2013年 春の中国鉄路の旅 Part3 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その1

04_おばあさんとお孫さん_1▲ 今迄公式には撮影を許されなかった广元の監獄鉄道の栄山駅。初めて訪れた駅で迎えてくださったのは、最近訪れています東南アジアの皆さんにも増してのさわやかな笑顔のおばあさんとしっかり寄り添うお孫さんでした。これで天候に恵まれない重い気持ちが吹っ飛びました。ありがとうございました。

02_全体地図いよいよ今日から3日間、監獄鉄道を走るC2型蒸気機関車の撮影開始です。
この鉄路は、四川省广元市郊外の栄山から山の石炭採掘場までの約6キロを走る762㎜ナローゲージの石炭輸送鉄道です。しかし途中には刑務所があって軍の管理下にあるために一帯は未開放地区に指定されています。立ち入りは不許可で勿論、撮影等許されるものではありませんが、蒸気機関車が大好きな鉄ちゃんにはそう言われれば言われるほど興味が膨らみ撮りに行きたくなるものです。
02_路線図そして禁止と言われてもここは中国です。できないことは何もないと信ずる鉄ちゃんはあの手この手を使っても果敢に挑みます。結果、私の聞いているだけでも数10人が捕まり拘束されて始末書を書かされ、折角撮影したフイルムは没収、デジカメデータは削除されて追い返されておられます。しかしデータは現場で消されても復元ソフトで復旧できますので、確信犯覚悟で行かれているわけです。

処がこの厄介な刑務所が昨年6月に移転されて、外国人がこの地区に入る障害が消えました。政府発表はなかったそうですが、これで堂々と撮影が出来るようになったと勝手に理解した鉄ちゃんは8月の稲刈りシーズンを待って参られましたが、現地はまだ厳戒体勢はとかれてはおらず、また島の問題勃発もあって、あえなく御用となられたそうです。
しかしながら優秀な案内人のおかげをもって無事に撮影を何度も続けられておられた方もおられます。この案内人は銀川の寧夏招商国際旅遊有限公司国際中心鄧さんでよく知っています方でしたので、昨年10月にはO氏と一緒に行く予定を立てていました。しかし島の問題は沈静化せずむしろ拡大化してきましたので「君子危うくは近づかず」の精神で取りやめることにしました。

今回も予定には入っていませんでしたが、小竹直人先生企画の興隆鎮森林鉄道ツアーが都合で中止になり代替案として監獄鉄道が上がりました。小竹先生と案内人の鄧さんは先生が中国鉄にハマられてより20数年来の旧知の朋友です。私もいつかは行かねばと思っていましたので、もろ手を上げての参加となりました。

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名古屋市電800型

投稿前に「今週は名古屋市電800型」とバラされたのは初めてです!

今日は早朝から松阪まで出張したので一日遅れの投稿になりました。
帰りの近鉄特急の中で、隣に座ったおばちゃんが通路をはさんだ友達のおばちゃんに話していました。おばちゃん達は榛原から来たようです。
「駅でキップを買うとき、京都までと言うと八木で乗り換えてと言われたから直通があるやないの!と言ったらなくなりましたと言われたわ、サービスわるなったなぁ」とぼやいていました。

名古屋市電800_NEW名古屋市電800(文)_NEW

 

台湾一周駆け足旅行(4)

台湾今昔日記さぼっておりましたが、今回とあと1回ご辛抱下さい。

<3月24日> 台北⇒高鉄台中(新烏日)⇒台中⇒高鉄(新烏日)⇒板橋⇒山佳⇒桃園⇒台北

この日からは単独行動である。今回の旅行の初日(3月20日)は台中駅だけの撮影であったので台中駅から南下した烏日方面で昔(1968年3月)撮影した場所が気になり、再度高鉄で台中に向かった。線路に沿った大きな道路を歩き始めたが、やはり風景が激変している。雨が降ってきたこともあり、諦め気分になってきた。途中で自家用車に乗り込もうとする私の半分くらいの年齢の人に例によって古い写真を見せた。英語がよくできる人で車で2~3分走った盛土上の線路に登る小道を案内してくれた。単なる線路への小道であった。この場所で1~2枚撮るには撮ったが、私の意図した場所ではないので完全に諦めることにした。御礼を申し上げたがこの人はお医者さんであった。台中と烏日の間には大慶という駅ができており、単線が複線化され、さらに高架化工事中であるため、場所がわからなくなっていることは再三述べた。唯一カーブしている場所を電車から撮影してみた。その場所が多分当時の観光号を撮影した場所であろうとして古い写真と比べてみたが、何れにしても長い年月を経たことだけは事実である。

