富山地方鉄道の元京阪3000型

どですかでん様  西村様
私も先月(5月12日)電鉄富山駅で京阪特急色の元京阪3000型を見ましたが、4月27日からの運行とは知りませんでした。主に路面電車を写していましたので鉄道線はあまり見ておらず、たまたま駅で写した中に一枚ありました。やはり見慣れた色はいいですね。次回はきれいな景色の中で撮りたいと思います。
15時少し前駅に行くと ちょうど休日のみ特別仕様に改装したサハ112を挟んだ アルプスエキスプレス(元西武特急車レッドアロー) 16013+112+16014の編成が宇奈月温泉から到着するところでした。(平日は 16013+16014の2両編成だそうです)


朝8:55発で立山まで普通電車で往復し11:05電鉄富山到着 折り返しは12:14発 特急うなづき5号で宇奈月温泉へ、折り返し14:56着の特急うなづき10号で電鉄富山に戻り、その後普通電車で立山往復の運用のようでした。


レッドアローいやアルプスエキスプレス到着です。
ホームには 3本の元京阪3000型が待っていて 東西の元特急車4本並びです。


はとマークがきれいです。

いかつい顔のレッドアロー号と、優しい顔つきの京阪3000の並びです。


その後 右の10041+10042の編成に乗車して南富山へ向かいました。


モハ11042の車内です。なつかしい京阪特急ですね。
市内軌道線、富山ライトレール、万葉線も行ってきましたので 連節車(連節車)を中心に紹介させていただきたいと思っています。
犬伏

富山の京阪特急に寄せて

どですかでん様 やはり3000は黄色と赤がお似合いですネ。昨年秋に訪問したときの写真を見ながら、現在の地鉄の塗り分けの黄色と薄緑が同系統の色なので軽い感じがするのか、あるいは貫通扉両サイドの凹型塗り分けがモッサリ感を与えるのか なぜだろうと思案しています。 いずれにせよハトマークと赤黄がベストです。雪景色にもより映えると思います。今年の秋の浜大津イベントの際に再訪し、昨年行かなかった立山線に行ってみようかナ。

富山地鉄にあの懐かしい京阪特急が

今日、子供が帰ってきて、富山に行ってきてこんな写真を撮ってきたと見せてくれました。それが左の写真です。携帯のカメラで撮影したものですのであまり鮮明でありませんが、これを見てびっくりしました。すでにご存知の方がおられるかもしれませんがとりあえず報告まで。

いつから、どうなったか富山地鉄のホームページで調べましたがわからなかったので、「富山地鉄京阪特急」で検索すると、北日本新聞の記事に出ていました。これによると4月27日から運行していて、8編成のうち1編成を京阪オリジナルカラーにしたとありました。写真にあるようにハトのマークが付いています。記事には地元の富山レールクラブの会長さんも「鉄道ファンの間では、黄色と赤の”京阪色”が車体にマッチすると話題になっていた。本来の色に戻った車両を今後撮影したい」と言われています。また富山地鉄の人も「富山でぜひ乗ってほしい」といわれています。私も富山にいましたので美しい富山の風景のなかを走る京阪特急はすばらしいものと思います。西武のレッドアローの観光列車やなかなか話題の多い富山地鉄です。また、楽しみが増えました。

横浜線の183系修学旅行臨時列車

横浜でも田植えの季節となりました。この時期毎年神奈川地区から日光への修学旅行臨時列車が運転されます。地元の横浜線でも本日から田町の183(189)系で運転を始めました。本日の編成は田町のH81編成(クハ189とモハ183,182の8連)でした。田町から新宿、八王子経由で小机7:31着で折り返し8:08発で日光へ向かいました。(八王子、武蔵野線経由大宮、宇都宮、日光とのことです。)

眠そうな曇り空の183(189)系8連、横浜線ではめったに見られない国鉄特急色です。小机行きの回送です。(十日市場 中山間)

折り返し 日光へと向かう列車です。先頭はクハ189-10です。(鴨居 中山間)

