どこかにマイルの旅 2023年 沖縄へ Part3 ネオパークの軽便鉄道

第2日目 1月23日 前編

6:00 沖縄に来て初めての朝を迎えました。ホテルの朝食は7時からです。その前に大浴場にも入れますが温泉でないので今回はパスしました。

7:00 朝食開始です。一般的な簡単バイキングですが、モズク入りのお味噌汁、フーチバーなる沖縄料理のお粥があったりで沖縄風のおもてなしがありました。
※ 写真はホテル紹介のHPからの転載です。2日間とも同様の献立が提供されました。

今日は名護市のテーマパーク「名護自然動植物公園ネオパークオキナワ」へ向かい、戦前の沖縄に路線網を張り巡らせていた沖縄軽便鉄道(沖縄県営鉄道)を模した復元鉄道を見学乗車します。その後は国内で一番に咲き始めた桜を見るために「今帰仁城跡」へ向かう予定です。
食後、名護市へ向かうために「ゆいレール牧志駅」から県庁前駅まで乗車、長距離バスに乗り換えます。
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 写真展「煙の記憶」レポート   ❸

山陰本線のC51・C54

「ヘッドマーク」から、第2章の「里を走り、川を渡って~山陰本線京都口の蒸機」に移ります。本展は4つのパートに分けて展示しましたが、それぞれ訴求対象が違います。「ヘッドマーク」は根っからの蒸機ファン向け、そして「里を走り、川を渡って」は、ご来場では最も多い地元、なかでも高齢の方々へ向けてのテーマでした。京都人の蒸機の思い出と言えば、やはり山陰本線だと、私も体感的に感じていました。さらに深耕するために、“二人展”のメリットを活かしました。すなわち、人間国宝さんが撮られた昭和30年代のC51・C54、私の撮った昭和40年代のC57と、異なる年代の二人展だからこそ、時代の幅が広がったのでした。山陰本線テーマは的中し、「保津峡へ来たら、窓を開けたり閉めたりしましたわ~」の感想が何度も聞かれました。会場へ入って、真正面に見える奥のコーナーから山陰本線を始めることになった。目立つところに、何を持ってくるか、やはりこれしかなかった。亀山区で最後まで残った原型C51として有名なC51 225だった。亀山区の印象が強い同機だが、昭和26年から10年間も梅小路区に配置されて、山陰本線の旅客を牽いていた。正面形式入りのナンバープレートは、同機ならではの魅力だ。

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ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より(2)

最近は若い世代の会員がちがった視点からの投稿をして下さっていて、活気が出てきたと嬉しく思っています。
一方、我ら老会員にはついて行けない話題もあって「古い話題」で対抗するつもりです。昭和40年代以前の世代、ガンバロウ!

宮崎繁幹さんは現役時代にアメリカでゴードン氏に出会い、友情をはぐくまれたご縁でこれらの貴重な画像を委託されたと聞きました。このご縁を大切にされていて、我々にも今回の企画が許されました。鉄道趣味とはこんなにもありがたく、楽しいものだとつくづく感謝する毎日です。宮崎さん、ありがとうございます。

では続けます。

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お城と電車(16)宇和島城

城の立地するところは高台にあったりして天然の要塞のような場所が多く、敵から攻撃されにくい。現在各地にある城も築城以前にはそのような砦跡のようなものがあった事例は多い。宇和島城も、戦国時代に既にあった小規模な城塞を豊後の大友氏に攻められている。その後城づくりの名人藤堂高虎により本格的に着手された。元和元(1615)年仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が入城し、寛文2(1662)年2代目藩主宗利により大改築された。以降、伊達氏歴代の居城となった。幕末の藩主宗城(むねなり)は松平春嶽、山内容堂、島津斉彬とともに幕末の四賢侯のひとりといわれ維新後も政府の要職に就いた。

1998.5.2 宇和島城残存天守 駅から少し高い所を登ったので平山城である。▼

1998.5.2 伊予市から途中伊予大洲城に立ち寄り昼前に宇和島駅到着。メモにはキハ326に乗車とあるが、宇和島駅の記録は1枚しかない。▼

宇和島は今でも遠いと思う。

 