2013.3.24 大慶付近 南下する韓国大宇製区間電車500系の先に左カーブが見える↓

s-13.3.24大慶付近

1968.3.23 台中~烏日 米国GM製R63牽引2車次高雄発台北行き観光号 上の写真奥にあるカーブがこの場所ではないかと思われる。↓

s-68.3.23台中観光号R63

1968.3.23 台中~烏日 R12牽引77車次基隆発彰化行き 日本製で12両在籍。日本国鉄でDF91という試作車で登場。調子がよくなくローカル列車を担当していた。↓

s-68.3.23台中R12

1968.3.24台中~烏日 北上貨物牽引DT681 DT650(D51)形は37両在籍した。このDT681はテンダーが船底型で所謂戦時設計スタイルである。↓

s-68.3.23台中DT681

台中での新旧対比撮影を早々と諦め再び高鉄で台北の一つ手前の板橋に向かった。ここは台鉄、高鉄ともに地下化されており、台中以上に対比撮影が無理なことはわかっていた。何か昔の痕跡でも発見できないかと下車したが、これまた無理であった。現在の板橋駅の駅ビルと昔の板橋駅を見比べていただきたい。当時、ここで私は記念に人力車を運転する私自身と突然現れた蛇を撮影している。とても考えられない板橋付近の現在の姿である。

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都電5500形

関 三平氏の「昭和の電車」は、小田急SE車、近鉄ビスカー、名鉄パノラマカーと続いたので、次は東武の1720系あたりかと予想していたところ、都電5500形であった。
ちなみに今週は名古屋市電800形で、暫く路面電車の高性能車が続くのだろうか。

5500形は5501~5507の7両在籍したが、関 三平氏、乙訓の長老が書かれておられる通り本物のPCCは、WH社のパテントを買って作られた5501のみで、他の6両は国産の技術で作られたWN駆動、間接自動制御の高性能車である。
昭和28年頃PCCの研究のためアメリカからGEタイプとWHタイプ各1両輸入する予定にしていたところ、国産技術で製作可能という意見があったため輸入を取り止め国産することになった。

交通局ではPCCとは別に、WN駆動の高性能車の研究を進めており、27年度製の6000形のラストナンバーを試作車として車体を日本車輌、電機部品を三菱、台車を住友に発注したが、電機部品、台車は先に完成し、車体の完成が遅れていた。

一方PCCの方は部品の製作に時間がかかり、こちらも完成が遅れていた。交通局では広報活動で新型車の導入を告知していたため、完成を遅らせる訳にはいかず、ナニワ工機で急遽新型車と同じ車体を新製し、車体の完成が遅れていた純国産の高性能試作車の足回りを組み合わせて28年11月に完成させたのが、5502である。

5501は半年後の29年5月に完成したが、機器が特殊であることと、コントローラーが足踏式と従来の車両とは取扱が大幅に異なるため稼働率は低かったが、35年7月入場時に通常のものと取替えられた。

純国産の高性能車は車体が完成したものの足回りを5502に取られてしまったため、同じものを改めて新製して29年2月に完成したのが6501である。
車体のサイズは6000形と同じであるが、スタイルは正面2枚窓となり足回りが大幅に変わったため新形式になった。

30年11月から12月にかけて5502をベースにした5503~5507の5両増備され、1系統品川駅~上野駅間で使用された。
42年12月9日、第一次撤去に伴う1系統廃止時に全車廃車になり、この時6501も同時に廃車になった。

5501は解体を免れ、当初上野公園で保存されていたが、屋外展示のため荒廃が進み、平成2年荒川車庫に移された。平成19年5月荒川車庫の隣に作られた「都電おもいで広場」に移され、土、日、祝日に一般公開されている。
車内はギャラリーとして使用するため座席は撤去されているが、片方(道路側)の運転台は登場時のペダル式に復元されている。

「都電おもいで広場」に保存されている5501/ (20-9-27)
平成20年9月29日【345】「都電荒川線の日」記念イベントで使用した画像を再掲する。
5501

復元された運転台/右からアクセル、ブレーキ、デットマンペダルと並ぶ。
5001(運転台)

ナニワ工機の銘板
5501(銘板)

  説明板
都電5501説明板

高輪北町~品川駅前間を走行する5504/ (42-3-26)
5504 42-3-26

品川駅前に到着した5506 / (42-3-26)
5506-2 42-3-26

銀座2丁目~京橋間を走行する6501/ 諸川 久氏撮影 (39-1-1)
東京都交通局が独自に開発したWN駆動、間接自動制御の高性能車。車体完成時に先に完成した足回りを5502に取られたため、改めて足回りを新製した。
車体のサイズは6000形と同じである。
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都電5500形が完成した昭和30年前後は、戦後の路面電車の最盛期で、各都市では盛んに高性能車の研究が進められていた。
直角カルダン駆動、間接自動制御の大阪市電3001形、神戸市電1151形もほぼ同時期に登場している。京都市電は間接自動制御であったが駆動方式は従来の吊掛式であった。

