西村雅幸さんが宮島口、阿品東、地御前神社、荒手車庫、広島駅前等々広電を取り巻く近況を詳細にレポートされた。どこもそうであるが広電は全体には撮影しづらくなった印象である。奈良の駅名研究家さんは駅伝のこともコメントされており昨日23日(日曜日)の大会をテレビ観戦した。都道府県対抗の男子駅伝で長野県が優勝した。個人的には兵庫県を応援していたが8位であった。箱根駅伝では箱根湯本あたりで小田急がチラッと見えることがあるが、広島駅伝は広電の宮島線がかなり並行しており、箱根の比ではない。昨日は結構長い間選手と電車の併走が見られた。「お前何を見とんのや」と言われればもちろん電車である。
さて、広島地方は最近とんと行ったことがないが、今回は過去に記録した個人写真を投稿するとともにいつも広島だよりといろんなコメントをされている西村さんに敬意を表したい。
最初は高校生の修学旅行時に写した宮島口の駅と蒸機列車である。この写真は以前発表したことがあると思う。日時は1962年10月24日6時35分で列車は前夜21時32分に大阪を出発した233列車八代行きで八代到着は20時13分である。機関車は下関区のC5953でこの頃の山陽本線は戦前型C59は少なかったので貴重に思った。▼
次に荒手車庫で1977年11月8日に撮影した1076で元は阪急の500形である。私にとっては今津線で小、中学の通学で毎日利用していた懐かしい車両である。ご覧のようにマルーンからオレンジとアイボリーのような色に変わり、さらに扉の位置が変更されているが、正面の顔は昔の面影が残っている。▼
同じく懐かしい車両で元阪急の210形の1082である。学生時代嵐山線に行くと大体これか200形なまずが居た。神宝線610形と同じようなスタイルであるが、1編成しかなかった。これも塗装と扉位置の変更はあったものの顔はそのままであった。▼
海がよく見える阿品東のあたりを行く宮島口行き3907を撮影。 2008年9月7日▼
広島市民球場が最後を迎えるというので対阪神戦を見に行った。907は元大阪市電2601形で広島に来て冷房化された。2008年9月7日▼
最後に毛利氏の広島城で同じ9月7日の撮影。▼