 

 

どこかにマイルの旅 2023年 沖縄へ Part2 旅立ち

望んではいなかった沖縄行きですが、一旦申し込むと日時・目的地の変更が出来ないのがJALの「どこかにマイル」のルールです。幸い沖縄にはまだ見たことも乗車したこともない「ゆいレール」や戦前には走行していた軽便鉄道の廃線跡も残ってはいますのでわずかながらも鉄分補給にはなるかなと出かけることにしました。暖かいであろう沖縄へは8回目の訪問です。
服装ですが、10年に一度の大寒波が来ていますので出る時は極暖ヒートテックにカシミヤタートルネックセーター、上着はダウンコートを着込みました。逆にリックには海水着やTシャツ類の夏用仕様を詰め込み、カメラはコンデジ1台と一眼レフはNikonD500に18~300㎜ズームレンズ1台だけにして軽装にしました。

第1日目 1月22日

① 長岡天神 13:03(阪急・特急)⇒13:28 十三 13:33(急行)⇒13:43 蛍池
② 蛍池 13:56(大阪モノレール)⇒13:59 大阪空港
③ 大阪空港 14:55(JL
2087)⇒17:20 那覇空港

前回12月に北海道に行きました時は早朝8時の便でしたので遅れてはいけないと前夜就寝できず寝不足で困りました。今回は第1便を避けましたが大阪空港から那覇空港へのフライトは1日2便しかなく第2便は午後で到着は夕方になってしまいました。これではホテルにたどり着くのがやっとで当日はどこへも行けません。

ここはどこ?わたしはだれ?ーGordonDavis氏作品より

デジ青へ多大なご協力を頂いている宮崎繁幹様から当探偵団に次のようなお手紙を頂きました。

《GordonDavis氏作品集として「思い出す日本の鉄道」という写真集を刊行して20年近く経ちますが、これは同氏が撮られた中から国鉄を主体としたものでした。続いて私鉄編を出す旨公表したのですが撮影場所不明なものが多く、出版にこぎ着けられませんでした。今回はデジ青探偵団のみなさまのご協力が得られそうなので期待しております》

宮崎さんは多くの鉄道研究家から信頼されて、その方々が撮られた写真を所蔵管理されています。しかし、撮影場所などデータ不足で日の目を見ないものも多いと聞きました。そこで私がお役に立てればと「エエカッコ」をしたのです。

ということで、当探偵団の実力拝見と、先ず関西中心の写真を送ってきて下さいました。私からは「全国津々浦々、鉄道ならば場所は特定できる!」と豪語した手前、サンプリングで躓くことがあってはなりません。
どうか諸探偵の皆さん、宮崎さんが「これならいける!」と評価下さればさらなるご依頼が見込めるので張り切って調査をお願いします。なお、写真には全く手を加えておりません。撮影場所、時期、車両に関してウンチクを傾けて下さい。

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愛称線名 続き

一月も終わりですね。毎年同じことですが、昼間の時間は徐々に長くなってきました。皆さんお元気のことと思います。迷図作家の関先生の高槻の中学、高校時代の同級生が私の先輩で今日軽い食事をしてちょっとした鉄道話をしました。愛称線の話を持ち出しましたところ東武鉄道のアーバンパークラインとスカイツリーラインの話をされました。お互いに古い人間であるからかもしれませんが、アーバンパークラインは野田線であり、JR琵琶湖線のような間違いは起こさないと思いますが、しっくりこないとのことです。パークラインは公園なので多分清水公園のこと指していると思います。沿線には大宮公園もあり、正解は分かりません。スカイツリーラインは伊勢崎線とありますが、ピンときません。そもそも東京スカイツリー駅(元は業平橋という伝統のある駅名でした)の近くの北千住駅まであたりだけのことと思っていましたら、伊勢崎線全部になるようです。ところで私個人は最近まで東武=日光というイメージから浅草-日光間を日光線と思っていましたが、東武動物公園-日光間が日光線だそうです。話は飛んで最近の市町村の合併の話が出て栃木県にさくら市というのがあるそうです。氏家町と喜連川が2005年3月28日に新設合併してできたそうで桜が売り物だそうです。当会にも千葉県の城下町佐倉にお住まいの方がおられますが、佐倉の方はどう思っておられるのでしょうか。また、群馬県には2006年3月27日に新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村の2町1村の合併でみどり市という市ができたそうです。この様な例は日本全国まだまだあるでしょう。さらに旧駅名の話も出てDRFCの方なら都道府県をまたぐ駅で与瀬-浅川はご存知と思いますが有名なので今の駅名は指し控えましょう。もう奈良の駅名研究家さんから出たかもしれません。ここでアーバンパークラインの写真を貼り付けます。スカイツリーの写ったスカイツリーラインはどなたか撮られていれば貼り付けてください。

