2012年 春の中国鉄路の旅 Part6 平庄煤礦鉄路 その1

第8日目 4月26日  平庄1日目

瀋陽19:05(K
7362次)→5:35平庄
574キロ 10時間30分

平庄を訪れるのは、昨年5月、今年3月に続いて3回目です。中国鉄ちゃんで訪中50回以上を誇られる、O氏もなぜか同じです。近くの元宝山には、何回か行かれているようですが、ここに蒸気機関車が走っているのは分ってはいたけれど、前進型が驀進する集通線等々、行くなら優先すべき撮影地がいくらでもあった。ここや阜新が注目されだしたのは最近で、蒸気機関車が撮れる場所がなくなったせいでもあると言われます。

1回目2回目とまずまずの撮影はできましたが、確かに平庄では、際立って素晴らしいと感動を持てる撮影場所はありませんでした。
しかし、いつもは平凡単調でDATAから、消してしまいたくなる撮影場所でも、いくつかの条件が揃えば、一転してしまうことがあります。今迄撮り逃がしたのは、西露天口からのズリ捨て列車でした。特に山に夕日が沈む頃の光景は、考えただけでも心が躍る瞬間です。
今回、私たちが平庄に来た目的は、ただの石が突然にダイヤとして輝く、この瞬間を撮りたいがためです。滞在2日間をこれに賭けたいと思ってきました。今日は、雲1つない雨上がりの快晴です。条件1をクリアーするでしょう。きっと素晴らしい夕焼けが見られる事を期待しました。


▲ 常宿化してきた宝山大酒店にチェックインして、ホテルの朝食をとった後、直ぐにTaxiで撮影目的地に向かいました。
10:14
に到着、中々の場所です。ズリ捨て列車がくれば、そこそこの写真は撮れます。近くにいた作業員も10:20には上ってくると言われますが、煙は見えてもここまでやって来ません。
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けったいな切符

連休明けの一昨日、ライナー券の販売異常に遭遇しました。
青梅ライナーは下の写真右上の磁気券で発売され、中央ライナーも同様の磁気券または右下の携帯かPC利用の予約システムを利用するのが常ですが、朝5時過ぎの予約システム開始直後に携帯で予約しようとすると既に満席との回答です。
仕方なく立川駅の券売機の前に並ぶも、いつもの発売開始時刻を過ぎても「準備中」の表示が出たままです。
やきもきする内に駅員が数名現れ「今朝は発売機がつかえませんので駅員が販売します」と宣まいました。
ここで発売されたのが左側の軟券です。しかもファーストナンバー!(青梅ライナーは3号車が先頭車です)

JRではいろんな事態を想定して準備しているんだなぁと改めて感心しましたが、切符収集マニアにとっては美味しい異変です。
かつてライナーの運転取り止めで払い戻しの経験はしましたが、こんなのは初めてです。
5月14日からスマートフォンでも予約サービスが可能になる由で、その関係で券売機のプログラム設定などが入れ替えられたのが原因ではないかと“勝手に推測”しています。

私は朝錬と称し通勤途上で出逢う車両達の定点観察を行っていますが、立川駅で朝錬(次の写真が撮影対象)したあと、ライナーに乗車すると新宿駅でわずか1~2分の間に観察できる非情に効率の良い朝錬(撮影対象は下の写真)が出来ます。

新宿朝錬は丁度、大相撲の幕内力士による土俵入りを見ている様な感じがします。しかも通勤ラッシュによるダイヤの乱れなどで登場順序が日々変わるのも、程好い緊張感を生じます。

2012年 春の中国鉄路の旅 Part5 瀋陽から平庄へ

第7日目 4月25日

① 天津 21:40(K345次)→7:45 瀋陽北  785キロ 10時間5分
② 瀋陽北駅 10:34(地鉄)→10:52 瀋陽駅
③ 瀋陽 9:05(K7362次)→5:35 平庄    574キロ 10時間30分

▲ 温州始発の列車は、既に約28時間も走行してきたせいなのか、ゲリラ暴風雨のせいなのか分りませんが、26分遅れの22:06発車となりました。乗車後は、列車の窓に叩き付ける雨音を聞きながら、睡眠に入りました。

