今週末は船場鉄道フェスティバルへ

今週末は現役生の船場鉄道フェスティバル(船場まつり)です。日時、場所等を再掲します。当日は船場が大変盛り上がる日です。交通の便もよいので、ぜひご家族、お知り合いをお誘いの上、お越しくださいませ。なお、先日お知らせしていた3日(金)は実施いたしません。ご了承願います。

船場鉄道フェスティバル
日時:10月4日(土)、5日(日) いずれも10時から16時の間です。
場所:船場センタービル6号館2階(最寄駅:堺筋本町駅または本町駅、6号館は堺筋本町にやや近いです)

内容(予定):鉄道模型走行展示、青信号(バックナンバー)の販売、青信号(最新号)の予約受付

なお、当イベントには大阪市立大学鉄道同好会、関西大学鉄道研究会、大阪産業大学鉄道研究会も参加予定です。

同志社大学鉄道同好会公式ホームページ:http://drfc.web.fc2.com/schedule.html

阪急710系

阪急764桂1954年サイズ小

これは1954年の確か5月の撮影=高校3年の時だったと思う。場所は桂であろう。実を言えば、小生は1960年12月の押し迫った頃山科から塚口に引越し、それから2000年まで 京都と神戸に阪急で通学、通勤したのに、なぜか阪急は1954年のこの1枚しか撮っていないのと同然である。この頃から電車、それも高速電車にはソッポを向いていたのか。性格は至って円満なのに、である。

 50年前の撮影地を歩く -4-

東海道新幹線開業前日の山科大築堤

50年前の今日、昭和39年9月30日は、翌日に東海道新幹線の開業を控えた日だった。引き換えに、日中、東海道本線を走る特急・急行列車はほぼ全廃となった。すくすくと?鉄道少年の道を歩んでいた私は、当然のごとく最後の記録に向かった。この日は平日で、午後2時すぎに中学校から帰宅すると、カバンを掘り出し、ハーフサイズのカメラだけ持って、一目散に三条京阪へ掛けつけた。京津線御陵駅で降りて南へ行くと東海道線をくぐる。横に築堤へ登る道があって、14時50分には難なく築堤へ到達することができた。暗くなるまでの2、3時間撮影に臨んだのだった。
東海道本線には、151系12連ほかによる電車特急が東京~大阪間に9往復、153系12連の昼行の電車急行が同区間で6往復、計15往復のほか、東京~中京圏、大阪~中京圏の特急・準急も運転され、これに夜間となる山陽・九州方面行きの特急・急行も加わり、その運転頻度はまさに新幹線並みで、想像もできないほど多数の優等列車が上下していた。
下りつばめsy築堤に着いて、すぐに通過したのが東京発広島行「第一つばめ」(14:53通過)。東京9時発の伝統の特急だ。「つばめ」の151系電車化は、昭和35年6月改正からで、昭和37年6月からは電化が延伸した広島まで延長運転された。

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山の上から見下ろすと

平成24年11月と12月に同名の記事をご紹介しました。今日は少し暑さも残るとは言え さわやかな秋空なので 久しぶりに山に登ってみました。眼下に広がるM重工三原製作所和田沖工場には1周約3Kmの試運転線が完成し、納入前の広電グリーンムーバーLEX1006号が軽やかに走っていました。 

試運転中の広電1006号

試運転中の広電1006号

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撮影地今昔-播但線-

知人から青春18きっぷを譲り受けたので、9月の初旬、兵庫県内の乗り鉄ついでに、昔の撮影地を訪ねた。尼崎-姫路-(姫新線)-津山-(18切符圏外の智頭急行)-智頭-(因美線)-鳥取-(山陰線)-和田山-(播但線)-姫路-尼崎の乗り鉄。撮影地は、播但線・生野-長谷間の鉄橋と川沿いの大きなカーブである。

キハ41など最近のワンマンDCは、運転席横の正面窓や右の窓からは前方が極めて見難い。運転席の機器類が中央部にまではみ出し、料金回収箱が中央にあり、時には右側にトイレがある側が先頭になったりで眺めはほとんど不可能に近い。

仕方なく、生野-長谷間7.7kmは徒歩となった。所要2時間、線路沿いの町道を歩いたのだが、長谷までに出会ったり、追い越された車が日中にも関わらずわずか2台。
途中「注意・熊出没」の看板があったり、人気のない寂しい道であった。
409061 生野駅。瀟洒な佇まい。写真右手方の踏切を渡り、町道を南に向かう。

▼播但線 上り客612レ生野を出発 1963年8月13日
08203h 続きを読む

京阪1708+1758/1709+1759

サイズ小

これは1953年4月26日、淀鉄橋での撮影だから、61年半前―老人がまだ高校生だった時である。京阪1700系の増備1708+1758、1709+1759は妻面のみ7-8、7-58、7-9、7-59との省略レタリング?でデビューしたのであった。その斬新さはファンの中でもちょっとした話題になったが、なぜかそう長くは続かず、通常通り1708、1758、1709、1759と書き直されたから、これの写真を撮った人はそう多くはない筈である。詳しくは乙訓ご老人の出番というより、黙っては居れまいが。

なおついでに付記すれば、この4輌の端面連結器が、恐らく我国最初の「日鋼式軽量密着自動連結器」であった―キハ45000系より少しだけだが早かったと記憶するのだが。

ハロー!ネルソンくん!

