西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。
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客車廃車体訪問記 北海道編32
【湧別町北兵村二区 五鹿山公園キャンプ場】
スハ45 31(左) スハフ42 518(右) 44.183125, 143.613367 2017年7月16日撮影
◆スハ45 31(1954年新製 日立)→1966年近代化改造 旭川工→1984年廃車。
◆スハフ42 114(1952年新製 近車)→1964年近代化改造 幡生工→(1976年改造 五稜郭車セ)スハフ42 518→1984年廃車。
客車は移動機と連結してオートキャンプ場の隅にあり、バイクで行っても宿泊できるようである。他にテントが張れるキャンプ場やログキャビン、キャンプファイア広場等なかなか規模の大きなキャンプ場である。
約2㎞西に中湧別駅跡があり、道の駅になっていてヨ4430他が保存されている。
散歩道で見つけました5
藤田さんがパソコンをお持ちで無いため読めない、を解決するために全ページ(リプライを含めて)プリントアウトしてお届けしました。大変喜んでご覧になってましたが、改めて国電のアルバムを貸してくださいました。ところがコピー用紙に名刺判の白黒写真を貼っただけのアルバムですから、場所や日時はもとより車両形式も書いてありません。なんとなく阪和線、片町線、東海道線などで分けてみましたが電車音痴の私には酷というものです。そこで伝家の宝刀・得意技の「皆様にお願い」攻撃をかけますので皆様で撮影場所や撮影年代、車両の形式など投稿で書いてください。写真には番号を振っておきますので国電担当者の方、よろしくお願いいたします。
客車廃車体訪問記 北海道編31
【紋別郡湧別町 旧計呂地駅跡】
オハ62 91(左) スハ45 17(右) C58 139 44.103542, 143.728402 2017年7月16日撮影
◆スハ45 17(1952年新製 川車)→1964年近代化改造 旭川工→1986年廃車。
◆ナハ23414→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 91→1984年廃車。
旧計呂地駅跡周りは計呂地交通公園と称する公園になってC58と2両の客車を保存し、簡易宿泊施設としても活用している。
オハ62はオハ61の北海道版で130両在籍した。ラストナンバーのオハ62 130を改造したキハ08 3が加悦に保存されているが、釧路の「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」(第23回【92713】)のオハ62 95は台車だけになって、計呂地のオハ62 91は、いまや現存する唯一のオハ62であろう。C58にだけ上屋がある。
「京阪1000型」に便乗
米手氏が国鉄京都駅から近鉄ホームに停車中の京阪1000型を撮られていたし、西村さんがたくさんの1000型をアップされていたのに、ちょっと便乗させてもらいます。
(近鉄京都駅3番線の宇治行き) 続きを読む
客車廃車体訪問記 北海道編30
【佐呂間町交通公園 鉄道記念館】
スユニ50 517 44.018906, 143.777033 2017年7月16日撮影
◆オハ46 28(1955年新製 川車)→(1963年電暖追設 長野工)オハ46 2028→(1981年改造 名古屋工)スユニ50 517→1986年廃車。
立派な上屋があり(D51が少しはみ出していて惜しい)、大事にされていて美しい。
スユニ50 517はラストナンバーであり、落成後僅か5年3ヶ月半で廃車になったいわば新品同様の廃車体である。
スユニ50は道内では他にスユニ50 501が小樽市総合博物館、スユニ50 505が三笠鉄道村に保存されている。
佐呂間町はオホーツク海、サロマ湖に近い、鉄道が無くなった山あいの町であるが、町立図書館がありカラオケ屋やパチンコ屋もある。パチンコ屋が商売として成り立っている豊かな地域なのだ。
