客車廃車体訪問記 内地編20 広島県-1

【チチヤスハイパーク跡】 34.308618, 132.291212  2019年8月12日撮影 最寄り駅前空駅
マニ60 2387
またまた何が写っているのかわからない画像で恐縮である。木々の間に少し見える青緑色の車体がマニ60である。荷物用扉上部が見える。屋根は張り替えている。右端の建物は中国新聞 広島制作センター。
廿日市市大野にあるチチヤス株式会社は、かつて会社敷地内にチチヤスハイパークというレジャー施設を持っていたが、経営悪化の為大部分を中国新聞社に売却した。施設は、「ちゅーピーパーク」や「ちゅーピープール」と名称を変えて賑わっている。その、売却しなかった山中にマニ60 2387が取り残されているのである。
ここへのアプローチとしてまず、北側のチチヤス本社前の小道から入ろうとしたら守衛に呼び止められ、社長命令で部外者はチチヤス敷地内には立入禁止だと言う。そこで南側のちゅーピープール入口から大回りしてプールの北側までたどり着いたが、マニ60まであと少しというところで道が無くなっており、草木が生い茂ってとても分け入って行くことなどできない状況になっていた。この調子では近づけたとしても草木に埋もれているのではないかと思われるので残念ではあるが諦めた。ひょっとするとプールと絡めて撮影できるかと思ってわざわざ暑い時に行ったのであるが空振りであった。猛暑のなか汗をかきかき、可能な範囲で調査したことに免じて、このような画像で勘弁していただきたい。合計1時間程歩き回ったが、リハビリのおかげでヒザはなんともなかった。
なお、広島駅では西村さんご紹介の1~2番乗り場間、3~4番乗り場間、5~7番乗り場間(6番乗り場は無い)の給水設備を見学した。「広島駅に残る客車への給水設備」 投稿日時 2018年10月15日https://drfc-ob.com/wp/archives/100960#more-100960
◆ホハ35300(1927年新製)→(1928年改番)ナハ23808→(1954年鋼体化改造 新潟)マニ60 387→(電暖追設)マニ60 2387→1986年廃車

 

客車廃車体訪問記 内地編19 石川県-1

【白山市藤木町】 36.483598, 136.579238 1992年3月29日撮影
マニ50 2166
白山市藤木町の県道188号沿いにあった。車内にホダ木があり、椎茸の栽培をしているようであった。車外に使用済みの木が積まれていた。この客車は現存しない。
◆マニ50 2166(1980年新製 新潟)→1987年廃車
↑背の高いタンクは今は無い。
↑背後の建物は今もある。

客車廃車体訪問記 内地編18 東京都-2

【品川駅東口食堂「TRAIN21」】 1993年7月29日撮影
スエ31 79
オエ61 312
品川駅東口に「TRAIN21」と称する食堂があった。訪問時はもう営業をやめた後のようで、元救援車は厨房のようだったが外部が一部腐食して浮いて見苦しい状態であった。車体標記・ナンバーもそのままに、テーブルのあるホームには屋根が無く、雨が降ったらどうしたのであろうか。ビヤガーデンよりもワイルドである。
◆スハニ35 11(1951年新製 帝車)→(1966年改造 土崎工)マニ35 2204→(1971年改造 大宮工)スエ31 79→1987年廃車
◆スハ33278(1938年新製 日支)→(1941年改番)スハ32 615→(1970年改造 幡生工)マニ36 2112→(1982年改造 大宮工)オエ61 312→1987年廃車
続きを読む

客車廃車体訪問記 内地編17 福岡県-1

【九州鉄道記念館】 33.943408, 130.961793 2016年11月17日撮影
スハネフ14 11

本稿ではJR自前の施設の展示用客車は採用しない方針であるが、当車は展示しているからには廃車になっているはずなのに、廃車日がどうもすっきりしないので採り上げた。
1.『鉄道ファン』687号2018年7月号付録p.40 … 「2013年8月14  日廃車」。

2.『鉄道ピクトリアル』896号2014年10月増刊号p.221 … スハネ14が2両在籍(2013年度末現在)。
同909号2015年10月増刊号p.234 … 2014年度末現在 在籍無し(廃車明細も無し)。