日光行きの少し前に来た 田町の185系 松本行特急「はまかいじ」です。(中山 鴨居間)

いつもお世話になっている 205系です。(中山 鴨居間)

修学旅行列車といえば昔は専用車があり我々の年代ではお世話になった方も多いのではないかと思います。155系、159系、167系、キハ58-800 28-800などがありました。今でも「こまどり」クハ159-4に名古屋から乗った時のことはよく覚えています。
ハマ線の205系も置き換えが発表され、田町の183(189)系、185系もいつまで見られるか 日常の電車の写真を普通に写していきたいと思っています。犬伏

佐竹さん、三たび“東北を旅して”写真展

我らが人間国宝、佐竹さんが、3回目となる、東北の鉄道の写真展を開催されている。
    佐竹保雄の鉄道写真展 ”東北を旅して”
    6月2日(土)~30日(土)(月曜日休廊)
    集酉楽サカタニ2階喫茶ギャラリー(京阪七条駅東)
昨年来、東北の鉄道の復興を願って、各所で写真展を中心としたイベントを開催されてきた佐竹さん、今回は、前回展示に加えて、未発表の作品も加えた、約30点を展示されている。聞くところによると、昭和29年に初めて東北を訪問以来、昭和49年に撮影を止めるまで、実に46回も東北へ行かれたそうだ。とても凡人には真似のできない、その厚みだ。
本日は、TUYANとともに、飾り付けの手伝いをしたが、佐竹さんはその準備で前日は徹夜されたそうだ。決して無理されないよう、今後のますますのご活動を願いながら、観覧したいものだ。

東北でいちばんのお気に入りは五能線とのこと。手前はりんご畑の中を行くハチロク。海岸では、一夜干しのスルメをかじりながら撮影されたそうだ。

本日の特急「あけぼの」金帯車

本日(5月8日)朝上野に到着した特急「あけぼの」の客車は全車両が金帯の車両となっていました。連休前の4月26日上野に到着の列車から続いています。昨年は7月末から8月末まで1編成が全車両金帯でしたが 年間を通すとほとんどの場合白帯車が混ざっています。本日の編成は次の通りです。
EF64 1053 オハネフ25 202 オハネ25 220 オハネ25 152 オハネフ25 121 オハネ24 554 オハネ24 551 スロネ24 553 オハネフ25 117 カニ24 112  (青森方)
なおもう1本の編成は白帯車が5両混ざっていました。昨日5月7日上野到着の編成は次の通りです。
EF64 1052 オハネフ25 125 オハネ24 49(白) オハネ24 20(白) オハネフ24 2(白) オハネ24 555 オハネ24 552 スロネ24 552 オハネフ24 15(白) カニ24 23(白)  (青森方)  
基地の青森で一両単位での編成替えがありますので いつまで金帯編成が続くかはわかりませんが きれいな編成での写真は今のうちかと思います。

上野7:13発で尾久へ回送される本日の「あけぼの」です。

本日の183系 185系

足利フラワーパークの藤の花も満開だそうです。毎年この連休に各地から臨時電車が運転されています。その中で平日にも運転されるのは少なく 上野8:04発の全車指定席の快速「足利藤まつり号」は5月1日2日も運転されましたので通勤途中で写してきました。
大宮所属のOM103編成183系6連です。

OM103 (クハ182-102 モハ182-1054 モハ183-1054 モハ182-1032 モハ183-1032 クハ183-1527)
きれいな国鉄標準色ですが上野界隈で見られるのはもうわずかでしょうか?(鴬谷にて)

次は上野1840発のホームライナー鴻巣3号 185系(157系色)OM08です。帰宅途中の鴬谷です。
明日からは特急「草津83,84号」に運用されますので昨日、本日と夕方の軽い運用に入っていました。本日夕方から雨が強くなり明日も雨予報ですが、その後は良い天気のようですのできれいな写真が期待されます。