朝日新聞に表題の記事が出ていました。

早速買ってきました。売ってくれたのは著者の女性です。「新聞を見て」というと、うれしそうにほほえんでくれました。

ところで諸兄にお尋ねしますが、記事文中にある「昭和13年まで東海道線の新橋-神戸間で急行列車などを引っ張るなど・・・」とありますが本当でしょうか?

この時期はすでに大型機関車が本線に投入されていた時期で、1080のような旧型タンク機関車が急行列車を牽引していたとは考えられません。あるとすれば勾配区間での補機でしょうが、諸賢の考証をお聞かせ下さい。

「ハロー! ネルソンくん!」の表紙

  • 写真・図版
  • 写真・図版
 

 梅小路蒸気機関車館(京都市下京区)に保存されている英国生まれの蒸気機関車(SL)の生涯を描いた絵本が出版された。絵と文を担当したのは、同館職員の河合都(みやこ)さん(32)。「絵本がきっかけで、子どもたちがSLに興味を持ってくれたらうれしい」と話している。

題名は、「ハロー! ネルソンくん!~うめこうじの なかまになった ネルソンくん」。1901(明治34)年に英国で製造された「1070形 1080号機」がモデルで、愛称ネルソンにちなんだ。全長約11メートル、重量48トンで、小柄なのが特徴だ。当時135両が輸入されたが、現存するのは この1両だけとなり、「幻のSL」と呼ばれる。

38(昭和13)年まで東海道線の新橋―神戸間で急行列車を引っ張るなど活躍。その後は新潟や栃木の鉱山で鉱石の運搬用に転身し、79(同54)年に引退した。その後、2009年9月に所有していた鉱業会社から同機関車館に寄贈された。

2014年 天空の鏡 チャカ塩湖に走るナローへの旅 Part 1 旅立ち 中国北京でSIMカード買う

昨年10月に初乗車、11月に撮影に挑んだ立山砂防軌道に連れて行っていただいた「一路順風!」さんよりお誘いを受けていました中国青海省チャカ塩湖(茶卡塩湖)に走るナローゲージ鉄路訪問の日程が決まったとの連絡を受けました。
チャカ塩湖04▲ チャカ塩湖はチベットへの玄関口の西宁(西寧)から約300キロ、バスでは約5時間もかかり、海抜は約3,100mの高地にある湖です。面積は約145㎡、サロマ湖(約150㎡)とほぼ同じ大きさです、日本最大の琵琶湖(約670㎡)の約1/4.6になります。水深は深い所でも19mの浅い湖で、約4mの厚さで塩が沈積しています。塩の推定埋蔵量は4.5億㌧と中国人の450年分の使用量に相当し、世界中の人間では75年分の使用量に相当するそうで、約3000年前から採掘ある塩湖です。ちなみに「チャカ」はモンゴル語で、”塩の海”という意味だそうです。

日本人中国鉄ちゃん多しといえど訪問した方はネットを探しても誰もおられません。初陣となると思います。一体どんなナローが走っているのか興味津々でご同行させていただく事にしました。今まで1年に数回訪中していましたが、最近は他の国に行く機会が増えて、何と1年3ケ月ぶりとなりました。高速鉄路の延伸が続き、めざましい発展を続けています中国鉄路です。2014年はどのように変わってきているのか、このレポートに含めてご紹介させていただきます。

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2014年 夏の北陸路ちょっと旅 Part5 福井鉄道、トワイライトエクスプレス、西濃鉄道、近鉄養老線

01▲ 17:45 神社の境内を走る鉱石貨物列車。
撮影地 Google座標; 35.394058, 136.581169

全国に神社は、79,339社あるそうですが境内に線路があるというのは珍しい存在です。JRのポスターにもなった米子の日吉神社や参道を一畑電車が横切る粟津稲荷神社は有名ですが、ここ岐阜県大垣市の石引神社も多くの鉄ちゃんが訪れる有名撮影地です。
石引神社は、江戸時代に大垣城建築のための石をこの周辺で採石した事から名付けられた神社で、今も石灰石を運ぶ鉱石貨物列車を見守っています。

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京阪1700系特急車

突然親族の訃報が入り、この数日パソコンの前に座れませんでした。月曜日の夕刊を見たら京阪特急が目に飛び込み、あ、月曜日や!と気がつきました。これにつきましては一家言ある方ばかりでしょうからおまかせいたしましょう。

