小田急HB車とは、昭和2年4月小田原線、昭和4年4月江ノ島線開業時に製作された電車で、概略は2月27日付【18048】「小田急1600」で準特急様が記されておられる通りであるが、形式がいくつかあるので少し補足させていただく。
「H」は間接制御の加速の方法の手動(ハンド)を表し、「B」は制御電源の取り方の低電圧を表す。間接自動加速制御の場合は「A」(オート)、制御電源を架線から取る場合を「L」を表す。小田急の場合は新製当初はHL形制御であったが、昭和26年にMGを取付け低圧電源に変更してHB形制御に改造した。ちなみに京都市電の866~880、901~915、724~748はAB制御車、連結車の2000形と2600形はHB制御車であった。
モハ1形→デハ1100形(1101~1118)
新宿~稲田登戸(現向ヶ丘遊園)間の近郊区間用として日本車輌で18両新製された3扉ロングシート車である。正面がゆるくカーブしており、当時の標準的なスタイルでさほどブサイクとは思えない。昭和17年東急合併時にデハ1150形、更に昭和23年小田急分離時にデハ1100形に改番された。東急時代の昭和22年に相模鉄道に9両譲渡され、残った9両も更新修繕の対象から外され、1両荷電に改造、熊本電鉄に4両、日立電鉄に4両譲渡された。相模鉄道に譲渡された9両は京福電鉄(福井支社)に3両、日立電鉄に6両再譲渡された。京福電鉄と日立電鉄に行った車両はその後の車体更新で原型を崩したが、熊本電鉄に行った車両は原型のまま使用され、同社モハ301が廃車時、小田急が譲り受け復元工事が行われた。以前は一般公開時に展示されていたが、ここ数年は姿を見せていない。
モハ二101形→デハ1200形(1201~1212)
開業時に新宿から稲田登戸以遠小田原方面への郊外用として日本車輌で12両作られた。2扉で新宿寄りの扉と乗務員室の間に手荷物室とトイレが設置され、座席は扉間クロスシートであった。正面はモハ1形同様ゆるくカーブしていた。昭和15年に収容力増加のため、手荷物室撤去とロングシート化が行われた。東急合併時にデハ1201~1212に改番された。昭和31年から実施された更新修繕の結果、正面が平妻になり貫通扉の設置、片運化、扉の拡幅等が行われた。昭和41年から43年に、主電動機を流用して大型車体の4000系を製作するため廃車になったが、デハ1209、1210の車体が越後交通に譲渡された。
モハ121形、モハニ131形→デハ1200形(1213~1218)
昭和2年10月の全線複線化時に増備された車両で、2扉セミクロスのモハ121形が3両、荷物室付2扉ロングシートのモハニ131形が3両作られた。メーカーは藤永田造船所に変わり、正面は平妻になった。モハのロングシート化とモハニの荷物室撤去が行われ、東急合併時にデハ1213~1218に改番された。昭和31年から更新修繕が実施され、両側に貫通扉の設置、片運化、扉の拡幅等が行われた。昭和41年から43年に、主電動機を流用して大型車体の4000系を製作するため廃車になったが、デハ1215、1216の車体が岳南鉄道に譲渡された。
モハニ151形→デハ1300形(デハ1301~1303)、クハ1350形(1351、1352)
昭和2年10月の全線複線化時に増備された車両で、荷物室が広い3扉ロングシートである。メーカーは藤永田造船所で5両作られた。東急合併時にデハ二1251形に改番され、昭和21年荷物室を撤去してデハ1250形になった。更に昭和23年小田急分離時にデハ1300形に改番された。昭和31年に1304と1305電装解除され、クハ1350形1351、1352となった。昭和34年から35年にかけて車体更新が実施され、客室扉は両開扉に、窓は下降窓から上下幅を拡大してアルミサッシの2段窓となりスタイルが大きく変化した。昭和44年にそのままのスタイルで荷電となりデニ1300形となり昭和59年の荷電廃止まで使用された。