▲ 翌朝も、雨音を聞きながらの早起きです。寒いなあと思って通路の温度計を見ますと、15℃です。今迄が暑かっただけに寒さをより感じます。車窓には、雨をたっぷりと吸い込んだ大地が続いていきます。駅に着いても叩き付ける暴風雨で、大きな荷物を持った乗降客は、必死の歩行です。窓から撮ろうとしても、コンデジのピントは合ってくれません。朝食を食べに食堂車に行きましたら、ご覧のとおり、無座客の座席車になっていました。

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本日の特急「あけぼの」金帯車

本日(5月8日)朝上野に到着した特急「あけぼの」の客車は全車両が金帯の車両となっていました。連休前の4月26日上野に到着の列車から続いています。昨年は7月末から8月末まで1編成が全車両金帯でしたが 年間を通すとほとんどの場合白帯車が混ざっています。本日の編成は次の通りです。
EF64 1053 オハネフ25 202 オハネ25 220 オハネ25 152 オハネフ25 121 オハネ24 554 オハネ24 551 スロネ24 553 オハネフ25 117 カニ24 112  (青森方)
なおもう1本の編成は白帯車が5両混ざっていました。昨日5月7日上野到着の編成は次の通りです。
EF64 1052 オハネフ25 125 オハネ24 49(白) オハネ24 20(白) オハネフ24 2(白) オハネ24 555 オハネ24 552 スロネ24 552 オハネフ24 15(白) カニ24 23(白)  (青森方)  
基地の青森で一両単位での編成替えがありますので いつまで金帯編成が続くかはわかりませんが きれいな編成での写真は今のうちかと思います。

上野7:13発で尾久へ回送される本日の「あけぼの」です。

2012年 春の中国鉄路の旅          Part4 天津天重公司の上遊型蒸気機関車

第4日目  4月22日

鄭州10:55(T254次)→20:08天津  831キロ 9時間13分

今日は、鄭州からかつての駐在先であった天津に向かいます。駅前のホテルに宿泊していましたので、徒歩で30分前に着きましたが、約50分も列車が晩点(延着)しました。これでは、天津着は21時近くになります。中国のホテルは、21時を過ぎますと、キャンセルとみなして部屋を飛び込みで入った人民に売ってしまうことがあるので、心配です。
鄭州鉄道日記さんに電話をしますと、このT254次は、遅れることが多いので有名ですとの事です。本当は、前夜の夜行寝台に乗りたかったのですが、彼に頼むのが遅かったので空席なしで、仕方なく昼間の列車にしました。


▲ 座席は残念ながら下段はなく上段になりました。同室客は、始発駅から乗ってきたと言うおばさん達でしたが、至って静かにしてくれていたので助かりました。食堂車を覗きましたが、品数が少なく今日はパスです。昼夕食とも車内販売の弁当にしました。

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阪和線の113系

4月6日【19427】「最後の113系阪和色」で特派員さんの報告の通り、113系は4月1日のさよなら運転で阪和線から姿を消した。(実際には紀勢線で運用されている2両編成が入出庫を兼ねて日根野~和歌山間で営業運転をされており、完全に姿を消したわけではないが、日根野以北で営業運転をすることはないため撤退したと表現しても良いと思う)

113系は、昭和47年3月15日のダイヤ改正で阪和間を途中鳳のみ停車で45分で結ぶ新快速運転時に6両×3編成が投入され、新快速は2編成で足りるため、残りの1編成は103系で運転されていた快速に使用された。その後も快速用として増備されたが、どちらかというと脇役的存在であったように思う。

