和歌山・ふるさと通信員さんの3月29日[57536]「こうや号特別仕様」に関連して紀ノ川橋梁で横撮りした私の写真も発表させていただく。3月13日紀伊清水~橋本間を行く特急「こうや8号」難波行きで左の難波よりから30001・30100・30101・30002で16時14分の通過。この橋梁は①単線で、②足回りもよく見え、③橋脚もレンガ調で撮影向きである。こういう橋梁は最近少なくなったように思う。難を言えば橋の向こうに見える民家が多少目障りであるが、午前中を含め角度を変えたり、レンズを交換したりすればそれなりの結果が得られる。この橋梁手前には大きなカーブがあり、太陽光線にはいろいろと対応ができるが、意外に難しい部分もある。▼
この日はまあまあの天気。日没までにもう一仕事。こうや号撮影の後しばらくして橋の向こう側に出て、日没のシルエットを狙う。日没寸前には太陽が大きくなることは皆さん経験済みであるが、それを望遠レンズでさらに誇張する手もある。しかし、この時は50ミリレンズとした。問題は日没時の太陽の沈むスピードの速いこと速いこと。通過電車とのタイミングが難しい。今回は車体の向こうに太陽とした。これもいろいろとやってみるしかない。17時35分通過の高野山行き2300系ローカル電車▼
投稿者「準特急」のアーカイブ
阪急2300別掲
ダイヤモンド富士
世界遺産に登録された影響か最近の富士山は人気があるようで富士急の株も急上昇した。ところで富士山の頂上に太陽が沈むところを写真に撮るのが流行っているようでダイヤモンド富士というらしい。私もその真似事を自宅近くの京王相模原線南大沢~京王堀之内間で試みた。もともとカメラの知識に乏しく腕も悪いので失敗となったがその時の結果を御笑覧下され。
保存蒸機とその現役時代(34)
元京王電軌23型生き残りの記録
東武東上線8000系10連Final-Run
東武鉄道8000系は1963年から1983年までの20年間に712両という私鉄界最大両数で製作された車両である。発電ブレーキを持たず経済車というイメージが強いが、台車はミンデンドイツ空気バネFS356で当時よく乗車した阪急の新型車のFS345と似た台車であったがどういう訳か阪急は空気バネではなく、このことがよく話題になった。なお、8000系の後期の車両はS形ミンデンである。関東地区では現在、ステンレスやアルミ車が全盛で鋼製車である京王6000系、小田急5000形などは消え、京成3300形も風前の灯である。このような状況下東武8000系も今回の東上線池袋~小川町間からの撤退により、伊勢崎線系統も含め支線、ローカル線の運行が中心になるものと思われる。
最近の東武鉄道では8000系のリバイバルカラーや6050系改造の展望車スカイツリートレインが話題を提供しているが、1月11日に行われたリバイバルカラーの併結運転を期日を間違えてしまい、やむ無く17日の10連のFinal-Runを撮影したので、過去の8000系の写真とともに報告させていただく。
2015.1.17 霞ヶ関~鶴ヶ島 小川町行き臨時列車8606 JRのイベントと異なりホームに撮影者がいる程度で私の撮影場所は私以外は一人しかいなかった。 ただ、このイベント列車は早期に満杯となった様である。 ▼ 続きを読む
上越線の重連列車
2014年10月30日付デジ青[52792]「秋は気ままに一人旅ー4ー」で深夜の水上駅で電気機関車重連の急行列車を撮影したことがあるとコメントしたところ、投稿者の総本家青信号特派員さんよりその写真を見せよと言われた。身震いするような写真ではないが、ここに昼間の重連列車とともに掲載させていただく。2枚共に逗子の旦那と一緒に撮影をした。
1980年1月18日金曜日の水上駅に23時41分着47分発の急行801列車上越線・羽越本線経由秋田行き「鳥海」が到着。本務機EF5887[高崎第二]の前に補機EF1630[水上]がつく。清水トンネルの中で日付がかわり、次の停車駅は長岡であるが、石内で補機解放のため運転停車する。▼
続いて1980年1月6日日曜日の日中走行上り重連列車。メモに列車名がないが1980年10月号時刻表では急行9702列車「佐渡54号」の時間帯の列車。本務機EF58135[高崎第二]+前補機EF1623[水上]で土樽を通過し清水トンネルに向かうところ。尚、この頃のスキー臨時列車にはEF58単機牽引も見られた。▼
