客車廃車体訪問記内地編3 青森県-2

【津軽鉄道芦野公園駅裏】 40.912294, 140.4516

オハ31 1  1986年9月24日撮影
オハ31 1のまわりは松ばかりであるが、芦野公園はゴールデンウィークの頃には多数の桜が満開になってたいへん美しい。
今はこの車両は番号を国鉄時代のオハ31 26に戻して、鉄道博物館で保存されている。

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 四国 格安快適 早回り旅 〈3〉

多度津の鉄道遺産を見る
予讃線から土讃線を分岐する、JR四国の結節点が多度津です。今までは多度津は通過するだけで、車窓から駅付近を眺めただけでした。今回、松山方面から、高知へ向かうことになり、多度津で乗り換え時間が30分ほどできて、初めて下車をして付近を観察することができました。車窓から見える煉瓦造りの給水塔は知っていましたが、下車してみると、多度津の歴史を感じさせる、いくつかの遺産も見ることができました。
下り方右手にはかつて多度津機関区があり、現在でも、蒸機時代の名残りを示す2基の給水塔が現存している。煉瓦造りは、この地に多度津駅が移転してきた大正2年の建築と言われ、登録有形文化財にも指定されている。

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癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 3 CT273号機を撮る

第2日目 6月4日 その2

11:47 和平駅ホーム端からCT273号機の回送列車を待つ事約18分、先ほどの復興號と同様にカーブの向こうからR123号機に牽引されて台鐡132周年記念号がやってきました。▲ そして同じく本線には入らず待避線に入って行きます、続行する列車に進路を譲るようです。R123号機はデビュー当時の色に塗装されています。次の駅で乗り込まれたいつも海外でお会いするトラベルラーターの白川淳氏は、これは考えていなかった感激ですと花蓮へ戻る翌日も追っかけて撮影するとホテルを取り直しておられました。
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客車廃車体訪問記内地編2 静岡県-1

【浜松市西区入野町(いりのちょう)】 34.698070, 137.696580  2019年6月17日撮影  最寄り駅:浜松(強いて言えば高塚)
マニ50 2032とマニ50 2164(といわれている)

本日、天気がよろしいので、リハビリをサボって浜松へ行ってきました。
時節柄、鮮度の落ちないうちにお届けします。

入野町にある地元の有名な製麺業の会社のものと思われる駐車場に、3両のワキ8000、ワムかワラ1両と得体の知れない謎の車両1両と、合計7両置いてある。全て台車は無い。

▲北東から望む
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癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 2 CT273号機を撮る ①ロケハン

第2日目 6月4日 その1

今日はCT273号機が留置されています花蓮から蘇新まで有火回送されて、蘇新からは本務機として礁渓まで走行します。

不銹鋼號さんは私よりも一日早く訪台、走行区間のロケハンをされていました。昨夜、リストアップされた撮影候補地をお聞きしましたので今日は回送列車が来るまでは現地に行って確認することにしました。
▲ 7:55 宜蘭駅前にある丟丟銅広場は鉄骨で作った森の中を汽車が飛んでいます。あたかも走っているかのように感じさせられた姿にはびっくりしました。
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昭和の電車 改訂版(1)大阪市電901

産経新聞に連載されていた、関三平先生の『昭和の電車』が新聞社の都合で打ち切られてしまいました。永年、記事をデジ青に転載させていただいていたご縁で、関先生と数回飲み会を開いて懇親を深めてきたこともあって、先月、関先生の慰労会を長岡京駅前の高級料亭を借り切って開催しました。

その時、参加者から『全ては見ていない』『もう一度見たい』との声が出ました。

実を言うと全回分を掲載していませんでした。それは最初の数回は見てるだけで掲載するつもりはなかったのです。でも、4~5ヶ月してから、これはみんなに見てもらったら面白いかも、と思いつき掲載を始めたのです。この当時は月に二回のペースでしたから8回ほどの記事が未掲載になっていました。その後も私の見落としやファイル忘れなどで何回かは未掲載となりました。あるときから、掲載忘れを関先生からご指摘があり、作者の先生にご覧頂いていたことを初めて知りました。

この度の飲み会で改めて全回分を再掲載してはどうか?と言うことになって、欠落分の補充をする事にして保存していたファイルを確認したところ、十数回の欠落と画質不良が分かりました。これらの原稿は関先生がお送りくださり、画質不良分はスキャンのやり直しで高画質化して準備が完了しました。

