北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part1 ジパング倶楽部入会、旅立ち

5月下旬、今回のお誘いも台湾と同様にクモハ73106東ウラさんからでした。台湾、中国に続いての稚内での現地集合、7月11日~16日の5泊6日のツアーで、先はまだ行ったことのないロシアの樺太(サハリン)です。
数10回も行っています中国では北朝鮮、ロシア国
境を見ながら一度は行ってみたいと思っていました。

台湾・中国から続いて3連発の海外渡航にはなりますが、失った気力を取り戻すには多少の無理はやっていこうと決断しました。今回のツアーは稚内港から船に乗ってのサハリン上陸です。12月の稚内訪問ではドームの稚内港駅を見ながら稚泊航路はどうだったのだろうか、乗船してみたかったなあと思っていたのも決断を後押ししました。
参加者は、クローバー会の準会員になられたクモハ73106東ウラさん、千住のヤスベエさんの2名と
、不銹鋼號さん、NETさんを合わせて5名です。

参加を表明して直ぐに稚内へのANAの航空券は早い方が安く購入できますので押さえておきましたが、後日皆さん方の予定は8日または9日に空路で千歳空港へ、レンタカーを借りて撮影しながら札幌、そして10日に稚内へと向かわれることになりましたので私も遅れまいと、9日のJAL便で千歳に向かうことに切り替えました。

続きを読む

 江若鉄道“生みの親” 安原仁兵衛の思いを知る

少し前になりますが、7月9日、滋賀県高島市の藤樹の里文化芸術会館で行われた朗読劇「江若鉄道の生みの親 安原仁兵衛物語」に行ってきましたのでレポートします。これは、鉄道が無く不便な生活を強いられてきた湖西地方の悲願を達成するために、鉄道敷設に生涯を捧げた安原仁兵衛の生涯を語る朗読劇です。たまたまチラシに私の写真を使っていただいた縁で、招待券をいただき、日曜日の午後、湖西線に乗って安曇川まで行きました。同館は、以前にも江若鉄道展があり、クローバー会会員とともに観覧に行った場所でもありました。

続きを読む

国鉄クロ212型

今回からプリンター&スキャナーが替わりました(キヤノン→エプソン)。そのため作業が不慣れなのとアプリソフトも替わったので使いづらくてかないません。
ま、その点を大目に見て下さい。

その最初は「国鉄クロ212型」です。213系の仲間だそうですが213系は先日の木次線旅行で伯備線で乗ったのが初めてです。昨年四国へ行った時にムリをして先頭車に乗りましたが、その時に乗ったのはJR四国のハイデッカー車だったと思います。たしか形式は「5000番台」だったような。クロ212なのかわかりません。

三江線の話題など

九州地方の豪雨災害や各地でのゲリラ豪雨など自然の猛威による鉄道の被害も報じられています。三江線も何度も自然災害に見舞われてきた線区で、その都度何とか立ち直ってきましたが、その命脈もあと半年ほどです。今回は自然災害のせいではなく、地方交通の置かれた厳しい環境の為せる結果です。いつものように新聞記事頼みの横着記事ですが悪しからず。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

続きを読む

 50年前の撮影地を歩く -17-

国府津

50年前、御殿場線にはD52の牽く列車が走っていました。その始発駅が国府津であり、D52の基地である国府津機関区も駅の裏手にありました。D52と言えば幹線の貨物用であり、旅客列車も牽引していたのは、ここ国府津区のみでした。国府津は、東京から僅か80キロほどのところ、こんな近郊にD52が働いていたとは、その時代を知っている人間からしても、今から見るとにわかに信じられないことです。50年前の高校3年生の夏休み、関東方面に向かいました。一番の目的は、C62「ゆうづる」を撮ることにありましたが、夜行列車に乗って、真っ先に訪れたのが国府津でした。御殿場線の電化も翌年に迫っており、最後のD52の撮影をしました。
国府津駅5番ホームに停車するD52236の牽く御殿場線の旅客列車、右側のホームに放置されているのは、当時私が使っていた青色のリュックサック。
同地点の50年後、基本的な駅構造には変化はないから、車両が代わっただけで、当時の面影がまだ感じられる。古レールを使った支柱も健在。

続きを読む

こんなモンもありまっせ!

