教えて下さい

過去のデジ青等で触れられていたら申し訳ありません。駅名にも疎い私ですが、道内完乗を目指して湧別迄行った昭和57(1982)年5月2日に途中に中湧別-湧別間に四号線という駅がありました。このような駅名は珍しいのですが、開拓時代の道路が近くの線路を跨いでいてつけたのではないかと勝手に推察しています。他には似たような駅名で宗谷本線も和寒-剣淵間にも東六線という駅があったようです。また、北海道のバス停に〇〇宅とか言うのがありました。これらは人口希薄と開拓が関連しているのかもしれませんが、わかりましたら教えてください。簡易停留場なのでしょう。駅名辞典のようなものがあったと思いますが、駅開設日や駅名の由来などが出ていたのではないでしょうか。

また、湧別ー中湧別間は何線だったのでしょうか。交通公社時刻表では湧網線に読めますが、弘済会の道内時刻表では名寄本線に読めます。何れにしましても今はなき路線で中湧別-四号線-湧別の4.9kmの盲腸線です。

四号線駅板 ▼

寂しい行先板と湧別駅のキハ22321 ▼

 

保存蒸機とその現役時代(48)

2020年11月23日にC5744を投稿して以来およそ2年ぶりの同一テーマでの投稿である。掲載できる写真が枯渇してきているが動態保存機も含めできる限り発表していきたい。

久しぶりの今回は東京JR新橋駅前に鉄道発足100周年を記念して昭和47(1972)年より鎮座しているC11292である。SL広場として知られており待ち合わせなどに利用されているが、街の景観はどうあれこれ以上の目印はない。

この機関車は多少機関車趣味に覚えのある人には戦時設計の粗悪車と感じるはずである。角張った砂箱、蒸機溜がそれを物語っているし、除煙板も改造をうかがわせる。

生まれは昭和20(1945)年2月と私と同じ年である。日本車両名古屋の製造で廃車されるまで姫路(私の記憶では姫路1区)から出たことがないという。播但線や姫新線を嫌というほど走り回ったことであろう。兵庫県に縁のある私も播但線はC55、C57を撮りに行ったことはあるが、姫路近郊の通勤列車牽引のC11はほとんど撮ったことがなく姫新線に至っては乗ったことがない。ところが関東のクモハ73106東ウラさんがこの機関車を撮っておられたので発表させていただく。

1970.3.24 播但線溝口 ▼

My beautiful picture

1970.3.24 姫路区 ▼

My beautiful picture

2022.10.26  新橋駅前のC11292で今年塗り替えが行われた 戦時設計スタイルの角張った二つのコブが特徴 ▼

2022.10.26  同機説明板 ▼

 

駅のメロディー続編

快速「つくばね」様

いつも有難うございます。「高原列車は行く」ですが、歌詞の中に「山越え谷越えはるばると」とか「明るい青空白樺林」が度々出てくるのでこれはてっきり小海線とばかり思いこんでいましたが友人から違うと言われたことを思い出しました。そう言えば2番には「君らの泊りも温泉(いでゆ)の宿か」とか3番には「五色のみずうみ」が出てちょっと小海線とは違うようです。高原列車の名に惑わされていたかもしれません。私は今はありませんが、磐梯国際スキー場の仕事をしていまして磐越西線猪苗代には何回か出張しております。民宿の方には沼尻鉄道の運転をした人もいました。あのあたりも磐梯高原ですね。沼尻鉄道は学生時代に川桁で1966.3.21に泊まり放置されていた客車を撮っています。私どもの先輩には沼尻鉄道の素晴らしい写真を撮った人が大勢います。▼

