窓から写した駅・列車 -1-

まだ車両の窓が開く時代、クロスシート車に乗ると、私は決まって、進行右側窓側の席を確保しました。交換列車を写すためです。皆さんも同じような経験があると思います。単線の交換駅に着くと、交換する列車や、通過する列車を今か今かと待ったものです。窓から首を出して撮った写真も、長い間にずいぶんのカット数になりました。

車内から一歩も歩くことなく、窓から首を出すだけの、究極のズボラ撮影ですが、列車だけでなく、ホームや駅舎の様子、乗客の様子が、時代、社会を鋭敏に映し出しています。今年のシリーズは、列車交換時の写真を集めてみました。

IMG列車の窓からの撮影に魅かれた契機となった、今から50年前の山陰本線の鎧駅での交換シーン、家族旅行で、京都からずっと普通列車に乗り続けて、玉造温泉へ行く途中だった。真夏の太陽がガンガン照りつける。窓からは、ムッとした熱気のなかに、潮の香も混じってくる海辺の駅で、急行「白兎」の交換待ちだった。連続するトンネルのため、ライトを点灯したまま、タイフォン一声、通過する上り「白兎」をオリンパスPEN EESで写した。

「白兎」は、昭和31年、山陰本線京都口に初めて設定された準急で、C57の牽く松江行き客車列車だった。昭和36年10月改正で、キハ58系の急行になり、大阪始終着の編成も併結した。C57時代からヘッドマークに描かれた白うさぎが描かれた小粋なヘッドマークは、キハ58になってからもヘッドマークに引き継がれた。この時代、京都口の「丹後」「きのさき」などはまだ準急で、キハ58で統一された「白兎」は、際立った存在だった。(昭和39年)

 

三井芦別C58-2のプレート色

引き続き、以前の問い合わせに対しての回答です。

かつて三井芦別鉄道で走っていたC58-2は、現在、旭川近郊の旅館に保存されているそうですが、保存先の親戚の方からの問い合わせコメントが本掲示板にあり、C58-2のナンバープレートの色について、昔から気になって問い合わされていました。同機を購入・保存された方は、すでに他界されており、保存当時のことが分からず、真相は謎のままと記されていました。

私も三井芦別鉄道へ一度だけ行っており、確かカラーも撮っていたはずと、探しますと、確かにカラーが2枚だけありました。C58-2のナンバープレートは赤でした。

58-2-3_1[1]ネット先から拝借した現在のC58-2は、ご覧のようなもので、確かにナンバープレートの地色は、剥げ落ちて元の色が判然としない状態ですが、ハイフン入りのナンバープレートは貴重です。保存されているのは、温泉旅館の大広間という、異色の場所です。最近、元プロ野球選手が日本の全保存蒸機を写した本を出版していますが、それによると蒸機の保存総数は600両余りとか。旅館の大広間に鎮座する例は、おそらくここだけでしょう。C58-2を酒の肴に宴会もオツなものかもしれません。

syIMG_0013赤ナンバーの三井芦別C58-2、自社発注機のC58で、1、2の2両が在籍した。給水温め器がないのが最大の特徴。(頼城にて、昭和44年9月)

syIMG_0012DC列車もカラーで紹介。根室本線と平行しながら芦別を発車した頼城行きのキハ103+キハ101、キハ100形キハ101~103の3両あり、昭和33年製造の湘南タイプの気動車。鉄道廃止後、3両とも関東鉄道鉾田線に転じた。塗装は、かつて阪和線のスカ形に塗られた、国鉄色名で言う緑1号に酷似している。一般に言う青緑色で、この色はありそうで、なかなか無い色だった。

 

