近くに行こうよ! ちょっと、生駒線大和川の鉄橋あたりで

 ちょっと、となりまちに行くにも、最近は歩いて行く。どうしても運動不足になるからである。道のりは行きは楽々、帰りはしんどい。いつも小さいコンデジを持って行くのである。ちょうど生駒線が見えるところを歩いているのでついついパチリと。

 それでは写真を見てもらいますが、写真の講釈はいたしません。あしからず。

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昭和の電車 改訂版(152)ー新幹線試作車1001~1006号ー

中村進一氏のコレクションに、開業前の試験線で撮られた珍しい写真がありますのでご覧頂きます。これは以前に公開したものの一部です。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名版》で巡る北海道の蒸機 ⑤

倶知安区 9600

北海道を代表する蒸機と言えば、スタイルは別としても9600でしょう。数こそD51より少ないものの、昭和43年時点では、北海道の蒸機の約3割、145両を占めていて、ほとんどの機関区に配属され、ローカル線の客貨牽引、入換えに活躍していました。デフの切り詰め、警戒色など、北海道らしい改造がされて、その好みは分かれるところですが、そのなかで最も特徴的なのは、倶知安区の二つ目の9600でしょう。

倶知安区9600の運用は、岩内線(倶知安~小沢~岩内)、胆振線(倶知安~伊達紋別)の貨物牽引、倶知安の入換用でした。二つ目は、カーブなど見通し不良区間での警戒のため、前照灯を二個にしたとの解釈が多いようですが、これは倶知安だけの理由とはならず、倶知安周辺では、冬期、前照灯に氷雪が付着して、前方の確認に支障があったと言います。そこで、風の流れができる、デフのステー上に前照灯を置くことによって、付着を防ぐ目的があったのではと言われています。

 

夕闇に二つ目が輝く倶知安区の79616

 

 

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 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ④

室蘭区 C55

“北海道のシゴゴ”と言えば、急行「利尻」も牽いた旭川区のC55が有名ですが、もうひとつ、室蘭区にもC55がいました。ただ撮影したのは、昭和43年の一回だけで、在籍もわずか3両、翌年にはC57に置き換えられ、一部は旭川へ転属しました。昭和49年まで宗谷本線で活躍した旭川区のC55と比べると、知名度としては低いものでした。しかし舞台となった室蘭本線はほぼ複線、大カーブ、日本一長い直線と、スケールの大きな区間を、スポーク動輪をカシャカシャ回転させながら走り去る姿は、なかなか魅力的でした。(以下、昭和43年9月)

室蘭区のC55のなかには、トップナンバーのC55 1がいたこと特筆される。白老~社台を行く小樽発札幌経由の室蘭行き722レ ゆるくカーブしているが、ここから沼ノ端まで、日本一長い直線区間28.7キロが続くことになる。

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昭和の電車 改訂版(151)ー定山渓鉄道モロ1100型ー

前回の小田急も反応がありませんでしたが、今回の定山渓はもっとご存じない鉄道です。

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ③

D61 京都に現る

それはちょうど50年前、昭和46年11月のことでした。どこからともなく「梅小路にようけ蒸機が集まっとる」のウワサが流れてきました。BOXでも、その話で持ちきりとなり、ある日の午前、BOXにいたメンバーで実際に見に行くことになったのです。約10人で梅小路機関区のラウンドハウスへ行ってみると、な、なんと北海道のC622、C551、D52140、9633、九州のC612、D50140、D6031と、彼の地で夢中になって写していた蒸機がそろっているではありませんか。そのなかに、昨年に留萌で見たはずのD612も含まれて、横にはあのC622と並んでいるのです。なにか夢を見ているような瞬間でした。

突如、梅小路機関区に現れたD61 2、左に「梅小路」のネオンの一部も見える、ここは間違いなく京都、まだ蒸気機関車館が開業する前で、現業部門の機関区に、北海道、九州から人気の蒸機が集まって来たのか、この時はよく理解できなかったが、あとで理由を聞いて氷解した。(昭和46年11月)

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京阪大津線オリジナル塗装の終了

先の京津線800型のオリジナル塗装の終了に続いて、最後まで残っていた709+710が2月3日を最後に運行を終了しました。若草色と青緑のツートンカラーで、物心ついてからずっと長年なじんでいたこの色がなくなるのはちょっと寂しいものがあります。ここ何年か何かの記念と称して塗り替えられた車両もありました。これらを浜大津交差点付近で撮った写真をご紹介します。

何年か後に復刻色として、この若草色と青緑のカラーに塗り替えられた車両も走ることがあるのでしょうか。↑ 2012年9月26日より大津線100年記念として旧特急色に塗られた600型、2016年3月21日まで走りました。

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 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ②