熊取~日根野間を走行する新快速/(
49-5-26

杉本町を通過する新快速/(
48-11-3

新快速のヘッドマークに蓋をして快速に使用中/(
48-11-3

普通に使用中。中間の4両は大船から転属してきたためスカ色/
48-9-15)堺市

先頭はクハ111-312


モハ112-1+モハ113-1のトップナンバーのユニットも在籍した。塗装は関西線快速色/(
48-11-3)杉本町

スカ色のモハ113-72/(
48-11-3)杉本町

堺市に停車中の快速/
(19-2-16) 先頭車はクハ111-5261

(
阪和色+湘南色×2+阪和色)(カフェオレ×4)の3色混合の8両編成

上記編成の2、3両目のモハ113-5027+モハ112-5027

上記編成の最後部

堺市に停車中の快速/
(19-2-16)
(
カフェオレ×4)(カフェオレ+阪和色×2+カフェオレ)の8両編成

上野芝を通過する上記の折返し

鳳駅に進入する
(カフェオレ×4)(阪和色×4)の8両編成/ (21-3-21)

上記の最後部で103系との並び

2012年 春の中国鉄路の旅 Part3 鄭州世紀歓楽園の満鉄展望車トク2形

第3日目 4月21日

今日は朝5時半に起きて、鄭州駅で4月25日に乗車する瀋陽から平庄までの切符を買いに参りました。上海で買うのを忘れたからで、残席が十分ある列車ですので、昨日鄭州到着後で良いなあと思っていましたら、降りたメインの東口では何と前日の切符しか売っていません。
鄭州鉄道日記さんによると、裏の西口では10日前からの切符を売っているとのことですが、通り抜けの通路がありません。大きく迂回していかなければならないとの言われましたので、夜道は危ないと昨夜は断念して今日の朝にしたわけです。

▲ 駅前のホテルから歩くこと約30分余りで西口に到着しましたが、開いている窓口は1つだけです。そして早朝にも関わらず、約50人以上が並んでいます。丁度、労働節休暇(4月29日~5月1日)の3連休があって、小旅行に出かける人民達が多くなっているためだそうです。

途中で別の1つの窓口も開きましたので、ダッシュで前に並んで20分後には購入できましたが、軟臥下鋪2枚と書いた紙を渡しているのに、上下です。おまけにコンパートメントの部屋が別々です。これはダメだと申し立てるのですが、窓口のおばさんは頑として聞き入れず、途中からは次の客の発券をやりだし、完全無視です。困ったおばさんです。
諦めてホテルにトボトボと戻り、まだ終わっていない前回の旅日記の投稿作業をやりだしましたら、瞬く間に時間が過ぎていきました。
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本日の183系と115系(両毛線)

今週初めに183系の「足利藤まつり」号を写していて足利フラワ-パークへ行きたくなり本日(5月4日)花見に行ってきました。
両毛線 富田駅が最寄駅でここから歩いて10分ほどです。
183系OM101 6両編成で富田到着です。ほぼ満席のお客様でした。
クハ182-1529です。

広大な面積の園内の藤の花はほぼ満開でツツジの赤色を含めた様々な色の花の共演はさすがにきれいでした。

大藤、八重藤、大長藤、白藤とつつじがきれいです。観光バスやマイカー、JRや東武鉄道利用で多くの方が来られていました。

次の写真は園内の白藤と115系です。

115系、107系、211系、183系、485系と多くの電車が両毛線を走っていました。

伊予鉄道 100、300、600型など

 1961年3月20日撮影、四国・伊予鉄道。あれから半世紀が過ぎました。この時のフィルム画像は今もしっかりとしています。
そこで モハニ200型に続き、残りの形式も一挙に公開します。参考書は、小生の写真も掲載されている、『伊予鉄が走る街 今昔』、2007年7月発行、JTBキャンブックスです。

先ずは100型。1931年日本車両製。高浜線電化に伴い新造。モハ101号のみ前面に押し込み通風機が設けられています。モハニ200型、クハ400型と固定編成を組み、モハ100型が高浜方向を向いています。反対側が前回紹介のモハニ200型です。松山市駅にて。

モハ102、正面に、通風機はありません。大都市間を疾走する電車に似たオーソドックススタイルの車両です。
一見、省線電車を短くしたような雰囲気さえあります。古町車庫です。

同じくモハ103、松山市駅にて。

高浜近くの海岸沿いを走るモハ104+クハ404+モハニ204の3両固定編成車です。

モハ105は、初代クハ406を電動車化した車両で、両運転台の3扉車です。1952年改造され出来ました。モハ102の側面写真と比較すると良く判るでしょう。そしてもう1両のモハ106ですが、小生が訪問した時はまだ誕生していませんでした。二つ下の写真モハ303のところで説明します。

