これなんだ?教えて下さい!

雨のそぼ降る午後、ある新刊をもって会長・乙訓の老人を訪ねた。会長猊下はいつもの玉座に鎮座まします。

実はこの本は3月からDRFCクローバー会に入会する法学部法律学科78年度生・上原正英氏の作品である。これを会長猊下にご高覧頂きたくて訪問したのである。会長猊下はぺらぺらと一瞥して後、「余はその昔、推理小説に熱中したものである。最近のものはあまり面白くないではないか」「畏れながら申し上げます。猊下はどのような作家をお好みでしょうか?」「よい質問じゃ。余は松本清張、横溝正史、江戸川乱歩、鮎川哲也などを好む」「畏れながら有栖川氏は鮎川哲也の弟分でございます」「なに?では読んでみよう」てな具合であった。

そのとき、長老猊下は表紙を見た瞬間、「この車体は●●鉄道の○○や」と即断を下された。《そんなこと、ほんとに分かるのかいな~?》と思わず疑いましたがなにせこの世界では伝説の方、確認したくてこっそりと皆様にお尋ねする次第です。

この車体の出自をご存じの方、教えていただけませんか?

なお、献上した本は私が先輩であることをいいことに作者にサインを入れてもらって買った本であり、決して巻き上げたりしたようないかがわしいものではないことを明言しておく。

門鉄デフのD50

以前の澤村達也さんのコメントに「門鉄デフのD50のバラキットを持っているので、参考になる現物機を紹介してほしい」とのご要望があり、また紹介しますと約束してから、もうかなりの日数が経ってしまいました。やっと該当するネガを探し出すことができました。 

門鉄デフはC55・C57に代表される旅客用蒸機がとくに有名ですが、D50・D60のような貨物用の太いボイラーを備えた蒸機に装備すると、まるでゼロワンを彷彿とさせるようなスタイルになり意外と似合うものです。私が蒸機を本格的に撮り出した昭和40年代の前半、D50の総数380両のうち、昭和42年度は63両、昭和43年度では21両と急速にその数を減じていきます。そのうち、撮影できた25両のなかで門鉄デフ装備は7両に過ぎません。うち1両を除いて、門鉄デフの本場、北九州に在籍していました。いずれも分類上、K-7形と称される小倉工場製の切り欠きデフですが、デフそのものの大きさは機によって少し違います。63,129、374は除煙板が比較的小さいタイプ、これに対して105は大きなタイプ、また62,90は除煙板の下辺が斜めになっています。

 

 

北九州以外のもう1両は、米原区のD50131でした。この機は長野工場製の切り欠きデフN-2形で、形はだいぶ違います。米原~田村間の交直接続に、他のD50とともに使用されていましたので、ご覧になった方も多いと思います。

模型化の参考になれば幸いです。  

 

大分区で出区待ちの05062(大)は大きな切り欠きデフ

 

門司区で見かけた〔柳〕のD5063 オーソドックスな門デフを装備

石炭車を牽いて筑前垣生のカーブを行くD5090〔若〕

電化工事の進む大分区でのD50105〔大〕。大きな切り欠きデフを装備

煙だらけの門司区で休むD50129〔柳〕は標準的な切り欠きデフ

最終ナンバーに近いD50374〔柳〕は休車中

D50131〔米〕は長工式、交直接続で活躍

 

栄書紹介

このたび、和久田康雄さんの「日本の市内電車ー1895‐1945-が成山堂書店から上梓された。20日夕、配達を受け「はて、なにを送っていただいたのか」と思ったが、孫に「じっちゃん、嵐電しょう」とねだられプラレールの組み立てを手伝った。気になる図書を開いたのは深夜3時30分になってからのことである。(するっと関西のおもちゃはすべて嵐電となっている。)

