今頃26

藤本哲男さんが平成26年に因んで26号の車両を紹介され、「藤本さんならではの企画」と大変好評でした。その後蒸機の26号はどうですかと当人に打診したところ「ええんとちゃうかー、京阪や小田急の2600でもかまへんでー」と言われた。そこで節分も過ぎた今の時期で旬の話題から外れているが大型蒸機ハドソン型C62、C61、C60の26号機をとりあげてみた。何れもただ走っているだけの凡作であるが、当時関西では見ることができない大型旅客機を見るだけで感激していた頃が懐かしい。尚、C6226は長い間弁天町に鎮座していたが、近く別の場所に移るとか。

 

C6226[下関] 昭和23年川崎 ボイラD5246

1963.3.27下関   名古屋発603列車急行「阿蘇」熊本行き▼

s-63.3.27下関

 

C6126[仙台] 昭和23年日立 ボイラD51198

1965.9.3一ノ関   隅田川発荷物45列車青森行き▼

s-65.9.3一ノ関C6126

 

C6026[鳥栖] 昭和35年浜松工場改造 元C5940

1964.4.2鳥栖  長崎発2列車特急「さくら」東京行き▼

s-64.4.2鳥栖

 

 

保存蒸機とその現役時代(26)

C5746  1938年(昭和13年) 川崎 製番1899

2013年11月11日  福島市児童公園 ▼

s-13.11.11福島児童C5746

1969年2月23日 播但線新井 C5746[豊岡] ▼

s-69.2.23生野C5746

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台湾ちょっとした話

年明け早々台湾に行ってきた。今回の目的は英国製EMU100が臨時自強号として土日を中心に2月8日頃まで基隆と樹林の間を走るということで急遽現地に駆け付けた。その時見て感じた最近の台湾を少々報告する。

<EMU100>

EMU100は台湾で最初に導入した特急用電車で吊り掛けモーター装備として有名であるが、今まで七堵で休車状態を撮影したことがあるのみである。そこへ今回復活運転をするということで格安航空を利用して行ってみた。情報は主に写友クモハ73106さんからで今回もリーダーをお願いし、三田会のお二方とDRFC-OB3名計6名で快晴の1日を集中して撮影した。写真は2014年1月11日三坑~八堵間を行くEMU100の基隆発樹林行き臨時自強号▼

s-14.1.11三坑EMU100

<友好的で親切な台湾の人々>

台湾の人は昔から親切で、特にお年寄りの接し方、話し方は古き良き日本を思い出させてくれる。この日は土曜日ため復活運転撮影に台湾の若い鉄ちゃんも沢山現れ、彼等からは鉄道カレンダーや阿里山鉄道の絵葉書、それに時刻表などを頂き恐縮してしまった。ホームで日本の爺鉄と情報交換する台湾の鉄ちゃん▼

s-14.1.11樹林友好

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あの頃の西山天王山駅付近

12月21日開業の阪急京都線西山天王山駅の初日の様子はぶんしゅうさんより[42503]「祝西山天王山駅開業」として詳細なレポートがあった。阪急電車の車両前面には開業のヘッドマークをつけた車両が神宝線でも見られ、高速道路との乗り継ぎ等新しいコンセプトを謳った新駅への意気込みが感じられた。

西山天王山から大山崎に向かうあたりは川向うの京阪電車淀~八幡市と共に昔から撮影名所であった。また、京都方面から乗車するとこのあたりから車窓に国鉄(現JR)が併走して近づいてくるのでワクワクしたものだ。この気持ちは今も変わっていない。

西山という地名からは乙訓のたけのこの産地が思い出される。また、天王山は摂津・山城の国境で天正10年の本能寺の変で備中高松から秀吉が全速力で戻り、信長を討った光秀と戦った場所として有名である。一度この山に登ってみたいと思いながら未だその機会がない。

