【19024】2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part19  重慶から芭石鉄道へ

第23日目 3月12日
① 重慶北 8:00(D5101次)→9:55成都東
② 成都東駅10:22(Bus91路)→11:25石羊バスターミナル
③ 石羊バスターミナル12:00(高速Bus)→14:15犍為南門バスターミナル

今日は、毎年恒例となった菜の花咲く芭石鉄道へと向かいます。朝1番の高速列車で新しくできた成都東駅まで参りますが、いつもの成都駅と違って、初めての下車駅です。ここからどうやって犍為行きのバスが出る成都市内の石羊バスターミナルまで行くか課題でした。


▲ 重慶駅に隣接した食堂で朝食、平打ち麺の朝食。毎日のように食しましたが、薄味で辛くなく安くて一人旅にはもってこいです。

▲ 重慶北から成都東まではCRH1型が使用されています。最高速度は、195km/hとおとなしい走行でした。

心配していました石羊バスターミナルまでの交通機関は成都空港に行くバス(91路)が経由すると駅員から聞き出せましたので、駅前ターミナルから乗車しました。

▲ バスは市内の外環線に沿って、約1時間を走行して、石羊バスターミナル横の道路際に着きました。途中下車ですので、バス内ではウトウトもできず、停車する度に掲示してある現在の停留所名を望遠レンズを覗いては、確認していました。
犍為までの高速バス代は、なぜか毎回異なる67元でした。
今日のバスのおともは、写真のとおり、成昆線同様の可愛い20才のお嬢さん。
高卒後は广州で働いていたが、今は給料が2,500元(約3万円)と、良いので成都近郊都市のブティックに替わったそうです。芭石鉄道沿線の三井にご両親が住まれているので、今年2回目の里帰りの途中とか、日本人と会うのは初めてですと、質問の嵐です。電子翻訳機を取り出して、 返答していました。おかげで2時間もの長くて単調な高速バス乗車も楽しい旅になりました。ありがとうございました。座席ですが、切符購入時に指定されますので、こういったことはたまたまです。

犍為到着は、午後2時を過ぎましたので芭石鉄道石渓駅の2時半の列車には間に合いません。次は5時半発ですので、インターネットができる犍為に飛び込みで宿を取りました。
芭石鉄道は明日1番列車(6時発)に乗ることにしました。


【19010】鉄路の北前船と六文銭の里を走る電車 その3 長野電鉄ぶらぶら(午後の部)

湯田中駅前の「楓の湯」でひと休みしてから活動開始です。まず旧湯田中駅の見ることにしました。これは有形登録文化財になっています。訪れたときは雛祭りの季節なので段飾りの雛人形が飾っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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【18979】2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part18  重慶モノレール(重庆轨道交通)

第22日目 3月11日

【重慶モノレール】
坂の多い町の重慶市に2005年6月に日本からの円借款で建設開業されました。2編成が日立製作所製で、2編成が日本で製造されて輸出されましたが、後は技術供与での現地製造です。大阪モノレールと同一設計で、現在まで2号線と3号線の2路線があり総延長距離はモノレールとしては世界最長となっています。1号線は普通の地下鉄車両が使用されています。


▲ ホテルから見える獅子坪駅を出るモノレール。6両編成の3号線です。すぐに地下に入り、直角に中国国鉄の重慶北駅地下に向かいます。そして空港へと延伸されました。

ホテルで朝食後、体が熱いので体温計で、はかってみましたら37.8℃もあります。昆明では地下鉄工事真っ最中で粉塵が舞い上がる中、マスクなしに歩いて喉を傷めました。成昆線では、外気温が30℃を超えたために車内冷房が入ってゾクゾクしました。旅も3週間を過ぎて、疲れが溜まってきたのでしょう。風邪症状です。薬局に行って喉の痛み止めと風邪薬を買いました。

昼まで部屋で寝ていましたら、熱が引いてきました。さすが、中国の薬はよく効きます。出かけました。まずは、出来たばかりの江北機場(重慶江北国際空港)までを乗車しました。トロトロ走る大阪モノレールとは違って加減速も優れ、75km/hの高速で気持ちよく走ります。

