客車廃車体訪問記内地編9 東京都-1

【京成関屋駅西方のスユ37】 35.743419, 139.808338

 

スユ37 2004
◆オユ36 4(1949年日支 新製)→(1961年電暖追設形式変更 大船工)スユ37 2004→1971年廃車(現車の銘板と不一致の可能性がある)

前回に続き、何が写っているのかわからない画像で恐縮である。京成関屋から上野方面へ向かって発車してすぐ南側の築堤下に見える。
車体は2つに切断されている。幕板の採光窓がわかる。廃車になって間もなくここへ来たようで、現役の廃車体としてはたいへんご長寿であるが、老朽化が進んでいるようで将来が気になる。

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’70年代生大集合

 

昨日京橋商店街の一角に集まったのは還暦を過ぎたおっさんたち21名(内お一人は59歳でしたが)、’71~’78年度生の集まりです。数年前からAさんの発案で‘71~’75年度生が集まって年に2回旧交を温めています。私も5年ほど前からお誘いを受けて参加しており、昨日は恒例の夏に向けての暑気払いでした。集合場所の京橋駅切符売り場で待っていると、いつものメンバーの他に、新しいメンバーも来ているよとの連絡で会場に行くと、10人ほどが既に集まっていました。’75~’78年度生のメンバーで4年前の広島旅行、昨年の近鉄「楽」に参加した方もいて、遠くは九州から来た方もおられました。‘77年度生を中心としたメンバーも集まることがあるとのことで、今回は合同の大集会となりました。初対面の方もおられますが、近い年代で話も弾みます。他の年代でもこのように集まっている方がおられるのではないでしょうか?まずは近い年代の方々で旧交を温め、更に広いDRFCクローバー会への参加へと結びつけばと思っています。普段のイベントに参加できない方も、11月10日のホームカミングデーに合わせて行う集会には是非お越しください。 続きを読む

客車廃車体訪問記内地編8 宮城県-1

【東北本線田尻駅ホームから見えるマニ44】 38.597664, 141.059331

↑マニ44 2065 2019年6月27日撮影

配置は盛モカ、じつに短命で、たった7年半しか在籍期間がなかった。
田尻は東北本線小牛田のひとつ一ノ関寄りである。小牛田から北はワンマンカーで、駅員はいない。ホームの靑森寄り草ぼうぼうの所から見ただけでナンバー等の確認はしていない。樹木の葉や雑草が茂り、見えない部分が多く、一目見て客車だとはわかりにくい。アルミ電解コンデンサのメーカー工場の駐車場線路側にある。倉庫であろう。同時期に廃車された経年の浅い車両が他にも売却された可能性がありそうであるが現在のところここ以外に知らない。
◆マニ44 2065(1979年富士重新製)→1987年廃車

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 “ビア電”乗って 昭和の近江鉄道を偲ぶ 【2】

近江鉄道の電気機関車

“ビア電”に乗って、酔いが回るうち、思いは昭和の近江鉄道へ、正体・由来もよく分からないような電車がゴロゴロしていた時代へとさかのぼりました。貨物輸送も活発で、それぞれ由来を持った個性派の電気機関車が揃っていました。なかでも、もと国鉄のED14が4両全機そろって働いていたことで知られていました。ED14については、少年時代のホロ苦い(?)思い出があります。

アメリカGE製のED14、大正15年に、東海道本線の電化に際して輸入された。1~4の全機が近江鉄道に揃っていた(彦根 1980年)。

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客車廃車体訪問記内地編7 京都府-3

【加悦SL広場】 35.481148, 135.092510

↑キハ08 3(2-4位側) 2019年4月5日撮影
台車はDT22AとTR51A、乗務員扉は1・4位側にしかない。後位側(画像手前)にあった便所・化粧室は加悦鉄道入線時に荷物室にした。外妻に銘板が3枚あり、右上は「日本国有鉄道」、右下は「昭和30年盛岡工場鋼体化改造」、左は「昭和37年苗穂工場」である。
◆ナハ24972(大正11年汽車新製)→(昭和3年改番)ナハ22459→(昭和30年盛岡工鋼体化改造)オハ62 130→(昭和37年苗穂工気動車化改造)キハ40 3→(昭和41年改番)キハ08 3→昭和46年廃車→昭和47年加悦鉄道で営業運転開始
オハ62 130はオハ62のラストナンバーである。

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客車廃車体訪問記内地編5 京都府-1

【JR嵯峨嵐山駅前】  1997年5月28日撮影
嵯峨嵐山駅南側のレンタサイクル店「トロッコおじさんのレンタサイクル」

↑右(北側):オハフ50 223 受付兼車庫  2位寄り窓2個分を切り取って入口にしている。
左(南側):オハフ50 241 車庫。

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客車廃車体訪問記内地編4 徳島県-1

【上板町 子供体験学習館】 34.132359, 134.395771
スハ43 275  2010年11月20日撮影
板野郡上板町の上板町立歴史民俗資料館の北隣の「子供体験学習館」として利用されていた。
風の便りでは、2016年に撤去されたらしい。

