【わんぱーくこうちアニマルランド】 33.542437, 133.556553 2018年5月4日撮影
オハ50 11
◆オハ50 11(1978年新製 新潟)→1992年廃車
「わんぱーくこうちアニマルランド」と称する高知市立動物園の遊具施設エリアにあり、休憩所として愛され親しまれている。エアコンは両端だけなので、夏は暑いと思う。
高知の名物は「高知メロンサイダー」がお薦めである。
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「未分類」カテゴリーアーカイブ
新型名阪特急 チラシですが
新型名阪特急「ひのとり」の概要入手しました。デビューは2020.3.14からで型式は80000系となります。うたい文句は「くつろぎのアップグレード 名阪特急 次の時代へ」で6両が8編成、8両が3編成の11編成が揃うようです。編成中「プレミアム車両」が2両(先頭車両)、レギュラー車両が4両または6両となり、プレミアムシートは本革使用・電動リクライニング・座席間隔130cmで「より深くリラックスできるシート」を目指しています。塗装はメタリックレッドです。特急料金もプラスになるようで、プレミアム車両で大阪・名古屋間で通常の特急料金に「ひのとり特別車両料金」900円、レギュラー車両が200円追加になります。チラシを載せておきます、A4でスキャンしていますので、見開きのページが2枚になっています、ご了承ください。アーバンライナーの登場したのが1988年で、一度更新はされていますが新しい専用特急車両が出てきてもいい頃ですね。ただ定期特急(名阪甲特に入りますね)でありながらレギュラー車両での+200円を高いとみるか、仕方がないとみるか? 続きを読む
客車廃車体訪問記 内地編22 三重県
【関ロッジ】 34.858007, 136.385886 2008年11月29日撮影
▲ナハネ20 2237
前々回のコメントで乙訓の老人の甥様により紹介済みであるが、1-3位側も紹介する。これは元五条のTさんに、写真展に出す写真を撮りに行こうと誘われ、関西本線~草津線をご一緒した際に昼食を兼ねて立ち寄って撮影したものである。窮屈な高台に置いてあって引きがなく、標準的な写真が撮れなかった。
東海道五十三次の47番宿場である関宿に近い関ロッジは、国民宿舎であったが2015年4月に閉業し、2017年8月にゲストホテル関ロッジとして営業再開した。公式HPによれば、ナハネ20は「2019年頃に撤去の予定」だそうである。https://seki-lodge.com/20kei-bluetrain/
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客車廃車体訪問記 内地編21 大阪府-2
「TOLERANCE 10」 三陸鉄道を走る!
客車廃車体訪問記 内地編20 広島県-1
【チチヤスハイパーク跡】 34.308618, 132.291212 2019年8月12日撮影 最寄り駅前空駅
マニ60 2387
またまた何が写っているのかわからない画像で恐縮である。木々の間に少し見える青緑色の車体がマニ60である。荷物用扉上部が見える。屋根は張り替えている。右端の建物は中国新聞 広島制作センター。
廿日市市大野にあるチチヤス株式会社は、かつて会社敷地内にチチヤスハイパークというレジャー施設を持っていたが、経営悪化の為大部分を中国新聞社に売却した。施設は、「ちゅーピーパーク」や「ちゅーピープール」と名称を変えて賑わっている。その、売却しなかった山中にマニ60 2387が取り残されているのである。
ここへのアプローチとしてまず、北側のチチヤス本社前の小道から入ろうとしたら守衛に呼び止められ、社長命令で部外者はチチヤス敷地内には立入禁止だと言う。そこで南側のちゅーピープール入口から大回りしてプールの北側までたどり着いたが、マニ60まであと少しというところで道が無くなっており、草木が生い茂ってとても分け入って行くことなどできない状況になっていた。この調子では近づけたとしても草木に埋もれているのではないかと思われるので残念ではあるが諦めた。ひょっとするとプールと絡めて撮影できるかと思ってわざわざ暑い時に行ったのであるが空振りであった。猛暑のなか汗をかきかき、可能な範囲で調査したことに免じて、このような画像で勘弁していただきたい。合計1時間程歩き回ったが、リハビリのおかげでヒザはなんともなかった。
なお、広島駅では西村さんご紹介の1~2番乗り場間、3~4番乗り場間、5~7番乗り場間(6番乗り場は無い)の給水設備を見学した。「広島駅に残る客車への給水設備」 投稿日時 2018年10月15日https://drfc-ob.com/wp/archives/100960#more-100960
◆ホハ35300(1927年新製)→(1928年改番)ナハ23808→(1954年鋼体化改造 新潟)マニ60 387→(電暖追設)マニ60 2387→1986年廃車