紐解くや、「これはこれは」となった。安楽マニアの老人には、とても嬉しい内容が満載されている。和久田さんは東京大学在学中に学内図書館にある鉄道文書に着眼され、私鉄関係について筆写され、それをまとめ鉄道ピクトリアル誌で連載された。それは世の私鉄研究の原本になり、われわれは教本の一つにしてきた。のちに「私鉄史ハンドブック」となり、私鉄史研究者の参考書となっている。これに加え統計資料から考察を加え、われわれが知りたかった車両群解明の手掛かりを提供された。

かねて現役引退後、「公文書閲覧で国会図書館通いです」とおっしゃったことがあり、須磨の大人、名古屋の朋友:重軽氏から「図書館で出会った」と聞かされていた。学生時代から後期高齢者になられた(なる?)この年まで、われわれに常に情報を提供し続けられた和久田さんに国民、いや鉄路栄誉賞をささげたいと思っているところである。

申込みは〒160-0012 新宿区南元町4番51 (株)成山堂書店 TEL:03(3357)5861、FAX:03(3357)5867 出版案内を貰えるようになると、料金、送料が後払いOKとなる。今回は本体3,570円 送料390円 計4,060をご用意ください。

前歯健造君は生きていた!

今日、40数年の時空を越えてあの「須磨のガイコツ」前歯健造君から電話がありました。声だけを聞けば学生時代と変わりません。

実は以前から前歯氏についてよからぬ噂が流れていました。それは彼が「クローバー会には入らん」と言ったきり姿を消して、以来ようとして行方が分からなくなった。雨の降る山間の駅の待合室でオリンパスペンEEを磨いていたとか、北海道の線路端でオリンパスペンEEで写真を撮っていた、とか噂が出ていましたが、その後途絶え数十年が流れてしまったのです。

だまされやすい純粋な性格のため、小海線がいい、と岩波さんに言われると「小海線を愛する会」に入り、客車はスハ43がスバラシイと中林さんに言われると「急行つるぎを愛する会」を創り、カメラはハーフサイズがいいと宮本氏に聞かされるとオリンパスペンEEを買ってきてずっと愛用していました。

そんな彼がなぜかたくなにOB会である「クローバー会」にはいるのをいやがり身を隠したのか積年の疑問でした。そんなとき東京特派員の鬼太郎さんから新宿の居酒屋で前歯さんに会ったとの連絡を頂いたのです。教えてもらったアドレスは会社のものでした。北京特派員の陳さんに相談したら「会社のアドレスへ個人でアクセスするとリストに載せられてあとでひどい目に遭わされるから気をつけろ」とまるでアダルトサイトでひどい目にあったような用心深さです。まさかとは思いましたが用心に越したことはないと売り込みを装いメールしてみました。その返事が先ほどの電話でした。

鬼太郎特派員のねつ造記事で誤解しておりましたがOB会には参加しているとのことでした。ただ、須磨の自宅は早くに引き払い金沢文庫にいるので関西に行く機会がなかったこと、会社のアドレスしかないので書き込みが出来なかったこと、でも子会社に監査役で行ってからは少し自由になって、この4月からさらに転勤するのでこれからは関西出張もありそうなのでぜひ会おうと話してくれました。今後は東京支部の集まりには出席しますと約束して電話を切りましたが40数年の時空は一瞬にして消え去ったのです。

やっぱりDRFCの仲間はいいものですね!

CRHの旅Ⅲ Part5 上海鉄路博物館

ひと休みをしたらもうお昼です。南京路の食堂に入って、大好きな上海名物、スープの入った小籠包を食しました。広州の飲茶料理にもありますが、551の豚マンサイズの大きな小籠包は、上海だけです。スープを飲むために、ストローを付けた店もあります。