2014年 遥かなる東欧の旅 Part1 戦火の癒えた町、サラエボへ その1

今回の旅は、いつも海外に行かれる時はお誘いを受けていますO氏より紹介をいただきました。昨年6月に南アフリカのジンバブエに行かれた折にお知り合いになられたドイツ人の鉄ちゃんからボスニア・ヘルツェゴビナに残る現役SLツアーを考えている。参加してみないかとお誘いを受けられたそうです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ? 聞いた事はありますが、どこにあるのかがよく分かっていません。早速Google地図で確かめますと、1984年の冬季オリンピックが開催されたサラエボのある国です。
01お聞きしますとサラエボ周辺には国を挟みますが、現役SLがまだ走っているそうです。地図を見ても、中々行ける所ではありません。そして、費用もリーズナブルです。
O氏が薦められる所にハズレはなし、きっと新しい発見にも会えるのだろうと参加を表明しました。
参加される方は、インドネシアでもご一緒していただきましたK島さんと、ミーシャさん、弘南鉄道の雪飛ばしで地吹雪の中運転していただいたSGさん、初めてお会いするC12208さん、KKさん、HGさんの海外鉄ちゃん軍団、そしてO氏のご内儀を含めての9名となりました。これにドイツからの参加者が加わります。

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ミキ180-101残っていました

平成20年4月1日に廃止された三木鉄道は厄神ー三木間6.6Kmの日本一短い鉄道として有名でした。第三セクターとしての開業時には富士重工製の2軸レールバス(LE-Car)ミキ180型2両がいましたが、その後ミキ300型の増備により、180-102が平成11年に、180-101も平成14年に廃車されました。180-101はなぜか加西市のラーメン店に引き取られたのですが、その後同店は店じまいしてしまい、廃車体だけが敷地内に残っているという情報がありました。このたびクルマで上洛する際に少し寄り道をして同地を訪ねてみました。廃車から10年以上が経過し、つぶれた店の付属物だということで消滅していても仕方ないと思いつつ行ってみたところ、しっかり残っていました。

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DD401、ありました

ことし初めての投稿です。正月以来、雑事に振り回されていましたが、ようやく冬眠から覚めて、掲示板に向かいます。

まずは、掲示板に寄せられた問い合わせについて、私なりの回答から。

以前、西村雅幸さんから、「DD40の目撃者、おられませんか」として、新三菱重工で製造された試作ディーゼル機関車、DD91について、配置された梅小路区・吹田区での現役の姿の問い合わせがありました。

同機は製造後、昭和31年5月、梅小路区へ入換用に配置、昭和35年5月から吹田一区で、吹田操車場、尼崎港線で使用され、昭和37年3月に新三菱重工へ返却されています。

昭和37年返却とあれば中学一年生の時、残念ながら私も写していませんが、“何かあったはず”と探しますと、ありました。以前にTさんからいただいた写真でした。ただ、モノクロのため、お望みの塗装は判然としませんが、古いピク誌を見ますと、“ブドウ色”と記されていましたので、茶に白線のような気がします。ただ、鉄道図書刊行会「日本の内燃車両」に掲載されている同機の写真と比べると、白線の太さ・回り方が違い、ある時期に塗装が変更されているようです。模型作りの参考になれば幸いです。

余談ですが、その後に、新三菱重工で試作されたDD91も、福知山区に配属され、山陰本線の京都~福知山で使用されました。返却は昭和40年ですので、私も京都駅で何回か撮っています。返却後、山陽本線すぐ横、三菱三原の工場側線にしばらく置かれていました。呉線へ行った時、電車から見るのが、楽しみのひとつでした。

EPSON scanner image

 梅小路機関区のDD401。昭和30年代、外国の技術と提携した試作ディーゼル機関車が国内の車両メーカーで製造された。その多くは、国鉄が借り入れて、旅客列車の牽引、入換に供され、ディーゼル機関車の有用性の検討と、無煙化の一助とした。1形式1両ばかりで、当初は40台の追番、のちに90台の形式が付けられた。

