駅名喫茶店(第54回:「台」を含む駅名)

漢字一文字シリーズ、今回は「台」を含む駅名です。皆様は何駅訪ねたことがありますか。住宅地が多く、意外と乗降する機会はないかもしれませんね。

GWも駅名喫茶店は開店です。皆様、どうぞご一服くださいませ。

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つれづれの記(4)憧れの山科 河 昭一郎

久しぶりの河 昭一郎氏からの投稿です。例によって米手作市がお手伝いを致します。
先日の宮崎繁幹さんからのご投稿も湘南電車・80系でしたから、時を一にして東の大家お二人が同じ話題を選ばれたことに驚いています。河さんは山科築堤で電車を撮影されたのですが、ここは一般的には蒸機列車の晴れ舞台です。ここで国電を撮るとどんな写真が撮れるのか、特に私はゲタ電がここを走るのを見たことがなく興味津々です。

《山科の築堤》

今回は、鉄道ファン、なかんずく国鉄(国電)ファンなら必ず詣でなければならなかった?「山科」のカーブです。

「憧れの山科カーブ」を訪ねたのは京都の予備校に通っていた浪人時代の事で、あの広々とした築堤上で、バックの比叡山に息を吞みながらの感激もヒトシオでした。

小生を築堤に立たせたのは?と思い起こせば、それは迫力のSL写真を世に発表された先人の方々の足元にも及ばぬ「国電」=「びわこ臨」でした。

当時、関西の国電(各停)はご存知「京都~西明石」の限定運用でしたが、東海道線全線電化後は従来のSL列車を置き換えた80系が米原まで入り、それは京都以西の快速電車との共通運用でした。

それに呼応して夏・冬に京都以東の湖東線に臨時電車が運用されるようになりましたが、車両不足は否めず、大アカ、大タツの70系のみを抜き出した予備車を掻き集めた臨時対応でした。当初は「芸が細かく」70系を掻き集めた6両編成の前後は茶坊主クハ76で固め、クハ86編成の向こうを張ったスッキリした編成でしたが、後には72系やクハ68のゴチャ混ぜ編成となって「地に堕ちた」感が一杯で、大いに落胆したものです。

さてさて、キッカケが湖東線臨電だった事も有って、小生の写真は大御所の方々の迫力有るSLとは雲泥の差が有るのを承知の上でご覧下さい。

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 叡電“二ノ瀬”に ぞっこん

新緑が美しい季節になりました。家に籠り勝ちの高齢者も、写しに行きたくてウズウズします。コロナ以降、撮影は「テーマ限定」「短時間」がスタイルになりました。最近、足繁く通っているのが、叡電二ノ瀬です。同じ叡電の八瀬、三宅八幡は以前から、お気に入りとして何度も行っていますが、最近は、二ノ瀬も加わりました。“紅葉のトンネル”として知られている二ノ瀬ですが、最近は“青もみじ”の頃にも、市原~二ノ瀬は徐行運転が行われ、ことしは、夜間ライトアップして特別列車も運転されています。つい一週間前にも二ノ瀬へ行ったが、両側は山が迫ってモミジが覆い被さっていて、陽が射し込まない。午後が適切と踏んでいたが、時間は過ぎていて電車は日陰のなかだった。詳細な方角を検討すると、陽が射し込むのは、午前中のある時間帯だけと判明、一昨日、晴れ間に再度行ってみると、みごと的中して“青もみじ”の「きらら」が撮影できた。

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笠置のこと

ゴールデンウィークに入ったが、各人どのような計画をお立てだろうか。総本家青信号特派員さんが草津線に続いて関西線本線やナローの私鉄等の思い出の作品を報告されている。どれも立派な写真や記事を自主投稿され続けていることに毎度のことながら頭が下がる。そのような中で笠置駅のD51と見事な桜(2023年4月18日投稿)が目に留まった。私自身は笠置は景勝の地であるが降りたことはなく、ただ、1963(昭和38)年5月3日に亀山に蒸機を撮りに行った時に笠置駅に名古屋区のC57102が臨時列車を牽いて停車したのには驚いてシャッターを切ったことがある。ゴールデンウィークの真っただ中で行楽客を運んでいたものと思われる。通常、名古屋や稲沢の機関車は関西本線は亀山までの運用であったが、珍しく加太を越えて来たようである。▼

戦後という言葉も使われなくなったこの頃は高度経済成長期に入っていた。笠置駅も行楽客が大勢下車したが子供の姿は見受けなかった。832D奈良発笠置行きキハ3613。次の列車迄の20分待ちの間にキハ55系準急かすが1号+はまゆう+平安1号も撮ったがどういう訳かフィルム劣化で見られる状態でなく割愛した。▼