クハ1350形は昭和34年に車体更新が実施され、後述のデハ1400形と同様の車体になったが、昭和43年に廃車され、新潟交通と岳南鉄道に譲渡された。・
デハ1301/車体更新でアルミサッシ2段窓、両開扉となり原形からは大きく変化した。
新原町田~相模大野 (43-9-7)
デニ1302/昭和44年荷電デニ1300形に改造された。
小田原 (50-4-27)
モハ201形、クハ501形、クハ551形→デハ1400形(1401~1416)、クハ1450形(1451~1468)
昭和4年江ノ島線の開業と同時期に増備された車両で、モハ201形15両、クハ501形5両、クハ551形15両、川崎車輌で作られた。モハ201形とクハ551形はロングシート、クハ501形はセミクロスシートであったが、後にロングシート化された。クハ551形ラスト2両564、565は昭和16年に電装され、モハ251形251、252となった。
東急合併後の改番でモハ201形、251形は順にデハ1350形(1351~1367)、クハ501形と551形はクハ1300形(1301~1318)に改番された。昭和18年に元モハ251形のデハ1366と1367が井の頭線に転属した。
小田急分離後の昭和25年の改番でデハ1400形とクハ1450形となり、デハ1350形は旧車号に50を、クハ1300形は150をプラスした。
昭和29年から更新修繕が実施され、デハを新宿向きに、クハを小田原向きに揃えられ、扉の拡幅が行われた。
昭和41年から43年に、主電動機を流用して大型車体の4000系を製作するため廃車になったが、一部の車両が弘南鉄道、新潟交通、越後交通、岳南鉄道に譲渡された。デハ1406は廃車後教習車として使用されていたが、役割終了後解体されてしまった。戦前の小田急を代表する車両として是非保存して貰いたかったのに残念であった。
デハ1415-クハ1465+デハ1411-クハ1461の4連
新原町田~相模大野 (43-9-7)
前段が長くなったが、ここからが本論である。
(1) デハ1100形の行方
①日立電鉄
昭和35年にデハ1102、1103、1104、1109の4両を譲受け順にモハ1001、サハ1501、モハ1002、1003とした。昭和38年に相模鉄道からモハ1001、1002、1003を譲受け、車号をそのまま生かしたため、前述のモハ1001~1003をモハ1004~1006に改番した。更に昭和53年に相模鉄道から荷電に改造されていたモニ1007~1009を譲受け旅客車に復元してモハ1007~1009とした。旧モハ1形18両中10両が集まったが、車体更新により原形は留めていなかった。
モハ1003/車号の変遷は小田急モハ7→東急デハ1157→相模鉄道デハ1157→同モハ1003→日立モハ1003。撮影時点では原形を保っていた。
鮎川 (41-3-12 )
モハ1002/小田急モハ6→東急デハ1156→相模鉄道デハ1156→同モハ1002→日立モハ1002。相模鉄道時代の中間電動車化され、運転台、パンタを撤去されていたが、車体は原形を保っていた。
鮎川 (41-3-12)
モハ1005/小田急モハ4→東急デハ1154→小田急デハ1104→日立電鉄モハ1002→同モハ1005。日立電鉄で車体更新が実施され、写真のようにスタイルが大きく変化した。
鮎川 (41-3-12)
サハ1501/小田急モハ3→東急デハ1153→小田急デハ1103→日立電鉄サハ1501。小田急時代に電装解除されサハ状態であったが、日立電鉄に来て正式にサハとなった。車体更新の結果、写真のようにスタイルが大きく変化した。
鮎川 (41-3-12)
②熊本電鉄