ドイツ103型電気機関車に寄せて

準特急先輩の103型電気機関車の投稿を拝見して、古い資料を探してみました。コメント欄にも書かせていただいたのですが、1973年2月28日から4月3日まで初めての海外旅行でヨーロッパを廻りました。行きはロンドンに到着、パリまでの数日間はホテルも決まったグループ行動、パリからは、ユーレールパスを使っての自由旅行、3月末にローマの指定のホテルに集合して一緒に帰国するという自由度の高いツアー旅行でした。大まかな旅程は決めていましたが、途中のホテルは行き当たりばったり、トーマスクックの時刻表を頼りにイギリス、フランス、スイス、ドイツ、オランダ、イタリアなどをめぐりました。同行者は鉄道に興味ないので観光地中心の旅でしたが、移動の方法は時刻表を持っている私に任されましたので、有名列車を選んで行程に組み込みました。その中でラインゴールド号にも乗車しました。フランクフルト中央駅で撮った103型の写真が1枚見つかり、これがラインゴールドを牽引していたのかと思っていました。

1973.3.18フランクフルト中央駅の103型

1973.3.18フランクフルト中央駅の103型

ところが資料の中に旅行中のメモ書きが見つかり、それによると乗ったのは、ジュネーブからベルンまでの1時間半あまりの間だけでした。当時始発はジュネーブでアムステルダム行き、バーゼルからドイツに入った列車はライン川沿いにマンハイムからマインツに抜けフランクフルトにはよらず、この写真は後日乗ったラインプファイル号(ラインの矢号)だったようです。

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part20 打狗鉄道故事館、帰国

第9日目 1月16日 その2

0716:01 站地下化が進む高雄站に到着しました。
1月11日に宿泊した京城大飯店は残念ながら満室のために同じく高雄站近くのカインドネスホテル 康橋商旅 – 後驛九如館)にチェックインしました。期待はしていませんでしたが、このホテルのフロントのお嬢さん方の対応の良い事、この上なしです。満面の笑みでお迎えしていただきました。
部屋は広くはありませんが、清潔感があって中々です。站から歩いても約5分、お奨めいたします。
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[googlemap lat=”22.622521899150172″ lng=”120.2773483774888″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”18″ type=”G_NORMAL_MAP”]打狗鐡道故事館[/googlemap]16:57 チェックイン後は、早速高雄MTRに乗車して2010年10月24日に開館した打狗(タカオ)站跡(後に高雄港駅に改称)の打狗鐡道故事館に行ってみました。

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ドイツ103型電気機関車

デジタル元祖青信号も永く続いており、そのアクセス件数も凄い数に達していると聞いている。デジ青をいつも見ている私の友人で熱烈な京阪ファンからたまにはヨーロッパ物を出してはどうかと言われた。この友人はヨーロッパに関しては右に出る者がいないと言われるほど実力者でファン誌でも度々登場しており、私が今更と思うが約束であるので今回、ドイツ103型電機を取り上げさせていただいた。

当時の西ドイツではTEEの200km/h運転に対応する機関車として103型交流電機を1965年に試作機4両、その後、1970年から74年にかけて量産機145両を製造した。有名な「ラインゴールド」を始め各種優等列車の先頭に立ち、その優美なスタイル、性能から抜群の人気を博した。

1991.8.31 オーストリアウィーン西駅でのEC(EuroCity欧州国際特急列車) 22列車「ヨハンシュトラウス」ウィーン発ケルン行き ▼

s-91.8.31ウィーン西2

91.8.31ウィーン西1

s-91.8.31ウィーン西PC

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チキ工臨

今の子供たちにとって貨物列車と言えばコキを連ねたコンテナ貨物のことなのですが、かつての貨物列車は多種多様な貨車が連なり にぎやかな鉄道風景を作ってくれていました。最近ではコンテナ貨物にカメラを向ける気にもならず、たまにレール輸送のチキ工臨に出くわすとラッキーと思ったりしています。チキ工臨のほかホキ800によるバラスト輸送のホキ工臨もあるのですが いずれも臨貨なのでいつ走るのかわからず、しっかり撮影したことがありません。一方 以前から模型の世界でもこのチキ工臨を作ってみたいと思っていたのですが、さすがにロングレール輸送の再現は難しいと諦めていました。ところが25m定尺レール輸送のチキ5200型があることを知り これなら作れると ネットの写真を集めてなんとかそれらしく完成しました。