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「汽車住宅物語」に寄せて

西村雅幸さんが書き込みされた1月16日付【1572】「汽車住宅物語」の表紙の車両について、乙訓の長老より東武鉄道日光軌道線のハ57形ではないかというご指摘があり、RP誌135号の写真からほぼこれに間違いないというところまで来た。しかしながら写真は電動車テ17の後部に連結されているもので、サイズも小さく今一つ不安があった。もっと鮮明な写真がないものかと探したところ、一昨年東武博物館で購入した一冊の本のことを思い出した。東武鉄道OB岡 準二氏の遺作写真集「なつかしの鉄道とバス」というタイトルの本である。もしやここに載っているのではないかと思い見た処、テ11に牽かれたハ57の美しい風景写真が掲載されており、扉の形状、窓のサイズ、扉上の水切り等が表紙の写真と一致し、ハ57形と確定できた。

ハ57形について改めて書くと、昭和4年汽車会社製の半鋼製ボギー車で、57~61の5両作られた。牽引する電動車はテ10形で昭和4年日車製の半鋼製2軸単車で、10~19の10両作られた。昭和28年に宇都宮車両で100形(101~110)が一気に10両新製、翌昭和29年には宇都宮車両と汽車会社で200形連接車(201~206)が3編成作られ、従来の電車は事業用として残されたテ12を除き全車廃車となった。RP誌135号にはハ57形の廃車年月は書かれていないが、100形の登場した昭和28年度に廃車されたと思われる。「汽車住宅物語」の表紙の住宅は、その直後と考えられるが、終戦直後の混乱も一先ず落ち着き、住宅不足とは縁がないと思われる日光のような山間の観光地に、電車の廃車体を利用した住宅が作られたことは誠に興味深い。古川電工の増産に伴う就業人口増加による住宅の供給が間に合わなかったためであろうか。いつ頃まで存在したのかは勿論不明であろうが、昭和30年代の終り頃まで存在していれば、或いはファンの目に触れていたかも知れない。

11日、HPを開けたところトップページが岡山電軌に変わっており、最初に出てきたのが日光軌道線時代の塗装に変更された3005号車、次はKUROの3007号車であった。893-2さんが「汽車住宅物語」の話題に合わせて変更されたものと思われるので、日光軌道線から岡山電軌に至るまでの流れを簡単に書いてみたい。

昭和28年に車両を一新した日光軌道線であるが、東照宮のみ見学する場合はともかく、中禅寺湖、立木観音、湯元温泉まで行く場合、軌道線を利用すると終点の馬返しでケーブルカーに、更にケーブルカーの終点、明智平でバスに乗換える必要があった。一方、バスは日光駅から中禅寺湖を通り湯元温泉まで直通で運行され、観光客が乗換え不要のバスに流れるのは自然の成り行きであった。それでも沿線の古川電工の貨物輸送のために運行が続けられていたが、こちらもトラック輸送に切り替えられたため、遂に昭和43年2月24日限りで廃止となった。

廃止後の車両の行方であるが、100形は10両全車揃って当時単車のボギー車化を進めていた岡山電軌に譲渡、連接車の200形は大き過ぎるためか、引取り手がなく東武博物館に保存された203+204以外は解体された。また、電機のED611は栗原電鉄に譲渡され、同電鉄廃止後は栃木県の個人宅に保存されている。

岡山電軌では3000形3001~3010となり、ビューゲルから岡電式パンタに取替え、方向幕の移設、後にワンマン化が行われ、同社の主力として活躍したが、平成2年から冷房車と代替で廃車が始まり、現在残っているのは3005、3007、3010の3両である。(それ以前に3001が昭和48年10月に事故で廃車になっている。また、日光時代の旧車号は順に102、105、106、107、110、104、108、101、103、109である)3005は平成17年4月、日光軌道線時代の塗装に復元、3007は平成16年11月、烏城と呼ばれる岡山城のイメージに合わせて黒を基調とした塗装に変更、3010はデザイン賞受賞作品のチェック模様となっている。3005と3007は夏季以外は定期ダイヤで運行、3010は予備車となっているが、各車両とも夏は運転されない。