その時に、文の最終部分にある、「登場時正面側のみそれぞれ7-9、7-59、7-8、7-58と新しい表示方式で左右上下段違いに手描きされていた」の部分が理解できませんし想像もできません。どうか詳しい方、教えて下さい。京阪1700型_NEW 京阪1700系(文)_NEW

今日の5200

9/13の登場以来、夜には見かけることがあったのですが今日昼間に捉まえることが出来ました。朝から榛原・三本松辺りをうろうろしていたのですが先日と同場所(榛原~室生口大野:榛原寄り)で会えました。時間的には榛原11時20分発の上本町行き急行の中川寄り4両です。近鉄色2両+4となっています。先頭2両とも連結面にトイレ付きです。バックがごちゃごちゃしていますが何しろ何時やってくるか判らないので「もう帰ろう」としたタイミングでした。5200-1

5200-2

2014年 夏の北陸路ちょっと旅 Part4 倶利伽羅峠を撮る、北陸鉄道浅野川線・石川線

DSC_6724_159▲ 15:56 待っていたトワイライトエクスプレスが来ましたが、それまで十分に予行演習をしていたはずなのに後部1両を入れず、シャッターを切っていました。大失態です。そそっかしいのか、時々こんな失敗をやってしまいます。大好きなインカーブ撮りですが、それまで狙い通りに撮れていましたので油断です。次回にリベンジとなりました。
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2014年 夏の北陸路ちょっと旅 Part3 富山地方鉄道市内線(富山市内軌道線)、高岡駅、万葉線、氷見貨物線

DSC_6503_129▲ 10:58 市内線2系統が走る新富山電停に着きました。電停では珍しく幼子を身体の前に背負って、ビデオ撮影に励んでおられる鉄子ママさんがおられました。抱かれた可愛いお嬢ちゃんは、じっとママの姿を見上げておられます。大きくなったらお嬢ちゃんも熱心な鉄子ちゃんになるのでしょうね。夏の日差しが降り注ぐ中ですが、爽やかな風が吹いていました。

※ 「こんにちは、撮らせていただいても良いですか。」と、お声をかけてご了解を取ってから撮影させていただきました。

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2014年 夏の北陸路ちょっと旅 Part2 市振の俯瞰撮影⇒ダブルデッカーの立山へ

DSC_6403_120▲ 9:16 クモハ73106東ウラさんが運転される心地良い車内で爆睡していましたら立山に着いていました。富山地方鉄道の絶景の撮影地、常願寺川渓谷に架かるアーチ橋が目の前にあります。元京阪のダブルデッカーがゆっくりと渡って行きました。
絶景を楽しめる富山地方鉄道の定番撮影ポイント千垣橋梁です。昨年10月にもここで撮りましたが日差しが順光で差し込みませんでした。2ケ月違うだけでベストショットになりました。

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今年もラッピング電車貼ってきました

第6回大津ジャズフェスティバルの京阪電車のラッピング、今年もお誘いいただいて行って来ました。昨年のメンバーのぶんしゅう先輩、T田さんに加え、今年は乙訓の御老人も出動いただきました。いつものようにワイワイと作業が進みます

いつものようにワイワイと作業が進みます。

昨年とはデザインが異なり、戸袋の窓にもラッピングが施されましたが、昨年の経験を生かし、DRFCメンバーに学生メンバー3人を加えたグループで2面、約1/4を貼り、1時過ぎには貼り終えることができました。
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  鉄道写真展 滞りなく終了

9月8日より寒梅館地下ギャラリーで、現役生との共催の鉄道写真展は、本日、20日(土)を持って滞りなく幕を閉じました。この日は、17時から会場で撤収作業を行ない、三々五々掛けつけた10数人の会員が手際よく片付けを行ないました。なかには、大津で別のイベント準備作業に協力した会員も転戦して参加、約30分余りで作業は完了し、会場はもとの姿に戻りました。
会場が分かりにくかったとは言え、会員が手分けして案内・PRにつとめた結果、東京や名古P1050779syo屋からの会員だけでなく、一般の来場者も来場、なかには、老舗鉄道雑誌の編集長にもご来場いただきました。会場に設けた芳名録の感想欄には、「各人の写真のクオリティに脱帽」「力作ぞろいで感銘を受けた」「同志社周辺の市電の姿に青春の一頁を見た」と言ったコメントもあり、意を強くしました。写真展にご協力・ご来場いただきました皆さまに御礼申し上げます。
壁面から写真額の取り外しを終えたあと、黙々と“両面テープはがし”に励む会員たち

2014年 夏の北陸路ちょっと旅 Part1 青春18きっぷで北上

03▲ 10:01 青春18きっぷを利用して北上しました。今日は大阪に向かうトワイライトエクスプレスを途中で駅撮り予定ですがどこが良いのか分かりません。車上からのロケハンで木造駅舎の大土呂に決めましたが、逆光気味で今一でした。寝台特急は直線区間を高速で南下して行きました。
午前中、北陸線を南下する列車は内側から順光で撮るのは難しく、困りました
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