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2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part19 旧型客車乗り鉄旅

第9日目 1月16日 その1

6:00 今日は枋山での俯瞰撮影は諦めて、旧型客車乗り鉄旅に変更です。旧型客車が始発する枋寮の時刻を確認して、乗車する列車まで一仕事です。
まだ夜が明けぬ中、出発の準備だけはして橋の袂で1番列車を待ちます。しかし、切望していた雲のない空ではなく、日の出とのツーショットは難しそうです。
02▲ 6:44 台東新左營行きの自強號302次が金崙站を通過してきました。
DR3000系の9両編成です。
03▲ 7:01 変更前に乗車する予定だった高雄台東行きの區間車3514次が橋を渡ってきましたが、日出は無理で朝焼けも今一でした。R120号機が牽引する電源車を入れての8両編成です。

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出羽三山東麓・電車とバス

1959年9月14日、一日かけて福島市内をうろついた。4台続行に遭遇した事を須磨の大人に後日話したら「5台やぞ」と言われ、ぎゃふんとなったことがある。彼の5台続行は先日「デジ青」で紹介された。福島電鉄2車庫訪問後、峠越えで山形(出羽国)に足を延ばした。米沢20:24定着とメモがあり、駅で銭湯の在処を聞き汗を流した後でそばを賞味したとなっている。駅員に1晩お世話になりますと断り熟睡している。翌15日、7:32発、糠ノ目7:48着となっている。山形交通高畠線訪問なのだが、午後訪問の山形交通三山線を紹介しよう。

三山線は奥羽本線の支線、左沢(あてらさわ)線終点より2駅山形寄り(東)の羽前高松から寒河江(さがえ)川支流沿いに三山電鉄として建設された。1926(大正15)年12月23日、海味(かいしゅう)迄8.8kmが開業した。その後上流の間沢(まさわ)へ1928(昭和3)年9月17日延長された全長11.4kmの軌間1067粍、架線電圧600Vの電化線であった。1943(昭和18)年10月1日陸運統制により、三山電鉄を中心に山形交通となった。訪問時、車両は貨車を除くと1)木造4輪電動車101~103号、2)木造ボギー式付随客車104号、3)木造ボギー式電動車105号、4)鋼製ボギー式電動客車106、107、111号の陣容であった。

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「江若鉄道の思い出」展

来年の話になりますが、大津市歴史博物館の企画展で江若鉄道が取り上げられます。

前回、平成18年7月~9月にかけて「ありし日の江若鉄道-大津、湖西をむすぶ鉄路―」として企画展が行なわれました。この時は聞くところによると、歴史博物館の企画展で過去最高の入場者数を記録したそうです。その好評に答えてか、詳しい内容についてはまだ公表されていませんが、来年3月7日(土)~4月12日(日)までの間、第66回企画展「江若鉄道の思い出」と題して、当時の写真、思い出話など様々な資料が紹介されるようです。img304

江若鉄道のイベントと言えば、忘れてはならないのが、西村先輩が2年にわたって製作され、浜大津スカイプラザと、大津市公会堂で計3回展示された、江若鉄道沿線と浜大津付近のジオラマ、今回も会場で見られることを楽しみにしています。詳しい内容分かりましたらまた続報させて頂きます。まずは御一報。

