▲ ヤム(Iam)駅構内でも現地民からの ”一緒に写真を撮って欲しい” との催促がありました。帰り際には俺たちも撮ってくれとのオーダーも出ます。
写真を撮ったり、撮られたリが大好きなルーマニア人の皆さんです。何処に行っても毎日の恒例行事になりました。
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投稿者「ぶんしゅう」のアーカイブ
コンヤ( Konya)のトラム
クモハ73106東ウラさんより送っていただきました写真を掲載します。
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ほとんど見かけたことがないコンヤの路面電車の写真ですが、
2011年8月、トルコ旅行の際に撮影しておりますので、添付いたします。
湯口様の時代からカラーリングは若干変更されていますが、
極端に大きなパンタグラフなどは1995年当時のままのようです。
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この地名ですが、ネットで調べると「コンヤ」が一般的なようです。
私も9月にトルコに行く予定です。現在トラムが走っている町を調べています
ので訪問地候補としてノミネートしておきます。
2015年 西方見聞録 ルーマニア鉄路の旅 Part19 CFF Vişeu de Sus(ヴァッサー渓谷森林鉄道) 最終日
▲ 11:46 ヴァッサー渓谷森林鉄道の冬季随一の撮影ポイント、ツララの滝横を走るコッペルMĂRIUŢA号。今日は最後の撮影ですが快晴とはならずの曇天です。しかし、この渓谷を走る列車を撮るには日差しがあると逆光になります。曇天の方が撮りやすいようです。 続きを読む
第139回 同志社EVE開催 DRFCブース
▲ 今年も同志社EVEが11月26~28日に開催されましたので行って参りました。DRFCの会場は良心館104番教室で、1階を入ってすぐの1等地にありました。教室はとても広く、場所といい過去最高だろうと思います。入場者も多く、特に若い女性はジオラマがお好きなようで賑わっていました。
これだけ広かったらOB会の方からも何か写真展等の出し物もやって、応援をしても良かったのではと思いました。来年は検討です。
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祝 西山天王山駅開業
記事の前に、本来は総本家青信号特派員書き出しの記事ですが、ご都合で当日は地元におられません。代わって、原住民の私が開業当日の様子をご報告させていただきます。
12月21日、周辺の住民から開業が待たれていた「西山天王山駅」が開業なりました。開業式典が開催される時刻近くに行ってみますと、開業イベント「おもてなし物産展」も開催されてまして、びっくりするほどの人出です。
そもそもこの駅は、京都府住宅供給公社が、昭和41(1966)年に竹藪茂る天王山山麓を切り開いて建設した円明寺団地の前に走る阪急京都線に設置される予定でした。私がまだ高校生だった頃の47年も前の事です。
人口約8,000人の新しい街ができましたが、将来近いうちにできるであろう目の前の駅は、阪急電鉄は自社の不動産部門が開発したのではない、また費用対効果がないとの理由で設置を拒み続けました。
かといって、総人口約16,000人の大山崎町では住民の約半数が住む地であっても、建設負担金捻出は無理です。将来の利便性も考えて住宅購入されていた方々の中には、騙されたとの絶望感がありました。
2013年 続々 秋の北陸路一人旅 Part1 福井鉄道
第1日目 11月17日
秋の北陸路一人旅は第1回目が10月12日~22日の11泊12日、第2回目が10月30日~11月4日の4泊5日でした。いずれも立山砂防軌道の乗車と撮影を目的に先乗りと追加でしたが、もう1つの目的だった秋の北陸路を撮るにはまだまだ満足が行かず、このままではいけないと鉄ちゃん魂がまだ燃えていました。折角、自由人となっていますし、体力はまだまだあります。今年は年内に海外に行く予定はありません。ストレスを溜めては身体に悪いと、じゃあ行くかと再びハンドルを握ってぶんしゅう7号のエンジンをかけることにしました。
【ルート】 自宅10:45→(給油)→京都南IC(高速)→11:20京都東IC→12:23道の駅マキノ追坂峠13:00→(敦賀~今庄は高速)→14:00福井鉄道越前武生駅(走行約144キロ、所要時間3時間15分(含む給油・昼食約45分))