大宮の185系はあと1編成クラシックカラーになるようですが、近いうちに別の系列に置き換えになるようで間もなく見納めになりそうです。また183系の波動用も置き換えられるようですので来年はもうこれらの写真は撮れそうにありません。
ほぼ毎日のように見ていた185系は何となく愛着があり残念です。

開催中! 坂本ケーブルで江若復元模型を展示

見る者を感動の渦に巻き込んだ江若鉄道の復元模型運転会から半年、製作された西村さんは、新たに浜大津駅周辺の復元に意欲を燃やされていることは掲示板報告にあるとおりですが、昨年の復元模型に新たなオファーがあり、現在、滋賀・坂本側から比叡山に登る坂本ケーブルの山上駅、延暦寺駅2階ホールで展示されています。
写真のような坂本ケーブルの「85年のあゆみ写真パネル展」の一環として、昨年展示の江若鉄道の三井寺下駅・車庫のジオラマが展示されています。
同駅は、登録文化財に指定された由緒ある建物、また、坂本ケーブルは日本最長のケーブルとして有名で、見どころいっぱいのケーブルに、期間限定の新たな見どころが加わりました。
延暦寺駅へのアクセスの切符は、3000円と少々高めですが、「比叡山横断チケット」がお奨め。京阪各駅から坂本・叡山両ケーブルに乗って、京都側へ降りて、叡電・京阪で帰ることができます。
もっと安くに行きたい向きには、私も先日実行したのですが、叡電修学院からの登山道”きらら坂”から比叡山を目指せば、約3時間で踏破することができます。
会期は5月6日(日)まで、連休後半の一日は、ぜひケーブル延暦寺駅へ。

ケーブル建設同時の貴重な写真も展示

準特急さんの企画、発刊さる!

レイル(THE rail) No.82 株式会社エリエイ/プレスアイゼンバーン発行 

DRFC OB会員、準特急さんの企画による『武庫川をめぐる鉄道風景』が421日発刊されました。準特急さんが、少年時代を過ごした思い出の武庫川には、戦前・戦後を通じてたくさんの鉄道が関係します。 

写真と記事は、阪神電車武庫川に始まり、阪神国道線、東海道線、阪急神戸線、阪急今津線、福知山線等々。t殊に福知山線は旧線・新線の両面から、そして旧線跡探報記事もあります。誌の一部を写真で紹介します。

誌は懐かしい場面の数々を、カラー・モノクロで表現した大判の写真集です。地元兵庫県民には特に懐かしく、思い出の場面にたくさん出会いました。DRFC OB会員のtsurukame 氏も写真提供に協力されています。
デジタル青信号の読者もこぞって購読されますことをお勧めいたします。 

最後の113系阪和色

4月に入って桜も咲き出したというのに、雑務に追われて、外出もままならない状態が続いています。ただ唯一は、先日行われた113系阪和色ラストランの撮影に、山科・乙訓の両老人から賜った18きっぷを使って行ったぐらい。そんな折、準特急さんからは、ぜひ発表せよとの拝命を受けました。背中を押されないと、なかなか行動へ移せない身だけに、ありがたい好機ととらえ報告することにします。
日根野電車区の113系は、永らく阪和線・紀勢本線に充当されていましたが、223系、近年は225系の増備で活躍の場が狭まり、昨年12月に定期運用からは離脱しています。他区への転属を機に、日本旅行主催のツアー専用貸切列車「ありがとう113系阪和色」が3月31日、4月1日の両日、天王寺~周参見間に運転されました。昭和47年の阪和線の新快速設定時に制定された阪和色と言われる、ブルーとアイボリーの塗色車両が記念のラストランを飾りました。
   ▲「ありがとう113系阪和色」は、2日間とも朝に天王寺を出て周参見へ行き、晩に天王寺に戻る1往復のスジで運転された。3月31日はドシャ降りの雨、4月1日も寝過ごして朝は行けず、夕方の戻りだけの撮影となった。できるだけ陽の高い時間帯に撮りたいので、117系の紀勢本線列車に乗って南下を続ける。駅間を歩く気力はなく、結局、乗った電車の終点、御坊まで来てしまった。駅員に聞くと、まもなく列車が来ると言う。選択肢もないまま、ホームの先端へ小走りに移動する。幸い、陽が山側から射して”バリ順”だ。わずかに咲いた桜をかすめるように、クハ111-5262を先頭にする阪和色が入線してきた。   ▲今回の改正で、阪和線・紀勢本線に多くの225系が進出してきた。御坊でも225系の精悍なマスクが見られるとは時代も進化したものだ。ちょうど、左の先頭クハ225-5023は、今回の増備車のようで車内はピカピカ、車内の仕切りには、グッドデザインのプレートが掲げられていた。いっぽうの113系の停車時間は1分30秒、反対のホーム先端まで走り、発車をとらえた。ちょうど、紀州鉄道のキテツ-1も並び、3列車の顔が揃った。

