客車廃車体訪問記 北海道編22

【帯広駅 ツーリングトレインおびひろ】

スヤ42 1(左)  スヤ42 2(右)  1987年9月20日撮影
富良野と同様、駅ナカの簡易宿泊施設であった。1987年7月1日、釧路・根室駅と同時にオープンして間もない頃の様子である。バックは帯広駅舎である。その後帯広駅高架化計画によりツーリングトレインは廃止された。
マイネ40は、戦後外国人観光客用に製造された旧一等寝台車である。2両とも美瑛のスヤ52と同じ保健車であった。この2両は、形式は同じでも種車は別系列で、寝台車と座席車の違いもあり、外観に顕著な相違がある。
◆マイネ40 5(1948年新製 日車)→(1955年改番)マロネ40 5→(1968年改造 旭川工)スヤ42 1→1986年廃車。
◆スハ43 14(1951年新製 日車)→1964年近代化改造 土崎工→(電暖追設・時期不明)スハ43 2014→(1979年改造 旭川車セ)スヤ42 2→1986年廃車。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -19-

浦本~能生の海岸沿いを行くD51重連の長野発米原行き621レ D51 588〔糸〕+D51 178〔糸〕(昭和44年8月、以下同じ)

糸魚川~直江津の撮影では、下見の乗車をしたあと、糸魚川から折り返しの525レに乗って戻ります。糸魚川~梶屋敷~浦本は、現在線に腹付け線増されるため、梶屋敷、浦本の2駅は在来のままの改良で、架線も張り巡らされています。浦本からは、別線線増区間に入り、列車は架線のない単線区間に入って行きます。新線では、頸城トンネル(11353m)など4本の長大トンネルを掘削、能生、筒石、名立の3駅は山側へ移設、筒石は頸城トンネル内に地下駅で移設します。525レから、まず下車したのが能生でした。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part10 カレイミョへ4

第7日目 12月9日 その2

▲ 8:20 ハンタワディ駅ガンゴーへ向かう列車を見送ってから改めてD1B303号機の見学です。1993年、ミャンマー国鉄自社製で、D1B「D」はディーゼル機関車、「1」は従台車軸数、「B」は動輪を表しています。エンジンは1978年製の日野EF350エンジン(排気量は14,779cc、最高出力295PS)を搭載しています。こういった形の車両は正式にはどう呼べばいいのでしょうね。

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客車の神様 教えて下さい

昨日呉線忠海方面に撮影に出かけたところ、いつもならC11が来ると思っていたところ珍しく1150型1155が来たので、1155を一生懸命撮ったところまでは良かったのですが、すぐに発車してしまい、後ろの客車を撮り逃がしました。特に1両目は3軸ボギー(TR71?)で丸屋根でトラス棒もあり、窓配置も不規則なような・・・。2両目はハニかハユのようですが、これはさすがに形式を判定しにくいですが、1両目の客車の形式は何でしょう?先日は気懸りだった郵便車をオユ10だと明快に回答を頂き、夜もぐっすり眠れると思っていたら、また気になるネタが発生しました。客車の神様 助けて下さい!

呉線忠海駅にて 糸崎行き

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客車廃車体訪問記 北海道編21

【旧新内駅跡】

59672寄りから  ナハネ20 132 ナロネ21 551 ナロネ22 153  43.158903, 142.814318  2016年8月15日撮影  最寄り駅:新得
◆ナハネ20 132(1965年日車)→1978年廃車。
◆ナロネ21 51(1958年日立)→ナロネ21 551(1970年大船)→1978年廃車。
◆ナロネ22 53(1960年日立)→ナロネ22 153(1969年大船)→1978年廃車。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part9 カレイミョへ3

第7日目 12月9日 その1

昨夜、今朝のチェックアウトは5時と早いので用意されている朝食が食べれない、バスケットランチにしてもらえないかお願いしたところ快諾を得ました。これを持って夜明け前の暗闇の小雨模様の中、今日最初の撮影地と決めた道路との併用橋へ向けて出発です。

カレイミョ 05:00→ナッチャウン06:10頃→ 08:15頃 ハンタワディ着(1002レ)

