かんこうしゃしんは観光写真ではありません。感光写真です。大和郡山城のさくらと電車の感光写真です。
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~15~
日常の記録 大阪駅の24時間③
昼に「トワイライトエクスプレス」の上下が相次いで大阪駅に発着したあと、午後からは、話題となるように列車の発着もなく、ちょっと気だるい時間が過ぎて行きます。新しくなった大阪駅の視点や、旧来の光景、はたまた“旧線跡”の探索を続けました。
▲大阪環状線はオレンジ色の電車で占められている。完全なループ運転を開始してから50年を迎え、201系には記念のヘッドマークが掲げられていた。▲▲いっぽうの103系は、高運転台の体質改善車が活躍していた。
総本家青信号特派員さんレイルにお召し列車撮影記発表
連日デジ青の自主投稿でご活躍の総本家青信号特派員さんが株式会社エリエイ発行のレイルNo126に登場。これだけでは何ということはないが、55年前の越美北線の8620形重連のお召し列車の機関士さんとの交流やその奥さんとのエピソードなどまるで映画のストーリーを見るような内容である。レイルに掲載されたきっかけはデジ青を毎日見ておられるレイルの編集長が総本家さんの越美北線のお召し列車重連の撮影記を見てこれはいけると考え昨秋から準備に取り掛かった次第である。写真の構成も申し分なく一度皆さんにも見ていただきたい。なお、マルーンさんと思われる方も文面に登場されている。発表が遅くなり申し訳ない。
ザグレブの鉄道とトラム
今年のホームカミングデーに発行する会報6号の原稿を会員の皆様にお願いしたところ、‘56年度生丹羽先輩より、会報の原稿に使ってくれとお手紙を頂きました。丹羽先輩は昨年亡くなられた沖中先輩、湯口先輩と同年代ですが、先日の長良川鉄道イベントにも参加され、最近も「ひだ号」の新車
HC85系を撮りましたと写真を送っていただきました。この他にも名鉄の昔話、20年以上前のブラックプールトラムの珍しい写真と記事も頂きましたが、クロアチアとザグレブトラムの記事はデジ青に投稿することで了解を頂きましたのでご紹介させていただきます。
また、この場をお借りして会報第6号への投稿をお待ち申し上げます。
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~14~
写真集の裏話
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~13~
日常の記録 大阪駅の24時間①
つぎの日常の記録、大阪駅の24時間です。西日本最大の駅、大阪駅は、2014年、大屋根が載った5代目の駅に生まれ変わりました。その後も、大阪駅周辺の再開発事業は進化を続け、ことし3月、大阪駅うめきたエリアが開業し、特急「くろしお」「はるか」、おおさか東線の列車が地下ホームに乗り入れ、大阪駅の拠点性と、関西全体のネットワークがより強化されました。
ある出版社の依頼で、大阪駅の24時間を記録したことがありました。早朝の4時52分、回送で到着する大阪環状線外回りの電車から、深夜0時34分発の「サンライズ出雲・瀬戸」まで、一人で取材・撮影をこなしました。と言っても一回だけの取材では満足な撮影はできず、時間を区切って、何度も大阪駅へ通い詰めたものでした。▲大阪駅の魅力のひとつは、国鉄型の活躍が見られたこと。大阪環状線を走る奈良区の103系電車ウグイス色編成と、福知山線の「こうのとり」381系電車が顔を揃えた。どちらも、今となっては見られない車両で、まだ10年にも満たない時代の記録だが、改めて鉄道の進化を感じる(以下、2014年4月、5月撮影)。
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~12~
日常を記録する② 阪和線で103系を駅撮り
日常の記録、つぎは阪和線へと移ります。当時、アーバンネットワークと呼ばれた関西の通勤線区で、輸送が逼迫していたのが阪和線でした。高架工事が進捗し、改正ごとに増発が進みますが、車両の中心は、まだ103系でした。昭和43年10月改正で、関西初となる103系が配属され、全国でも4番目の投入線区となりました。この時期、首都圏では一掃され、残るのはJR西日本と九州の350両程度、そのなかで、吹田総合車両所日根野支所の103系には、最大の90両が配置され、全車が青22号に塗られて、阪和線の主力として活躍を続け来ました。4扉電車には余り関心を示さない私も、日常の記録の要諦として、この時期に何度か阪和線を訪れたものでした。
