訪問介護の予定が一段落したので自分の仕事を再開します。
当時はまだ最新型の急行用電車153系を撮ったのでしょう。どこだか分かりません。
残暑お見舞い申し上げます。
昨年に続き『真夏の蒸機』を考え、記事も途中まで書いたのですが、もうひとつパッとせず、諦めて、DCにしました。以前加太のDCを投稿したのですが今回はそれ例外の場所です。炎天下になかなか来ない蒸機を待つ間、さっと通り過ぎたDC。高価なフィルムが勿体無くてあまり気乗りせずに撮ったDCですが、今はやはり貴重に感じるものです。DCの形式を私はよく間違えます。気を付けますが、間違いあればご指摘下さい。
先ずは米坂線。先だってより、蒸機39685の写真をさいたま市役所に飾って頂いていますが、それはこれと同じ場所の地上から撮ったもの。下の画像は山から俯瞰した準急『あさひ』です。仙台発仙山線、奥羽線、米坂線、白新線経由新潟行き。上下各2本あり、鉄橋とトンネルが続く深山幽谷地帯を行くキハ58系が画面左に進行します。一面緑でDCの色がよく映えます。同じ位置から撮った貨物列車の画像は蒸気も見えず、緑と黒だけ。見栄えがしませんでした。
▼米坂線 玉川口-小国間 607D 『あさひ1号』 1965.8.17 C1521 続きを読む
湖畔の住人Y先輩から半世紀前のお宝映像が次々と披露され、次は何が登場するだろうと デジ青を開くのが楽しみな今日この頃です。先日紹介された尾道駅停車中に車窓から撮られたのであろう尾道鉄道を拝見し、早速プリントアウトした写真1枚を手にして 尾道駅へ行ってきました。
今日はサハリンから帰路の旅となります。Part15でも述べましたように当初はユジノサハリンスクからの直行便で成田に帰るはずだったのですが、行程が決まって申し込んだ後で突然にオーロラ航空が6月18日からの休航を発表しました。発表前にもロシアに折角行くのだからウラジオストクにも寄りたいねと冗談ですが言っていましたので、これが現実となったのです。
NETさんのようにトランジットで帰国する事も選択肢だったのですが、次はいつ行けるか、もう行く機会はないかもしれないロシアです。一回ぐらいは行って見てみたい気持ちが大きくなりました。即決で2日間の追加滞在に賛成しました。
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台風5号が通り抜けた2017年8月9日の万葉線 高岡駅前の通りです。1日から7日の七夕祭りが終わり静かな町に「あさがお」がきれいに咲いていました。赤いアイトラム1006号が末広町から高岡駅へ走って行きました。
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“湖畔のヒマ人”さんからお呼び出しがあり、久しぶりに浜大津にお伺いしました。
大花火大会があったばかりの湖岸に建つ13階の高層マンションから見る琵琶湖は素晴らしく、「ミシガン」が出港するのに見とれました。
さて、ご用の向きは?と尋ねると、「ワシにも“こんなモンもありまっせ!”があるが、投稿方法が分からない」とのこと。ついでに娘さんからのプレゼント、2TBのハードディスクも取り付けろ、との仰せでした。早速設定しましたが、肝心の投稿許可をもらっていないので管理者のぶんしゅうさんに電話して許可申請して帰りました。
今朝ほどメールで許可されたとのことですから、間もなく湖畔から“こんなモンもありまっせ!”が投稿されるかもしれません。
てなわけで、私だけの専売特許ではなくなりそうですから整理が済んだものを急ぎ発表します。
これは中学の修学旅行で東京へ行った時に撮った鉄道写真です。といっても客車の中やバスの中から撮ったものですから架線柱が入ったり、ぶれたり、逆光だったりでロクなものがありませんがお許し下さい。
《お願い》
撮影時は昭和35(1960)年10月です。但し、撮影場所・車両名・鉄道会社名など全く解りませんので、わかった方はこの欄へ投稿して教えて下さい。
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▲ 図書館で借りた樺太の写真集を見ていましたら、大泊に向かって海沿いを走る蒸気機関車の写真がありました。バラストも満足にない軌道を走っていますので600㎜ゲージ軍用鉄道時代の写真とは思います。光景は、乗って来た車窓とほぼ同じです。
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▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。
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西村さんのご指示により、両運の南海キハ55と有田キハ58001~2をご覧にいれます。
和歌山駅の南海キハ5504+キハ5554です。手前が両運のキハ5554です。ナンバー標記の55と54の間隔が空いています。
第6日目 7月14日 その3
奇跡的にユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんにお会い出来ました。この博物館の開館は月曜日~土曜日 8:30~17:30、休館は日曜日とはなっていますが、常時開いているわけではありません。連絡を受ければ開館するといったスタイルですので入場は運がよくなければ難しいのです。この難関だった問題が解決できたのは感激です。皆さん歓喜で入場しました。
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8月6日、今夏の最高気温を記録した大阪は梅田、多くの人でにぎわう、華やかなグランフロント大阪、その一角で、周囲とはおそよ不似合いな、風采の上がらない地味~な老人集団が異彩を放っていました。その数20人、平均年齢は優に70歳を越していると思われますが、周りからの奇異な目線にも構わず、馴れ馴れしく大声で世間話をはじめ、やがて謎の集団は階下へと降りて行きます。そこには、写真の展示コーナーがあり、目的の1枚を見つけると、“ホンマかいなぁー”“すごい!”“賞品はなんや?”などの歓声が次つぎに上がります。
▲老人集団の見つめる先には?
本日は酷暑の上に台風接近にも拘わりませず、私をダシにした暑気払いの会にご参加いただきまして厚く御礼を申し上げます。
思えば久我会長様と雑談していた時に「お前な-、暑気払いに一杯飲みやろか思てんねん。口実考えろャ!」とご下問がありましたので、「ちょうどフジの50000人写真展があるので見物方々梅田で集まっては如何でしょうか?」と言いましたところ、「それええな!」と賛成いただきました。その後、何の因果か、天の采配か、私が応募した半世紀前の写真が20点の一枚に選ばれたという連絡を富士フイルムから頂いたのです。事務局長様のお計らいで、本日先輩後輩の諸兄に集まっていただき少しの賞賛と多くの罵詈雑言を頂きましたのは、私、一生の誉れであります。この上は来年も当会から20点に選ばれてラグビー同様に三年連続全国制覇をして、天下に名声を轟かせていただく事を祈念いたしまして、不肖、米手作市のお礼の言葉とさせていただきます。
この度賞を頂きましたのは下記の作品です。ご笑覧下さい。
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西村さんが「カラーで振り返る昭和の気動車-4-に寄せて」と題して島原鉄道のキハ55を紹介されましたので、それに便乗して私は南海のキハ55(正式にはキハ5501形でしょうか)を紹介します。カラーではありませんのでご勘弁を。
場所は湯浅駅です。きのくに2号の後尾に連結されたキハ5503が、有田鉄道の両運のキハ58003(元富士急)と顔を並べたところです。国鉄の駅で私鉄2社の国鉄型気動車が出会うことでもたいへん珍しい組合せであると思います。