ところが、代理投稿のご依頼が重複して入って来たため、ずらしていましたが「中村進一作品」が峠を越えたのと、次の「乙訓老人再生プロジェクト」の着手が予定されているので投稿者名が重なるのをお許し頂いて掲載していくことに致しました。

関先生は皆様からの辛口のツッコミを楽しみにご覧になっておられます。ぜひとも皆様の思い出と批評などを遠慮なく書き込んでください。

 四国 格安快適 早回り旅 〈2〉

JR四国の未乗車区間に乗る

四国訪問のつぎの目的は、未乗区間の乗車でした。予讃線の向井原~下灘13.9kmは、JR四国のなかで、唯一の未乗区間として残っていました。この歳になって、恥ずかしながらJR全線乗車を目標に掲げた身にとっては看過できず、半日を乗り潰しに費やしました。
未乗の向井原~下灘で、交換可能駅は伊予上灘のみ、ここでキハ3210単行の4918Dと交換する。

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 四国 格安快適 早回り旅 〈1〉

1円で泊まり、1490円で飛行機に乗り、9500円で四国一周をする
贅沢な旅は、カネさえあれば誰でもできます。最小限の費用で、決して貧乏旅ではない、そこそこ上質な旅をしたい。これこそ時間に縛られない、われわれ老人世代の智恵の見せどころであり、特権であると思っています。
こんな思いを持って、情報の収集、周到な準備のうえ、先ごろ四国へ向かいました。このカラクリを説明しますと、1円は、あるビジネスホテルのチェーンが“70歳以上で誕生日当日”に限り1円で一泊できるというもの、しかも朝食付きで、フロントで金1円也をうやうやしく払ってチェックインしました。1490円は愛用しているLCCが時折、バーゲンセールを行なっていて、曜日などにもよりますが、うまく確保できると、運賃1000円台で四国まで飛行機に乗れるというもの、そして9500円の切符は、JR四国の“バースディきっぷ”、誕生月に3日間通用のフリー切符です。通常のJR四国の乗り放題切符は16140円ですから、約4割引です。
この6月、めでたく70歳を迎えた私は、これらの特典をフルに享受しての四国入りとなりました。

四国を回ると“バースディきっぷ”のポスター・チラシを何度も見掛け、販売に躍起になっているように見えた。車内改札、駅改札で、きっぷを見せると、“お誕生日おめでとうございます”と何度も言われた。

 

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-9-

今回は電気機関車です。
古くからのファンにとって、輸入電機や旧型のデッキ付き電機をリアルタイムで見る事ができたことが最大の自慢でしょう。私はその最後をチラッと見た世代ですから羨ましい事しきりです。大型電気機関車は大都会・東京へのあこがれでした。小型電機は地方の、それでも汽車よりもモダンな都会の雰囲気を感じたものです。実際、関東へ行かないと多彩な電機は見られなかったのです。

それでは私鉄を含めたED型電気機関車をご覧下さい。

①小田急101

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癒しの島 台湾鉄道2019年夏の旅 Part 1 旅立ち

癒しの島台湾への春の旅が終わって約3か月後、また台湾大好きなクモハ73106さん、不銹鋼號さん、デカンショまつり号さんたちと一緒に向かうことになりました。今回は6月7日に台鐡のC57形のCT273号機が東部幹線の花蓮~台東を走行します。その後6月4日には初めて蘇新~礁渓にも走行する事が発表されました。いずれも架線のある電化区間を走りますが、影響を受けない撮影地を選ぶことで乗り切りたいと思います。

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【6】

山崎付近で東海道本線を撮る

東海道本線の長岡京~山崎~高槻は、昔から知られた撮影地で、たまたま近くに居住することになった私は、昭和・平成時代を通じて、よく撮影に行ったものです。“来た列車は全部撮る”が身上のため、コスパ面でもモノクロ撮影ばかりでしたが、今回、あらためてカラーを探してみると、僅かですが、カラーで写していたことが分かりました。約20年前のことで、当時としては、ごく当たり前の列車の風景ですが、20年経ってみると、その時代でしか見られなかった塗装もあって、カラーで写していたことの価値を改めて感じたのでした。今回は季節を少し先取りして、夏の臨時列車の運転時のものです。(以下すべて1997(平成9)年7月)。
当時のアーバンネットワークの代表シーン、「新快速」の221系と「普通」の201系がサントリー前のカーブを併走する。本日のニュースで、大阪環状線201系が最終営業を迎えたと伝えたが、それから20年近く、201系もよくぞ環状線で生き延びたものだ。