6501の画像を解説する上で、どうしても掲載したく、諸川 久氏にご相談申し上げた処、快く貴重な画像をご提供いただいた。厚く御礼申し上げる。

クローバー会模型班に提案

過日のミーティングで模型班に属する会員から、運転会など模型活動をする場所がないとの声を聞きました。なるほど模型活動をするためには運転会が必要で、そのためには会場が必要です。それから気にはなっていましたがなかなかいい場所が見つからず今日までお応えできずに来ました。

ところで私は高校生の頃から京福電鉄関係者が中心になって蚕ノ社にあった京福寮で運転会をしていた「好軌会」というクラブに入っていましたが、ここ40年ほど離れていました。ところが縁あって今回復帰することになり久しぶりに参加しました。いまは会場も会員のお寺で、会員持ち寄りの立派なレイアウトもあって盛大に運転会を開いておりました。住職が大変な模型マニアで、廃園となった保育園の教室を貸して下さりそこを使わせて頂いており、さらに庭の周りを近所の子供を乗せた700系が走り、ライブスチームまで運転させています。ここを模型班が使わせてもらえば周囲に気を遣わず走らせることができます。今日の運転会の様子をご覧下さい。
もし、ここを使いたいと言うことになれば使うことは可能です。ご住職も快諾して下さいました。費用は無料でいいと言ってくださいますが、電気も使うし水も使うので1回1万円で使わせてもらえる事になりました(この金額は好軌会と同額。また1回とは一日ではなく前日からの設置も含む)。車も4~5台は止められます。ただしレイアウトは持ち込んでほしいとのことです。さらに彼岸とお盆は避けてほしいとの条件がつきます。

一存で話しをしましたので不要ならそれでも構いません。模型班の皆様の感想を聞かせてください。場所は京都市南区で、御前通と新幹線の交差点を東へ200m、新幹線の南側に沿ったところにある蓮華寺です。

いかがでしょうか?本日の写真とともにご紹介いたします。

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流鉄流山線「なのはな」撮影記

流鉄のレポートが藤本氏から出たが、その中で小生の撮影記が出るであろうと書かれていた。精々、コメントくらいにしようと思っていたし、藤本氏が殆ど情報をカバーされているので最早出る幕がない、と思ったが、久し振りなので少しばかりHPを汚してみようと思う。

デカンショ祭り号さんが、出没すると公言されていたので、ひょっとすると、同行歩かねばならないかと思ったが、流山線はロケ範囲が限られているので大したことない、ロケ自体は楽かも。そこでもうすぐ無くなるのではないかと思う京成シティライナーをキャッチしてから行くことにしました。
で、小生は車重が重くなった後遺症で、ばねが痛んでおり、あまり遠距離・高速移動はできないので、のんびり撮影しながら流山まで歩いていこうと、鰭ヶ崎から撮影がてら移動をしていました。最終日は大勢の同業者がそこかしこに溢れており、どこを撮っても同じ。仕方ないので同業者を避け鰭ヶ崎の先、流山よりの陸橋の下の柵の隙間から両手でカメラを思い切り差し出して、1枚ゲット。もう少し広角があれば良かったのですが・・・。

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そのころ藤本氏、デカンショ祭り号氏、新所沢都民氏が線路反対側の近くに居ようとは想像だにしていませんでした。目指す流山方面に移動するには線路の反対に渡らねばなりませんが、渡るには陸橋があるだけです。しかもその陸橋には歩行者用の階段がなく遥か離れた自動車専用の車線まで移動しないといけない欠陥陸橋でありました。上り下りと大回りして途中で休憩、そのときに来た流星(後追い)を1枚。線路沿いに同業者がいます。

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陸橋を越えて線路脇を場所を求めて歩いていると、3人にばったり。これから流山に行く積もりとの小生の予定を無視して、皆さん反対の鰭ヶ崎・小金城址方面に行くという。また、人の希望とは関係なく移動するようでありましたが、折角なので、さっき越えた陸橋を超えて同行することにしました。合流時、場所もパッとせず、やけくそで撮った1枚。こんな写真も意外とよろしいかと。

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あっという間に最終列車の時刻になり、哀別+惜別の表示が哀別+最終になって、2カット終了。そのときには同じようにヘッドマークをつけていた流星号のヘッドマークは既に外されておりました。