さて、あの頃というのは45年くらい前のことで民家も今ほど多くなく、全体に撮影し易いいい場所であった。車両も新京阪時代からのデイ100が健在で6連(最終的には7連まであったと聞く)で急行運用にも入っており、元特急車の710も全車ロングシート化されたが急行や休日の「歌劇」号などにも見られた。これらの古豪に対し、主力は2300、2800、大阪市堺筋線乗り入れ用3300等で新旧の車両がこのあたりを疾走する姿は見ていて楽しかった。

 

1968.10.6 長岡天神~現西山天王山 125を先頭とする大阪梅田行き急行

この時代、P-6の特徴であった正面の頑丈な幌枠は取り外されており、顔としては非常に物足りなさを感じていたが、豪快な走りっぷりは健在であった。 乗務員は詰め襟の学生服のようなスタイルで車掌アナウンスも「です調」ではなく「ございます調」であった。▼

68.10.6長岡天神125

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保存蒸機とその現役時代(25)

D5125 1936年(昭和11年) 川崎 製番1739

2013.9.9 三田市はじかみ池公園 西村雅幸氏撮影 ▼

s-13.9.9西村氏D5125-2

1969.2.22 西舞鶴発車D5125[福知山] ▼

s-69.2.22D5125福西舞鶴

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保存蒸機とその現役時代(24)

48640 1921年(大正10年) 汽車 製番519

2012.6.25 弘南鉄道弘南線新里駅構内 ▼

s-12.6.25弘南鉄道新崎48640

1969.3.31 川部駅 クモハ73106東ウラ氏撮影 ▼

s-48640 S44.3.31 川部

C5096 1929年(昭和4年) 日車 製番240

2013.1.5 静岡県焼津市小石川公園 ▼

s-130105焼津C5096

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保存蒸機とその現役時代(23)

D51146 1938年(昭和13年)日車 製番670

2013.9.10 静岡市城北公園 ▼

130910静岡D51146

1969.6.18 室蘭本線洞爺~豊浦 上り貨物 D51146+D52 ▼

s-690618洞爺D51146

 

D51428 1940年(昭和15年) 日車 製番803

2013.1.9 大田区東調布公園 ▼

s-13.01.09東調布D51428

1965.9.4 常磐線浜吉田 下り貨物 D51428[長町] ▼

s-650904浜吉田D51428

 

保存蒸機とその現役時代(22)

11月10日のホームカミングデイ並びに天野克正様を偲ぶ会に出席できなかったことをお詫び申し上げたい。この時期は写友5人で東北をまわっており、10日は雨の中を弘前市の城北公園に保存されているD51892に再会した。再会というのは今年1月29日に雪の中を同機保存の現地に駆け付けたが肝心の同機は青いビニールシートで覆われており泣く泣く諦めた因縁の機関車に2回目の対面をしたからである。この機関車は現役時代に撮影しておらず、駅からも2kmも離れた公園に保存されており、もう行くこともないと諦めていた。ところが、今回の東北旅行で弘前にも立ち寄ることになり、クモハ73106東ウラさんの巧みなハンドル捌きで難なく現地に到達して目的を果たすことができた。D51892は1944年4月日立製造、製番1830、1948年7月弘前、1968年4月東能代、1972年4月秋田へ配属され、1972年6月に廃車されている。奥羽本線、とりわけ弘前区での活躍が長く、地元中の地元に保存されて同機も満足のことと思う。

2013.11.10 弘前駅北方約2kmにある城北公園保存のD51892▼

s-13.11.10城北D51892

今年1月29日のビニールシートを被った同機の姿▼

s-13.1.29城北公園
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保存蒸機とその現役時代(21)

8620は687両と製造両数は多い。保存機は21両で私はほとんど撮っていない。代表的なハチロク活躍路線であった花輪線、五能線に行かなかったことも原因しているのかもしれない。