2013.9.19  大宮公園-大和田 柏行き61602 烏に邪魔された!

2013.11.20  釣り人も見られる古利根川 春日部-藤の牛島間の柏行き8410

2020.8.8 新柏-増尾 船橋行き8464の車体には東武アーバンパークラインの文字が入っている。私鉄一形式で最大両数を誇った経済車8000形も支線を除くと少なくなってきた。

駅名喫茶店(第27回:都道府県境に関わる駅名 和歌山編)

車を走らせていると、都道府県境をまたいだときに「ポン♪ 大阪府にはいりました!」と軽快な声でカーナビ君が知らせてくれます。一方で鉄道を利用していると、いつの間にか大阪府に入っていたといった経験はたくさんあるかと思います。

そこで、皆様に鉄道路線での都道府県境またぎを意識していただくために、都道府県境の両サイドの最寄り駅名をまとめてみました。2回目は、和歌山県編です。

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 2023年版 雪が降ったら、やっぱり叡電へ

24日(火)晩からの“最強寒波”、京都付近のJRトラブルばかりが耳目を集めましたが、私も写真展片付け後は、危うく難を逃れました。電車内に閉じ込められた方から見ると、不届き者以外の何物でもないのですが、私はワクワクして翌日を迎えました。目を覚ますと約15センチの積雪、もう行くところは叡電に決まっています。このタイトル「雪が降ったら‥」は、2017年の投稿にも同じように使っていました。やることに、全く進歩がありませんが、私の家から30分で終点に到達できるのですから、これが京都の良いところです。他人様の写真ばかりを紹介して得々とするなと言われそうですので、今回は「現役老人」を示すためも、久しぶりの雪中撮影をご紹介します。フリーキップ「ええ、きっぷ」を握りしめて、まず着いたのが八瀬比叡山口駅、ちょうど、ほぼ同時発着の「ノスタルジック」731号と、「ひえい」の並びが見られた。これは2番線から発車がある場合のみに見られる、数少ないシーン。

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 写真展「煙の記憶」レポート   ❷

蒸機の“顔”も展示

山科の人間国宝さんが撮られたヘッドマーク付きの蒸機には、前回の走行写真だけでなく、形式写真、蒸機の正面、ヘッドマークのみもあり、意識してヘッドマークをテーマに撮り続けられていたことが分かります。本展示では、蒸機の正面に絞って、A4サイズで展示し、全体の流れのなかでアクセントとなるようにしました。たしかに正面写真は、いちばん車両の特徴が表れた、まさに“顔”とも言うべき部位で、写材としても最適でした。以前の鉄道雑誌にも「電車の顔」と言ったタイトルで、正面ばかりをカタログ的に並べた企画があって、その個性を楽しんだものでした。

やはり注目を浴びたのはヘッドマークを付けたC51だった。年寄りにしか反応はないかと思ったが、意外にも若い人たちからも「これは貴重ですね」という声を多く聞いた。写真は、いずれも快速時代の「いずも」の牽引に当たった化粧煙突のC51で、左は若番号のC51 3[米]米子区、右はC51 122[米]浜田区(既出)、いずれも昭和29年10月