次はモハ300型です。1950年に4両登場したのですが、1961年に古町工場で大型車への改造工事が行われました。車体中央部を分断し、扉1個、窓4個を継ぎ足しのでした。また運転台も片運転台に変更されたそうです。
下の写真は、改造前のモハ301号車。

改造後のモハ302号。モハ304号車との固定編成。

同じく改造前のモハ303号車。編成はモハ303+クハ406(と思われる)+モハニ206です。初代クハ405の改造車106号がまだできていなくて、モハ303を使用した3両編成です。モハ300型との編成の最後の姿です。書籍等にこの辺の記録写真は少なく、その意味では貴重な写真かも知れません。303号、301号もこの年に3扉の延長化が終わり、両車で固定編成を組みました。

また、モハ106号が完成後、この3両編成はモハ303と置き換わり、モハ106+クハ406+モハニ206の編成で活躍しました。モハ106号は、後に再び両運転台に戻され、やがては銚子電鉄801号になったことは、乙訓の老人のコメントを参照してください。

改造後のモハ304、モハ302との固定編成。

次はモハ600型、601号、602号です。1958年ナニワ工機製。もちろんオールスチール製。

反対側、モハ602号。松山市内駅にて。

衣山-山西間(当時、中間の西衣山駅はまだ出来ていない)の、国鉄予讃線陸橋下を行く、モハ602+モハ601。複線の用地がありながら、撤去のまま単線です。

DB-1。ぼっちゃん列車を牽引していた蒸気機関車の代替機として、登場した第1号車。1953年森製作所製。1965年まで活躍したそうです。

最後は、古町車庫での可愛い工事用車両。単車の30号。
以上が、前回のモハニ200型に続く、伊予鉄道高浜線の車両でした。

本日の183系 185系

足利フラワーパークの藤の花も満開だそうです。毎年この連休に各地から臨時電車が運転されています。その中で平日にも運転されるのは少なく 上野8:04発の全車指定席の快速「足利藤まつり号」は5月1日2日も運転されましたので通勤途中で写してきました。
大宮所属のOM103編成183系6連です。

OM103 (クハ182-102 モハ182-1054 モハ183-1054 モハ182-1032 モハ183-1032 クハ183-1527)
きれいな国鉄標準色ですが上野界隈で見られるのはもうわずかでしょうか?(鴬谷にて)

次は上野1840発のホームライナー鴻巣3号 185系(157系色)OM08です。帰宅途中の鴬谷です。
明日からは特急「草津83,84号」に運用されますので昨日、本日と夕方の軽い運用に入っていました。本日夕方から雨が強くなり明日も雨予報ですが、その後は良い天気のようですのできれいな写真が期待されます。

大宮の185系はあと1編成クラシックカラーになるようですが、近いうちに別の系列に置き換えになるようで間もなく見納めになりそうです。また183系の波動用も置き換えられるようですので来年はもうこれらの写真は撮れそうにありません。
ほぼ毎日のように見ていた185系は何となく愛着があり残念です。

開催中! 坂本ケーブルで江若復元模型を展示

見る者を感動の渦に巻き込んだ江若鉄道の復元模型運転会から半年、製作された西村さんは、新たに浜大津駅周辺の復元に意欲を燃やされていることは掲示板報告にあるとおりですが、昨年の復元模型に新たなオファーがあり、現在、滋賀・坂本側から比叡山に登る坂本ケーブルの山上駅、延暦寺駅2階ホールで展示されています。
写真のような坂本ケーブルの「85年のあゆみ写真パネル展」の一環として、昨年展示の江若鉄道の三井寺下駅・車庫のジオラマが展示されています。
同駅は、登録文化財に指定された由緒ある建物、また、坂本ケーブルは日本最長のケーブルとして有名で、見どころいっぱいのケーブルに、期間限定の新たな見どころが加わりました。
延暦寺駅へのアクセスの切符は、3000円と少々高めですが、「比叡山横断チケット」がお奨め。京阪各駅から坂本・叡山両ケーブルに乗って、京都側へ降りて、叡電・京阪で帰ることができます。
もっと安くに行きたい向きには、私も先日実行したのですが、叡電修学院からの登山道”きらら坂”から比叡山を目指せば、約3時間で踏破することができます。
会期は5月6日(日)まで、連休後半の一日は、ぜひケーブル延暦寺駅へ。