▲ラッシュ時の阪和線、次つぎに103系がやって来て圧倒される。日根野区の103系は、「普通」はもちろん、和歌山始発の「快速」運用にも入っていた。前項投稿のコメントで、阪和線を、河昭一郎さんは「憧れの線区」と表現され、阪和線沿線で育った893-2さんは「掃きだめ」と表現された。どちらも至言だと思う。私自身も、高校生の頃、古臭い社型電車ばかりで、掃きだめ感のある阪和線に憧れて、高校2年生の時、はるばる鳳電車区を訪れたことを思い出した。左:天王寺行きクハ103-591ほか、右:鳳行きクハ103-127ほか(以下2010年5月、南田辺、長居、鶴ケ丘にて)。
駅名喫茶店(第58回:「京」を含む駅名)
手元に「京阪大津京」と「大津京」の駅名標の写真がありました。ならば、今回は「京」を含む駅名でいこう。いつも、このような経緯でテーマを選定しております。
湖西線で「西大津」から現駅名である「大津京」に駅名変更の際、「京」なのか「宮」なのか論争になりましたね。【2023/5/12修正】
あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~11~
日常を記録する① 朝の山崎駅
前項でも触れましたが、この大混雑ウィークは、遠出は止めて、近場でサクッと撮るに限ります。この習慣、デジカメを始めた十数年前も同じでした。近くのJR、私鉄へ行って、この時代の「日常」を記録していました。単なる列車写真の羅列にしか過ぎませんが、今となっては、ほとんどの車両が世代交代しています。改めて「当たり前の記録」の重要性を知る5月の連休でした。今回は、東海道本線の山崎駅の午前中、大阪方面行きホームの先端から見た列車を見ていただきます。▲この場所が、とくに賑わうのが“ネタ”列車の通る時だろう。この時代は、最後のボンネット特急車両となった、金沢車両所の489系H01~03編成がやって来た時に尽き
る。少し前までは「はくたか」代走や、時には「雷鳥」でも走ることがあったが、この連休期、一往復だけの臨時特急「ふるさと雷鳥」に充当されて、久しぶりに晴れ姿をとらえられた。あとは、月に数回、北陸方面から、京都への団体輸送・修学旅行に使われることもあり、チャンスが訪れると、白レンズ・三脚・脚立組に囲まれて、小さくなって、すき間から狙ったものだ。最末期はずいぶん汚くなってしまったが、この時期はまだ車体も美しく、ボンネット全盛を彷彿させた。クハ489-3F (2009年5月、以下特記以外同様)。
駅名喫茶店(第57回:ラッキーセブンの駅名 JR東海編)
最近、駅名標に必ずといってよいほど駅ナンバリングがなされています。
今回はJR東海のラッキーセブン(〇〇07、〇〇77)の駅名を取り上げてみました。皆様のご近所にはラッキーセブンの駅名はあるでしょうか。
古いハガキ
行方不明のネガを探して、魔窟に足を踏み入れました。
そこから多量の切符、家族写真(鉄道写真の探しているものは未だ発見できず)、駅弁の包装紙等などと共に、就職のため上京した年の年賀状が出てきました。大西友三郎先輩や吉谷和典先輩など、鬼籍に入られた方からの懐かしいはなむけの言葉に改めて感激しました。
その中に当会設立の第一世代である重澤崇先輩からの年賀状もありました。ところが発見したその日に重澤先輩から沖中先輩・湯口先輩の一周忌にまつわるハガキが来たのです。
これも故人のご縁と、ご了承を頂きここに掲載致します。
駅名喫茶店(第56回:今日は木曜日です。「木」を含む駅名)
駅名喫茶店(第55回:「丘」を含む駅名)
駅名喫茶店(第54回:「台」を含む駅名)
漢字一文字シリーズ、今回は「台」を含む駅名です。皆様は何駅訪ねたことがありますか。住宅地が多く、意外と乗降する機会はないかもしれませんね。
GWも駅名喫茶店は開店です。皆様、どうぞご一服くださいませ。
つれづれの記(4)憧れの山科 河 昭一郎
久しぶりの河 昭一郎氏からの投稿です。例によって米手作市がお手伝いを致します。
先日の宮崎繁幹さんからのご投稿も湘南電車・80系でしたから、時を一にして東の大家お二人が同じ話題を選ばれたことに驚いています。河さんは山科築堤で電車を撮影されたのですが、ここは一般的には蒸機列車の晴れ舞台です。ここで国電を撮るとどんな写真が撮れるのか、特に私はゲタ電がここを走るのを見たことがなく興味津々です。
《山科の築堤》
今回は、鉄道ファン、なかんずく国鉄(国電)ファンなら必ず詣でなければならなかった?「山科」のカーブです。
