【87239】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part8 夜行寝台列車に乗って樺太東線を北上する

第4日目 7月12日 その4

17:00 真岡南駅で下車してからは再びバスターミナルに戻って同じく516系統のバスに乗って豊原(ユジノサハリンク)へと戻ります。
▲ 戦前は東西を結ぶ貨物輸送で貢献した豊真線の宝台ループ線(宝台~池ノ端)、「Чёртов мост」(悪魔の橋)と呼ばれ名所になっています。1994年にトンネル内の落盤があって以降は運行されていません。ループを抜けて橋梁の上から見た車窓はどうだったのでしょうか、乗って見たかった路線の1つです。
記事の続きを読む


【87274】吉野川の夏

昨年9月の「青の交響曲」貸切乗車からもうすぐ1年が経とうとしています。その時渡った吉野川鉄橋の様子です。名張からは「少し遠いご近所」になりますが夏は川遊びが出来る河川敷があります、私も小学生のころ大和高田に帰省した時何度か行ったことがありました。南大阪線と川遊びを期待して行ったのですが残念ながら鉄橋と遊泳場は離れており、列車のみの絵となってしまいました。夏に「サクラライナー」、「KIPSカードラッピング(6049先頭)」はあまり似合わないかも分かりませんが「こんなんも撮れました」でお願いします。


【87272】ドクターイエロー(DY)を捕る

この一ヶ月程、祇園祭にかまけていました。すると小学校以来の旧友から「DY走るよ」との情報が寄せられ、リハビリのつもりで出かけました。

東山トンネルから出てきた、下りT4編成

記事の続きを読む


【87244】祇園祭と市電の架線

少し旧聞になりましたがお許し下さい。
青信号特派員氏から、巡行時は信号機を90度廻して道路と並行にした旨のお話がありました。
私事ですが当時は四条寺町と三条河原町に店を開いておりましたので、毎年宵山と巡行日には店頭に出ていましたが見物は出来ず手伝いに没頭しておりました。そのため話題の信号作業は見ていたような、見ていないような有様です。ただ気になったのは架線をつるしたブームのことです。昭和30年代中頃までは架線柱を上下線の真ん中に天秤型のものを設置して鉾の巡行を助けていましたが、阪急の地下延長で南側の歩道上にあった電柱に片持ち式のブームを付けて“それを90度廻して鉾は四条通中央を巡行した”と思っておりました。
しかし、どうも自信がないので交通局のある方に伺いましたところ、ご丁寧な検証報告を頂きましたので皆様にご報告いたします。
なお、転載などのご了解も頂いております。画像処理は私の責任で行っております。

まずは当時の写真ですが印刷物のコピーですので見にくい点はお許し下さい。

(右)四条河原町の写真ですが、左側に高島屋があり電柱からブームが延びています。四条通の東行車線を鉾が巡行しています。鉾の影になっていますが信号機は回転しています。
余談ですが、撮影者の伊藤とのひろさん(故人)は同志社の先輩で、お客様でもありました。北海道の方でしたが終生京都を愛して京都のスナップを多く残して居られます。
記事の続きを読む


【87249】広電と三江線ネタ

いつも代わり映えのしない内容で失礼します。まずは広電関係から。

平成29年7月29日 中国新聞

新しい構想として3時間、7時間、1日広電バスを含めて乗り放題という時間制運賃を検討中とのこと。外来者にとって広電バスも含めたフリーパスのメリットはあまり感じられませんが、広島市郊外の住民にはお得感はあるのでしょう。いろんなアイデアで少しでも乗客を増やそうという意欲にはエールを送りたいと思います。

記事の続きを読む


【87168】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part7 樺太西線に乗る、撮る。北真岡駅、野田駅、

▲ 樺太西線の主力は1985年(昭和60年)に富士重工業で製造されたД2系の気動車です。厳寒の冬季対応のために満鉄ジテと同様、ディーゼルエンジンを運転席後部の床上に置いた液体式車両です。運転当初は両端に動力車、中間2両付随車の4両編成で10組が投入されましたが、現在運用されているのは中間車を除いた2両編成、または中間車1両を間引いた3両編成です。
車体長21,300㎜、高さ3,825㎜、車体幅2,950㎜、出力1,177kw、最高速度100km/h、ステンレス車体です。