客車廃車体訪問記 内地編19 石川県-1
ちょっと、あそんでみました。
もう少しで半世紀ほどとなるビラの裏に書いた落書き。ちょっと、動かしてみたい気持ち。
ああ~ どこかへ行っちゃった。
客車廃車体訪問記 内地編18 東京都-2
【品川駅東口食堂「TRAIN21」】 1993年7月29日撮影
スエ31 79
オエ61 312
品川駅東口に「TRAIN21」と称する食堂があった。訪問時はもう営業をやめた後のようで、元救援車は厨房のようだったが外部が一部腐食して浮いて見苦しい状態であった。車体標記・ナンバーもそのままに、テーブルのあるホームには屋根が無く、雨が降ったらどうしたのであろうか。ビヤガーデンよりもワイルドである。
◆スハニ35 11(1951年新製 帝車)→(1966年改造 土崎工)マニ35 2204→(1971年改造 大宮工)スエ31 79→1987年廃車
◆スハ33278(1938年新製 日支)→(1941年改番)スハ32 615→(1970年改造 幡生工)マニ36 2112→(1982年改造 大宮工)オエ61 312→1987年廃車
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昭和の電車 改訂版(10)ー阪堺電車モ101ー
客車廃車体訪問記 内地編17 福岡県-1
【九州鉄道記念館】 33.943408, 130.961793 2016年11月17日撮影
スハネフ14 11
本稿ではJR自前の施設の展示用客車は採用しない方針であるが、当車は展示しているからには廃車になっているはずなのに、廃車日がどうもすっきりしないので採り上げた。
1.『鉄道ファン』687号2018年7月号付録p.40 … 「2013年8月14 日廃車」。
2.『鉄道ピクトリアル』896号2014年10月増刊号p.221 … スハネ14が2両在籍(2013年度末現在)。
同909号2015年10月増刊号p.234 … 2014年度末現在 在籍無し(廃車明細も無し)。
3.ジェー・アール・アール編(交通新聞社発行)『JR気動車客車編成表2019』p.75 2019年4月1日現在 … スハネフ14 6と11が熊クマ配置。
このように各誌バラバラなので困る。JR化されてからこのような傾向が目立つような気がする。廃車日を明記している1.の『鉄道ファン』による「2013年8月14日廃車」を採用する。
◆スハネフ14 11(1972年新製 日車)→2013年廃車
なお、ここと関門海峡めかり駅のオハフ33 488は、昨年ぶんしゅうさんが発表されている。
2018年夏、酷暑の旅 Part12 門司港レトロ訪問 投稿日時: 2018年10月13日 投稿者: ぶんしゅう旅日記 https://drfc-ob.com/wp/archives/100814#more-100814
うごく写真 第二弾 小海線小淵沢大カーブを行く高原列車
総本家青信号特派員さんが「天然色写真で・・・【11】」(題名が長いので短縮)に小海線で撮影された写真を投稿されていたので、それに刺激されて・・・うごく写真 第二弾を
総本家さんは昭和47年であるから1972年の8月で、私は1970年7月に撮ったものです。DRFC恒例の前期夏季合宿の合流前に有名な小淵沢の大カーブに撮りに行きました。前日に釜無川の右岸にある塩沢温泉に宿泊して、撮影地の大カーブの所には宿の人に軽トラで送ってもらいました。写真は総天然色でポジフィルムです。カビカビになっているのでカビの部分を修正しました。さてどのように見てもらうかと考えたところ以前に上笠田の写真で行った「うごく写真」にしました。
これで、おしまい
客車廃車体訪問記 内地編16 宮城県-2
【仙台市ガス局】 38.273770, 140.906876 1991年4月撮影
スハネ30 2122
オハ35 2004
仙台市宮城野区の仙台市ガス局北側の敷地内にあった。なんと蒸機が3両もあって、超豪華な編成である。スハネ30の廃車体はたいへん珍しい。オハ35も若番の貴重な廃車体群であったが、その後蒸機3両は利府へ移動し、客車は残念なことになくなってしまった。
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客車廃車体訪問記内地編15 静岡県-2
【天竜二俣駅】 34.859544, 137.818959 2016年1月2日撮影
ナハネ20 347
正月の昼下がり、天竜二俣駅西側の踏切から構内を見る。ナハネ20 347の手前はキハ20 443。転車台&鉄道歴史館は画面右奥にある。
◆ナハネ20 347(1970年新製 日車)→1987年廃車
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京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その1)