▲ 車内は大阪モノレールに乗車している時と同様です。レール式と違って、金属音がしなく走行音が静かなのは 快適です。


▲ 空港を視察後、再度モノレールに乗って国鉄重慶駅近くの两路口駅まで行ってみることにしましたが、降りても重慶駅が分らず迷走しました。何と重慶駅は坂の下にあって、とても長い有料エレベータ(2元=約25円)を利用して、降りなければなりませんでした。いたるところ坂だらけです。
この重慶駅は、折り返し駅のため使いづらく、近々に改造されるそうです。


▲ 重慶駅視察後は、普通の地下鉄車両が走る地铁1号線で終着駅の小什字駅まで行きましたが、地上に出ても繁華街ではなく、1つ手前の較場口駅まで引き返して、モノレール(2号線)に乗り換えました。この乗り換えは複雑で、文章では説明できません。
2号線は、当初の4両編成のままで、非常に込みあっていました。
李子埧駅は、何とマンションの6階に設置されています。エレベータはなく、Z字型に配置されたエスカレータを乗り継いで上下移動します。道路からは約10分はかかってしまいます。


▲ 出来るだけ各駅に降りてホームからの撮影を試みましたが、夕闇が迫ってきてタイムアウトになりました。起伏にとんだ路線ですので、撮影ポイントはかなりありました。今回は体調も天候もすぐれずでしたので、切り上げましたが、次回に機会をつくってゆっくりと撮影しますので、ご紹介させていただきます。


【18937】鉄路の北前船と六文銭の里を走る電車  その2 長野電鉄ぶらぶら(午前の部)  

3月7日 直江津駅を5時26分発の快速「妙高」で長野に向かうために、しばらく待合室で待つことにしました。直江津から長野までの切符は持っていないので買う必要があります。しかし、切符の自動販売機が5時30分から販売開始ですので車内で購入することになります。少なくても乗客がいるのにどういうことなんでしょうかね?189系の快速「妙高」は定刻に直江津駅を発車しました。最近は○△?系とかに疎くなっているのでさっぱりわかりません。

 6時49分に長野到着、長野電鉄の駅に急いで行き、長電フリー乗車券を購入しました。2日間有効で、2260円なのでかなりお得です。購入した切符は「~さようなら屋代線記念~」となっていました。7時13分発の信州中野行で須坂へ、ここで屋代行に乗り換えです。須坂までの電車の中は通勤通学の時間帯のため、特に小学生、中学生が多く混雑していました。付属中学前駅には信州大学付属小学校、中学校があるからです。

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【18849】2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part17  北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ

第21日目  3月10日
北碚(Bus)→重慶市内→15:00重庆北站


▲ 北碚では朝飯の定番、お粥も屋台で食べられます。

北碚4連泊で中3日間のグース乗り鉄・撮り鉄旅を終えて、重慶市内へと戻ることにしました。重慶には大阪モノレールと同じタイプのモノレールが走っています。これを見る撮るが訪問目的です。

政府直轄地の大都市、重慶は初めての訪問地ですので、土地勘はまったくありません。ホテルのネット予約を試みましたが、多すぎて絞り切れません。日本語対応できる旅行代理店の楽旅中国に電話をして、町の中心部でモノレール駅に極めて近いホテルを注文しましたら、後からの移動にも便利な重慶北駅駅前をお勧めしますと返事が来ました。
北碚に来る時も乗車した所です。同じ507路バスに乗って、北碚 を出発しましたが、着いた所は重慶北駅とは違って、重慶の市内中心部でした。同じ経路バスなのに終着駅が違っています。いったいここはどこなの?の世界です。現地人民に聞きながら地铁駅を探しますが、約20分以上かかりました。 


昼食後に地铁、モノレールと乗り継いで重慶北駅にたどり着きましたが、予約した駅前のホテルを探すのに30分以上を費やしました。

▲  重慶北駅正面のビル。これは日の落ちた夕方の光景ですが、このビルには3つのホテルが入っていました。通常は1つのホテルです。昼間はホテル名のネオンサインが点灯していませんので、テナントビルにしか見えず、分りませんでした。