亀山区での定番の撮影場所。C51225は倉の中で撮影には不向きの状態でありボックス動輪のC51240とパイプ煙突のC5152は原形くずれで不満であった。不満と言えば、亀山まで来ていた名古屋区のC55は北海道に移った直後であり本州では豊岡、和田山だけになってしまったことである。▼

帰りに寄った奈良機関区は扇形庫にD51、C57、C58が一杯入っていた。この辺りは今はどうなったのか知りたいものである。奈良の駅名研究家さん専門外かもしれませんがどうでしょうか。▼

笠置駅で思いがけず出会ったC57102はこの日亀山からの帰りに奈良区に寄ってみたら既に方向転換をして名古屋に戻る準備ができた状態であった。モノクロでは分からないがナンバープレートは勿論赤ナンバーであった。 ▼

越美線乗車記ー繋がるはずだった鉄路を疑似体験する

昨年11月のクローバー会総会で少しだけお話しました、長良川鉄道と越美北線の乗り継ぎツアーのレポートです。

長良川を上り、岐阜と福井の県境を越え、九頭竜川を下り太平洋から日本海へ。
長大なローカル線に温泉、星空見学と観光も乗り鉄も楽しめた盛りだくさんな内容でした。

清流、長良川を眺めつつ幻の鉄路で日本海を目指す

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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 10 越美北線・福井鉄道

第5日目 4月8日

6:40 朝起きて部屋から見た外の光景です。相変わらず雨が降っていました。

今日は、2003年桜前線追っかけ旅の最終日です。予測した撮影地での桜満開は何とか間に合いましたが天候には恵まれずで思った撮影はできませんでした。来年も来られるなら撮影地と晴天日を絞ってしなければと思いました。
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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 9 越美北線

第4日目 4月7日

今日も雨で朝から本降りです。ゆっくりの朝食タイムとして8時にホテルを出発しました。
▲ 今日の撮影目的地は花桃で有名な越美北線勝原駅です。前回来た時は7分咲き程度でしたので今回は満開を見られることを期待しています。満開時はほぼ同じ時期と今迄の経験で確認していますので楽しみです。続いて行きたいのは一乗谷駅ですのでカーナビはこちらにセットしました。一乗谷までは129㌔、所要時間は約3時間の予定です。
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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 8 長良川鉄道Ⅱ

第3日目 4月6日

民宿「かんだ」の朝食は 7:30からと言われましたがそれでは朝一番の列車を撮ることは出来ません。民宿のオーナーに出かけるので食事は7:45頃に食べますと申し上げて出発しました。▲ 6:50 昨日のロケハンで下り列車撮影には気に入った白山長滝~北濃に着きました。7:02 、小雨降る中、しばらくすると北濃行の501次が最後の上り坂を上がってきました。 続きを読む

2002年6月23日の上笠田

 ぼくたちにとっては北勢線は上笠田。ぼくたちとはKくん、Hくんと私の3人。1971年10月、最初に私は上笠田を訪れています。このときは私ただ1人でした。それから2年後の1973年9月に突如として急行たかやまに乗って3人で上笠田へ(詳細はデジタルでない「青信号31号」に)

 それから29年経ってから、私1人で上笠田を訪れています。2002年6月23日でした。このときは車で行っています。当時、滋賀県多賀町で単身赴任をしていましたので山を越えれば上笠田のある三重県いなべ市に行くことができます。山越えの国道306号線を東へ走り上笠田へ向かいました。この国道はいつも冬期は通行止めです。しかも険しい鞍掛峠を越えなければなりません。1972年にトンネルが開通して舗装はされましたが、それでも厳しい道でした。

 ↑ 山越えの麓の集落 大君ヶ畑(おじがはたと読む)

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ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(9)

久しぶりに宮崎繁幹さんから「ここどこ?わただれ?」に問題が出されました。
今回は、前回の「ロケ風景」での敗北を踏まえて、主題を「関西急電」に絞っての出題です。珍しい写真ですが、一部は撮影場所と撮影時期の判明しているものもあります。でも関西の皆様にぜひ見て頂きたいとお送りくださいました。

どこが珍しいか、どこで撮したのかを考えてください。

⇧いつ頃、どこで撮ったか分かりますか?

