「昭和の電車」が一ヶ月単位になって、注意してみているつもりでも目こぼしがあるようです。この作品も1月31日に掲載されていたのですが見落としていました。
先日、関三平先生から事務局に「忘れているようなので・・」とコピーを送って下さいました。事務局長から「以後気をつけるように」との厳命を受け身の引き締まる思いで投稿させて頂きます。
投稿者「米手作市」のアーカイブ
ここはどこ?私はだれ?【臨3】
ここはどこ?私はだれ?【臨2】
ここはどこ?私はだれ?【臨】
臨時便『西村・米手』号?
どですかでんさんの『併結便』も好評で大成功!
そこで夢をもう一度と行きましょう!
昨年10月15日に西村さんが投稿した「広島駅に残る客車への給水設備」というのを覚えておいででしょうか?あれを見たときに思いついた風景がありましたが撮影に手間取りました。やっと叶いましたので私の「ここはどこ?私はだれ?」との併結便でご覧に入れたいと思います。
諸賢には何をするものかはお判りでしょうが、これが現在も存在するのです。
さて何処にあるのでしょうか?
ここはどこ?私はだれ?【増7】
ここはどこ?私はだれ?【増6】
ここはどこ?私はだれ?【増5】
ここはどこ?私はだれ?【増4】
ここはどこ?わたしはだれ?【増3】
西村さんへの借りを返すの巻
ここはどこ?私はだれ?【増2】
ここはどこ?私はだれ?【増1】
宇都家氏との約束に応えて
第一回「ここはどこ?私はだれ?」で、宇都家さんから「水間鉄道の写真を見せろ」とのご希望を頂いたので約束を果たします。
親戚が貝塚にいたため、時々行っていました。
当時は京都から時間がかかり一日仕事でした。昭和35年頃だと思いますので中学生で、物心ついて初めての南海電車でした。阪和線と水間線の交差点が近くにあったので時間つぶしに撮したのでしょう。数枚ですがご覧下さい。
ここはどこ?私はだれ?(5)
ここはどこ?私はだれ?(4)
ここはどこ?私はだれ?(3)
ここはどこ?私はだれ?(2)
瞬殺です!
甘く見ていました。せめて正月明けまではお茶を濁せると思いましたが、ここの諸兄はただものではない。
今次大戦で日本海軍は米国の16吋砲に対してそれを凌駕する18インチ砲を装備した大和級を建造しましたが、時はすでに航空戦力に主役の座を奪われていたのでした。
つまり、二次元の想定に対して世界の主力は三次元になっていたのです。
今回の企画はまさに同一線上の間違いをしておりました。インターネットやgoogleの衛星写真という近代兵器に完敗しました。
それではベトコン戦術で衛星からも識別不可能な場所での写真を繰り出して応戦します。準備不足のため予備役招集です。
予備役の応召部隊ですから多少まだ甘さがありますが、しばらく時を稼いでくれるでしょう。まだ後には精強な部隊が控えていますから油断めさるな!
ここはどこ?私はだれ?
年末はお忙しいのか、常連の重鎮諸氏が相次いで早々と年末のご挨拶をされて店じまいされました。
それではご覧の皆様が「もう休むのか!他へ行こう!」と言われるのではないかと一人気をもんだあげく、年始に重鎮からの投稿が始まるまでのつなぎに肩の凝らないお話しをご覧頂きます。
歳をとると題目のごとく「私はだれ?」はありませんが「ここはどこ?」はたびたび思い当たります。そこで古い写真の中で今では思いも付かない場所で撮ったものがあるので何処で撮ったものか、撮影場所を当ててください。皆様もお持ちでしょうから続いてくだされば面白い企画になるのでは?
では、ご覧下さい。
場所は大体で結構です。そこだと思う根拠もお書きください。東京の皆さんにはむつかしいかな?