しばらくぶりに投稿いたします。と、言いましてもまとまったものではありません。京都駅周辺や向日町での写真ばかりで、車両ファンには申し訳ありませんが「昔はこうだったのか」「こんな車両が走っていたのか」程度のものです。ご笑覧下さい。例によって記録はありません。

今回は「電化前の青大将」ではありませんが、初期のブルトレ用機関車などをカラーで撮っていました。東映映画の名作「大いなる驀進」の『特急さくら』はこの色でした。

EF58114
向日町昭和40(1965)年5月8日

向日町運転所も電化が完成して、電車や電気機関車が留置され、客車はそろそろ時代が去ろうとしている時期です。しかし、電気機関車はまだEF58が幅をきかし、EF61や65が顔を見せ始めていました。EF58も特急塗装の青色がありましたが、茶色がまだまだ主流です。

一番落ち着くのはこの色です。EF5885と新製間もないEF61
昭和40(1965)年5月8日

同じく向日町で、新製時から前面を警戒塗色にしているEF65も撮りました。

EF655(吹二)

青大将のEF58の写真もあるのですが白黒です。昭和40年頃からカラーフィルムを使い始めたようで、チラホラとアルバムに混じっています。しかし褪色が激しいものも有り、今回も一切の補正はしておりません。この当時の客車もおもしろいものを撮っていますが、機会があればお目に掛けます。

 夏の思い出 2017-1 祇園祭と京都市電

すっかり「デジ青」からご無沙汰の毎日ですが、外部の愛読者からは「最近、投稿が無いのは、身体でも悪いのか」と心配の連絡がありました。いえいえ元気にしていますよ、ご安心ください。“生きている証し”のためにも、せっせと投稿を続けます。
さて京都は祇園祭の時期を迎えました。DRFC時代なら、前期の試験も終わって“さぁ夏休み”の期間で、京都の学窓を巣立った人間にとっては、祇園祭は何とも言えない解放感・期待感が入り混じった、特別な祭りだったと思います。そんな祇園祭も、齢を重ねると、すっかり観光化した祭りに反発もあって関心が薄れ、この10年以上は行ったことがありませんでした。ちょうど埼玉県から京都へ戻った会員のSさんも、自身のブログで30数年ぶりに祇園祭へ行ったと述懐されています。
今年は、宵山の昨16日、趣味会合の帰りにホント久しぶりに、山鉾の立ち並ぶ烏丸通、四条通を歩き、しばし宵山の雰囲気に浸ることができました。若い世代が圧倒的に増えたこと、そして露店の数の多さにはびっくりしました。

続きを読む

北欧のたび3(サンタクロース急行)

ロバニエミに2日間滞在した後ヘルシンキへの帰りは寝台列車を使うことにしました。今回の旅は乗ることを中心にし、その中でも一番の目的はこの寝台列車に乗ることでした。時刻表には特にサンタクロース急行という名前は出ていませんが、北極圏の入り口で、近くにサンタクロース村のあるロバニエミとヘルシンキを結ぶIC273 、IC266、ロバニエミのさらに先、ケミアルビーとヘルシンキを結ぶIC265、IC274 をサンタクロース急行と呼んでいるようです。
 ↑ 郊外のサンタクロース村を北極圏の北緯66度33分線が通っている。
私の乗ったのはケミアルビーからやってくるIC274でした。ロバニエミはカートレインの積み込み場所となっていますので、30分停車しその間に車の積み込み作業をします。 続きを読む

京急の前日

先日は準特急様の投稿にあるように、京急で「青い空、青い海、赤い車体」の写真を撮ることができました。準特急様には願いを叶えていただき本当にありがとうございました。懐かしい方々とも会うことが出来て、また猛暑で熱中症になることもなく楽しい一日でした。なお、横浜に行く前日は、別件で河口湖に居たのですが、ホテルの朝食前に出かけた河口湖駅です。駅前にあったのがモ1号で、説明によりますと…富士山麓鉄道が昭和4年に5両製造(日本車両)したもので、電気ブレーキ・砂まき装置付き。創立60周年記念事業として上田丸子電鉄より引き取り整備・復元した… とあります。自重34t、定員102人(座席50人)、電動機93.25kw×4 です。次にあるのが「瑞雲まつり」とのコラボ車両です。瑞雲とは旧海軍の水上偵察機です、富士急ハイランドでは実物大模型が展示されているようですが、この地と水上偵察機にどのようないわれがあるのか分かりません(スミマセン)。さらに私事ですが今回富士山を山梨側から見ることが出来ました。富士山というとほとんど静岡側からしか見たことがなかったのですがいつもとは違った(山梨ではこちらが正面ですね)体験でした。

