雑誌「ならら」の今月は鉄道のまち王寺を特集

龍田古道を特集した11月号を取り寄せてもらうつもりで本屋に行ったら12月号があり、王寺駅開業130周年の特集でこれも買いました。

ならら12月号

龍田古道についても連載2回目でルートとして古代の道と近代の鉄道のルートが同じであることが興味深く思いました。そして、今の王寺駅の写真はというと

王寺駅を発車した奈良行

奈良駅より乗降客が多い駅で、今でも交通の要所です。

通信機能付き携帯電子計算機での投稿は意外とお手軽にできるようです。

通信機能付携帯電子計算機で投稿してみました。

通信機能付電子計算機とは俗にスマホといいます。簡単に投稿できる方法がないかとあれやこれやと考えたところスマホはどうかとやってみました。

被爆電車広電650形

トミカの広電がスーパーで売っていたので買いました。写真がそのトミカです。

 

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南海貴志川線と天王寺駅の南海電車

 関三平さんの昭和の電車で南海貴志川線のことが投稿されていたのでコメントつもりでしたが投稿することにしました。貴志川線は高校生の時に鉄道友の会の見学会で訪れていたのです。その時の写真を少しばかり撮っていたので紹介いたします。この時は野上電鉄も訪れましたので海南にある日方には南海和歌山軌道線に乗って行ったようです。どのような順番で行ったのかわかりませんが、まずは和歌山軌道線の写真から

場所は和歌山駅前ののようです。古い和歌山市街の写真のあるサイトを見ているとわかりました。決め手は右側交差点の角にある紀陽銀行です。感じとして寒々としています。

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一週間前は雨だったのに、今日はいい天気 

 今日はいい天気だったので、ちょっと近くで。

 日本遺産になった龍田古道と亀の瀬、古代より重要な大和となにわを結ぶ交通路。 今は221系の電車が走り抜ける。

 写真の右側をかつては大阪鉄道の線路があったが地すべりで大和川の対岸に線路が付け替えられた。今でも右側の地中には地すべりで埋まってしまったトンネルがある。鉄道が開通する前は大和川を魚梁船(やなぶね)で物資を運んでいた。浅瀬のある亀の瀬では荷物を積み替えていたという。いまも電車の窓から、ちょっとした渓流になっているのが見られる。大阪天王寺から20分足らずでちょっとした旅行気分になるところである。

今日は雨だった。それでも行ったよ!信貴山へ

 3月末に近鉄線ツアーを実施する予定であったがコロナ禍で中止となりました。やっと何とかみんなで何かできるようになりました。ところで、うまい具合に近鉄のお得やん切符「近鉄1dayおでかけきっぷ」があり、これを利用して何かすることになったのです 。さて、どうするものかと考えたところ、米手さん投稿の「昭和の電車 近鉄6200系」のコメントに元信貴山電鉄のデ5形がでてきました。そうだ!信貴山に行こう。廃線跡も、東ケーブルの保存車両も見ることができるし、西ケーブルにも乗れるのだ!ということで、久しぶりにみんなと電車に乗ったりして遊ぶことができる事になったのです。ところが、今度は「天は我々を見棄てたのか!」数日前からの天気予報によると雨が降るような怪しい天気のようです。こんな時はあたらない方がよいのですが、残念ながら大当たり。それでもめげずに信貴山へ。

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コニカはコニカで信貴電 いいと思うよ!

 フィルムを手巻きをするカメラが4台ある。一番古いのは「KONICAⅡ」である。このカメラは1951年に発売したカメラで、私の生まれたのが1951年である。当時はかなり高価なカメラであったようである。それを知ったのは富山で単身赴任中に福岡町にある「ミュゼふくおかカメラ館」に展示されていてその説明文に書かれていた。どのようないきさつで購入したのか全く聞いていない。今となっては謎である。

 上の写真にある左側が「KONICAⅡ」で右側が「ペンタックSP」である。今回復活したのは「ペンタックSP」の左隣の「コニカC35フラッシュマチック」である。使えるのだろうか?裏ブタを開けてみるとスポンジのようなものがボロボロになっていた。

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忘れられた下津井電鉄のモノクロネガ

 古いネガを調べていたら、見覚えのない下津井電鉄を写したモノクロネガがでてきた。どうもなぜか自分が撮った感じがしない。見つけてからそのままにしていたのであるが米手さんの「昭和の電車」で下津井電鉄モハ50型を見て、もう一度よく見てみた。最初に見た時はオヤジが撮ったと思ったのであるがどうもよくわからなかった。自分が撮ったのか、オヤジが撮ったのか、ようわからん。しかし、自分の写真とは作風が違うような気がするのであるが・・・

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最近は鉄道写真を撮っていないとお嘆きの貴兄につたない鉄道写真を贈ります

