江若鉄道白鬚駅復元工事の近況

白鬚駅復元1

白鬚駅復元1

高島町に続いて白鬚駅復元工事に着工しておりますが、3ブロックの基板は出来上がり、レールのスパイクが始められるところまできました。不安だった湖岸の擁壁も何とか格好になり、案ずるより生むが易しといったところです。いつもラジオを聴きながら作業しているのですが、今日は朝から津波警報のニュースばかりで、湖岸の作業をしていると 早く避難しなければならないような錯覚に陥りました。先は長いのですが、ぼちぼち進めてゆきます。それにしても松の木をどのように作ろうかと名案がありません。ゆっくり悩むことにします。では1カットだけ写真を添付します。白鬚駅の北側、湯口先輩著「丹波の煙 伊勢の径 上巻」の表紙を飾る写真の場所がこのブロックです。

奥山さんのC6120が掲載されました

 月刊誌『とれいん』423号(20103月)に奥山さんのC6120が大きく掲載されました。一ノ関を出発する上り列車です。

 奥山さんのフィルムと写真を預かり、早速にC6120を捜しましたら、3枚ありました。内2枚が一ノ関、他の1枚がここに掲載の青森駅到着の写真です。なんと3枚とも機関区以外の写真でした。いずれも完璧な写真です。また、同誌には当会3会員の写真も掲載されており、OB会が
大活躍です。

 
 
OB会第1回の写真展と今回の掲載とで、当会会員は勿論全国のファンも、「奥山さんの写真を見たことがある」となった筈です。

 
 そして近日中に、『奥山さんの機関区めぐり』が
web に登場予定です。フィルムもL版も完璧な姿で保存されています。どうかご期待ください。

阪急 HM満載

既に、総本家 青信号特派員さんよりご紹介があったように、6300系にHMが付いて、最後の雄姿を見せています。家に近いこともあって、連日、愛用の電チャリで撮影に励みました。HMは、6300系以外にも付けて走行していますので、あらためてご紹介させていただきます。

阪急電鉄 100周年記念号   桂→西京極
摂津市駅 2010年3月14日開業記念号  西院→西京極

本命の6350ありがとう号  大山崎→長岡天神

長岡天神→西向日

上牧→高槻市

長岡天神→大山崎

ちなみに、3月14日時刻改正で、京都線の最高速度が、110km/h→115km/hにスピードアップされて、若干ですが、時間短縮が図られます。この運行表も、相川~東向日は、最高速度『115』に、代わります。
http://holdings.hankyu.co.jp/ir/data/ER200912092N1.pdf

通過列車への運行変更指示

1956年10月15日の参宮線大事故に関し、急行や準急など、通過する列車の乗務員に対して離合駅変更等の運行変更の指示はどうするのか、に関してメールを頂戴した。時間の余裕があれば通過駅で交換するタブレットのキャリアに変更指示書をつけて乗務員に知らせることもあろうが、間に合わなければ=大概は地上の信号機のみのこと。成程なるほど。

無線があろうとなかろうと、機関士、助手とも、信号機を必ず確認するのが建前なのだが、六軒駅は本来離合する松阪駅の隣りである。11分遅れてはいたが、まさか離合駅が一つ前の六軒駅に変更されていたとは思っていなかった―離合駅変更を乗務員は知らなかったわけで、信号機以外の手段がなく、それを無視した結果だったのである。無線のある現在なら、少なくとも事前に運行指令の変更指示が届くから、かような事故の発生率は希少になる。

亀山の参宮線事故機

米手作市氏が亀山で参宮線事故機を撮られたのが1963年3月とのことで、小生は1957年3月だから、6年前になる。早けりゃいいというもんじゃないが、折角の機会だから小生の分も諸賢の御目を汚すことにする。なお事故のあらましは、以下鉄道ピクトリアル65号(1956年12月)から引用する。

参宮線で不祥事故
10月15日18時22分、国鉄参宮線六軒駅において、準客243列車(本務C51203亀山、補機C51101亀山)が11分延で同駅進入に際し、下り安全側線に突入本線機及び次位補機は築堤したの田甫内に転落脱線傾斜、つづく1・2両目客車は全軸脱線横転本線を支障中、折柄松阪を定発した準客246列車(本務C57110山田、補機C51172亀山)がこれに接触し本務機及び次位補機とも全軸脱線し、これがために死者40重傷56死傷者計107名を出すという不祥事故が発生して世人の耳目を聳動(湯口注しょうどう=恐れ驚かす)した。

