▲“昼寝”している寝台車を活用した全車指定の海水浴列車、臨時急行「はしだてビーチ」。冷房付き客車はグリーン車、寝台車、食堂車に限られ、座席車では皆無だった時代、いちばん暑い時期に冷房付きの列車に乗れるのは画期的で、乗車率も高かった。舞鶴線内は福知山区のC57が牽いた(昭和44年8月)。
A地点 〈真倉付近〉
写真展も終わって二週間余り、まだ高揚感が覚めやらぬところですが、少し間の開いたデジ青投稿に集中することにします。「地図と撮影地」シリーズの第二回目は、京都からは日帰り圏内の舞鶴線真倉~西舞鶴~東舞鶴としました。高校生の時から機関区訪問で西舞鶴などに下車することはあっても、駅間の走行中を撮影に行ったのは、昭和44年の大学2年の時でした。添付の地図は、その後に購入の多色刷りですが、当時買った地図は、まだ右書きの一色刷りの旧版地図で、未知への土地へのイメージを大きく膨らませたものです。