昭和34年にデハ1105~1108の4両を譲受け、順にモハ301~304とした。ほぼ原形のまま使用され、昭和56年に廃車になったモハ301を小田急に譲渡した。小田急では、開業時の姿に復元の上、車号を元のモハ10に戻して稼働状態で保存されている。
モハ303/小田急モハ16→東急デハ1166→小田急デハ1107→熊本電鉄モハ303。最後までよく原形を保っていた。
北熊本 (44-3-21)
③京福電鉄福井支社
昭和40年に相模鉄道からモハ1004~1006を譲受けホデハ271~273とした。譲受け時に車体更新が実施されノーシル・ノーヘッダーとなり、271は窓を2段上昇式に改造したためスタイルが変わってしまった。
ホデハ271/小田急モハ8→東急デハ1158→相模鉄道デハ1158→同モハ1004→ホデハ271→モハ271。ノーシル・–ヘッダー、2段窓に改造された。
福井 (48-4-1)
ホデハ273/小田急モハ12→東急デハ1162→相模鉄道デハ1162→同モハ1006→ホデハ273→モハ273。ノーシル・–ヘッダーとなったが窓は下降窓のままであった。
福井 (48-4-1)
(2)デハ1200形、デハ1400形、クハ1450形の行方
①弘前電鉄→弘南鉄道大鰐線
弘前電鉄時代の昭和45年にクハ1459を譲受けクハ201とした。尚、弘前電鉄は経営不振のため同年10月1日弘南鉄道に経営権を譲渡し、同社の大鰐線となった。
クハ201/小田急クハ554→東急クハ1309→小田急クハ1459→弘前電鉄クハ201→弘南鉄道クハ201。元木製国電の代替として譲り受けた。
津軽大沢 (50-4-28)
②岳南鉄道
デハ1200形2両、クハ1350形1両、クハ1450形1両の4両在籍した。
モハ1107/小田急モハニ154→東急デハニ1254→同デハ1254→小田急デハ1304→同クハ1351→岳南モハ1107→同クハ2602→同クハ1107
廃車になるまで7回改番している。
岳南富士岡 (49-2-17)
クハ2102/小田急クハ504→東急クハ1304→小田急クハ1454→岳南クハ2102
吉原 (43-4-6)
クハ2103/小田急デハ123→東急デハ1215→小田急デハ1215→岳南クハ2103
元デハ1200形のため前述のクハ2102とは窓配置が異なる。
岳南江尾 (50-9-14)
クハ2105/小田急デハ131→東急デハ1216→小田急デハ1216.→岳南クハ2105
岳南江尾 (50-9-14)
③新潟交通
デハ1400形6両、クハ1450形1両、クハ1350形1両の8両在籍した。車体更新(車体乗換え)に利用されたため、書類上7両は乗換え前の車両の改造扱い、1両は新製扱いとなっていた。車歴は小田急時代の車号を基準にした。
モハ16/小田急モハ209→東急デハ1359→小田急デハ1409→新潟交通モハ16
昭和2年汽車会社製(元伊那電鉄の買収国電モハ1924)のモハ16の車体更新車。小さな窓と二重屋根の車体はいかにも古めかしく感じさせられた。(更新前については他の車両と併せて別途解説したい)
県庁前 (47-4-30)
クハ36/小田急モハニ155→デハニ1255→同デハ1255→小田急デハ1305→同クハ1352→新潟交通クハ36
昭和22年日本鉄道自動車製のクハ36の車体更新車であるが、書類上は新製扱になっている。クハ36は当初モハ16として竣工して昭和25年に電装解除してクハ36となった。窓が大きく軽快に見えるが、終戦直後に作られた車体の出来が悪かったのと、小型のため更新の対象となった。同形車は近江鉄道、北陸鉄道にも在籍した。
県庁前 (47-4-30)
クハ45/小田急クハ563→東急クハ1318→小田急クハ1468→同デハ1416→新潟交通クハ45
昭和19年日本鉄道自動車製のクハ35の車体更新車。車体の老朽化と小型のため更新された。
朝の3両編成の中間車として使用中/県庁前 (43-8-30)
東関屋 (43-8-30)