千葉県佐倉市の高崎川南公園はJR総武本線佐倉駅から北側にある佐倉城方向に向かって5分くらいの所にある。ここの保存は鳥かごよりも虫かごのようになっており、コンデジでへばりつかないと撮れない。定期的に見学日を設けている様でありそのような時の方が訪問によい。天井もあり、頑丈な虫かごに入っているので保存状態はいいはずであるが、私が覗いた時は中が整理されておらず何となくごみごみした感じであった。

2013.2.21 佐倉市高崎川南公園保存機58683▼

s-13.2.21高崎川南公園58683

s-58683ナンバープレート

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保存蒸機とその現役時代(20)

9600は総数784両のうち保存機は43両(イカロス出版保存車大全2012年リスト)のうち現役時代の撮影は僅かに9687の1両である。北海道ではD51、9600、C57が蒸気機関車末期まで活躍した関係か9600の保存機も北海道地区が17両と多い。

9687は1915年(大正4年)11月川崎造船製造(製番266)で説明板によると大鉄管内や五稜郭に配属され1965年9月に大宮区に来てからは川越線と入換えに使われて1969年に廃車された。

1970年1月から川口市の青木町公園に保存されているが、イカロスの保存車大全によると解体予定とあり、急遽本年(2013年)4月26日に現地に駆け付けてみた。屋根付きではあったが案の定荒れた状態でほこりを被ったような感じであった。同地へはJR京浜東北線西川口駅から北東方向へ徒歩10分程度の所にある。

2013年4月26日の9687▼

s-13.4.26青木町9687

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保存蒸機とその現役時代(19)

西村雅幸さんに地元で撮っていただいた保存蒸機D51860とその現役時代である。D51860は1943年11月に鷹取工場で製造(製番18)された戦時設計の機関車で説明板によると山陽、山陰で活躍とある。福知山時代が結構長かったようで最終的には1972年9月新見区で廃車となり翌年福山市に貸与されて同市曙4丁目の曙公園にワム88035とともに保存されている。保存場所は福山駅から南東方向約4~5kmくらい離れた海に近い場所である。車でないとアクセスは厳しいようだ。

2013.8.27 福山市曙4丁目曙公園に保存のD51860+ワム88035▼

s-13.8.27福山51860西村氏

この位置から見ると戦時設計の角型ドームがよくわかる。▼

s-D13.8.27福山51860後方西村氏

高校生の頃、自宅から自転車に乗り、報徳学園の前の武庫川沿いを甲武橋をめざし、橋を渡って西国街道を伊丹に向かった。伊丹駅は織田信長に攻め落とされた荒木村重の伊丹城の一部を使っているという。当時は勿論単線のローカル線であったが、今は頻繁に電車が行き交う複線の重要路線となり車窓から眺めても付近の景色は様変わりして昔日の面影はない。

1962年11月18日 福知山線伊丹駅に停車中の上り貨物D51860[福知山]        保存機と異なりシールドビームの前照灯に集煙装置と重油併燃装置付き▼

s-67.10.18伊丹D51860_

 

