【27966】終い撮り鉄 近鉄内部八王子線の巻

 京で師走を感じる行事として東寺の終い弘法がありますが、今年の鉄道写真撮り納めとして近鉄内部八王子線に行ってきました。実は青森へ行く時ついでに内部八王子線に寄ったですが、この時に「開業100周年記念 内部・八王子線1日フリー乗車券」のパンフレットを手に入れたので、これを使って沿線を探索したいと思っていたのであります。そして、12月19日に行ってきた次第です。 

フリー切符とパンフレット 前回と同じ経路で近鉄四日市へ。今回は往復とも特急を利用しました。久しぶりに近鉄特急に乗るとなかなか快適でありました。伊勢中川で乗り換えて四日市へ。車窓を眺めていると思ったより海岸に近いところを走っているところがあり、また遠く山側を見てみると鈴鹿の山までが平坦で高いところがないので東南海地震が起こった時の津波への不安を感じました。あれやこれや景色を眺めていると四日市について内部線の乗り場でフリー切符を購入してまずは内部へ向かいました。 記事の続きを読む


【27917】微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part1 広田尚敬先生、喜寿のお祝い電車

中国から帰国して6日目、今度は準特急先輩のお誘いを受けて、微笑みの国タイ王国の鉄道SL撮影へと出かけることになりました。そしてその前にインドネシアへご一緒に参らせていただきました神谷武志氏より、12月2日に「上毛電鉄のデハ101をチャーターしての広田尚敬先生の喜寿のお祝い会」を開催するので出席しないかとのお誘いを受けました。
お誘いを受けるのはありがたいことです。喜んで参加する旨を連絡しました。

帰国後中5日での海外行きは駐在時代にも経験しておりますが、今回は温度差50℃もあります。身体が付いていけるのか不安を残しましたが、まあマイペースでゆっくりと行けばいいだろうと出発に踏み切りました。

タイ王国へは準特急一行のみなさんは、5日0時台の飛行機で向かわれる事が決まっています。広田先生ツアーは2日ですので、東京で2日間を過ごさねばなりません。関東で行きたい所もたくさんありますが、宿泊費を考えると、タイには先乗りした方が滞在費が安くつきますし、前もっての様子もよく分ります。それではと、皆さんより2日早い便で先乗りすることにしました。

第1日目 12月2日
① 長岡天神5:19(阪急)→南茨木(モノレール)→6:08大阪空港

② 伊丹7:05(JL102)→8:10羽田(モノレール)→浜松町(JR)→神田(メトロ)→浅草
③ 浅草9:40(りょうもう7号)→11:27赤城11:28→11:51大胡

00前回の訪中と同じJAL始発便で上京です。東武鉄道は初めての乗車で浅草までどう行けば1番便利なのかが分っていません。地下鉄は外の様子が分らないので、東京をよく知らないお上りさんには、不安があります。極力地上線を使って参りました。
01東武浅草駅には、約30分前に無事到着。早速特急券を買って、腹が減ってはと私鉄には珍しい駅弁を買い込んで乗り込みました。

赤城駅では瞬時の乗り換えですが、特急りょうもう7号は遅延しています。乗継を心配しましたが、上毛電鉄は乗換客待ちをしてくれていました。赤城駅では、インドネシアに同行させていただきました皆さん方が声をかけてくださいましたので、これで安心しました。
02▲ 上毛電鉄の車内は、クリスマスの飾り一色です。こんな楽しい電車は大歓迎です。
03▲ 大胡駅で集合して車庫に参りますと、今日のチャーター電車には、広田尚敬先生の喜寿を祝ってのヘッドマークが用意されていました。提供は井門さんです。
04 記事の続きを読む


【27900】2012年 冬の中国鉄路の旅 総集編

ご尊敬させていただいております小竹直人先生との2度目の旅は、2人だけの5日間の旅でしたので直接に身近で、中国鉄路に撮り向かわれている姿を見せていただく事ができました。たくさんの勉強をさせていただきまして、ありがとうございました。
しかし、私のような気ままにぶらり旅をしながら、たまたま良いのが撮れたらいいよ程度とは違って、生活もかかっておられますので、撮るについての真剣度が全く違っていました。さすがプロとあってテーマについて追い求められる、集中したお姿は真似が出来ませんでしたが、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。

