岡崎公園で 一人クリスマス?

まるで京都のどこかの停留場で、信号待ちしているような雰囲気に浸れる。

日ごろのデジ青投稿の疲れ(?)を癒やすため、昨日、久しぶりに撮影に出掛けました。同じ撮るなら、この時期しか撮れないものと思い、歩いて京都は岡崎公園に向かいました。交番の裏の公園に、「岡崎・市電コンシェルジェ」として京都市電1860号が置かれています。前にも紹介しましたが、大宮交通公園に置かれていた同号を、整備のうえ、岡崎公園に移設、訪れる市民や観光客の案内所として使われています。“この時期”というのは、夕景を撮るためです。車内は白熱灯風の照明で、灯ともし頃となると、なかなかの風情となります。18時までの営業ですので、このシーンを撮るには秋冬しかありません。

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 京都駅にまつわる小ネタ集 (2)

三代目京都駅の塔屋にあった食堂街

もうひとつ、コメントに対するご返答を‥。河さん、米手さんから、三代目京都駅の塔屋にあった、食堂街についての思い出や解説がありました。私にも思い出があります。京都タワーもポルタも何も無かった時代の京都駅前、家族でマシに食事すると言えば、京都駅塔屋の食堂街か、丸物百貨店の食堂しか無かったと思います。京都の北部に住んでいた私ですので、旅行以外で、京都駅前に行くことはほとんどありませんでしたが、これらの食堂は数少ないハレの場でした。お知り合いの方から、この食堂街を運営していた京都駅観光デパートの年史・新聞記事を見せていただきましたので、この中から、少し様子を探って見ました。

京都新聞に載った京都駅観光デパート開業(昭和27年10月)の全面広告、右下に食堂街の店舗が紹介されており、3階から上へ、輿太呂、ハマムラ、江戸川、若狭屋、丸物食堂が入っていた。2階には、都ホテル直営のレストランがあったと思う。2階の売り場の店舗名も懐かしい(京都駅観光デパート20年史より転載)。

 

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 京都駅にまつわる小ネタ集 (1)

1900生さん思い出の山陰線機回し線の写真を発掘!

デジ青投稿に対して、多くのコメントをいただき、返答を心掛けていますが、いい返答材料が見つからず、保留のままのものもあります。いつもコメントを頂戴する1900生さんからも、何かの投稿で、京都駅山陰本線ホームの終端部にあった機回し線についてコメントがありました。少し前のことで、いま検索しても、どの記事だったのも定かではありませんが、付近の写真は撮っているものの、ホームで隠れたりして、公開するような写真がなく、気掛かりになったままでした。本日、クローバー会写真展の準備のために、乙訓老人さんから預かったネガをスキャンしていると、“これや!”と、飛び上がるような、スバリの写真を見つけました。1900生さん、これでしたね。
京都駅山陰本線11番ホームの終端部にあった機回し線、ホームもカーブしていて、長い編成の到着だと、カマがカーブ上に停車していた。すぐにカマだけ切り離されて機回し線を通って、編成の後部に連結、区や客車ヤードへ回送された。逆の角度から撮ったことは何度もあるが、終端部そのものを撮った写真は見たことが無い。しかも、牽引機が試作のDF411というのも貴重だ。さすがに、何でも撮っておられる乙訓老人さんだ。そして、つぎのコマをスキャンしてみると…。

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 北のC62 全記録 〈11〉

大沼のYHで久しぶりにぐっすり寝て、生気を取り戻し、普通列車に乗り続けて、一年ぶりに上目名に下車しました。一年を経てもC62の聖地は、まだ穏やかなもので、ほんの数人が降り立った程度です。今回、写真を見返して分かりましたが、この日は、ぶんしゅうさん、1900生さんとご一緒でした。そして、向かった先は、歩いて約一時間の151kmポスト付近。昨年も一度来たところで、周囲が急に開けて、右手にはちょっとした高台があって、ここだけブッシュもなく、難なく上まで到達できます。

上目名~目名151km地点の上り「ニセコ3号」。高台からでも写せるが、C62の迫力を出したかったので、レールよりやや低い位置から狙ってみた。去年と違うのは、この爆煙だ。サービスなのかどうかは知らないが、去年のスカのような煙とは、大きな違い、あまりの煙で、編成が隠れてしまった。

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 北のC62 全記録 〈10〉

大沼で上下の「ニセコ」を撮る   昭和44年8月28日

五稜郭で上り「すずらん6号」を写したあとは、大沼へ向かいました。昨年も行ったことがある、駒ヶ岳・小沼を展望する、線路と国道に挟まれた小高い丘に登り、眼下を行く列車を撮りました。函館が北海道の玄関口の時代、続々と列車が走り抜けます。交通の便もよく、大沼はホントに恵まれた撮影地でした。
14時45分ごろに通過する、「ていね」改め「ニセコ3号」を、湖畔に沿ってカーブに掛かるのをとらえる。牽引するのはC6244〔築〕。時刻は「ていね」時代とほぼ変わらないが、大沼は通過、つぎの大沼公園には停車する。「ていね」時代と比べると、食堂車がなくなり、優等車両はグリーン車1両のみで、急行列車としての格が落ちた感じがする。昭和44年5月から、称号が二等車からグリーン車に変更されている。

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 北のC62 全記録 〈9〉

ひとつ前の投稿で、羽村さんが撮られたC621の原型写真を見て、つくづくC62は力強さにあふれた魅力的な機関車だと再認識しました。私も自分で撮ったC62を急に公開したくなり、「北のC62」シリーズを再開することにしました。
前回は、初めて北海道を訪れた昭和43年8、9月のC62の記録でした。今回は、その翌年、昭和44(1969)年8月28日から北海道入りして、各地を転戦しながら、C62を追った記録です。
この年の北海道行きは、前年と同じ花輪線竜ヶ森で夏の狂化合宿が行われたあとに訪問したもの。前回以上の会員が渡道し、各地で“現地闘争”と称した撮影会を行なった。私は竜ヶ森のあと、奥羽本線矢立峠でC61を撮ってから、深夜の連絡船で函館に到着。前回と同じ列車でまず五稜郭へ行き、「たるまえ」改め「すずらん6号」を待った。牽引はC6244である以外、前年と全く同じ構図の写真が、第一号の写真となった。

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 羽村さんが遺したアルバムから 〈12〉

続いての羽村さんアルバム、京都市内で見られた電車・バスの紹介に移ります。撮影年月は、前回の京都駅の一年前の昭和26年10月、まだ戦後の色濃い時代、遠出して撮影するなど思いも寄らない時代で、地元を丹念に記録するのは、当時の撮影スタイルでした。
京都市バスのワンマンカーである。アルバムのネームには「いすゞ」と書かれている。京都市交通局の年表を見ると、昭和26年10月1日、ワンマンカーが運転開始とある。羽村さんのアルバムからは、年月までしか分からないが、ワンマンカーの運転初日に撮られた可能性もある貴重な記録だ。京都市バスのワンマンカーは、大阪市に次いで、日本で二番目だそうだ。

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