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というわけで、ばねが痛んでいる小生としては、2回陸橋を超えてのロケとなりました。来る前に京成も歩いたのであ~疲れたという1日でした。
また、行こう。

三陸鉄道 北リアス線

4月1日からのNHK朝ドラで有名になった久慈駅と三陸鉄道北リアス線の車両達です。ご覧ください。

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夕方の三陸鉄道 久慈駅の外観です。隣のJR久慈駅は工事中でした。

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内部です。ドラマに出てくるセットとそっくりです。(セットがこれとそっくりと言うべきでしょうか) 大きなポスターが貼られています。このポスターが町中に貼られ 「あまちゃん」人気が盛り上がっています。

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八戸線のキハ40 524+キハ48 1508+キハ40 551の3連を受けて久慈18:15で田野畑へ出発した916D キハ36-202です。
今年は桜の開花も遅かったようで ちょうどチューリップが満開でした。

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駅の先の車庫にはキハ36-207と36-602+36-601 36-208が留置されています。
キハ36-207はドラマに出演した車両だそうです。

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915Dで18:54到着、918Dで19:25発 田野畑行きのキハ36-101です。
三陸応援メッセージが書かれています。

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久慈駅を発車し車庫の横を抜けた所の鉄橋を渡り 次の駅 陸中宇部へ向かうキハ36-101です。

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駅のホームの横に留置されていた キハ36-1107です。いい顔ですね。

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三日月とキハ36-1107 キハ36-1103 旧色に戻されたJRキハ40 590です。

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夜の久慈駅に佇む JR八戸線 キハ40 551+キハ40 590+キハ48 1548の3連です。
当時はあまり興味の無かった色ですが、JR後さまざまな色になったキハ40系も今となればこの色が一番似合うなと 最近思うようになりました。

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翌5月17日の朝 久慈5:26発田野畑行き902Dのキハ36-202+36-101+36-207 (田野畑側)です。前2両は幌で結ばれています。

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先ほどの後ろ1両 キハ36-202が普代で切り離され久慈6:39到着の901Dで戻ってきました。
そろそろ新緑がきれいです。

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折り返し久慈6:55発904Dのキハ36-202に乗り田野畑へ向かいました。
トンネルを抜けた野田玉川駅で 903D キハ36-101+36-207の2連と行き違いです。

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このころ乗っていたのは 運転席の後ろに山形から来られた孫連れのご夫婦と地元の男の子と私、客席に女性一名の6名でした。久慈発車時満員だった高校生は陸中野田駅で降りてしまいましたので。

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途中 堀内駅でのスナップです。先ほどのご夫婦のリクエストで30秒+αの停車での撮影会でした。きれいな海です。

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田野畑駅に7:38到着です。この先2駅間は来春開通だそうで それまではバス連絡です。
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小本行きの岩手県北バスです。

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立派な小本駅です。キハ36-101と同じように応援メッセージが書かれています。中で応援グッズも売られていました。かわいいキティちゃん付きのキハのストラップを買ってきました。

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駅の応援メッセージです。手書きできれいに書かれていました。

8:10発のバスに乗り小本へ向かいました。乗客は10数名です。

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間もなく小本駅、8:40に着きます。右が宮古方面です。pict-三陸18
小本 8:50発の804D キハ36-109です。久慈方のトンネル入り口にキハとラッセル車が止まっていました。小本、宮古間は車庫もなく整備はここで行っているのでしょうか?
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9:23に宮古到着です。
増結予定のキハ36-102が待っていました。

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9:31にJR宮古駅から山田線上り盛岡行の快速が発車していきました。

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三陸鉄道 宮古駅です。
以上 三陸鉄道北リアス線でした。途中に見えたきれいな海、一部の新しい線路、運転手や駅の人たちの頑張りと明るい笑顔が印象的でした。また機会があれば訪ねたいと思っています。
犬伏

 

2013年 春の中国鉄路の旅 Part2 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その2 上海からZ122次に乗って成都へ

第2・3日目 5月2日、3日
① 人民広場13:40(地鉄)→13:46上海駅15:00(Z122)→翌日11:29成都
② 成都駅15:53(地鉄)→16:02錦江賓館16:20(リムジンバス)→16:47成都空港