京王2600系

京阪500型は人気者であったが、京王2600系は人気者(?)であったかどうか。デジ青[14402]「元京王電車」2011年7月27日のコメントにでんかんしょまつり号さんから京王2600系は好きな電車なので公開せよと言われた。何れ、迷図作家関先生より紹介があるからその時に公開しようと思っていたが、どうも不人気なのか出てこないので今回発表することにした。私はこの電車は米手作市さん流の言い方をするなら不細工な電車と思っている。乙訓の老人さんは京阪500型は戦時中他の車両がへたった時に頑張った功労車と言われたが、京王2600系も功労車である。軌道イメージの強かった戦前の京王線14メートル車から脱皮するべく、新生京王帝都電鉄(1948年6月1日東急から分離独立)最初の新造車両として1950年に日立製110KW×4のデハ2601~2610の10両、翌年日立、日車製サハ2651~2655の5両計15両がつくられた。1950年生まれということは阪急京都線複電圧クロスシート車(一部ロングシート車あり)710系と同じ生まれ年である。710系はナニワ工機製全金19メートル車170KW×4(一部150KW×4あり)のMT編成で大阪~京都間ノンストップ特急に使われていた。この電車はスタイルがよく歌劇特急にも使われたことで京都線のプリマドンナとも言われた。一方、京王2600系は大型新造車とは言え、長さは半鋼製16.8メートル車で幅も2640ミリと狭く、車内は木製床で見劣りがした。正面非貫通3枚窓は湘南電車初期型に似るという人もいるが、ノーシル、ノーヘッダーに京王独特の前照燈2基(当初1基)の姿は不細工に感じた。台車も日立KBD-102という見慣れないウィングバネであった。阪急京都線710系は神宝線810系と共に阪急標準車両となり、特に810系は宝塚線の車両限界拡大に寄与したが、京王2600系も当時の京王線車両の大型標準化に寄与した車両と言える。しかし、両者は横綱と平幕か十両くらいの差に感じた。

1968年8月18日 まだ相模原線がない頃の京王多摩川支線からの2606他4連(回送?)が調布駅に進入するところ。この風景は昨年8月の調布駅付近の地下化により消滅した。▼

s-1968.8.18調布2606

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保存蒸機とその現役時代C56110追加

クモハ73106東ウラさんより[保存蒸機とその現役時代(18)]のC56110について最後の浜田時代の写真(1971年3月17日撮影)が送付されたので追加の形で発表する。浜田機関区はレンガ調の庫で私も1964年3月31日の木次機関区訪問の後、浜田に向かった。福知山線時代にカメラにおさめることができなかったC54の撮影が最大の目的であったが、丁度廃車された後であり、残っていたC57やD51では納得できず苦い思い出のあった場所である。

s-71.3.17浜田C56110-1

My beautiful picture

保存蒸機とその現役時代(18)

木次機関区で撮影したC56110は思いも寄らぬ場所に保存されていた。東武伊勢崎線(今はスカイツリー線?)草加駅から西側5分の所にある氷川中公園というこじんまりとした公園が保存場所で、草加神社の参道脇のため松の木等もあり、雰囲気は悪くない。悪いのは機関車で保存状態は最悪に近い。前照灯が大きいのがついていたのがせめてもの慰めであるが、全体がぼろぼろで見るに忍びなく、やや離れて撮影の1枚のみ掲載する。

C56110は1937年三菱製造、製番210で新製後米子局、神戸局等に配置とされているようであるが、はっきりしない。記録に残る最も長く配属されていた場所は木次機関区で木次線の客貨に使用されていた。最後は浜田機関区で三江北線(江津~浜原)と入換えに使われて1972年12月に廃車されたと説明板にある。

2013.10.21 草加市氷川中公園保存のC56110▼

s-2013.10.21草加保存C56110

 

訪問当日のC56110は木次機関区で無火状態であった。1964.3.31▼

s-1964.3.31木次C56110

やむ無く正面から撮ったもので前照灯はシールドビーム▼

s-1964.3.31木次区C56110

 

どですかでんさんの小海線の写真に寄せて

10月17日、クモハ73106東ウラさんより添付写真付メールがありましたので原文のまま報告致します。

10月17日8:19

おはようございます。デジ青にどですかでん様が投稿されていた「1970年夏のC56149」の撮影場所ですが、実は私も全く同じ場所で撮影したことがあります。清里から1kmほど野辺山方です。添付写真をご覧いただくとおわかりいただけると思いますが、真ん中の大きな木が決め手です。私の場合は、1971年(?)~72年の小海線に混合列車が走った時の撮影です。同列車に小淵沢駅から乗車し、清里で15分?くらい停車するので、走って行き、撮影しました。C56144です。どですかでん様にお知らせいただくと幸いです。どですかでん様の写真と見比べてくださいませ。▼

