地図を携えて線路端を歩いた日々 -6-

“昼寝”している寝台車を活用した全車指定の海水浴列車、臨時急行「はしだてビーチ」。冷房付き客車はグリーン車、寝台車、食堂車に限られ、座席車では皆無だった時代、いちばん暑い時期に冷房付きの列車に乗れるのは画期的で、乗車率も高かった。舞鶴線内は福知山区のC57が牽いた(昭和44年8月)。

A地点 〈真倉付近〉
写真展も終わって二週間余り、まだ高揚感が覚めやらぬところですが、少し間の開いたデジ青投稿に集中することにします。「地図と撮影地」シリーズの第二回目は、京都からは日帰り圏内の舞鶴線真倉~西舞鶴~東舞鶴としました。高校生の時から機関区訪問で西舞鶴などに下車することはあっても、駅間の走行中を撮影に行ったのは、昭和44年の大学2年の時でした。添付の地図は、その後に購入の多色刷りですが、当時買った地図は、まだ右書きの一色刷りの旧版地図で、未知への土地へのイメージを大きく膨らませたものです。

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 写真展「鉄路輝く」 滞りなく終了

5月3日から開かれていた第7回クローバー会写真展「鉄路輝く」は、86さんから報告のように、5月9日、千秋楽を迎えました。この日も朝から熱心な来場客があり、会員とともに、あの話この話に盛り上がりを見せていました。そして午後4時、この日はこれで終了、即撤収で、つぎの設営が待ち受けているため、許された時間は30分、そこは結束力で鳴らしたクローバー会、某責任者の号令一下のもと、逆らう者もなく、てきぱきと作業をすすめ、30分後にぴったり作業を完了、“立鳥跡を濁さず”のごとく、10分後には写真展会場を出て現役生の新町ボックスへ額を戻し、ゲストの写真・額は私宅へ運び込み、午後6時には、撤収作業を完了しました。お世話になりました会員の皆さんに厚く御礼申し上げます。

黙々と、しかし効率的に作業を進める会員たち。静岡県や三重県から遠路駆け付けた会員もいて、一糸乱れぬ作業ぶりで、予定どおりに終了した。

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 クローバー会写真展 あと2日!

クローバー会第7回写真展「鉄路輝く」、5月3日(水)から開催し、連休期間も終わり、展示も一区切りを迎えました。連日、多くの皆さんに来場いただいて、会員との対話の輪があちこちで生まれています。ネットの世界では味わうことはできない、双方向の交流が続いています。連休も終わって展示も残すところ、あと2日、まだの方、もう一度、その感動を味わいたい方、ぜひこの2日間にお越しいただき、二度と見られない珠玉の写真をじっくりご覧ください。
  5月3日(水)~9日(火)11~19時(最終日9日は16時で終了)
  京都・祇園「ぎゃらりぃ西利」(京つけもの「西利」祇園店3階)

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 カラーで振り返る 昭和の気動車 -3-

キハ20系(2)

キハ20系での派生形式として、寒冷地向けのキハ21・22と、機関2台の強力型のキハ52がありました。当時走っていた多くのDCのなかで、1900生さんはキハ20系、とりわけキハ52が好き、とコメントをもらいましたが、私はキハ22が大好きでした。ドアが車端に寄ったうえ、窓が小さく、控え目ですっきりした側面、乗り込んでも急行型に遜色のない設備で、東北の北部、北海道でしか見られない希少性も憧れとなりました。
最北端に近い、利尻島を望む宗谷本線南稚内~抜海の海岸沿いを行くキハ22 307の338D、後部の運転室から顔を出す人物一人、よ~く見ると、なんとなく1年先輩のTさんに見える。この時は、“抜海現地闘争”と称して、DRFCメンバーの戦闘的な4人が、勝手に保線小屋に泊まり込んだのだったが、日和見会員(?)も日中には多くが参加して撮影会状態となったため、列車で移動を重ねていたのだった(昭和44年9月)。

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 カラーで振り返る 昭和の気動車 -2-

昭和30年前後、前述のキハ10系に続いて、改良が加えられた新系列のDCが続々投入されることになります。当時の軽量客車の技術を採り入れて、車体断面を拡大の一般車として登場したのがキハ49000(のちのキハ20)でした。走行機器はキハ10系を踏襲しましたが、座席の構造や間隔も大幅に改善されて居住性が格段に向上しました。前回、キハ10系が前に停まれば“ハズレ”でしたが、キハ20系はその逆で“アタリ”でした。昭和32年に登場以来、キハ20系は、一般形DCの主力として、最終、昭和41年までに1126両が製造されることになります。日本一の積雪量を記録したこともある豪雪地帯の飯山線森宮野原付近を行くキハ20系(昭和47年2月)。

