昨年4月に続き趣味仲間Sさんのリーダーシップのもとで台湾鉄路をまわってきたので報告する。今回は、鉄研三田会の3名の方を含め、合計6名で途中適当に離散集合を繰り返しながら、撮り鉄、乗り鉄、飲み鉄を楽しんできた。個人的には1968年(昭和43年・中華民国57年)3月にゼミ旅行で訪台した時に別行動で撮影した場所への再訪が目的の一つであった。45年前の拙文は当時の青信号に掲載されているので今でもお持ちの方は参照されたし。
<3月20日> 羽田⇒台北松山⇒MRT⇒高鉄台北⇒高鉄台中(台鉄新烏日)⇒台鉄台中 ※ 高鉄は高速鉄道で台湾の新幹線、台鉄は台湾鉄道で在来線、MRTは地下鉄
旅の初日は台中である。当初虎尾のサトウキビ列車の予定であったが直前に運行終了の情報が入り、やむ無くホテルはそのまま台中とし、翌日以降の計画は練り直しとなった。高鉄の台中は台鉄の新烏日で、台中までは区間車で10分程度であった。早速、昔撮影した台中から烏日までを車窓から注意していたが、道路ができ、建物がびっしり建っており写欲を失う。古いセピア色の写真を持参してきたので失礼ながら台中の駅長室に飛び込み少しでも昔の撮影場所の雰囲気が残っていないか質問してみた。何せ45年まえのことで誰もよくわからず、逆に訪問を歓迎されてしまった。李駅長の話によると1917年にできた駅舎と駅ホームなどはそのままであるとのことでこのあとしばらく駅での撮影を行った。この日は虎尾の最後の撮影に間に合った大津の86さんが帰国前日であるにもかかわらず私達が投宿するホテルまで来てくれた。大津86の名前の由来、台中は出張等で度々来られたこと、海外のこと、DRFCのこと等を歓談したがあっという間に時間が過ぎてしまった。
上:台中駅到着のDR2700系 2001車次光華号台北発高雄行き 1968.3.23 9:26↓
下:ほぼ同じ場所での127車次自強号E1031基隆発高雄行き。 ホームは嵩上げされている。2013.3.20 16:14↓
上:台中駅南下ホームより台北方向を臨む。CT165(8620)と弁当売りのおばさん。1968.3.20 9:20↓
下:ほぼ同じ位置であるがCT165の位置に機関車現れず。左の区間車は韓国大宇製500系電車嘉義発后里行き。右の側線は高架化工事なのか無くなっていた。後方の車庫も無くなっていた。ホーム上屋の柱は昔のまま。2013.3.20 16:20↓
歴史記念物の1917年製の台中駅。45年前も基本的に同じ姿であった。↓