▲ 6:31 何となく見えだした道路との併用橋に到着。
既に目的の列車はナッチャウンを出発してこちらに向かっています。こちらに着くのは多分1時間後前後です。

7:10 こちらの気候ですがヤンゴンよりは約700㌔北にあり、東西を山で囲まれていて、標高は約170mあります。朝夕の温度は熱帯のヤンゴンとは正反対に寒いぐらいの14℃です。
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けったいな信号機(特殊信号発光機)

先日は交通信号機でお茶を濁しましたが、鉄道信号機の変な動きを報告します。

★動画、特殊信号発光機、発報

客車廃車体訪問記 北海道編20

【富良野駅 ツーリングトレインふらの】

スハ43 711(左)  スハフ44 15(右)  1987年11月3日撮影
◆スハ43 580(1954年新製 日立)→(1976年耐寒耐雪改造 五稜郭車セ)スハ43 511→(1976年改番)スハ43 711→畳敷きに改造(1984年9月5日旭川車セ)→1987年廃車。
◆スハフ44 15(1952年新製 川車)→1964年近代化改造 五稜郭工→カーペット敷きに改造(1985年)→1987年廃車。
富良野駅の簡易宿泊施設であった。駅至近距離というより駅ナカである。車歴のように畳敷き・カーペット敷きで、入口に照明を付けている。『鉄道ピクトリアル』485号89頁に写真があり、1泊800円とある。その後、派手に塗り替えられた後、富良野駅改築の為立ち退きになり、駅近くの某飲食店で利用され、さらに富良野市麓郷市街地の「拾って来た家」に2両とも引き取られた。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part8 カレイミョへ2

第6日目 12月8日 その2

10:44 4人全員でヤンゴン空港に到着、搭乗する人以外の方々も空港内に入るには荷物のX線感知器があって保安厳重です。そして、チェックインカウンター前でミャンマーの民族衣装のロンジンを巻いた、サンダル履き通訳がお待ちでした。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -18- 

名立付近を行く列車。糸魚川~直江津は海岸沿いの急峻な地形が続いて、何度も地滑り災害に見舞われ、抜本的な線路改良が望まれていた(以下昭和44年8月撮影)

今回の「地図シリーズ」は、いま豪雪に見舞われている北陸本線の昭和40年代に飛びます。北陸本線の歴史をたどると、それは線路改良の歴史でもあると言ってもいいほど、数々の移設、改良、新線工事を繰り返してきました。それだけに急勾配区間や災害多発地域を抱えていたことにもなります。大きな改良区間としては、
・木ノ本~敦賀 柳ヶ瀬越え(のちの柳ヶ瀬線)の迂回新線・複線化
・敦賀~今庄 急勾配区間を日本最長の北陸トンネル貫通で短絡・複線化
・津幡~石動 倶利伽羅越えの改良・複線化
・市振~青海 親不知など日本海沿い災害多発区間を移設・短絡・複線化
が挙げられます。これらは、昭和40年代初頭までに工事は完了しており、私は旧線時代の記憶・記録はありません。そして最後に残った大規模な改良工事が、糸魚川~直江津の新線・複線電化工事でした。昭和44年10月ダイヤ改正から新線に移り、これによって昭和30年代から進められてきた北陸本線の全線複線・電化工事が完成しました。

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はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part7 カレイミョへ1

昨日、ヤンゴンに着いて早々ですが今日はカレイミョへと移動します。目的はミャンマーで最後に残ったLRBEの撮影です。LRBEとは、Loco Rail Bus Engineの略です。
前回
(2016年8月)た時ならまだ近くに走っていたのですが、日本から無償譲渡されたキハ40系が増備された影響下で無くなってしまい、今はカレイミョまで行かないと会うことができません。現地でもう少しゆっくりしたいのですが、団長のご都合もあって、在できるのは1泊2日だけで撮影チャンスも1回きりのハードなスケジュールです。それでも行かなければならないほど貴重な機会です。、

前回は、広島電鉄から送られた路面電車の撮影が目的だったのでLRBEまでは気が回りませんでした。

▲ 今回向かうカレイミョは、ヤンゴンから車で行って約950㌔余りあります。鉄道で行くにはマンダレーまで、後は途中が寸断されていて乗り鉄が出来ません。マンダレーからでも陸路でも363㌔、バスでも約9時間以上かかります。これでは行く方法は1つ、飛行機です。飛行機だけあって直線で向かいますので、713㌔と短くなり、所要時間も直行便だと1時間45分です。 続きを読む