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 写真展「煙の記憶」レポート   ❶

本欄でも紹介済ですが、1月18日(水)~24日(火)の7日間、山科の人間国宝さんとご一緒に、写真展「煙の記憶」を行なっていました。クローバー会の皆さんはもちろん、コメントを頂戴している外部の皆さん、「デジ青を見て新幹線で飛んで来ました」と初対面の方が来られたりと、地元から遠方まで、老いも若きも、男も女も、多くの皆さんと対話ができる貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

写真展が終わって何らかの報告をと思ったのですが、手前味噌なことを書くのも気が引けますので、ここでは、展示写真のなかから、山科の人間国宝さんの許可もいただいて、とくにポイントとなる写真をピックアップしてご紹介したいと思います。

会場のエレベータが開いて、ギャラリーの全体がパッと眼に飛び込んだ時の“ワクワク感”を大事にした。そのため、真っ先に持って来たのが、テーマ1「栄光の証し、輝かせ」だった。すべて山科の人間国宝が撮られた、昭和30年代、蒸機に掲げられたヘッドマーク(愛称板)だった。山科の人間国宝は、山科の大築堤を行く、ヘッドマークを掲げた「つばめ」「はと」に感激し、蒸機に限らずヘッドマークを掲げた列車を撮るため全国を巡られた。

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JR愛称線について

日経新聞1月25日の夕刊を見ると「最強寒波で近畿 列車数時間立ち往生」という記事が出ていた。JR京都線とJR琵琶湖線で24日夜、大雪のためポイントが複数箇所で切り替えられなくなり、JR西日本は同日午後8時ごろから運転を見合わせた。高槻駅と山科駅間で計15本の電車が乗客を乗せたまま、線路上数時間、立ち往生した。この様な内容で地図も掲載されていた。長時間の立ちっぱなしは私のような高齢者なら耐えられなく体調が悪化すると思う。

ところで、関西のJR愛称線は出来てもう時間が経って定着してきたものと思うが私など古い古い人間は神戸線、宝塚線、京都線と言うと阪急のことと思ってしまう。因みにJR神戸線は大阪-姫路間、JR宝塚線は大阪-篠山口間、JR京都線は大阪-京都間でここまでは間違えなかったが、JR琵琶湖線は京都-米原間と思っていたが、長浜までである。JR嵯峨野線は京都-亀岡間でなく園部までである。JR大和路線はJR難波-加茂間である。JR東日本でも宇都宮線は東京-宇都宮と思っていたが黒磯までである。一般の人には正確に区間が分からなくても愛称に慣れてもらい利用し易いことが重要なのだろう。ローカル線では誘客のため無理につけたと思われる愛称線名もある。万葉まほろば線、愛ある伊予灘線、宇野みなと線、阿波室戸シーサイドライン、よしの川ブルーライン、しまんとグリーンライン、阿蘇高原線、ゆふ高原線、あまくさみすみ線、若松線、福北ゆたか線、原田線、空港線、えびの高原線、うみねこレール八戸市内線、はまなすベイライン大湊線、奥久慈清流ライン、森と水とロマンの鉄道、ゆうゆうあぶくまライン、ドラゴンレール大船渡線、銀河ドリームライン釜石線、奥の細道湯けむりライン、奥の細道最上川ライン、山形線、フルーツライン左沢線、男鹿なまはげライン、学園都市線、花咲線等々まだまだあるのかもしれない。さて、地図に戻って琵琶湖線であるが、湖西線の方が琵琶湖はよく見える。琵琶湖線は湖東線の方がいいような感じがするが、そこは東海道本線。愛称には日本一の琵琶湖を入れたかったのだろう。それに湖西線は愛称ではなく正式な線名である。

駅名喫茶店(第26回:「・」を含む駅名)

寒波到来でぐっと気温が低くなりました。そんな時こそ、駅名喫茶店で一服してくださればと思います。

今回は「・」を取り上げました。中黒というものでしょうか。「・」を含む駅名をまとめているサイトを確認することができませんでしたので、おそらく本邦初(?)かと思います。それほど、「・」に需要はないということでしょうか。【2023/4/1加筆修正】