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 明日から 新しい阪急・嵐電西院駅

京都の西大路四条交差点、西院で、阪急西院駅の新改札口2ヵ所が完成、嵐電西院駅もホームが移設され、明日25日から供用が開始されます。今まで西大路四条西南角にしか改札口の無かった阪急駅では、河原町方面ホーム東端に北改札口が新設され、四条通の北側に移設された嵐電駅の嵐山方面ホームに接続されます。また梅田方面ホーム東端にも、南改札口が新設され、嵐電駅の四条大宮方面ホームと接続されます。

これにより、交差点を渡って徒歩連絡を強いられていた阪急・嵐電接続が、梅田方面から嵐山方面へ、逆の嵐山方面から梅田方面への乗り換えが直結され、円滑に移動できるようになりました。
四条通の北側、ビルの壁面に移設された嵐電嵐山方面ホーム、このビル用地は、もともと嵐電のもので、マンション「ランフォート西院」を建設、地下部を改札口とした。

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 カラーで振り返る 昭和の気動車 -1-

最近はもっぱら家に引き籠って、第二の人生で最大の事業?と位置づける写真・資料のアーカイブス化に精を出しています。対象は、もっぱらモノクロネガが中心で、カラーフィルムには、なかなか手が回りません。理由のひとつは、とくにカラーポジの場合、初期のものは劣化が進行し、データ化しても手遅れ感もあって、優先度が低くなっていました。しかしスキャン・レタッチの技術もわずかながらも向上し、何とか見られるようになって来て、 少しずつカラーポジのスキャンも進めるようになりました。

始めてみると、国鉄ではDCを多く撮っていることに気づきました。なるほど、蒸機を撮りに行っても、蒸機はモノクロ中心になりますが、その合い間にやって来るDC列車はカラーで、となります。あくまで“ついで撮り”のカラーですが、集めてみると、案外、当時のDCの事情が伺えるかなと思い、カラーで撮った昭和の時代のDCを系列別に見ていくことにしました。
伯備線井倉~石蟹の高梁川に沿う鉄橋を渡って行くキハ17×3+キハ20の列車。伯備線のハイライト区間も路線変更で今は見られない(昭和46年9月)

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 50年前の撮影地を歩く -16-

米子(2)
米子機関区での撮影を終え、米子駅から東へ歩いて、最初の踏切を渡って南側へ行くと、民家に囲まれて日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅がありました。
法勝寺鉄道として大正13年に開業、米子市(当時・米子町)から法勝寺までと、途中から母里へ向かう支線がありました。社名を何度も変えながら、鳥取県でバス事業を行う日ノの丸自動車の電車部門となり、訪れた当時は、米子市~法勝寺12.4キロを16往復の電車が結んでいました。地方私鉄がどんどん廃止されていた時代、ご多分に漏れず、法勝寺線も廃止の申請が出されており、訪問した翌年、昭和42年5月に廃止されました。廃止時の車両は、電車4両(デハ201・203・205・207)、客車6両(フ50・51・52・53・55、フニ100)、貨車2両がすべてでした。 米子駅の裏側に隠れるようにしてあった日ノ丸自動車法勝寺線の米子市駅、当時はバス社が経営する鉄道だった。

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 50年前の撮影地を歩く -15-

米子

4月に行われる木次線ツアーには多数の申し込みがあると聞いています。その際には、さまざまなサプライズ企画が用意されているとのことで、私も一部で協力させてもらいました。ここで木次線のことを書きますと、ネタバレになりますから、その関連で本稿を進めましょう。ちょうど50年前の昭和41年夏ですが、山陰地方を家族旅行で訪れたあと、途中から一人で、米子機関区、日ノ丸自動車法勝寺線、木次線を訪れ、夜行「ちどり」に乗って、広島、呉線を訪れました。初めての長距離一人旅でした。
得るものは多かったものの、いまは無残な状態でフィルムが残っています。この時、初めてのフィルムを自家現像したところ、真夏なのに液温調整もせずに現像して、超オーバーネガになったうえ、水洗不足がたたって、今や悪臭漂うビネガーシンドローム状態、最悪の仕上げとなって、隔離されて置かれています。見苦しい画像が続きますが、米子の50年前と現在を比べてみます。
▲ 石見益田発西舞鶴行き544列車が米子駅に到着する。牽引するのは、C5763〔米〕+C5728〔浜〕の重連、いずれも集煙装置付きのC57だ。続くのは荷物車代用のワキで、山陰本線ではよく見られた光景だった。

