「窓から写した駅・列車-3-」に寄せて

特派員氏ならではの このシリーズを楽しく拝見しています。その3で呉線風早駅での交換風景が紹介されました。キハ17系とC6216牽く客レの交換です。撮影は昭和43年3月ということですので、現在の風早駅はどうなっているだろうかと 46年後の様子を見に行ってきました。

H26-3-19 呉線風早駅

H26-3-19 呉線風早駅  駅名標の位置は変わっている?

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現役DRFC号は高き目標に向かって走行中です!

2014年も早2か月と少しが過ぎました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

さて、現役鉄道同好会では1月に新体制が発足いたしました。なんといっても今回の注目すべきは、DRFC史上初の女性会長が誕生したことでしょう(内山会長(新 経済3))。専門分野は駅スタンプ押し。「“の”の字を描くように力を入れるときれいにスタンプが押せますよ。」とのアドバイスは今も私の心に残っています。たかが駅スタンプと思ったら大間違いで、なかなか奥深い分野なのです。

さて、新会長が駅スタンプ好きという縁もあり、この度、同志社大学鉄道同好会はモバイル鉄道スタンプラリーekiShさまとコラボ企画を行うことになりました。ekiShとはモバイル用アプリで、GPS機能付きのケータイ・スマートフォンを携え、駅に赴き位置情報を送ると、その駅のスタンプをモバイル上で集められるという仕組みになっています。ekiSh・コラボ企画の内容について、詳しくは以下のホームページをご覧ください。
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雪融けを待つ木次線

国鉄時代には考えられなかった冬季運休路線にJR木次線があります。北海道の深名線など あまりの積雪で除雪ができず、何日間か やむを得ず運休するという話はままありましたが、冬は運休するのが常態化しているのは 現在の地方閑散線区の置かれた環境を示しているように思います。スイッチバックで有名な出雲坂根をサミットとする備後落合-出雲横田間は昨年末から冬季運休していましたが、雪融けを待って3月22日から運行再開するそうです。

平成26年3月13日 中国新聞朝刊

平成26年3月13日 中国新聞朝刊

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鉄道展〈東北を旅して〉その6 開催中

佐竹保雄さんの鉄道展〈東北を旅して〉その6「3・11東北を忘れない」が、いま開かれています。会場は前回と同じ「ひと・まち交流館 京都」、1階展示室には、テーマ別の関連する写真・資料・グッズがところ狭しと展示されています。

クローバー会では、「個人のイベントにも、協力を行う」ルールのもと、会員応募の写真展を行ったほか、設営、受付、撤収時には、有志が協力して会場に詰めています。syP1020456

震災当日の3月11日には、“祈念の集い”も開かれ、多くの参加者が黙祷のあと、ギター演奏、そして、参加者が、3年を迎えた東北への思いを語り合いました。終盤を迎えた展示は、つぎの16日(日)まで。皆さんのご来場、お待ちしています。

 

今年の展示は、圧倒的な写真展示が見もの。週末はぜひ「ひと・まち交流館 京都」へ。

syP1020479クローバー会では、個人イベントへの協力の一環として、「東北の鉄道いま・むかし」と題した写真展を開催し20点を出品。また、故・天野克正さんの遺作、珠玉のモノクロ写真約50点を一挙に掲載している。

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火事や!火事や!十三駅のそばが燃えた!

昔の十三駅前

3月7日朝6時すぎ、阪急電鉄の十三駅神戸線側の駅前で火災が発生した。36店1500平方米が焼失し、NHK夜の全国ニュースでトップで放送された。添付の古地図の神戸行きプラットホームと夜店通りの間にある安西呉服のあたりが焼け落ちた。夜店通りはションベン横丁と言われたとこで、火事の一報もトイレから火が出てるとのことで皮肉なものだ。十三は阪急電車の扇の要をなす駅で、大騒ぎとなり朝のラッシュと重なるも駅西口は閉鎖となりごったがえした。煙が吹き付けるなか列車の運行は続けられたが、一時は神戸線の列車は通過となった。一角は大阪でも残り少ない戦後の香りが残る飲み屋街である。十三で飲んだ方も多いだろうが、十三のねぇちゃんや十三ミュージックを思い出す方もおられるはず。十三駅は1963年発行の同志社大学鉄道同会の機関誌「青信号」の13号の表紙を飾ろうとしたが、駅はあかんと京阪電車石坂線13号にとって代わったという思い出がある。通信員二回生のときで手を取り足を取りお金は取られなかったが、先輩方々に機関誌づくりを強要されたものである。