この回は、中国東北地方(旧満州)の北朝鮮とロシア国境沿い、そしてかつて盛況だった森林鉄道の復活SLのチャーターをいたしました。またいつもの一人旅とは違って、中国鉄路をこよやく愛されている中国鉄ちゃんの方々との楽しい撮影の旅となりました。お世話になりました皆様方、ありがとうございました。またご同行させていただく機会がありましたらよろしくお願い申し上げます。

 【2012年 冬の中国鉄路のルート】
東北MAP【行程表】
【乗車した列車】
【投稿した紀行記】
クリックしていただきますと、任意の紀行記をご覧いただけます。

 Part1 丹東へ、北朝鮮にSLがまだいた?
 Part2 国境の橋
 Part3 国境の橋Ⅱ 開山屯へ
 Part4 国境の橋Ⅲ 珲春
 Part5 长春路面電車と軽軌
 Part6 国境の町、绥芬河(綏分河)へ その1
 Part7 国境の町、绥芬河(綏分河)へ  その2
 Part8 鶏西鉱業集団鉄路
 Part9 綏棱(スイリン)森林鉄路 (綏綾森林鉄道) その1
 Part10 綏棱森林鉄路(綏綾森林鉄道) その2
 Part11 天津地下鉄、帰国

これからもぶんしゅう旅日記は続きます。今年は1年の1/3を海外で過ごしました。64歳を迎えましたが、足腰が元気なうちに今迄行く事が出来なかった彼方に向かいたいと思っております。よろしくお願い申しあげます。


【27833】モハ72

 72001 51-2-14千葉
モハ72001/(51-2-22)千葉駅

モハ72のトップナンバーで、21年10月日本車輌でモハ63015として新製。27年1月東急車両で改造工事により現車号。40年1月浜松工場で近代化改造。61年11月20日津田沼区で廃車。

 63形シリーズの最終回はモハ72を解説する。
モハ63形の体質改善工事を実施する中で、80系湘南形で採用された中間電動車方式を取り入れることになり、昭和26年~28年にかけて運転台なしのモハ72形が288両誕生した。

前期(26年11月~27年5月)の168両は種車の向きを活かして上り向きは奇数、下り向きは偶数が付番されたが、後期(27年5月~28年12月)の120両は、種車の向きに拘らず奇数向きに揃えて改造され200番以降(201~319)に付番された。

その関係で前期改造車は001~181に付番されたが156~180の偶数番号は該当車がなく欠番になっている。後期改造車は201以降に付番されたため、182~200も欠番である。以下、代表的な車両を写真で紹介する。

モハ72034/ (48-4-30) 下馬・仙石線
21年10月川崎車両でモハ63078として新製。27年4月汽車会社で改造工事により現車号。54年8月15日陸前原ノ町区で廃車。
仙石線の72系は寒冷地のため、3段窓のアルミサッシ2段窓化とベンチレ―タの押込型への取り替え、扉の半自動化が行われた。
72034riha.73.4.30Geba

モハ72056/ (48-1-28) 広島・呉線
21年7月日本車輌でモハ63160として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。51年11月5日広島区で廃車。
呉線(一部山陽本線小郡までの運用があった)の72系も3段窓のアルミサッシ2段窓化、扉の半自動化が行われた。
72056hiro.2i.73.1.28Hiro

モハ72103/ (48-3-21) 鳳
21年12月日本車両でモハ63289として新製。27年2月汽車会社で改造工事により現車号。51年12月5日鳳区で廃車。
72103oto.2i.73.3.21Oto

モハ72112/ (41-1-15) 京都
22年6月川崎車輌でモハ63582として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。42年3月31日鷹取工場で運転台取付、近代化改造でクモハ73514に改造。55年2月18日中原区で廃車。
72112aka.66.1.15Kito[1]

モハ72113/ (49-4-29) 下馬・仙石線
22年5月日本車輌でモハ63381として新製。27年1月大井工場で改造工事により現車号。54年8月14日陸前原ノ町区で廃車。
72113riha.74.4.29Geba