▲ 宿泊した寨菲特酒店部屋は狭いですが新しいので良さそうに見えましたが、インターネットはつながっている途中で度々切れます。こんなの初めてです。HP用に2時間以上かけて作成していた原稿も一瞬で飛んでしまいます。怒り狂って担当者を何度も呼び出しましても、中々安定できず、最後は強制的にIPアドレスを入れて解決しました。何度も謝って帰られましたが、さあ寝ようとシャワーをしようとしましたら湯がでません。散々なホテルでした。


【18869】鉄路の北前船と六文銭の里をはしる電車  その1 「日本海号」で直江津へ

鉄路の北前船「日本海号」と「きたぐに号」の定期運行が終了して1週間以上となりました。3月16日は各TV局が取り上げていました。NHKがニュースウォッチ9で青森駅発の「日本海号」を鷹ノ巣駅で生中継をしていたのは、なかなかいいものでした。さて、私はと申しますと、さる3月5日から8日まで船中八朔(ちょっと違った。じつは私は八朔がすきなのです。)でなく船中1泊、車中2泊の久しぶりの大旅行です。

いろいろ考えたあげく、まず新日本海フェリーの敦賀を出て新潟、秋田を寄港して苫小牧行に乗船して新潟へ。新潟から列車で酒田を経由して秋田へ行き、秋田から「日本海号」に乗って直江津で降りることにしました。直江津から長野に行き、長野電鉄の屋代線と湯田中で温泉にいって旅の疲れを癒すことにしました。再び、直江津にもどり「きたぐに号」で敦賀で降りて「日本海号」の写真撮影と敦賀の町を見物をして帰ることにしました。

3月5日は朝から天気が悪く、雨模様でしたが大雪よりは良いだろうと思って、大阪より敦賀行新快速に乗りました。新快速は12両編成で前4両が敦賀行きで後8両が近江今津まで、案内が不十分なため敦賀まで行く乗客にはわかりづらいものでした。やはり、それで右往左往している人がいました。

 

車窓を眺めているうちに終点の敦賀に着きました。階段を下りると地下連絡通路のカニがお出迎えです。

フェリー乗り場行のバスの発車まで時間があるので街をぶらぶらして、ポイントカードの持っている平和堂があったので、そこで弁当などを買ってからバスでフェリー乗り場に行きました。

 

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【18898】「また南海、デニ502」に寄せて


 水間鉄道モハ365 (45-5-24) 貝塚
高野山電気鉄道デニ501→南海電気鉄道デニ501→同モハ569→水間鉄道モハ365/元荷物室側は非貫通のままである。

昨年11月ズームカーの試験車「モハ1」が紹介されたので、南海は2度目でしかも再度高野線である。恐らく関 三平さんのご実家が南海高野線沿線で、特に思い入れがあるのではなかろうか。

今回の解説を読まれて「あれ?」と思われた方がおられると思う。「南海規格の車両の増備が進むと、デ101型8輌は本来の山岳区間専用に戻り、デニ2輌だけが直通荷物電車として難波に出入りを続ける。」ここまではその通りであるが、問題はその次の部分「501号は26年に火災にあい、別形式となるので、私が見たのは2つ目玉最後の1輌の502となる。」と記されているが、昭和26年に火災に遭ったのは502号で、関さんが見られたのは501号であると思われるが、火災前の502号だった可能性もあり、私はこちらを支持したい。

南海の電車は「難解だ」と言われる程複雑で私自身さっぱりわからない部分が多いが、今回の元高野山電気鉄道の電車はデニ501形2両とデ101形8両の10両のみで極めてシンプルである。

高野山電気鉄道は、高野線の高野下~極楽橋間とケーブル区間の極楽橋~高野山間を営業していた会社で、大正14年3月設立、昭和3年6月高野下~神谷(現在の紀伊神谷)を開業、同4年神谷~極楽橋間開業、同5年6月極楽橋~高野山間のケーブル区間を開業して、難波と高野山が結ばれた。当初、架線電圧1500Ⅴであったが、南海と直通運転を実施するため600Ⅴに降圧した。戦時中の私鉄統合により、南海鉄道と関西急行が合併して近畿日本鉄道となったが、高野山電気鉄道は統合されなかった。昭和22年3月社名を南海電気鉄道に変更して、同年6月に近畿日本鉄道から旧南海鉄道の路線を譲り受けた。

