古いヤツだとお思いでしょうが・・・

こんなんもあるで、とばかり言っていると現役生や後輩諸氏から「古いヤツや!」と言われるのではないか、との強迫観念にさいなまれます。

そこで奮起一発!最新の話題を

9月30日9時頃から10月1日払暁に掛けて梅小路新駅になる七条通をまたぐ山陰線の高架橋の架け替え工事がありました。人生前代未聞空前絶後の大イベントを見逃すわけにはいきません。その現地レポートを!
長老方は工事が始まる時間にはイビキをかいておられますが架け替え工事は8時半ごろから始まりました。
30日の山陰線は9:30頃には運休となり、翌日の始発用なのか下り回送の211系4連×2の8連が3本続いて行って、上りの特急と211系が過ぎると線路が切断されました。

8/2組立てられた新橋梁

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旧型電車を追って(大糸線・身延線最後の夏)

昭和56年は、3月に福塩線で70系電車が完全引退し、宇部・小野田線から戦前型三扉車の40系、51系が引退し、それぞれ105系に置き換わった。また、夏には大糸線、身延線から戦前型国電が引退し、大規模な中長距離線区で運用される旧型国電は、飯田線のみとなった。 続きを読む

京都鉄道博物館でみた「やっぱりこれがええEF65」

 家族で京都鉄道博物館へ行った。私にとっては初めてである。2階レストランで食事をしていると大阪方面から単機でEF65がやって来た。しかも国鉄色であった。しばらくすると、目の前の引込線に向かってきた。そして、C62と並んで停車。

やっぱりええ色や!

やっぱりこれがええ。

 何やらフェイスブック風・・・ところで、鉄博内でクローバー会の先輩御二方においした。これもびっくり。

昭和46年 46年前の飯田線合宿(3)

翌7月28日は温田発6:35の電車で七久保へ向かいました。七久保でED19牽く貨物を撮ったあと伊那本郷まで歩いたようです。

昭和46年7月28日 伊那本郷・飯島間 上り急行伊那

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半世紀前の国鉄・富山港線-今昔対比-

デジ青で最近、富山港線の話題を眼にしたので、半世紀前のアルバムを思い出し、ひっくり返してみました。1960年の11月、同志社EVEの最中でした。この年、同好会はEVEには参加せず、10人前後のグループで高山線の夜行に乗り、高山機関区や富山港線を訪ねていました。帰りは、信越線・中央線経由でした。

それから半世紀以上経った今年2017年、5月に今度は工業化学・高分子化学専攻のゼミの仲間11人と富山県・八尾と岩瀬浜の街を歩きました。この仲間もDRFC同様、半世紀以上付き合いの同志社仲間です。数年に一度旅行に出掛けています。2年前は筆者が幹事で大井川鉄道の客車に乗せ寸又峡、接阻峡に向かいました。

さて半世紀前の富山港線。画像と記録メモはあっても、詳細説明は難しく、鉄道ピクとリアル誌他を参考にしました(下記参照)。ピク誌は丁度富山港線を訪れた時に同じくした発行でした。筆者が国電、それも買収国電の投稿などこれが最初で最後です。何せ、下記文献の拾い読みですから、間違いも多いと思います。読者のご指摘をお願い致します。
参考文献:鉄道ピクトリアル 第10巻第11号 通巻112号 1960年11月 鉄道図書刊行会
国鉄電車のあゆみ-30系から80系まで- 1968年2月 交友社

▼クハ5502+クモハ2011 富山駅6番ホーム 1960年11月25日  00601
元鶴見臨港鉄道サハ210型(1942年川崎車輌製)→国鉄鶴見線クハ5500型5502→1957年当線へ。塗り分け塗装なし、行き先表示板挿入枠無設置。1967年1500Vに昇圧時廃車(以下の車両もほぼ同時期に廃車)

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たった一度の東濃駄知線

関三平先生の昭和の電車「東濃モハ100型」が登場しました。今度ホムカミでお目にかかれるのを楽しみにしておりますが、このモハ100のイラストを見て、あれっ?と思いました。実は昭和45年10月に一度だけモハ101に対面しているのですが、てっきり最初から貫通車だと思い込んでいました。駄知線にデビューしたときには非貫通だったことを初めて知りました。

