新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-9-

今回は電気機関車です。
古くからのファンにとって、輸入電機や旧型のデッキ付き電機をリアルタイムで見る事ができたことが最大の自慢でしょう。私はその最後をチラッと見た世代ですから羨ましい事しきりです。大型電気機関車は大都会・東京へのあこがれでした。小型電機は地方の、それでも汽車よりもモダンな都会の雰囲気を感じたものです。実際、関東へ行かないと多彩な電機は見られなかったのです。

それでは私鉄を含めたED型電気機関車をご覧下さい。

①小田急101

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5-

蒸機が終わりましたので『電車』に移ります。
中村さんは国電からJRまで、“手当たり次第”に電車の写真を撮っておられます。でも、私の個人的理由から国鉄時代に限らせていただきました。

Ⅰ)クロハ16→クロハ16800→クハ16500 河 昭一郎氏より

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-4-

蒸気機関車の記録で気になる写真がありますのでご覧下さい。
これは場所や機種はあえてお答え頂かなくて結構ですが、何かしらの記憶や出来事を思い出す写真です。

電化完成直前EF58+C59128(梅)東山トンネル

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-

写真が多岐に亘り、数多くありますのでのんびりしてはいられません。
さっそく次ぎに進みます。

古典蒸機は複写されたり同一原版から焼き増しされたものが多いようです。その意味では発表済みの写真が多いのでネットで探しやすいのかもしれませんが、私はできるだけネット検索はしないで皆様からのご教示をお待ちしております。皆様はどんな方法でも(ネット検索でも、亀甲占いでも)いいのでお願い致します。

①国鉄8800型

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】

最初にご説明をしておきます。
中村進一氏は子供の頃から市電が大好きで、その写真を撮る傍ら京都駅を中心として国鉄の車輌を撮影しておられました。やがて趣味の対象は全国の鉄道全般に亘ることになります。特に市電の写真は街の移り変わりも記録していることから立命館アーカイブに保存されることになりました。その温厚なお人柄から私は中学生の頃から年齢差もかまわず同好の士としてお付き合いをさせていただいています。この度その記録の一部を見せていただき、ぜひともDRFCーOBの皆様にも見ていただこうとご了解の上公開することになりました。

ただ、写真のデータが添付されていないため、車種・撮影時期・撮影場所などが分かりません。また、中村氏の撮影されたものだけではなく、交際のある全国の方からの交換写真(昔はそれも写真を集める重要な手段であった)としていただいたものや、絵葉書のように店で買った写真もあります。それらについては撮影者の名前、販売店の名前など分かる限りは明記しました。スキャンするに当たりル-ぺで目視してわかる範囲は書き出しましたがほとんどは分かりません。そこで当欄で皆さんから知識を結集して判別していただきたいのです。分かっているものについても敢えて掲載するものもありますが、それらに関しても思い出などがありましたら何なりと書き込んでください。

これからも会員外の方からの資料提供やご投稿を歓迎する意味においても活発なご意見交換を期待しております。

では、【蒸気機関車】からはじめます。
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編集快調!新・ここはどこ?私はだれ?【予告編】

中村さんの資料集は多岐に亘っていて選定に手間取ります。さらに、今ではお目にかかれない小さなサイズの写真も多くルーペが必需品になります。

大まかに分けて「蒸気機関車」「ディーゼル機関車」「電車」「市電」に分類していますが、まだ開けていない箱があるのでさらに増えるかもしれません。

中村さんシリーズは今までと違って“場所や車輌”“時期”だけではなく皆様が知っている知識、思い出などの蘊蓄を傾けていただくようにお願いします。お持ちの知識を広く開陳して下さい。

では、電車の【予告編】をご覧下さい。

クモハ300-1

クモヤ22001

近日公開 新・ここはどこ?私はだれ? 乞うご期待!

