今日は北海道は猛吹雪だそうである。先日、紅葉狩りを兼ねて秩父鉄道に出向いた折にサル軍団に出会った。影森~浦山口の武甲山採石場への引き込み線の近くで定番の撮影地である。餌でも探しに来たのかサルの軍団が人目を警戒しつつ線路を越えて民家の庭先に入り込んできた。しばらくして毎度のことなのか住民が自転車に乗ってサルを追い払っていた。撮り鉄猛者の諸兄はサルなどしょっちゅう見ておられることとは思うが、こちら小心者で一瞬びっくりしたので報告した次第である。以前、伯備線の岡山・鳥取の県境近くでも見かけたことがあり、他にも碓氷峠の国道や東海道本線の撮影名所早川~根府川のみかん山でも見かけた。日本国中に居るのかもしれない。ところでサルは人間を襲うことはないと思うが、熊はそうはいかない。最近は餌がないのか人里に下りてきて老人が襲われたというニュースをよく耳にする。秩父でも今年になって西武の横瀬駅から武甲山にかけて熊が出没しており、警戒を呼びかける注意書きを見た。北海道では知床や日高は当然であるが札幌や小樽にも現れており、陸続きである限りどこも安心はできない。熊は臆病なので音の出る鈴などで近寄らせないようにとよく言われる。私などは音をたてるとかえって気づかれるのでないかと思いどうも鈴の準備には信憑性がないと思ってしまう。熊やイノシシやサルに比べまず襲ってこないのが私の大の苦手の爬虫類。こちらは最近はほとんど見かけなくなったがどうなったのだろうか。どの動物も普段は出会うことがないのでたまたま見ると驚くがよく考えてみると人間よりは怖くはないのかもしれない。 続きを読む
投稿者「準特急」のアーカイブ
置き換え進行中の南武線
9月7日デジ青[51006]「私の撮った南武線過去車両」の中で10月からのE233系8000番台の登場について触れた。総本家青信号特派員さんが、11月4日デジ青[53101]「秋は気ままな一人旅-5-」で上越線EF64牽引の甲種輸送列車新津製作所製造の南武線E233系8000番台をご披露いただいたこともあり、新旧南武線車両の近況を発表させていただく。E233系は10月に投入されたが見た感じでは11月中旬で20%くらいが置き換わった。横浜線の例では凡そ半年で置き換わっているので南武線205系、209系を記録されたい方はお早めに。
2014.11.4 府中本町~南多摩 10月から投入されたE233系8000番台 川崎行きクハE233-8004 後方にあるのは武蔵野貨物線▼
保存蒸機とその現役時代(33)
11月11日米手作市様より広島の保存蒸機C11189についてお問い合わせの投稿があり、そう言えば最近保存機今昔が途絶えているので久しぶりにデジ青へ投稿させていただく。11月9日のホームカミングデイには現役生を交えてOB会クローバー会の総会・大宴会が開催され盛況のうちに終了したが、その翌日、宝塚市にある雲雀ケ丘学園に保存されているC56111を訪ねてみた。この機関車は当時の当会恒例行事である冬季狂化合宿に参加するため飯山線列車に乗車した際に途中駅で撮影したものである。併せて狂化合宿の一端もこの場を借りてご報告したい。
C56111 1937年 三菱 製番211
新製後、門司、木次に配属されたようであるが、1955年飯山機関区に配属されてからは雪深い飯山線で活躍し、1973年に九州吉松機関区に転属し翌1974年に廃車された。
説明板には当学園の創立25周年(昭和50年)を記念し宝塚市と国鉄のご好意で永久保存するとあり、僚機がタイ、マレーに90両送られたこと、大半を長野県下で過ごしたこと、宮崎植樹祭でお召予備機になったこと等適切に書かれている。また、貴重な文化遺産であるから大事に保存したい旨書かれており、保存状態は極めて良好であった。
提携先のカラー電車
青春18快適区間
2014年10月5日デジ青投稿の[青春18忍耐区間]では熱海~浜松間を我慢の乗車区間として紹介した。それでは忍耐の反対の不忍耐区間はどこか。大阪(神戸でもよい)~名古屋間を挙げてみたい。不忍耐という言葉は恐らくないので我慢しなくてよいというよりももう少し積極的に楽しく乗車できるという意味で快適乗車区間とした。その理由は同区間は
①列車速度が速い。特に大阪~米原間は前回紹介した通り特別に速く快適である。
②クロスシート車両で旅の楽しみが倍増される。
③車窓からは多くの歴史的名所旧跡が見られる。例えば安土城址、彦根城、佐和山城址、稲葉山城、名古屋城、山崎天王山古戦場、関ヶ原古戦場等々。
