新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-4-

蒸気機関車の記録で気になる写真がありますのでご覧下さい。
これは場所や機種はあえてお答え頂かなくて結構ですが、何かしらの記憶や出来事を思い出す写真です。

電化完成直前EF58+C59128(梅)東山トンネル

続きを読む

赤目口の水鏡

伊賀地方の田植えは場所によりその時期が異なっています。5月の連休中に終わるところも多いのですが、赤目周辺は一週間前くらい前に終わったところもあり、今が「水鏡」の季節となっています。いつもの通勤時間帯ですが今日は休みとしました。「鮮魚列車」は7時台の早い時間に伊賀地区を通過して行きます。 続きを読む

下関駅(韓国の観光列車番外編)

 

こだま752号 小倉駅 2019.5.2

釜山からは日本籍のはまゆうに乗り、5月2日木曜日の朝、下関まで戻ってきました。帰りは、こだま752号で小倉を16時47分に出て、新大阪には21時14分に着きます。5時間もかかりますが、もはや急ぐ旅ではありません。レールスター700系の2列シートは快適で、一般的な新幹線の5列シートとの差は歴然です。ゴールデンウィークですが、JR西日本の50歳以上限定のおとナビパスですと、小倉-新大阪で5730円です。時間がかかることさえ許容すれば、かなりお得感があると思います。 続きを読む

新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-2-

写真が多岐に亘り、数多くありますのでのんびりしてはいられません。
さっそく次ぎに進みます。

古典蒸機は複写されたり同一原版から焼き増しされたものが多いようです。その意味では発表済みの写真が多いのでネットで探しやすいのかもしれませんが、私はできるだけネット検索はしないで皆様からのご教示をお待ちしております。皆様はどんな方法でも(ネット検索でも、亀甲占いでも)いいのでお願い致します。

①国鉄8800型

続きを読む

韓国の観光列車(続Ⅱ)

 

Sトレイン(釜山ー宝城)
2019.5.1

5月1日水曜日、令和の時代初日、釜山始発の観光列車Sトレインに乗ります。Sトレインは、南道海洋観光列車といい、SトレインのSは、南と海の頭文字に由来していると、いろいろなウェブサイトで説明されています。釜山から韓国の茶どころ宝城(ボセオン)まで約3時間半走りますが、夕方には釜山港まで戻らないといけませんので、終点まで乗ってしまうと間に合いません。残念ですが、釜山に近い馬山(マサン)まで1時間少しの乗車体験です。 続きを読む

新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】

最初にご説明をしておきます。
中村進一氏は子供の頃から市電が大好きで、その写真を撮る傍ら京都駅を中心として国鉄の車輌を撮影しておられました。やがて趣味の対象は全国の鉄道全般に亘ることになります。特に市電の写真は街の移り変わりも記録していることから立命館アーカイブに保存されることになりました。その温厚なお人柄から私は中学生の頃から年齢差もかまわず同好の士としてお付き合いをさせていただいています。この度その記録の一部を見せていただき、ぜひともDRFCーOBの皆様にも見ていただこうとご了解の上公開することになりました。

ただ、写真のデータが添付されていないため、車種・撮影時期・撮影場所などが分かりません。また、中村氏の撮影されたものだけではなく、交際のある全国の方からの交換写真(昔はそれも写真を集める重要な手段であった)としていただいたものや、絵葉書のように店で買った写真もあります。それらについては撮影者の名前、販売店の名前など分かる限りは明記しました。スキャンするに当たりル-ぺで目視してわかる範囲は書き出しましたがほとんどは分かりません。そこで当欄で皆さんから知識を結集して判別していただきたいのです。分かっているものについても敢えて掲載するものもありますが、それらに関しても思い出などがありましたら何なりと書き込んでください。

これからも会員外の方からの資料提供やご投稿を歓迎する意味においても活発なご意見交換を期待しております。

では、【蒸気機関車】からはじめます。
続きを読む

韓国の観光列車(続)

ムグンファ号 ソウル駅 2019.4.30

4月30日火曜日、この日の主目的は、OトレインとVトレインに乗ることです。中部内陸循環列車、Oトレインは、韓国の中部内陸圏である江原道、忠清北道、慶尚北道の3つの地域を1つに結ぶことから「One」の頭文字をとってOトレインというのだそうで、月曜日を除く毎日、ソウルを出て京釜線、忠北線、中央線を経由して嶺東線の鉄岩まで1往復している観光特急です。白頭山から智異山まで続く韓半島で最も大きく長い山脈の美しい四季をモチーフに特急電車ヌリロ号200000型を改造した4両編成の電車で、内部は一般室、カップルルーム、家族席、展望席といったさまざまなテーマの座席とカフェもあると、これは楽しみです。 続きを読む