私の鉄道趣味の大先輩に「中村進一」さんという方がおられます。京都市電を中心に鉄道全般の写真を撮っておられる方です。最近は貴重な写真があちらこちらの展示会やアーカイブで展示されていますのでご覧の方も多いと思います。
そんな中村さんの写真資料が立命館のアーカイブに収蔵されることになりました。
そこで中村さんにお願いして『ここどこ?わたダレ?』のタネにできそうな写真を貸していただこうと思い、お願いしました。
お宅へお伺いしたら既に用意して下さっていましたが、なんと段ボールに二箱もあります。車を取りに帰ってお借りして来ましたが、整理がたいへん!中村さんはお付き合いが広いためいろんな方から写真を贈られています。ただ全くデータがありません。そこで優秀な探偵の皆さんにお願いです。
整理が付き次第ご覧頂きますが、写真の車輌のわかる限りの情報を教えていただきたいのです。
機種・場所・時期などのほか特筆すべき事があればそれもお願いします。
では、その【予告編】をご覧下さい。

『通勤形電車』の変遷    河 昭一郎様ご寄稿 

河 昭一郎様より鉄道雑誌に掲載予定で編集された表題の論文をデジ青用にご寄稿頂きましたので掲載いたします。
ただ、頂いたのは出版用に割り付けられた完全原稿のため、そのままでは掲載できません。一旦ばらしてデジ青仕様に組み替えましたのでご了承下頂きます。内容・文章には手を付けておりません。併せて以前に投稿された藤本哲男さんの73系に関する記事もご覧下さい。

ロクサン形がルーツの通勤電車 クモハ73030 1962-1-4 京都

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再度、『かえだま』に関する考証を

河 昭一郎さんより、先の投稿に補追として写真と解説が送られてきました。
我々には事故による車輌運用の事件として面白おかしく伝えられてきた話題ですが、当事者には大変な、歴史的大事件だったことが先の河さんによるご投稿で明らかになりました。『かえだま』などと揶揄していた不見識を恥じるばかりです。
それでは送っていただいた当時の貴重な記録写真と解説をご覧頂きます。
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河 昭一郎さんよりプレゼント!

久しぶりに河 昭一郎様からメールで『こんなん、あるでー』と写真の差し入れを頂きました。
さすがは国電の大家、一目で懐かしい写真だと分かるのですが、私は門外漢の悲しさ、値打ちが分かりません。また、我々への挑戦状なのか、データが入っていません。
よしッ受けて立とう!!
で、皆様に分析・解説(撮影場所と撮影時期が分かれば)をお願いします。(丸投げ!)

こんな面白い写真をお持ちの方は挑戦状を送って下さい。当会の探偵がたちまち解決します!

昭和39年5月3日 東京駅 上り「第1こだま」

「かえだま」については、2014年5月6日の特派員氏の投稿に詳しいので転載させて頂きます。
《昭和39年4月24日のことだが、静岡~草薙を走行中の宇野行き特急「第一富士」2001Mが、静岡操車場を通過しようとしたところ、踏切を直前横断したダンプカーと衝突、1~6号車が脱線、とくに先頭1号車のクロ151-7は、線路に直角に全軸脱線し大破した。 ちょうど新幹線開業前で、「こだま」形は九州乗り入れを控えて改造入場中で、予備編成が全く無い状態だった。

そこで、事故翌日の4月25日から5月6日の間、上り「第1こだま」、下り「第2こだま」は、153系11連で代走することになり、特急料金は半額となった。これまでも、ダイヤの乱れで所定の運用ができず、153系を特発した例もあったが、長期間153系代走となったのは、これが初めて、いわゆる“替えだま”と呼ばれる特異な例となった。》

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恥を忍んでお尋ねします!

梅小路に新駅がオープンしてまもなく一ヶ月!
同時に西側に平行して既設の旧渡り線を利用して連絡橋ができました。

(左)梅小路京都西駅下りホーム
(右)旧渡り線を利用した連絡橋

この橋への登り口は七条通を西へ進み、山陰線をくぐったすぐの北側にあります。エレベーターと階段がありますが、ホテルが建設中のため、まだ利用者は少ないようです。線路は南へ進むのにつれて西へ300mのカーブになり、10‰の下りとなって梅小路貨物駅へと入っていました。その線路跡をそのまま使っているのでなにかとマニアには面白いようで、たまにしか通らない通行人に対してマニアの割合が多いように思います。

まず、両脇の側壁はそのままだし、歩道の中央にはレンガで線路が表記されています。さらに進むと、

この先には鉄路が現存する。 正面の建物は鉄博本館

連絡橋は駅本屋に近づくと左折してエレベーターと階段で駅に入るが、遊歩道は10mほど突きだして旧線跡を見られるようにするらしい。

さて、余談が続きましたが本題に入ります。

この連絡橋の側壁の中間に、いくつかの標識が当時のまま残っています。
その記号についての質問です。
こんな事もシランのか!との罵声を覚悟の上で恥を忍んでお尋ねします。この記号群の意味をおしえてください!

