被災地の鉄道は いま -2-

仙石線で石巻へ行き、乗り換えて石巻線渡波まで向かう間、1時間30分の待ち時間があります。この間を利用して、石巻の被災状況を確認するため街なかへと出ました。駅前のメインストリートたる立町通は、もうすっかり復旧して営業店舗が続きますが、仔細に見ると、1階部分が壊滅した建物が見え隠れして、石巻の中心街も背丈程度まで水没したことが分かります。

石巻線

石巻の市街地を北上川の手前で右に折れて河口寄りへ行くと、途端にその状況は、厳しくなってきた。一面に荒廃した土地が続き、辛うじて残った家屋も、骨組みだけの伽藍堂、北上川を俎上した津波がすべてを奪い去って行ったことが分かる。

その先端に日和山がある。頂上の石巻城址が公園になっていて、市街地が望める。被災前の市街地写真が公園の柵に掲げられており、現況と対比できるようになっている。散歩中の地元の古老から、震災の状況をたっぷり聞くことができた。

真南に当たる門脇地区は一面の荒地、震災時は津波で壊滅し、火災も発生した。かつてはここに家がびっしり建っていた。奇跡的に1軒だけそのままの姿で残っている。海岸近くに積み上げられたのは被災自動車で、瓦礫は撤去されたものの、自動車だけはなかなか処分できないらしい。右手に伸びていた仙台臨海鉄道も大きな被害を受けた。

眼を北上川の市街地側に転じると、北上川に沿って被災地が続く。中央の中洲もすっかり建物が消えてしまったが、よく見ると、円形ドームの石ノ森章太郎記念館の横に、テントで覆われた建物が見える。これが、国内最古の木造教会といわれる石巻ハリストス正教会で、奇跡的に残って修復が始まるようだ。

石巻線は、小牛田-前谷地-石巻-渡波-女川の44.9キロで、小牛田~石巻間は、地震後すぐに運転を開始し、石巻~渡波間は、津波の被害を受けたが、今年3月に復旧している。石巻10:16発の1631Dで、列車で行ける渡波まで行くことにした。その先の海岸沿いを走る渡波-女川は今も運休中で、同区間には、列車に接続する代行バスが運転されているが、時間的に代行バスに乗って往復する無理で、2駅先の渡波まで行って折り返し列車で戻ることにした。

渡波~女川間は復旧工事に入ったが、女川駅付近は、駅を内陸部へ移転させる構想もあって抜本的な工事が必要で、まだ着手には至っていない。女川のひとつ手前の浦宿までが2013年度の開通とアナウンスされている。

被害を受けた石巻線だが、今年は、前身の仙北軽便鉄道によって小牛田―石巻間を開業してから100周年に当たる。12月には小牛田~石巻間でC11が引く「SL石巻線100周年号」が1日1往復運行される。

渡波の女川方、枕木の車両止めがあって、ここから先へは進めない。ワンマンカーの自動音声テープも「つぎは終着、渡波」と伝え、かなりの長期戦になると見ているようだ。

▲▲渡波駅前に停車する石巻線渡波~女川間の代行バス。JR東北バスによる運行。列車ダイヤに接続して一日8往復運転されている。続行便はなく1台のみの運行。

渡波駅舎。津波で浸水したものの、現在はその痕跡も感じられないほど駅前も復旧していた。端正なたたずまいの駅舎も、健在だった。

渡波に20分だけ滞在し、渡波10:37発の小牛田行き1632Dで折り返す。キハ48の2連、女川からの代行バスの乗客も乗り込んでまずまずの乗車となった。

前谷地に11:11に到着。駅は二面三線の標準的な構内だが、ここから、気仙沼線が分岐する。ホーム隣に待っていたのが、気仙沼線柳津行きのキハ110単行(右)

 

あの感動を再び! 浜大津イベント明日開幕

昨年、多くの人々に感動を提供しました江若鉄道をふり返るイベント第2章の「浜大津駅」が、今年も明日からスカイプラザ浜大津で開催されます。会場には、西村君が苦労を重ねて製作されたかつての「浜大津駅」がジオラマで再現されています。問題だったクロスポイントは林君の超力作でもあります。これは他では絶対に見られません。
会員諸君、是非とも会場にお運びいただき、力作をご覧ください。
開催日は、10月27日、28日と、11月3日、4日の土日のみです。
皆様方のご来場をお待ち申し上げております。よろしくお願いします。



西村雅幸君の力作、再び!