開業時にデニ501形2両とデ101形8両が日本車輌で新製された。車体は全鋼製、両運で、デニは荷物室側非貫通、デは両側とも貫通扉が設置され、50‰の急勾配、急カーブが存在する山岳路線のため、電力回生制動を持ち、ヘッドライトはイラストの通り屋根上に2個設置された。
昭和24年、デ101形はモハ561形に改番されモハ561~568となった。昭和26年にデニ502が紀見トンネル内で焼失したが、昭和28年デワ2001として復旧した。
戦後は
モハ1251形の増備により難波までの直通運転は中止となり、元の高野下~極楽橋間の区間運転用となった。

昭和38年から39年にかけて更新修繕が実施され、制御器の交換の結果、回生制動が使用不能となったため平坦線用となり住吉東~汐見橋間で使用された。この時デニ501は荷物室を撤去してモハ561形モハ569に改番されたが、元荷物室側は非貫通のままであった。

昭和43年から44年に廃車になったが、モ562とデニ501改造のモ569は水間鉄道に譲渡され、モハ364、365になった。

モ561+モ562+モ563の3連

 住吉東~汐見橋間で使用 / (42-5-28) 住吉東

水間鉄道モハ364

 (45-5-24) 貝塚

高野山電気鉄道デ102→南海電気鉄道デ102→同モハ562→水間鉄道モハ364


モハ364+モハ365/ (45-5-24)  水間~三ヶ山口


【18755】2012年冬から春への中国鉄路一人旅 Part16  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3

第20日目  3月9日


▲ 昨日より1本早いバスに乗ろうと早くに出ましたが結局、水土で乗継時間が長くなっただけで、泰山石着は同時刻でした。

今日は、泰山石から302工場に向けて歩きます。

▲ 道路とは3ヶ所ほど交差していますが、踏切番はいません。

▲ 最後の踏切を超えると、別方向に分かれます。線路際の犬走りはコンクリート舗装されている道路でもあります。さすが英国人が造った600㎜ゲージであり余る広い立派なトンネルです。
最初の列車は8:58と意外と早く来ました


▲ 続いて9時6分、7分、8分、11分と続行列車4本が来ました。真っ暗なトンネルですが、列車が来ても」、地元人民は気にせずに入っていきますので、つられて突破しました。

▲ トンネルを抜けると、細長い家に
置き忘れられたように、トロッコが1台止まっています。このトロッコは、通常続行時の最終編成の後部に連結されていますので車掌車かなと思っていました。中を覗くと、砂が一杯積載されていて、床に開けられた穴に漏斗が突っ込まれていて、砂をレールに撒くようになっています。空転止めの砂撒き車ですね。同じようなものはDLの床にも付いていました。いずれも手動です。
見ていると、乗務員らしき人が来られて、何をしているか聞いてきます。いつものように答えますと、こんなところに写真を撮りに来るとは珍しい。日本は地震と津波で大変だったろうと、励ましのお言葉をいただき、車の説明をしていただきました。
約15分あまりお話をしてから、農民を乗せて下へと降りて行かれました。


▲ 緩やかな下り坂が続く途中で、線路補修をしている保線員にも会いました。砕けた枕木の入替です。人力ですからこれは大変な作業です。辺りには、民家も点在してきました。

▲ カーブ途中で、砂撒き車が止まっていました。倒木です。農民が木を根元から掘り起こしたら、線路に向かって倒れて、線路をふさいでしまったようです。近所のみなさん総出で、どこからか持ってきた台車に積むといった作業でしたが、結構手間取っていました。石炭列車の運行に障害が出そうです。



▲ 10:10、泰山石から撮影しながら歩くこと約2時間、302工場に着きました。ここから、泰山石から炭鉱までの間に見つけておいた撮影地まで戻るにはどうしたらいいのか、近くの人民に聞いてみましたら、ここにはバス停もバイクTaxiもない。歩いて戻るしかないと言われます。どっと疲れが出ました。民家の庭先に坐らせてもらっていましたら、どこからか人民が集まってきます。

