京阪大津線は京津線の前身、京津電気軌道が大正元年に三条大橋~札ノ辻間が開通、石坂線の前身、大津電車軌道が大正2年に大津(現在のびわ湖浜大津)~膳所(現在の膳所本町)が開通し、その後延伸、路線の変更があって現在の形となりました。総本家青信号特派員さんからお誘いを受けて、旧東海道線の遺構を調べた後に、京阪大津線についてもその遺構を調べたくていろいろな書物、地図を見ましたが、本によって記載の異なるものが多く、また、不明な点もあったため、滋賀県県政史料室の歴史的資料を調べてこれらを解明したいと考えました。先にご報告したように、県政史料室の歴史的資料は項目ごとに分類されており、そのリストも公開されていて調べやすくなっています。この宝の山の中から、まず、石坂線で廃止された駅について順に報告したいと思います。 続きを読む
本日から「江若廃止50年 写真展&鉄道模型運転会」
江若鉄道が昭和44(1969)年に廃止されてから、今年でちょうど50年を迎えることになります。そして、来年は江若鉄道が創立されて百周年となります。それを記念して、またまた江若鉄道の写真展・模型運転会を行なうことになりました。
「江若鉄道廃線50年 懐かしの写真展&鉄道模型運転会」
3月21日(木・祝)~24日(日) 4日間 10:00~17:00(最終日16:00まで)
江若交通ビル5階会議室(JR湖西線堅田駅下車左手すぐ)
入場料 おとな500円
西村さん製作の模型・ジオラマに、私の写真も加えた江若鉄道展は、これまでスカイプラザ浜大津で2回、大津市歴史博物館でも2回、びわ湖大津館、旧大津公会堂、伊香立香の里史料館、琵琶湖グランドホテル、藤樹の里文化芸術会館(高島市)と、江若鉄道ゆかりの地で、形を変えて、写真、模型・ジオラマを展示してきました。“江若をおかずに、何杯メシ食うのゃ”と言われそうですが、江若は何度食べても忘れられない味なのです。ただ、従来と異なるのは、いままでは公立、またそれに準じた公的施設での展示でした。今回は、展示企画に賛同した同好団体、個人が手弁当で集合、実行している点です。いちばん大きな問題だった会場も、江若鉄道の後継となる、江若交通さんのご理解をいただき、ゆかりの堅田で行なうことができました。中心になって奔走いただいた滋賀鉄道模型愛好会の事務局様には、感謝申し上げる次第です。
▲会場はJR湖西線の堅田駅の真ん前、ホームからもよく見える江若交通本社ビルの5階です。ただ、一階の入り口が奥まっていて戸惑います。コンビニの右側の奥に5階へ通じる江若交通本社ビルの入り口があります。
JRおおさか東線、乗りある記
守口で用事を済ませた後、おおさか東線を乗りに行きました。( ↓ 車窓動画)
存廃に揺れる北海道の駅を巡る (4)
釧路・根室付近 50年前といま ①
根室本線の釧路・根室付近へは、50年前に均一周遊券を握りしめて行った時は、京都・大阪から、急行を乗り継ぎ夜行2連泊して、釧路には午後、根室には夕方にやっと着いたものです。半日で行くことができる現在から見ると、まさに最果ての地の思いがありました。しかも、夜行のあと、駅で降りて、10キロも20キロも歩いて、駅間で写したものでした。今から考えるとよくぞ行ったものだと思います。
そこで、釧路・根室付近の駅で写した“50年前”と“いま”を対比してみました。
▲釧路から西へ30分の白糠、昭和58年まで北進に向けて白糠線が分岐していて、釧路以西の中枢駅だったが、いまは静かさだけが支配する駅になっていた。
存廃に揺れる北海道の駅を巡る (3)
もう一昨日実施のダイヤ改正で廃止されましたが、根室本線の廃止3駅のうち、残る初田牛へも、直別・尺別を訪問した翌朝に行きました。初田牛があるのは、“花咲線”の愛称のある釧路~根室であり、同じ根室本線ながらも、釧路以西とは、別の運転体系になっています。輸送密度は帯広~釧路が約2300人に対し、釧路~根室は約450人と格段に少なく、「JR北海道単独では維持が困難な路線」の一つに数えられています。できれば初田牛に下車したいところですが、一日6往復、中間の茶内で上下が交換するネットダイヤになっていて、次の列車とは2~3時間の空きがあり、どう考えてもロスが大きく、釧路~根室を往復して、車中からの撮影にとどめました。