 題名はどこかで聞いた事のあるような、ないような。まあ、それは考えてもらうことにして、新型コロナウイルスがアッという間に地球に棲みついてしまった。それで気持ち的に右往左往、しかし身体的に右往左往は限られた範囲でしかできない。wakuhiroさんと同じく近所を時々カメラを持ってブラブラ。いくところは町内にだけに限っているのであるが、いろいろなルートを歩くので以外に知らない所がある。永六輔さんが言っていた。今まで曲がったことのない横丁を曲がって歩くだけでそれは旅になるのだと。

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45年前のゴールデンウイークのこと

 準特急さんの「最後のころの旧型客車」にあったEF57牽引の津軽の写真を見て思い出したのが45年前の1975年のゴールデンウイーク。勤め人になっての最初の連休なのでK君が東北の私鉄めぐりを・・・ということで上野発の夜行列車に乗ることになったのである。ところが予定していた列車はえらい混んでたので臨時の夜行急行津軽に乗ることになった。やって来た臨時夜行急行津軽を引っぱっていたのは・・・

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ラジオドラマになった「阪堺電車177号の追憶」

 阪堺電車177号を主人公にした小説、「阪堺電車177号の追憶」がラジオドラマとして4月6日からNHKーFM「青春アドベンチャー」の枠で放送されています。時間は午後9時15分から午後9時30分です。第1話から第10話まであり、来週の月曜日から金曜日で第6話から第10話までが放送されます。すでに第5話までは終了しましたが、NHKの「らじる★らじる」で聞き逃しで聞くことができます。第1話は4月14日(火)午後0:00で配信終了となります。本をすでに読まれた方もおられると思いますが、ラジオドラマもいいもんです。子供の頃は「赤胴鈴之助」やアチャコさん、浪花千恵子さんが出演していた「お父さんはお人好し」などをよく聞いていました。テレビはなく、ラジオしかなかったのですから、しかたないですね。177号ではありませんが、172号が恵美須町駅に到着する写真を載せておきます。

 

wakuhiroさんほんまに今年の桜は長持ちしていますね。

 家から歩いて40分ほどのところで撮りました。今の時期は歩いて行けるところで撮ることが多くなりましたが近くでもちょっとアングルを変えたり、新しい発見があってこれも楽しいものです。

実に場所としてはつまらんところですが

こんな感じになりました。

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信貴電をゆく 信貴山下駅と勢野北口駅辺り

 信貴電(近鉄生駒線)については2015年10月31日の「信貴電と柿」を投稿してから5年あまりになりました。近頃は新型コロナウイルスのおかげでクローバー会の行事が延期のなったりとかで気持ちがもんもんとして、どうも具合が悪いようです。どうしたもんかと思っていたら、総本家青信号特派員さんの「こんな時こそ 元気に活動したい・・・・」 と題した投稿を見て、それではと近場にある信貴電を久しぶりにカメラを持ってぶらぶらと・・・

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遠江に消えた鉄路・・・いま、それは  光明電鉄の巻

 ホームとトンネル跡だけで話は簡単に済むと思っていたのだが・・・昨年の10月31日から始めたのであるがなかなか奥が深くて長くかかってしまった。

 昨年の東西会員交流旅行は天浜線、かつての国鉄二俣線である。なかなか行くことができなかった路線である。東海道本線との接続がとにかく悪いのである。これは今でも同じで東京へ行くときに乗ろうとして考えてみたがうまくいかない。今回も早く出発して新所原から集合場所の西鹿島に行こうとした。残念!接続が悪くてダメ!結局のところ、浜松から遠鉄でということになった。

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こころ旅 萩 玉江浦

 「こころ旅」という番組は鉄道に因んだ内容であることが時々ある。とうちゃこの所が駅であったり、お父さんが機関士でその思い出であったり、自転車で走っている道が廃線跡あったりとか。2019年秋の旅も山口県に入った。山口県最初の訪問地は萩市玉江浦であった。ふと考えてみると、ここはO君と行ったところである。番組では鉄道がでてこない。番組に出てくるのは弁天様と浜辺である。しかし、私にとってはO君と汽車の写真を撮った地である。そこは玉江駅であり、海の見える山陰線、懐かしい田舎の風景であった。

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マルーンさん何とも言えない侘しい笹部駅ですよ。おまけつき

 頃は昭和46年、西暦では1971年11月16日。EVE(同志社の学園祭)で能勢電をフォトルポで展示しようということになって、何回かにかけて撮影行。朝早くに阪急との乗換をするラッシュの駅風景を撮ったりしたのであった。その中で無人駅の笹部駅はマルーンさんが言われるように信じられないような無人駅。撮った写真の内で選んだ3枚を・・・

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