昨年、浜大津の「スカイプラザ浜大津」で展示されて大絶賛された、江若鉄道の精巧なジオラマがさらに精巧にバージョンアップされてかえってきます。今回は浜大津駅の再現で、会員諸兄の資料やアドバイスをはじめ、前回の展示会で集まられた江若鉄道OBの方々より資料のご提供を受けて、より精巧な浜大津駅が再現できたそうです。

今回は、京阪電鉄京津線開業100周年を記念するイベントで、京津線関係の珍しい写真や資料なども展示されるそうです。今回の見所は、駅付近のジオラマのみならず、当時の江若鉄道の車両群と、京津線を走った20型以降の車両達がOB会員達の協力で復元されたことです。

会員諸兄にお願いします。是非ともお出で頂き、素晴らしい作品を見て下さい。そしてご意見や思い出話を聞かせて下さい。遠く三原から来てくれる、西村君にエールを送ってあげて下さい。

10月27日(土)~28日(日)、11月3日(土)~4日(日) 10:00~17:00
浜大津駅隣接 スカイプラザ浜大津6F 
※申し訳ありませんが入場料200円が必要です。

以前に西村君が投稿した「お知らせ」を再度掲載してご案内いたします。

>昨年同様、スカイプラザ浜大津にて土曜、日曜だけの計4日間ですが、浜大津ターミナルの復元ジオラマ展示と江若、京阪の模型運転を行います。今回も多くの会員諸氏のご協力のおかげで 準備も最終段階に入っています。
場所は京阪浜大津駅の隣のビル6階で、開場は10:00~17:00です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。なお11月3日には京阪のイベントが錦織車庫で開催され、毎年多くのファンや家族連れでにぎわうようです。

被災地の鉄道は いま -1-

先日の青森写真展では、設営・受付のために現地に3日間滞在しましたが、ダイレクトに行って帰って来るだけでは、鉄道ファンの名が廃ります。青森へ駆けつけた各会員も思い思いに寄り道したようです。私の場合は、被災地の鉄道の乗車に一日を当てました。これまで被災地を訪れることは控えてきましたが、大震災から一年半が経過し、もう邪魔にもならないだろうと考え、現地の鉄道・代行バスを実体験することにしました。

10月9日、早朝の仙台から乗車が始まります。

仙石線

5時30分、新宿から乗ったJRバス東北の夜行バスが、早着も延着もなく、ピッタリ仙台駅東口に着いた。駅でもらった代行バスの時刻表をもとに、今日一日の乗車経路を再検討すると、代行バスの連絡が意外にうまく行くことが判明した。    早朝の仙台駅、震災の傷跡など微塵も感じられなかった

仙台(仙石線)→松島海岸(代行バス)→矢本(仙石線)→石巻(石巻線)→渡波(石巻線)→前谷地(気仙沼線)→柳津(代行バス)→気仙沼(大船渡線)→一関(東北本線)→盛岡(宿泊)と約300キロを列車・代行バスで回れる。手にした切符は「秋の乗り放題切符」だから運賃の心配も要らない。

仙石線は、現在、高城町~陸前小野間の11.7キロが震災の影響により不通で、その前後の区間、あおば通(仙台)~高城町、陸前小野~石巻で列車が運行されている。あおば通(仙台)~高城町は、仙台の近郊区間であり、震災前と同数の列車が確保されており、快速列車も運転されている。いっぽう陸前小野~石巻は、震災前の半分程度の列車であり、すべてDC列車(キハ110)となっている。代行バスは、駅員配置駅の松島海岸(高城町のひとつ仙台寄り)~矢本(陸前小野のふたつ石巻寄り)、鉄道営業距離で18.2キロを43分程度で運転している。代行バスの本数は、一日20本で、朝夕は一時間2本、昼間は一時間1本のネットダイヤで、列車との接続はとくに考慮されていないが、たまたま乗った列車とは、うまく接続していた。