④自然豊かな景色が展開される。例えば河川で言えば淀川、桂川、鴨川、瀬田川、揖斐川、長良川、木曽川等がそれで、山で言えば東山、比叡山、比良山、伊吹山、養老山系等が該当する。それに日本一の琵琶湖。
さらに個人的には
⑤車両基地が頻繁に見られ全く飽きることが無い。吹田、高槻、向日町、京都(梅小路)、野洲、米原、大垣、稲沢と車両を眺めるのに忙しいくらいで、とても本を読んだり、ゲームをする気にならない。
⑥私鉄との併走区間が比較的長く続いたり、複々線での追い抜き等の楽しみが多い。
⑦かつて撮影した場所を車窓から眺めその当時を思い起こすことができる。例えば、高槻~山崎~神足(現長岡京)、山科、瀬田川の鉄橋、近江長岡~柏原~関ヶ原等々。これは大阪~名古屋間に限ったことではないが「あのあたりで撮ったなー」と一瞬当時を思い出すことができる。
大阪~名古屋間は4~5時間かかったC59(小学生で機関車種別を認識できる能力はなかったが先達の記録からC59でまちがいない)の客車列車や電化して到達時間が半分近くに短縮された80系、153系の準急「比叡」等をよく利用した区間で強いて言うと当時は湖東平野が忍耐区間であった。そこで本題から少し脱線するが、快適区間で特に快適に感じた場所を紹介したい。
大阪を出た列車は淀川を渡りしばらく走ると進行左手に吹田操車場が見える。大操車場にはハンプという人工的につくった丘を利用した貨車の行く先別仕分けの施設がありキューロクあたりが貨車を押し上げている風景が見られた。広い操車場なので蒸機の煙も至る所で見られた。
青春18忍耐区間
少し、時期外れな話題であるが、今夏台湾好きのブギウギさんが上京され私の準ホームグラウンド高尾~相模湖間で撮影をされた。その時に「今日は青春18きっぷで帰るが熱海と浜松の間が時間的に長く、短い編成のロングシート車でよく混み合いうんざりする」というようなことを言われた。全く同感である。熱海~浜松間では富士山を眺めることができ、富士川、大井川、天竜川を渡り景色も悪くはないが、長時間のロングシート車乗車が東海道本線の忍耐乗車区間になっているのは否めない。私のよく利用する東京6時34分発でみると大阪までの556.4kmを9時間11分かけて15時45分に到着するので表定速度は60.6km/hである。参考に1964年10月の交通公社時刻表によると東京8時30分発の急行「六甲」は7時間30分かけて大阪に16時に到着し、表定速度は74.2km/hである。翌年11月の時刻表の急行「第1なにわ」東京9時30分発大阪17時30分着では8時間かけて表定速度は69.6km/hである。いろいろな見方があるが、過去の153系急行電車に比べ青春18切符の東海道の旅は5回の乗り換えがあるにしては善戦しているように思える。この善戦も米原~大阪の新快速の激走が寄与している。因みに東京6時34分発を利用した時の6乗車区間のそれぞれの表定速度は東京~熱海59.2km/h、熱海~浜松61.4km/h、浜松~豊橋64.4km/h、豊橋~大垣新快速70.5km/h、大垣~米原61.5km/h、米原~大阪新快速78.0km/hである。熱海~浜松間がロングシートで乗車時間も長く、それほどスピードが速くないこともあり忍耐区間になるようだ。大阪からの上り利用もほぼ同じことが言える。何れにしても格安切符であるので忍耐区間は忍耐せざるを得ない。他にも各地に忍耐乗車区間(個人的には大宮~高崎間)があるが、各人の感じ方もそれぞれあると思う。
<参考写真>
忍耐乗車区間の始まり熱海駅 2014.9.9 右737M熱海止めクハE231-8058と左島田行きクモハ211-6009 ▼
私の撮った南武線過去車両
来月10月からJR南武線にE233系8000番代が登場することになった。本年前半の横浜線のE233系6000番代への置き換えに続くもので、南武線も205系・209系はあっという間に消えてしまう。そこでこの機会に過去に写した南武線の代表的車両をデジ青に取り上げてみた。
南武線は川崎~立川間35.5Kmは戸建て、マンション等が密集しており撮影に適した場所は殆んどない。唯一といっていい場所が、府中本町~南多摩の多摩川橋梁で、それでも背後には武蔵野貨物線が一段高く併走しているのが気になる。
京急500形・550形