お世話になった京阪1000系
ついに関先生シリーズで1000系が登場し、また準特急殿の流線形シリーズも佳境に入ってきたところで、半世紀前の拙作をご披露致します。その多くがぷるぷるさんと撮ったものと思われます。
お待ちかね、京阪・流線型1000系
客車廃車体訪問記 北海道編29
【旧卯原内駅跡】
オハ47 508 44.014065, 144.111498 2017年7月16日撮影 旧卯原内駅跡 網走市鉄道資料館
◆スハ43 6(1951年新製 日支)→(1963年改造 多度津工)オハ47 132→(1978年改造 旭川車セ)オハ47 508→1984年廃車。オハ47のラストナンバー。
49643と連結しているオハ47 508。なぜか標記が大きい。バックは網走市鉄道資料館。館内に展示があり、カフェもある。
すぐ近くに能取湖に面してサンゴ草群生地がある。一時期群生が衰えたが、最近復活しつつあるらしい。
第7回写真展 レイル誌 掲載
「今月発売のレイル誌に第7回クローバー会写真展での作品が掲載されます。」
そのような連絡を頂いたのはおよそ2週間前のこと。
鉄道書籍の誌上をクローバー会写真展の作品が飾ることになるとは考えても見ませんでした。
“どのような構成になっているのだろうか”など、気になりながら過ごして数日、手元に書籍が届きました。 続きを読む
客車廃車体訪問記 北海道編28
【北見市常呂町 虫夢ところ昆虫の家】
スヤ42 4 43.971915, 143.883677 2017年7月16日撮影
◆スハ43 579(1954年新製 日立)→(1975年改造 旭川車セ)スハ43 504→(1976年改番)スハ43 704→(1981年改造 旭川車セ)スヤ42 4→1986年廃車。
「NPO法人自然体験村 虫夢(むーむー)ところ昆虫の家」は、子どもが自然の中で色々な体験ができる、ボランティアが運営している施設である。近くに人家は皆無である。
画面右のスヤ42 4は旭川局の保健車であった。北海道には保健車が多かったので、救援車同様、保健車の廃車体も多い。画面左の建物のさらに左にキハ27 113が置いてある。駐車している車は小生が借りたレンタカー。滞在時間は9時から約15分間だったが、人気が全くなかった。
流線形車両-2-
阪急200系、山陽電鉄200形を用意した。これにこのシリーズの発端となった関先生の名鉄3400系、850系を再度登場させ流線形車両の顔を中心とした比較をしていただきたい。
阪急200系は焼けた木造車25、55を1937年(昭和12年)に鋼体化した阪急唯一の流線形車両で千里山線で長く活躍していた。我々の時代は嵐山線に移っており撮られた方も多いと思う。251は新京阪時代は600形601であったが1956年(昭和31年)に251に改番された。15mの短い車両ながら車幅が広かったのが特徴である。
1968.11.20 上桂-松尾 251+201 ▼ 続きを読む
客車廃車体訪問記 北海道編27
【北見市常盤町 私有地】
スユ15 2033 43.798881, 143.892664 2017年7月15日撮影
◆スユ15 2033(1982年新製 近車)→1986年廃車。
郵政省所有の護送便専用郵便車スユ15は希少である。というより郵便車の廃車体自体が希少である。
個人が私有地で保存しているらしい。他にDD14やキハ27,雪掻き車、車掌車が置いてある。また、すぐ近くの三治公園には、D50 25が保存されている。
流線形車両-1-
辞書を見ると流線形とは先端が丸く後端がとがり全体としては細長い形とある。そして流れの中に置くと後方に渦をつくらず流体から受ける抵抗が非常に小さく魚の体がその例になるとの記述もある。飛行機や新幹線が流線形の典型ではないかと思うが、ここでは関先生のシリーズで最近取り上げられた昭和10年頃から流行した戦前の流線形車両の私なりの記録である。スカートをつけた姿など颯爽と見えるが実際はあの頃の速度では効果もなく一時的な流行に終わったが個性的なスタイルは非常に記憶に残り歴史的な意義もあって保存された車両もある。
