芸備線100年 追憶シリーズ その4

 

H27-5-27 中国新聞朝刊

H27-5-27 中国新聞朝刊

今回は少々重い話題でしたので、軽い話題をオマケします。同日の記事です。

IMG_0001

ドルトムントからやって来た連接車で76号として活躍していました。今は広電本社近くの広電直営のスーパーマーケット前に保存されています。数年前KAWANAKA氏とランチを食べようと行った時には すでに廃業でガッカリした思い出があります。

 

 

芸備線100年 追憶シリーズ その3

その2では諸先輩から「かつぎ屋」についての具体的な解説を寄せて頂きありがとうございました。その3は「ちどり号」です。これもまたいろいろな思い出話が出てくるのを期待しましょう。

H27-5-26 中国新聞朝刊

H27-5-26 中国新聞朝刊

続きを読む

芸備線100年 追憶シリーズ その2

本日の朝刊から。

 

H27-5-23 中国新聞朝刊

H27-5-23 中国新聞朝刊

私は子供の頃 家に「米穀通帳」があったことは覚えていますが、闇米運びの光景は知りません。ところで この写真を見ていて変な感じを受けたのですが、デッキの向こうのドアが四隅にRのついた窓なのです。闇米運びがあった頃にHゴムの窓があったとは思えないのですが・・・。これは闇米ではなく 単なる大きな荷物を背負った人、もしくは行商人ではないかと。諸賢のご意見をお聞かせ下さい。

芸備線100年追憶シリーズ その1

芸備線100周年にちなむ中国新聞の連載記事をご紹介します。まずは平成27年5月22日の朝刊から。

H27-5-22 中国新聞朝刊

H27-5-22 中国新聞朝刊

雪国育ちではない私には 冬の大夕張鉄道で96に押されて走るラッセル車が初めて見る除雪列車で 感激したものですが、更に排雪列車となると見たことがありません。道路事情が悪く、まして冬には鉄道だけがライフラインだった地域は数多くあったでしょう。それだけに「列車をとめてなるものか」という鉄道マンの思いは今とは比べものにならないものがあったでしょう。

続きを読む

広電2題

またしても中国新聞ネタで失礼します。今日の朝刊の記事です。

H27-5-12 中国新聞 1面

H27-5-12 中国新聞 1面

続きを読む

お山は喧騒-こうや号特別仕業(続き)

去る日、高野山菩提寺からのお誘いで、厳かな法印転衣(てんね)式に参列しました。前もって名古屋のさる高僧から書き方を教わったご祝儀を持って。

まあ、それは良いとして、いつものサービスは悪いは、モノは高いはのお山は一層喧騒に包まれていました。全国から人を呼び寄せながら、受け入れ態勢は元のままのようで、特に整えたとの印象はありません。案の定、数少ない食堂と南海りんかんバス駅は長蛇の列、交差点に交通整理のおまわりさんの姿無し。

普段から食堂のサービスと愛想は極めて悪い。南海りんカンバスの運転手は頑固な高齢者ばかりで融通利かず。それが降って沸いた全国からの客に対処できる筈が無い。何年も前から一体何の準備をして来たのか。食堂の数はいつも通り。バスは高野山駅、大門前、奥の院前の三箇所の終点だけは大そうな客扱い。案内は南海電車の新入社員が『研修生』としてお勤め。バス待ち客をてきぱき整理出来るはずがない。そして途中駅の長蛇のバス待ち客をほったらかして、空の回送バスだけが山上を走り回る。

バイクの取締りに行くのか高野警察の白バイを3,4台見かけたが、混雑の交差点や山上で警官は唯の一人も見なかった。

昼食も取れず、ほうほうの体で高野山駅に到着、売店でビールとじゃがりこを買って下りのケーブルカーに乗ったのでした。お山の悪口を言ってバチが当たりませんようにと念じながら。

そうそう、最近お山にコンビニが初めて誕生したとか。もっと早くから出来ていればお山も少しは変わるかもしれないのに。そんなこんなで、九度山で途中下車。再びこうや号と、すっかり忘れられている天空を撮影して一日が終わったのでした。

続きを読む

両山鉄道って何?