▲3月16日に廃止された根室本線初田牛駅、駅名標とプレハブ造りの駅舎があるだけの棒線駅。 続きを読む
広島から小ネタ(続報)
3月16日ダイヤ改正に伴い新駅開業や新旧車両の交代劇などいろいろなニュースが飛び交いました。広島地区からは「タクアン」が姿を消し、すべて227系レッドウイングに世代交代しました。山陽本線は今まで115系Tc+M+M+Tcの4連が基本でしたが、227になるとMc+M+McとMc+Mcの組み合わせが基本となり、多くの列車で4連が3連に代わりました。さっそく不満の声が聞かれます。
新駅『梅小路京都西』開業!
永らく工事していた山陰線の京都ー丹波口間に新設される新駅・丹波口京都西駅がいよいよ開業する。
思えば、子供のころから遊び場であった梅小路貨物駅や国鉄官舎跡に梅小路公園ができ、さらに水族館や鉄道博物館が開業すると観光客が殺到してホテルと駅ができることになった。理屈は分かるが、青信号特派員氏が時を同じくして報告してくれている北海道の鉄道と比べると個人的には北海道の住民に申し訳ない気持ちで一杯だ。
開業直前の様子をご覧頂く。
存廃に揺れる北海道の駅を巡る (2)
尺別
夕方の列車で直別を去り、ひと駅釧路寄りの「尺別」へ向かいました。隣り合う二つの駅がともに同時期に廃止されるのも、この地域の現状なのでしょう。廃止後も信号場として残ると思われますが、音別~厚内の15.0キロの間に駅が無くなるわけです。当初は尺別で下車して、約2時間後の後続列車まで写す予定でしたが、乗車列車が、交換のため尺別で10分ほど停車することが分かり、下車は止めて、交換待ちの間に撮影することにしました。
尺別は、1900生さんのコメントにあるように、昭和45年4月まで尺別鉄道が分岐していました。尺別~尺別炭山10.8キロの地方鉄道で、尺別炭坑からの運炭を目的に敷設された鉄道ですが、C12+二軸客車の旅客列車も一日2往復運転していました。ただ国鉄との運輸連絡が無かったためか、全国版の時刻表にも記載がなく、結局、私は乗ることも見ることもなく終わった鉄道でした。青信号「雪中北海道見聞録」に記載のように、1900生さん、kawanakaさん、西村さんの三人が、尺別鉄道訪問され、近年のホームカミングデーでも様子が披露されました。尺別鉄道の紹介記事は少なく、三人の記録はたいへん貴重なものでした。
▲釧路から直別に向かう時も、尺別で2527Dとの交換待ちがあって、乗車したタラコ色のキハ40 1758を、駅舎も入れて順光で撮影することができた。
広島から小ネタ 3件
総本家青信号特派員氏と勘秀峰氏の河原町丸太町イベントが盛会裡に閉幕し、ご同慶の至りです。ところで最近は聞かなくなった言い方に「ゲタ電」というのがありましたが、路面電車こそがゲタ電であり、生活密着の鉄道だという思いを深くします。広電では路面電車をより利用しやすくしようと、いろいろな取り組みをしているなかに「信用乗車」があります。ところが、こんな残念な記事が載りました。
存廃に揺れる北海道の駅を巡る (1)
京都市電写真展では忙しくも有意義な日々を送りましたが、その開催直前には北海道へ行っていました。LCCのお蔭で、毎年行くようになった北海道ですが、昨年には関西~釧路も新規就航し、道東へも格段に行きやすくなりました。ただ北海道に着いてからの足となる鉄道は、目を覆いたくなるほどの衰弱ぶりです。支線・駅の廃止と言った話題だけでなく、列車そのものが削減され、もう列車移動による徒歩撮影など全く不可能で、単なる“乗り鉄”ですら、ムダな空白時間ばかりで、移動が困難な状況に追い込まれました。
そんななか、時刻表をひっくり返して、廃止が予定される駅や、50年前に訪れた駅を再訪し、岐路に立つ北海道の現況を見てきました。
