「路面電車の魅力とは。」と聞かれると、私は真っ先に「道路上の信号表示に従うこと」と答えます。自動車と上手く棲み分けしていることにも惹きつけられるのでしょう。もちろん、あの独特の加速音、車体、地域密着等、他にも数多くの魅力が詰まっていると思います。
今回は阪堺電車にスポットライトを当ててみました。みなさん、ぜひチン電に乗りに行きましょう!
阪堺電車公式ホームページはこちら↓

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第6日目 5月31日 その1
▲ 5:45 目覚めて部屋の窓から見るのは朝空です。昨夜降っていた雨はあがったようで別府駅がよく見えます。丁度、柳ヶ浦行きの1番列車が入線してきたようです。
今日は大分に戻って九州横断特急に乗って阿蘇山を見ながら熊本へと向かい博多・小倉を経由して門司港へと参ります。九州からの帰路は復路と同様名門大洋フェリー乗船で大阪南港着です。
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「駅」を含む駅名とタイトル付けしましたが、「駅」を含む停留場名としてもよいくらい、路面電車の駅名が多かったです。まあ予想通りではありましたが。
今回の投稿にあたり、岡山電気軌道で最近、駅名変更があったと知り、私の昔の投稿「日本一長い駅名」
を一部修正したことをご報告申し上げます。

5.江差線跡
秘湯「銀婚湯」は今までに各地で泊まった秘湯旅館の中でも、屈指の名湯でした。たまたま泊り客も少なく、いくつもあるかけ流しの温泉は独り占め状態だったのは良いのですが、温度が高すぎて大きな浴槽に入るためには相当水を足さねばならず、結局湯船に入るのを諦めました。あとで旅館の人に聞くと、日によって泉温が異なるらしく、ジャンジャン水を入れてもらって良かったのにと言われました。家内も同じ経験をしたそうで、浸かれない温泉は初めてだねと、思い出に残る温泉でした。(混浴の露天風呂は適温でした)
そんな銀婚湯をあとに、日本海側の江差に向かいます。北前船とニシン漁で賑わった江差は歴史的建造物や榎本武揚艦長の開陽丸など見どころの多い町です。この地方は明治以降は檜山爾志郡に属し、その郡役所の建物が江差町郷土資料館として立派に保存され、道の有形文化財にもなっています。その1室が旧国鉄江差線関連の展示室になっていました。
6月17日に京都おもちゃ映画ミュージアムのご協力で「特急三百哩」を鑑賞できる機会を得ることができました。この上映会にご尽力をしていただいたクローバー会先輩諸氏に感謝したいと思います。ところで「無法松の一生」がタイトルに書かれているのはなんでやねん!
書棚に並ぶ本がどうしても増え続けるため、定期的に必要度の低くそうな本から処分しているのですが、その中で捨てられずに書棚の一角を占めているシリーズに朝日文芸文庫の司馬遼太郎「街道をゆく」40巻があります。敬愛する司馬遼太郎氏による旅行記ですが、これを読んで現地に行ってみたいと旅先に選んだことが少なくありません。今回はその第15巻「北海道の諸道」に触発され、函館、江差、松前の旅を計画し、6月8日から13日まで道南を巡ってきました。司馬遼太郎氏の旅は40数年も前のことですが、年月を経ても、その土地ならではの風土や文化を追体験できればというのが旅の目的です。その中に「鉄」の要素も加えると、いつも結構忙しいプランになります。ここでは、その5日間の中での「鉄」部分だけをご紹介致します。
今回の旅のコースは次のようなルートです。1日目 広島空港→仙台空港、仙台から「はやぶさ」で木古内へ、木古内から道南いさりび鉄道で函館入りし、函館泊。2日目、レンタカーで亀田半島を1周して森から落部へ、落部から山越えして銀婚湯で1泊。3日目、銀婚湯から江差、松前へ。松前で1泊。4日目、松前城下散策後知内温泉で1泊。5日目、函館に移動してレンタカーを返して、函館市内観光後、函館で1泊。6日目、函館市内観光後函館空港→羽田→広島 というルートで、渡島半島の南半分を1周してきました。学生時代を含め、何度か道内を旅していますが、函館は通過点であったことが多く、また江差、松前線などの行き止まり支線は訪ねることなく廃線になっていましたので廃線跡だけでも訪ねようと思っていました。
1.道南いさりび鉄道
仙台から乗車した「はやぶさ23号」は盛岡で秋田行き「こまち」を分割後、快調に青函トンネルを抜けて、北の大地に着きました。そのまま終点新函館北斗まで行くのが早くて便利なのですが、それでは旅の趣旨に反しますので、木古内で下車し、旧江差線の残存区間である道南いさりび鉄道に乗り換えました。はやぶさを降りて乗り換えた物好きな乗客は我々夫婦2人だけでした。キハ401796が発車を待っていました。