仙石線始発のあおば通りまで行って、快速に乗る。仙石線用に改造の205系のうち、5編成の石巻方先頭車はクロス、ロングの両方に使えるデュアルシート車で、ここでは“2WAYシート”の愛称が与えられている。▲▲快速は高城町までだが、代行バス乗り場のある一つ手前の松島海岸で下車、乗車列車は、石巻出身の石ノ森章太郎のキャラクターラッピング車。

代行バスに乗ってしばらくは、松島海岸が続くが、陸前大塚付近から津波の被災区間となる。辛うじて残った家は1階部分が壊滅 ▲▲野蒜駅舎は改築されて、まだ真新しい駅舎だったが、被害を受けてベニヤ張り

不通区間のなかでは最も津波の被害の大きかった野蒜駅、まだ架線柱は傾いたまま

石巻方の代行バスの接続駅となる矢本。朝ラッシュ時、代行バスへ向かう乗客 ▲▲朝の代行バスは、3台続行で次つぎ発車、バスは近隣のバス会社から総動員している。中心はミヤコーバスだが、乗ったのは日本三景交通という貸切専業のバスだった

代行バスをはさみ仙台~石巻間を乗車すると、接続がうまく行っても2時間程度掛かってしまう。震災前は1時間20分程度であり、とくにラッシュ時のダメージは大きい。そこで、仙台~石巻間を東北本線・小牛田・石巻線経由で結ぶ臨時直通快速を朝夕に各1往復を運転している。この列車は途中ノンストップで小牛田にも停車しないため、1時間05分で、震災前より逆に短時間で走っており好評のようだ。

矢本駅に停車する石巻行き7723D列車、石巻方の営業区間は陸前小野~石巻間だが、代行バスの接続が矢本のため、矢本始発の列車が多い

不通区間の中では、とくに野蒜付近の津波被害が大きかった。震災当日、野蒜で交換直後の上下列車が行方不明になり、うち1本が津波で流された。地元自治体からは、高台への線路移設の要望も上がっており、現在、復旧工事は全く着手されていない。

ところが、青森からの帰宅後に、JR東日本仙台支社から、東北本線と仙石線を接続する計画が発表された。両線が近接している塩釜~松島間(東北本線)と松島海岸~高城町間(仙石線)を接続し、約400メートルの路線を新設するというもの。工事は、不通になっている仙石線の高城町~陸前小野間の復旧工事と並行して行い、2015年中の全線復旧にあわせて使用を開始とアナウンスされている。完成すると、東北本線と仙石線を経由した仙台~石巻間の直通列車が実現する。震災前より、さらに10分程度短縮する見込みである。東北本線が交流、仙石線が直流のため、気動車を使用する。出自の違いから、たまたま並行していた両線が有機的に結びつく訳だ。

8時9分、石巻に到着、かつては仙石線石巻駅と石巻線石巻駅は別にあって、乗り換えの際に戸惑ったものだが、今は統合されている(写真右)。秋の青空もと、駅前にバスがポツンと一台止まっている。左のピンク色の建物は廃業したさくら野百貨店の建物で、1階にスーパー、2階以上は石巻市役所として使っている。一見、平和そうに見えるが、震災時、駅前も1階部分が津波浸水にあったという

 

青森写真展によせて      佐竹保雄

さまざまな方との出会いがあった一日だった

(佐竹保雄さんから青森写真展見学のレポートが届きました)

鉄道記念日の10月14日、南草津図書館の講演会も無事終わり、翌15日早朝、山科を出発して東京経由東北新幹線で、夜には青森に着きまし た。16日10時には同志社鉄道同好会OB会写真展「青森を走った汽車・電車」をギャラリーに見に行きました。

同志社校友会青森県支部事務局長桜 庭潔氏が、私に頭を下げて「京都から遠い青森までよくぞ鉄道の写真の撮影に来ていただき有り難うございました」と挨拶されましたのでびっくり しました。会場の道路側はガラス張りで外から中の写真がよく見え、特に入口左のD51重連のパネルは人目を引きます。この写真展は年代の古い道路側の写真がいいと多くの入場者が言っているとのことでした。