ケーブル建設同時の貴重な写真も展示

2012年春の中国鉄路の旅 Part2 満鉄客車を求めて鄭州へ

第2日目   4月20日

① 大世界(地鉄)→上海虹橋火車駅
② 上海虹橋7:45(D286次)→15:09
鄭州 990キロ 7時間24分

今日は、昨日上海駅で受け取った切符を手配していただいた、鄭州鉄道日記さんがおられる鄭州へと立替金支払と、満鉄客車を見るために向かいます。


▲ ホテルの窓から見る上海の下町です。近代的なビルが立ち並ぶ上海ですが、中心部でも昔の上海を見ることが出来ます。
上海虹橋は、市内中心から約40分かかりますので、5時半には目覚めて直ぐに地下鉄駅へと参りました。


▲ 乗車しましたD286次は、「はやて」ベースのCRH2型です。1等車の切符ですが、2等車の車内を改造した1等コンパートメント車になりました。グループ旅行には最適のシートですが、シートピッチが狭いので、他人同士が乗るには辛いものがあります。 続きを読む

乗り遅れた連接車

準特急先輩の連接車シリーズは9回で連載が終わりました。自分では連接車は1枚も写していないと思っていたところ 名鉄揖斐線で写していたことをすっかり忘れていて 乗り遅れてしまいました。連載第3回の福井鉄道の770型が元名鉄揖斐線だったのも知らず、見過していました。岐阜市内は本数も多く、手軽に撮影できるので よく街歩きしたことをなつかしんでいます。路面電車はいいですネ。

平成10年10月31日 徹明町付近にて

777  平成10年10月31日 徹明町付近にて

平成14年12月29日 黒野駅にて

773   平成14年12月29日 黒野駅にて

福井鉄道に移った時点で塗装は一新されたのでしょうが、名鉄時代には2丁パンタだったのが 新型パンタ1丁に変わっているのですネ。

ところで上の黒野駅でおもしろい車両を写していましたので、付け足しながらご紹介します。ひとつは保線用のホッパー車で 国鉄のセキとホキを足して2で割ったような2軸貨車、もうひとつは軽トラを改造したモーターカー?です。1ton程度の小型ダンプを改造した保線車両は今でもよく見かけますが、軽トラが化けたのはあまり見た記憶がありません。この軽トラはスクラップになったでしょうが、ホムも生き残ってはいないのでしょうネ。

ホ繧

ホム106+ホム107

軽トラ改造のモーターカー

軽トラ改造のモーターカー

中国の蒸気機関車について(追補)

藤本氏の記事と関連コメントを見て、相生市で撮影していたことを思い出しました。写真をご紹介します。場所は赤穂ではなく 相生市の中心部にある中央公園です。藤本氏のコメントによると 平成9年に解体されたとのことですが、撮影月日が平成9年7月24日ですから、解体直前の姿ということになります。

寄贈した㈱美乃美は京都市左京区で盛業中の中国関連図書を扱う会社のようです。

↑ 1E1 貨物用 前進形 QJ6200

↑ 2C1 旅客用 人民形 RM1163

 ペーロンがとりもつ縁とはいえ 何でここに中国の蒸機なの?と思い 狭い場所でかつ逆光だったので早々に退散した記憶があります。今はモニュメントだけになっているようです。

伊予鉄道 モハニ200型

 1961年四国の私鉄電車巡りの最後は、伊予鉄道でした。松山市内線を撮影後、高浜線を訪れました。いずれも1961年3月20日の撮影です。
松山市駅のホームで撮影後、市駅の西の方に歩き、横河原線用の客車が多数見える地点でのモハニ201号車。中間にクハ101を挟んで後はモハ101。