今回は費用対効果(時間短縮)が優れる京都南~京都東と敦賀~今庄は高速道路を走り、最短で越前武生駅に着きました。
今日の撮影目標は、前回に撮れなかった旧型車両です。
越前武生駅の留置線を見ますと201号だけがいますので202号と203号は運用に付いているはずです。それではと線路沿いを並行する道路を走って、遭遇する機会を見つけることにしました。
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北陸新幹線ニュース
今日もなぜかダブルデッカーエキスプレスが通る側で美味しいお水を飲んでいます。今晩は熱燗でなくストレートです。先ほど20時と21時台に上下の元京阪3000系が通って行きましたが客は誰も乗っていません。先日この鉄道を舞台にした「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を改めて鑑賞したが、こんなに閑散としているようでは出演者も泣いていますね。
今日のこの地の第1面を飾った新聞を紹介させていただきます。
北陸新幹線のニュースが1面に取り上げられています。それにしても北陸用の車両が仙台に荷上げされたとは驚きました。
これから関東方面からの観光客が大いに見込まれて地元は盛り上がっていますが、開業すれば金沢以北は第3セクターとなります。青春18きっぷを利用して新潟方面には行けません。サンダーバードは金沢止まりとなりますので、わずかな区間・時間短縮のために関西・名古屋方面からの客は面倒な乗換を余儀なくされます。そして高額な運賃が必要となります。これで良いんでしょうかね。また関西方面へのルートが決まっていませんがどうなるんでしょうね。いろいろと審議されていますが決め手がありません。
まあ全線開業時にはこの世にいないと思いますので考えるだけ無駄なようです。それより明日のリベンジが上手くいくかの方が心配な夜を迎えております。
八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part15 タクシマド(PG.Tasikumadu)製糖工場 夜撮編
第8日目 8月3日 その3 タクシマド製糖工場 夜撮編
▲ イスラム教徒は、ラマダン期間中の日の出から日没までの間、飲食はしません。飢えを経験することで食べ物のありがたみを身をもって知り、自らが恵みを受けていることを感謝する事に行う意味があるそうです。
16:44、ボチボチ日没が近づいてきました。チマキや焼き鳥やらの食材、ソースを入れた大きなトレイを頭に乗せて、おばちゃまが歩いてこられました。カメラを向けると、珍しくはにかんでおられます。直径約70㎝はある丸いトレイです。真っ直ぐに歩かれるバランス感覚は、抜群です。姿勢良く歩くスタイルは、日本の女性も見習うべきかも・・・。
15:18、TJさんとIMさんを、お見送りしてから再びタクシマド製糖工場に戻りました。
これから夕刻の『ギラリ』と、日没後の『花火』を期待しての夜撮開始です。
掲示板の写真複数を1コマに投稿方法
掲示板に投稿しています2枚以上の写真を1フレームにまとめるのはどうしているかの質問を受けましたので、私の処理方法を紹介させていただきます。
【 用意するもの 】
① まとめたい写真 2点以上
② 画像加工・編集ソフト・・・・私は、Adobe Photoshop Elementsを使用していますが、画像のサイズ変更・加工ができるソフトなら他でもOKです。
Adobe Photoshop Elementsは、比較的に安いソフトで、価格.comなら10,000円前後から購入できます。
今回はこのソフトを使っての処理方法を説明します。
デジ青、クローバー会写真展の写真掲載のお知らせ
微笑みの国、タイ王国鉄道の旅 Part6 ナムトク線、旧泰緬鉄道のアルヒル桟道橋、クウェー鉄橋、C56型
第5日目 12月6日
① バイヨークスカイホテル7:30(専用車)→11:15アルヒル桟道橋
② アルヒル桟道橋13:53→14:25ナムトック駅14:40→15:10アルヒル桟道橋
③ アルヒル桟道橋15:22→16:05クウェー川橋17:50→21:00バンコク市内
▲ 「戦場にかける橋」で有名なクウェー川永久橋の駅名掲示板で気軽にポーズをとってくださったスタイル抜群のお嬢さん。白い綺麗な手が印象的でした。こんな平和な光景が永久に続いて欲しいと思った旧泰緬鉄道の旅でした。