古地図は今里あんやきと記される十三焼餅の案内にあったもので、いつの頃の地図か解らないが1921年大正10年に北大阪電鉄として十三~千里山で開通した北大阪電鉄の終点だったことは解る。その後1959年昭和34年に線路は梅田まで延ばされ、楽しい三複線となっている。

 

 

三井芦別C58-2のプレート色

引き続き、以前の問い合わせに対しての回答です。

かつて三井芦別鉄道で走っていたC58-2は、現在、旭川近郊の旅館に保存されているそうですが、保存先の親戚の方からの問い合わせコメントが本掲示板にあり、C58-2のナンバープレートの色について、昔から気になって問い合わされていました。同機を購入・保存された方は、すでに他界されており、保存当時のことが分からず、真相は謎のままと記されていました。

私も三井芦別鉄道へ一度だけ行っており、確かカラーも撮っていたはずと、探しますと、確かにカラーが2枚だけありました。C58-2のナンバープレートは赤でした。

58-2-3_1[1]ネット先から拝借した現在のC58-2は、ご覧のようなもので、確かにナンバープレートの地色は、剥げ落ちて元の色が判然としない状態ですが、ハイフン入りのナンバープレートは貴重です。保存されているのは、温泉旅館の大広間という、異色の場所です。最近、元プロ野球選手が日本の全保存蒸機を写した本を出版していますが、それによると蒸機の保存総数は600両余りとか。旅館の大広間に鎮座する例は、おそらくここだけでしょう。C58-2を酒の肴に宴会もオツなものかもしれません。

syIMG_0013赤ナンバーの三井芦別C58-2、自社発注機のC58で、1、2の2両が在籍した。給水温め器がないのが最大の特徴。(頼城にて、昭和44年9月)

syIMG_0012DC列車もカラーで紹介。根室本線と平行しながら芦別を発車した頼城行きのキハ103+キハ101、キハ100形キハ101~103の3両あり、昭和33年製造の湘南タイプの気動車。鉄道廃止後、3両とも関東鉄道鉾田線に転じた。塗装は、かつて阪和線のスカ形に塗られた、国鉄色名で言う緑1号に酷似している。一般に言う青緑色で、この色はありそうで、なかなか無い色だった。

 

ミキ180-101残っていました

平成20年4月1日に廃止された三木鉄道は厄神ー三木間6.6Kmの日本一短い鉄道として有名でした。第三セクターとしての開業時には富士重工製の2軸レールバス(LE-Car)ミキ180型2両がいましたが、その後ミキ300型の増備により、180-102が平成11年に、180-101も平成14年に廃車されました。180-101はなぜか加西市のラーメン店に引き取られたのですが、その後同店は店じまいしてしまい、廃車体だけが敷地内に残っているという情報がありました。このたびクルマで上洛する際に少し寄り道をして同地を訪ねてみました。廃車から10年以上が経過し、つぶれた店の付属物だということで消滅していても仕方ないと思いつつ行ってみたところ、しっかり残っていました。

2014_02_24_9_25-1 続きを読む

「江若鉄道の思い出」展

来年の話になりますが、大津市歴史博物館の企画展で江若鉄道が取り上げられます。

前回、平成18年7月~9月にかけて「ありし日の江若鉄道-大津、湖西をむすぶ鉄路―」として企画展が行なわれました。この時は聞くところによると、歴史博物館の企画展で過去最高の入場者数を記録したそうです。その好評に答えてか、詳しい内容についてはまだ公表されていませんが、来年3月7日(土)~4月12日(日)までの間、第66回企画展「江若鉄道の思い出」と題して、当時の写真、思い出話など様々な資料が紹介されるようです。img304

江若鉄道のイベントと言えば、忘れてはならないのが、西村先輩が2年にわたって製作され、浜大津スカイプラザと、大津市公会堂で計3回展示された、江若鉄道沿線と浜大津付近のジオラマ、今回も会場で見られることを楽しみにしています。詳しい内容分かりましたらまた続報させて頂きます。まずは御一報。