大津電車軌道は明治39年に由利公正らが発起人となって石山-坂本間の特許出願を行い、翌明治40年9月21日に特許がおりました。その後建設に着手し、大正2年3月1日大津(現在のびわ湖浜大津)-膳所(現在の膳所本町)間を皮切りに路線を伸ばしていきました。
更に開通と同じ時期に堅田、南郷への延伸を図り、大正11年には三井寺と東海道新線にできた大津駅を結ぶ路線を計画しましたが、急な拡大と、不況の影響もあっていずれも建設着手に至らず、運行までこぎつけたのは当初路線の石山寺-坂本間のみとなりました。
1. 堅田延伸
明治40年9月に特許が降りた石山-坂本間の路線は現在のものとは全く違い、浜大津より東は浜通りを通り、石場から旧東海道に沿って石山寺に向かうもので、一方浜大津より西側は西近江路、現在の県道大津高島線(旧国道161号線)を下阪本まで行き、西に転じて坂本に至るものであった。堅田への延伸路線は下阪本から分岐して雄琴を通り、堅田町本堅田までの5哩で、大正2年8月27日付滋賀県知事あてに特許申請が出された。 続きを読む
客車廃車体訪問記内地編14 岩手県-1
【小岩井農場まきば園】 39.750181, 141.019215 2018年4月29日撮影
↑手前からD51 68,ナハネ20 352,355,363
D51 68は北海道のカマであった。ナハネ20の3両はラストグループ(ラストナンバーは364)である。
D51と客車にまとわりついているのはLEDのイルミネーションで、11月下旬から「銀河牧場の夜」と称してライトアップされると案内板に書いてあった。
以前はナロネ21で、その後このナハネ20でSLホテルとして営業していたが、10年位前に閉鎖されたらしい。
このSLホテルは、1977年4月29日にオープンし、その時は、
D51 68+ナロネ21 152+ナロネ21 554+ナロネ21 104+ナロネ21 502+ナロネ21 107
と、A寝台車5両の豪華編成であったが、その後、
D51 68+ナロネ21 502+ナロネ21 554+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
と変化し、さらに
D51 68+ナハネ20 352+ナハネ20 355+ナハネ20 363
となった。
◆ナハネ20 3両とも(1970年日車 新製)→1994年廃車(最終配置は盛アオ)
客車廃車体訪問記内地編13 福島県-2
客車廃車体訪問記内地編12 福島県-1
【いわき市戸作田のナヤ11】 37.074152, 140.805767 2018年4月30日撮影
ナヤ11 1
いわき市好間町大利戸作田(よしままち おおり とさくだ)の「とさくだえき」という屋号の、廃業した軽食&喫茶店跡で、ご覧のとおり荒れ果てている。道路から距離は近いがとても近づく気になれない異様な雰囲気である。たとえば車で雨降りの薄暮に走っていて、カーブを曲がった所にこれが現れたら肝を潰すかもしれない。訪問したのが天気の良い日中で良かった。実際はすぐ近くに小学校や郵便局があり、前後に人家も少しある。ワラクロ屋のツアーではこんな所には来ないだろう。
ナヤ11は3両在籍し、 1と2は水戸鉄道学園の交直流電車用教習車であった。
◆ナハフ11 29(1958年9月新製 日車)→(1959年度電暖追設 大宮工)ナハフ11 2029→1972年7月20日体質改善B2 大宮工→(1976年改造 郡山工)ナヤ11 1→1987年廃車
客車廃車体訪問記内地編11 大阪府-1
【祝!! 甲子園出場 履正社高等学校】 34.775288, 135.479791 1987年6月28日撮影
▲ナハネフ22 1023
履正社高等学校は、今年の夏の甲子園に大阪府代表として出場が決まった。3年ぶり4度目の出場である。頑張ってほしい。ナハネフ22はその学校の入口にあって、生徒の宿泊設備なのであろう。搬入されて間もない姿である。現在はもうない。方向幕は「大阪-長野」・「ちくま」で、テールマークは青で「TRUE DREAM」であった。12系と併結するための改造を受けて重くなり、標記は「ナ」であるが実質「オ」級なので▲マークがある。
◆ナハネフ22 23(1970年日車 新製)→(1978年改造 高砂工)ナハネフ22 1023→1987年廃車
客車廃車体訪問記内地編10 鳥取県-1
【若桜鉄道隼駅】 35.388747, 134.269693 2011年11月2日撮影
オロ12 6 JR四国でグレードアップされ、客室をカーペット化し、固定窓にして塗装を変更した。定員が20名になったのでユニットクーラーが4台になった。イベント列車からその後ムーンライト高知に使用され、さらに塗装が本来の12系色に戻された。2011年、JR四国から若桜鉄道にやって来て、「ムーンライトはやぶさ」という名称のライダーハウスとして営業しているそうである。「ムーンライトはやぶさ」のサボもある。北陸鉄道のED301と連結されていて面白い編成である。
◆オハ12 6(1969年新潟 新製)→(1988年改造 多度津工)オロ12 6→2010年廃車