今回のツアーですが、準特急先輩がいつも一緒に行っておられる海外鉄仲間の皆さんの企画に相乗りしました。2011年冬にも中国内新疆ウイグル自治区哈密にある、三道嶺露天掘り炭鉱のSL撮影に同行させていただきました。最近では、2012年9月に久留里線・いすみ鉄道・小湊鉄道の撮影にも同行させていただきました。メンバーは、大学は皆さん別々ですが、高校が同じ開成高校だったり、勤め先が京王電鉄で同じだったりの繋がりのある老練鉄ちゃん仲間の6名の方々です。鉄道知識のみならず人生、社会経験豊富な尊敬すべき大先輩の方々ばかりで、私のような一介の風来坊がいるのは場違いと思われますので、極力ご迷惑がかからぬように心がけました。
▲ 7:19、バンコク一の高層バイヨークスカイホテルの部屋から眼下には、空港を結ぶエアポート・レール・リンク(APL)高架鉄道とその下を在来線が見えます。丁度、DLが牽引する5両編成の客車列車が走ってくるのが見えました。
今日は乗り鉄組2名と、撮り鉄組5名に分かれて、ナムトク線(旧泰緬鉄道)のアルヒル桟道橋を目指します。撮り鉄組には、チャーターされたパンダバスが用意されていました。
▲ 10:57、走ること約3時間半、無人自動踏切を渡りましたので、降りて見ました。踏切警報器、遮断機は腕木式と道路封鎖可動式の両方が設置されていました。
▲ 11:15、アルヒル桟道橋に到着しました。70年前の悲惨な歴史とは反対に綺麗に整備された公園の中に停留所がありました。
▲ 待合室には、ご丁寧に時刻表までかかっていました。1日3往復が走行しています。
▲ アルヒル桟道橋に向かいました。補強のために4線区間をなっている間を少し歩いてみました。
▲ 全長450.06mの木橋です。よくも重機もなく人力だけで造り上げたものだと実際見ますと分かります。
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あの感動を再び! 浜大津イベント明日開幕
三宮―賢島で直通特急を検討 近鉄・阪神
本日の朝日新聞朝刊に、三宮~賢島で直通特急を検討しているとの記事が掲載されていました。
ニュースソース→ http://www.asahi.com/travel/aviation/OSK201207190004.html
現在、阪神三宮から賢島に行くには、大阪難波での乗換えを必要としていましたから、神戸方面から伊勢方面に向かうには乗換えなしは魅力ですね。ついでに姫路始発もあれば乗ってみたくなります。
長春(新京)の路面電車 Part1 連節車
日本占領下時代に建国された満州国の首都新京(現;長春)に走る路面電車は、1941年開業以来71年を迎えています。
▲ 現在の長春地図に満州国時代の路面電車路線図を重ねてみました。
■線は1941年11月1日、■線は1942年9月12日、■線は1942年2月1日、■線は1941~1942年、■と■は1942年以降、■は1942年12月29日の開業路線です。現在運行しています54路は、1945年日本敗戦以降に開業した路線と思われます。
これまで4度の訪問をいたしましたが、最近2012年5月15日の長春訪問記事に、走行する車両を連接車と書き、乙訓の老人様より 「おいおい違うよ、連節車だよ。」 と、ご指摘を受けました。
発音は同じです。 恥ずかしながら、「連接車、連節車、どう違うの?」 と、全く分かっていませんでした。調べて初めて連接台車を使用しているのが連接車、使用していないのが連節車と理解できました。長春の走っているのは連節車です。訂正させていただきます。
また、「どんな音を立てていました? ドイツ方式なら直角カルダンでしょうね。西安大路の市電、車体は現代風ですが、台車や駆動装置はどうでした? まだKR8とPV弁ですか。」とのお問い合わせもいただいておりますが、気にしていませんでしたので、同じく分かっていません。天津1・ 2・ 3・ 4や上海で走行している1本レールのトランスロールは、日本では営業走行がない路面電車ですので興味深く観察しましたが、こちらの方は、中国では大連、国内では広島や岡山で見ましたのと同じタイプの路面電車でしたので、さほどの探究心がわきませんでした。次回に訪れる時はもっと詳しく報告させていただきますのでお許しください。
※ 上記をクリックしていただきますと、過去の訪問記をご覧いただけます。
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補足 「長い投稿記事について」
田野城会長より、説明のありました「長い投稿記事について」について、補足説明をさせていただきます。「2012年春の中国鉄路の旅 Part25」投稿後、直ぐに説明をさせていただくつもりでありましたが、突然に身内で不幸の連絡が入りまして、急遽宇和島から南へ約1時間の地にある愛南町まで車を飛ばしました。先ほど帰宅したばかりで、大変遅くになりましたこと、お許し願います。
