尺別
夕方の列車で直別を去り、ひと駅釧路寄りの「尺別」へ向かいました。隣り合う二つの駅がともに同時期に廃止されるのも、この地域の現状なのでしょう。廃止後も信号場として残ると思われますが、音別~厚内の15.0キロの間に駅が無くなるわけです。当初は尺別で下車して、約2時間後の後続列車まで写す予定でしたが、乗車列車が、交換のため尺別で10分ほど停車することが分かり、下車は止めて、交換待ちの間に撮影することにしました。
尺別は、1900生さんのコメントにあるように、昭和45年4月まで尺別鉄道が分岐していました。尺別~尺別炭山10.8キロの地方鉄道で、尺別炭坑からの運炭を目的に敷設された鉄道ですが、C12+二軸客車の旅客列車も一日2往復運転していました。ただ国鉄との運輸連絡が無かったためか、全国版の時刻表にも記載がなく、結局、私は乗ることも見ることもなく終わった鉄道でした。青信号「雪中北海道見聞録」に記載のように、1900生さん、kawanakaさん、西村さんの三人が、尺別鉄道訪問され、近年のホームカミングデーでも様子が披露されました。尺別鉄道の紹介記事は少なく、三人の記録はたいへん貴重なものでした。
▲釧路から直別に向かう時も、尺別で2527Dとの交換待ちがあって、乗車したタラコ色のキハ40 1758を、駅舎も入れて順光で撮影することができた。

本日を持って、勘秀峰さんと二人の写真展「京都市電が出会った街 河原町丸太町」が10日間の会期を終えて滞りなく閉場しました。お世話になった皆さま、会場にお見えの皆さまに、厚く感謝申し上げます。ご来場者の総数は650人、当ギャラリー始まって以来の驚異的な入場者記録で、あの西利でのクローバー会写真展でも250人程度の入りですから、終日、お客様で賑わい、いっときは十数人がご覧になり、コンパクトなギャラリーは立錐の余地もない混雑でした。皆さん熱心に見ていただき、二人も声を枯らして説明し、嬉しい悲鳴を上げていました。