市駅をさらに西に進んで古町車庫にて。202号車。後に火災で焼失、廃車されました。

二代目モハ203。他のモハニ200型と異なる扉・窓配置、メーカーも日立製(この一両のみ)で200型他車(日本車両製)と異なる。

モハニ204号車、梅津寺近く。海に突き出た納涼台(桟橋)が見える。

 

山西-衣山間を疾走するモハニ204+クハ404+モハ104、松山市駅行き。この付近は単線である。戦前は複線であったが、戦時中の供出で単線化され、1961年当時はそのままであった。1964年に再び複線化された。

古町車庫での205号車、405と105の固定3両編成。

古町近くの複線区間を行くモハニ206+クハ406と3両目はモハ106か?。2扉車に見えるので、クハ405の改造車106でなく、303ではないかと思われますが、乙訓の老人様いかがでしょうか。パンタグラフの位置も異なります。改造車の誕生は1961年4月だそうですが、半月あまり前の3月です。

2012年春の中国鉄路の旅 Part1 17日ぶりの大地へ

前回の旅の途中で、O氏より小竹直人さんが5月連休にプロモートしている阿里河森林鉄道ツアーに参加するが、一緒に行きませんかとのお誘いを受け、即決しました。そのまま中国に滞在した方が、安くつくのでそうしようかなとも思いましたが、香港で再入国したのはノービザでした。問い合わせますと、延長手続きは無理と分りましたので、一旦帰国して再度30日ビザを取って訪中することにしました。

帰国後に中国大阪領事館に赴き手続書類を窓口に提出しますと、「個人ビザ申請は3月から旅行代理店を通じてしていただくように変わりました。」との返答です。確かに、個人からのビザ申請は、大阪のみが受け付けていて、異質でした。
仕方なく、道を挟んで正面にある旅行代理店で申請用紙を渡しましたが、手続料は倍額の6,000円です。たった、8mほど歩いて書類を持って行き、4日後に受け取りに行くだけで、3,000円とはボロい商売ですね。わざわざ大阪まで、往復1,200円も出費して出てきたのは、無駄足でした。
折角大都会まで出てきたので、大型ショップに寄って、旅行用品などを買い求めました。重ねての出費です。

出発までの16日間は、HPへのアップロード等で瞬く間に過ぎ去り、いよいよ続いての訪問となりました。

4月19日 第1日目

① 自宅6:50→長岡京7:00(JR)→大阪(地下鉄)→なんば(ラピート)→関西空港
② 関空10:25(JL891)→11:55上海浦東(地鉄)→大世界→ホテル

今回は、マイレージチケットを受け取れるマイル数が貯まっていなく、正規航空券で最も安い関空からの上海便を利用しました。

▲ 私としては、アルコールが飲み放題だけで満足ですが、関西風味の上海線の機内食です。

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日本で保存されている中国の蒸気機関車


中国の鉄道を足繁く訪問されておられる、ぶんしゅう氏の驚異的な行動力には驚くばかりである。私は未だにフルタイムで現役を続けていることや諸般の事情により遠出は不可能であるが、都電荒川線、流鉄、関東鉄道等自宅周辺でも結構楽しめる所があり、細々と趣味活動を続けている。
中国まではとても行けそうにないが、東京都心から1時間圏内に元中国の蒸気機関車が保存されている。先週土曜日に見学に行ったので報告方々紹介する。

場所は、つくばエクスプレス「みらい平駅」から約9㎞離れた「きらく山ふれあいの丘」という「つくばみらい市」のレクリエーション施設で、みらい平駅、守谷駅、関東鉄道小絹駅からシャトルバスとコミュニティーバスの便がある。但し日曜日と年末年始は運休である。(土曜日と祝日は運転)

保存されている機関車は、元南満州鉄道の「プレニ形」で、昭和10年日本車輌で軽貨物や入換用として作られ、平成7年まで鞍山鉄鋼公司で使用されていた。
平成9年に旧伊奈町(つくばみらい市の前身)内外の有志が中国から買い取り、日本に帰還させてこの地に保存した。

あまり人目に付く場所ではないため悪戯による破損等は見られないが、15年間も雨ざらしのため老朽化が進行しており、早急に何らかの手立てを打たないと最悪の事態になりかねない状況である。