「長い投稿記事について」は、6月2日の役員会席上に何らかの良い対応策がないものかと、議題に上がりました。その中で、「この投稿の続きを読む」を文面に入れて、タブをクリックすることで、以下の投稿原稿を読める方法もあるとの意見が出ました。
これにつきまして、投稿原稿を作成した時に、偶然に作成画面のツールバーから発見したのを思い出しまして、出来るのなら試してみようとのことになりました。もっと、早くに分かっておれば問題なかったのですが、投稿原稿を作成するだけでも大変時間がかかる作業で、偶然に見つけたとは言え、使えるものかの確認ができていませんでした。
まだツールバー全体を掌握していませんので、もっと便利な使用方法があると思われますが、今後試しながら、分かりましたらご紹介させていただきます。
では、今回試用した、「この投稿の続きを読む」についての作成方法をご紹介いたします。
① まず、投稿原稿をすべて作成してください。
② 右上の「投稿を表示する」をクリックして、校正を行ってください。ここまでは投稿された方なら、通常にされておられる作業です。この段階で、どの位置で 「この投稿の続きを読む」 を挿入したいかをお選びください。
③ 再び、投稿作成の画面に戻り 、②で選んだ挿入したい文章の頭にカーソルを置いて1回クリックしてください。 ※クリックした場所から下の文面は、後で掲示板を見た際に、第一段階では表示されなくなります。
④ 次に投稿作成のツールバーの赤○印を付けました「小さな口、下に大きな口のマーク」をクリックしてください。すると、③で指定された文面に、「・・・・・・・・・・・More・・」との表示がでます。OKでしたら、「保存」をクリックしてください。
⑤ これで終了です。後は、「公開」をクリックすれば、投稿完了です。
⑥ 投稿原稿の確認は、左の掲示板から新しい掲示板をクリックしていただければ、投稿された原稿を再確認できます。もし、間違いがあった場合は、原稿下の「この投稿を編集する」をクリックして、訂正を行ってください。
以上です。よく分からない場合は、コメントを入れてください。
やってみますと簡単な作業です。今までにもっと早くに分かっていましたら、活用できたのですが、前述しましたように発見は偶然で極々最近のことでした。
私のように長い投稿となります際には、是非にご活用願えれば幸いです。
2012年春の中国鉄路の旅 Part2 満鉄客車を求めて鄭州へ
第2日目 4月20日
① 大世界(地鉄)→上海虹橋火車駅
② 上海虹橋7:45(D286次)→15:09鄭州 990キロ 7時間24分
今日は、昨日上海駅で受け取った切符を手配していただいた、鄭州鉄道日記さんがおられる鄭州へと立替金支払と、満鉄客車を見るために向かいます。
▲ ホテルの窓から見る上海の下町です。近代的なビルが立ち並ぶ上海ですが、中心部でも昔の上海を見ることが出来ます。
上海虹橋は、市内中心から約40分かかりますので、5時半には目覚めて直ぐに地下鉄駅へと参りました。
▲ 乗車しましたD286次は、「はやて」ベースのCRH2型です。1等車の切符ですが、2等車の車内を改造した1等コンパートメント車になりました。グループ旅行には最適のシートですが、シートピッチが狭いので、他人同士が乗るには辛いものがあります。 続きを読む
エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part17 希望へのエリトリア鉄道の今は その8
第7日目 9月30日 その2
① マッサワ5:30(Bus)→6:15 アーチ橋7:15(列車)→9:20マイ・アタル
② マイ・アタル(列車)10:44→13:02ダマス14:00→15:43バレサ
③ バレサ16:12(列車)→17:53ギンダ(Bus)18:00→19:30アスマラ
10:44、貨車から客車に乗り換えてマイ・アタル駅を発車しました。客車は、木造車に外板を鉄板を貼り付けた車両で、車内はご覧のように木製ベンチのクロスシートです。窓はガラスはなく、木製のルーバーを引き上げてアフリカの強烈な日差しを遮断するようになっていました。乗車したのは3等車でしたが、かつては豪華な革張りシートの1・2等車もあったそうです。
▲ アテンダントさんが客車内でカーテンを付けて何やらしていると思っていましたら、昼食のバーガーが出てきました。イタリア語で言えば、”パニーノ”になるそうですが、パンがホテル同様に硬くて美味しくありません。「かんてき=七輪」は、パンにはさむ具材の卵とジャガイモを茹でるために積んでいたのですね。