今頃26

藤本哲男さんが平成26年に因んで26号の車両を紹介され、「藤本さんならではの企画」と大変好評でした。その後蒸機の26号はどうですかと当人に打診したところ「ええんとちゃうかー、京阪や小田急の2600でもかまへんでー」と言われた。そこで節分も過ぎた今の時期で旬の話題から外れているが大型蒸機ハドソン型C62、C61、C60の26号機をとりあげてみた。何れもただ走っているだけの凡作であるが、当時関西では見ることができない大型旅客機を見るだけで感激していた頃が懐かしい。尚、C6226は長い間弁天町に鎮座していたが、近く別の場所に移るとか。

 

C6226[下関] 昭和23年川崎 ボイラD5246

1963.3.27下関   名古屋発603列車急行「阿蘇」熊本行き▼

s-63.3.27下関

 

C6126[仙台] 昭和23年日立 ボイラD51198

1965.9.3一ノ関   隅田川発荷物45列車青森行き▼

s-65.9.3一ノ関C6126

 

C6026[鳥栖] 昭和35年浜松工場改造 元C5940

1964.4.2鳥栖  長崎発2列車特急「さくら」東京行き▼

s-64.4.2鳥栖

 

 

2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part18 花蓮から金崙へ

第8日目 1月15日 その3

10:26 大成果を挙げられた花蓮車両区での撮影を終えて花蓮後站に向かいました。手前のヤードではR62号機がセメント運搬車の入れ替え作業中です。
04▲ 左後方にチラッと見えるのがナロー車両の留置場所です。
そしてヤード向こうに塗装が剥がれているLDR2300型らしき車両が見えました。DR2300型として改軌改造を受けた車両でしょうか。事業用にでも使用されているのでしょうか。

01行くには遠く、線路横断を必要としますので近づく事が出来ませんでしたが、次回もいるようであれば、機会を作ってみたいものです。

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梅小路公園便り その訂正と補追

先日「梅小路公園便り」として、整備が進む梅小路公園の現況と、いよいよ姿を現した保存市電の勇姿を投稿致しました。
この件に関して、久しぶりの大雪に見舞われた午後、交通局からわざわざお二人の方がお出で下さり意見を交換致しました。 続きを読む

2014年 絶景の台湾鉄路、冬の旅 Part16 探せナロー車両、花蓮鉄道文化館へ

第8日目 1月15日 その1

03-1朝、台北桃園空港に向けて北上される準特急さんを見送ってから、千住のヤスベーさんとTaxiに乗って鉄道文化館へと向かいました。目的はかつて花蓮站前に展示してあり動態復元なったというナロー蒸気機関車やDCたち探しです。

[googlemap lat=”23.974928634769″ lng=”121.61047013942152″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”16″ type=”G_NORMAL_MAP”]花蓮鉄道文化館[/googlemap]
8:40、花蓮鉄道文化館に到着。
玄関前には日本統治時代をしのばせる松の木が植えてありました。
03-2 続きを読む

梅小路公園便り

以前に旧京都市電の保存車両が、梅小路公園内に展示されると報告しましたが、先日、補修が完了したようで無事公園内に設置されました。
また、同時に当欄も含めて京都市交通局と“やりあった”N電は、動力バッテリー化が完成し展示運転用線路も敷かれて試運転を迎えるのみとなっています。

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

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小さなDD作りました

先月DD40を作ったのですが、パワートラックの味をしめて、今月に入ってからもう1両DDを作りました。中部電力が大井川上流の井川ダム建設用に 昭和29年に私有機関車として日立に作らせたDD104~DD106の35Ton機です。実機は中部電力が大井川鉄道に運転管理を委託し、ダム完成後の昭和39年には104が上武鉄道へ、105,106が東濃鉄道笠原線に移って、それぞれの廃線まで活躍しました。私は昭和45年に上武、東濃でこの3両に出会っていることと、何と言っても地をはうような独特のスタイルに惹かれて模型化してみました。まだ塗装前で、上武機にするか東濃機にするか決めていませんが、恥ずかしながらご披露致します。

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