[50758]京急500型・550型について関連写真を投稿する。迷図作家関三平先生は関西の方であるが、関東他の車両にも非常にお詳しい。しかし、皆さん関東系の車両には興味がないのか殆んどコメントがなく、紹介される米手作市さんも見たことがなく思い出もない車両についてはイントロの部分をカットされているようだ。今回の京急500形は半鋼製吊り掛けモーターのクロスシート車両で丁度京阪1700、阪急710、810の頃の車両で全金製、カルダン車への移行期の車両で興味深いものがある。発表写真は最晩年の頃でクハ550形がサハ化されて2連から4連になった姿である。尚、このあと2代目700形(高松琴平電鉄に譲渡されて今でも見ることができる)に近いスタイルの4扉ロングシート車に改造されたが、残念ながら撮影していない。あまり書くとお叱りを受けるのでこのあたりで。
1968.7.18 安針塚 急行浦賀行き502 ライトがシールドビーム化 ▼
保存蒸機とその現役時代(32)
万能機で正面がミニD51に見えるC58 2台
C5849 1938年 川崎 製番2030 新製後仙台から戦後正明市を経て、1955年から長く三次に所属。70年10月に敦賀第一に転属し、71年8月に廃車となっている。
2013.1.10 静岡県掛川市中央公園 掛川駅から徒歩15分くらい西に向かった場所で屋根付きであるが保存状態は悪く、行ってがっかりした。▼

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写真展のお知らせ
総本家青信号特派員さんが個展を開催されたのでお知らせ致します。京都のど真ん中、河原町丸太町で育ちで京都市電をこよなく愛された総本家さんはこれまでもJTBキャンブックス「京都市電が走った街今昔」、趣味誌レイル「街とともに人とともに在りし日の京都市電を偲ぶ」等々数々の作品を発表されております。今回は「京都市電 七条通り」というテーマで人の心に訴える様な総本家さんならではの作品が多数展示されており皆様方の鉄道写真の撮影にも大変参考となる示唆に富んだ作品であります。場所はDRFC-OB会でも時々使わせていただいている集酉楽(しゅうゆうらく)サカタニさんの2階ギャラリーカフェで京阪電車七条駅下車、七条通南側を東へ1分の所でファミリーマートの2階です。バスは「七条京阪前」京都市バス停前です。期間は8月1日から31日までの10時~18時で月曜日と16、17日はお休みだそうです。既に開催されておりますが、未だ、期間は充分あります。上洛の折には是非お立ち寄り下さるようご案内申し上げます。参考にポスターなどに使われたものと新聞に掲載された内容を添付しました。 続きを読む
保存蒸機とその現役時代(31)
中央線211系初撮影
保存蒸機とその現役時代(30)
山形県には保存蒸機が3台と大変少ないことに加えてこれまでほとんど行く機会もなかった。しかし、現在は首都圏からは新幹線「つばさ」利用で日帰りができるようになり、以前よりは出かける頻度も高まった。今回は保存蒸機3台のうち2台を占めるC58を取り上げてみた。デジ青では01を始めドイツの素晴らしい蒸機が連日登場しており、これに対抗するには日本的名機で客貨両用万能機C58が適当と考えた。
C58231 1940年5月 川崎 製番2308
説明板によると新製後天鉄局竜華機関区を振り出しに和歌山紀伊田辺機関区を経て昭和48年10月に会津若松機関区に配置され、以降昭和49年5月まで陸羽東線小牛田~新庄間を走り続けたとある。最後に走ったゆかりの地に近い場所に保存された訳であるが、その生涯の殆んどは和歌山方面で暮らしていたので何となく「よう来たな」と関西訛りで話しかけられそうな感じがした。正面は予備灯付きの東北顔に変わっていた。保存状態はよくない。
2014.6.27 上山市河崎町上山市民公園(かみのやま温泉駅北西徒歩15分)▼
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独り言
先日、京急1000形の黄色電車を報告した。その写真をよく見ると窓ガラスのあたりに高架部分の擁壁なのか線路に近い場所の工作物なのか何か白く反射しているのが見える。京急の看板電車2100形も同じである。ところが、他の電車、例えば北総の9100形にはその現象は現れていない。車両の外板や窓ガラスの材質、塗装の色、つや消しの有無などにより外の景色の反射が大きく出たり、出なかったりするようだ。 京急2100形2101快特三崎口行12:21と北総9100形9118快特羽田空港行12:37 何れも2014.6.16 新馬場▼▼