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 さよなら 京都のツーステバス

久しぶりにバスの話題をひとつ。
今日は、佐竹さん「東北展」の片付けに、有志会員とともに行ってきましたが、その帰り、京都市バス車両の最後を見届け行ってきました。そのバスとは、乗降口が2段になっている高床式のツーステップバスで、残っていた1両がこの日、最終日を迎えました。平成7年式のバスで、実に22年も前に製造されたバスで、公営バスとしては、日本最古の部類に入るでしょう。
ほかの都市では、とうの昔に姿を消したスタイルですが、京都は、大阪府・兵庫県の市町のように、排気ガス規制の対象地域に該当せず、大事に使われて元気に走り回っていました。しかし、2016年度の新車両が導入され、ついに最後の運行を迎えたのでした。京都市交通局では、ホームぺージで最終ダイヤを載せるなど、古参バスに異例の対応を見せました。
本日ラストランの京都のツーステップバス、九条営業所所属の6261号車、いすゞKC-LV280L型、ボデーは、アイケイコーチで架装されたキュービック型、左右に三角固定窓を設けた独特のスタイルも見ることができない。

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 「東北展」で寄りたい 写真展もうひとつ

先般、「東北展」の途中に寄りたい市電遺産を紹介したところ、INUBUSEさんから思わぬスクープ投稿があり、“こんなもん おまんねん”のクローバー会精神の発露と喜んでいます。続けて、もうひとつ、ひと・まち交流館の真ん前、カフェ「Ask me! cafe」で開かれている写真展「京都駅 絵葉書で見る140年」をご紹介します。

京都駅が開業して140年となり、関連の催事が、京都駅や京都鉄道博物館で行われていますが、この写真展は、ブログ“ひっちょのステンションと呼ばれた駅”を主宰されている方が、お知り合いの絵葉書収集家のものを借りて、拡大展示されています。

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 「東北展」の途中に寄りたい 市電遺跡ふたつ

佐竹さん「東北展」は12日(月)まで好評開催中ですが、ある方からは「ぜひ行きたいが、写真展に付加して、“こんなもん、おまんねん”とクローバー会らしい、いちびり企画はないのか」と厳しい叱責をいただきました。それならと、ひと・まち交流館京都のすぐ近くで見られる、あまり知られていない京都市電関係の遺跡を紹介しましょう。会場への行き帰り、ちょっと寄って見られたら、どうでしょうか。
橋の下に見えているのは?

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 「東北展」開催中

佐竹保雄さんの写真展「東北を旅して その9」が、きょう4日(土)から、ひと・まち交流館京都で開かれています。さっそくクローバー会会員もアサイチから来場、午後からは、福島からの避難者の声を聞く会もあって、初日から賑わいを見せています。

昨日の準備作業も、呼び掛けに応じていただいた会員3名が馳せ参じ、写真の貼り付け作業に精を出しました。一時は準備不足の心配もありましたが、一同の結束した作業のお陰で、予定時間内に完了しました。快く応じていただいた皆さまに御礼申し上げます。私のほうは、貼付物の忘れものがあって顔が青ざめましたが、今日午前に届けて事なきを得ました黙々と作業に取り掛かる会員たち。

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 「東北展」 3月4日から開催します

メール連絡のできる会員の皆さんにはお知らせしましたが、佐竹保雄さんの鉄道写真展「東北を旅して  その9」が3月4日(土)から開催されます。

鉄道写真展「東北を旅して  その9」

3月4日(土)~12日(日) 10~17時 9日間開催 期間中無休
ひと・まち交流館 京都 京都市下京区河原町通五条下る東側 ☎075-354-8711

ご承知のように、この写真展は、佐竹保雄さんが、毎年、東日本大震災発生日の前後に、東北地方の鉄道の再生を願って開催されている写真展です。今回も、東北の復興を願う、さまざまな展示・イベント・集まりが期間中に行われるほか、写真展として3テーマに分けて行われます。
まず佐竹さん自身が、昭和30年代に東北で見られた貴重な鉄道車両の写真を展示します。先ごろ、お邪魔した際は、まだ準備中で、全貌を窺い知ることはできませんでしたが、チラリと見たところでは、煙室延長のC51とか、二本煙突を束ねたようなC51など、私など古い本でしか見たことのないような、伝説の珍車両がいっぱいです。また、お得意の木造客車も、東北ならではの珍車がたっぷり登場しますので必見ですひと・まち交流館京都
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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -5-

ここがウワサの“筑豊の山科”、またまた登場のC5546〔若〕の牽く門司港発原田行き625列車 門鉄デフの形態がよく分かる(昭和43年3月)