(中略)いままで判明した点は、243列車が遅延のため対向246列車と行きちがいを変更して六軒駅(所定は松阪駅)とし臨時停車の扱いをしたところ、243列車の機関士が出発信号機を見誤(場内信号機は上下共「進行」現示)ったのではないかと推定されている。243列車が脱線してから246列車の進入までにわずか45秒であるために列車防護の時間はなかったもので、246列車としてはやむを得ないとしても、243列車の4人の乗務員が大切な信号を見落としたという結果になると、事柄はきわめて重大である。(後略)

離合個所変更の通知を機関士にどう伝えたのかが分からないが、無線などありえない時代だから、例えば通過駅で駅長から錘にくるんだ通信文を機関室に投げ込む、といった原始的な連絡方法だったのかもしれない。これは列車に急病人が出た際などに、車掌が通過駅に投げ下ろす方法で、車掌のカバンにはこの為の錘が入っていたのである。

C57110のぶっ潰れぶりが酷いが、それにしても車輪は4両とも、ちゃんとレールに乗っている。すなわち台枠はさして損傷がないことになる。




で、以下は全然事故と関係がないが、上記鉄道ピクトリアルの記事の最初のフレーズは、約270字がマルなしで延々と続いている。野坂昭如の文なら独特の芸術だが、こんな「へったら長い」文が雑誌に掲載されていたことにいささか驚く。なお小生はサラリーマン最初、かつ8年勤めた職場―広報課で、先輩から新聞記事(15字詰)では10行=150字がマルなし文の限度だと叩き込まれた。

最後の阪急6300特急 HM付きに

いよいよ終幕が近づいた阪急6300特急、乙訓の老人の予告どおり、本日の午後出庫運用から記念のヘッドマーク付きで登場しました。
いちばん近くを走るイベント電車とあれば、好きにはなれない葬式鉄にあっさり宗旨替え、さっそく撮ってきました。
このご時世、電鉄側の異例の撮影のお願いが奏功したか、みんな安全に平和裏に撮影していました。

「ありがとう6350」のHMで本日夕方から走った特急編成

「通勤特急」の初運用 夕陽を受けて端正な前面が浮き上がった

長老と大老の挑発に乗るの巻

長老と大老が永年秘匿してきた機密書類の保存期間が解けたのか公開されたようだ。そのなかに鳥羽快速に関する供述があり、そこで小生の写真に関する箇所が出ている。それは昭和38年3月に亀山機関区で撮った、六軒事故の証拠物件機関車の写真である。いまなら考えもつかないことだが証拠品が雨ざらし日ざらしで駅の構内に留置されていたのである。恐ろしい事故の被害者たちの声が聞こえるようで身をすくめながら撮ったのを覚えている。

当時のことを知らないが長老や大老におかれてはどちらの機関車が突っ込んだのか、当時の状況をご解説いただければありがたく存じます。

(上)左側がC51172、右側がC51101 

(上)C51101のキャブ

(上)C51101(先輪はない)

(上)C51172キャブが(浮き上がっている)

長老あこがれのc51100のおいど。この日C51100は頭を機関庫に入れていたのでお尻を撮った。ナンバープレートとクロームメッキされたテンダー周りの上部縁がピカピカに光っていた。

山科電化当時の記憶(その4)


暖房車5輌を加えた牽引試験列車 もうD51やD52の姿はない 機関車の次位は試験車

先回の最後の写真はEF15が単機で走行しているが、やっと試験や試運転列車から蒸機が抜け、電機単独での試験走行が開始されたことを示す。暖房車を含む客車牽引での試験列車は1956年10月10日―電化開業が11月19日だから、約1か月前である。暖房車は前にも記したとおり、冬場以外用がなく失業中の上、適当に重量もあるというところから、電化の直前の試験列車には必ず登場した。

電車の試運転も始まった。モハ80系300台=窓枠がアルミサッシュになり、窓の四隅もRが付き、一段と斬新さがまばゆかった。


山科の大カーブに初めて姿を現した80系300台 

そして11月19日。二浪中で(表向き)撮影を自粛していた小生も、流石に京都駅に出かけた。生憎と薄く霧が立ち込め、その中に現れた電化最初の上り特急「つばめ」は、何と何と、EF58、客車とも草緑、屋根は銀色に塗られているではないか。現在と違い事前に情報も流れず、当然報道もなかったから、この色彩作戦には並みいる者すべてド肝を抜かれたといっていい。EF58には大阪と東京のマークをあしらった、記念のヘッドマークがついており、このマークはその後長らく神田の交通博物館に展示してあった。