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客車廃車体訪問記内地編1 青森県-1

客車廃車体訪問記北海道編から暫く中断しましたが、再開して内地編をお届けします。北海道のようにできるだけ調べて訪問したわけではなく、まだ見に行けていない所も多数ありますが、それはそのうちに行くことにして都府県順不同でご紹介することにします。
まず、昔は北海道から本州に渡るのは青函連絡船がメインルートでしたので、その本州側の青森港からスタートしたいと思います。

【青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸】40.831683, 140.736488
◆スユニ50 509  スユニ50 510    2018年5月30日撮影  最寄り駅:靑森
青森駅の旧青函連絡船桟橋に係留されている八甲田丸の車両甲板3番線に、航送時を再現した状態で保存されている。他にキハ82 101やDD16 31等も展示されていた。船内はなんとなく油臭い。

手前がスユニ50 509、奥がスユニ50 510

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 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【5】

ツツジから新緑へ 蹴上を行く

先日の本欄で蹴上のツツジを載せましたが、“これだけ!”と思っていたら、別のところからまた出てきました。今回はポジで、前回はネガ、当時はカラーのネガ・ポジの両刀づかいだったことを、初めて認識しました。いずれもスキャンしてデータ化する過程は同じですが、結果は少し違います。ネガからは軟調に仕上るため、なめらかな階調があり、フィルムの劣化さえなければレタッチに手間は掛かりませんが、ポジからのスキャンは、コントラストが強くて白トビ、黒ツブレがあり、濃淡の調整に手間を要します。今回は、そんな違いも感じながら、5月のツツジ、そして6月の新緑へ移っていく蹴上付近の情景です(以下1997年5・6月撮影)。
紅白の幔幕が張られた蹴上浄水場の横を行く、京津線の80形、蹴上には仁王門通に陸橋があって、ここから、京津線がうまく収まった。

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伊賀鉄道のボーナル桁橋梁?

名張図書館で伊賀鉄道の歴史を見ていましたら「ポール橋」という名前が出て来ました。写真を見ると、桜井線乗車時にどですかでんさんが説明されていた「ボーナル桁橋梁」にそっくりです。「ポール」と「ボーナル」と微妙に名前は異なるのですが、昔に外国人の名前を日本語に訳す時に聞き手によって違いがあったものと勝手に判断して、以前の写真を捜したところ、廃線跡と使用中の3箇所がありました。廃線跡では「美旗新田」駅近くの農業用水路に架かるものです。2008年12月の様子ですが鉄橋跡の上には枕木が数本残されていました。大阪線からも見えたのですが数年前に撤去されてしまいました(しまかぜ乗車会の時は残っていました)。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【4】

蹴上のツツジ

意気込んで開始したカラー同月版シリーズですが、アッと言う間に月末となりました。テーマ先行で、投稿は積み残しばかりですが、一件だけでも載せておきます。

先般、本欄に京津線蹴上の桜を載せました。そのあと蹴上では、ツツジの季節を迎えます。なかでも蹴上の山手に広がる京都市の蹴上浄水場一帯には、ツツジが多く植生し、5月連休明けごろの開花時期に合わせて、浄水場が一般公開されています。その横を行くのが京津線で、ツツジと電車の取り合わせを求めて、何度か訪れたものでした。
京津線蹴上~九条山に沿うのが、京都市の蹴上浄水場で、琵琶湖疏水開削に由来する歴史ある浄水場である。多くのツツジが植えられて、開花時期に合わせて公開され、年に数日間だけ、京津線との組み合わせを撮ることができた(以下すべて1997年5月)。

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新・ここはどこ?私はだれ?【中村進一氏のアルバムより】-5-

蒸機が終わりましたので『電車』に移ります。
中村さんは国電からJRまで、“手当たり次第”に電車の写真を撮っておられます。でも、私の個人的理由から国鉄時代に限らせていただきました。

Ⅰ)クロハ16→クロハ16800→クハ16500 河 昭一郎氏より

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