午前中は入場者はほとんど無く、同志社校友会青森県支 部顧問佐藤光彦氏(ブルーオーシャンKK代表取締役社長)を電話で呼び出してくれ、いろいろ楽しくお互いの学生時代の昔話をしました。午後にOB会の山田氏、夕方に津田氏が来る。入場者は10数人はあり、Hさん親子が私に会いに来てくれました。事務局長と二人のときは同志社大学のことやいろいろの話ができて大変楽しく、あっという間に17時になり退場しました。                                   雪のD51重連の大型ポスターが目を引く           ドアを入ると、そこには懐かしい写真があふれていた   

井笠バス 続々報

当地備後地方では井笠鉄道バスの突然の廃止が大問題になり、連日新聞、テレビで採り上げられています。廃止系統、廃止停留所、減便などをめぐり、丁度投票を控えた岡山知事選の争点にまで波紋がひろがっています。井笠のあとの運行継続を急に要請された中国バスさんも辛いことと思います。ところでこの中国バスは尾道鉄道の流れをくむバス会社です。まだ鞆鉄道バスも健在ですので、井笠、鞆、尾道と鉄分が残っている備後地域です。マア 一地方のバス路線のことなどには興味のない方も多いかと思いますので、このシリーズもこれで終わりにしますが、どういう展開になってゆくのかを見守ってゆくことにします。

中国新聞 福山エリア版

同日の中国新聞 井笠エリア版

クローバー会活動報告(最終回)

先日ご報告しました、草津市立南草津図書館における佐竹先輩の講演会に対しまして、本日、今井知春館長様より当会への礼状並びに記録写真三枚、第9回草津街あかりイベントのパンフレットをお送り頂きました。

お礼状の内容は、81名もの市民の方々が来られたこと、講演会の運営に会員が協力したことなどに対して感謝のお言葉です。

謹んでお手伝い頂きました会員諸兄並びに、全ての会員の皆様にご報告させて頂きます。

このような場を設営下さいました今井知春図書館長様には、改めましてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
                  同志社大学鉄道同好会クローバー会 会長 田野城 喬

だんじり阪急踏切を渡る

阪急電車塚口駅の北側にある塚口神社の秋祭り。七つの町会に夫々だんじりがあり、阪急電車伊丹線の踏切2カ所、神戸線の踏切1か所を渡ります。

伊丹線塚口駅寄り踏切、先ず南町が渡りました。

続いて清水町が、伊丹線電車の通過後にわたります。それまで待機。

だんじりは画面左方向に進みます。踏切中央部が高く、滑り降り防止に棒ブレーキと人力で大変です。

南町のだんじりが阪急神戸線塚口駅西の踏切を渡ります。30分も前に着いただんじりが電車の合間を縫い、 多数の警官と阪急電鉄社員に見守られやっと通過です。このだんじりだけ2カ所、往復計4回踏切を渡ります。

10月14日日曜日、お昼前の阪急塚口駅近辺の様子でした。

京阪トロリーライン 揃い踏み

草津、大阪、青森とクローバー会の皆様は東奔西走の毎日で、次は11月11日のホームカミングデー、EVEと続くのですが その前に「浜大津 なつかしの写真展&鉄道模型走行会」がはさまります。スカイプラザ浜大津で10月27,28日、11月3,4日の土曜日曜のみの4日間です。浜大津ターミナルのジオラマはほぼ完成し、近日中に糸崎駅から浜大津貨物駅に向けてコンテナ8個で発送予定です。江若車両は昨年しっかり作りましたので今回の増備車はないのですが、京阪車両がないと格好がつかないため何両かを作りました。これにもまた大変なご支援を頂きました。ようやく京阪浜大津の役者が揃いましたので 写真にてご紹介致します。

左から20型、マキシマム台車の駆動にH君の腕をふるっていただきました。次は72号、びわこ、200型 これは昨年製作したものを動力化しただけです。右の2両は260型キットを350型に改造組立したものですが、またもH君に無理をお願いした秀作です。これ以外に4日間全部ではないにせよ 別の方から10型、20型、260型、ひょっとしたら80型も姿を見せてくれることになっています。そんなわけで クローバー会員はもとより、DRFC現役会員の皆様も是非京津線開業100周年の提灯行列に参加してください。

船場まつり2012(船場鉄道フェスティバル)無事に終わる!