昭和45年10月18日 東濃鉄道駄知駅にて モハ101

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東濃鉄道モハ100型

管理者様、お手数をお掛けしていますが宜しく対処をお願い致します。

Oゲージ、懐かしいですね!大丸の玩具売り場で見た、つばめ仕様のFE58はダイナミックでほしかったのですが大きすぎて持っているレールセットではとても走る事ができません。買ってもらったのはEB58というB型の電機でした。この屈辱感がHOゲージに向かわせました。

昭和46年 46年前の飯田線合宿(2)

温田ユースで泊まった翌日7月27日は雨もあがってまずまずの天候だったようです。

昭和46年7月27日 温田にて 上り貨物EF10

朝の温田駅風景。この日は平日で通勤、通学客でにぎわっている。

各自思い思いの場所へ向かいましたが、私は天竜峡、飯田を過ぎて市田まで行ったようです。なぜ市田で下車したのか覚えがありません。
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46年前 昭和46年の飯田線合宿(1)

やや乗り遅れた感のある投稿になりましたが、総本家青信号特派員氏、wakuhiro氏などが飯田線の懐かしい力作を連発され、昭和46年の飯田線合宿を思い出しながら拝見しました。当時撮影したネガは手元にあるものの、殆どプリントすることなく眠っていましたので、丁度良い機会と思いスキャンしてデータ化することにしました。予想した通り、特派員氏の作品のような情景をうまく切り取った写真はなく、また駅撮りのイージーなものが大半でしたが、当時の雰囲気がわかればそれも良いかと思い、投稿することにしました。ここで昭和46年11月25日発行の「青信号27号」にKo氏、Ki氏が寄稿された「飯田線 温田合宿の巻」が貴重な行動記録として役に立ちました。では車中1泊+温田ユース1泊の短期合宿ではありましたが、旅程に沿って撮影した拙作をご紹介したいと思います。旅は46年前の昭和46年7月25日の夜の大垣行きの113系で始まり、大垣駅で仮眠後、大垣発3:26、豊橋着6:01着という、若さあふれたスケジュールだったようです。写真は早朝の豊橋駅から始まります。

昭和46年7月26日 飯田線625M クハ68(車番不明)

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バナー広告、試行開始について

只今、デジ青のTOP及び掲示板の投稿事の右上、記事上・下にバナー広告の掲載開始を行っております。

デジ青を13年前に開始した当初は無料のホームページであったために様々なバナー広告が表示されていました。中には好ましからざるものもありましたが広告主及び広告内容は選べず、これでは問題があるとの意見が発足委員会から出まして、有料のホームページに移行して続けて参りました。
しかしながら昨今、デジ青運営、クローバー会の写真展やイベント等で出費が重なり、また会費未納付もあって会の運営費を圧迫してきました。発足当時は連絡費程度が賄えればと設定してきた会費金額でしたのでクローバー会の催し等を活発化しようにも会費がなく、開催費の出費が出来なくなってきました。
次回の総会におきまして会費の増額検討も議題の1つとさせていただく予定ですが、何か収入先がないものかと検討していたところ、デジ青のバナー広告提案が出ました。
当初のホームページの問題発生もあり慎重な対応が必要とはなりますが、最近は広告主もある程度絞れることも可能となりました。実際、どの程度の収入があるものなのか、また広告内容について対応できるかどうかをまずはやってみてはになりました。しばらくの試行期間を設けて見ることにしました。

会員皆様方のご意見もあろうかと思います。11月12日の同志社大学カミングデイに開催いたしますクローバー会の総会まで試行期間とさせていただきますので、しばらく見ていただき総会時にご意見をいただければと思っております。途中でもご意見は伺っておりますのでこの投稿記事にコメント、またはメールでのご連絡をいただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
尚、先日発生しましたデジ青障害と同時期になりましたが因果関係はありませんので誤解のないようにお願い致します。   副会長 小西啓文