北欧の旅2(フィンランドの鉄道)

前回の投稿からずいぶん日がたってしまいました。3月に行った北欧旅行の続きです。蒸し暑い日が続きますが、雪景色で少しは涼んでいただければと思います。
フィンランドは日本と同じ程度の33.8万㎢の国土に約550万人が暮らしており、その国鉄であるVRは路線長5944㎞(2013年現在)でヘルシンキを中心とした南部に集中しています。ロシアと同じ軌間1524㎜(厳密にはロシアは1520㎜ですが、相互運行可能です。)のため、ヘルシンキからはモスクワ、サンクトペテルブルグへ、直通列車が走っています。↑ サンクトペテルブルグ行アレグロ。アルストム製sm6型 続きを読む

半世紀前の長崎電軌(3)-併せて街の新旧対比-

長崎電軌第3回目です。一旦長崎駅前に戻りました。
▼【旧】第1回でも紹介した駅前です。食堂、パチンコ屋のほか、かすてらの看板もありました。線路は右手奥と右手前の二方向に分岐します。画面では170型電車が右手奥へ進み、旧・小川町(現・桜町)を通り公会堂前方向に向かっています。
次の画像で歩道橋上から眺めると好く判ります。1963年4月3日 07922▼【新】(左)上の画像とほぼ同じ位置から眺めました。山が見えなくなりました。(右)駅前は歩道橋と橋上広場に変わっています。歩道橋の上から南の方向を眺めました。線路を左奥に進むとこれから紹介する旧・小川町(現・桜町)、右奥に進むと五島町、出島を経て築町です。Google Earthより
続きを読む

三江線代替バスルート案

沿線市町村で代替バスルートなどの協議は進んでいるようですが、なかなか全体像が見えてきません。

平成29年7月12日 中国新聞朝刊

この案は島根県側の邑南町が提示したもので、作木口から三次間はそれなりに整備されている国道54号線をメインルートとしたいという案です。島根県側の人が三次に出たい時には、三江線と同じ江の川沿いの狭い道を時間をかけて三次に向かうよりは54号線ルートの方が早いので至当な案でしょう。この案では口羽・三次間の旧三江南線の大半はルートから外れることになります。ただ三江南線に沿って国道375号を走る路線も検討されてはいるようですから、沿線住民の利便性を優先しながら、乗換えが少々面倒だったり便数が少なくても旅行者にとっての選択肢も残した案になることを期待します。

通りがかりの閉館した交通科学博物館で見つけたKS50台車

 西村さんが梅小路にKS50台車の存在を確認された写真を投稿されました。1900生さんのコメントに返事をしましたが、その時撮った写真を御披露いたしましょう。

 あれは2年前の今頃です。近鉄九条駅近くにあるとある会社の本社建物の中にC57が保存されているのを見に行こうと有志が集まりました。見学後に弁天町から安治川隧道を通って西九条に行くという計画でした。その途中の弁天町にあった交通科学博物館がどのようになっているか周辺道路から見ていたのです。その時に見つけたのが京阪KS50台車でした。交通科学博物館は展示していなかったのに何でこんなところにあるのか不思議に思っていましたが、今になり梅小路に展示されることになっていたんだと、わかったのです。

あの時はなんでこんなところにKS50台車がと思うのも不思議でなかった。

 

半世紀前の長崎電軌(2)-併せて街の新旧対比-

長崎電軌第2回目、図は南部方面、今回紹介の路線図です。蛍茶屋から公会堂前を経由して一旦長崎駅前に戻ります。再び同所を出発、西浜町経由で思案橋に、その後石橋に向かいます。グラバー亭を訪ね街を見下ろして、最後は築町、出島経由で長崎駅に戻りました。
▼【旧】211型212 蛍茶屋車庫  1963.4.3撮影  07900     続きを読む