記事の続きを読む


【87165】保津峡駅の午後の思い出ほか

総本家青信号特派員殿より「はしだてビーチ」の紹介がありました。そのなかで昭和44年7月の合宿が宮津線・加悦鉄道で行われたとありましたが、私は参加していません。ただ当時のチラシ類が残っていないかと探してみますと 次のようなものが見つかりました。

非常に見づらくてスミマセン。この年昭和44年の夏頃から全学封鎖だった時期で、クラブ活動は非常にやりにくい時期だったと記憶します。そんな中で熱心な旅行班長T君はいろいろな企画を考え、このようなガリ刷りのチラシでみんなに呼びかけを行っていました。

記事の続きを読む


【87061】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part6 豊真線、真岡駅

第4日目 7月12日 その2

8:40 ワンボックスに毛の生えたような小さなバスに乗って豊原バスターミナルから真岡へと向かいます。かつての豊真線沿いを行くのかと思っていましたが南方向に迂回したA-392号線を行きます。真岡の手前でようやく豊真線の橋梁が見えたのが最初の遭遇した。

【 豊真線 】
開業は1925年(大正14年)10月1日、樺太東線と樺太西線を結ぶために豊原~鈴谷が開業、1928年(昭和3年)9月3日に小沼~手井の76.2㌔が全線開業しました。
1943年(昭和18年)度における線別キロ当り1日平均貨物トン数では、勾配区間でもあるにもかかわらず豊真線が964㌧で、川上線の877㌧、樺太東線の869㌧、樺太西線357㌧より多く、貨物輸送に貢献していました。これは大泊港が冬季に凍結することが多く、夏季は潜水艦からの攻撃を避けるために安全な西海岸からの物資輸送に切り替えられたことが大きな理由です。内地へと送る石炭や木材の輸送が多かったようです。
かつての日本統治下時代は
豊真線の豊原~北真岡に上下3本の列車が運行していましたが、1995年頃に途中のループ線(
宝台 ~池ノ端)にあるトンネルが崩壊したため運行はなくなってしまいました
記事の続きを読む


【87094】 夏の思い出2017-3 「はしだてビーチ」

前掲の江若鉄道で行く湖水浴は、京都から近いものの、琵琶湖の水は、汚れ放題のうえ、ナマ温かく、砂浜も狭くて、とても快適な水泳場とは言えませんでした。やはり、海の魅力には勝てません。“水のきれいな日本海へ”の国鉄キャッチフレーズに誘われて、丹後・若狭の海へ行く客が増加していたのも、この頃で、大阪・京都からは、多数の臨時列車が運転されました。 そんな中で、昭和42年から、京都から宮津線天橋立へ向けて、寝台車を利用した冷房付きの臨時急行「はしだてビーチ」が走り始めました。本欄でも断片的には紹介しましたが、改めて「はしだてビーチ」の歴史をたどってみました。昭和42年7月21日から走り始めた「はしだてビーチ」、京都駅2番ホームから発車した。向日町からEF58に牽かれて駅東の引き上げ線で転線し、2番ホームに据え付け、福知山区のC57が連結された。

記事の続きを読む


【86975】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part5 樺太のD51形蒸気機関車

▲ ユジノサハリンスク駅前広場に静態保存されていますD51-22号機です。D51形蒸気機関車は1949年、日本車両7両・川崎車両7両・日立製作所6両・汽車製造5両・三菱重工業5両の計30両が当時のソビエト連邦に客車たちと一緒に輸出されました。なぜか形式番号と車両番号の間にハイフンが入っているのが特徴で、運転席も厳冬対策に密閉構造になっていました。でかい前照灯が印象的なD51形です。
現在このD51-22号機ユジノサハリンスク構内にD51-4号機が静態保存されているのが確認できます。
記事の続きを読む