   ▲阪和線は、長く電気機関車がいたこともあって、私としては珍しく定期的に訪れている路線だ。前記のように、阪和線に新快速が登場したのは昭和47年3月改正のこと、東海道・山陽本線の新快速は、この改正で153系”ブルーライナー”に代わった。同じブルーライナー塗色となった阪和線113系の新快速も衝撃的だった。なにせ、旧型国電ばかりの阪和線に、唯一の冷房車、セミクロスシート車は、実にまぶしい存在だった。当時、鳳のみ停車、天王寺~和歌山間を最短45分で結び、かつての阪和電鉄の超特急を思わせる俊足だった。
前部には、羽根形のヘッドマークも掲げられ国鉄時代の天鉄局の意気込みを感じたものだったが、京阪神間と違って、和歌山への直通客も少なく、後年停車駅を増やしたもののパッとせず、結局、昭和53年3月改正で、阪和線の新快速は姿を消し、快速に統合されている。

江若 比叡山を登る

昨年秋に浜大津で江若のジオラマ展示をしたとき、これをご覧頂いた坂本ケーブル(正式には比叡山鉄道)の常務さんから ジオラマを貸してほしいと依頼があり、お役に立つならどうぞとお返事していました。この度 具体的なイベントの日程が決まりました。すでにポスターやチラシが出来ていて 近々京阪全駅にも貼りだされるそうです。4月10日以降に新聞に出るかもしれません。

ポスターにもあるように 会期は4月25日から5月6日の間、場所は坂本ケーブルの延暦寺駅2階のホールです。メインは坂本ケーブルの建設当時の多くの貴重な写真の展示で、江若ジオラマは 同じ京阪グループの兄弟会社としての江若鉄道というつながりで 賑やかし的に三井寺下駅のジオラマと車両たちを展示します。運転はしません。晴れがましくもポスターに私の名前まで刷り込まれていて汗顔の至りです。建設当時の写真は同社が平成15年に開業75周年記念で発行された「坂本ケーブル75年のあゆみ」に掲載されているものですが、あまり広くは知られていないようで、初代の木造車、戦時中に軍用に改造された姿、戦後の鋼製車の搬入記録など見応えのあるものです。常務さんによるとこれらのネガは自社では長期保存の自信がないので 大津の歴史博物館でディジタル化して保存してもらうようにしたそうです。比叡山のふもとではなく 山頂側の駅での展示ですから わざわざケーブルに乗って見に行く人は少なく集客効果は疑問で、たまたま登山した観光客が通りすがりに、時間待ちで見る程度だと思っています。当会メンバーで 時間をもてあましているご仁は 春の一日、八瀬側から登って坂本側に降りるなりその逆コースで叡山越えをして 京阪グループに浄財を投じられてはいかがですか。ちなみに私は準備と撤収のときにお山に登る予定です。

表彰式行われる!