▲今週末のダイヤ改正で廃止される駅のひとつ、根室本線の直別を発車したキハ40 1779 「北海道の恵み」ラッピング車で、エリア別にキハ40の4両に施された。
ながらくのご乗車ありがとうございました。青の117系は3月16日のダイヤ改正で定期運行を引退いたします。
王寺駅に12日の日に立ち寄ると発車時刻の案内表示に3月16日のダイヤ改正で和歌山線の117系は定期運行から引退するとの案内がありました。
上の写真は2017年11月11日撮影した王寺発の五条行普通列車です。そして、本日の16時07分の五条行は
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part5 宜蘭から花蓮へ ホテルトラブル発生、名物ワンタンを食う
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part4 EMU100を撮る
京都・時の証言者「1978年」
京都テレビ(KBS)にて、1969年から2019年迄のトピックを毎週、1年分を5分間に纒て放送しています。
今週は1978年で、市電の廃止が1分半の映像で “毎日” 紹介されています。

今週の放送予定
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ありがとうございました。京都市電写真展
本日を持って、勘秀峰さんと二人の写真展「京都市電が出会った街 河原町丸太町」が10日間の会期を終えて滞りなく閉場しました。お世話になった皆さま、会場にお見えの皆さまに、厚く感謝申し上げます。ご来場者の総数は650人、当ギャラリー始まって以来の驚異的な入場者記録で、あの西利でのクローバー会写真展でも250人程度の入りですから、終日、お客様で賑わい、いっときは十数人がご覧になり、コンパクトなギャラリーは立錐の余地もない混雑でした。皆さん熱心に見ていただき、二人も声を枯らして説明し、嬉しい悲鳴を上げていました。▲大賑わいの会場、停留場ごとの説明に勘秀峰さんが大活躍
▲河原町通に面してポスター、立て看板を設置、道行く人も多く入場された。▲▲開場前の静かな展示場、11時が鳴ると、すぐに来場客がご入場。
癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part3 最後の行李列車を追う
第3日目 2月27日
昨夜。不銹鋼號さんとラインで連絡を取り合い今日は暖暖で合流し、行李列車6901次を駅撮りすることにしました。
① 新竹 8:18(太魯閣278次)⇒9:38 七堵
▲ 7:54 行李列車6901次が暖暖を通過する正確な時刻は昨年10月に時刻改正が実施されているために分かりませんが、改正前も前後1時間は運行時間にズレがありました。それほど変わってはいないだろうと、暖暖通過は11:00~12:00頃と読んで11:00前には着けるように新竹站窓口できっぷの購入です。
七堵まで太魯閣の自強278次指定を注文して暖暖までのきっぷ購入としましたが、指定は台北までしか空席はありません。台北~暖暖は普通きっぷの発券になりました。

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市電写真展から桜井線
昨日、終了2日前となりますが市電写真展行ってきました。会場内は大盛況です、4~5人のグループで来られている方もあり、町内会・学校の同窓会の様相を呈していました。そのグループ・個人が福田さん、佐々木さんを取り囲み懐かしい話に花がさいています、皆さん当時の情景を休みなく話されそれぞれの話の中心に、お二人がおられます。来場者は次から次へ来られますので食事どころかお茶一杯のむ時間も無いのかと想像できます。デジ青で話題沸騰となっている写真も大きな実物で見ることが出来ました、さらに来場者のコメントがそれぞれの写真に添えてあり、この写真展を心から懐かしみ、また楽しんでおられることが実感できます、いいアイデアと思います。写真展は今日10日で終了ですが、ぜひ次のステップに繋げて行ってください。京都まで来たので帰りはどですかでんさんの情報で桜井線も今のうちと思い桜井で途中下車し、三輪まで行きました。