準特急さんの投稿が大人気で、コメントが50件を超えようとする勢いです。そんな中、駅名喫茶店は通常運転で、いつもと変わらず私自身の備忘録として投稿します。
今回は漢数字シリーズ第4弾、「八」を含む駅名です。
「三」を含む駅名:計178駅名 駅名喫茶店(第46回:「三」を含む駅名)
「五」を含む駅名が計48駅名 駅名喫茶店(第36回:「五」を含む駅名)
「六」を含む駅名が計36駅名 駅名喫茶店(第29回:「六」を含む駅名)

第4日目 5月29日 その2
④ 大三東 12:48⇒13:05 島原船津
団体でのツアーも終わって個人ツアーになりました。大三東から列車に乗って車庫のある島原船津を目指します。
12:59 島原半島の行政・経済の中心、観光拠点になっています島原駅に到着しました。島原城の大手門を模した立派な駅舎が出迎えてくれます。
多くの乗客は降りられて車内はガラガラ状態になりましたが私は車庫を先に見ておきたいので見学は帰路にしました。
島原駅は、2001年(平成13年)に年間738,553人あった乗降客が、2021年(令和3年)には年間255,426人へと激減しています。(※長崎県統計年鑑から転載)
2008年(平成20年)に島原港~加津佐が廃止された影響により約38%もの利用者減になりました。以後微減状態が続いています。1990年(平成2年)11月17日、198年ぶりに噴火活動を再開した雲仙普賢岳によって翌年6月3日の大火砕流が発生、多くの人命が失われ、島原鉄道も翌日6月4日から1997年(平成9年)4月1日まで6年近く運休になった影響が大きかったようです。
あれからもう1ケ月近くが経とうとしており、間の抜けたレポートになりますが悪しからず。2日間のツアーが大変充実したものであったことは、参加者の皆様が異口同音に述べられている通りで、企画、お世話頂いた方々に改めて感謝申し上げます。せっかく北九州に行くなら少し寄り道をと考え、2日目は西鉄貝塚駅前で皆様と別れました。私の住む広島県三原市は小早川隆景の居城三原城のある城下町ですが、その隆景がまず1585年に伊予攻めの功により秀吉から伊予国を与えられ、次いで1586年に九州攻めの功によって筑前、筑後と肥前の一部を与えられます。そして海城として名島城を築き、博多の街づくりを行います。ということで、三原人にとって名島城の存在は有名なのですが、私自身は名島城を訪ねたことがなく、今回は絶好のチャンスと考え、名島城跡を訪ねた次第です。名島城跡訪問記は省略しまして、この日は和白で1泊し、翌日は香椎線の初乗りで西戸崎に行き、そのあと、若松、戸畑、スペースワールドと巡って帰路につきました。そんな寄り道旅の様子をご紹介します。
1.香椎線と西戸崎
宿泊したホテルAZ福岡和白店は有難いことに朝食は6:00からなので、早々に朝食を済ませてJR和白駅に向かいました。JR香椎線和白駅は西鉄貝塚線和白駅と隣接しており、月曜日の7:00過ぎとあって、香椎、博多方面に向かう通勤、通学客で大変混み合っていました。しかし西戸崎方面に向かう人たちは少なく、西戸崎までの15分程ではありましたが、風景をゆっくり楽しめました。
第4日目 5月29日 その1
DRFC-OB会のツアーも終わりましたので今日からは私が勝手に作成した個人ツアーです。最近、九州へは長崎への西九州新幹線開業時に参りました。その前には千住のヤスベイさんと松浦鉄道に乗って桜前線の乗り鉄旅を楽しみましたが乗りたいと思っていた「ゆふいんの森」にはまだ乗っていません。島原半島を走る島原鉄道もまだ未乗車です。九州を横断する久大本線、豊肥本線にもしばらく乗ってはいませんので久しぶりの乗車を楽しみたいと思い計画を練りました。
まず訪問する第1日目は島原半島としました。JR九州ハロー!自由時間ネットパスを利用して訪れますがこのネットパスが使えるのはJR九州線のみで島原鉄道腺は別途バスやフェリーにも乗れる2日間乗り放題のフリーきっぷ(4,000円)を諫早駅で購入しました。 続きを読む
“思い出探し”の旅も、北九州から福岡へと移ります。クローバー会の北九州ツアーの2日目、西鉄宮地岳線の廃線跡めぐり、多々良工場の見学のあと、午後からは、1975(昭和50)年に廃止となった西鉄福岡市内線貫通線の箱崎、馬出付近の廃線めぐりとなりました。私も廃止直前に、貫通線のほぼ全区間を歩いて写しただけに、50年前と比べてすっかり変わってしまった沿線を見て、感慨深いものがありました。