モハ72123/ (48-4-30) 下馬・仙石線
22年7月日本車輌でモハ63403として新製。27年1月大井工場で改造工事により現車号。54年8月14日陸前原ノ町区で廃車。
72123riha.73.4.30Geba-2

モハ72145/ (49-2-17) 沼津・御殿場線
22年8月汽車会社でモハ63619として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。55年4月22日沼津区で廃車。
72145 49-2-17 沼津

モハ72149/ (47-2-20) 大阪
22年8月汽車会社でモハ63627として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。48年1月23日明石区で廃車。
72149aka1.72.2.20Osa.588-25[1]

モハ72150/ (49-3-23) 住道・片町線
21年8月川崎車輌でモハ63184として新製。27年4月日本車両で改造工事により現車号。50年10月24日淀川区で廃車。
72150yoto.74.3.23Sumi[1]

モハ72151/ (48-9-15) 京橋・片町線
22年7月汽車会社でモハ63607として新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。50年9月26日淀川区で廃車。
72151yoto1.73.9.15Kyoubashi.768-19[1]

モハ72202/ (49-3-20) 大阪
22年5月川崎車両でモハ63130として新製。27年8月大井工場で改造工事により現車号。50年9月26日高槻区で廃車。
72202 49-3-20

モハ72204/ (43-9-7) 東神奈川・横浜線
23年2月日本車両でモハ63766として新製。27年9月大井工場で改造工事により現車号。47年2月10日東神奈川区で廃車。
72204 43-9-7東神奈川

モハ72210/ (48-7-1) 住道・片町線
23年5月日本車両でモハ63758として新製。27年10月大井工場で改造工事により現車号。53年2月10日淀川区で廃車。
72210yoto.2i.73.3.21Suto
72210yoto1.73.7.1Sumi.739-28[1]

モハ72211/ (48-5-13) 沼津・御殿場線
22年10月川崎車両でモハ63602として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。53年2月10日沼津区で廃車。
72218 48-5-13沼津

大井工場整備改造車
昭和35年に72263、72045、72108、72098の4両に対して整備改造が行われた。工事の内容は各車により差があり省略するが、外観上は3段窓のままで戸袋部がHゴム化された程度で大きな変化はない。4両共関東地区で使用されたが、72108のみ47年6月鳳区に転属した。
モハ72108/(48-5-20) 鳳
22年7月川崎車両でモハ63564として新製。27年3月豊川分工場で改造工事により現車号。35年6月大井工場で整備改造。51年6月15日鳳区で廃車。
72108 48-5-20

吹田工場整備改造車
昭和35年72024と72214の2両に対して行われた。大井工場施工車とは異なり、車体の全金属化が行われ、スタイルは大幅に変化した。
モハ72024/(48-6-11)京都
21年10月川崎車両でモハ63058として新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。35年12月吹田工場で整備改造。50年9月26日明石区で廃車。
窓はアルミサッシ化されているが、上窓に位置が元の3段窓の上段部分である。
72024 48-6-11京都

モハ72213/ (49-2-10) 大阪
22年5月汽車会社でモハ63237として新製。27年8月豊川分工場で改造工事により現車号。36年6月吹田工場で整備改造。50年2月1日高槻区で廃車。
72213tatu.1i.74.2.1Osa

近代化改造車
37年から40年にかけて44両に対して近代化改造が、大井、大船、浜松、吹田、幡生の各国鉄工場で実施された。内容は、車体の内外装の全金属化、窓の2段サッシ化等車体新製に近いもので、かつての63形の面影は一掃された。
モハ72014/(51-2-22)千葉
21年8月モハ63038として川崎車両で新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。40年4月浜松工場で近代化改造。51年6月15日津田沼区で廃車。
72014

モハ72017/(47-3-12)大阪
22年1月日本車両でモハ63055として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。38年2月吹田工場で近代化改造。50年6月20日明石区で廃車。
72017aka2.72.3.12Osa.592-24[1]