流線形電車(流電)と言えばまずこの電車。鉄道省で昭和11(1936年)~昭和12(1937年)にかけて関西の急行電車用に製造されたモハ52でその後阪和線でも使用されたが我々の時代は飯田線が活躍舞台であった。
モハ52は1次は狭窓であった。1978.09.16 (新城駅と思われるがメモ紛失なので同行していただいたクモハ73106東ウラさん確認願います) ▼ 続きを読む
客車廃車体訪問記 北海道編26
【津別町 21世紀の森キャンプ場】
オロネ10 502 スハネ16 510 43.697711, 144.034960 2017年7月16日撮影 津別21世紀の森キャンプ場
◆オロネ10 502(1962年新製 日立)→1984年廃車。
◆スロハ31583(1940年新製 日車)→(1941年改番)スロハ32 34→(1966年改造 土崎工)オハネ17 510→(1968年改造 旭川工)スハネ16 510→1984年廃車。
津別町は北見市の東南、美幌町の南に位置し、まずまず大きな町である。21世紀の森キャンプ場は芝生のキャンプ場が広がり、あたり一帯を自然運動公園と称していて、その入口の看板に「鉄路ハウス」と書かれている。移動機の横にも「ふれあい広場 鉄路ハウス」の札が下がっている。
スハネ16の廃車体は貴重である。以前は現役時そのままの設備(なんと冷房も)で宿泊できたらしいが、車内を覗くととても宿泊出来そうな状態ではなかった。車体にゴテゴテ書いているが、上屋があり、車内外ともに現役時代に近い姿をとどめるこの2両を末永く保全してほしい。
客車廃車体訪問記 北海道編25
【旧北見相生駅跡】
スハフ42 502 43.545072, 143.980904 2017年7月16日撮影
◆スハフ42 111(1952年新製 近車)→1965年近代化改造 小倉工→(1974年改造 旭川車セ)スハフ42 502→1984年廃車。
相生線終点旧北見相生駅跡は、西側に隣接して「道の駅あいおい」があり、同一の施設のように一体化していて、観光バスやマイカーで道の駅に来た人が、カフェを営業している駅にも自然に来られるようになっている。
相生線は、1972年に来たことがある。北見相生駅舎は、その時撮った写真と比べると、入口ドアと窓サッシを取り替えて煙突が撤去された位で、当時の閑散線区の標準的な駅舎がよく保存されている。
名鉄3400系
客車廃車体訪問記 北海道編24
【川湯温泉駅近く ホテルのカラオケ施設】
スハフ42 522 43.617180, 144.453426 2017年10月7,8日撮影 川湯温泉駅すぐ ホテルパークウェイ
◆スハ43 435(1954年新製 汽車)→(1961年改造 大宮工)オハ47 23→(1966年改造 大宮工)スハ43 435→(1976年改造 旭川車セ)スハ43 716→(1978年改造 旭川車セ)スハフ42 522→1984年廃車。
丹頂の里から約80㎞、着いたのが16時40分で、日が沈みかけていた。ホテルのカラオケルームとして利用されているようであったが、訪問した時は閉まっていた。夜に営業するのかもしれない。ホテルからこちらの側面は見えないので、青い塗装のままである。
客車廃車体訪問記 北海道編23
【釧路市 炭鉱と鉄道館 雄鶴駅】
オハ62 95の台車 43.143821, 144.140966 2017年10月7日撮影
◆ナハ23412→(1954年鋼体化改造 旭川工)オハ62 95→1986年廃車。
釧路市丹頂の里温泉・道の駅 阿寒丹頂の里クレインズテラスの西隣の阿寒自然休養村野営場に「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」という建物があり、雄別鉄道関連の資料が展示されている。その裏手に赤茶色に塗られた一組の台車(TR11か)がある。以前は国鉄から雄別鉄道に譲渡されたC11 65と車掌車ヨ8057と連結して保存されていたが、痛みが激しく車体はスクラップになって台車だけが残り、野ざらしで置いてある。C11 65と車掌車は見たところ状態は良好である。「廃車体」とはいえないが紹介する。