「昭和の電車」シリーズを二度にわたって掲載することになったので、いつも前回時と比較しています。今回のデニの前回時は反応が皆無でした。反応のあるなしは車両に人気に大いに比例しますが、それ以外に時期にも左右されます。前回の2018年9月から10月は、山陽本線が大雨で瀬野~八本松が不通になり、その復旧工事報告や、札沼線の廃止時期でその訪問記などが話題をさらっていったようです。
「研究論文」カテゴリーアーカイブ
昭和の電車 改訂版(255)ー大阪電気軌道デボ1000系ー
「昭和の電車」も、残すところ後数回になりました。
あらためて関三平先生の知識と記憶力に感銘を受けております。
さて、改めて前回のコメントを見ると(2018年9月)近鉄常連のwakuhiroさんはもとより、準特急さん、宮崎繁幹さん、そして私も写真を投稿しておりました。
大阪電軌デボ1000
昭和の電車 改訂版(254)ー大阪鉄道デホユー
昭和の電車 改訂版(253)ー南海電鉄2001系ー
昭和の電車 改訂版(252)ー神戸市電400型ー
昭和の電車 改訂版(251)ー大阪市電1001型ー
2018年の初回投稿時には車両を差し置いて、バックに描かれているOSミュージックに関するウンチクが書き込まれ、品位が崩れた苦い思い出があります。
今回は“絶対に”書き込まないでください。“絶対に”ですぞ!
井原さんの投稿です。
前回の投稿
昭和の電車 改訂版(250)ー京都市電600型ー
ここから三回は各地の市電です。まず最初に京都市電600型から。
須田寬先輩の同志社での思い出が「彰栄館から見た青電こと600型」だった事は、以前からお聞きしていました。後にこの原画を関先生からいただき、お渡ししたところ、大変喜んでいただきました。茶色一色の市電にあって、鮮やかなツートーンカラーの600型を見た時の気持ちは、我々が「湘南電車」や「こだま」を見た時の感動と同じだったのでは、と思いました。
前回、2018年5月に投稿した時は、前代未聞のコメントを頂き、別スレを立てました。これは宮崎繁幹さんの秘蔵写真を見せていただいた時のやりとりです。
昭和の電車 改訂版(249)ー和歌山電軌200型・2000型ー
昭和の電車 改訂版(248)ー大分交通別大線150型・1000型ー
昭和の電車 改訂版(247)ー西鉄北九州線118型・125型ー
昭和の電車 改訂版(246)ー西鉄福岡市内線1001型・1101型ー
昭和の電車 改訂版(245)ー西鉄600系ー
昭和の電車 改訂版(244)ー国鉄モハ52型ー
子供の頃に、“流線型”といえば、このモハ52とC55でした。ところがどちらも見たことがありません。飯田線にいたことがあるようですが、これも知りません。
⇧ 菱屋の藤田さんのコレクションからお借りしました。晩年のモハ52です。
⇧ 先日惜しくも逝去された中村進一氏のコレクションからお借りしました。阪和線時代のモハ52。
昭和の電車 改訂版(242)ー名鉄3400系ー
昭和の電車 改訂版(241)ー名岐鉄道850系ー
今年最後の「昭和の電車」です。
このシリーズもあとわずかで終わります。
関三平先生の電車への愛情と知識には誰しも甲を脱ぐのではないでしょうか。
年が明けたら、懸案になっていた「一杯のみの会」を先生のご参加を頂いて開こうではありませんか?
来年が自由に飛び回れるようになることを祈念しております。
これも準特急さんのレポートです。
名鉄850系
昭和の電車 改訂版(240)ー知多鉄道デハ910号ー
昭和の電車 改訂版(239)ー愛知電鉄デハ3080ー
準特急さんの貴重なレポートをご覧下さい。
愛知電鉄デハ3080の成れの果て
昭和の電車 改訂版(238)ー福井鉄道51号ー
昭和の電車 改訂版(237)ー西鉄200系ー
五十年前に見た 当たり前の風景 -1-
日常を記録する
しばらく途絶えていましたが、また自身の記録に戻ります。京都市伏見区の深草が、旧深草町誕生百年を記念して、伏見区役所深草支所、龍谷大学、地域の文化団体が中心になって、多くの記念事業を展開しています。私は、深草には何の縁もない、一介の市民に過ぎませんが、できる範囲の協力をしてきました。テーマは「未来へ紡ぐ深草の記憶」。地域の暮らし・文化は、身近であるがゆえに、みんなで語り継ぎ、継承しなければ、その良さや重要性に気づくことなく失われてしまいます。地域の文化・歴史を共有して、未来を創造することが大事であるとの考えのもと、地域の暮らし・文化にまつわる写真・資料を収集、デジタル化して、地域で共有する取り組みです。文化庁の地域総合活用推進事業にも認定され、私もその趣旨に賛同して昨年から協力してきました。
▲深草の地域を東西に横断していたのが市電稲荷線で、50年前、昭和45年に廃止された。現在の同一地点から見ると、左の稲荷山は、マンションに囲まれて、頂上付近しか見えず、中央でひときわ目立っていた伏見稲荷の儀式殿(結婚式場)は、現在でもあるものの、老朽化して、すっかり色褪せして、地味~な存在になっていることを、ワークショップに来場していただいた市民の皆さんに見ていただいた。