ある日の京阪電鉄交野線

1988年度生の子パンダの保護者でございます。
本年もよろしくお願いいたします。

また、京阪ネタで恐縮ではございますが…。

 

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 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑬

人気者、青電600形
昭和10年前後に生まれた方、「青電」という電車が話題になりませんでしたか? 青電は、昭和12年に登場した600形という電車で、窓から上が濃いクリーム、下がグリーンに塗り分けられて、大きな窓と前部が5度傾斜した当時流行した流線型のスタイルでした。

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客車廃車体訪問記 北海道編19

【美瑛町幸町4丁目 ライダーハウス】

スヤ52 2  43.587131, 142.476125 2016年8月16日撮影
◆スロ51 8(1950年新製 近車)→(1951年度改造 五稜郭工)スロ52 4→(1970年改造 旭川工)スヤ52 2→1986年廃車。
美瑛神社鳥居の交差点西にあるライダーハウス「蜂の宿」で「電車式 大衆居酒屋 安宿付」と看板をあげている。「蜂の宿」の宿泊客のサロンである。日が暮れたら営業開始で、飲み放題90分1000円の由。ちょうど夏のシーズンで、この日も若者のバイクが多数駐まっていて賑やかだった。西村さんの【92202】「いなでん」のように鉄道車両は何でも「電車」というのには複雑な気持ちがあるが、オーナーは若い気さくな人で、車内の撮影も快諾を得られた。現車はシートピッチが狭く評判の悪かった特ロで、その後診察室・レントゲン室・暗室等を備えた保健車に改造され、最初は釧路局のち旭川局で職員の巡回検診をしていた。スヤ52のうちでは珍しく出入台を増設し、1-3位側中央の窓が一部塞がれている。保健車時代にあった出入台下の大きな踏段は撤去されている。

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中国地方の小ネタ2題

寒波襲来によって全国的に交通網に影響が出ているようです。本日(12日)木次線の木次・出雲横田間は除雪作業のため運休、その先出雲横田・備後落合間は春の雪解けまで本日から冬眠に入るようです。一方 三江線は本日 浜原・三次間は運休のようです。芸備線新見口側も始発列車は運休のようです。木次線の冬季運休は恒例となっていて、ニュースに採り上げられることもなくなりました。JR西のホームページも 運休させて申し訳ないというような表現もなく、代行運転も道路事情次第と他人事扱いです。さて三江線ですが、中国新聞記者の現地取材記事をご紹介します。

平成30年1月12日 中国新聞朝刊

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けったいな交通信号機

冠雪している景色を撮って投稿しようと思っていたら、いつまで経っても京都駅周辺に積雪はありません。

そこで鉄道ネタではございませんが、以前より不思議に思っていた事を述べます。

七条壬生(壬生川)交差点の、交通信号機の設置状況

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鉄鈍爺さん、1900生さん、DD14が生きていたとは!

ご両人、昨日お話に出たDD14が、私が昭和40年に名寄で見たDD142と同じ形式とは!!

53年も前に名寄で見かけたDLが現在も現役で除雪に使われているのは、小野田寛郎さん横井庄一さん以来の驚きです。まだ信じられません。
これで間違いないかご確認ください。

DD142(名寄)

DD142(名寄)

まさか同一人物とは思えないのですが・・・

客車廃車体訪問記 北海道編18

【上川郡東川町北町12丁目】

オハ51 6  43.715465, 142.476868  1999年8月8日昼食を挟んで2回撮影。
戸袋窓が側窓と比べてやや小さい。これはオハ51とオハフ51の1~10の特徴である。
木工会社の倉庫のようで、1999年には手前が広々としていたが、現在は木材がギリギリまで高く積まれ非常に見えにくい状況になった。ここは旭川の会社の同僚の車で走っていた時に偶然見つけたもので、たいへん幸運であった。オハ51初期車の廃車体は貴重である。
◆オハ51 6(1978年新製 富士)→1991年廃車。

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正月はやっぱり富士山!

もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。

2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼ 続きを読む

客車廃車体訪問記 北海道編17

【深川市納内町3丁目】

オエ61 59  43.729724, 142.136050  1996年8月4,6日撮影
納内町3丁目のセイコーマート(当時はローソン)の東隣にあったガソリンスタンドの倉庫であった。今はガソリンスタンド共々現存せず、「ふるさと」という食堂になっている。

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