3.ジェー・アール・アール編(交通新聞社発行)『JR気動車客車編成表2019』p.75 2019年4月1日現在 … スハネフ14 6と11が熊クマ配置。
このように各誌バラバラなので困る。JR化されてからこのような傾向が目立つような気がする。廃車日を明記している1.の『鉄道ファン』による「2013年8月14日廃車」を採用する。
◆スハネフ14 11(1972年新製 日車)→2013年廃車

なお、ここと関門海峡めかり駅のオハフ33 488は、昨年ぶんしゅうさんが発表されている。
2018年夏、酷暑の旅 Part12 門司港レトロ訪問 投稿日時: 2018年10月13日  投稿者:  ぶんしゅう旅日記 https://drfc-ob.com/wp/archives/100814#more-100814

うごく写真 第二弾 小海線小淵沢大カーブを行く高原列車

 総本家青信号特派員さんが「天然色写真で・・・【11】」(題名が長いので短縮)に小海線で撮影された写真を投稿されていたので、それに刺激されて・・・うごく写真 第二弾を

 総本家さんは昭和47年であるから1972年の8月で、私は1970年7月に撮ったものです。DRFC恒例の前期夏季合宿の合流前に有名な小淵沢の大カーブに撮りに行きました。前日に釜無川の右岸にある塩沢温泉に宿泊して、撮影地の大カーブの所には宿の人に軽トラで送ってもらいました。写真は総天然色でポジフィルムです。カビカビになっているのでカビの部分を修正しました。さてどのように見てもらうかと考えたところ以前に上笠田の写真で行った「うごく写真」にしました。

これで、おしまい

客車廃車体訪問記 内地編16 宮城県-2

【仙台市ガス局】 38.273770, 140.906876 1991年4月撮影
スハネ30 2122
オハ35 2004
仙台市宮城野区の仙台市ガス局北側の敷地内にあった。なんと蒸機が3両もあって、超豪華な編成である。スハネ30の廃車体はたいへん珍しい。オハ35も若番の貴重な廃車体群であったが、その後蒸機3両は利府へ移動し、客車は残念なことになくなってしまった。
続きを読む

客車廃車体訪問記内地編15 静岡県-2

【天竜二俣駅】 34.859544, 137.818959 2016年1月2日撮影
ナハネ20 347
正月の昼下がり、天竜二俣駅西側の踏切から構内を見る。ナハネ20 347の手前はキハ20 443。転車台&鉄道歴史館は画面右奥にある。
◆ナハネ20 347(1970年新製 日車)→1987年廃車
続きを読む

京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その1)

大津電車軌道は明治39年に由利公正らが発起人となって石山-坂本間の特許出願を行い、翌明治40年9月21日に特許がおりました。その後建設に着手し、大正2年3月1日大津(現在のびわ湖浜大津)-膳所(現在の膳所本町)間を皮切りに路線を伸ばしていきました。
更に開通と同じ時期に堅田、南郷への延伸を図り、大正11年には三井寺と東海道新線にできた大津駅を結ぶ路線を計画しましたが、急な拡大と、不況の影響もあっていずれも建設着手に至らず、運行までこぎつけたのは当初路線の石山寺-坂本間のみとなりました。
1. 堅田延伸
明治40年9月に特許が降りた石山-坂本間の路線は現在のものとは全く違い、浜大津より東は浜通りを通り、石場から旧東海道に沿って石山寺に向かうもので、一方浜大津より西側は西近江路、現在の県道大津高島線(旧国道161号線)を下阪本まで行き、西に転じて坂本に至るものであった。堅田への延伸路線は下阪本から分岐して雄琴を通り、堅田町本堅田までの5哩で、大正2年8月27日付滋賀県知事あてに特許申請が出された。 続きを読む

