モハ72001/(51-2-22)千葉駅
モハ72のトップナンバーで、21年10月日本車輌でモハ63015として新製。27年1月東急車両で改造工事により現車号。40年1月浜松工場で近代化改造。61年11月20日津田沼区で廃車。
63形シリーズの最終回はモハ72を解説する。
モハ63形の体質改善工事を実施する中で、80系湘南形で採用された中間電動車方式を取り入れることになり、昭和26年~28年にかけて運転台なしのモハ72形が288両誕生した。
前期(26年11月~27年5月)の168両は種車の向きを活かして上り向きは奇数、下り向きは偶数が付番されたが、後期(27年5月~28年12月)の120両は、種車の向きに拘らず奇数向きに揃えて改造され200番以降(201~319)に付番された。
その関係で前期改造車は001~181に付番されたが156~180の偶数番号は該当車がなく欠番になっている。後期改造車は201以降に付番されたため、182~200も欠番である。以下、代表的な車両を写真で紹介する。
モハ72034/ (48-4-30) 下馬・仙石線
21年10月川崎車両でモハ63078として新製。27年4月汽車会社で改造工事により現車号。54年8月15日陸前原ノ町区で廃車。
仙石線の72系は寒冷地のため、3段窓のアルミサッシ2段窓化とベンチレ―タの押込型への取り替え、扉の半自動化が行われた。
モハ72056/ (48-1-28) 広島・呉線
21年7月日本車輌でモハ63160として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。51年11月5日広島区で廃車。
呉線(一部山陽本線小郡までの運用があった)の72系も3段窓のアルミサッシ2段窓化、扉の半自動化が行われた。
モハ72103/ (48-3-21) 鳳
21年12月日本車両でモハ63289として新製。27年2月汽車会社で改造工事により現車号。51年12月5日鳳区で廃車。
モハ72112/ (41-1-15) 京都
22年6月川崎車輌でモハ63582として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。42年3月31日鷹取工場で運転台取付、近代化改造でクモハ73514に改造。55年2月18日中原区で廃車。
モハ72113/ (49-4-29) 下馬・仙石線
22年5月日本車輌でモハ63381として新製。27年1月大井工場で改造工事により現車号。54年8月14日陸前原ノ町区で廃車。
モハ72123/ (48-4-30) 下馬・仙石線
22年7月日本車輌でモハ63403として新製。27年1月大井工場で改造工事により現車号。54年8月14日陸前原ノ町区で廃車。
モハ72145/ (49-2-17) 沼津・御殿場線
22年8月汽車会社でモハ63619として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。55年4月22日沼津区で廃車。
モハ72149/ (47-2-20) 大阪
22年8月汽車会社でモハ63627として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。48年1月23日明石区で廃車。
モハ72150/ (49-3-23) 住道・片町線
21年8月川崎車輌でモハ63184として新製。27年4月日本車両で改造工事により現車号。50年10月24日淀川区で廃車。
モハ72151/ (48-9-15) 京橋・片町線
22年7月汽車会社でモハ63607として新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。50年9月26日淀川区で廃車。
モハ72202/ (49-3-20) 大阪
22年5月川崎車両でモハ63130として新製。27年8月大井工場で改造工事により現車号。50年9月26日高槻区で廃車。
モハ72204/ (43-9-7) 東神奈川・横浜線
23年2月日本車両でモハ63766として新製。27年9月大井工場で改造工事により現車号。47年2月10日東神奈川区で廃車。
モハ72210/ (48-7-1) 住道・片町線
23年5月日本車両でモハ63758として新製。27年10月大井工場で改造工事により現車号。53年2月10日淀川区で廃車。
モハ72211/ (48-5-13) 沼津・御殿場線
22年10月川崎車両でモハ63602として新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。53年2月10日沼津区で廃車。
大井工場整備改造車
昭和35年に72263、72045、72108、72098の4両に対して整備改造が行われた。工事の内容は各車により差があり省略するが、外観上は3段窓のままで戸袋部がHゴム化された程度で大きな変化はない。4両共関東地区で使用されたが、72108のみ47年6月鳳区に転属した。
モハ72108/(48-5-20) 鳳
22年7月川崎車両でモハ63564として新製。27年3月豊川分工場で改造工事により現車号。35年6月大井工場で整備改造。51年6月15日鳳区で廃車。
吹田工場整備改造車
昭和35年72024と72214の2両に対して行われた。大井工場施工車とは異なり、車体の全金属化が行われ、スタイルは大幅に変化した。
モハ72024/(48-6-11)京都
21年10月川崎車両でモハ63058として新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。35年12月吹田工場で整備改造。50年9月26日明石区で廃車。
窓はアルミサッシ化されているが、上窓に位置が元の3段窓の上段部分である。
モハ72213/ (49-2-10) 大阪
22年5月汽車会社でモハ63237として新製。27年8月豊川分工場で改造工事により現車号。36年6月吹田工場で整備改造。50年2月1日高槻区で廃車。
近代化改造車
37年から40年にかけて44両に対して近代化改造が、大井、大船、浜松、吹田、幡生の各国鉄工場で実施された。内容は、車体の内外装の全金属化、窓の2段サッシ化等車体新製に近いもので、かつての63形の面影は一掃された。
モハ72014/(51-2-22)千葉
21年8月モハ63038として川崎車両で新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。40年4月浜松工場で近代化改造。51年6月15日津田沼区で廃車。