▲ 13:02、マッサワからの最初の峠(海抜480m)を越えて、人家の集落があるダマス駅に到着しました。タンクローリー車が待っていて、給水が始まりました。撮影地点はこちらです。
ここでも直ぐに元気な子供たちが集まってきました。子供たちは「ペンが欲しい」と、要求してきますが、現地代理店の担当者からは、「けっして渡さないように。なぜかと言うと、全員に渡さないと争いが起こる。」と言います。確かに言われるとおりです。仕方がないので、O氏の奥さんと家内とで日本の歌を歌ってのスキンシップをとっていました。笑顔が可愛いい子供たちばかりでした。
▲ R1からは離れたダマスの街ですが、川沿いに畑も見られ、トラクターがあります。教会もありました。
列車が停車すると、子供たちが集まってきます。今度は機関士にペットボトルのおねだりです。機関士が空ボトルを投げると奪い合いが始まっていました。これがあるので、現地代理店の担当者が注意していたのですね。何に使うのか分かりませんが、廃棄物でも必要なくらい、多分何もないのでしょうね。
▲ 乾いた河川にかかるアーチ橋を渡るフォットラン用の特別列車。川底は最近、流れた跡がありましたので、たまに雨が降るようです。
▲ 蛇行する川に沿って走行を続け、15:43、マッサワから57.1キロ、海抜620mのバラサに到着しました。珍しく木々の茂ったオアシスのような駅です。かつての給水設備が無事なようで、タンクローリー車は不必要でした。撮影地点はこちらです。
子供が数人いるのですが、周りに耕作地はあっても人家はありません。どこから来たのか不思議でした。
▲ バラサを出発してしばらく行くと急停車しました。見ると、ラクダ6頭が線路上を歩いています。汽笛を鳴らしても線路上から離れません。困ったものです。放牧主が来て移動させましたが、ラクダの放牧が行われていました。ラクダといえば、砂漠を行くシーンを思い浮かべますが、ここでは荒野の丘です。鋭い針がある木の若芽を器用に食べていました。
▲ ゆっくりと渓谷を登っていきます。トンネルもあります。室内灯もなく真っ暗となりますが、ぱっと明るくなると、「キャー、ギャー」と大騒ぎです。しばらく使われていないトンネル内はコウモリの巣となっていました。明るくなると、10羽ほどのコウモリが車内に入っていました。
その後、渓谷でのフォトランがありましたが、川底で撮影を続けていましたら、現地代理店の担当者が血相を変えて、「早く岸に上がれ!上がれ!」と、川の上流を指差して叫んできます。急いで岸に上がると、上流から泥色の濁流が流れてきました。
どうやら上流で夕立があったようです。降った雨を山に溜めておく木々がない大地です。 乾いた河川が、突然の濁流となって襲ってきます。この時も深さ30~50cmはありましたので、まず歩行はできません。危ないところでした。
▲ これから先がエリトリア鉄道のハイライトですが、夕日が山へと沈みましたので、今日は撮影終了です。17:53、マッサワから69.4キロ、海抜902mのギンダ駅に到着後、バスに乗り換えて涼しいアスマラへと戻りました。左下は、途中で乗ってきた原住民家族、客扱いの正式運行はしていませんが、走る時は適当に?乗車許可させているようでした。
▲ 今夜の夕食は宿泊しているホテルのレストランでした。少しエリトリアにも慣れてきたので、ウェートレスさんからのお奨め料理を聞いて注文しました。左上はトマト入りサラダ、右上はベーコンとジャガイモのスープ、下はジィルジィル(牛肉のトマト煮)と主食のインジェラ(酸味のあるクレープ)です。メニューに記載されていても当日できないとか、それほどバリエーションがありません。グルメは今一の感がありましたが、冷たいアスマラビールを飲めましたので、十分満足しました。
Part18 へ続く
中国鉄路のバイブル 『中国鉄道大全』 発行のご紹介
日頃、「デジ青」を見ていただいております阿部真之氏が、最新の中国鉄路を紹介した本を、10月18日に発行されました。昨日、発行元より早速に本が届きましたので、ご紹介させていただきます。本の名前は、『中国鉄道大全』です。
阿部氏は現在、广州に勤務お住いで、どちらかと言うと乗り鉄派で、時間があれば中国鉄路に乗車して各地を漫遊されておられます。それだけに最新情報については精通しておられ、中国鉄路を知る第一人者のお一人です。中国各地で見られ取材された、中身の濃い実体験談が、ぎっしりと満載されています。