韓国の観光列車

KTX 釜山駅 2019.4.28

昨今、鉄道に乗ること自体を楽しむ乗り鉄は、鉄道番組の隆盛を見るまでもなく、すっかりメジャーになりました。その頂点は、JR九州のななつ星でありJR西日本のトワイライト瑞風、JR東日本の四季島でありましょう。1泊、2泊するだけで何十万もかかるこれらの超高級列車は別格としても、JR九州の「指宿のたまて箱」や「いさぶろう、しんぺい」等九州のD&S列車、JR西日本の「○○のはなし」、「花嫁のれん」などキハ47系を改造種車にしたジョイフルトレインなら乗られた方も多いのではないでしょうか。こうした潮流はお隣の韓国でもあり、デジタル青信号でも、かつて先輩がクルーズトレイン「ヘラン」の乗車記を投稿されています。
続きを読む

2019年桜前線追っかけ旅 Ⅳ Part5 えちぜん鉄道 凸型電気機関車  ML521形を撮る、保田、勝原、一乗谷の桜

えちぜん鉄道に現役で残るML521形ML521号機ML522号機は九頭竜川水系のダム建設に伴う建設資材の輸送量増加と、1948年6月に発生した福井地震の復興資材輸送のために1949年に日立製作所水戸工場で製造されました。ポール集電でしたが以降にパンタに変更され、えちぜん鉄道に転換後は2両永久連結にされてB+B+B+B編成となっています。出力480㎾で1980年代にはスノーブラウが取り付けられラッセル車として使用されています。

続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【3】

最終日の阪国(昭和50年5月)

“阪国(はんこく)”と総称された阪神電鉄併用軌道線、残っていた国道線(野田~上甲子園)、北大阪線(野田~天神橋筋六丁目)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園)は、昭和50年5月5日を持って廃止されました。モータリゼーション化の渦に飲み込まれて、とくに国道線は、もはや路面電車としての体を成していなかったのが最大の理由です。しかし、甲子園線は、通勤・通学客、行楽客が終日あって、阪神本線からのフィーダー輸送として活用され、北大阪線も一定の利用者はありましたが、社会や会社のなかに、路面電車を残そうとする気持ちは、まだ芽生えていない、これもまた“昭和”の世代の考えでした。

阪国の最終日は、5月5日の“こどもの日”の祝日、全区間が乗車無料という大盤振る舞い、多くの人で終日賑わった(野田)。

続きを読む

京阪大津線の歴史を調べて(三井寺、坂本假停留場)

坂本仮停留場
反対側の終着駅坂本停留場も延伸開通の当初は仮の停留場が作られた。計画されていた最初の停留場(資料5)は3面のホームがあり、一番長いホームは約100mもあり、短いホームでも約40m、琵琶湖鉄道汽船100型は15m級であったので将来の2両連結運転も考慮されたと思われる立派なものであった。↑ 資料5:当初計画坂本停留場,長いプラットホームに加え、待合室等にもスペースが取られていた。(県政史料歴史史料昭と5より作図)
続きを読む

編集快調!新・ここはどこ?私はだれ?【予告編】

中村さんの資料集は多岐に亘っていて選定に手間取ります。さらに、今ではお目にかかれない小さなサイズの写真も多くルーペが必需品になります。

大まかに分けて「蒸気機関車」「ディーゼル機関車」「電車」「市電」に分類していますが、まだ開けていない箱があるのでさらに増えるかもしれません。

中村さんシリーズは今までと違って“場所や車輌”“時期”だけではなく皆様が知っている知識、思い出などの蘊蓄を傾けていただくようにお願いします。お持ちの知識を広く開陳して下さい。

では、電車の【予告編】をご覧下さい。

クモハ300-1

クモヤ22001

2019年桜前線追っかけ旅 Ⅳ Part4 福井鉄道 レトラムが走る、撮る

第2日目 4月13日 その1

快晴の朝を迎えました。今日は福井鉄道にレトラムが走り、えちぜん鉄道には「えち鉄521プロジェクト2019 桜とラッセルを撮ろう!」が開催されます。越美北線の勝原一乗谷のリベンジもしたいしと盛りだくさんです。無駄なく撮れるようにと時間を確認しながら向かいました。最初に向かうのは福井鉄道一の桜の名所西山公園です。
▲ 9:10 全山桜満開の西山公園に到着、珍しく公園前の無料駐車場に空きがありました。
続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【2】

国道2号線のど真ん中を走った路面電車(昭和50年5月)
“阪神国道電車”、縮めて“阪国(はんこく)”と呼ばれた路面電車も、廃止されてから45年が経ちました。大正期、大阪と神戸の間に、新たな国道を建設することになり、阪神電鉄は、道路の中央に路面電車を走らせることになりました。別会社の阪神国道電軌を設立し、昭和2年に野田~東神戸の国道線の全線26.0kmを一挙に開業します。さらに、大正時代に開業していた北大阪線(野田~天神橋筋六丁目4.3km)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園~中津浜3.6km)と合わせて、阪神電鉄の軌道線を構成し、正式には、阪神電鉄併用軌道線となっていました。車両は阪神国道電軌が開業時に製造した1形と、“金魚鉢”と呼ばれる側窓の大きな71、201、91形があって、三線で共通運用されていました。
北大阪線の天神橋筋六丁目で発車を待つ“金魚鉢”の201形、左手背後は、当時、阪急天六ビルで、もとは新京阪鉄道が建設した7階建ての駅ビルで、ターミナルビルの先駆けだった。北大阪線の野田~天神橋筋六丁目は、阪神電鉄の子会社に当たる北大阪電気軌道が建設認可を受け、阪神電鉄と合併したあとは、阪神自らの手で道路を新設して路面に線路を敷いた。