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お城と電車(19)松本城

最近は城ブームなのか各地の城をテレビでもよく見かける。スマホで見ると今回の松本城は人気ナンバーワンになっているが、松本城は三名城にも入っておらず国宝(他に姫路城、犬山城、彦根城、松江城)ではあるがいささか驚いている。松本界隈にはその昔いろいろな城が点在していたようである。松本城はそのうちの深志城を武田氏が修築拡張したのが始まりのようで、その後織田氏によって滅ぼされた後に豊臣氏の命を受けた石川氏によって近世城郭への大普請が行われた。天正18(1590)年に入城した石川数正、康長父子二より造営された。天守は五棟からなり、康長時代の文禄元(1592)年から慶長元(1596)年に築造したものであるが、諸説がありはっきりはしていない。

1998.3.29  天守は五重六階で五棟が国宝となっている ▼

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駅名喫茶店(第52回:空港に最速(?)で行ける駅名)

今回は、公共交通機関(タクシーを含まない)を利用した場合、空港に最速で到達することができる駅名をまとめてみました。おそらく、飛行機に全く縁のない私の調査は怪しく、より最速のルートが存在するかと思います。ぜひ、コメントをお寄せください。【2023/4/25追記(八尾空港を追加)】

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~10~

関西本線沿いの私鉄 三岐鉄道

続いて北勢線と並行する三岐鉄道へも寄りましたが、もう夕方で、数枚を撮っただけで退散しました。今では旅客は、西武鉄道から来た電車に占められていますが、この時代は、自社新造、社型電車など、一両ずつ個性のある電車ばかりで、まだ青緑に塗られた旧塗装でした。三岐は、セメント会社と地元株主によって設立された産業鉄道で、長らく貨物は蒸機、旅客は気動車で行われ、電化したのは昭和29年で、貨物は電機に代わったものの、旅客の全線電車化は昭和35年のことで、訪れた年のわずか14年前のことで、電車化の際に用意された車両がほとんどでした(以下、昭和49年4月)。終点の西藤原に着いた電車、かなりの乗降客があったことが分かる。いま、ウィステリア公園として、三岐で使われた蒸機などが保存されているところには、貨車ホームがあったことが分かる。

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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 7 天竜浜名湖鉄道Ⅱ 

第2日目 4月5日 その1

昨朝の寝起きは早かったので今朝も 4:45 には目が覚めました。外を見ますと雲は覆って歯いませんが青空は見えません。朝シャンをしてから外へ出ますと小雨が降っています。

▲ 昨日見ました天竜浜名湖鉄道の桜は散り出していましたので次の訪問予定の長良川鉄道に早く行きたいと思いました。東横インの朝食は 6:30 からですので食べたらすぐに向かおうと決めました。
食後、いつも忘れ物をすることが最近多いので念入りに部屋をチェックしてから出発しましたが10分ほど走ってから何か忘れ物をしていると胸騒ぎを感じました。
直ぐにUターンして引き返しまして再度、部屋内を見て回りますと電気スタンドのコンセントに充電中のカメラの充電器を見つけました。今までに4回を経験しています。その都度に自宅まで着払いで送っていただいています。
いつも部屋のコンセントはカメラ2機種、携帯電話、Ipadいくつもの充電器で一杯で今回のように電気スタンドに併設されたコンセント迄使っています。今回の旅では以後は絶対に今までのような忘れ物はやめようと誓いました。

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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 6 天竜浜名湖鉄道Ⅰ 

第1日目 4月4日 その2

今後の撮影のために豊橋鉄道市内線の終点赤岩口までを並走しながらロケハン後天竜浜名湖鉄道へと向かいました。
8:05 三ヶ日駅に到着です。

▲ 正面右側に桜の木がありますが散り始めています。天竜浜名湖鉄道には毎年のように来ていますが京都と比べても遅い満開ですが今年は早めです。
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駅名喫茶店(第51回:「のぞみにのったよ。」「のぞみ」が停車する駅名)

「突き進めば希望(のぞみ)はかなう」、そんな思いで最後に乗車が叶った300系が以下の写真です。300系は平成生まれの私にとっていつまでも「のぞみ」であり、今でも「のぞみ」といえば300系なのです。N700Sではありません。

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2023年春 桜前線追っかけ旅 Part 7 天竜浜名湖鉄道Ⅱ 

第2日目 4月5日 その1

昨朝の寝起きは早かったので今朝も 4:45 には目が覚めました。外を見ますと雲は覆って歯いませんが青空は見えません。朝シャンをしてから外へ出ますと小雨が降っています。

▲ 昨日見ました天竜浜名湖鉄道の桜は散り出していましたので次の訪問予定の長良川鉄道に早く行きたいと思いました。東横インの朝食は 6:30 からですので食べたらすぐに向かおうと決めました。
食後、いつも忘れ物をすることが最近多いので念入りに部屋をチェックしてから出発しましたが10分ほど走ってから何か忘れ物をしていると胸騒ぎを感じました。
直ぐにUターンして引き返しまして再度、部屋内を見て回りますと電気スタンドのコンセントに充電中のカメラの充電器を見つけました。今までに4回を経験しています。その都度に自宅まで着払いで送っていただいています。
いつも部屋のコンセントはカメラ2機種、携帯電話、Ipadいくつもの充電器で一杯で今回のように電気スタンドに併設されたコンセント迄使っています。今回の旅では以後は絶対に今までのような忘れ物はやめようと誓いました。

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