【京都鉄道博物館】 34.986724, 135.743411
↑オハフ50 68 梅小路の扇形庫脇「客車休憩所」この時はB20 10が連結されていた。 2018年7月10日撮影
【JR嵯峨嵐山駅前】 1997年5月28日撮影
嵯峨嵐山駅南側のレンタサイクル店「トロッコおじさんのレンタサイクル」
↑右(北側):オハフ50 223 受付兼車庫 2位寄り窓2個分を切り取って入口にしている。
左(南側):オハフ50 241 車庫。
さすが大阪通信員さん、子の壱仟参百六拾五番の大当たりです。
【上板町 子供体験学習館】 34.132359, 134.395771
スハ43 275 2010年11月20日撮影
板野郡上板町の上板町立歴史民俗資料館の北隣の「子供体験学習館」として利用されていた。
風の便りでは、2016年に撤去されたらしい。
◆スハ43 275(1953年日支製)1965年2月7日蛍光灯化 幡生工→1966年7月16日近代化改造 幡生工→1969年12月10日FRP窓枠試験車 幡生工→1971年3月25日体質改善B3 幡生工→台車TR47A化 幡生工→1985年廃車
久し振りのこのテーマ。井原実さんのような客車に対するガッツあふれる執念はないが、何かのついでに撮った多少のストックがあるためデジ青に投稿させていただく。今回はD51125である。
<D51125の略歴>
1938年7月 日立笠戸製造
1938年7月 新鶴見区配属
1944年8月 静岡区
1949年9月 中津川区
1973年6月 長門区
1973年11月 船橋市郷土資料館に搬入
ということで中津川機関区所属時代が長く多分見たり汽笛を聞いたことがあるはずであるが勿論記憶にはない。
新京成薬園台から10分ほどのところにある船橋市郷土資料館に保存されているD51125.千葉県とD51はあまり縁がないがそれはともかくここは屋根付きで大事に保存されている。2018年4月1日撮影▼
中津川区所属時代の末期の姿で贄川で撮影。下り貨物で逆光状態。逗子のTさんと撮影した時のもの。1973年8月12日贄川付近。▼
その後D51125は山陰の長門区に転属し、集煙装置もはずされたので煙突の低さが目立つ。船橋の保存機の煙突も短いままである。1973年8月12日小串駅を出る門司発長門市行き840列車。▼
【津軽鉄道芦野公園駅裏】 40.912294, 140.4516
オハ31 1 1986年9月24日撮影
オハ31 1のまわりは松ばかりであるが、芦野公園はゴールデンウィークの頃には多数の桜が満開になってたいへん美しい。
今はこの車両は番号を国鉄時代のオハ31 26に戻して、鉄道博物館で保存されている。
【浜松市西区入野町(いりのちょう)】 34.698070, 137.696580 2019年6月17日撮影 最寄り駅:浜松(強いて言えば高塚)
マニ50 2032とマニ50 2164(といわれている)
本日、天気がよろしいので、リハビリをサボって浜松へ行ってきました。
時節柄、鮮度の落ちないうちにお届けします。
入野町にある地元の有名な製麺業の会社のものと思われる駐車場に、3両のワキ8000、ワムかワラ1両と得体の知れない謎の車両1両と、合計7両置いてある。全て台車は無い。
▲北東から望む
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客車廃車体訪問記北海道編から暫く中断しましたが、再開して内地編をお届けします。北海道のようにできるだけ調べて訪問したわけではなく、まだ見に行けていない所も多数ありますが、それはそのうちに行くことにして都府県順不同でご紹介することにします。
まず、昔は北海道から本州に渡るのは青函連絡船がメインルートでしたので、その本州側の青森港からスタートしたいと思います。
【青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸】40.831683, 140.736488
◆スユニ50 509 スユニ50 510 2018年5月30日撮影 最寄り駅:靑森