今年もカープ花電車

昨年に引き続き今年も花電車が登場することになり、CS、日本シリーズの結果を気にしつつ、広島通いが増えそうです。まずは新聞記事から。

平成29年9月23日 中国新聞朝刊

昨年は大きな鯉のバルーンをブロワで風を送って膨らませていましたが、今年は派手さはありませんがメッセージ性の強いデザインです。このデザインは企画課の若いカープ女子が考えられたようで、市民が応募した写真を使って「CARP V8」の文字を作るなど市民が支えるカープを表現していてなかなかの出来栄えです。

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海外写真展開催のご案内

私事で恐縮ですが明日9月27日(水)~10月2日(月)に鉄道写真家小竹直人先生と一緒に海外へ行っております仲間たちとの写真展を東京のリコーイメージングスクエア新宿にて開催させていただきます。
お時間ありましたら、お立ち寄りください。よろしくお願い申し上げます。
私も期間中の9月30日(午後)から10月1日(夕刻まで)は現場に入っております。

9月26日の障害について

本日、新規投稿や管理ページへの新規ログインが行えない事案(Cookieが拒否されるためWordpressにログインできない・白紙の管理ページが表示される)が発生しました。
原因は不明です。WordPressの再インストールとプラグインの再設定、founction.phpとwp-config.phpの設定変更、セキュリティレベルの変更を行い、管理者側の環境において上記症状は改善しました。
継続して不具合が見られる方は、こちらの記事のコメント欄へご意見をください。

追記:原因はWordpress4.8.2に自動アップデートされた際、レンタルサーバ(さくらインターネット)側のPHPバージョンが5.4以下になっていたためでした。PHP5.6.31にバージョンアップすることで正常動作するようになりました。
この変更に伴い、RandomImage Pluginが動作しなくなったため、トップページ(https://drfc-ob.com/wp/top)のトップ画像が表示されなくなりました。

5万人の写真展 広島会場

中学時代からの親友を亡くされ落胆されている米手作市様への気付け薬になればよいのですが。昨日から3日間だけ広島市の紙屋町交差点の真下にあるシャレオ中央広場で開かれている同展を見ようとカープ花電車撮影を兼ねて広島へ行ってきました。

平成29年9月23日 広島市紙屋町シャレオ中央広場

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旧型電車を追って(73系)

大阪環状線から最後に残った103系一編成が姿を消すという。しかも103系にちなんで10月3日で。大阪駅で当たり前の景色のようだった103系だが、正直よくここまで生き永らえた、という感じもする。首都圏では103系の活躍はもっと以前の話で、今やE233系、山手線ではE235系も投入されている。時代は移り変わる。103系だけでなく広く標準的な車体規格の20メートル4ドアロングシート車体も源流を辿れば古くは73系(モハ63)に行き着く。103系でなじみの前面10度の傾斜角を持たせた窓も、クハ79の300番台の昭和29年製まで遡る。私自身は1985年度生で、その年の3月には富山港線の73系が引退。その前年10月には可部線の73系が引退しており、DRFC入会時点で残存している営業線上の旧型国電は鶴見線大川支線のクモハ12と小野田線雀田支線のクモハ42だけだった。旧型国電を撮影するには、私は完全に遅れてきた青年であった。東海道緩行の旧型国電は小学生の時に引退しているので少し覚えているが、京浜東北線や横浜線など首都圏での活躍は想像の世界となる。73系については、既に多くの書物が刊行されており、インターネット上でも充実した内容の掲出が多くある。偶然であるが、ピクトリアル最新刊も72系旧型国電。なぜ今73系なのかとも感じるが、その最末期、可部線と富山港線で撮影することが出来たので、既出の内容ばかりで恐縮だが、自分自身の振り返りとして、主に実際に見た車両に焦点をあてて投稿させていただく。

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飯田線1973年8月

総本家青信号様、どですかでん様に刺激され、便乗させてください。場所の不明な飯田線の写真があったのですが、お二人のお蔭で遠い記憶を戻すことができました(私は何も分析できていなくてすみません)。1973年といえば会社へ入って2年目でフトコロの余裕は出来たものの自由な時間が少なくなり、正月や連休、会社の夏休みを利用しFさん、I氏について出掛けたたものです。当時は鉄道の写真を撮るだけで満足していましたが、今となってはやはりデータは取っておくべきだったと考えさせられます。総本家さんの言われる飯島-伊那本郷の与田切川と思われます。 続きを読む

