早まわり旅、最終の3日目は、富山地鉄の立山線に乗車して有峰口に向かいました。千垣~有峰口には、常願寺川を渡る大きなアーチ橋があり、以前、乙訓老人が、京阪旧3000系に会いに行かれたところで、よく写真を見せてもらいました。私も遅まきながら、老人の思いを体することにしました。富山から乗車した特急は「ダブルデッカーエクスプレス」の京阪旧3000系で、クローバー会の旅行でも、みんなで指定席の二階建て車両に乗って、懐かしさに浸ったものです。地鉄に導入されて、5周年となり、前部には記念のヘッドマークが掲げられていました。ただ、最適な時間帯にも関わらず、指定席の二階車は乗客ゼロ、自由席車も、次第に減って来て、寺田を過ぎると数人という寂しい車内でした。
▲上路式のアーチ橋で常願寺川を渡る。並行する道路橋の芳見橋から撮影できる定番撮影地で、しかも列車は展望のため徐行運転するから撮影には都合がいい。地鉄カラーの14783+14784がまず通過。
投稿者「総本家青信号特派員」のアーカイブ
秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ②
秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ①
少し前になりますが、早足で北陸地方を回ってきましたので、その時の様子をレポートします。
私もずいぶん鉄道写真を撮ってきましたが、“もうエエ”と思いながらも、好きな鉄道写真から足を洗うことはできません。ただ私も年齢を重ね、長年の撮影スタイルも変えざるを得なくなりました。以前の“重い機材”を持って“駅から何キロも”歩いて、“最後まで粘る”撮影スタイルは、体力・気力ともに衰えつつある今は、実行することが難しくなりました。これからのスタイルは、「軽いカメラでサクッと撮って、すぐ戻る」です。進歩著しいミラーレスも買って、自分なりに一眼との比較も重ねました。この“軽短”スタイルで、多少、撮影結果に不満が残ろうとも、それを許容する気持ちを持つようになりました。長い間の憧れだった「白レンズに大型三脚」は、ついに手に入れることなく終わりそうです。
話は横道にそれましたが、こんな考えで、北陸の定番の撮影地ばかりを回って来ました。それと、もうひとつ、利用した「北陸乗り放題きっぷ」は、二人以上が条件のため、家人同行の理由がいちばん大きな理由でもあるのですが…。
京都から紅葉レポート ③
ライトアップされた二ノ瀬駅
八瀬比叡山口で写したあと、宝ヶ池で乗り換えて、鞍馬線に向かいます。9月4日の台風21号による強風で、京都周辺の山は、倒木で甚大な被害を受けました。叡電も、沿線の倒木や架線柱の倒壊で長期の不通を強いられ、最後の貴船口~鞍馬が10月27日に開通したばかりでした。復旧後は初めての乗車で、窓から見ると、おびただしい倒木が山の斜面に残されたままで、被害の大きさ、完全復旧の長期化が見てとれます。終点、鞍馬駅にも、「復旧までの道のり」と題した地図が掲げられていました。すぐ折り返して、二ノ瀬駅へ向かいます。
▲市原~二ノ瀬の紅葉のトンネルは余りにも有名だが、二ノ瀬駅にも出町柳方ホームに紅葉があって、最盛期には日没とともにライトアップされ、ムードを盛り上げる。
京都から紅葉レポート ②
叡電 八瀬比叡山口へ
先週は、紅葉を求めて叡電沿線へ向かいました。まず恒例の八瀬比叡山口へ。ここでは、四季折々に定点撮影して、自然の変化を追っています。久しぶりに秋の八瀬比叡山口に来て、まず驚いたのは人の多さでした。同じ叡電でも、紅葉のトンネルのある鞍馬線に比べて、人出は控え目でしたが、行ってみると駅前は、人、人で埋め尽くされ、駅ホームもロープを張って、乗降分離を計っています。
▲八瀬比叡山口に紅葉はそれほど多くはないが、逆にグリーンとの対比が見事だ。最近、イベントスペースができた2番ホームから発車する出町柳行きを見る。
京都から紅葉レポート ①
羽村さんが遺したアルバムから 〈9〉
奈良電鉄
羽村さんシリーズ、阪急、京阪、叡電と京都周辺の私鉄が続いて、最後は奈良電です。と言っても撮られた写真は4点だけ、羽村さんにとって、奈良電は近くて遠い存在だったようです。私も、同じようなイメージで見ていました。奈良電時代は、沿線に行くような用事はなく、唯一、学校の遠足や町内の行楽で、大久保あたりの芋掘りに行った記憶しか残っていません。“芋掘りに行く時だけの電車”のイメージしかなく、現在の近鉄京都線と比べて、沿線人口も少なく、田舎電車そのものでした。
▲芋掘り以外にもうひとつ、行楽客を集めたのは木津川の水泳場だった。海のない京都では、川の中州を利用した水泳場が何ヵ所かあった。中でも奈良電木津川鉄橋付近の水泳場は、新聞社の後援もあったりして人を集めた。奈良電は、鉄橋の上に木組みの臨時ホームを設けて開催期間は乗降扱いをした。写真のように、1両まるごと広告電車も現われてPRにつとめた。この臨時ホームは、昭和43年のDRFC時代、車庫見学に行った時にも残っていた。電車は、昭和23年に登場したデハボ1100形で、運輸省の規格型、同年に登場した近鉄の規格型600形とほぼ同じである(奈良電京都、昭和26年)。