桜井駅での、クハ104-510+クモハ105-519です(架線の影が気になりますがご容赦ください)。
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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part2 基隆⇒彰化⇒新竹
第2日目 2月26日
今日は不銹鋼號さんとchitetsuさんが訪台されますが宿泊地が台北のため合流するのは明日になります。私は新竹へと向かい、途中で南海電鉄の「ラピートブルー」塗装のE212号機牽引の荷物列車撮影予定です。ただ、時刻改正後の行李(荷物)列車のダイヤが分ってはいません。クモハ73106さんにラインでお聞きして教えていただきました。いつもながら、ありがとうございました。
◀ 基隆から南下する優等列車(自強號)は午前中4本しかなくどこで撮るかの選択肢は多くありません。運賃は高くない台鐡ですので取りあえず嘉義までのきっぷを購入して車中で下車駅を決めることにしました。
▲ 8:51 きっぷ売り場のある基隆南駅側の改札口です。きっぷを買い求めてからの乗車でした。
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癒しの島 台湾鉄道の2019年冬の旅 Part1 最後の荷物列車、EMU100系を追う 旅立ち
今年の台湾鉄路では荷物列車の運用が終焉を向かえます、またEMU100系の復活運用が見られますのでみんなで一緒に行きましょうとクモハ73106さんよりお誘いをいただきました。私はこれから迎える花粉症対策の逃避もあって参加させていただくことにしましたが、クモハ73106さんは直前になってご都合が発生、荷物列車を熱心に追いかけておられたデカンショまつり号さんもお仕事の都合で参加が無理になりました。参加できるのは不銹鋼號さんと新たにchitetsuさんとcederさんが加わり4名での訪台となりました。
▲ 2014年1月11日、西部幹線の樹林~基隆でリバイバル運行されたEMU100系です。 続きを読む
京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ③
京都市電の写真展、休廊日を置いて、本日から後半戦となりました。地元の新聞にも掲載されたため、今日も開場を待ちきれずに続々とご来場される方が多く、聞けば10時開場と間違えて来てしまい、近所で時間を潰されたとか。また会場を「河原町今出川」と間違われて、どこを探しても見つからず、交番へ行って聞いて来たと言う方もおられました。展示スタイルも少し変えて、ご来場の方から聞いた話を整理した札を写真の周辺に貼って、ツーウェイのスタイルを採り入れました。クローバー会メンバーも、マルーン会長以下、続々とご来場いただきました。ありがとうございます。
さて、今回の“ここどこ”、入口に掲げている左右1.5メートル程度の大きな写真で、皆さん立ち止まって見ていただいて中に入られます。これは、近くのマンションの屋上から写したものですが、訴求ポイントは、丸太町線、河原町線両方向からレールがあった時代であること、それに交差点にあった、われわれの母校が写っている点ですが、私たちの気づかない点まで指摘があり、皆さんの記憶や観察力には脱帽した次第です。

▲右上の黄丸、山肌に何かが見える。これは五山送り火のひとつ「左大文字」だ。交差点から見えるのは「大文字」だけで、鴨川まで出れば「妙法」も見えるが、この付近の定説だった。しかし、少し高度を上げると「左大文字」も見えるのは初めて知った。この写真からはよく分からないが、ほかの「船形」「鳥居形」も見えるのだろう。