客車廃車体訪問記内地編14 岩手県-1

【小岩井農場まきば園】 39.750181, 141.019215 2018年4月29日撮影

↑手前からD51 68,ナハネ20 352,355,363
D51 68は北海道のカマであった。ナハネ20の3両はラストグループ(ラストナンバーは364)である。
D51と客車にまとわりついているのはLEDのイルミネーションで、11月下旬から「銀河牧場の夜」と称してライトアップされると案内板に書いてあった。
以前はナロネ21で、その後このナハネ20でSLホテルとして営業していたが、10年位前に閉鎖されたらしい。
このSLホテルは、1977年4月29日にオープンし、その時は、
D51 68+ナロネ21 152+ナロネ21 554+ナロネ21 104+ナロネ21 502+ナロネ21 107
と、A寝台車5両の豪華編成であったが、その後、
D51 68+ナロネ21 502+ナロネ21 554+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
と変化し、さらに
D51 68+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
となった。

◆ナハネ20 3両とも(1970年日車 新製)→1994年廃車(最終配置は盛アオ)

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編13 福島県-2

【磐越東線小川郷駅傍のナヤ11】 37.126265, 140.862478 2018年4月30日撮影

小川郷駅の西側、ホームの目の前にある。ナヤ11 2の前半分で、ナヤ11 1と違い、きちんと手入れされていて、近隣の会社の休憩所か地域の集会所のような感じに見える。磐越東線の列車からは、眼前にナハ11が停まっているように見えるかもしれない。
◆ナハ11 60(1957年8月新製 日車)→(1959年電暖追設 大宮工)ナハ11 2060→1969年3月5日近代化改造 大宮工→1972年7月27日体質改善B2 大宮工→(1976年3月改造 郡山工)ナヤ11 2→1987年廃車

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編12 福島県-1

【いわき市戸作田のナヤ11】 37.074152, 140.805767 2018年4月30日撮影

ナヤ11 1
いわき市好間町大利戸作田(よしままち おおり とさくだ)の「とさくだえき」という屋号の、廃業した軽食&喫茶店跡で、ご覧のとおり荒れ果てている。道路から距離は近いがとても近づく気になれない異様な雰囲気である。たとえば車で雨降りの薄暮に走っていて、カーブを曲がった所にこれが現れたら肝を潰すかもしれない。訪問したのが天気の良い日中で良かった。実際はすぐ近くに小学校や郵便局があり、前後に人家も少しある。ワラクロ屋のツアーではこんな所には来ないだろう。
ナヤ11は3両在籍し、 1と2は水戸鉄道学園の交直流電車用教習車であった。
◆ナハフ11 29(1958年9月新製 日車)→(1959年度電暖追設 大宮工)ナハフ11 2029→1972年7月20日体質改善B2 大宮工→(1976年改造 郡山工)ナヤ11 1→1987年廃車

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編11 大阪府-1

【祝!! 甲子園出場  履正社高等学校】 34.775288, 135.479791 1987年6月28日撮影


▲ナハネフ22 1023
履正社高等学校は、今年の夏の甲子園に大阪府代表として出場が決まった。3年ぶり4度目の出場である。頑張ってほしい。ナハネフ22はその学校の入口にあって、生徒の宿泊設備なのであろう。搬入されて間もない姿である。現在はもうない。方向幕は「大阪-長野」・「ちくま」で、テールマークは青で「TRUE DREAM」であった。12系と併結するための改造を受けて重くなり、標記は「ナ」であるが実質「オ」級なので▲マークがある。
◆ナハネフ22 23(1970年日車 新製)→(1978年改造 高砂工)ナハネフ22 1023→1987年廃車

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編10 鳥取県-1

【若桜鉄道隼駅】 35.388747, 134.269693 2011年11月2日撮影

オロ12 6   JR四国でグレードアップされ、客室をカーペット化し、固定窓にして塗装を変更した。定員が20名になったのでユニットクーラーが4台になった。イベント列車からその後ムーンライト高知に使用され、さらに塗装が本来の12系色に戻された。2011年、JR四国から若桜鉄道にやって来て、「ムーンライトはやぶさ」という名称のライダーハウスとして営業しているそうである。「ムーンライトはやぶさ」のサボもある。北陸鉄道のED301と連結されていて面白い編成である。
◆オハ12 6(1969年新潟 新製)→(1988年改造 多度津工)オロ12 6→2010年廃車

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編9 東京都-1

【京成関屋駅西方のスユ37】 35.743419, 139.808338

 