日光軌道線は、現役時代の昭和42年3月と翌年1月の2回訪問したが、いずれも神橋の鉄橋と国鉄・東武日光駅前での撮影に終わっている。亡母から「日光に行くのやったら菱屋の羊羹を買うてきて」と頼まれた。加えて昭和43年1月の時は東照宮境内に売っている「お札」の購入を頼まれ、ついでに東照宮を見学したため、肝心の電車撮影の時間が大幅に削減されてしまった。

 

101  昭和42年3月25日   神橋鉄橋 

 

104  昭和42年3月25日    同

 

110  昭和42年3月25日    同

 

110  昭和42年3月25日  国鉄日光駅前

 

110  昭和42年3月25日    同   (バックの山は男体山である)

 

3004(旧107)  昭和44年3月18日/本や資料によっては、全車両入線時にワンマン改造をしたように書かれているものがあるが、それは間違いで写真のように当初はツーマンで入線している。

 

3003(旧110)  昭和44年10月22日/ワンマン改造されているが、出入口の表示からも判るようにツーマンで使用されている。

 

3009(旧103)  昭和44年10月22日/この車は平成14年廃車後、栃木県のファン宅で保存されている。

3006(旧104)  昭和46年7月28日

天然色写真で巡る40年前の九州(11)

仕上げは呉線

少し間が開いてしまったが、今回でひとまず最終章としたい。

20日余りの九州滞在を終えて(大阪発の九州均一は通用16日のはず、と訝る向きもあろうが、これにはちょっとした仕掛けがあった…)、夜行の臨時急行「桜島」に乗り早暁の広島駅に到着した。

広島駅で発車を待つ呉線C6241牽引622列車(昭和44年3月27日)

呉線ホームへ行くと、もうすでに呉線の始発622列車がホームに入線している。牽引機を見に行くとC6241である。ボイラーの熱気と石炭の匂いが全身を包み込む。私は山陽本線の蒸機全盛時代は知る由もなく、電化直前の姿を辛うじて垣間見ることができた世代だが、広島駅のゆったりしたホームで発車を待つ呉線の列車は、山陽本線時代を髣髴とさせる雄姿を醸し出していた。

その始発列車に乗り、広~安芸阿賀間の鉄橋で、朝のラッシュ時に陸続として広島へ向かうC59・62列車を捕らえたのち、ラッシュの一段落した小屋浦に降り立った。呉線では広~広島間でC59・62列車を多く稼げる。小屋浦はその区間の代表的な撮影地として知られていた。ただ、ずっと国道と並行し、店舗や家屋も多く、代表的な“クサイ”撮影地としても名を馳せていた。しかし今から思えば、国道の車両の通行もわずかで、家屋も今のようなド派手なものではなく、“クサイ”など揶揄したらバチがあたりそうである。

瀬戸内に沿って走るC59161牽引622列車(昭和44年3月27日)

ここで、C59161の牽く上り列車を写した。糸崎機関区のC59は、161、162、164の3両。C59全製造数の173両のなかで生き延びたのはこの3両だけと、他の大型機、C60、61、62がまだまだ健在なのに比べると、残ったのは極めて少ない。急行旅客機らしいスマートで、蒸機のなかでは最もバランスのとれた最高の形態美だとの評価が高い。「かもめ」牽引を始めとして、C59は山陽本線を代表するカマでもあった。

この日は、夕方まで小屋浦で粘り、その日は広島ユース泊、翌日から二日間は、鉄道同好会恒例の春の大狂化合宿が、呉の国民宿舎「音戸ロッジ」で華々しく挙行され、久しぶりにクラブの面々と和やかに一夜を送ったのであった。

ところが、九州の最終日、筑豊本線で撮影中、泥沼に下半身がはまってしまい、それ以来少し風邪気味のところへ、夜遅くまでハシャギすぎたのがたたって、翌日は熱も出てかなりの重症で、動けるような状態ではない。旅行中に病気になったのは後にも先にも、この時だけである。それでも気力を振り絞ってみんなともに安登まで行き、ヘッドマーク付きの最後のC62「安芸」を捉えた。しかし、もう体力・気力も限界、雨も降ってきて寒さが余計こたえる。まだ撮り続けるみんなと別れ、這うようにして呉線を去って行った。(終)