初めての投稿です。見づらい箇所がございますがご了承ください。
10月12日(金)~14日(日)に行われた船場鉄道フェスティバルは無事に終了した。最終日は会場近辺で行われた「みどうすじカッポ2012」の影響もあり、1日で何と1340人の方にお越しいただけた。ここ数年の現役のイベントではおそらく一番の来場者数ではないだろうか。

先日行われた三条京阪イベントで当会の展示を気に入り、わざわざ京都からお越しいただいたご家族もいらっしゃった。当会のリピーター(再来場客)も年々増えており、嬉しい限りである。現在の実働会員数は約20名であり、少し余裕も出てきた。今後は鉄道模型展示だけでなく、研究発表や写真展示など他分野の展示発表にも力を注いでいきたい。現役会員の知識・技能を結集すれば必ずより豊かな展示発表ができるだろう。
「同志社大学といえば鉄道同好会!」そのように言われる日が必ず来ることを夢見て→お客様のみならず、会員もリラックスし、イベントを楽しんでいた。


 

→Bトレの展示。実はこの棚に並んでいるBトレのほぼすべてが、1人の会員の私物である。

→子どもも大人も鉄道模型にくぎ付け。最終日にはきかんしゃトーマス(トーマス、パーシー)も登場し、来場客を大いに喜ばせた。

クローバー会活動報告 (その2)

佐竹さん講演会の報告のつぎは、同時開催のクローバー会写真展in青森「青森を走った汽車・電車」の報告です。私は、10日に青森入り、11日の設営、12・13日の受付業務を、クローバー会会員および校友会青森支部員の協力で行い、東京での別業務を済ませて、昨晩戻ってきました。写真展は、まだ17日まで開催中、これから行かれる方のために、現地レポートをお送りしましょう。

        ▲人通りの多い青森・新町通りで、ひときわ目立つギャラリーNOVITA

写真展会場は、青森駅から歩いて5分で到着する地の利のよさ、コンパクトシティを目指す青森市の中心部にあります。都市中心部の空洞化とは無縁の、人通りの絶えない新町通りに面し、唯一の百貨店、さくら野百貨店の真向かいという絶好のロケーション。しかも会場は、全面ガラス張りで、白を基調にしたスタイリッシュな会場は、道行く人から注目度抜群です。ギャラリーというのは、内部の様子が伺えないと、入るのに抵抗感がありますが、ここは内部の様子が一目瞭然、吸い込まれるように会場へと入って行きます。

写真は、全部で51点、過去の写真、現在の写真に分け、おおよそ時代順に、2列に並べたものの、スペースがなくなり、急遽、通路にも並べることになりました。50年前の東北本線の蒸機から、2012年の「はやぶさ」まで、国鉄・JRあり、私鉄あり、形式写真あり、情景写真あり、白黒写真ありカラーありで、渾然とした写真展は、これぞ集団で行う写真展の魅力でしょう。

今回は、同志社大学の行事が青森県で行われたことに協賛して行われました。青森県の同志社大学への入学者は、2012年度たったの3名、全国最下位の入学者です。何とかこれを挽回したいものと、毎年、風間浦村で行われる新島襄碑前祭の翌日に、会場近くのホテルで受験生集めのキャンパスフェスタが行われ、その協賛行事として、同志社大学、校友会青森支部の後援のもとに行われました。

設営はクローバー会員、および校友会青森支部の皆さんにも協力していただいた。この期間に来場いただいたクローバー会会員は、準特急さん、ぶんしゅうさん、K林さん、埼玉の勘太郎さん

確かに来場者に、“京都にある同志社大学の卒業生が撮りました”と説明しても、なかなか大学の名まで意識が行かない様子。受験生にとっては、東京を通り越して、遠隔地へ行く必然性は希薄のようです。ただ、京都への憧れは、青森でも抜群のものがあります。青森は三内丸山遺跡に代表される古代遺跡はあるが、そこからの歴史がスッポリ抜けていると言っておられた方の言葉が印象的。京都のように連綿とした歴史のある都市は、畏敬にも似た憧れを持っておられる。受験生集めにも“京都にある大学”は必須の惹句になるでしょう。この写真展開催が、受験志望者の増加の一助になり、ひいては入学者の鉄道同好会入会の動機付けとなれば何よりです。