クハ46/小田急モハ208→東急デハ1358→小田急デハ1408→新潟交通クハ46
昭和19年日本鉄道自動車製のクハ34の車体更新車。更新前は前述のクハ45と同形である。
県庁前 (47-4-30)
クハ47/小田急モハ214→東急デハ1364→小田急デハ1414→新潟交通クハ47
昭和8年日本車輌製のクハ31の車体更新車。昭和8年新潟電鉄開業時に新製された車両である。同時に新製されたモハ11~14は昭和38年から42年にかけて日本車輌製の新製車体に乗せ換えられたが、クハは小型のまま残っていた。
県庁前 (47-4-30)
クハ49/小田急クハ560→東急クハ1315→小田急クハ1465→新潟交通クハ49
昭和11年日本車輌製のクハ33の車体更新車。前身は元神中鉄道のガソリンカーキハ31であった。元小田急のクハの内、この車のみ県庁前向きに運転台があった。(他車はすべて燕向き)
県庁前 (47-4-30)
下記2両は写真が見当たらないため割愛させていただいた。
クハ48/小田急モハ212→東急デハ1362→小田急デハ1412→新潟交通クハ48
更新前はクハ32で前述のクハ31と同型。
クハ50/小田急モハ211→東急デハ1361→小田急デハ1411→新潟交通クハ50
更新前はクハ40で大正15年製元東武のデハ9である。
④越後交通長岡線
昭和44年、架線電圧を750Vから1500Vに昇圧時にデハ1200形2両、デハ1400形2両、クハ1450形6両、全車両新製扱いで入線した。その際モハとなった車両は単行運転に備えて両運に戻された。6年後の昭和50年3月31日をもって旅客営業を廃止したので活躍したのは僅かな期間であった。その後も貨物営業は続けられ、最終的に廃止になったのは平成7年4月1日であった。
モハ1401/小田急モハ215→東急デハ1365→小田急デハ1415→越後交通モハ1401
西長岡 (50-3-22)
モハ1402/小田急モハ201→東急デハ1351→小田急デハ1401→越後交通モハ1402
西長岡 上(43-8-30) 下(47-4-30)
モハ1403/小田急モハ109→東急デハ1209→小田急デハ1209→越後交通モハ1403
この車と次のモハ1404は元デハ1200形のため窓配置が異なる。
西長岡 (50-3-22)
モハ1404/小田急モハ110→東急デハ1210→小田急デハ1210→越後交通モハ1404
西長岡 (50-3-22)
クハ1451/小田急クハ501→東急クハ1301→小田急クハ1451→越後交通クハ1451
脇野町 (47-4-30)
クハ1452/小田急モハ202→東急デハ132→小田急デハ1402→越後交通クハ1452
連結面のテールライトは来迎寺線の混合列車で客車として使用した時に最後部になることを考慮したため。
西長岡 (47-4-30)
クハ1453/小田急クハ503→東急クハ1303→小田急クハ1453→越後交通クハ1453
西長岡 上(47-4-30) 下(50-3-22)
クハ1454/小田急クハ563→東急クハ1318→小田急クハ1468→同クハ1466→越後交通クハ1454
西長岡 上(43-8-30) 下(47-4-30)
クハ1455/小田急クハ552→東急クハ1307→小田急クハ1457→越後交通クハ1455
西長岡 上(43-8-30) 下(47-4-30)
クハ1456/小田急クハ556→東急クハ1311→小田急クハ1461→越後交通クハ1456
西長岡 (50-3-22)
越後交通でも栃尾線は762mmということで比較的よく取り上げられるが、長岡線は地味な路線で、かつ末期は元小田急車に統一されていたこともあり、取り上げられる機会は少ないように思われる。昭和40年代初めまで4輪客車が健在、日本初のディーゼルカー改造の電車が在籍、電気機関車がバラエティーに富んでいた等、中々面白い路線であった。