 参考までに先週土曜日時点でのバスの時刻を書いておくが、改正される可能性があるため、行かれる時は「つくばみらい市」のH.Pで確認いただきたい。また、タクシーで行かれる場合は常磐線佐貫駅が近い。
シャトルバス/日曜、月曜日運休(月曜日が祝日の場合は火曜日運休)(運賃無料)
小絹  9:30 →みらい平  9:45→きらく山10:05/11:35 →みらい平11:55→小絹 12:10
小絹12:35 →みらい平12:50→きらく山13:10 /15:20→みらい平15:40→小絹15:55

コミュニティーバス/日曜日運休(運賃100円均一)
みらい平  9:45 →きらく山10:15/10:25 →みらい平11:10
みらい平
12:05 →きらく山12:43/12:53 →みらい平13:30
みらい平15:55 →きらく山16:25/16:35 →みらい平17:20
みらい平18:00 →きらく山18:40/18:50 →みらい平19:30
みらい平  9:50 →守谷10:08→きらく山10:54/11:04 →みらい平11:55
みらい平15:45 →守谷16:03→きらく山16:49/16:59 →みらい平17:50
みらい平  7:30 →きらく山  8:14/  8:24 →守谷  9:08→みらい平 9:40
みらい平13:30 →きらく山14:11/14:21 →守谷15:05→みらい平15:35

コミュニティーバスは、みらい平駅を起点に地域を巡回後みらい平駅に戻ってくる環状運転(完全な環状ではなく一部同一ルートを走行する)である。「きらく山」は途中の停留所で、各便とも時間調整のため約10分停車する。撮影のみであれば乗ってきたバスに再度乗って帰ることは可能であるが、じっくり見学するには最低でも30分は欲しいところである。
つくばみらい駅9時45分発のシャトルバスは利用者が多く、ワゴン車の場合は乗り切れない可能性があるため、同時刻に発車するコミュニティーバスの利用をお勧めする。9時50分発でも良いが、守谷駅を経由して大きく迂回するため時間がかかる。帰りのシャトルバスは、乗客数に応じてワゴン車と通常のバスを使い分けているので、積み残される心配はない。
関東鉄道竜ケ崎線、常総線の撮影を兼ねて是非訪れていただきたい。


つくばエクスプレスみらい平駅/ホームは地下にある。秋葉原から区間快速に乗れば40分で到着する。

つくばみらい市のコミュニティーバス/東ルートと南ルートが「きらく山」を通る。

2012年 冬から春への中国鉄路一人旅  ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅 総集編

海外旅行では欠かせない、クレジットカードを忘れるという大失態から始まった旅でしたが、倹約を重ねて何とか手持ちの現金でやりくりしながら、O氏に自宅から送ってもらったクレジットカードを持ってきていただくまでを凌ぎました。
O氏と合流できなかった場合は、街角に這いつくばって道行く人からの施しをお願いするしかないかと覚悟しておりました。O氏様、助かりました。ありがとうございました。

44日間の人生最長の旅は、前半の「2012年冬から春への中国鉄路一人旅」と、後半の「ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅」になっております。まとめましたので、ご覧ください。