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駅のメロディー

この写真の駅名わかりますか。後方の山は信夫山です。そう岩代の国の福島です。列車は私が乘ってきたE6+E5系の17連盛岡行「やまびこ53号」の後追いです。福島は新幹線の駅では最も好きな駅の一つです。理由は目前に迫った信夫山の風景と福島駅の発車メロディーです。新幹線福島駅では甲子園の高校野球でお馴染みの古関裕而作曲の「栄冠は君に輝く」が流れその後に列車の出発案内が放送されます。古関裕而は福島の出身で日本のスーザとも言われ数々の名曲を残しております。この曲は行進曲風で颯爽として若々しく元気が出ます。同駅在来線では岡本敦郎の「高原列車は行く」もありこれもいい曲です。仙台は「青葉城恋歌」です。しんみりとした感じですがもう一つです。その他山形の「花笠音頭」、横手の「青い山脈」、弘前の「津軽じょんがら節」、広野の「汽車」、湯本の「シャボン玉」等の曲はよく知られておりますが、他は新しい曲で若い人向けなのか老鉄ファンにはよくわかりません。仙石線の宮城野原は「楽天イーグルス応援歌」がかかるそうで地方活性化に結構なことと思います。関東では小田原の「おさるのかごや」、平塚の「七夕祭り」、高田馬場の「鉄腕アトム」、メトロ銀座の「銀座カンカン娘」などを聞いたことがありますが、その後変わっているかもしれませんし、まだまだあると思います。大分豊後竹田の友人によりますと同駅では国鉄時代から「荒城の月」がかかっていたそうです。奈良の駅名研究家さんの研究とは少し異なるジャンルでちょっと聞いただけの駅のメロディーもいいなと思ったこともあり投稿してみました。検索すると駅メロディーファンも多そうです。本当はYou Tubeなど録音発信技術があればもっと研究して発表できるのですがそれができなくて残念に思っております。2021.7.6 福島駅▼

次に京王電鉄明大前駅京王線ホームの到着メロディーです。ここは駅名の如く明治大学校歌で上りは「白雲なびく」、下りは「オーオーメージ」です。他校のことになりますが、この曲も勇壮な感じで元気が出ます。内容は例えば下り特急高尾山口行きですと短いメロディーの後に「まもなく1番線に特急高尾山口行きが10両編成でまいります。黄色い点状ブロックの内側にお下がりください」と放送されます。列車頻度が高いのでメロディーは短いですが、各駅停車にも使われています。校歌のメロディーやメロディーそのものについてはいろいろあるかもしれませんがもう3年くらい続いています。初台にはオペラシティがあり、初台駅到着時には有名なオペラの曲がかかっていますが、オペラに疎くよくわかりません。古関裕而は「六甲おろし」も作曲しておりますが、阪神電鉄甲子園駅はかけていますか。昭和2~30年代にラジオで聞いた六甲おろしのメロディーは子供ごころにいいなと感じました。2022.10.8 明大前駅▼

こんなん走ってます

鉄道150周年記念とかであちこちでイベントが行われているようだが、高齢の趣味人間はそんなことに惑わされず我が道を行っているのではないか。しかし、山手線でこんな真っ黒な電車が動いているのをチラッと見て気になり2022.10.2御徒町ホーム先端に行くと既に人手が多く危なっかしい状況だったので反対側に廻って停車中の車両を撮った外回りクハE234-15がこれ。国電の元祖は甲武鉄道と聞くが、山手線も準元祖のようなもので、そこに陸蒸気の色に変装した235系が現れたのだろう。国電の大家河さんにご紹介しようと思いますが「ええ加減にせい!」とお叱りを受けそうなのでこの辺でやめときます。▼

 

 

 

 

 

 

お城と電車(10)高知城

日本の残存天守12カ所のうち四国には4カ所あり、高知城もその一つ。関ヶ原の合戦の功で土佐二十万石の大名となった山内一豊が築城。現存天守は延享4(1747)年に再築されたもの。桂浜に銅像が立つ坂本龍馬は長宗我部系の下級武士と聞く。

2007.8.26▼

はりまや橋付近と思われるあたりで土佐電最大両数の630形と城を入れてみた。▼

お城と電車(9)伊賀上野城

築城の名手藤堂高虎が大和郡山から移された筒井定次の城郭を大改修し豊臣打倒のため有名な高石垣や五層の天守をあげた。現在残る三層の天守は1935(昭和10)年に再建されたもの。伊賀は忍者のふるさと、松尾芭蕉ゆかりの地であり、荒木又右衛門の仇討ちでも知られている。2004.8.8撮影 ▼