留萌区 D61 〈2〉

D61の働き場所は、深川~留萌~築別であり、留萌本線、羽幌線の両方の区間で使われていました。当時は、築別から羽幌炭砿鉄道が分岐していて、終点付近には、良質炭の採れる羽幌炭坑があり、石炭を増毛、深川まで運ぶのがD61の役割でした。運用表を見ると、ほとんどが留萌~築別であり、D61の目的である、丙線での運用に合致していました。D61は二軸従台車のためキャブの揺れが少なく、D51より乗り心地が良かったと言われますが、軸重軽減のため空転が多く、途中には20‰勾配もあるため、補機が付く場合が多く見られました。今回は、今は無き羽幌線留萌~築別で撮ったD61の活躍です。

留萌に向かう872レが、D61 5+D51 543の重連で夕方の築別を発車。この日は鉄鈍爺さんと一緒だった。築別に着くとD61が蒸気を吹き上げて満を持している。聞くとまもなく発車だと言う。二人で必死になって線路上を走って駅の外れまで来ると、発車の汽笛が聞こえて来た。枕木を井桁に組んだ高台が見つかり、とっさによじ登って連写した。(昭和43年9月)

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昭和の電車 改訂版(150)ー小田急1700系ー

前回は、まったくコメントがありませんでした。関西から小田原は遠いようです。

 やっぱり蒸機が好き!《区名板》で巡る北海道の蒸機 ①

留萌区 D61  〈1〉

「やっぱり好き!」シリーズ、昨年に掲載の九州から、今年は北海道へ移ります。北海道で蒸機が活躍していた昭和40年代には、夏冬に計4回行っています。そのうち半分近くは、今まで紹介したC62に費やしましたが、そのほかにもクローバー会会員ととも、各地で撮影をしています。昭和43年時点で、九州には458両、北海道には536両もの蒸機がいました。ただ、九州と比べると、手入れが悪いうえに、醜い改造があったり、後年になると“団結列車”も出現して、美しい形式写真など望むべくもありません。勢い、機関区でじっくり形式写真を狙うより、駅での編成写真や、駅間で北海道らしい走行写真を撮ることが多くなりました。

そこで今回は、九州編のように、機関区別に形式ごとに紹介するのを止めて、特徴的な蒸機を採り上げます。編成写真や走行写真を中心に紹介して行くことにして、今まで紹介のC62は除外しました。第1回は、北海道だけにいたD61、所属は、深川機関区留萌支区です。以下の写真を見ると、キャブの区名板は本区の〔深〕となっています。支区の〔留〕が掲げられていたかは不詳ですが、所属先を明確にするために、〔留〕とします。

留萌本線の峠下を通過するD61 6〔留〕の牽く石炭列車774レ、留萌本線が増毛まであって、留萌から日本海沿いに幌延まで羽幌線が伸びていた時代、沿線には、まだ炭砿が多くあって、両線には石炭列車が多く運転されていた。峠下は、深川と留萌の中間付近、文字どおり峠のすぐ近くにあって列車交換も盛んに行われていた。当時から人家は少なかったが、駅員もちゃんと配置されていた。転轍機を操作するため、広い構内に必要な自転車が置かれていたのも、当時らしいアイテム、4年前に、約50年ぶりに峠下を列車で通ると、ちゃんと列車交換があった。駅はとうの昔に無人化されていたが、保線要員の基地として駅舎もそのまま残っていて、50年前の既視感にとらわれたものだ。(昭和44年9月)

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昭和の電車 改訂版(149)ー近鉄2250系・6421系ー

2250型を一枚だけ撮っていました。乙訓の長老様のコレクションには名古屋線の6421型があるのでご覧下さい。
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 さよなら 近鉄特急色 〈6〉

近鉄特急色を見直す

しつこく同じテーマのことを書きますが、これで最後とします。私が近鉄特急色について、強く印象に持ったのは、中学生の頃に読んだ鉄道ピクトリアルで、「電車の色いろイロ」と題した、東京大学の学生が著わした記事がありました。昭和38年のことで、暗色の時代から、湘南電車、101系、こだま型と、カラフルな電車が続々と出現していますが、主流は上下二色塗りで、そのほとんどは、窓廻りはクリームなどの明色、下部は暗色に塗られています。

たしかに安定感のある塗り分けではあるのですが、窓部そのものは暗いため、窓周辺を明るく塗ると、視覚的なバランスを欠くと指摘しています。逆に、窓廻りは暗色、下部を明色にすると、暗い窓部が同化して一体感、軽快感が出るとしています。その代表が「こだま」であり、私鉄では、近鉄の新ビスタ101100系が挙げられてていました。特に新ビスタは、斬新な外形とあいまって絶賛されていました。当時のピクと言えば、電車の性能、来歴などの小難しい記事ばかりでしたが、はじめて外部色に言及した内容で、近鉄特急色が中学生の心に残ったのでした。今までの紹介は広軌線ばかりだったが、狭軌線の南大阪・吉野線にも近鉄特急色が走っている。いちばん華やかなのは、何と言っても𠮷野の桜が満開の頃だろう。山全体がピンクに染まった𠮷野駅、16000系が花見帰りの満員の客を乗せて発車して行く。 (2003年4月)