芸備線開業100周年の関連で 中国新聞に載った記事をご紹介します。かつて全国各地で鉄道敷設熱が盛んだった頃 数多くの計画がなされ、免許取得はしたものの資金が集まらず開業に至らなかった鉄道、免許取得にも至らず雲散霧消した鉄道は数知れず、聞いたことのない鉄道名がいくつもあります。両山鉄道もそのひとつです。中国地方には陰陽連絡鉄道の計画が数多くありました。広浜鉄道(広島ー浜田)、芸石鉄道(安芸ー石見)、大社宮島鉄道など数知れずです。新聞で大きく取り上げるほどのこともないように思いますが、温故知新という意味でしょうか。

H27-5-1 中国新聞朝刊 1面

H27-5-1 中国新聞朝刊 1面

続きを読む

芸備線開業100周年

大正4年4月28日に芸備鉄道が開業して100年を迎えたのを記念して 地元で祝賀行事が行われたようです。いつものように中国新聞の記事をご紹介します。

平成27年4月29日 中国新聞朝刊 1面

平成27年4月29日 中国新聞朝刊 1面

続きを読む

新刊本の紹介

3月14日に大津市歴史博物館で講演を行ったばかりの総本家青信号特派員さんが今度は京都市電の本を出版されました。当会では湯口徹さんが島秀雄記念優秀著作賞受賞のほか数々の著書を発表され、山科の人間国宝さん、乙訓の老人さん、田淵仁さんも出版されておりますが、今回の総本家さんもこれに続くものであり、当会にとっても嬉しいことであります。総本家さんはこれまで出版の手伝いや共著で数多くの本を発表されてきましたが、今回は単独出版であります。

さて、本の紹介ですが

題   : 「京都市電」 昭和を歩く -街と人と電車-

発行所: トンボ出版(大阪市中央区森ノ宮2-3-1 Tel 06-6768-2461)

発行日: 2015年4月10日

です。         本の表紙 ▼s-福田さん京都市電表紙
続きを読む

「江若鉄道の思い出」 終了しました

P1080044s_edited-13月7日から大津市歴史博物館で開催されていた「江若鉄道の思い出」展は、4月12日にめでたく閉幕を迎えました。翌13日にはクローバー会員の応援も得て撤収作業を行ない、今回の展示は滞りなく終了しました。この期間、同展への準備、見学、聴講、撤収などで協力いただいたクローバー会の皆さんに感謝申し上げます。

続きを読む

三次のハチロク

先日 48650の保存活動についてのご紹介をしましたが、今日 雨も小降りになったので 開通成った尾道自動車道を通って三次まで行ってきました。48650が保存されている広場は折しも桜まつりの会場になっていて、にぎやかなのは良いのですが、ゆっくり撮影ができませんでした。

保存中の48650

保存中の48650

続きを読む

雨も撮る-(続)武庫之荘駅

乙訓の老人のコメントや、どですかでんさんの田原本線に刺激されて、連日武庫之荘へ。それも雨の中を。
阪急武庫之荘駅の南側、駅の東の踏切まで歩道沿いにぼんぼりが。すっかり濡れていました。人通りも少なく、ひっそり。
9366

踏み切りを越えてお立ち台へ。さすがに誰もいなくて独占状態。花は昨日より赤みが増したようです。今日のさくら号は5000系。
やっぱり、どですかでんさんみたいに、日本の青空が欲しいですね。
9388
雨の今日、目的は武庫川堤防のさくらで、バス待ちの時間に阪急を写しました。
武庫川の撮影時、雨が一番ひどくて靴はぐしょぐしょ。堤防上は毎年、人の少ない穴場でして、新芽若葉の緑、ユキヤナギの白、レンギョウとウンナンオウバイの黄色、そしてサクラの組み合わせが見所ですが、雨でサクラの散りが加速され、それほどでもなかったのでした。

阪急武庫之荘駅

あちこちで一気に満開、今年のサクラ。阪急神戸線・武庫之荘駅付近もご覧の通り。
9316

4月4日、土曜日の昼下がり。花ぐもりでした。あす5日は雨模様とか。
9322

続きを読む

三次のハチロクと「クラウドファンディング」

毎度新聞ネタで恐縮です。最近は新聞を読んでいても さっぱり意味の判らない単語が出てきて困惑してしまいます。今回は「クラウドファンディング」がそれです。今朝の中国新聞朝刊県北版の記事です。

H27-4-3 中国新聞朝刊

H27-4-3 中国新聞朝刊

続きを読む

福山レールエクスプレス号

黒田弘樹投手の復帰戦勝利の記事でにぎわう中国新聞3月30日朝刊の福山版にコンテナ貨物列車の運行開始という地味な記事が載っていました。DE10の写真が載っていますが、このDE10はJR貨物岡山機関区のカマです。西岡山ターミナルから水島臨海鉄道東水島までのコンテナ貨物列車や東福山駅着発のコンテナ貨物列車牽引は東福山駅の入換えも兼ねて岡山のDE10の仕事です。工臨で糸崎まで顔を出すこともあります。本線上の架線の下を走るDLの姿は珍しくなりました。