モハ72018/(49-1-21)京都
21年8月モハ63044として川崎車両で新製。27年2月汽車会社で改造工事によりモハ72034。モハ72018と車号振替。38年1月吹田工場で近代化改造。50年9月26日明石区で廃車。この車両は何故かシル、ヘッダー付きであった。
72018aka.74.1.21Kito

モハ72035/(49-5-5)住道
23年3月モハ63115として日本車両で新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。39年12月浜松工場で近代化改造。51年9月21日淀川区で廃車。一番前の扉は旧形のプレス製に取換えられている。
72035 49-5-5 住道

モハ72042/(47-2-20)大阪
22年2月モハ63114として川崎車両で新製。27年1月汽車会社で改造工事により現車号。38年1月吹田工場で近代化改造。50年9月26日明石区で廃車。
72042aka1.72.2.20Osa.588-26[1]

モハ72066/ (48-1-28) 広島・呉線
22年2月モハ63172として川崎車両で新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。38年11月浜松工場で近代化改造。51年7月28日広島区で廃車。
992-14.M72066hiro.2i.75.2.2Hiro

モハ72092/(48-7-1)住道
21年12月モハ63324として近畿車両で新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。39年12月浜松工場で近代化改造。51年11月27日淀川区で廃車。
72092yoto1.73.7.1Sumi.739-07b[1]

モハ72102/(42-3-26)武蔵中原
22年3月モハ63460として川崎車両で新製。26年11月大井工場で改造工事により現車号。37年11月大井工場で近代化改造。51年11月27日津田沼区で廃車。
72102naha.4i.67.3.26Nahaden

モハ72110/(43-7-7)大阪
22年7月モハ63576として川崎車両で新製。27年3月汽車会社で改造工事により現車号。37年9月吹田工場で近代化改造。50年9月10日高槻区で廃車。この車は戸袋窓の位置が通常と逆になっている特異車である。(通常はパンタから遠ざかるように扉が開くが、パンタ寄りに開く)
72110 43-7-7

モハ72157/ (48-9-1) 住道・片町線
21年8月日本車両でモハ63105として新製。27年3月豊川分工場で改造工事により現車号。39年11月浜松工場で近代化改造。51年7月20日淀川区で廃車。
72157yoto1.73.9.15Sumi.768-29[1]

モハ72249/(48-7-1)住道
22年5月モハ63368として川崎車両で新製。27年5月日本車両で改造工事により現車号。38年7月幡生工場で近代化改造。52年6月14日淀川区で廃車。
72249yoto1.73.7.1Sumi.740-19[1]

クモハ73500番代
中央線、山手線、京浜東北線等の幹線の新性能化により、73系は17m車、戦前形20m3扉車で運転されていた線区に従来の車両の置換え用として進出すると、運転台付き車両が不足したため、元63形のモハ72形に運転台取付と併せて近代化改造を実施したクモハ73形が20両誕生して501~520に付番された。全車東京地区に配置され、関西では見られなかった。
クモハ73505/(49-5-1) 拝島
23年1月モハ63743として汽車会社で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72285に。42年3月郡山工場で近代化改造及び運転台取付。55年9月25日東神奈川区で廃車。
73505 49-5-1

クモハ73507/(49-5-1) 稲城長沼
22年3月モハ63462として川崎車両で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72290に。42年3月郡山工場で近代化改造及び運転台取付。55年9月18日弁天橋区で廃車。
73507 49-5-1稲城長沼

クモハ73513/(49-5-1) 稲城長沼
23年2月モハ63668として川崎車両で新製。27年8月豊川分工場で改造工事によりモハ72215に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。55年7月16日弁天橋区で廃車。
73513 49-5-1稲城長沼

クモハ73516/(50-3-23) 稲城長沼
23年3月モハ63782として日本車両で新製。27年9月大井工場で改造工事によりモハ72205に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。53年9月16日中原区で廃車。
73516 50-3-23

クモハ73517/(50-3-23) 稲城長沼
22年8月モハ63689として汽車会社で新製。28年3月豊川分工場で改造工事によりモハ72231に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。54年12月3日弁天橋区で廃車。
73517 50-3-23