青森駅の旧青函連絡船桟橋に係留されている八甲田丸の車両甲板3番線に、航送時を再現した状態で保存されている。他にキハ82 101やDD16 31等も展示されていた。船内はなんとなく油臭い。
名張図書館で伊賀鉄道の歴史を見ていましたら「ポール橋」という名前が出て来ました。写真を見ると、桜井線乗車時にどですかでんさんが説明されていた「ボーナル桁橋梁」にそっくりです。「ポール」と「ボーナル」と微妙に名前は異なるのですが、昔に外国人の名前を日本語に訳す時に聞き手によって違いがあったものと勝手に判断して、以前の写真を捜したところ、廃線跡と使用中の3箇所がありました。廃線跡では「美旗新田」駅近くの農業用水路に架かるものです。2008年12月の様子ですが鉄橋跡の上には枕木が数本残されていました。大阪線からも見えたのですが数年前に撤去されてしまいました(しまかぜ乗車会の時は残っていました)。 続きを読む
伊賀地方の田植えは場所によりその時期が異なっています。5月の連休中に終わるところも多いのですが、赤目周辺は一週間前くらい前に終わったところもあり、今が「水鏡」の季節となっています。いつもの通勤時間帯ですが今日は休みとしました。「鮮魚列車」は7時台の早い時間に伊賀地区を通過して行きます。 続きを読む
釜山からは日本籍のはまゆうに乗り、5月2日木曜日の朝、下関まで戻ってきました。帰りは、こだま752号で小倉を16時47分に出て、新大阪には21時14分に着きます。5時間もかかりますが、もはや急ぐ旅ではありません。レールスター700系の2列シートは快適で、一般的な新幹線の5列シートとの差は歴然です。ゴールデンウィークですが、JR西日本の50歳以上限定のおとナビパスですと、小倉-新大阪で5730円です。時間がかかることさえ許容すれば、かなりお得感があると思います。 続きを読む
5月1日水曜日、令和の時代初日、釜山始発の観光列車Sトレインに乗ります。Sトレインは、南道海洋観光列車といい、SトレインのSは、南と海の頭文字に由来していると、いろいろなウェブサイトで説明されています。釜山から韓国の茶どころ宝城(ボセオン)まで約3時間半走りますが、夕方には釜山港まで戻らないといけませんので、終点まで乗ってしまうと間に合いません。残念ですが、釜山に近い馬山(マサン)まで1時間少しの乗車体験です。 続きを読む
国道2号線のど真ん中を走った路面電車(昭和50年5月)
“阪神国道電車”、縮めて“阪国(はんこく)”と呼ばれた路面電車も、廃止されてから45年が経ちました。大正期、大阪と神戸の間に、新たな国道を建設することになり、阪神電鉄は、道路の中央に路面電車を走らせることになりました。別会社の阪神国道電軌を設立し、昭和2年に野田~東神戸の国道線の全線26.0kmを一挙に開業します。さらに、大正時代に開業していた北大阪線(野田~天神橋筋六丁目4.3km)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園~中津浜3.6km)と合わせて、阪神電鉄の軌道線を構成し、正式には、阪神電鉄併用軌道線となっていました。車両は阪神国道電軌が開業時に製造した1形と、“金魚鉢”と呼ばれる側窓の大きな71、201、91形があって、三線で共通運用されていました。
▲北大阪線の天神橋筋六丁目で発車を待つ“金魚鉢”の201形、左手背後は、当時、阪急天六ビルで、もとは新京阪鉄道が建設した7階建ての駅ビルで、ターミナルビルの先駆けだった。北大阪線の野田~天神橋筋六丁目は、阪神電鉄の子会社に当たる北大阪電気軌道が建設認可を受け、阪神電鉄と合併したあとは、阪神自らの手で道路を新設して路面に線路を敷いた。
米手さんにならい、令和になってからの新シリーズ始めます。今までは「昭和」の鉄道をセッセと投稿してきましたが、大部分がモノクロで、平成に至るまで、ずっと撮影のメインフィルムとして使用してきました。一方で、カラーもソコソコは撮っています。カラーポジは、モノクロと平行しながら、昭和40年代前半から使っており、カラーネガも、モノクロフィルムの代替として、平成時代からは多用するようになりました。ただ、いずれも国産のフィルムであり、現在では、褪色やカビの発症があり、修整しても、なかなか原色に近づけることはできません。