              積極的に地域に溶け込んだ活動が表彰理由となった

先に報告しました現役の鉄道同好会の学内表彰式が、去る3月16日に大学で行われ、めでたく学生支援センター所長から地域貢献賞を受賞しました。当日の様子を、渉外・広報担当の今林佑太さんから報告を受けましたので、写真とともにお伝えします。

今回で5回目となる文化系公認団体表彰式は、文化系公認団体の活動を一般学生へ広くPRする機会として、また表彰団体の今後の活性化を目的に開催されてきました。本年度は、顕著な功績のあった16団体が表彰され、学生支援センター所長から表彰状、表彰盾、副賞がそれぞれ手渡されました。鉄道同好会は5つある賞のうち、地域貢献賞を受賞することになったものです。
表彰式は、寒梅館ハーディーホールで行われ、各団体が壇上に上がり、学生支援センター所長より表彰状と盾を授与され、各団体の代表者がスピーチを行いました。
「大学から公式に認められた賞の価値は非常に高く、受賞が喜ばしいことであると同時に、今後も大学公認サークル団体として責任感ある活動をするべきだということを身に染みて感じた表彰式でした」と今林さんは結ばれています。
来年、2013年は鉄道同好会創立55周年になります。これを記念して、現役の皆さんは、OBも参加できる楽しいイベントも考えられているようです。
今後とも現役の皆さんの活動を大いに期待するものです。

寒梅館で行われた表彰式と、スピーチする現役・鉄道同好会会長の木村さん

連接貨車

現役では唯一の連接貨車、太平洋石炭販売のセキ6000形。昭和41年から製造され、機関車からの遠隔操作で、側扉の開閉・連結解放が可能(春採)

湯口先輩から釧路臨港鉄道(現・太平洋石炭販売)に、貨車の連接車があったはずだから発表を、とのコメントがあった。確かに撮った記憶がある。準特急さんから横取りするようで申し訳ないが、写真と一筆を。
太平洋石炭販売には、2車体連接式の石炭車、セキ6000形が14組28両あり、現在でも使われている。同社はJR線とは連絡のない、自社線完結の路線のため、このような独自の貨車が考案されたようだ。訪れたのは一昨年のことになるが、このような運炭鉄道が細々ながらもまだ現役なのは驚異に値する。
なお、貨車の連接車は、以前国鉄・JRにも2例あったそうな。ひとつは、車運車のク9100で、三軸車であり車体が中央部分で分割された中央の一輪が連接構造という、たいへん珍しい連接三軸貨車だった。もうひとつは、JR後、トレーラー車体を運ぶために試作されたワ100で、3車体4台車をアダプターでつないでトレーラーを載せる、デュアル・モード・トレーラーシステム用の試作車だった。

本日の松代駅

本日3月16日 通りがかりに長野電鉄屋代線松代駅に立ち寄りましたのでそのスナップを紹介させていただきます。

大正11年(1922年)6月10日河東鉄道(屋代駅 – 須坂駅間)開業時につくられた駅です。今年4月1日廃止予定になっています。

なつかしい駅、駅らしい駅です。当線のほかの駅もこのような古風な駅だそうです。

昼下がり屋代行の電車がやってきました。

高校生がお客様の主役です。

北千住に住んでいたころ毎日お世話になっていた日比谷線の電車ほぼそのままです。朝ラッシュ時の日比谷線 北千住-上野間に乗るのは大変でした。

屋代に向け発車して行きました。

廃止されると二度と見られない風景です。

本日の鴬谷 185系、485系

本日の上野駅7時20発の特急草津1号に157系色のOM08編成が運用されました。この列車は今週金曜日16日で廃止されますので最後の機会かと思われます。

鴬谷で朝日の逆光を浴びての草津号は今週で見納めです。

クモハ157に似ていますね。

 

次は上野18時40分発のホームライナー鴻巣3号です。上野発着の定期列車として唯一のオリジナルカラーの485系です。3月17日の改正で185系となりますのでこちらも今週で見納めです。

名残惜しい姿を撮影しています。

この発車案内と485系も見納めです。(クハ481-346)