この裏には半径300mの表示がある。                           西村氏より  TCL=緩和曲線長(25m)     CCL= 不明   C=カント(51mm)            S=スラック(1067mm+15mm)       V=曲線通過速度(42km)

 

『昭和の電車』突然終了!最終回 新京阪デイ100とC5343

関三平先生の渾身の長編力作『昭和の電車』シリーズが突然打ち切りになりました。
こんな電車があったのか!と毎回驚いた事ばかりでしたが、なにより見たこともない車輌をカラーで見せて頂ける幸福をかみしめて拝見しておりました。

今回、新聞社で何があったのかは分かりませんが、価値の分からない編集者が打ち切ったのだろうと思います。幸い、関先生は他で続けるとのことですからそれを楽しみに待ちましょう。

どうしても見せたかった、と言われる“名勝負”新京阪対省線の決定版です。

イチローついに引退

あまり野球に興味の無い私でもイチローの名は肝に染み込んでいます。
常に謙虚で、ひたすら我が道を追求する姿には比叡山の千日修行を経た大阿闍梨にも似た気高さを感じます。
最後の瞬間まで超一流であり続けたのには感銘しました。開幕戦で見せたライトから三塁へのレーザービームはとても引退とはつながりません。でも求道者であるご本人には打撃不振が我慢ならなかったのでしょうか。
歌手で言えば、古くは『藤山一郎』『美空ひばり』『三波春夫』ぐらいでしょう。引退まで声量・音程ともに落ちなかったように思います。相撲なら『双葉山』に尽きます。力量・精神力はもとより教養も高く、引退時の見極めもすばらしかった。

さて、こう考えていると『鉄道』では何が超一流だったのか?と考えました。

特急でいえばなんでしょうか?
引退まで超一流であり続けた特急は何でしょうか?
長い歴史があるだけではダメです。生涯を常に幹線のみで活躍して、地方へは都落ちせずに廃止された特急。だれが見てもその時代を代表する特急。
『つばめ』と言いたいが九州で地方巡業している。
『はと』はどうだろうか?
『あさかぜ』なども超一流の人生を送ったのでは?

機関車では何が超一流に値するでしょうか?
頭に浮かぶのは『C53』ですが、これは3気筒という機構が使いにくく、地方線区には向かなかったと聞く。『C62』も出自に問題があります。D52からの改造ともいえて、終盤には軸重を軽減して北海道へ転封させられています。
私は『C59』を機関車のイチローとしたいですね。

他にも電車では?私鉄では?気動車では?など切り取り次第ではいろいろなジャンルで『イチロー』が認定できるのではないでしょうか?

ここで述べた基準と候補は私の個人的好みです。基準を含めて皆様の『イチロー』を認定してみませんか?

 

新駅『梅小路京都西』開業!

永らく工事していた山陰線の京都ー丹波口間に新設される新駅・丹波口京都西駅がいよいよ開業する。
思えば、子供のころから遊び場であった梅小路貨物駅や国鉄官舎跡に梅小路公園ができ、さらに水族館や鉄道博物館が開業すると観光客が殺到してホテルと駅ができることになった。理屈は分かるが、青信号特派員氏が時を同じくして報告してくれている北海道の鉄道と比べると個人的には北海道の住民に申し訳ない気持ちで一杯だ。

開業直前の様子をご覧頂く。

昔はこのような官舎が建っていた梅小路公園。築堤の向こうが鉄博。

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昭和の電車 信濃鉄道デハユニ1

いまの『しなの鉄道』とは違う『信濃鉄道』があったとは知りませんでした。
百年前のあんな(失礼ながら)山奥に、こんな立派な電車(17~18m?)が走っていたことも驚かされます。当時は私鉄でも郵便車があったことも併せて驚きです。