クモハ73C56貨物

s-クモハ73C56149

s-クモハ73C56144混合

10月17日19:58

こんばんは。今朝、お送りした小海線の写真はモノクロの鮮明なものがありましたので、添付します。昭和47年8月19日、清里~野辺山間、清里から1Kmくらいの場所です。よろしくお願いいたします。▼

クモハ73C56混合72.8.19

以上の内容ですがどですかでんさん、場所を思い出されたことと思います。(準特急)

 

保存蒸機とその現役時代(17)

C57がしばらく続いたので今回はC56である。

木次線木次駅から南約1kmにある雲南市木次体育館横に保存されているC56108。雨ざらしで荒れた状態である。1937年三菱製造、製番208、1974年浜田区で廃車。

2011.7.25 西村雅幸氏撮影▼

s-西村氏11.7.25雲南市C56108

説明板 2011.7.25 西村雅幸氏撮影▼

西村氏11.7.25C56108説明板

1964.3.31 木次機関区のC56108▼

s-64.3.31木次C56108

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保存蒸機とその現役時代(16)

和歌山県には3両のC57が保存されている。何れも晩年は国鉄天王寺鉄道管理局管内で活躍した機関車である。

徳川御三家の一つ紀州和歌山城の西端の一角にある岡公園にはC57119が保存されている。C57119は1939年11月三菱(製番269)で製造され、新製後は宮原→白河→高崎第一→大宮へ配属、1949年5月鹿児島→1956年11月山田→1959年5月和歌山へ来て1972年3月に廃車となり1973年3月同地へ保存されている。尚、近接して南海和歌山軌道線の321号も保存されているが、何れも高い柵で囲まれており撮影にはコンデジが必要である。保存のC57119は集煙装置を付けておりとても貴婦人には見えない。岡公園へはJR和歌山駅からバスで10分お堀端徒歩5分である。

2013.8.31和歌山市岡公園保存のC57119↓

s-13.8和歌山C57119

1963.8.6 紀勢本線東和歌山(現和歌山)~宮前間を行くC57119[和歌山]牽引の2106列車準急「しらはま」天王寺発白浜口(現白浜)行き↓

s-63.8.6東和歌山C57119

 

JR和歌山線、南海高野線橋本駅から西側の坂道を30分ほど登った所にある橋本運動公園の奥にC57110がこれまた柵で囲まれて保存されている。C57110は1939年4月に三菱(製番260)で製造され、当初の配属は不詳で、戦後の1946年に平配属後→宇都宮→山田(伊勢)→亀山→和歌山→亀山となり廃車されている。山田時代には六軒駅の事故機となりその後復活している。ボイラ端面はC57119同様に角型となりC55に似た顔である。保存状態は悪い。

2013年8月31日 橋本市運動公園保存のC57110↓

s-13.8橋本C57110

1972年9月10日 亀山駅朝7時過ぎの伊勢市行き牽引C57110[亀山]↓

s-修正亀山C57110

和歌山県のもう1両の保存機C577は田辺市湊(会津公園)に保存されているが、現地で撮影された方がおられたら発表なり、私の方へ添付送信いただければ有難いです。

 

 

 

方言

特急「つばめ」や「はと」の頃、東京と大阪を同時に出発した列車は浜名湖の鉄橋あたりですれ違ったと聞いたことがある。在来線の同区間は556.4Kmでその半分278.2Kmは鷲津と新所原の中間になる。中間地点よりやや東京寄りの浜名湖の鉄橋ですれ違ったとすれば、西側に勾配区間があることと停車駅の数の影響があったものと思われる。新幹線はどこですれ違っているのであろうか。