◆スハ43 275(1953年日支製)1965年2月7日蛍光灯化 幡生工→1966年7月16日近代化改造 幡生工→1969年12月10日FRP窓枠試験車 幡生工→1971年3月25日体質改善B3 幡生工→台車TR47A化 幡生工→1985年廃車

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昭和の電車 改訂版(2)大阪地下鉄100型

この地下鉄には乗ったことがあります。
前回の市電901型でも書いたように、親に連れられて大阪へ出たときに必ず乗りました。リベットだらけの車体が梅田駅へ入って来る時、やたらとガシャガシャうるさく、連結部に柵のようなものがあって珍しかったので覚えています。この柵は、今はJRはじめ私鉄でも使われているのが面白いですね。この車輌が牛に引かれて御堂筋を運ばれたのを見ていたという「大阪通信員」さん、覚えていますか?

保存蒸機とその現役時代(40)

久し振りのこのテーマ。井原実さんのような客車に対するガッツあふれる執念はないが、何かのついでに撮った多少のストックがあるためデジ青に投稿させていただく。今回はD51125である。

 

<D51125の略歴>

1938年7月 日立笠戸製造

1938年7月 新鶴見区配属

1944年8月 静岡区

1949年9月 中津川区

1973年6月 長門区

1973年11月 船橋市郷土資料館に搬入

ということで中津川機関区所属時代が長く多分見たり汽笛を聞いたことがあるはずであるが勿論記憶にはない。

 

新京成薬園台から10分ほどのところにある船橋市郷土資料館に保存されているD51125.千葉県とD51はあまり縁がないがそれはともかくここは屋根付きで大事に保存されている。2018年4月1日撮影▼

 

中津川区所属時代の末期の姿で贄川で撮影。下り貨物で逆光状態。逗子のTさんと撮影した時のもの。1973年8月12日贄川付近。▼

その後D51125は山陰の長門区に転属し、集煙装置もはずされたので煙突の低さが目立つ。船橋の保存機の煙突も短いままである。1973年8月12日小串駅を出る門司発長門市行き840列車。▼

 

 

 

客車廃車体訪問記内地編3 青森県-2

【津軽鉄道芦野公園駅裏】 40.912294, 140.4516

オハ31 1  1986年9月24日撮影
オハ31 1のまわりは松ばかりであるが、芦野公園はゴールデンウィークの頃には多数の桜が満開になってたいへん美しい。
今はこの車両は番号を国鉄時代のオハ31 26に戻して、鉄道博物館で保存されている。

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客車廃車体訪問記内地編2 静岡県-1

【浜松市西区入野町(いりのちょう)】 34.698070, 137.696580  2019年6月17日撮影  最寄り駅:浜松(強いて言えば高塚)
マニ50 2032とマニ50 2164(といわれている)

本日、天気がよろしいので、リハビリをサボって浜松へ行ってきました。
時節柄、鮮度の落ちないうちにお届けします。

入野町にある地元の有名な製麺業の会社のものと思われる駐車場に、3両のワキ8000、ワムかワラ1両と得体の知れない謎の車両1両と、合計7両置いてある。全て台車は無い。

▲北東から望む
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客車廃車体訪問記内地編1 青森県-1

客車廃車体訪問記北海道編から暫く中断しましたが、再開して内地編をお届けします。北海道のようにできるだけ調べて訪問したわけではなく、まだ見に行けていない所も多数ありますが、それはそのうちに行くことにして都府県順不同でご紹介することにします。
まず、昔は北海道から本州に渡るのは青函連絡船がメインルートでしたので、その本州側の青森港からスタートしたいと思います。

【青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸】40.831683, 140.736488
◆スユニ50 509  スユニ50 510    2018年5月30日撮影  最寄り駅:靑森
青森駅の旧青函連絡船桟橋に係留されている八甲田丸の車両甲板3番線に、航送時を再現した状態で保存されている。他にキハ82 101やDD16 31等も展示されていた。船内はなんとなく油臭い。

手前がスユニ50 509、奥がスユニ50 510

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伊賀鉄道のボーナル桁橋梁?