2021.11.7 現役生と共に開催された伊賀鉄道乗車会で上野市駅を出発する203で手作りのポスターが左側に掲載されている。元東急で鉄研三田会の荻原さんにはお世話になりました。▼

さて、貸し切り列車を見送った後は西大手-新居間で105の伊賀上野行きを撮影。▼

 

 

 

 

お城と電車(8)福知山城

福知山は山陰、福知山線のジャンクションで昔は北丹鉄道も出ていた。大阪、京都から長い旅(少なくともC57やDF50が牽引するオハ61系客車の頃はそのように感じた)を終えて福知山に到着する寸前に右手の丘に見えてくる。織田軍の丹波・丹後の基地として明智光秀が築城した戦国期の城で天守は1961(昭和36)年に復興された。ここも石垣に石塔や墓石が使用された粗野な野面積みである。3年間在城した。光秀は3年間在城し、善政で福知山の人々に慕われたという。尚、近くの商店街のような所にC5856が保存されていたがまだあるのかその後確認はしていない。

2013.8.30 福知山に到着する新大阪発城崎改め城崎温泉行特急「こうのとり15号」クロ181-14。左側に微かに復興天守が見える。▼

 

 

 

 

お城と電車(7)小田原城

北条氏の小田原城である。ここは城の敷地が大きかったが、どこまであったはかはよくわからない。城は上杉謙信や武田信玄の猛攻に耐えたが付近の石垣山一夜城をつくった豊臣秀吉の大軍に攻められて開城。以降徳川譜代大名の居城として明治を迎えた。現在の城は1960(昭和35年)に建てられた復興天守である。

小田原はこれまで度々地震に襲われ現在の天守は4代目であるが北条氏の時代のものとは異なっている。小田原市は小田原城の他に箱根の関所や芦ノ湖、東海道小田原の宿場町、名物蒲鉾のみやげなど観光都市になっている。▼

以前は箱根登山鉄道の電車が小田原駅まで入っていたが、今は小田急の1000形4連である。登山鉄道の車庫が入生田にあるのでそこまでは三線式レールで登山電車が入出庫している。▼

お城と電車(6)大和郡山城

wakuhiroさんからご紹介のあった大和郡山城。近鉄橿原線に乗る度に気にしていた城である。近鉄郡山駅から九条駅に向かって5分も歩くと左手に石垣が現れる。天正8(1580)年筒井順慶が築城。豊臣秀長が街づくりを行いその後譜代大名が城主を務め明治を迎える。郡山は大坂、京都に近い重要拠点で大和国の政治、経済、文化の中心として繁栄した。城の敷地は相当なものであったと推察され、訪問した7月はひとまわ りするのに大汗をかいた。

石垣の間を走る京都行き特急。22600系▼

石垣は樹木が繁茂して少し分かり難い。電車は近鉄京都行き急行8619。▼

天守台で石垣は野面積みです。▼

お城と電車(5)大坂城

日本の三名城をご存知だろうか。バカにするなと言われそうだが大坂、名古屋、熊本が三名城である。江戸城や姫路城は該当しない。では大坂城は誰がつくったか? 現在見る大坂城天守は昭和6年に大林組がつくったものである。石山本願寺攻めの信長が本能寺の変で亡くなった後に、秀吉がつくったのが最初の大坂城と言われている。その秀吉の城も大坂夏・冬の陣で埋められてしまった。なお、秀吉の野面積み(石をあまり細工せずにつくった城郭初期のころに見られる粗野な石の積み方)の城は現天守とは少し離れた場所から発掘され確認されている。今日見ることのできる大坂城の立派な遺構は家光の時代のものである。