「補機」をデジタル化する

 知らないうちに投稿回数が今回で100回となりました。100回記念で盛大に超大作を投稿ということでもいいのですが、そんな超大作になるようなネタも、今のところないのです。ところで以前から気になっているのが学生時代のガリ版刷りの「青信号」と「補機」です。現在保有するもので一番古いのが1968年7月発行の「青信号20号」です。なぜこの「青信号20号」を持っているのかわかりません。だれかに頼んで余っているのをいただいたようです。掲載されている記事をみると1900生さんの「京阪1900のすべて」があります。たぶんこの記事を読みたくていただいたのかもしれません。それはともかく、40年以上もたっているガリ版刷りの本ですし、紙も周辺部が茶色に変色して読みづらくなり、またあるものは劣化が激しくなっています。このままでは読めなくなってしまいそうです。何とかしなけらばなりません。いろいろ考えていたのですが、本をバラバラにして画像データとしてスキャンすることにしました。思い出のある本をバラバラにするには忍びないですが、読むことを前提とすると仕方のないことです。

 

手始めに残しておきたい雑誌をデジタル化をしました。バラバラにして家族が所有しているシートフィードスキャナーを借りてPDFにして保存です。一般の雑誌は印刷屋さんで印刷したものですので、印刷面に濃淡のムラがありません。スキャン条件設定が普通に行えます。そんなに問題なくデジタル化が出来ました。さて、ガリ版印刷の「補機」と「青信号」は印刷ムラがどうしてもあります。しかも劣化しています。スキャナーはフラットベッドスキャナーを使うことにしました。

続きを読む

半世紀前の長崎電軌-併せて街の新旧対比-

半世紀前シリーズ、今回は長崎電気軌道株式会社、長崎電軌。1963(昭和38)年3月末に訪れました。車輌と共に、街の様子を新旧対比したいと思います。停車場及び街名は、1962年訪問時の表記です。現在名は()内に表記しました。
新しい街の様子は、例によってGoogle Earth を利用しました。
▼1963(昭和38)年頃の長崎電軌路線図を作成しました。その一部、北部方面です。
続きを読む

友あり関西より来る また楽しからずや 第2弾

九州北部が豪雨というのに関東は晴天猛暑続き。そんな中、今日7月10日にはWAKUHIROさんが来られた。お住まいが美旗なので正式には「朋あり伊賀より来る また楽しからずや」といったところでこれにはINUBUSEさん、藤本さん、逗子の旦那こと高田さんが参加された。WAKUHIROさんはデジ青には桜や紫陽花などを入れた季節感のある作品を発表されているが今日は「海」がテーマ。京急線で海が入るところはあるようであまりなく、それより心配なのが晴天続きとは言えまだ梅雨開けしておらず空に水蒸気が多いのか真っ青にならないことである。

最初は京急の安針塚から徒歩で横須賀線を俯瞰する有名な場所で撮影。後から駆け付けたINUBUSEさんは撮影場所へはかなりお迷いになられたようで、藤本さんに至っては迷いに迷って到着が昼前になってしまう始末。

軍港をバックに津田沼発816F久里浜行き217系 ▼ 続きを読む

燃える大地への旅 2017年 台湾 Part10 台北雙連市場見学、桃園空港MRTに乗る、帰国

第7日目 6月14日

朝起きますと久々の雨模様です。この旅の撮影中によくぞ降ってくれなかったと感謝、感謝です。今日は撮影予定を入れていません。帰国のフライトも12:15発と十二分の時間がありますのでこれも久しぶりのゆっくり朝食です。

続きを読む

燃える大地への旅 2017年 台湾 Part9 崇徳・海バックを撮る

第6日目 6月13日 その2

② 六塊厝 8:41(區間車)⇒8:45 屏東 9:03(自強號)⇒10:45 台東
③ 台東 11:20(自強號)⇒12:47 花蓮 13:10(區間車)⇒13:27 新城

▲ 13:27、新城に到着。南迴線を回って花東線から北迴線へと4列車を乗り継いでの4時間46分の乗り鉄旅でした。
新城站からはタクシーでクモハ73106東ウラさんご推薦の撮影地へと向かいました。 続きを読む