閑話休題-。来場者から出る質問に“青森に在住する卒業生が撮ったものですか”が多くありました。“ウンと昔に、京都・大阪から一昼夜、夜行に揺られて撮りに来たものです”と返すと、一様に“ヒェー”という声が返ってきました。

鉄道が元気だった時代に青春時代を送った、50歳以上の方からは、思い出話がつぎつぎと吐露され、中には展示した弘南鉄道のクハニ1263の特徴ある姿を見て、50年前まさにこの電車に乗って通学したと涙ながらに語る方もおられました。

時折、若い男女も来場、ひとつひとつをじっくり鑑賞していた

         ▲平日午前中でもこの賑わい、やはり中高年が圧倒的、女性客も多い 

         ▲灯ともし頃になると、いっそういい雰囲気になってくる。

         ▲52点の写真をほぼ時代順に配置、黒のマットが白い壁面に映えた

青森県の地元紙、東奥日報の要職にある方も同志社出身で、事前に校友会支部から取材を依頼、開催直後に取材があり、その翌日版に掲載された。

10/14 クローバー会活動報告(その1)

南草津図書館の会館10周年を記念するイベントが、鉄道記念日の10月14日に開催された。
この記念行事の一環として佐竹先輩の講演会が企画され、大人も子供も楽しいひとときを過ごした。

今回は、一般の親子連れが中心に集まるため、専門的な話よりもかえって難しく、企画段階から佐竹先輩、沖中顧問がかなり苦労されたことがうかがえた。スライドは、トーマスの絵本を交えて実写のSL写真を説明したり、半世紀前の地元写真と現在の草津付近の写真を交えたりして、新しく住み着いた若い人たちにも、子供達にも興味を持たせて飽きさせないようした気配りには感心した。

終わりにあたって、主催者の草津市から当会に対して懇篤なるお礼の言葉を頂いたことをご報告する。また、休みを返上して手伝ってくださった会員有志各位にお礼申し上げる。

お手伝い頂いた会員有志は以下の通り。
沖中(司会・進行)、玉田(模型運転担当)、弘津(記録写真)、井原(スライド・照明)、奥山、滝本、田野城、(敬称略)

話しに飽きた子供達には、壁を隔ててレイアウトとプラレールが用意されている。子供達へのサービスに努める玉田会員。ご苦労様でした。

井笠バス 続報

昨日 突如事業終了が公表されたため 岡山県西部と広島県東部で困惑の声がひろがっている。今朝の中国新聞も1面トップで扱っている。路線廃止まであと2週間ほどだが、引き継ぎ先も決まっておらず、 通学や高齢者の足が突然なくなる事態になりそうだ。道路運送法では廃止届は半年前に提出すべきとなっているそうだが、違反すると100万円以下の罰金も 会社がなくなれば取り立てられないということで、何の歯止めにもなっていない。全国の殆どの路線バス事業者が赤字経営に苦しんでいるわけで、いつどこでこのような事態が起こっても不思議ではない。

井笠鉄道の名前が消える!

昭和46年に井笠鉄道は廃止され、バス事業が井笠鉄道の名前を引き継いで続けられてきたが、今日 今月末でバス事業を終了する旨の発表がなされた。すなわち今月末で井笠鉄道の名前は消えることになりそうだ。71系統のうち どの系統が中国バスなどに引き継がれ、どの系統が廃止されるのかなど詳しいことは不明だが、明治44年に走り始めた井笠鉄道の灯が消えるのは バスファンではない私にも寂しいニュースです。我が町にはまだ「鞆鉄道バス」が走っています。トモテツよ永遠なれ!

広電三昧

昨日KAWANAKA氏と600円の1日乗車券を手に、広島市内を歩き回りました。秋空の下 元気な広電の姿を堪能できた1日でした。

江波車庫を出庫する101号

広電本社に隣接する千田車庫に居並ぶ電車たちを撮りたいとダメモトで頼んでみたところ、「ピットにはおりないでくださいね」とだけ念押しされた他は 車庫内を自由に見学させてもらえました。

乙訓の大先輩殿 この台車の解説をお願いします

 唯一のガッカリはドルトムント市電改装のレストラン「トランヴェール・エクスプレス」で豪華なランチを予定していたのですが、何と定休日。楽しみは次回回しとなりました。

広電本社前にて

 宮島線以外の各線で京都市電1900型は大活躍です。15両が在籍し、9両が千田車庫、6両が江波車庫所属です。900型の製造初年が昭和30年ですから、還暦に近いわけですが、そんな歳には見えません。広電さんの手入れの良さに感謝です。