サルに遭遇
今日は北海道は猛吹雪だそうである。先日、紅葉狩りを兼ねて秩父鉄道に出向いた折にサル軍団に出会った。影森~浦山口の武甲山採石場への引き込み線の近くで定番の撮影地である。餌でも探しに来たのかサルの軍団が人目を警戒しつつ線路を越えて民家の庭先に入り込んできた。しばらくして毎度のことなのか住民が自転車に乗ってサルを追い払っていた。撮り鉄猛者の諸兄はサルなどしょっちゅう見ておられることとは思うが、こちら小心者で一瞬びっくりしたので報告した次第である。以前、伯備線の岡山・鳥取の県境近くでも見かけたことがあり、他にも碓氷峠の国道や東海道本線の撮影名所早川~根府川のみかん山でも見かけた。日本国中に居るのかもしれない。ところでサルは人間を襲うことはないと思うが、熊はそうはいかない。最近は餌がないのか人里に下りてきて老人が襲われたというニュースをよく耳にする。秩父でも今年になって西武の横瀬駅から武甲山にかけて熊が出没しており、警戒を呼びかける注意書きを見た。北海道では知床や日高は当然であるが札幌や小樽にも現れており、陸続きである限りどこも安心はできない。熊は臆病なので音の出る鈴などで近寄らせないようにとよく言われる。私などは音をたてるとかえって気づかれるのでないかと思いどうも鈴の準備には信憑性がないと思ってしまう。熊やイノシシやサルに比べまず襲ってこないのが私の大の苦手の爬虫類。こちらは最近はほとんど見かけなくなったがどうなったのだろうか。どの動物も普段は出会うことがないのでたまたま見ると驚くがよく考えてみると人間よりは怖くはないのかもしれない。 続きを読む
置き換え進行中の南武線
9月7日デジ青[51006]「私の撮った南武線過去車両」の中で10月からのE233系8000番台の登場について触れた。総本家青信号特派員さんが、11月4日デジ青[53101]「秋は気ままな一人旅-5-」で上越線EF64牽引の甲種輸送列車新津製作所製造の南武線E233系8000番台をご披露いただいたこともあり、新旧南武線車両の近況を発表させていただく。E233系は10月に投入されたが見た感じでは11月中旬で20%くらいが置き換わった。横浜線の例では凡そ半年で置き換わっているので南武線205系、209系を記録されたい方はお早めに。
2014.11.4 府中本町~南多摩 10月から投入されたE233系8000番台 川崎行きクハE233-8004 後方にあるのは武蔵野貨物線▼
保存蒸機とその現役時代(33)
11月11日米手作市様より広島の保存蒸機C11189についてお問い合わせの投稿があり、そう言えば最近保存機今昔が途絶えているので久しぶりにデジ青へ投稿させていただく。11月9日のホームカミングデイには現役生を交えてOB会クローバー会の総会・大宴会が開催され盛況のうちに終了したが、その翌日、宝塚市にある雲雀ケ丘学園に保存されているC56111を訪ねてみた。この機関車は当時の当会恒例行事である冬季狂化合宿に参加するため飯山線列車に乗車した際に途中駅で撮影したものである。併せて狂化合宿の一端もこの場を借りてご報告したい。
C56111 1937年 三菱 製番211
新製後、門司、木次に配属されたようであるが、1955年飯山機関区に配属されてからは雪深い飯山線で活躍し、1973年に九州吉松機関区に転属し翌1974年に廃車された。
説明板には当学園の創立25周年(昭和50年)を記念し宝塚市と国鉄のご好意で永久保存するとあり、僚機がタイ、マレーに90両送られたこと、大半を長野県下で過ごしたこと、宮崎植樹祭でお召予備機になったこと等適切に書かれている。また、貴重な文化遺産であるから大事に保存したい旨書かれており、保存状態は極めて良好であった。
提携先のカラー電車
青春18快適区間
2014年10月5日デジ青投稿の[青春18忍耐区間]では熱海~浜松間を我慢の乗車区間として紹介した。それでは忍耐の反対の不忍耐区間はどこか。大阪(神戸でもよい)~名古屋間を挙げてみたい。不忍耐という言葉は恐らくないので我慢しなくてよいというよりももう少し積極的に楽しく乗車できるという意味で快適乗車区間とした。その理由は同区間は