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昭和の電車 改訂版(148)ー阪急710系810系ー

1954年、湯口先輩がたった一枚撮った阪急電車がこれだそうです。

阪急710系

乙訓の長老様から『使ってくれ』と整理を依頼された写真の中に710系・810系あるのでご覧下さい。ただ、写真が古く、ピントも甘いのはご容赦下さい。また場所や日時も不明ですが、分かった方は教えて下さい。
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近くに行こうよ! 平群谷をゆく 竜田川駅から平群駅へ

 新型コロナウイルス(いつまで新型?)は収まるような気配がない。あまり家の中に引っ込んでいる訳にも行かないし、だからと言って遠くに行くには気が引けるのである。それなら近くをウロウロすることに。出かける時はいつもカメラをお伴に。ただ歩くだけでは楽しくないので、写真を撮りながらとなるとちょっといい。

 近いがあまり行ったことがないところがある。平群の道の駅によく行くのであるが、そこから東側に見える「椿井城」があった山のふもとは行ったことがないので歩いてみることにした。近鉄生駒線竜田川駅から歩くことに・・・

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 さよなら 近鉄特急色 〈5〉

塗装変更された ほかの特急車(1)

「近鉄特急のイメージが大きく変わります!」と近鉄がニュースリリースを配信したのが2015年11月でした。汎用特急のうち、主力の22000 系86 両の車内設備をリニューアルするとともに、カラーリングを変更し、クリスタルホワイトに、ブライトイエロー・ゴールドを加えた新塗装になるという内容でした。最初のリニューアル編成は、まもなく営業を開始し、22000系以外の汎用特急についても、同様のカラーリング に変更しますとも添えられています。しかし車齢の高い12200系だけは、このリニューアル、カラーリング変更の対象から外れ、将来、廃車となる予告がされたことを意味しています。今回は、12200系以外で、同じ近鉄特急色をまとっていた特急車両を見ていきます。12410系が山間部を行く。33パーミル区間を、異形式を連結した長編成が弓なりになって高速で駆け上がるのも、近鉄特急ならではの魅力。三本松(2002年3月)

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昭和の電車 改訂版(147)ー京阪1700系ー

この電車に関しては、1900生さんと無印不良品さんに一言言って欲しいものです。
また、登場時の車番に関して湯口先輩からの解説がありますのでご覧下さい。
京阪1708+1758/1709+1759

なお、当時の京阪CMソングは『♪じりりんピリピリポーポ』でした。

新型気動車登場!

今日、梅小路公園を散歩中、鉄道博物館駐車場に「新型気動車」が停まっていました。ナンバーが東京だったので「JR東日本」の所属?らしいです。
その写真がこちら!

キニ3321

種車はホンダの軽四輪。
型式他、この表記にはいろいろご意見があるのでは?ご同輩!

昭和の電車 改訂版(146)ー名鉄3900系ー

名鉄も反応の少ない鉄道です。前回も無反応でした。

 さよなら 近鉄特急色 〈4〉

ギラリの12200系

先回も書きましたように、明日30日(土)から、近鉄特急の運休本数が一段と増加し、土休日は半減となります。改めて、明日からの時刻表をネット眺めると、京都~奈良特急は、奈良8:28発、京都17:30発のたった一往復だけ、難波~奈良は、完全運休のグレー色に塗りつぶされています。平日も運休が多く、残っていた12200系の活躍も、おそらく本日で終了したのではと推測します。

12200系の近鉄特急色も天候や時間帯によって、印象はさまざまに変化します。なかでも、私の好きなのは、夕方の斜光線に、オレンジ色が輝きを増す時間帯です。文字どおり、12200系が輝いていた時代でした。

 

 

 

 

 

ギラリを撮るのに、いちばん適した区間は、鶴橋~今里~布施の複々線区間だ。何よりも本数が多いから、スポットな時間帯でも、うまく列車が来るし、上本町・難波行きは、どの季節でも、真正面に陽が当たる。鶴橋(2002年11月)

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広島短信(続報)

先日、旧芸備鉄道の面影を残す西三次駅が取り壊される予定との新聞記事を転載しました。今朝の中国新聞朝刊にも、再度関連記事が載りましたのでご紹介します。

令和3年1月29日 中国新聞朝刊

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