▲ 今回の旅では、成都から广州までと、深圳から大連までは、飛行機を利用しましたので、乗車地図では、つながっていません。

▲ 昆明のメータゲージ区間は、時刻表に記載がないので、現在調べております。分り次第に差し替えます。广州~九龍間の乗車距離は、中国鉄路区間のみです。

下記をクリックしていただきますと、内容をご覧いただけます。

【2012年冬から春への中国鉄路一人旅】

Part  1  とほほのスタート
Part  2 1891次に乗って齐齐哈尔へ
Part  3 富拉尔基(フラジル)の蒸気機関車
Part  4    国境の町、黒河(ヘイフー)へ
Part  5  国境の町、黑河(ヘイフー)のあじあ号展望車
Part  6 ( ハルピン )から鸡西(ジーシー)へ
Part  7  鶏西鉱業集団鉄路 その1
Part  8  鶏西鉱業集団鉄路 その2
Part  9  鶏西鉱業集団鉄路 その3
Part10 大地横断5,010キロ 鸡西から昆明へ
Part11 昆明のメータゲージ、 湏越(雲南)鉄道
Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館
Part13  成昆鉄路に乗って、グースの里 北碚(ベイベイ)へ
Part14  江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その1
Part15 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その2
Part16 江合煤鉱鉄路 グースの里北碚(ベイベイ) その3
Part17 北碚(ベイベイ)から重慶(重庆)へ
Part18 重慶モノレール(重庆軌道交通)
Part19 重慶から芭石鉄道へ
Part20 芭石鉄道その1
Part21 芭石鉄道その2
Part22 芭石鉄道その3
Part23 簡単便利に購入できる中国国内線航空券と鉄道切符
Part24 一旦出国、再入国で大連へ
Part25 大连市電(大连軌道交通)

【ドイツ風的蒸気機関車の撮影の旅】

Part  1 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その1
Part  2 瀋陽鉄道博物館(沈阳鐡路陳列館) その2 展示車両
Part  3 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型)
Part  4 平庄炭鉱(元宝山の建設型と、平庄の上遊型) その2
Part  5 平庄炭鉱から阜新炭鉱へ
Part  6 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その1

Part  7 阜新炭鉱(阜新煤礦鉄路)その2
Part  8 北台製鉄所 その1
Part  9 北台製鉄所 その2
Part10 北台製鉄所 その3
Part11 錦州八角台発電所の建設型
Part12 瀋陽から天津へ、そして帰国

以上です。現在、次の中国鉄路乗車の旅も始まっております。近々にアップロード始めさせていただきますので、またご覧いただければ幸いです。

2012年春の中国鉄路の旅  Part1へ続く

 

伊予鉄モハニ200

伊予鉄、土佐電、琴電、琴参、四国にもたくさんの私鉄があるのですね!この鉄道は松山市内で坊ちゃん列車を走らせている鉄道ですね。

連接車9

今回はヨーロッパの路面タイプではない連接車とする。連接車については鉄道ピクトリアル789 2007年5月号にその特集が組まれているが、巻頭の説明では「連接車は車両同士の連結部分に台車を配置し、隣接する2つの車両を1つの台車で賄っている車両である」と書かれている。ところが、その特集記事の中で専門家は上記定義に当てはまらないものと断って最近普及しているLRVを広義の連接車として説明している。広島電鉄5000形のようなLRVはヨーロッパ各都市では以前から多く見られるが、このような5車体3台車の車両では台車のない車両は隣の車両が吊っている様である。この連接車特集号では日本のLRVの写真がどんどん紹介されているし、旧東ドイツでは2車体2台車もある。連接車の定義、範囲はよくわからなくなった。ということで連接車最終回は標準型で有名な車両を選んでみた。

最初はイタリアの元TEE「セッテベロ」ETR300で小田急NSE等に影響を与えたといわれる車両。1952年生というから恐れ入るが実に思い切ったデザインの車両である。2車体3台車の間に3車体4台車の中間車を挟む7両編成。2000年5月5日ミラノ~ボローニャ間にあるFidenzaでの撮影。

 

これも有名なフランスのTGV。8車体9台車の中間車に両端はボギー式で10両で1編成。2005年8月7日南仏Antheorの高級別荘地から撮影。パリリヨンとニース方向を結ぶ上下列車。↓        

     

 

1997年8月17日ベルギーのローゼンタール~アントワープ間のKijkuit付近で撮影のタリス。アムステルダム発ブラッセル行きで両端動力車中間8車体9台車はTGVと基本的に同じ考え。↓

          

ユーロスターも連接台車を採用しているが、動力車と客車間、編成中央の客車間は非連接で4分割可は海底トンネル内での異常時対応。1997年8月20日ベルギーのフランス国境に近いMonsで撮影したブラッセル発ロンドンウォータールー行き。↓

 

最後はスペインのタルゴ。2000年5月7日スイスチューリッヒ郊外のMurgenthal~Rothrist間を行くRE/44に牽引されるバルセロナ発チューリッヒ行きEN273列車。客車間の台車が1軸であるのが特徴で標準型の変わり種。↓

         以上で連接車9回の連載を終わる。