01_切符売場02_切符今日は朝から散歩で鄭州鉄道日記さんから教えてもらったホテル近くの呉宮大酒店の代理切符売場に行って今日発売の切符購入です。
左奥がその場所です。市内の多くはホテルの1階の端にあるのが多いようです。
帰りに「新華書店」がありましたので寄ってみました。さすが中国一の書店だけあって7階まで各階にジャンル分けした本が並んでいます。03_新華書店1向かうは鉄ちゃんコーナーですが、まだまだ中国人鉄ちゃんが増えてきたとはいえそんなコーナーはありません。しかし店員に時刻表はあるかと聞きましたら6階と返事が来ました。行ってみますと鉄関係の本はありましたが殆どは専門書です。くだけた写真入りの鉄ちゃん向けは存在すらありませんでした。03_新華書店2

03_新華書店303_新華書店4▲ ご覧のように殆どの本の表紙は興味が湧くのですが中を見ますと中国語の羅列で専門書です。全国時刻表はそんな中に積んでありましたので買い求めましたが、何と2012年7月号でした。店員に2013年4月最新版があるはずだと申し上げましたが、今あるのはこれだとの返答でした。中国で最も進んだ町がこれですからどこに行っても多分ないのでしょうね。

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流鉄流山線「なの花」さようなら運転

4-28 流山発車
流山駅発車

流鉄の「なの花」編成(クモハ2005+クモハ2006)が4月28日「さようなら運転」を最後に引退した。同編成は平成9年3月、西武鉄道701系の757編成を購入したもので、入線に当りクハ1757-モハ757-モハ758-クハ1758の4両編成を、クハ1757とクハ1758の運転台部分をモハ757とモハ758に接合して2両編成に改造する工事を実施している。

当日は流山発9時発から10往復し、馬橋発14時45分、流山15時7分着の列車がラストランとなった。流山発11時15分の列車からは、西武鉄道の急行「奥武蔵号」風のヘッドマークが取付けられ引退に花を添えた。

当日は当会会員4名が「なの花」の最後の雄姿を撮影するべく訪れたのでその時の模様等も含めて報告する。

前日の27日、「なの花」が運用されることが判っていたので午前中で出掛けたところ、「流星」(クモハ5102+クモハ5002)と共に運用に就いていた。
幸谷から平和台まで撮影しながら歩いたが、同業者は少なく10人位であった。
「なの花」はいつも通りの表情で走行していた。

    幸谷~小金城址間を走行(上は常磐線と武蔵野線の連絡線)
4-27 なの花1

  小金城址駅での「流星」との交換
4-27小金城址交換

小金城址駅を発車した流星
4-27 流星

最終日28日、でかんしょ祭り号さんが出掛けられると聞いていたので合流した。
新松戸駅から幸谷駅に行くと程なく窓上に「惜別」の表示がされた馬橋行の「なの花」が来た。
折返してきた「なの花」に乗り、流山駅の歩道橋上で、でかんしょ祭り号さんと合流した。
ヘッドマークの取付け風景を撮影後、平和台駅の踏切に移動。しばらく撮影後、次の鰭ヶ崎駅寄りの複線分用地の場所に移動、ここで新所沢都民さんと合流した。

世間話等をしながら撮影していると、鰭ヶ崎方向からKawanakaさんが来られた。
総勢4名となり賑やかに陸橋の上や鰭ヶ崎寄りの半切通しで撮影していると、早くも「なの花」の最終列車の時刻になり、次の小金城址駅との間で撮影した。
その後幸谷駅まで電車で移動して大反省会が開催されたが、私は野暮用のためここで失礼した。
当日の模様は、後日Kawanakaさんが、ご自身が撮影された画像と共に報告されるかも知れない。
また、この日のランニングメイトは、27日と同じ「流星」で、こちらにもヘッドマークが取付けられた。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part1 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その1 上海

第1日目 5月1日
① 長岡京→大阪/梅田→なんば→関西空港
② 関西空港10:25(JL891)→11:55上海空港

ミャンマーから帰国してから1ケ月、今度は小竹直人先生からのお誘いを受けて中国へと向かうことになりました。当初は冬に行った興隆鎮森林鉄道の予定でしたが、都合で四川省广元市の有名な監獄鉄道(栄山鉄路)に変更になりました。昨年10月にO氏と行く予定でしたが島の問題発生で仕方なく訪問を断念した鉄路で、初めての訪問です。変更は大歓迎と喜んでの参加となりました。
行程は今年はまだ行っていない同じ四川省の芭石鉄道を先乗りして訪問する予定を組んでいました。丁度田植えの季節でいつもとは違った光景を撮って見たかったのですが、4月20日に芦山地震が発生しました。震源地は約100キロと近くで、成都から向かう高速道路は震災支援復旧輸送の専用道路となってしまいました。一般道は込み合いますので時間が読めません。直前で断念しましたが、集合場所の成都空港に直接行くのは乗り鉄魂が許さず、上海から運行が始まったZ列車(直通)で行く事にしました。