長距離列車の旅、奥地に残る蒸気機関車、ナローゲージ地方鉄道、活躍中の車両、都市交通や鉄道博物館等々、もれなく紹介されています。これをお読みになられたら、読者も中国鉄路通になられます。この本は、中国鉄路のバイブルになると言っても過言ではありません。
この本、実はもっと早くに出版される予定でしたが、例の鉄道事故で掲載内容の変更を余儀なくされてずれ込んだそうです。掲載内容を読むと苦労の跡が分かります。
中国鉄路にご興味がおありの方は、是非買ってみてください。ご推薦申し上げます。
私も協力を依頼されて、写真を提供しております。
阿部氏のホームページは、中国鉄道倶楽部です。最新情報はこちらでもご覧できます。
▲ これがその本ですが、私の住む長岡京市のしょぼい本屋には売っていませんでした。大きな書店でないと取り扱いはないようです。
エリトリア 未開の大地への鉄道の旅 Part1 旅立ち
9月24日 第1日目
① 自宅 5:40→長岡天神 5:57(阪急)→南茨木(大阪モノレール)→大阪空港
② 伊丹 8:20(JL3002)→ 9:40 成田 12:15(JL407)→17:20 フランクフルト
芭石鉄道で知り会い”春から夏への中国鉄路の旅”でご一緒させていただいたW大鉄研OBのO氏から次回もご一緒しましょうとお誘いを受けていました。煙が見えてドラフトが聞こえれば、いつでもどこへでも参りますよと気軽に返事しておりましたら早速、9月にエリトリアへ行くことに決めましたが、ご都合はいかがですかと具体的なお誘いが参りました。
”エリトリア”・・・??? 聞いたことがありません。一体どこにあるのかとネットで見て、初めて国境紛争や内戦が最近多いアフリカと知りました。場所は、外務省のHPはこちらへ
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中国版新幹線 追突転落事故発生!
7月23日現地時間20時34分(日本時間;21時34分)に浙江省温州付近にて中国版新幹線の追突衝突事故が発生し、多数の死傷者がでました。中国鉄路をこよなく愛する私としては真に残念な事故発生に深い悲しみを持って受けとめております。
不幸にして事故に遭遇され亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷されました方々のご回復を願っております。
事故の様子につきましては、昨日「鉄道展 東北を旅して」のイベントに参加帰宅してすぐに知りました。昨夜は現地サイトのニュースをインターネットで見ながら、釘付けでした。日本で報道された内容には誤報もありますので改めて整理させていただきます。
現地の最新情報についてはこちらへ。
【事故発生の状況】
事故発生時現場(杭深線永嘉と温州南)は豪雨で雷が響き、落雷停電となって約1300人満員の乗客を乗せたD3115次(杭州→福州南、CRH1Bの16両編成)が緊急停車中でした。そこに、約700人を乗せたD301次(北京南→福州、CRH2Eの16両編成)が追突しました。衝突後、D301次の先頭車16号車から13号車が高架線の側壁を飛び越えて地上に転落、13号車は地面に直角に激突しました。
事故現場はこちらです。
【安全設備】
高速専用線にはATP自動列車制御装置が採用されていますので、 先行列車が停車した場合は、停止させる機能を持っていますが、なぜか機能は発揮されず後続列車がそのまま激突しています。これからの調査により事故原因は解明されると思いますが、これまで言われてきた中国版新幹線の安全性への問題点が現実となった起こるべきして起こった人災事故ではないかとの推測がインターネット上には掲載されています。
【事故車両】
▲ D3115次に使用されているCRH1B(16両編成)、写真はCRH1(8両編成)。ボンバルディアから技術供与を受けた200km/h対応車で、全鋼製。寝台電車仕様のCRH1Eもあり、現在増産されています。今回046B編成が追突されました。
▲ D301次に使用されているCRH2E(16両編成)。「はやて」を寝台電車に設計変更して、京滬高速が開業する前は、北京南~上海虹橋の夜行として使用されていましたが、現在は、昼間運行となり軟座寝台は、6人コンパートメント普通車として運行されています。今回139編成が追突した側の加害車両です。
追突後、加害車両は空を舞って地面にたたきつけられたとの目撃者証言があります。尼崎の事故のように先頭車はぐしゃぐしゃに破壊されていて、事故の大きさが甚大だったことが分かります。
起こってはならない事故が発生し多くの人命が失われた事は、安全への軽視以外に考えられようがなく、これからどのような原因究明と対応策を講じられるかが問題です。