クモハ73519/(50-3-23) 拝島
23年2月モハ63742として汽車会社で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72292に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。54年9月14日弁天橋区で廃車。
73519 50-3-23拝島

5回に亘り、モハ63形一族の変遷と40年代後半を中心とした状況について書いてみたが、概略でもご理解いただければ幸いである。
27年以降に新製されたモハ72、クハ79も含めて、乗車経験のある方は、恐らく昭和50年代前半以前生まれの方で、東京、大阪地区で通勤、通学等で日常的に乗車されていた方は団塊世代以前の方ではなかろうか。
私自身は45年4月に大阪駅の直ぐ近くの会社に就職して、54年6月勤務場所が京阪大和田駅の近くに変わるまで京都~大阪間国鉄を利用した。出勤時はともかく、帰宅時は高槻で無味乾燥な113系から普通電車に乗り換えることが多かった。
大阪緩行の旧形車での最終運行日は52年2月26日と記録されているが、時節柄お別れ運転、ヘッドマークの取付け等一切なく無く、いささか淋しい幕切れであった。
国鉄→JR東日本、JR西日本の通勤形電車の原点はモハ63形であり、73系、101系、103系、201系、205系、209系と発展し、現在の通勤形へと進化していった。また、私鉄車両への影響も少なくなかったと思われる。

拙文により、乗車経験のある方は当時を思い起こしていただき、若い方は東京、大阪圏の通勤、通学輸送の主力であったことを知っていただければ幸いである。

機会があれば、モハ63形一族から他形式への改造車及び新車として作られたモハ72、クハ79についても触れてみたい。

 


【27801】2012年冬の中国鉄路の旅 Part11 天津地下鉄、帰国

第14・15日目  11月25日、26日
11月24日 哈尔滨19:16(T244次)→翌日7:10天津
11月25日 ① 天津14:35(JL840)→18:20名古屋
② 中部国際空港18:36(名鉄ミュー)→19:05名鉄名古屋
③ 名古屋19:25(のぞみ)→20:01京都20:08→20:19長岡京

切符7:10、無事に久しぶりの天津に到着しました。天津は開通が待ち望まれていた天津地鉄3号線が10月にようやく開通しました。これで天津駅から市内中央部へは、Taxiを使うことなくスムーズに行くことができるようになりました。
かつて住んでいた者にとっては画期的な出来事です。特にラッシュ時に市内中央から天津駅に行くのには道が混んで、何度もTaxi内でヤキモキさせられたので、時間が読めるようになったのはとても嬉しいことです。
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【天津地鉄】
その歴史は中国では古く、北京に次いで2番目の地下鉄として1984年12月28日に開業しましたが、天津西站~新華路の7.4キロにすぎませんでした。東急車両で製造された3両編成が運行していましたが、ラッシュ時でも利用客はまばらでした。もう少し乗っても良さそうに思えましたが人民はもっと安いバスか自転車が交通手段でした。
天津の会社の社員に聞いてみても乗ったことがないと返答が来るほどで、人民に愛されない地下鉄でしたが、運行を停止しての5年間にも及ぶ大幅なリニューアルが実施され、2006年6月12日に25.2キロに延伸されてからは、利用客も増えだしました。市内一の繁華街の營口道で交差する3号線29.5キロが今回開通し、7月に開通していた(1部中間区間未開通)2号線とも天津站でつながったことでラッシュ時には積み残しも出るほどの利用客激増となっています。ようやく直轄都市としての交通網が出来上がってきたようです。
路線図は、ウィキペディアか、エクスプロア天津の路線図が分かりやすいでしょう。
02_P106096803_地鉄天津駅構内今日は、早朝着でしたのでまずは天津站がどうなっているのかと、視察することから始めました。
先日行った长春と同じくバカ広い地下通路と広場です。今後の発展を考えての策と思われますが、北京や上海でもこれほどのスペースをとっている地下駅はありません。しいて言えば上海虹桥站でしょうが、こちらは新幹線、空港、リニアも発着する駅で利用者数がケタ違いです。広すぎてまた迷走しました。もう少し乗り換えに便利なようにコンパクトにならないものでしょうか。
06_地鉄天津駅 記事の続きを読む