中間駅・D地点

つぎに紹介するのは中間駅です。二面三線の典型的な国鉄駅ですが、ここから複々線から複線に変わり、また香月線を分岐する筑豊の要衝駅でした。中間を出ると、遠賀川に向かって上り勾配となり、そして右へ大カーブを描きます。山科も真っ青、と感じるほどキレイな大カーブです。複線の間隔も広く安全に撮影できます。定番の編成写真が撮れる箇所として、この区間の撮影地の最後を飾るハイライト区間でした。
中間は、現在、福岡県に28もある市のひとつ、炭鉱と命運をともにした市でしたが、現在でも人口は4万人程度にとどまっています。どう考えても印象に残らない市ですが、ここから超有名人2人を生んでいることを、先ごろ新聞で読みました。一人は、文化勲章も受章した、あの高倉健、もうひとりは、プロ野球名監督の誉れ高い、仰木彬。中間市にある球場を「仰木彬記念球場」に改名する記事が出ていました。二人とも折尾駅に近い、名門高校の出身ですが、ともに過去帳の仲間入りをしました。

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -4-

C地点

続いて折尾~中間のC地点付近に移ります。立体交差地点で複々線が入れ替わり、C地点では方向別運転になります。短い切り通し区間を過ぎると、左右が開け、ゆったりとした編成写真を撮ることができました。今でこそ宅地ビッシリですが、周囲は田が広がり、サイドからの真横写真も撮れました。そしてつぎの駅、中間駅へと至ります。
ここで、この区間の現状について記しておきますと、立体交差付近には昭和63年に新しく東水巻駅ができています。駅を中心に周辺は宅地化が進んでいますが、立体交差はそのまま残置されています。複々線もさすがに過剰インフラとなり、折尾駅は2線の対向ホームですが、発車するとすぐ単線になります。 また黒崎方面からの短絡線も単線化され、両者が寄り添う地点で両渡りポイントを設けて、ここからは複線構造となっています。さらに今は、折尾駅連続立体交差事業が進められ、付近の地形すら変えてしまうほどの大工事が2021年を目指して進行しています。

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 さよなら 関西の湘南色電車

JR西日本の関西近郊電車線区(旧称アーバンネットワーク)で唯一、湘南色で残っていた、吹田総合車両所京都支所(旧京都総合運転所)(近キト)の113系C10編成4連が、いよいよ来週に工場入りし、例の地域色(抹茶色)に塗り替えられることになりました。関西に113系湘南色がお目見えしたのが、新幹線開業直前の昭和39年7月で、53年目にして、いよいよ関西からはオレンジ/グリーンの湘南色が見られなくなります。
草津線にある天井川の大砂川トンネルを抜けた近キトC10編成(甲西~三雲)

 

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 地図を携えて線路端を歩いた日々 -3-

夕陽にC55のスポーク動輪が透けて見える。本数の多いこの区間で初めて流し撮りも試みた。

B地点

折尾~中間のハイライト区間であるB地点の立体交差付近について写真を続けます。
前回投稿のコメントにも記しましたが、複々線区間の開業時は二つの鉄道でした。若松を始発として折尾を通り、中間・直方へ向かう筑豊本線は、明治24年に筑豊興業鉄道として開業、これにより、水路に頼っていた石炭の輸送は、鉄道で若松港まで運ばれます。のちに若松は日本一の石炭積出港として発展しますが、増産される石炭は、若松だけでは賄いきれず、その前に開業していた九州鉄道(現・鹿児島本線)は折尾付近で、筑豊興業鉄道への短絡線を設け、連帯運輸を始めます。同時に、別々に設けられていた折尾駅も、現在のように共同駅として筑豊本線、鹿児島本線の交差地点に移設されました。複々線の誕生で、従来の若松だけでなく、九州鉄道経由で、戸畑、門司でも石炭の積み出しが行われ、また八幡製鉄所への石炭輸送も担うようになります。これによって、明治40年の両線の国有化の頃には、鉄道収入の半分以上は石炭輸送で占められる、黄金期を迎えたのでした。

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 N電 夜の梅小路を走る

先ごろ京都・梅小路公園のライトアップイベント「京都・冬の光宴2017」が行われ、その一環として、通常は昼間のみ公園内を走っているN電27号が、特別に夜間も運転されました。鉄鈍爺さんの極寒撮影ほどではありませんでしたが、時おり雪も降るなか、寒さ対策バッチリで写しに行ってきました。

N電が夜間運転されたのはイベント期間中の土曜日の2日間のみ、20時まで約30分ヘッドで運転された。吹きさらしの運転台はさすがに寒そう。

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