丁度蔵重さんが来られた時の写真を持っていましたので、これは誰かと聞くと写真を取りに来られました。その後は私たちも撮って欲しいとエントリーされます。撮っていましたら喜ばれたのか、私のバイクでバス停まで送ってやると乗せてくださりました。
ありがたいことです。 泰山石まで行くバス停に着くと、今度は昨日まで乗っていたバスの車掌が非番でいて、またつかまりました。質問の嵐です。すぐに来た30分毎のバスにも乗せてもらえません


▲ 11:54、ようやく 泰山石 に着きましたが、今度は雑貨屋の親父さんからも頼まれました。話をしているうちに撮影しようと思っていた列車が来てしまいまして、どうしようもできません。


今日、撮りたかったのは沿線のここだけに咲く満開の桜とグースでした。これだけのための1日でしたが、時間がかかり過ぎました。

撮影後は、部屋に戻ってアップロードに専念しました。

【アクセス】
バス507路で水土へ、泰山石と炭鉱へはここでバス乗換で約20分、30分毎に運行。

【グース運行】
炭鉱発  7:30→302工場着 8:20、302工場発  9:00→炭鉱着  9:50
炭鉱発10:30→302工場着11:30、302工場発13:00→炭鉱着13:50
炭鉱発14:30→302工場着15:20
、302工場発16:30→炭鉱着17:20
※ 以上は、私の経験ですので、目安としてご利用ください。確定ダイヤではありません。運休もありますので、当日ご確認ください。続行運行は、2~5列車と思われます。

※ このグース運行については、3月末で停止という情報もありましたが、現地で職員達に確認したところ、「えっ!」と返答されました。実際、これだけの運行が実施されており、活発そのものです。近々に廃止されるとは、とても思えませんと感じました。


【18821】本日の特急「あけぼの」

定期列車としての ブルートレインは上野と青森を結ぶ「あけぼの」と上野と札幌を結ぶ「北斗星」の2列車となってしまいました。
「北斗星」は機関車も新製されある意味では将来を約束された列車といえるかもしれませんが、「あけぼの」はさていつまで走ることかと心配しています。本日朝上野駅13番線に少し遅れてに着いた「あけぼの」は 春休みに入ったせいかいつもより多くのお客様を運んできました。編成は下記です。
上野方 EF641032 オハネフ25 205 オハネ25 215 オハネ24 51 オハネフ25 121 オハネ24 554 オハネ24 552 スロネ24 552 オハネフ25 201 カニ24 116 青森方   全車盛アオ所属  オハネ24 51のみ白帯車  ほかは金帯車でした。

いつもの降車風景です。

はいチーズ。可愛いらしい姉妹でした。

本日朝 7時すぎの上野駅でした。


【18789】表彰式行われる!

              積極的に地域に溶け込んだ活動が表彰理由となった

先に報告しました現役の鉄道同好会の学内表彰式が、去る3月16日に大学で行われ、めでたく学生支援センター所長から地域貢献賞を受賞しました。当日の様子を、渉外・広報担当の今林佑太さんから報告を受けましたので、写真とともにお伝えします。

今回で5回目となる文化系公認団体表彰式は、文化系公認団体の活動を一般学生へ広くPRする機会として、また表彰団体の今後の活性化を目的に開催されてきました。本年度は、顕著な功績のあった16団体が表彰され、学生支援センター所長から表彰状、表彰盾、副賞がそれぞれ手渡されました。鉄道同好会は5つある賞のうち、地域貢献賞を受賞することになったものです。
表彰式は、寒梅館ハーディーホールで行われ、各団体が壇上に上がり、学生支援センター所長より表彰状と盾を授与され、各団体の代表者がスピーチを行いました。
「大学から公式に認められた賞の価値は非常に高く、受賞が喜ばしいことであると同時に、今後も大学公認サークル団体として責任感ある活動をするべきだということを身に染みて感じた表彰式でした」と今林さんは結ばれています。
来年、2013年は鉄道同好会創立55周年になります。これを記念して、現役の皆さんは、OBも参加できる楽しいイベントも考えられているようです。
今後とも現役の皆さんの活動を大いに期待するものです。

寒梅館で行われた表彰式と、スピーチする現役・鉄道同好会会長の木村さん