「憧れの山科カーブ」を訪ねたのは京都の予備校に通っていた浪人時代の事で、あの広々とした築堤上で、バックの比叡山に息を吞みながらの感激もヒトシオでした。
小生を築堤に立たせたのは?と思い起こせば、それは迫力のSL写真を世に発表された先人の方々の足元にも及ばぬ「国電」=「びわこ臨」でした。
当時、関西の国電(各停)はご存知「京都~西明石」の限定運用でしたが、東海道線全線電化後は従来のSL列車を置き換えた80系が米原まで入り、それは京都以西の快速電車との共通運用でした。
それに呼応して夏・冬に京都以東の湖東線に臨時電車が運用されるようになりましたが、車両不足は否めず、大アカ、大タツの70系のみを抜き出した予備車を掻き集めた臨時対応でした。当初は「芸が細かく」70系を掻き集めた6両編成の前後は茶坊主クハ76で固め、クハ86編成の向こうを張ったスッキリした編成でしたが、後には72系やクハ68のゴチャ混ぜ編成となって「地に堕ちた」感が一杯で、大いに落胆したものです。
さてさて、キッカケが湖東線臨電だった事も有って、小生の写真は大御所の方々の迫力有るSLとは雲泥の差が有るのを承知の上でご覧下さい。
叡電“二ノ瀬”に ぞっこん
新緑が美しい季節になりました。家に籠り勝ちの高齢者も、写しに行きたくてウズウズします。コロナ以降、撮影は「テーマ限定」「短時間」がスタイルになりました。最近、足繁く通っているのが、叡電二ノ瀬です。同じ叡電の八瀬、三宅八幡は以前から、お気に入りとして何度も行っていますが、最近は、二ノ瀬も加わりました。“紅葉のトンネル”として知られている二ノ瀬ですが、最近は“青もみじ”の頃にも、市原~二ノ瀬は徐行運転が行われ、ことしは、夜間ライトアップして特別列車も運転されています。▲つい一週間前にも二ノ瀬へ行ったが、両側は山が迫ってモミジが覆い被さっていて、陽が射し込まない。午後が適切と踏んでいたが、時間は過ぎていて電車は日陰のなかだった。詳細な方角を検討すると、陽が射し込むのは、午前中のある時間帯だけと判明、一昨日、晴れ間に再度行ってみると、みごと的中して“青もみじ”の「きらら」が撮影できた。
駅名喫茶店(第53回:今日は日曜日!「日」を含む駅名)
笠置のこと
ゴールデンウィークに入ったが、各人どのような計画をお立てだろうか。総本家青信号特派員さんが草津線に続いて関西線本線やナローの私鉄等の思い出の作品を報告されている。どれも立派な写真や記事を自主投稿され続けていることに毎度のことながら頭が下がる。そのような中で笠置駅のD51と見事な桜(2023年4月18日投稿)が目に留まった。私自身は笠置は景勝の地であるが降りたことはなく、ただ、1963(昭和38)年5月3日に亀山に蒸機を撮りに行った時に笠置駅に名古屋区のC57102が臨時列車を牽いて停車したのには驚いてシャッターを切ったことがある。ゴールデンウィークの真っただ中で行楽客を運んでいたものと思われる。通常、名古屋や稲沢の機関車は関西本線は亀山までの運用であったが、珍しく加太を越えて来たようである。▼
戦後という言葉も使われなくなったこの頃は高度経済成長期に入っていた。笠置駅も行楽客が大勢下車したが子供の姿は見受けなかった。832D奈良発笠置行きキハ3613。次の列車迄の20分待ちの間にキハ55系準急かすが1号+はまゆう+平安1号も撮ったがどういう訳かフィルム劣化で見られる状態でなく割愛した。▼
亀山区での定番の撮影場所。C51225は倉の中で撮影には不向きの状態でありボックス動輪のC51240とパイプ煙突のC5152は原形くずれで不満であった。不満と言えば、亀山まで来ていた名古屋区のC55は北海道に移った直後であり本州では豊岡、和田山だけになってしまったことである。▼
帰りに寄った奈良機関区は扇形庫にD51、C57、C58が一杯入っていた。この辺りは今はどうなったのか知りたいものである。奈良の駅名研究家さん専門外かもしれませんがどうでしょうか。▼
笠置駅で思いがけず出会ったC57102はこの日亀山からの帰りに奈良区に寄ってみたら既に方向転換をして名古屋に戻る準備ができた状態であった。モノクロでは分からないがナンバープレートは勿論赤ナンバーであった。 ▼
越美線乗車記ー繋がるはずだった鉄路を疑似体験する
昨年11月のクローバー会総会で少しだけお話しました、長良川鉄道と越美北線の乗り継ぎツアーのレポートです。
長良川を上り、岐阜と福井の県境を越え、九頭竜川を下り太平洋から日本海へ。
長大なローカル線に温泉、星空見学と観光も乗り鉄も楽しめた盛りだくさんな内容でした。

清流、長良川を眺めつつ幻の鉄路で日本海を目指す