梅小路公園便り その訂正と補追

先日「梅小路公園便り」として、整備が進む梅小路公園の現況と、いよいよ姿を現した保存市電の勇姿を投稿致しました。
この件に関して、久しぶりの大雪に見舞われた午後、交通局からわざわざお二人の方がお出で下さり意見を交換致しました。 続きを読む

梅小路公園便り

以前に旧京都市電の保存車両が、梅小路公園内に展示されると報告しましたが、先日、補修が完了したようで無事公園内に設置されました。
また、同時に当欄も含めて京都市交通局と“やりあった”N電は、動力バッテリー化が完成し展示運転用線路も敷かれて試運転を迎えるのみとなっています。

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

800型の中でも後期増備型で形は900型に近い

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乙訓の老人とびわこ号

本日2014年2月5日(水曜日)、朝日新聞夕刊2面、「まだまだ勝手に関西遺産」の頁に、
『京阪びわこ号』の記事が、勿論、乙訓の老人の名前と薀蓄と共に掲載されていましたので、ここに紹介します。
402053
拡大してお読みください。
①画像をクリックして拡大表示する方法と、
この文字列をクリックして拡大表示する方法の、二通りがあります。

広電1000型増備

すでに2編成が横川や白島に乗入れている1000型が来月から3編成増えて5編成となり、従来ラッシュ時しか走っていなかった比治山線での撮影も楽になります。この増備は2013年度分で 今年度も更に3編成増やす計画だそうです。当然ながら旧型車の淘汰も進むと思われます。1月28日付け中国新聞の記事をご紹介します。

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2013-7-17 1001号江波に到着

2013-7-17 1001号江波に到着

大井川の女王様、来年2月に引退

大井川鉄道の元京阪電車3000系の引退が2014年2月だそうです。その引退ツアーが2014年1月18,26日、2月8,9日の計4日間開催され、この12月25日より予約受付が始まります。同時に記念切符も発売される予定です。

1997年5月に転入。以来18年間、営団地下鉄の台車に履き替えて、大井川沿いを行き来しました。他の転入車元近鉄・元南海車両と異なり、鮮やかなツートンカラーがお茶畑や川面によくマッチしており、SLかわねじ号に交じり、好い撮影対象でした。近年運転途中に故障を起こしたり、車庫に眠る機会が多かったようでしたが、誠に残念です。

大井川鉄道『京阪3000系引退ツアー』のホームページはこちらからご覧になれます。

阪急「西山天王山」まもなく開業

ちょっと目先を変えて、地元ネタを。

来たる12月21日(土)、阪急京都線長岡天神~大山崎間に、新駅「西山天王山」が開業する。同時に京都線ではダイヤ改正、阪急4駅の駅名改称も行われる。新駅は長岡京市内にあり、市にとっては80年ぶりの駅新設だそうな。

長岡天神~大山崎間は、阪急のなかで駅間距離の長いところで、だいぶ以前から駅設置が要望されていた。昭和40年代前半に、新駅よりも少し南に多くの団地ができて、当初の構想では、この団地付近の大山崎町内となっていた。団地名を採って、仮称「円明寺駅」と呼ばれていた。その後、京都縦貫自動車道の具体化にともない、高速道路直下に駅を設置することになり、仮称「南長岡駅」として進展することになった。京都縦貫自動車道はかなり以前から計画されており、用地も取得済みで、駅も含めた建設工事は比較的、短期間で出来上がっていった。駅名も、昨年春に、最近流行の合成駅名の「西山天王山」とアナウンスされた。新駅は、準急・普通のみの停車で、日中10分ヘッド、一日の乗降客数7800人の予想とか。

131217_11sy昨日、運動がてら歩いて現地へ行ってみた。京都縦貫自動車道の直下にできた「西山天王山駅」。開業まであと4日、まだ仕上げの工事が続いていた。この場所には、かつて遊休地の活用策としてプールが営業していた。もう20数年前になくなってしまったが、私も子どもを連れて何回か行ったことがある。すべり台の上からは、すぐ横を行く阪急電車がよく見えたものだ。 