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見ました! 広島駅伝

西村雅幸さんが宮島口、阿品東、地御前神社、荒手車庫、広島駅前等々広電を取り巻く近況を詳細にレポートされた。どこもそうであるが広電は全体には撮影しづらくなった印象である。奈良の駅名研究家さんは駅伝のこともコメントされており昨日23日(日曜日)の大会をテレビ観戦した。都道府県対抗の男子駅伝で長野県が優勝した。個人的には兵庫県を応援していたが8位であった。箱根駅伝では箱根湯本あたりで小田急がチラッと見えることがあるが、広島駅伝は広電の宮島線がかなり並行しており、箱根の比ではない。昨日は結構長い間選手と電車の併走が見られた。「お前何を見とんのや」と言われればもちろん電車である。

さて、広島地方は最近とんと行ったことがないが、今回は過去に記録した個人写真を投稿するとともにいつも広島だよりといろんなコメントをされている西村さんに敬意を表したい。

最初は高校生の修学旅行時に写した宮島口の駅と蒸機列車である。この写真は以前発表したことがあると思う。日時は1962年10月24日6時35分で列車は前夜21時32分に大阪を出発した233列車八代行きで八代到着は20時13分である。機関車は下関区のC5953でこの頃の山陽本線は戦前型C59は少なかったので貴重に思った。▼

次に荒手車庫で1977年11月8日に撮影した1076で元は阪急の500形である。私にとっては今津線で小、中学の通学で毎日利用していた懐かしい車両である。ご覧のようにマルーンからオレンジとアイボリーのような色に変わり、さらに扉の位置が変更されているが、正面の顔は昔の面影が残っている。▼

同じく懐かしい車両で元阪急の210形の1082である。学生時代嵐山線に行くと大体これか200形なまずが居た。神宝線610形と同じようなスタイルであるが、1編成しかなかった。これも塗装と扉位置の変更はあったものの顔はそのままであった。▼

海がよく見える阿品東のあたりを行く宮島口行き3907を撮影。 2008年9月7日▼

広島市民球場が最後を迎えるというので対阪神戦を見に行った。907は元大阪市電2601形で広島に来て冷房化された。2008年9月7日▼

最後に毛利氏の広島城で同じ9月7日の撮影。▼

 

どこかにマイルの旅 2023年 沖縄へ Part1 旅立ち前

治まるかに見えたコロナ感染は再びとどまるところなく広がってきています。旅好きの私としては。まだまだ海外へは行けずストレスは溜まる一方でガス抜きのためにまた国内へ出かけることにしました。かと言って高齢の年金生活者に金銭的な余裕はありません。コツコツと貯めていますたJALマイレージマイルだけはまだありますので最小限にコスパよく利用できる「どこかにマイル」にまたチャレンジすることにしました。

【 JALのどこかにマイルの旅 チャレンジ 】
貯めたマイレージ 6.000マイルを提供すればJALから4か所の空港リストが提示されます。4ケ所のどこになるかは直ぐには分からず、申し込みを完了した後日にJALから一つの空港に決まったと連絡が来ます。選択決定権はJAL側にあり、我々には選択が出来ないのがつらい処です。この時点ではもうチャレンジ中止はできませんので最初に提示された4か所の空港が希望に叶う空港でなければなりません。チャレンジはPC、タブレット等の各端末から1日100回を限度にできますので辛抱強く待つことが必要です。
▲ 待つこと数10回、リベンジに望んでいた札幌行きと沖縄・長崎・隠岐が付いたプランが表示されました。札幌行きは中々プラン出しすることはありません。これに決まるように願望しながら申し込みました。
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お城と電車(15)