さて、大坂城はwakuhiroさんに紹介していただいたが、私が撮ったのは京阪電車の旧片町駅~天満橋駅間の辺りで大阪市電の京阪東口路線の最後の頃1968.4.30である。京阪電車はスーパーカーと思うが大阪市電は3001形か2601形か車両型式はよくわからない。何れにしても今は撮れない風景と思う。

大阪環状線には大阪城公園という駅があるからには、高いビルでも登れば大坂城を俯瞰できる場所があるのかもしれない。どなたかご存知のスポットがあれば教えていただきたい。

 

お城と電車(4)

有名な城であっても線路に近くないと本題にそぐわない。その点、山形城はそれほど有名ではないが、とにかく駅から15分も歩けば城郭の雰囲気を味わうことができ線路に近い。山形城は最上氏の居城で現在の城址は最上義光が拡張、整備したもの。その後、鳥居、保科氏ら譜代大名が城主として入れかわり明治に及んでいる。

山形-北山形間は山形新幹線、奥羽本線、仙山線、左沢線の車両が通過して行く。日本の多くの城は公園になっており桜の名所でもあるが山形城も霞城公園として例外ではない。桜関連は後日貼り付け予定。古い時代のC51、C57、DF50の時代はとても手が回らなかったが、現在は首都圏から日帰り圏になったので時々訪問している。


仙山線の快速山形行きE721系 2018.1.19 ▲

左沢線(フルーツライン)左沢行き後部キハ101-12 通常2両だがラッシュアワーに入り4両となる。2018.1.19▲

 

 

 

お城と電車(3)伏見桃山城

伏見城と伏見桃山城は違うらしい。伏見城は秀吉、家康の時代のもので焼失したり幾多の変遷があったが、今見ることができるのは伏見桃山城で全くの模擬天守である。伏見城は最初のものは指月山伏見城で、その後近くに再築されたものが木幡山伏見城と呼んで区別されている。木幡山伏見城もほどなく廃城となり、部材が二条城、淀城、そして前回の福山城に移築されている。城跡の主要部分は明治天皇の伏見桃山御陵となっており、模擬天守のある遊園地は近鉄グループが運営していた。

走る電車は近鉄京都線竹田-上鳥羽口間の京都行き急行で652+509+649の小型車3連である。撮影は1966.10.4でこの頃ここでは吊り掛け特急も見られた。▼

この界隈は京阪伏見桃山、桃山南口、近鉄桃山御陵前、JR桃山と桃山が多過ぎて不慣れな人間には迷いやすいのではないかと思うが、寄り道先の御香宮神社の近くには戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いか)の傷跡の残る建物も見られる。

お城と電車(2)福山城

福山駅の直ぐの所に徳川譜代大名の水野氏の五層の天守が建っている。築城は1622年で今年が400年記念になる。福山駅は明治24(1891)年山陽鉄道開通時に内堀を埋めて福山城の三の丸に建設されたもので天守が近いのも当然である。天守は昭和20(1945)年の空襲で焼失し昭和41(1966)年に再建されているが、戦災を免れた遺構として伏見城の移築伏見櫓、筋鉄御門が残っている。

福山駅へは昭和55(1980)年11月8日EF651114牽引の「あさかぜ」オハネ25198でまだ明けやらぬ早朝に到着。福塩線のクハ76を入れて撮影した。全金属の300番台である。▼

福塩線、瀬野八、呉線で撮影後の翌日9日にも同じ場所に行ってみた。その後この辺りは新幹線で通過したのみであるが、城のある風景は今でも同じ様に見ることができるのだろうか。▼

お城と電車(1)高松城

電車がお好きであった沖中忠順先輩の四十九日が行われたとの報に接しました。生前に親交のあった趣味仲間の方々も多数参列されましたが、私にとっても沖中さんは思い出の人となりました。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

さて、デジ青についていつも総本家青信号特派員さん、ぶんしゅう旅日記さん、米手作市さんなど長老の皆様ばかりに頼っていては申し訳ないのでこのあたりで投稿のほぼ最長老者になった私も下手な自主公演を始めたい。今回は「お城と電車」と題してこれ迄撮影した時にチラッと城や石垣が写っているもの等を発表していきたいと思う。過去にもデジ青でこのテーマが話題になったことはあるが、皆さんもコメントや参考写真などがあれば横槍を突いていただきたい。