問題は列車の切符手配です。中国鉄路の残席情報を調べてみますと高い運賃の寝台専用列車だけあって当日でも購入できるほど空席があるのですが、乗車予定日の5月1日だけは中国の労働節休暇とあって満席です。いつものように鄭州鉄道日記さんに助けを求めますと、翌日なら平日同様に空席があります。地震の起こったこの時期に四川省に観光に行く人民は極めて少ないでしょう。乗車当日でも切符購入は大丈夫と思います。ただ切符を買って15時発の列車に乗車するのは、もしも飛行機が遅れたりすると無理があります。1日早く訪中されて前日に買って上海に宿泊してからをお奨めしますと教えられました。その通りです。これで出発日は決まりました。

01_ラウンジ上海は久しぶりの訪問です。関空のJGCラウンジは羽田や成田と比べるとしょぼいものでまともな朝食を食べられませんがいつものコンビニおにぎりに大阪もんブランドの「川上さん家の犬鳴豚のメンチカツサンド」が新たに加わっていました。JALの業績復調が原因か、LCCが増えだした関西空港での搭乗客略奪競争が始まったのが原因かどうかは分りませんが、少しでもサービスが向上されるのは大歓迎です。

02_機内食

機内食もグレードアップがされていました。わずか2時間半のフライトですので言うことはありませんが、私の好きな日本酒を乗せていないのは不満が残ります。

着いた上海はうららかな春晴れを迎えていました。こんなに晴れているのでしたら地下鉄に乗って行くのは勿体ないとリムジンバスで市内に向かいました。予約してあるホテルのある人民広場には近いというので乗車しましたが、降りてからたっぷりと30分を歩かされました。しかし良い事もあるものです。途中で鉄路切符の代理販売所がありました。昨夜予定をたてたばかりで最終決定ではありませんでしたが、迷っていても優柔不断の私には中々決められません。いつものように確保できたルートで参ろうと、小竹先生と一緒で決まっている分から買い求めました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 最終稿 Part15 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ58、キハ47

第9・10日目 3月30日、4月1日 その2
① ヤンゴン10:08(国鉄環状線)→イノセン11:08
② ヤンゴン23:45(KE472)→8:05仁川9:15→10:05関空
③ 関空→難波→梅田/大阪→長岡京

DSC_58609:56、ミャンマー最終日はヤンゴン駅から環状線に乗車することにしました。跨線橋での撮影を終えた後、ヤンゴン駅に参りました。

環状線ホームに降りますと欧米人もお待ちです。

03_路線図

01_ホーム01_ホーム2▲ 環状線ホームにある切符売場です。時刻表が掲示されてあるのですが、現地語のために時間も行先も分りません。
02_キハ58_04
環状線の総延長は約48キロ。ヤンゴンの市内を約3時間弱をかけて最高速度約40km/hでノロノロと一周しますので、丁度いい市内観光が楽しめるそうです。現地人だけでなく観光客も利用しています。昨日撮り損ねたキハ52がいるかなあとホームに降りますと、今日はキハ58+キハ47が発車待ちでした。

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都電5500型

PCCカー・5500型に腹違いの兄弟があるとはしらなんだ。京都市電では900型や700型が出る時期で、はるか東京のPCCカーなるものは変な形で900型の方が断じてカッコええ!と思った程度の知識でした。具体的にはどんな電車だったのでしょうかね?都電5500型_NEW都電5500型(文)_NEW

かぎろひ

連休最終日に横浜方面へ出掛ける機会があり、その一日を藤本・INUBUSE両氏の案内で横浜近郊のJR・私鉄を体験してきました。新子安を皮切りに池上線、多摩川線、東横線、京急本線と多種に亘る車両を1日ではありましたが撮ることが出来ました。特に東横線、京急では関西では経験できない、一つの路線上をメトロをはじめ多くの会社の車両が走り回る様を目の当たりに(行き先を見ても想像がつかない)したり、伊賀線の兄弟達にも会えたりと充実した1日でした。両氏には1日時間を取っていただいて、この場をお借りしてお礼申します。写真は整理しています(正直なところ車両/鉄道会社名の区別がまだ付いていません)。さて、今回は横浜に出掛ける当日名張で偶然に出くわした「クラブツーリズムのかぎろひ」を紹介します。団体専用貸切車として12200を改造したものです。かぎろひ1かぎろひ2