しかし、古いフィルムの劣化は当然のことで、それを受け容れて、気にせずにカラーもどんどん発表すべきと思うようになりました。カラーの持つ情報量は、モノクロの比ではありませんし、時代を知る手掛かりとしては、最適の手段です。ただ、カラーは、モノクロの補助として恣意的に撮っていただけに、連続性に乏しく、記録としての価値は弱いのです。それなら、逆手にとって、“埋め草”として、メイン記事の繋ぎ役として、年代も意識せず載せて行けばと思いました。ただ無秩序に載せるのではなく、撮影月と、デジ青の掲載月は一致させて、季節感だけは感じられるようにしました。
▲カラーは、ポジ、ネガとも一応は整理している。ただ最終形が、ポジはマウント、スリーブのまま、ネガはプリント、一部はネガのままと、さまざまな形があり、なかなか一体となった整理ができないし、モノクロとの連携も取れない。
前項「大津電車軌道坂本延伸裏話」でも少し触れましたが、三井寺-坂本間が全通した後も両端の坂本、三井寺停留場は仮停留場のままでした。当初の計画は高規格の車両を使い、連結車も走らせるような考えで進んでいましたが、三井寺、坂本の両終端駅は駅部分の用地買収の遅れで開通を優先させて仮停留場で営業を開始しました。この年は大津電車軌道が太湖汽船と合併し、新たに琵琶湖鉄道汽船としてスタートを切った時でしたが、その後、乗客が思うように伸びず、当初の過大投資の為もあって工事は進まず、その内に経営状態が悪くなり、その後2年足らずで京阪電鉄と合併することとなりました。京阪電鉄は大正14年に京津電気鉄道と合併し、昭和4年4月11日に琵琶湖鉄道汽船の鉄道部門を合併して大津、琵琶湖への進出を果たしたわけですが、この合併した部分を今後どうしていくのか、方向性がまだきまらなかったため両駅の仮停留場の状態が続きました。 続きを読む
本日(5月3日)伊賀鉄道上野市駅で「伊賀線まつり2019」が開かれました。ジオラマ運転、車掌体験、軌道自転車体験、車両撮影会など催され、鉄道グッズ販売では長蛇の列が出来ていました。伊賀鉄道の最近の話題といえば、伊賀市役所の移転に伴い新駅「四十九駅」が出来たこと、上野市駅の名称が「忍者市駅」となったことが挙げられます。地域の活性化や観光客誘致を目指したもので、これからの効果が期待されます。今日はご当地キャラクターの「いがグリオ」も登場しまつりを盛り上げていました。 続きを読む
デジ青管理人の小西Jrです。先日Googleから掲示板に対してセキュリティー警告(ハッキングによる改ざんの可能性)が通知されたため現在調査中です。
今のところ怪しい記事やコメントの投稿や改ざん、不正な投稿者の追加などは見つかっていません。念のため、海外からのアクセスブロックを行い、過去の作業ファイルなどを全て削除しました。
不正アクセスへの対策として、これまでもJetPackやAkismet、VaultPressプラグインを導入し、ソフトウェアファイアーウォールなども使用していますが、昨今の攻撃増加に対して不十分と思われたため、さらにJetPackPremiumアカウントにアップグレードし、掲示板のすべてのコンテンツに対するリアルタイムマルウェアスキャンを有効にしました。
新聞にちょっと気になる本が載っていた。その本は「あの映画に、この鉄道」という題名である。出版社はあの「キネマ旬報社」である。最近では柄本佑、安藤サクラご夫妻がキネマ旬報ベストテンで主演賞を受賞したということで話題となった。キネマ旬報の映画賞はアカデミー賞を越えて世界最古クラスである。この本の著者は川本三郎氏で、この本のあとがきに次のように書かれている。「日本映画に登場した映画の数々を紹介している。映画も好きだが、鉄道の旅も好きな人間なのでこんな本が生まれた。 類書は少ないと思う。というのは、一般に映画好きの鉄道ファンは少ないし、鉄道好きの映画ファンもあまりいないから。本書が両者の架け橋になればいいと思っている。」
最近、別件で本棚をさがしていたところ、『国鉄京都自動車工場十五年史』(昭和37年8月1日発行)がでてきましたので、米手作市さんの 2019年1月17日投稿 「【103398】西村さんへの借りを返すの巻」 に関連して、ご参考に供します。