2010.9.1新居町~弁天島の浜名湖橋梁を行く豊橋行き117系とそれを追い抜く新幹線↓

s-10 09 01新居町937M

私は現在東海道五十三次徒歩の旅を続けている。これをやっていると青春18切符の早いこと、安いこと、便利なことを痛感する。さて、その徒歩の旅であるが、先日、新居と二川の間にある白須賀宿にある休憩所で地元の古老と話す機会があった。以前から興味のあった各地の方言についてこのあたりは大きく分けて関東系と関西系の言葉のかわるところではないかと思って訊いてみた。答えははっきりしなかったが、舞坂宿と新居宿の間の東海道は渡船で渡ったとのことで、多分この付近で日常の往来が途切れていたのではないかということであった。また、二川の古老は言葉は浜松に近いが買い物は豊橋であるとのこと。言葉にも山頂というものがあるような気がするが、交通が発達した現在は山頂の両側の往来が頻繁となり、さらに全国的に同じ言葉になってきたような気もする。豊橋に来ると名鉄沿線になるので名古屋弁と思っていたが、岡崎あたりは三河弁という。三河弁がどういうものかよくわからないが、名古屋とは違った言葉があるのであろう。関東でも横浜の「〇〇じゃん」と山梨の「〇〇ずら」は有名であるが全体的には関東系の言葉の範疇と私は思っている。同じ日本語でも例えば「雨が降ってきた」は関東は「あ」にアクセントがあり、関西は「め」にあり、「降ってきた」もアクセントが違うので同じことを言っても東西どちらの人間かはすぐわかる。私は個人的には名古屋弁は東西どちらとも異なる方言と思うが、テレビなどで街頭インタビューなどを聴くと名古屋の人は標準語に近い感じがする。関東のうどんは真っ黒けの汁であるが、きしめんの汁はどうであっただろう。名古屋弁は大垣までは続くが関西弁が出てくるのはどのあたりかこれも興味がある。個人的には関ヶ原か柏原あたりと思う。

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保存蒸機とその現役時代(15)

201両のC57にあって最も有名なのが全盛期に特急「かもめ」を牽引したこの11号機。保存機の説明にも比較的物資に恵まれた時代にうぶ声をあげ、戦前型の部材の良さが目立つと好意的な表現がある。製造は昭和12年9月 製番は1503で主な配属は新製後小郡区で山陽本線で活躍。昭和18年頃に門司に移り以降門司港区が長く、門鉄デフの颯爽とした姿で鹿児島本線で活躍した。その後昭和32年豊岡、35年福知山と移り、山陰、福知山線で活躍した。晩年は豊岡区で播但線の客貨を担当し、昭和47年11月に廃車された。

2013.8.30 豊岡市豊岡中央公園(駅から東側円山川方向徒歩15分)保存のC5711↓

s-13.8豊岡C5711

晩年集煙装置をつけた時に改造されたのか煙突が心なしか短く感じる。現役時代に赤ナンバーをつけたことがあったのだろうか。集煙装置と重油併燃装置が外されているのは保存には好配慮。しかし、屋根付きにしては保存状態が良好とは言えない。↓

s-13.8.C5711豊岡

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保存蒸機とその現役時代(14)

奈良県西部大阪府との県境に近いJR関西本線(大和路線)王寺には少し離れているが2台の蒸機が保存されている。ここは信貴山電車や台車の研究など最近メキメキ頭角をあらわしてきたどですかでんさんのお住まいの地と聞いている。

一つは王寺駅から大和川を渡った高台にある三郷小学校校庭に保存されているC57160である。大勢の学童がいる中を場違いの高齢者がトボトボ歩くのは恥ずかしい気がするが皆挨拶をしてくれるので余計に恥ずかしくなる。

2013.5.8 三郷小学校保存のC57160↓s-13.5.8C57160三郷小

説明板には主なと断って運転区間が紀勢線、和歌山線と地元を考慮しており、東海道本線も書かれている。交友社のSLNo3を見ると新製後宇都宮、千葉、新小岩と関東で活躍し晩年の1969年に和歌山に転属してその後紀伊田辺に移動しているようだ。東海道本線は走っていたのだろうか↓

s-13.5.8C57160説明 続きを読む