①列車速度が速い。特に大阪~米原間は前回紹介した通り特別に速く快適である。
②クロスシート車両で旅の楽しみが倍増される。
③車窓からは多くの歴史的名所旧跡が見られる。例えば安土城址、彦根城、佐和山城址、稲葉山城、名古屋城、山崎天王山古戦場、関ヶ原古戦場等々。
④自然豊かな景色が展開される。例えば河川で言えば淀川、桂川、鴨川、瀬田川、揖斐川、長良川、木曽川等がそれで、山で言えば東山、比叡山、比良山、伊吹山、養老山系等が該当する。それに日本一の琵琶湖。
さらに個人的には
⑤車両基地が頻繁に見られ全く飽きることが無い。吹田、高槻、向日町、京都(梅小路)、野洲、米原、大垣、稲沢と車両を眺めるのに忙しいくらいで、とても本を読んだり、ゲームをする気にならない。
⑥私鉄との併走区間が比較的長く続いたり、複々線での追い抜き等の楽しみが多い。
⑦かつて撮影した場所を車窓から眺めその当時を思い起こすことができる。例えば、高槻~山崎~神足(現長岡京)、山科、瀬田川の鉄橋、近江長岡~柏原~関ヶ原等々。これは大阪~名古屋間に限ったことではないが「あのあたりで撮ったなー」と一瞬当時を思い出すことができる。
大阪~名古屋間は4~5時間かかったC59(小学生で機関車種別を認識できる能力はなかったが先達の記録からC59でまちがいない)の客車列車や電化して到達時間が半分近くに短縮された80系、153系の準急「比叡」等をよく利用した区間で強いて言うと当時は湖東平野が忍耐区間であった。そこで本題から少し脱線するが、快適区間で特に快適に感じた場所を紹介したい。
大阪を出た列車は淀川を渡りしばらく走ると進行左手に吹田操車場が見える。大操車場にはハンプという人工的につくった丘を利用した貨車の行く先別仕分けの施設がありキューロクあたりが貨車を押し上げている風景が見られた。広い操車場なので蒸機の煙も至る所で見られた。
青春18忍耐区間
少し、時期外れな話題であるが、今夏台湾好きのブギウギさんが上京され私の準ホームグラウンド高尾~相模湖間で撮影をされた。その時に「今日は青春18きっぷで帰るが熱海と浜松の間が時間的に長く、短い編成のロングシート車でよく混み合いうんざりする」というようなことを言われた。全く同感である。熱海~浜松間では富士山を眺めることができ、富士川、大井川、天竜川を渡り景色も悪くはないが、長時間のロングシート車乗車が東海道本線の忍耐乗車区間になっているのは否めない。私のよく利用する東京6時34分発でみると大阪までの556.4kmを9時間11分かけて15時45分に到着するので表定速度は60.6km/hである。参考に1964年10月の交通公社時刻表によると東京8時30分発の急行「六甲」は7時間30分かけて大阪に16時に到着し、表定速度は74.2km/hである。翌年11月の時刻表の急行「第1なにわ」東京9時30分発大阪17時30分着では8時間かけて表定速度は69.6km/hである。いろいろな見方があるが、過去の153系急行電車に比べ青春18切符の東海道の旅は5回の乗り換えがあるにしては善戦しているように思える。この善戦も米原~大阪の新快速の激走が寄与している。因みに東京6時34分発を利用した時の6乗車区間のそれぞれの表定速度は東京~熱海59.2km/h、熱海~浜松61.4km/h、浜松~豊橋64.4km/h、豊橋~大垣新快速70.5km/h、大垣~米原61.5km/h、米原~大阪新快速78.0km/hである。熱海~浜松間がロングシートで乗車時間も長く、それほどスピードが速くないこともあり忍耐区間になるようだ。大阪からの上り利用もほぼ同じことが言える。何れにしても格安切符であるので忍耐区間は忍耐せざるを得ない。他にも各地に忍耐乗車区間(個人的には大宮~高崎間)があるが、各人の感じ方もそれぞれあると思う。
<参考写真>
忍耐乗車区間の始まり熱海駅 2014.9.9 右737M熱海止めクハE231-8058と左島田行きクモハ211-6009 ▼
私の撮った南武線過去車両
来月10月からJR南武線にE233系8000番代が登場することになった。本年前半の横浜線のE233系6000番代への置き換えに続くもので、南武線も205系・209系はあっという間に消えてしまう。そこでこの機会に過去に写した南武線の代表的車両をデジ青に取り上げてみた。