鉄道には無関係な事ですが・・

かつて同志社大学のラグビーが大学日本一になった時代がありました。それも三年連続で。
その時、指揮を執っていた監督が伊藤 武君です。中学からの付き合いは亡くなるその日まで続いていましたが、突然の悲報で断ち切られました。同志社高校の学年同窓会長を永年続けてくれて、10月7日に18回目の総会を開く直前での退場となったのです。19日の午後、打ち合わせのため二度電話しましたが出ないので翌20日昼にもう一度掛けても出ないため不安になり(永年糖尿病を患っていた)夜、主治医の同級生に電話したところ「いま奥さんから電話で、帰宅したら死んでいた、との電話があり今から行くところ」とのことでした。検視の結果死亡時刻は私が電話した20日の昼頃だったようです。

毎週のように高島屋に車を置いて私の近くの喫茶店まで歩いてきてコーヒーを飲むのが彼の糖尿病療法でしたがそれもできなくなりました。「ブル」の愛称で同級生みんなに愛された60年でした。

DRFCに関係のない話で誠に申し訳ありませんが、聞いて頂きたくて投稿いたしました。お許し下さい。
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広島便り

カープ優勝で盛り上がる広島からのニュースです。

平成29年9月21日 中国新聞朝刊

広電900型(元大阪市電2600型)の1両がソウル市に来年度開園する鉄道公園内で走るそうです。記事には何号車とは明記されていませんが、譲渡車両は906号のようです。900型は901~914の14両がいましたが、すでに901、902、903、908、909号の5両は廃車されていて 9両が全車江波車庫所属で活躍中です。とは言え1000型の増備が進んでいますので、次第に出番が減っているようです。京都市電1900型はまだ1両も廃車されずにがんばっていますが、超低床車に乗り慣れてきた乗客からは、「よっこらしょ」のステップは不評のため、いつまでも活躍とはゆきそうにありません。ミャンマーに渡った3000型がシートをかけられて惰眠のようですが、900型がそういうことにならないように願うばかりです。906号の写真を1枚添えておきます。

906号と911号 平成28年11月9日 広電本社前付近にて

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -13-

飯田線④   F地点  飯島~伊那本郷

五万分の一の地形図を眺めていると、先述の田切~伊那福岡とウリふたつの地形が、3キロ南の飯島~伊那本郷にも存在することが分かります。地図上で等高線を赤線でなぞると、同じ田切地形と分かり、飯田線は急カーブで上流へ回り、与田切川を渡り、またもとに戻ります。前後のカーブは、こちらの方が開けていて、撮りやすい感じがします。鉄橋の長さは74m、長さも様式も田切~伊那福岡と同じですが、下路ガーダーが逆台形であること、橋台が一部煉瓦積みであることが違っています。
本掲示板の前項で“どですかでん”さんが、地図から推測して撮影区間を特定されていますが、私もよく似た田切~伊那福岡、飯島~伊那本郷は、手帳を見返しても、どちらで撮ったのかよく分かりません。地図と見比べて、ようやく判明しました。快晴のもと、与田切川を渡って行く1251レ、ED193が牽く

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北欧のたび7(イェーテボリのトラム)

スウェーデンには前回ご紹介したストックホルムの他、ノルショーピンとイェーテボリの3都市でトラムが運行しています。その中で規模の大きいイェーテボリを訪れました。イェーテボリはスウェーデン第二の都市、ボルボの本社があることでも有名で、ストックホルムから約470㎞、特急列車で3時間20分のところにあります。スウェーデンの鉄道の予約もネットで簡単にできるのでどの列車に乗ろうかと調べていると、早期割引で2等車と変わらない金額で1等に乗れるのがありました。443SEK(約6100円)ためらうことなく購入、1等はストックホルム駅のラウンジが使えると書いていたので朝食は控えめに、30分ほど前に駅に着きました。目指すラウンジに行くと何と土曜日は休み、がっかりでしたがその分ホームで撮影時間が取れました。

↑ SJ2000型特急列車、最高時速210㎞ 続きを読む