続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【1】

米手さんにならい、令和になってからの新シリーズ始めます。今までは「昭和」の鉄道をセッセと投稿してきましたが、大部分がモノクロで、平成に至るまで、ずっと撮影のメインフィルムとして使用してきました。一方で、カラーもソコソコは撮っています。カラーポジは、モノクロと平行しながら、昭和40年代前半から使っており、カラーネガも、モノクロフィルムの代替として、平成時代からは多用するようになりました。ただ、いずれも国産のフィルムであり、現在では、褪色やカビの発症があり、修整しても、なかなか原色に近づけることはできません。
しかし、古いフィルムの劣化は当然のことで、それを受け容れて、気にせずにカラーもどんどん発表すべきと思うようになりました。カラーの持つ情報量は、モノクロの比ではありませんし、時代を知る手掛かりとしては、最適の手段です。ただ、カラーは、モノクロの補助として恣意的に撮っていただけに、連続性に乏しく、記録としての価値は弱いのです。それなら、逆手にとって、“埋め草”として、メイン記事の繋ぎ役として、年代も意識せず載せて行けばと思いました。ただ無秩序に載せるのではなく、撮影月と、デジ青の掲載月は一致させて、季節感だけは感じられるようにしました。
カラーは、ポジ、ネガとも一応は整理している。ただ最終形が、ポジはマウント、スリーブのまま、ネガはプリント、一部はネガのままと、さまざまな形があり、なかなか一体となった整理ができないし、モノクロとの連携も取れない。

続きを読む

2019年桜前線追っかけ旅 Ⅳ Part3 越美南線(長良川鉄道)の春①

▲ 越美北線の撮影を切り上げて結ばれる予定だった越美南線(現;長良川鉄道)の春はどうなんだろうと向かうことにしました。
越前大野~越前田野の撮影地からは美濃街道を九頭竜湖沿いに進み、九頭竜湖駅で休憩、以降は山を越して難所の油坂峠を下りて郡上八幡駅までは74.7㌔、途中の美濃白鳥からは東海北陸自動車道に乗りましたので所要時間は約2時間と結構早くに着きました。昨年は北濃まで行き城端へ抜けましたので山越えは2度目のルートでした。 続きを読む

近日公開 新・ここはどこ?私はだれ? 乞うご期待!

私の鉄道趣味の大先輩に「中村進一」さんという方がおられます。京都市電を中心に鉄道全般の写真を撮っておられる方です。最近は貴重な写真があちらこちらの展示会やアーカイブで展示されていますのでご覧の方も多いと思います。
そんな中村さんの写真資料が立命館のアーカイブに収蔵されることになりました。
そこで中村さんにお願いして『ここどこ?わたダレ?』のタネにできそうな写真を貸していただこうと思い、お願いしました。
お宅へお伺いしたら既に用意して下さっていましたが、なんと段ボールに二箱もあります。車を取りに帰ってお借りして来ましたが、整理がたいへん!中村さんはお付き合いが広いためいろんな方から写真を贈られています。ただ全くデータがありません。そこで優秀な探偵の皆さんにお願いです。
整理が付き次第ご覧頂きますが、写真の車輌のわかる限りの情報を教えていただきたいのです。
機種・場所・時期などのほか特筆すべき事があればそれもお願いします。
では、その【予告編】をご覧下さい。

京阪大津線の歴史を調べて(三井寺、坂本假停留場)その1

前項「大津電車軌道坂本延伸裏話」でも少し触れましたが、三井寺-坂本間が全通した後も両端の坂本、三井寺停留場は仮停留場のままでした。当初の計画は高規格の車両を使い、連結車も走らせるような考えで進んでいましたが、三井寺、坂本の両終端駅は駅部分の用地買収の遅れで開通を優先させて仮停留場で営業を開始しました。この年は大津電車軌道が太湖汽船と合併し、新たに琵琶湖鉄道汽船としてスタートを切った時でしたが、その後、乗客が思うように伸びず、当初の過大投資の為もあって工事は進まず、その内に経営状態が悪くなり、その後2年足らずで京阪電鉄と合併することとなりました。京阪電鉄は大正14年に京津電気鉄道と合併し、昭和4年4月11日に琵琶湖鉄道汽船の鉄道部門を合併して大津、琵琶湖への進出を果たしたわけですが、この合併した部分を今後どうしていくのか、方向性がまだきまらなかったため両駅の仮停留場の状態が続きました。 続きを読む