モハ72017/(47-3-12)大阪
22年1月日本車両でモハ63055として新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。38年2月吹田工場で近代化改造。50年6月20日明石区で廃車。
モハ72018/(49-1-21)京都
21年8月モハ63044として川崎車両で新製。27年2月汽車会社で改造工事によりモハ72034。モハ72018と車号振替。38年1月吹田工場で近代化改造。50年9月26日明石区で廃車。この車両は何故かシル、ヘッダー付きであった。
モハ72035/(49-5-5)住道
23年3月モハ63115として日本車両で新製。27年3月大井工場で改造工事により現車号。39年12月浜松工場で近代化改造。51年9月21日淀川区で廃車。一番前の扉は旧形のプレス製に取換えられている。
モハ72042/(47-2-20)大阪
22年2月モハ63114として川崎車両で新製。27年1月汽車会社で改造工事により現車号。38年1月吹田工場で近代化改造。50年9月26日明石区で廃車。
モハ72066/ (48-1-28) 広島・呉線
22年2月モハ63172として川崎車両で新製。27年2月東急車両で改造工事により現車号。38年11月浜松工場で近代化改造。51年7月28日広島区で廃車。
モハ72092/(48-7-1)住道
21年12月モハ63324として近畿車両で新製。27年2月大井工場で改造工事により現車号。39年12月浜松工場で近代化改造。51年11月27日淀川区で廃車。
モハ72102/(42-3-26)武蔵中原
22年3月モハ63460として川崎車両で新製。26年11月大井工場で改造工事により現車号。37年11月大井工場で近代化改造。51年11月27日津田沼区で廃車。
モハ72110/(43-7-7)大阪
22年7月モハ63576として川崎車両で新製。27年3月汽車会社で改造工事により現車号。37年9月吹田工場で近代化改造。50年9月10日高槻区で廃車。この車は戸袋窓の位置が通常と逆になっている特異車である。(通常はパンタから遠ざかるように扉が開くが、パンタ寄りに開く)
モハ72157/ (48-9-1) 住道・片町線
21年8月日本車両でモハ63105として新製。27年3月豊川分工場で改造工事により現車号。39年11月浜松工場で近代化改造。51年7月20日淀川区で廃車。
モハ72249/(48-7-1)住道
22年5月モハ63368として川崎車両で新製。27年5月日本車両で改造工事により現車号。38年7月幡生工場で近代化改造。52年6月14日淀川区で廃車。
クモハ73500番代
中央線、山手線、京浜東北線等の幹線の新性能化により、73系は17m車、戦前形20m3扉車で運転されていた線区に従来の車両の置換え用として進出すると、運転台付き車両が不足したため、元63形のモハ72形に運転台取付と併せて近代化改造を実施したクモハ73形が20両誕生して501~520に付番された。全車東京地区に配置され、関西では見られなかった。
クモハ73505/(49-5-1) 拝島
23年1月モハ63743として汽車会社で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72285に。42年3月郡山工場で近代化改造及び運転台取付。55年9月25日東神奈川区で廃車。
クモハ73507/(49-5-1) 稲城長沼
22年3月モハ63462として川崎車両で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72290に。42年3月郡山工場で近代化改造及び運転台取付。55年9月18日弁天橋区で廃車。
クモハ73513/(49-5-1) 稲城長沼
23年2月モハ63668として川崎車両で新製。27年8月豊川分工場で改造工事によりモハ72215に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。55年7月16日弁天橋区で廃車。
クモハ73516/(50-3-23) 稲城長沼
23年3月モハ63782として日本車両で新製。27年9月大井工場で改造工事によりモハ72205に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。53年9月16日中原区で廃車。
クモハ73517/(50-3-23) 稲城長沼
22年8月モハ63689として汽車会社で新製。28年3月豊川分工場で改造工事によりモハ72231に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。54年12月3日弁天橋区で廃車。
クモハ73519/(50-3-23) 拝島
23年2月モハ63742として汽車会社で新製。27年6月東急車両で改造工事によりモハ72292に。42年3月鷹取工場で近代化改造及び運転台取付。54年9月14日弁天橋区で廃車。
5回に亘り、モハ63形一族の変遷と40年代後半を中心とした状況について書いてみたが、概略でもご理解いただければ幸いである。
27年以降に新製されたモハ72、クハ79も含めて、乗車経験のある方は、恐らく昭和50年代前半以前生まれの方で、東京、大阪地区で通勤、通学等で日常的に乗車されていた方は団塊世代以前の方ではなかろうか。
私自身は45年4月に大阪駅の直ぐ近くの会社に就職して、54年6月勤務場所が京阪大和田駅の近くに変わるまで京都~大阪間国鉄を利用した。出勤時はともかく、帰宅時は高槻で無味乾燥な113系から普通電車に乗り換えることが多かった。
大阪緩行の旧形車での最終運行日は52年2月26日と記録されているが、時節柄お別れ運転、ヘッドマークの取付け等一切なく無く、いささか淋しい幕切れであった。
国鉄→JR東日本、JR西日本の通勤形電車の原点はモハ63形であり、73系、101系、103系、201系、205系、209系と発展し、現在の通勤形へと進化していった。また、私鉄車両への影響も少なくなかったと思われる。
拙文により、乗車経験のある方は当時を思い起こしていただき、若い方は東京、大阪圏の通勤、通学輸送の主力であったことを知っていただければ幸いである。
機会があれば、モハ63形一族から他形式への改造車及び新車として作られたモハ72、クハ79についても触れてみたい。