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京急黄色い電車
京急はその走りっぷりから「赤い稲妻」と言われているかどうか定かではないが、本年5月1日から「黄色い稲妻」イェローハッピートレインが走り始めた。既に趣味誌やデジタル情報でご存知と思うが、INUBUSEさんの[47966]「あじさいの花咲く世田谷線」へのコメントでその黄色い電車について言及したところ、「(まだ見ていないので)お目にかかりたいものだ」とのリプライをいただいたので早速発表する。運行状況については京急案内センター(03-5789-8686平日7:30~21:00、土日祝9:00~17:00)で教えていただける。なお、京急には「青い稲妻」ブルーインパルス、正式には京急ブルースカイトレインもあり、昨年撮影の京王井の頭線の紫陽花電車と共に関連投稿した。
2014.6.16 新馬場(新馬場のホームで撮影するも列車の位置は800m先に見えている青物横丁との中間である) 快速特急青砥行き 1064~1057(アルミ車8連) ▼
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保存蒸機とその現役時代(29)
神足 早暁
梅雨入りし、早速大雨が来襲した今日この頃であるが、昨年のこの時期に総本家青信号特派員さんがデジ青に[34990]「梅雨の晴れ間は近場で撮る<2>」と題して地元長岡京付近をの早朝に走るスーパーレールカーゴ(SRC)を発表された。その際に私も当時は神足であった長岡京に住んでいたことがあり、夜明けの列車を撮ったことをコメントしたところ、それなら載せよと言われ、本日総本家さん投稿と同じ6月8日に拙作を投稿させていただいた。何れも神足(現長岡京)~山崎間での撮影である。
最も早い時間に撮影したのは富山21時40分発の寝台急行「金星」で大阪着は5時である。神足は4時半頃に通過、後部に3両の2等座席指定車を連結している。
157系「こだま」号
総本家青信号特派員さんがデジ青[47114]50年前の撮影地を歩くー2-で京都駅高倉陸橋から撮影された替えダマ153系「こだま」号を発表されておりました。151系の復旧までのピンチヒッターで153系を12日間使用した後157系が後続の繋ぎで1か月近く走りました。私が157系の「こだま」を撮っていることをコメントに書きましたら、それを載せろとご本人からの要請がありましたので掲載します。代行運転使用日数の差および準急・急行用車両の特急使用ということで記録的希少価値としては153系に軍配が上がりますが、当時既に準急用から特急用にグレードアップして臨時特急「ひびき」に使用されていた157系は151系に近い設備等のイメージもありましたので「替えだま」に続く「似だま」としてコメントし、これも記録として今回掲載しました。撮影は1964年4月24日大阪駅です。▼
保存蒸機とその現役時代(28)
窓から写した駅・列車 -番外編ー
総本家青信号特派員さんの「窓から写した駅・列車」シリーズに私も参加させていただく。1964年3月31日早朝のことで日記風の記録が手元にある。それによると前夜宝塚からDF5062[米子]牽引の731列車で福知山に向かい、京都発下関行き817列車に乗りかえて米子に向かった。817列車はC5785[福知山]牽引で到着したが、DF5043[米子]にバトンタッチして残念と記録している。満員の列車なので最後部の便所の近くに陣取ったが、回送と思われるD51254[豊岡]が豊岡まで補機に着いた。
早朝5時30分に米子到着。米子機関区ではD51530、D511044、D511129、C5712、C5763、C57101、C57120、C57165、C51260、48697、78637、C119等を撮影。30分間でそこそこの収穫があった。この頃はとにかくできるだけ沢山の蒸機をカメラに収めるのが目的であった。
米子を6時14分に発車する123Dキハ58系に乗車。この列車は松江から折り返し急行「白兎」大阪・京都行きとなる車両で既にヘッドマークが掲げられていた。
※6時21分荒島駅 1回目の交換列車 松江発122D上井(現倉吉)行きキハ0613単行