南武線は川崎~立川間35.5Kmは戸建て、マンション等が密集しており撮影に適した場所は殆んどない。唯一といっていい場所が、府中本町~南多摩の多摩川橋梁で、それでも背後には武蔵野貨物線が一段高く併走しているのが気になる。
京急500形・550形
[50758]京急500型・550型について関連写真を投稿する。迷図作家関三平先生は関西の方であるが、関東他の車両にも非常にお詳しい。しかし、皆さん関東系の車両には興味がないのか殆んどコメントがなく、紹介される米手作市さんも見たことがなく思い出もない車両についてはイントロの部分をカットされているようだ。今回の京急500形は半鋼製吊り掛けモーターのクロスシート車両で丁度京阪1700、阪急710、810の頃の車両で全金製、カルダン車への移行期の車両で興味深いものがある。発表写真は最晩年の頃でクハ550形がサハ化されて2連から4連になった姿である。尚、このあと2代目700形(高松琴平電鉄に譲渡されて今でも見ることができる)に近いスタイルの4扉ロングシート車に改造されたが、残念ながら撮影していない。あまり書くとお叱りを受けるのでこのあたりで。
1968.7.18 安針塚 急行浦賀行き502 ライトがシールドビーム化 ▼
保存蒸機とその現役時代(32)
万能機で正面がミニD51に見えるC58 2台
C5849 1938年 川崎 製番2030 新製後仙台から戦後正明市を経て、1955年から長く三次に所属。70年10月に敦賀第一に転属し、71年8月に廃車となっている。
2013.1.10 静岡県掛川市中央公園 掛川駅から徒歩15分くらい西に向かった場所で屋根付きであるが保存状態は悪く、行ってがっかりした。▼
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写真展のお知らせ
総本家青信号特派員さんが個展を開催されたのでお知らせ致します。京都のど真ん中、河原町丸太町で育ちで京都市電をこよなく愛された総本家さんはこれまでもJTBキャンブックス「京都市電が走った街今昔」、趣味誌レイル「街とともに人とともに在りし日の京都市電を偲ぶ」等々数々の作品を発表されております。今回は「京都市電 七条通り」というテーマで人の心に訴える様な総本家さんならではの作品が多数展示されており皆様方の鉄道写真の撮影にも大変参考となる示唆に富んだ作品であります。場所はDRFC-OB会でも時々使わせていただいている集酉楽(しゅうゆうらく)サカタニさんの2階ギャラリーカフェで京阪電車七条駅下車、七条通南側を東へ1分の所でファミリーマートの2階です。バスは「七条京阪前」京都市バス停前です。期間は8月1日から31日までの10時~18時で月曜日と16、17日はお休みだそうです。既に開催されておりますが、未だ、期間は充分あります。上洛の折には是非お立ち寄り下さるようご案内申し上げます。参考にポスターなどに使われたものと新聞に掲載された内容を添付しました。 続きを読む
保存蒸機とその現役時代(31)
中央線211系初撮影
保存蒸機とその現役時代(30)
山形県には保存蒸機が3台と大変少ないことに加えてこれまでほとんど行く機会もなかった。しかし、現在は首都圏からは新幹線「つばさ」利用で日帰りができるようになり、以前よりは出かける頻度も高まった。今回は保存蒸機3台のうち2台を占めるC58を取り上げてみた。デジ青では01を始めドイツの素晴らしい蒸機が連日登場しており、これに対抗するには日本的名機で客貨両用万能機C58が適当と考えた。
C58231 1940年5月 川崎 製番2308
説明板によると新製後天鉄局竜華機関区を振り出しに和歌山紀伊田辺機関区を経て昭和48年10月に会津若松機関区に配置され、以降昭和49年5月まで陸羽東線小牛田~新庄間を走り続けたとある。最後に走ったゆかりの地に近い場所に保存された訳であるが、その生涯の殆んどは和歌山方面で暮らしていたので何となく「よう来たな」と関西訛りで話しかけられそうな感じがした。正面は予備灯付きの東北顔に変わっていた。保存状態はよくない。
2014.6.27 上山市河崎町上山市民公園(かみのやま温泉駅北西徒歩15分)▼
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