北陸唯一の現存天守が丸岡城である。城主は信長の家臣で秀吉のライバルでひげもじゃが特徴の柴田勝家の甥の柴田勝豊により1576(天正14)年に築城された。勝家の正室は信長の妹で美貌のお市の方である。お市は浅井長政に嫁ぎ小谷城で信長に攻められたが3人の有名な娘共々逃れることができた。その後柴田勝家に嫁いだ。丸岡城の石垣は荒々しい野面積みである。丸岡城が有名なのはショートセンテンスの元祖「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」という手紙文である。一筆啓上は家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻にあてたものでお仙は後の丸岡城主本多成重の幼名仙千代である。丸岡城は桜が有名で霞ケ城とも言われているが訪問したのは1991年2月22日の雪の日であった。駅から離れていてタクシーを利用した。福井地震でかなりやられたが修理して重要文化財となり現在に至っている。建物内部には急な階段があり今なら上るのも厳しい。尚、浅井長政の小谷山城跡は崩れた石垣などが残っており当時の戦いを偲ぶことができる。また、秀吉、勝家の古戦場賤ケ岳や織田・徳川連合軍対浅井・朝倉連合軍の姉川の合戦場も近くにあり戦国ファンには見逃せない地域である。▼

城見学の後は倶利伽羅に行っている。途中、小松駅で撮った写真が残っている。青森行き特急「白鳥」クハ481-36とクモハ475-53普通電車。▼

お市の方は最後は柴田勝家と福井城で自害したと言われている。丸岡城訪問の朝、福井城(越前北庄城)の石垣を撮影した。▼

【飲み鉄】豊橋の「おでんしゃ」で飲む。

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今年はうさぎ年なのでジャンプを・・・と年末年始の番組で盛んに使われていた言葉だ。その言葉通り、年初から忙しくなってきた。
小生は鉄道友の会にも加入しているのだが、そちらの知り合いから豊橋の「おでんしゃ」に乗らないかと誘われた。まだ乗ったことも無いし、一人で乗るのは困難なので2つ返事で参加すると答えた。
そして、その方の知人で、豊橋の市内線から歩いて3-4分の所に住む会員の方が予約を取ってくれたらしい。聞くところではなかなか予約が取れないそうで、今回は日曜日の昼便との事だが、「呑み助にとっては時間は関係ない。」と昼飲みが決定!
体調などに万を持して「いざ豊橋へ」。
豊橋駅で待ち合わせ場所に着いたら、すでに車両がやって来て待機していた。
おでんしゃの舞台、豊橋鉄道3200形。  豊橋駅前のデッキから。

さあ、ホームへ行こう。
車両が入って来た。3200形(元名鉄580形)の3203号が使用されている。
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 写真展「煙の記憶」、会場でお待ちしています

ことし初めての「デジ青」投稿となりました。投稿テーマだけは、新春から沸々と湧いて来るのですが、高齢化による実行力や集中力がさらに低下して、ことごとく企画倒れに終わってしまいました。結局、明後日18日(水)から行う、写真展のお知らせが、ことし初めての投稿となりました。

 佐竹保雄・福田静二鉄道写真展「煙の記憶」

  2023年1月18日(水)~24日(火)11:00~18:00(最終日16:00まで)

  祇園「ぎゃらりぃ西利」 京つけもの西利祇園店3階 (京阪祇園四条下車)

山科の人間国宝さんとの写真は、2021年、ひとまち交流館京都での写真展以来となります。こちらで勝手に二人展などと称して、厚かましいこと甚だしいのですか、年代差のある二人展だからこそ、年代幅が広がった、より広範囲な写真を展示ができると考えています。

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広電近況

広電西広島駅や宮島口駅のリニューワル工事が一段落し、現在は広島駅ビルの建替え工事が本格化し、広島駅前をはじめ広電沿線の風景がどんどん変化しています。久しく広電の撮影をしていないので、1月11日に宮島線を中心に沿線を歩いてみました。

宮島口駅に到着した3801

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駅名喫茶店(第25回:「センター」を含む駅名)

準特急様から頂戴したお写真の中に、「京王多摩センター」の駅名標がありました。サンリオのキャラクター(ポムポムプリン)が描かれており、サンリオファンにも好まれていそうな可愛らしいデザインだと思いました。

ということで、今回は「センター」を含む駅名特集です。ちなみに、「センター」とは広辞苑第5版(岩波書店)で、・・・④ それぞれの分野の中心となる機関・施設とあります。【2024/1/23再修正済み】 続きを読む