平成27年3月30日 中国新聞朝刊

平成27年3月30日 中国新聞朝刊

こうや号 特別仕業

南海電車こうや号が、高野山開創1200年記念大法会にあたり、特別仕業に改装されました。2015年3月1日から2016年2月迄だそうです。

赤こうや、30001系。3月1日より改装して運転。
南海高野線・極楽橋駅、2015.03.28撮影。
503297
続きを読む

本日の地元ネタで復帰します

昨年末から多忙を極めて、当掲示板にもすっかりご無沙汰状態が続いていました。忙しさも峠を越えた頃、当会の重鎮、約1名から“早く投稿せよ”との励ましをいただきました。有り難い先輩の言葉を発奮材料にして、また投稿を再開することにしました。まずは本日の地元ネタから綴っていくことにしましょう。
syP1080001阪急京都線で50年以上にわたって走り続け、現在の阪急スタイルを確立した2300系が、本日の団体列車を最後に姿を消すことになった。すでに2月20日から3月20日まで、最後まで残っていた2313×7編成が、前後に「惜別2300」「さよなら2300」のヘッドマークをつけて、京都線、千里線で営業運転を行なっていた。そして本日3月22日には、正雀~河原町間で、事前に募集された団体列車「2300系さよなら運転ツアー」一往復が運転された。前後にはイベント専用のヘッドマークをつけ、途中、長岡天神での特急待避以外は、すべて通過で、かつての2300華やかなりし頃の走りっぷりを髣髴とさせた。
前パンを振りかざして、桂を通過して行く2313先頭の下り団体列車。ヘッドマークのほか、側面には旧社章ステッカーも貼付された

続きを読む

下仁田余話

上信1000系について投稿しましたが、前面を切り取られたクハ1301のその後を書き漏らしました。クハ1301には新しい運転台が作られて、冷房改造もされてデハ252というお相手を見つけて 幸せに暮らしているようです。余談ですが上信は不思議なところで、デハとクモハ、モハが混在しています。単車で走れる電動車はデハ、単独では走れない電動車がクモハ、モハだそうです。

米手作市様のコメントでは1000系のデザインをお気に入りのようですが、電車の製作実績が少ない新潟鉄工所が電車分野への進出を図ろうと気合を入れて作ったようで、その塗装も含めて斬新なデザインで当時話題となりました。

さて本稿の主題は下仁田です。下仁田駅は「関東の駅百選」に選ばれています。平成11年10月2日の読売群馬版にその記事があります。

IMG-2

続きを読む

「江若鉄道の思い出展」講演会に集結!

3月7日から開催されました「江若鉄道の思い出」展は好評開催中ですが、3月14日には総本家青信号特派員様が講師の、れきはく講座「江若最後の二日間を追って」が行なわれ、これに合わせて、26名のDRFCクローバー会会員が集まりました。当日は講演会の開催もあって、企画展会場も多くの人が集まり活況を呈していました。CIMG8233

     ↑ ジオラマの前では熱心に写真を撮る人が見受けられました

講演会申込が多く、抽選となったとのことで、14時からの講演会は30分前の会場受付開始前から多くの人が並び、約150人収容できるという講堂も一杯となりました。 続きを読む

広島便り

江若展に向かった3月13日は旧ダイヤで、帰路15日は新ダイヤで帰宅しました。京都から新幹線で三原に帰るには岡山か福山で「こだま」に乗り換えるのですが、それが面倒なので今日は新大阪から「こだま」で帰ることにしました。早朝大津を発って新大阪発7:39の「こだま733号」に乗ったのですが、何と指定席は満席! 急ぐ必要のない格安ツアーなのか中高年の男女でぎっしり。トイレの前には行列ができていました。一方自由席はガラガラ。相生の12分停車でヤレヤレと思っていたら、岡山では23分停車。福山の8分停車は短く感じました。かつて北海道で札幌から釧路に向かう夜行普通列車423レに何度か乗りましたが、富良野で35分停車、新得で16分停車、帯広で13分停車、池田で15分停車し、給水、給炭、郵便小荷物積みおろしをする光景を思い出させるような現代の「こだま号」の旅でした。

さて帰宅すると3月15日の中国新聞朝刊には 14日のダイヤ改正がらみの記事が1面を飾っておりました。227系のデビューと新白島駅開業が目玉です。便利に、快適になったことは報じられても、不便になった面も報じてくれればよいのに。

平成27年3月15日 中国新聞朝刊

平成27年3月15日 中国新聞朝刊

 

IMG_0001-1

続きを読む