第1回目は琴電高松築港駅~片原町間で見られる高松城である。ここはお城の石垣と堀がよく写り、琴電自身も動く鉄道博物館と言われて各地で活躍した兵(つわもの)が多く見られたので何度も訪問された方も多いと思う。高松城は玉藻城とも言われ藩主松平氏の時代が明治維新まで続いた。城跡は玉藻公園となっており天守跡も残っている。

ことでんこと高松琴平電鉄のターミナル高松築港駅は石垣が迫りくる迫力でこのような風景は他所ではなかなか見られない。停車中の電車は1255長尾行きと1209琴電琴平行きでどちらも元京急の2代目700形で18m級4扉車である。2017.7.25▼

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芦花恒春園

京王電鉄京王線に芦花公園という駅があるが、最近この近くにマルーンさんの娘さんご家族が来られたとお聞きした。芦花公園は京王電気軌道時代は上高井戸と称していたが付近に都立芦花恒春園ができたこともあり芦花公園と改称して現在に至っている。マルーンさんには一度案内したく、私自身も行ったことがなかったので恒春園を訪問してみた。ここは作家徳富蘆花の旧宅やお墓が残されており、一帯は武蔵野の面影を残す立派な公園である。徳富蘆花と言えば兄徳富蘇峰とともに同志社の歴史には必ずと言っていいほど出てくる人物で旧宅前の碑にも京都・同志社で学ぶとある。九州・水俣の出身の小説家で「不如帰」で有名であるが読んだことはない。現地へは結構距離があり、短足老人の私なら20分はかかる。恒春園の環状八号線(通称環八)を挟んで反対側には明大ラグビー部八幡山グラウンドがある。同志社のラグビー部は明大、慶大、立大(立命館ではなく立教大)と定期戦を行っており、弱くなった最近は行ったことがない。

井原実さんが阪急京都線の高架事業を紹介されていたが、京王線では現在東京都主体の笹塚-仙川間の連続立体化事業が進行中であり芦花公園駅もその対象である。今は春の陽気で空がかすんでいるが寒くて空気が乾燥する2月頃は富士山が眺められる。

芦花公園駅はカーブしており、通過列車がやたらに多いがホームからも富士山が見られる。

うまくいかずまた失敗しました。恒春園は1月18日、駅は3月7日です。

こいしの萌黄色の電車

世の中暗いニュースばかりで疲れ切っています。そういう時にどですかでんさんのスライドショー的表現に興味を持ちまして真似てみましたが失敗したので従来の方法で用意しました。

2009.9.27 河内堅上-三郷 クハ200-64 奈良行き▼

2013.5.8 河内堅上-三郷 クハ103-197 快速王寺行き▼

2016.8.12  宇治-黄檗 103系京都行き▼

2019.4.18  棚倉-玉水 クハ103-225  京都行き

 

 

関東小ネタ続編

小田急VSEの引退は皆さん思いのほか興味を持っておられて大ネタだったかもしれないが、今年最後は正真正銘の小ネタです。関東でも行く人が少なく名前も相模鉄道と間違われやすいJR相模線。茅ケ崎-橋本間を1時間かけて走る全線単線の鉄道で3月の改正で205系500番台がいよいよ退役となる。そして朝夕3本あった横浜線八王子乗り入れも廃止される。個人的には青春18で東海道方面に出かける時はいつも利用していた線である。12月27日に見たところ6割くらいがE131系500番台に置き換わっていた。わざわざ撮りに行く人もいないと思うが、過去の拙作を参考に貼り付けさせていただく。

2018.4.3原当麻-下溝 菜の花を見て走るち茅ケ崎行きクハ205-511▼

2021.10.29上溝-番田 相模線100周年記念マーク付き茅ケ崎行き クハ205-501▼

2021.12.27入谷-海老名 新型クハE130-503茅ケ崎行き▼