羽村さんが遺したアルバムから 〈8〉
京福電鉄叡山線
▲この時代の京福と言えば、木造車のデナ1が代表だろう。1925年、叡山線の開業時に日本車両で1~6の6両が製造された。全長12.3m、片開き2ドアの木造車で、写真で見ると、きれいな木目模様が出ている。前面はタマゴ形の3枚窓、ドイツ・マン製の板バネ台車とイギリス製電装品を搭載しているのが特徴だった。固定編成化される前の原形の時代で、車体もグリーン一色塗りで、その後、2色塗装に改められる〔山端(現・宝ヶ池)、昭和26年〕。
羽村さんの写真をきっかけにして、鉄道模型や京阪電車にと、拡散を見せています。
ひとつのテーマから、各方面の投稿が集まるのも、“デジ青”の真骨頂でしょう。今回は、羽村さんの地元、左京区を走る、“叡電”、当時の京福電鉄叡山線・鞍馬線です。考えたら叡電は、始発も終点もすべて左京区内にあります。ひとつの行政区のなかで完結してしまう鉄道というのも、ほかにはちょっと例がないのではと思います。
羽村さんが遺したアルバムから 〈7〉
京阪電車
▲四条駅に颯爽とすべり込んで来た天満橋行きの1000系の特急3両編成。まだ鳩マークも無い時代で、赤白の円板の特急標識である。“京阪特急”は、撮影された前年の昭和25年9月、三条~天満橋に所要53分で走り始めた。朝夕2往復のみ、2両編成のささやかなスタートで、特別整備されたロマンスシートの1000、1100形が使用された。その後、中間に1600形が増結されて3両編成となり、まもなく写真のように、1500形に変更された(昭和26年4月)。
“羽村さんシリーズ”、また続けます。阪急、京都市電、バスと来て、つぎは京阪電車です。京都市左京区に住まわれていた羽村さんにとって、京阪電車は、いちばん近い郊外電車で、興味を持つようになるのも自然な成り行きだったのでしょう。撮影されたのは昭和26年、車両としては、赤と黄色の京阪特急色の1700系がデビューする前後で、私にとっても、記憶に残る以前の時代で、大変貴重な記録です。
早回り ヨーロッパのトラム巡り 〈5〉
フランクフルト (Frankfurt) ドイツ
最後の“早回り”は、ドイツに戻ってフランクフルトのトラムです。フランクフルトは人口が約70万余り、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐドイツ第5の都市。ユーロ圏17ヵ国の中央銀行の欧州中央銀行本社がある国際金融の中心地で、世界最大の見本市会場や、世界最大級のハブ空港・フランクフルト空港や、ヨーロッパ最大級の駅であるフランクフルト中央駅があって、経済・産業・交通の要衝です。
▲フランクフルトの近郊交通は、Sバーン(DB近郊鉄道)、Uバーン(地下鉄道)が中心。トラムはフランクフルト交通会社(VGF)の運営で、市街地に限定されるものの、稠密なネットワークが張り巡らされている。一部はUバーンにも乗り入れている。
早回り ヨーロッパのトラム巡り 〈4〉
バーゼル (Basel) スイス ②
▲宿泊したホテルの前は、トラムが通る絶好の撮影地だった。
昼間のバーゼルでのトラム撮影を終えて、いったんホテルで食事を済ませ、再び街へ出ました。この時期のヨーロッパ、現地時刻で午後8時ぐらいまでは、じゅうぶん明るく、手持ちでの撮影が可能です。しかも、この時期は、全欧で1時間のサマータイムが実施されていますから、実際は午後9時ごろとなります。ホテルの目の前に、Grosspeterstrの停留場があり、すぐ近くを、スイス国鉄(SBB)、ドイツ国鉄(DB)、フランス国鉄(SNCF)を跨ぐ橋があり、絶好の撮影地となりました。
早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈3〉
梅小路公園で京都市電を偲ぶ 〈1〉
▲今年は、京都市電が全廃されてから40年に当たる。昭和53年9月30日最終日の一日だけ走った「さよなら京都市電」のヘッドマークを再現した「廃止40周年」の装飾が、梅小路公園の市電ひろばの1605号に取り付けられた。
今年は明治150年にも当たり、京都市の梅小路公園では、市電・市バスに関するイベント「京都の交通事始め」が、本日10月6日から開かれています。日ごろ、京都市電に深い愛着を持って、保存・顕彰活動をされている4団体が企画・協力して、さまざまなイベントが展開されています。私も企画に賛同して協力した一人として、初日、さっそく訪れてみました。
神戸電鉄 見学・乗車会 行われる
羽村さんが遺したアルバムから 〈6〉
▲京都市営バスのトレーラーバス、進駐軍が持ち込んだ大型車両をヒントにつくられ、戦後混乱期の大量輸送に、京都でも活躍した。昭和22~24年の短い時期につくられたが、取り回しがよくないため昭和30年前後には姿を消した(昭和26年3月)。
