すべき友人・西村雅幸様からのご要望に応えて(そんなに大層なものではない)西大路駅の西側にあった国鉄京都自動車工場の写真を貼ります。と、言っても工場を撮ったのではなく、たまたま写っていたと言うことです。
↑中学生のころの写真ですから“架線注意”です。右の丸い屋根がそうです。左の工場は湯浅電池。

この方がわかりやすいかも。右の建物が自動車工場です。線路と道路の間の畑に今は新幹線が走っています。工場の跡は今もJRバスの車庫があります。

宇都家氏との約束に応えて

第一回「ここはどこ?私はだれ?」で、宇都家さんから「水間鉄道の写真を見せろ」とのご希望を頂いたので約束を果たします。

親戚が貝塚にいたため、時々行っていました。
当時は京都から時間がかかり一日仕事でした。昭和35年頃だと思いますので中学生で、物心ついて初めての南海電車でした。阪和線と水間線の交差点が近くにあったので時間つぶしに撮したのでしょう。数枚ですがご覧下さい。


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ここはどこ?私はだれ?(5)

お正月も三日が過ぎます。明日から仕事が始まるようです。
年末正月の臨時便の需要もそろそろお終い。
最後のイッパツはホンキの本気!
でも、よーく見てください。皆さん、ほぼ百パーセントとは言いませんがほとんどの方が数年間にこの線路から50m以内を通っているはずです。

では最終問題です。牽引しているのはDD13。れっきとした国鉄線です。

ここはどこ?私はだれ?(3)

最初の写真で年末までは行くだろう、とタカをくくっていましたが、準特急さんの言うとおり土俵際まで攻め込まれ苦戦をしております。

この手の写真はどなたでもお持ちでしょうから気楽に投稿してほしいとの考えで載せたのですが、オッとどっこい、我が会員は情け容赦もなく蹴散らし、穏やかな気持ちで新年を迎えようとしていた病いの身をパソコンに括り付けています。

では、第三問。

ここはどこ?私はだれ?(2)

瞬殺です!

甘く見ていました。せめて正月明けまではお茶を濁せると思いましたが、ここの諸兄はただものではない。

今次大戦で日本海軍は米国の16吋砲に対してそれを凌駕する18インチ砲を装備した大和級を建造しましたが、時はすでに航空戦力に主役の座を奪われていたのでした。
つまり、二次元の想定に対して世界の主力は三次元になっていたのです。
今回の企画はまさに同一線上の間違いをしておりました。インターネットやgoogleの衛星写真という近代兵器に完敗しました。

それではベトコン戦術で衛星からも識別不可能な場所での写真を繰り出して応戦します。準備不足のため予備役招集です。

予備役の応召部隊ですから多少まだ甘さがありますが、しばらく時を稼いでくれるでしょう。まだ後には精強な部隊が控えていますから油断めさるな!

ここはどこ?私はだれ?

年末はお忙しいのか、常連の重鎮諸氏が相次いで早々と年末のご挨拶をされて店じまいされました。
それではご覧の皆様が「もう休むのか!他へ行こう!」と言われるのではないかと一人気をもんだあげく、年始に重鎮からの投稿が始まるまでのつなぎに肩の凝らないお話しをご覧頂きます。

歳をとると題目のごとく「私はだれ?」はありませんが「ここはどこ?」はたびたび思い当たります。そこで古い写真の中で今では思いも付かない場所で撮ったものがあるので何処で撮ったものか、撮影場所を当ててください。皆様もお持ちでしょうから続いてくだされば面白い企画になるのでは?

では、ご覧下さい。
場所は大体で結構です。そこだと思う根拠もお書きください。東京の皆さんにはむつかしいかな?