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -6-

今出川通に沿って

今出川線の市電は、烏丸線に遅れること2年、昭和51年3月に廃止された。南に京都御苑、北に同志社と、緑豊かで絵になるところだった。京都市電がよく似合っていた。37年後の今も、市電がいないだけで、その風景は変わっていない。

▲EVE 中林0022【19】西行きの「同志社前」電停に停車する15系統500形。「急行通過」の表示が見えるが、平日の朝、乗降数の少ない停留所をすべての市電が通過するもので、若干の速度向上に寄与した。(昭和40年 撮影/中林英信)

500形の元気な姿や、人々の服装や様子がよく伝わって来る、50年近く前の「同志社前」。それにも増して、カラーの保存状態もよく、当時がよく再現されている。

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -5-

烏丸上立売

烏丸上立売にも電停があったことを現役会員に言うと、驚いていた。確かに、市電廃止後の代替バスにも烏丸上立売バス停はあったものの、地下鉄開業後はそれもなくなり、もう30年以上も「烏丸上立売」は存在しない。現在、烏丸今出川~烏丸車庫前(現・北大路駅前)は、市電外郭線内の廃止路線で唯一市バスの走らない区間である。京都バスは走っているものの、烏丸今出川のつぎは、烏丸中学前である。

・EVE 福田IMG0038sy【17】烏丸線には「烏丸上立売」の電停もあった。右の建物は、当時の学生会館(大学側は大学会館と呼んでいた)で、現在の寒梅館の建つ位置である。 (昭和49年 撮影/福田静二)

131130_019sy当時の学生会館は学生のための厚生施設で、食堂や書店があったが、学友会本部もあり、大学闘争の拠点ともなっていた。学友会本部は、落書きだらけ、ゴミ屋敷同然の鬼気迫るところで、近づき難かった。現在は寒梅館が建って、すっかりしゃれた雰囲気に変わったが、手前の店2軒が、外観もほぼそのままで今も健在なのが面白い。

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -4-

烏丸今出川電停付近

西門を出ると、そこは烏丸線の南行き、北行きの停留所があった。今回はその周辺を。

・EVE 小西149041sy【13】烏丸今出川の北行き停留所の15系統900形。安全地帯は北行き・南行きともに交差点の北側にあり、そのまま路上横断してキャンパスへ行く学生が多かった。この時代でも、学生服の姿が見えた。(昭和45年 撮影/小西啓文)

131130_024sy今出川キャンパスの再整備に合わせて西門も新しくなり、周囲は開放的な雰囲気にはなったが、やはり以前の門構えのほうが大学らしくて好きだった。「薩摩藩邸跡」の石碑も少し移転した。

 

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -3-

烏丸今出川をめぐる(2)

・EVE 西村0021【9】昭和48年に開館した図書館を背後に見て、烏丸今出川の交差点を左折し、今出川通に入る15系統。車輌は600形を連結市電用に改造した2600形だが、この頃は、単行ワンマンカーで使用されていた。(昭和49年 撮影/西村雅幸)

131130_030sysy交差点西南角から撮られた写真で、前回の写真【7】と同じ角度から撮られている。現況と比べても、背後の図書館には全く変化がなく、この角度だけ切り取ると、40年も経過しているとは思えないほどである。

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EVE展示から「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」 -2-

(投稿がなぜか消えてしまいましたので復元して再掲載しました。ただし、コメントは復元していませんので、ご了解お願いいたします。)

烏丸今出川をめぐる

烏丸今出川交差点の四隅からは、さすがに多くの写真が撮られている。さまざまな角度から見ていこう。(黒字は展示キャプション、青字は補足)

EVE 小西001131sy【3】雪の烏丸今出川を曲がる臨系統の500形。右側に見える小さな瓦屋根の建物は、もと交番。大学紛争時代には何度も焼き討ちにあった。現在の地下鉄への出入り口に当たる。(昭和44年 撮影/小西啓文)

131130_033sy最古参の500形が両方向の交通を遮断して、ゆっくり左折するのは、“古豪のお通り”と言う感じで堂々としていた。カラーは、烏丸今出川南東角から見た現況で、交差点を囲んでいた大学の土塀も、新しいものになっている。交番の跡に、地下鉄への出入り口が造られた。

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