 

秋空の下広電がゆく。高いビルはドコモ広島大手町ビル。

京津線が100周年を迎えるのと同様、広電も100周年の節目です。10月20日から12月16日まで特別展も開かれます。広島方面へお越しの節は、是非お立ち寄り下さい。三原ではボランティアガイドも待機しています。

KAWANAKAさま。広島遠征お疲れさまでした。前座はこれぐらいにしておきますので、3日間の成果のご披露をお願い致します。

 

いざ青森へ -3-

583 3本並び

毎年12月、御用納め後の年末は、大人しくしているが、平成9年は、珍しく青森へ出掛けた。当時新幹線は盛岡までで、盛岡~青森の新幹線リレーに583系「はつかり」などが走り、年末はとくに臨時も多い。隠れ583系ファンの私も、これを逃す手はない。

朝の青森駅、確かに583系があふれている。夜行列車の発着も多く、在来線優等列車の最後とも言うべき華やかなシーンを見せていた。「はつかり」「はくつる」の並びを撮っていると、さらに向こうのホームにも583系が停まっているではないか。“あっ”と思った瞬間、くだんの583は動いてしまった。583が3本も並んでる。さぁ、取り逃がした魚は大きい。一計を案じ、当日は、函館経由で弘前泊の予定だったところを、急遽宿泊先を青森に変更し、翌朝、再び同じ時刻に待ち構えた。やっとのことで3本並びを撮ることができた。過去、583系の営業列車がホームで3本並ぶケースがあったのか把握はしていないが、年末の青森駅で、貴重な体験をしたと今でも思っている。

回送で発車していく583系の運転士に向かって、感謝の手を振ると、向こうも敬礼で応えてくれた。

 ▲右から、「はつかり5号」、「はくつる81号」、「はつかり6号」、3本が並んだ

 ▲跨線橋からは2本並びを。青森駅の跨線橋は窓が低くて撮影に適している

 ▲年末のため多くの583系が東北本線を行き来した。野内~浅虫

いざ青森へ -2-

「白鳥」と「オリンピア」

青森も山間部になると、日本有数の豪雪地帯となるが、平野部はそれほどの積雪ではないようだ。事実、昭和47年2月、北海道の帰り、連絡船で明け方の青森駅に着いた時もホームがわずかに白くなる程度で、以後の訪問でも大雪に見舞われた経験はない。

連絡船から降りて駅ホームに行くと、向かいホームに5時20発の「白鳥」が発車待ち。青森から、延々大阪まで、1000km以上を16時間余りかけて走り抜く。昼行特急としては破格の当時日本一の長距離特急で、今となっては考えられないような列車だ。この年の10月、日本海縦貫線の完全電化で「白鳥」は電車化される。

そして、左のホームに入線してきたのが、やや遅れて到着した臨時特急「オリンピア1号」だった。以前の掲示板でも触れたが、この時、札幌オリンピックが開催中で、観客輸送のため、上野~青森間に走った583系による臨時特急であった。上野を前日の19時30分に出て、青森には所定4時45分着、連絡船で渡って函館から82系の「オリンピア2号」に乗ると、札幌に13時56分に到着するダイヤだった。特急「オリンピア」と言えば、東京オリンピックの際に東海道本線に運転されたものが有名だが、札幌オリンピックの際にも、わずか2週間だけ運転された「オリンピア」だった。

午前5時の青森駅に並ぶ、82系「白鳥」と583系「オリンピア」。ヘッドマークもあるが、露光オーバーで、いくら焼きこんでも、ヘッドマークは表れなかった

 ▲その後、雪が降り出した。「はつかり」がゆっくりホームを離れて行った

津軽線はDC化されていたが、朝夕のみC11の引く客車列車が残っていた

いざ青森へ -1-

  ▲右のガラス張りが写真展会場のNOVITA、青森の中心部、人通りも多い

 ▲会場NOVITAの内部、右の壁面が展示スペース、外を行くバスもよく見える

 ▼会場への道のり、駅からまっすぐ5分、さくら野百貨店の向かい

青森写真展が目前に迫ってきました。昨日、準備作業も終わり、写真を梱包して青森へ発送を完了。あとは、11日の設営を待つだけです。私は例によっての極貧旅で青森へ向かいますが、今回は、震災後初めての東北入りともなりますので、被災地の様子も見て行きます。