信貴電の不思議 村田式台車を考察する。 その1

近鉄生駒線の大和川橋梁の橋脚が複線用となっていることから始まった「信貴電の不思議」はさらに芋ずるのごとく次から次へと「信貴電の不思議」が出現した。天理参考館で買った絵葉書にあったデハ51形の仲間が池上電気鉄道や目黒蒲田電鉄、そして水間鉄道などにも同型車があったこと、そして遠く新潟県の蒲原鉄道にもあったことがわかった。そして、デハ51形が走り出す前の開業時に走っていたデハ100形は日本電機車輌株式会社という謎めいた会社に発注されたが当時の経済環境から自社製造となった電車である。このデハ100形と日本電機車輌株式会社については調べれば調べるほどナゾの深みにはまっていった。そして、このデハ100形については当時としては画期的と思われる村田式台車と言われる台車をはいていたという。とりあえずはこの村田式台車について数少ない資料から考察してみようと思う。

考察するにあたって、私の手元に村田式台車に関する資料として以下のものが手に入れることが出来た。ほとんどが図書館などの複写資料であるが鉄道史料第130号については書店で購入した。

1.特許第29813号 明細書 車台動揺防止装置

2.奈良県公文書 大正10年信貴・生駒電気鉄道 土木課

3.鉄道史料第98号 大正期・大軌関連資料を探る(3)

信貴生駒電鉄創業期の車両について   今井健夫

4.鉄道ピクトリアルNo.727

信貴生駒電鉄開業時の車輌101形を探る  吉川文夫

5.鉄道史料第130号 目蒲・東横 戦前期の車両  高山禮蔵

6、DRFC OB会の長老様より送っていただいた写真と図面のコピー

最近は公立図書館などがネット上でデジタル化された文献などが閲覧や文献の検索ができるので便利である。各図書館で必要とする文献が蔵書されているか調べて、蔵書があればその図書館に行けば目的の文献が閲覧できるのでたいへんに助かる。便利になったものである。上記の1番目の特許明細書と2番目の公文書にあった図面を主にし、その他を参考文献として考察をおこなった。

かつてデハ100形が走っていた大和川橋梁、今は近鉄電車が走る。

かつてデハ100形が走っていた大和川橋梁、今は近鉄電車が走る。

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岳南電車の現況

クモハ7003走行-2
吉原~ジャトコ前間を走行するモハ7003

4月9日「青春18」の消化を兼ねて、昨年3月16日貨物営業廃止以降、話題性が薄くなった「岳南鉄道」改め「岳南電車」を訪れた。

今年4月1日「岳南鉄道」の鉄道部門が分社して「岳南電車」が設立され、親会社の「岳南鉄道」は、不動産事業、ゴルフ場事業、物品販売事業を行い、鉄道事業は子会社の岳南電車が行うことになった。背景には貨物営業廃止による減収により経営環境の悪化があげられる。
沿線自治体の富士市は、2014年度までの公的支援を表明しているが、以降のついては不透明である。

東京駅9時15分発の快速熱海行に乗車、熱海で静岡行の待合せが24分あり、駅前に保存されている「へっつい」を見に行くと以前と向きが変わっていた。
熱海へっつい
静岡行は211系3連と313系2連の5両編成であった。東海道本線の静岡地区のローカルはオールロングシートで211系にはトイレがなく長距離を利用する場合は注意が必要である。
211系

吉原での岳南電車との接続は6分であった。平日用の1日乗車券を購入、値段は700円で岳南江尾までの往復運賃と同額である。休日は400円で更に安い。停車中のモハ7003に乗ると乗客は20人程で、平日のためビジネスマンの姿も結構あった。車庫のある岳南富士岡でED501が見えたので降りて撮影した。パンタが2挺とも上がっており通電されていた。後にはワム380128、ワム380411、ED403、ED291の順に連結されていた。

隣にはデハ7001がパンタを上げて停車、車庫の中ではED403が検査中でこちらもパンタが上がっていた。次の電車(モハ7002)で岳南江尾に向かったが5名程の乗客が降りると一瞬車内はゼロになり私一人の貸切状態であった。次の須津、神谷の駅周辺にはそこそこ住宅が立ち並んでいるが電車の利用には繋がっていないのであろう。新幹線を潜ると直ぐ岳南江尾に到着した。ホームの反対側にはラッシュ時に使用されるモハ8001+クハ8101が停まっていた。帰りはジャトコ前で降りて富士山をバックに撮影後帰宅した。

【現 況】
〔電 車〕

モハ7000形3両、モハ8000形1両、クハ8100形1両の計5両在籍する。
モハ7000形(7001~7003)
元京王井の頭線の3000系の中間車デハ3100形を京王重機整備で両運転台付に改造した。旧車号、改造年月は次の通りである。
京王デハ3103→モハ7001(平成8年12月)、デハ3101→モハ7002(平成9年9月)、デハ3102→モハ7003(平成9年9月)
モハ7002とモハ7003は総括制御が可能であるが、モハ7001は単行運転しかできない。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part14 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ52、のと鉄道NT100