スユ37 2004
◆オユ36 4(1949年日支 新製)→(1961年電暖追設形式変更 大船工)スユ37 2004→1971年廃車(現車の銘板と不一致の可能性がある)

前回に続き、何が写っているのかわからない画像で恐縮である。京成関屋から上野方面へ向かって発車してすぐ南側の築堤下に見える。
車体は2つに切断されている。幕板の採光窓がわかる。廃車になって間もなくここへ来たようで、現役の廃車体としてはたいへんご長寿であるが、老朽化が進んでいるようで将来が気になる。

続きを読む

’70年代生大集合

 

昨日京橋商店街の一角に集まったのは還暦を過ぎたおっさんたち21名(内お一人は59歳でしたが)、’71~’78年度生の集まりです。数年前からAさんの発案で‘71~’75年度生が集まって年に2回旧交を温めています。私も5年ほど前からお誘いを受けて参加しており、昨日は恒例の夏に向けての暑気払いでした。集合場所の京橋駅切符売り場で待っていると、いつものメンバーの他に、新しいメンバーも来ているよとの連絡で会場に行くと、10人ほどが既に集まっていました。’75~’78年度生のメンバーで4年前の広島旅行、昨年の近鉄「楽」に参加した方もいて、遠くは九州から来た方もおられました。‘77年度生を中心としたメンバーも集まることがあるとのことで、今回は合同の大集会となりました。初対面の方もおられますが、近い年代で話も弾みます。他の年代でもこのように集まっている方がおられるのではないでしょうか?まずは近い年代の方々で旧交を温め、更に広いDRFCクローバー会への参加へと結びつけばと思っています。普段のイベントに参加できない方も、11月10日のホームカミングデーに合わせて行う集会には是非お越しください。 続きを読む

客車廃車体訪問記内地編8 宮城県-1

【東北本線田尻駅ホームから見えるマニ44】 38.597664, 141.059331

↑マニ44 2065 2019年6月27日撮影

配置は盛モカ、じつに短命で、たった7年半しか在籍期間がなかった。
田尻は東北本線小牛田のひとつ一ノ関寄りである。小牛田から北はワンマンカーで、駅員はいない。ホームの靑森寄り草ぼうぼうの所から見ただけでナンバー等の確認はしていない。樹木の葉や雑草が茂り、見えない部分が多く、一目見て客車だとはわかりにくい。アルミ電解コンデンサのメーカー工場の駐車場線路側にある。倉庫であろう。同時期に廃車された経年の浅い車両が他にも売却された可能性がありそうであるが現在のところここ以外に知らない。
◆マニ44 2065(1979年富士重新製)→1987年廃車

続きを読む

 “ビア電”乗って 昭和の近江鉄道を偲ぶ 【2】

近江鉄道の電気機関車

“ビア電”に乗って、酔いが回るうち、思いは昭和の近江鉄道へ、正体・由来もよく分からないような電車がゴロゴロしていた時代へとさかのぼりました。貨物輸送も活発で、それぞれ由来を持った個性派の電気機関車が揃っていました。なかでも、もと国鉄のED14が4両全機そろって働いていたことで知られていました。ED14については、少年時代のホロ苦い(?)思い出があります。

アメリカGE製のED14、大正15年に、東海道本線の電化に際して輸入された。1~4の全機が近江鉄道に揃っていた(彦根 1980年)。

続きを読む

客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3

【加悦SL広場】 35.481148, 135.092510

↑キハ08 3(2-4位側) 2019年4月5日撮影
台車はDT22AとTR51A、乗務員扉は1・4位側にしかない。後位側(画像手前)にあった便所・化粧室は加悦鉄道入線時に荷物室にした。外妻に銘板が3枚あり、右上は「日本国有鉄道」、右下は「昭和30年盛岡工場鋼体化改造」、左は「昭和37年苗穂工場」である。
◆ナハ24972(大正11年汽車新製)→(昭和3年改番)ナハ22459→(昭和30年盛岡工鋼体化改造)オハ62 130→(昭和37年苗穂工気動車化改造)キハ40 3→(昭和41年改番)キハ08 3→昭和46年廃車→昭和47年加悦鉄道で営業運転開始
オハ62 130はオハ62のラストナンバーである。

続きを読む