青森展の盛り上げの一助になるかは分かりませんが、何回かの青森行きで撮った写真の中から、惜しくも選に洩れた?写真の数々を、ランダムにご覧いただきましょう。

日本一の機関区、青森区

青森県を初めて訪れたのは、昭和43年8月、大学一年生の時だった。当会の龍ケ森での狂化合宿のあと、北海道へ向かうため、青森駅に降りた時である。ところが、連絡船のことばかりが気掛かりで、青森駅では撮影どころではなかった。列車が青森に着くと、脱兎の如く連絡船通路を走って連絡船改札へ向かった。連絡船は定員制だから、混雑時は積み残しの可能性もあり、以後のスケジュールに狂いが生じてしまう。東京~北海道の旅客のほとんどが連絡船を利用する時代、それほど左様に連絡船の混雑は激しかった。

だから、青森でゆっくり撮影できたのは、北海道からの帰途時だった。昭和43年8月の時も、まず機関区へ向かった。東北本線完全電化の直前で、青森機関区の蒸機は65両、小樽築港、門司を押さえ、日本一の蒸機配置区だった。ところが、大規模機関区の例に洩れず、駅からは見えないぐらいに遠い。長旅で痛む足を引きずって、やっと区に到着した。

ただ、実態は、電化直前のため休車も多く、国鉄争議のため蒸機の整備も良くなく、形式写真の決めも撮れないままで、青森区の最盛期は過ぎていた。

早々に退散し、駅へ戻ると、青森駅構内改良工事のため、列車はすべて運休で、奥羽本線では、次駅の津軽新城からの特発で、代行バスでの移動となった。このため、長い間、青森~津軽新城間のみが未乗区間として残っていた。

 ▲この地区としては珍しい長工デフのD51281 「青森」の標示も見える

 ▲形式写真としては、これぐらいしか撮れなかった C6010

 ▲落書き機関車の典型、石灰で書いた落書きとアジビラ

 ▲梅小路蒸気機関車館でいまも保存中のC612も団結号になっていた

その中でもC6030は美しく整備されていた 小デフつきのC6030

 ▲ラウンドハウス内部から見ると、絶えずターンテーブルに乗る蒸機が見えた

 ▲北国らしく、扉つきのラウンドハウスだった。本州では比較的珍しい

浜大津イベントのお知らせ

昨年同様、スカイプラザ浜大津にて土曜、日曜だけの計4日間ですが、浜大津ターミナルの復元ジオラマ展示と江若、京阪の模型運転を行います。最新版のチラシが主催者から届きましたので、添付します。今回も多くの会員諸氏のご協力のおかげで 準備も最終段階に入っています。場所は京阪浜大津駅の隣のビル6階で、開場は10:00~17:00です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。なお11月3日には京阪のイベントが錦織車庫で開催され、毎年多くのファンや家族連れでにぎわうようです。

青森写真展 着々(遅々?)進行中

クローバー会写真展in青森の開催まで、一週間を切りました。今春から始めた準備作業も、ギリギリになってから、やっとエンジン全開、得意?のラストスパートで、ようやく全容が見えてきました。

厳選された珠玉の作品は、16人から49点もの点数に。京都から1000kmも離れた青森というピンスポットなテーマにも関わらず、50年以上前のキハ41000から、2012年の新幹線「はやぶさ」まで、あらゆる年代の写真が集まりました。地震で突然廃止になった南部鉄道もちゃんとあります。この撮影年代の広がりは、さすがにクローバー会の懐の深さを示すものと言えます。

明日にはすべての準備作業を完了し、青森へ発送します。

一点一点丁寧にプリントされた写真は目を見張る美しさ。今回は額・マットは一体化した軽量既製品を使用し、準備・輸送の効率化を図った。また、以前から要望の高かった、作品リストなどのチラシも完備。

同志社校友会誌“The Doshisha Times”にも、ホームカミンクデーの案内とともに、写真展記事が掲載された