霧の中にやたら明るい色の列車だから、現像したネガは真っ黒で、粒子がやたら荒れている。参集したファンはそれでも15人ぐらいはいたか。大方は顔見知りだったが。今なら考えられないのんびりムードではあった。

この後間もなく、この草緑色列車には「青大将」なるあだ名が付いた。


電化完成の記念乗車券と準急行券

209系 京浜東北線から引退

京浜東北線・根岸線で運用されていた209系が1月24日限りで運用を離脱した。1週間前の1月17日から最後まで残る「ウラ52編成」に「ありがとう 京浜東北 根岸線209系1993-2009」と書かれたヘッドマークが取り付けられた。

私自身、新車で登場時から通勤でお世話になった電車であり、ヘッドマークだけでも記録に留めたいと思い、コンデジ持参で通勤したが、チャンスに恵まれなかった。最終日は予定があったのと混雑が予想されたので、前日の23日午前中時間が空いていたので出かけてみた。当日の運用は「CLUB103」の知人から「19A」に入る可能性が高いと聞いていたので、その時間帯に出掛けると、予想通り「19A」であった。

最初は横浜駅で撮影したが、この時点での同業者は8名位であった。東海道線で新橋まで先回りをして有楽町で撮影、ここは同業者ゼロであった。次の電車で南浦和に行き、折り返しで発車待ちを撮影。撮影者が増えてきたのは運用が判明したからであろう。最後の乗り納めで赤羽まで行き、高崎線の電車で上野に先回りをして撮影したが5名程であった。一旦本屋に立寄り再度有楽町に行くと5名程の人がいたが、殆どの人は500系が目的のようであった。最後は田端でヘッドマークを撮影して終りにした。

23日は比較的平穏であったが、最終日は運用が公開されたため大変な混雑であったとのことである。特に最終運用はフーリガンもどきが乗車し、車内は大変な騒ぎであったとのこと。列車は遅れたものの無事に運用を終了した。27日まで南浦和電車区で予備車として待機していたが、28日に東大宮操車場に疎開回送され、2月17日には長野総合車両センターに向けて廃車回送された

京浜東北線から姿を消した209系であるが、浦和電車区配置の0番台78編成の内68編成は4連×42本、6連×26本に改造の上、総武本線(千葉~銚子間)、成田、内房、外房、東金の各線で運用されている113系250両、211系70両、計320両を置換える予定となっている。既に改造されて運用に入っている編成もあるが、改造待ちで尾久車両センター、両毛線下新田、高崎線深谷駅等に留置されている車両が多数存在する。編成が短縮されるため中間車はすべて解体され、特に6扉車は全滅する。また、クハはセミクロスシートに改造、中間のモハ1両にトイレが設置される。

思えば、上記の各線が電化された時、東京、大阪から4扉の72系が転用された。その中には元モハ63、戦前製のサロハ46の4扉改造車も混じっており、トイレが無いこともあり、大変な不評で早々に113系に置き換えられた。今回の転属は、正に「歴史は繰返す」である。トイレが設置されたため、その方面の問題は解決されているが、車内のアコモデーションは113系の方が格段に上である。209系は元々寿命半分で製作された車両、果たしてどの程度使用されるのか注目したいところである。

また、209系に置き換えられた211系で三鷹区の115系を置換える計画もあり、実施されれば、中央東線のローカルは相当本数がロングシート化されることになる。

 

横浜駅に進入する52編成

←大宮 クハ209-53+サハ209-183+モハ209-105+モハ208-105+サハ208-52+サハ209-2+サハ209-134+モハ209-106+モハ208-106+クハ208-53

 

有楽町駅発車

 

大宮寄り先頭のクハ209-53

 

9号車 サハ209-183

 

6号車は6扉車 サハ208-52

 

5号車 サハ209-2

 

上野駅到着 先頭車はクハ208-53

 

上野駅発車(後追い)

 

有楽町駅通過(後追い)

 

ポスター

 

6扉車乗車位置

雪模様の立川界隈

今年は東京でも雪の降る日が多いのですが、ようやく動画が撮れましたので報告します。

http://www.ec583.org/~y_square/photo/tachikawa/tachikawa2010FEB18.htm

 

なお動画の撮影はコンデジをクランプに取り付け、ホーム端の手摺に固定しています。

私自身は運転士が視認しやすい位置に離れて立ち、安全確保に努めています。