安登付近の勾配を上る下り急行「音戸」(昭和44年3月29日)

 

都電荒川線に新車登場

都電荒川線に昨年度に引き続きレトロ調の新車、9002号車が登場し、1月31日から営業運転を開始した。昨年度登場したレトロ車両9001号車と同形であるが、塗装は濃いブルーを基調としている。車体メーカーは「アルナ車両」で、制御装置はVVVFインバータ制御、駆動装置は平行カルダン、ブレーキシステムは電気指令式電磁直通ブレーキ、応荷重機能と回生、発電制動付と最新の装備である。今回は純増備のため代替廃車はない。

また、乙訓の長老の【1675】(1月27日付)の書込み通り、21年度と22年度に各5両ずつ新車を投入して7500形を代替する計画があるが、スタイルはレトロタイプではなく、8500形をベースにしたものになる模様である。

2月7日(日曜日)午前中、荒川車庫で9001号車と並べて撮影会が実施され、ファン、近所の人、家族連れ等、延べ500名位の来場者で賑わっていたが、ピーカンのため、光線状態はよくなかった。2月11日までは限定ダイヤで運行されていたが、12日より平日は他車と共通運用、土日は当分の間、限定ダイヤで運行される予定である。

2月11日、15時11分の出庫時刻に合わせて15時前に荒川車庫に行ったが、この電車に乗車するために並んでいた人が親子連れを中心に約20名、撮影者が約30名おり人気の高さが伺えた。撮影者は電車発車後、瞬く間に消えてしまったが、私は電車が戻ってくるまで撮影した。自宅最寄りの金町から僅か4駅、所要時間にして12分で荒川線と交差する町屋に到着する。今まで近過ぎていつでも撮れると思ってしまう所為か撮影する機会が非常に少なかったが、この日は久し振りにゆっくり撮影した。

 

2月7日撮影会   先輩格の9001号車との並び

出庫する旧カラーに塗装変更車7022号車との並び

出庫する7001号車との並び

台車は住友金属製FS91-B

アルナ車両の銘板

2月11日の9002号車 早稲田行

早稲田で折り返してきた三ノ輪橋行

先輩格の9001号車

CRHの旅Ⅲ Part4 CRH2寝台電車

北京駅には。21:50に到着。前回の広州駅のようなギリギリは、控えたいと思っていましたが、既に乗車は、始まっていました。和諧号待合室から、専用跨線橋を通ってホームへ下ります。ほぼ、最後尾に近い位置です。指定席は、前です。車両番号を撮影しながら向かいました。

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尋ね人

子供の頃、ラジオから「北支派遣軍第○○部隊におられた●●さんをxxさんがさがしておられます。・・・」という声が流れていたのを記憶しています。乙訓の老人や須磨の人間国宝などはリアルタイムに聞かれたはずです。それではありませんが事情があって下記の方を探しています。

会員で、78年に法学部法律学科に入学した方を探しております。知っている方がおられればご一報下さい。よろしくお願いします。

いよいよシリーズ?最後になります。

皆様のご指摘で整理が進みましたことをお礼申し上げます。

前回は横浜在住の方からの初投稿もあり望外の喜びでした。そこでここはどこでしょう、と言う写真です。撮影は昭和43年春です。同じ場所から四方を写しています。都市名と場所、撮影ビル名などお解りならお答え下さい。

今もあるのかしら?屋上から北を見る

同じ場所

西方を見る。向こうの山はどこ?

上と同じですが大望遠で撮るとうっすらと・・見えますね!

今度は東の方。よく見ると貨車が。

同じビルの屋上から撮ったものですが今から見ると面白いものが写っていますね。
ところで一回目にも書いたように使ったフィルムはフジカラーリバーサル、サクラカラーリバーサル、エクタクロームです。
場所当てと共に一回目はなにカラーか二回目は、三回目は、と答えて下さい。