羽村さんは、京都市電撮影の合い間には、バスも撮っていました。多くは、近くの銀閣寺前付近で撮られています。戦後5年が経過すると、京都見物に繰り出す余裕も出て来て、銀閣寺付近には、遊覧バスや貸切バスが集まって来ました。この時代、市電の撮影者は見られたものの、バスの撮影はたいへん少なく、貴重な記録です。そう言えば、乙訓老人も、地方私鉄へ行った際には、駅前でバスを写してから、カメラを仕舞ったと述懐されています。ちょうど、京都市バス事業は,昭和3年5月に出町柳から植物園を結ぶ2.5kmの路線で開業して以来、今年で90周年を迎え、今月にはさまざまなイベントが実施されます。
羽村さんが遺したアルバムから 〈5〉
▲百万遍の停留場で多くの乗客を乗せる800形のトップナンバー車、ポール集電の800形は、この年に新製が始まったバリバリの新車だった(昭和25年1月)。
今回は、羽村さんにとって、いちばん身近だった京都市電です。京都大学の近くにお住まいだった羽村さんにとっては、京都市電は趣味活動の原点でもあったでしょう。例の細密な系統図を描かれた「青信号」の記事“京都市電雑感”にも、冒頭で「京都に生まれ京都に育った小生にとって、京都市電は何と云ってもなじみの深い電車である(原文ママ)」と述べられています。これらの写真を撮られたのは、昭和25、26年であり、全盛時代の到達までには、まだ少し時代をさかのぼる終戦直後の空気が残っていました。
早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈2〉
早回り ヨーロッパのトラムめぐり 〈1〉
少し前ですが、ヨーロッパへ行って来ました。もちろんツアー旅行でしたが、時間を見つけては、各国で路面電車も撮りました。どうも私は、海外の鉄道になかなか興味が持てないのですが、いざ現地を訪れると、街並みに溶け込んだ優れたデザインのトラムがあり、限られた時間のなかでも、その魅力に触れることができました。乙訓老人からも、彼の地の魅力について何度も刷り込まれていましたが、その気持ちがやっと分かった次第です。では、チラリと見た、ヨーロッパのトラムの魅力を。
▲早朝、ストラスブール(Strasbourg)中央駅前を発車した、ストラスブール交通会社(CTS)のトラム(右)、左のイラストが描かれたドームが中央駅、パリとはTGVで2時間20分で結ばれる。
羽村さんが遺したアルバムから 〈4〉
今回のアルバム、羽村さんが最も好きだった阪急京都線を採り上げます。以前、tsurukameさんからの寄稿でも、羽村さん撮影の阪急京都線について、詳細されています(2017年11月27日90622号)。今回は、スキャンしていて新たに発掘できた写真です。
前稿で乙訓老人の思い出にも書かれていますが、羽村さんが好きだったのは“阪急京都線”であり、“阪急”ではありませんでした。京阪電鉄を分離し、新制・京阪神急行電鉄として創立してから、まだ1年しか経っていない昭和25年からの撮影で、京都線は、“新京阪”の面影を十二分に伝えていました。
▲最初の撮影は、西京極駅で撮られたデイ100形2両の京都行き普通電車をとらえている。周囲の光景は、郊外の様相だが、右手には、西京極野球場(現・わかさスタジアム京都)が見える。この球場は、昭和7年、昭和天皇の成婚を記念して建てられたもの。また電車左手には、現在でも見られる、未成線として残った貨物線の分岐部がわずかに見えている(昭和25年11月)。
北海道の鉄道被害を憂う 〈続〉
北海道胆振東部地震から2週間以上が経ちました。JR北海道ホームページによると、不通区間のうち、最後の根室本線富良野~東鹿越も9月26日に開通することになりました。震源近くの日高本線苫小牧~鵡川でも、一部代行バスが残るものの列車運転が始まり、これで、地震前に営業していた区間は、すべて復旧・営業再開することになります。以前、本欄の私の投稿で、廃止が取り沙汰されている線区が不通になり、なし崩し的に廃止に追い込まれるのではと心配しましたが、それが杞憂に終わり、安堵しているところです。ただ、以前から災害で不通になったままの日高本線・根室本線の一部は、バス連絡が続いています。
ブラックアウトで停電が続いていた北海道のなかで、札幌の繁華街ススキノにも電気が復旧し、名物のニッカウヰスキーの電照広告に灯が点いた時は、人だかりの中から歓声が上がったと報じています。▲“札幌”“灯り”の新聞見出しで思い出したのが、たまたまC62のネガスキャンをしていた時に一緒にコマにあった、この札幌駅前の夜景だった。北海道を転々としていた身には、煌々と灯りが点るのは、久しぶりの大都会の光景で、都会から来た旅行者にとっては、逆に心が安らぐような光景だった。ススキノでニッカウヰスキーの電照広告を見た人たちも、同じような思いにとらわれたのだろう。