第9・10日目 3月30日、4月1日 その1

今日は深夜便で往路と同じくソウル経由で帰国します。昼間はたっぷりと時間がありますのでヤンゴン駅環状線を見てまわることにしました。まずは昨日ヤンゴン駅到着前に車窓から見つけておいた跨線橋を目指しました。

0832_2列車▲ 8:36、ヤンゴン駅を出発した混合列車ですがどうも入替中のようです。その横を6両編成の環状線の列車がヤンゴン駅から出発していきました。
0839_環状線列車▲ 8:39、ヤンゴン駅に向かう5両編成。これも環状線列車かな。
0843_長距離▲ 8:43、ヤンゴン駅に向かう6両編成。走行路線が違っているので本線のローカル列車と思われます。

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お茶畑新緑、女王様快走

去る5月2日、朝日新聞夕刊大阪版に、『立山ふもと、テレビカー快走』の記事が大きな写真入りで紹介されたそうです。3月末で引退した京阪電車3000系、今も走っている富山地方鉄道だけが紹介され、大井川鉄道は一文字も無かったとか。
そこで、新緑のお茶畑を行く女王様の近況報告です。
5月3日快晴。抜里の新緑が良く似合います。下り千頭行き、14時7分。
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折り返して来た上り金谷行き。家山駅、16時5分。
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翌5月4日、朝から晩まで終日運転、よく働いていました。
下り千頭行き、下泉駅にて交換、8時45分。
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折り返し上り、下泉-塩郷間の横郷付近を快走。9時48分。ここでも新緑がお似合いでした。
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金谷折り返しの下り11時52分、下泉から崎平まで乗車しましたがゴールデンウィークの最中、車内は満員でした。社内移動が出来ず、下車時の料金支払いは、一旦ホームに降りてワンマン運転士に窓から手渡しでした。

3往復目の第一橋梁(川間温泉笹間渡付近)を行く上り。日がすっかり落ちていました。
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なお、翌5月5日早朝、上りの1本を見ましたが、その日は終日お目に掛からず。3~4日に一度のお休みのようでした。

大阪市営地下鉄、半世紀前

大阪地下鉄開業80周年イベント、100型の展示。新聞で見、どんな様子かと思っていましたら、大津の86さんが紹介して下さいました。
そこでこちらは、古い写真を引っ張り出します。
1号線あびこ-梅田間。まだ新大阪駅までが開通する前、1962年3月15日撮影です。
下の2枚は心斎橋駅。
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天井から大きなシャンデリア。この様子は現在も変わっていないようです。
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こちらは、1号線の終点梅田駅。比較的空いている時間帯の様子。
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混雑している時間帯。阪神電車との連絡口のある、梅田駅南側(なんば寄り)の階段上から眺めた様子。まだ島式ホームの時代で混雑の様子が判ります。
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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part 13 ヤンゴン

第8日目 3月30日 

02_駅02_駅構内202_駅構内302_駅構内1▲ ミャンマー鉄道、総延長約5400キロの中心のヤンゴン駅は、英国植民地時代に建築されています。駅舎は東と西ホールに分けられていて天井が高く立派な駅でした。
今日は、皆さん疲れておられますので、駅構内をざっと見ただけで、まず食事をとった後はホテルへと向かいました。
02_駅構内 続きを読む

大阪市営地下鉄80周年イベント

先日、スルッとKANSAIの3dayチケットというのを買って今日はその2回目、今までなじみのなかった南海沿線に行って来ました。淀屋橋から難波に行く地下鉄の中吊りで大阪地下鉄80年のイベントがあり、その中に今日から中之島の大阪市役所玄関前に地下鉄旧100形が展示されると書いてあったので、帰りに寄ってみました。この車両は大阪地下鉄開業当時に使用された100形車両の内の1台で、昭和44年に現役を退いた後、105号車のみが静態保存されています。2005年に大阪市指定有形文化財に指定され、住之江にある緑木検車場に置かれて、イベントの折には一般公開されているようです。今回大阪地下鉄80年のイベントに合わせ、4月27日の夜にトレーラーで運ばれ、市役所の正面にすえつけられました。同時に市役所ロビーではパネル展も行なわれていますので、お近くに行かれた際に、寄ってみられたらいかがでしょうか。但し、展示は車体だけで、台車の代わりに台の上に置かれているのはちょっと興ざめですが・・・

車両の展示は今日から5月24日まで、パネル展は4月15日~5月17日の9:00~17:30となっています。IMG_3888 IMG_3891