▲ 「馬出」電停の安全地帯が、いまも残っていることを、本欄でも、地元のおとりんさんからレポートが寄せられて、そのコメントに私も写真を寄せたが、今回、もう一度、掲載を。貫通線が九州大学の校地に沿って東進し、左へカーブしたところに「馬出」の電停があった。この付近は、ほぼ専用軌道で、電車はダイヤ通りに走り、商店の軒先を兼ねた電停は、賑わっていた。
▲現在の同地点は、「馬出バス停」交差点に当たる。線路跡は道路となった。城戸商店は、ご覧のように、外装は新しくなったが、窓割りはそのままで、沖縄そばの「由ら花」などになった。左手にあった民家も合わせて、棟続きになった。
奈良の駅名研究家さんから「駅前喫茶店(第61回「城」を含む駅名)」で「城」とあったので一瞬びくっとした後、快速つくばねさんからのコメントでこの分野は準特急さんの専門と言われ、最近はあまり投稿していないので背中を押されたような気分で急遽ネタ探しをしたのがこれです。大分日が経ちましたが今回北九州大旅行をして来た時の話です。途中抜け出して熊本に墓参りに行ってきましたのでえらそうなことを言えませんが、イベント前後の話です。航空券が入手できなかったので普段はなかなか乗車できない山陽新幹線にしました。帰りに乗ったことがない500系に乗ることが目的でした。定宿にしている東横インの小倉駅新幹線口は少し辺鄙な所ですが客室から小倉駅を発車する新幹線が見えました。2023.5.26 岡山行きこだま874号500系8連▼
第3日目 5月28日
今日はJR福間駅に9時半集合でNPO福岡鉄道資料保存会の皆様のご案内で宮地岳線廃線跡見学へ向かいます。
7:24 宿泊した西鉄イン小倉での朝食は申し込まず待望の小倉駅名物のかしわうどんを選びました。朝早くから営業しているだろうとまず連絡橋のもJR九州フードサービス(株)経営の「玄海うどん」へ行きましたがまだ開業していません。別の北九州駅弁当(株)が経営しています前回食した1・2番ホームの「ぷらっとぴっと」を見ましたが同じく閉まっています」。もう一つの7・8番ホームのうどん店を探しましたらお客が一人おられました。ホームのベンチで腰掛けて食べることにしました。
▲ 7:37 たっぷり入った甘辛いかしわ、柔らかいうどん麺、甘めのつゆとの組合わせは絶品で今日も美味しくいただきました。
第2日目 5月27日
① 大阪南港 19:50(名門大洋フェリー)⇒8:30 門司港
04:17 昨夜は早くに爆睡体制に入りましたので今朝は早朝に目覚めました。艦内のモニターでは船は松山沖を走っています。朝日が見られるかもと甲板に出てみましたが厚い雲に阻まれていました。
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第1日目 5月26日
① 長岡京 17:04(快速)➡︎17:35 大阪
② 西梅田 17:45(大阪メトロ)➡︎18:07 住之江公園
③ 住之江公園 18:11(ニュートラム)➡︎18:33 フェリターミナル
いよいよ出発当日となりました。自宅からフェリー乗り場までは約1時間半です。夜行となると学生時代に客車列車に乗って九州や北海道に向かったウキウキ気分と同じになってきます。 続きを読む

▲ 直方駅4番ホーム対比 蒸機時代、ホームの横には直方機関区があり、入出庫する蒸機が黒煙を吐きながら、連なっている光景が日常的に見られた。4番ホームへ到着するのも蒸機。乗客は真っ黒になりながら、列車に乗り込んだ。いまは福北ゆたか線こと筑豊本線は電化されて、留置されるのは電車。DCになった。ホームにいても、乗客が少ないこともあって、妙な静寂に包まれる。音や臭い(匂い?)に包まれて、五感をくすぐられた、あの直方が懐かしい。
思い出探し、次は直方です。直方へは、蒸機が無くなってからも、何度か訪れて、その変化を見届けてきました。これまでも再三に渡って投稿して来ましたが、改めて、直方の今昔を対比してみました。
節目の第60回にふさわしいテーマは、やはり大調査です。以前より記したかった「町」を含む駅名、ようやくお披露目です。
同じ「西院」という駅名でも阪急では「さいいん」、嵐電では「さい」と読ませる例もあるので、同じ表記の駅名であっても鉄道会社が異なれば別々にカウントしています。例えば、弁天町は大阪メトロで1カウント、JR西日本で1カウントといった具合です。
さあ皆さん、「町(まち)」、「町(ちょう)」のどちらが多いと思いますか。答え(ただし、奈良の駅名研究家調べ)は写真の後です。【2023/7/11修正、2024/6/8・6/9再修正】