名張図書館で伊賀鉄道の歴史を見ていましたら「ポール橋」という名前が出て来ました。写真を見ると、桜井線乗車時にどですかでんさんが説明されていた「ボーナル桁橋梁」にそっくりです。「ポール」と「ボーナル」と微妙に名前は異なるのですが、昔に外国人の名前を日本語に訳す時に聞き手によって違いがあったものと勝手に判断して、以前の写真を捜したところ、廃線跡と使用中の3箇所がありました。廃線跡では「美旗新田」駅近くの農業用水路に架かるものです。2008年12月の様子ですが鉄橋跡の上には枕木が数本残されていました。大阪線からも見えたのですが数年前に撤去されてしまいました(しまかぜ乗車会の時は残っていました)。 続きを読む

赤目口の水鏡

伊賀地方の田植えは場所によりその時期が異なっています。5月の連休中に終わるところも多いのですが、赤目周辺は一週間前くらい前に終わったところもあり、今が「水鏡」の季節となっています。いつもの通勤時間帯ですが今日は休みとしました。「鮮魚列車」は7時台の早い時間に伊賀地区を通過して行きます。 続きを読む

下関駅(韓国の観光列車番外編)

 

こだま752号 小倉駅 2019.5.2

釜山からは日本籍のはまゆうに乗り、5月2日木曜日の朝、下関まで戻ってきました。帰りは、こだま752号で小倉を16時47分に出て、新大阪には21時14分に着きます。5時間もかかりますが、もはや急ぐ旅ではありません。レールスター700系の2列シートは快適で、一般的な新幹線の5列シートとの差は歴然です。ゴールデンウィークですが、JR西日本の50歳以上限定のおとナビパスですと、小倉-新大阪で5730円です。時間がかかることさえ許容すれば、かなりお得感があると思います。 続きを読む

韓国の観光列車(続Ⅱ)

 

Sトレイン(釜山ー宝城)
2019.5.1

5月1日水曜日、令和の時代初日、釜山始発の観光列車Sトレインに乗ります。Sトレインは、南道海洋観光列車といい、SトレインのSは、南と海の頭文字に由来していると、いろいろなウェブサイトで説明されています。釜山から韓国の茶どころ宝城(ボセオン)まで約3時間半走りますが、夕方には釜山港まで戻らないといけませんので、終点まで乗ってしまうと間に合いません。残念ですが、釜山に近い馬山(マサン)まで1時間少しの乗車体験です。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【2】

国道2号線のど真ん中を走った路面電車(昭和50年5月)
“阪神国道電車”、縮めて“阪国(はんこく)”と呼ばれた路面電車も、廃止されてから45年が経ちました。大正期、大阪と神戸の間に、新たな国道を建設することになり、阪神電鉄は、道路の中央に路面電車を走らせることになりました。別会社の阪神国道電軌を設立し、昭和2年に野田~東神戸の国道線の全線26.0kmを一挙に開業します。さらに、大正時代に開業していた北大阪線(野田~天神橋筋六丁目4.3km)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園~中津浜3.6km)と合わせて、阪神電鉄の軌道線を構成し、正式には、阪神電鉄併用軌道線となっていました。車両は阪神国道電軌が開業時に製造した1形と、“金魚鉢”と呼ばれる側窓の大きな71、201、91形があって、三線で共通運用されていました。
北大阪線の天神橋筋六丁目で発車を待つ“金魚鉢”の201形、左手背後は、当時、阪急天六ビルで、もとは新京阪鉄道が建設した7階建ての駅ビルで、ターミナルビルの先駆けだった。北大阪線の野田~天神橋筋六丁目は、阪神電鉄の子会社に当たる北大阪電気軌道が建設認可を受け、阪神電鉄と合併したあとは、阪神自らの手で道路を新設して路面に線路を敷いた。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【1】

米手さんにならい、令和になってからの新シリーズ始めます。今までは「昭和」の鉄道をセッセと投稿してきましたが、大部分がモノクロで、平成に至るまで、ずっと撮影のメインフィルムとして使用してきました。一方で、カラーもソコソコは撮っています。カラーポジは、モノクロと平行しながら、昭和40年代前半から使っており、カラーネガも、モノクロフィルムの代替として、平成時代からは多用するようになりました。ただ、いずれも国産のフィルムであり、現在では、褪色やカビの発症があり、修整しても、なかなか原色に近づけることはできません。
しかし、古いフィルムの劣化は当然のことで、それを受け容れて、気にせずにカラーもどんどん発表すべきと思うようになりました。カラーの持つ情報量は、モノクロの比ではありませんし、時代を知る手掛かりとしては、最適の手段です。ただ、カラーは、モノクロの補助として恣意的に撮っていただけに、連続性に乏しく、記録としての価値は弱いのです。それなら、逆手にとって、“埋め草”として、メイン記事の繋ぎ役として、年代も意識せず載せて行けばと思いました。ただ無秩序に載せるのではなく、撮影月と、デジ青の掲載月は一致させて、季節感だけは感じられるようにしました。
カラーは、ポジ、ネガとも一応は整理している。ただ最終形が、ポジはマウント、スリーブのまま、ネガはプリント、一部はネガのままと、さまざまな形があり、なかなか一体となった整理ができないし、モノクロとの連携も取れない。

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