夜の鴬谷を駆けぬけていきました。上野といえば485系でした。もう過去になります。

本日開催 「鉄道展-東北を旅して-その2」

   ▲さっそく熱心な見学者が訪れ、一点一点を仔細に鑑賞していた、本日開場の「鉄道展-東北を旅して-その2」。

一部のクローバー会会員にはすでに案内していますが、佐竹保雄さん・津田雅司さんによる「鉄道展-東北を旅して-その2」が、本日から開催されています。
あの震災から1年、自分にできることに思いを馳せ、東北へのエールを送り続けることを念頭に、この期間に開催されることになりました。

・3月10日(土)~18日(日) 11:00~17:00 (無休、18日は15:00まで)
・ひと・まち交流館 京都 展示ホール
 (京都市下京区河原町五条下ル東側 市バス「河原町正面」下車)

今回の展示のメインは「東北の鉄道」写真展、C51や木造客車などの佐竹さんの貴重な写真のほか、先般開催されたクローバー会写真展「東北の鉄路を巡る」からも抜粋して展示しています。さらに津田さんは、昨年のラインナップに加えて、震災後に運転されたDD51の牽くタンク列車が新たに再現され、見どころ一杯の展示となっています。

▲佐竹さんも来場者一人ひとりにていねいに説明をされていた
また、会ではつぎのようなイベントも用意。
3月11日(日)14:30~15:00 祈念の集い(展示ホール)
3月14日(水)13:30~16:30 一緒に作ろう祈りのお地蔵様、三線で歌おう
3月15日(木)18:30~20:00 講演会「3・11以後の暮らし」槌田劭先生
設営日の昨日は、クローバー会会員が訪れ、設備の搬入、写真の展示などに汗を流し、夕方には準備完了、本日11時から滞りなく開場、早くも多くの人たちが会場を訪れています。ぜひ期間中にご来場いただき、写真・模型を通じて、美しかった東北を偲び、東北の一日も早い復興に思いを馳せていただくよう、お願いいたします。

   ▲DD51の牽くタンク列車が快走する、模型運転会。津田さんはクローバー会写真展に展示されたDD51重連のタンク列車に刺激を受けたという。

東京地下鉄 山陽路を東へ

本日 下松の日立笠戸工場から綾瀬へ向けて 東京メトロ千代田線の16000系10両が甲種輸送されてゆきました。9日12:54下松発 8862レで東上。11日深夜2:15綾瀬着の長旅です。撮影は三原ー本郷間で16:18頃です。車番が読み取れなかったのですが、かろうじて最後尾のTCが16014と読めましたので、全部で16編成投入されるなかの14編成目のようです。
EF66に牽かれて東上する東京メト��16000系

EF66に牽かれて東上する東京メトロ16000系

 

最後尾は16014。一生に一度の長旅。

最後尾は16014。一生に一度の長旅。

当地で見られる甲種鉄道車両輸送は 日立笠戸工場を出場して東上するものが殆どです。

去る2月21日には 半田市の衣浦臨海鉄道のKE653(DE10)が広島ターミナル発8866レとして甲種輸送されてゆきました。JR貨物の広島工場でATSの改造を施されたあと衣浦に戻っていったようです。
衣浦臨海鉄道KE653

衣浦臨海鉄道KE653

 

うしろのコ��は手ブレー��代用車。

うしろのコキは手ブレーキ代用車。

朗報! 現役・鉄道同好会が地域貢献賞を受賞

たった今、現役の鉄道同好会から嬉しいニュースが入りました。
大学学生支援課より連絡があって、鉄道同好会が同志社大学2011年度地域貢献賞の表彰を受けることが決まったとのことです。この賞は、サークル活動などで顕著な功績のあったサークルを部門別に表彰する制度で、寒梅館夏まつりでの地域の子どもとの交流、同志社EVEでの展示活動などが評価されたとのことです。何かと内に内に籠る時代、積極的に地域・社会との交流を図ってきた、現役の皆さんの活動に敬意を表するとともに、今後の更なる活動の深耕を期待するものです。
なお、表彰式は下記のように行われます。
2012年3月16日(金)14:00~ 
同志社大学寒梅館ハーディーホールにて

「きたぐに」「日本海」を送る (5)

「日本海」 -1-

いっぽうの「日本海」、その源流は戦前まで遡る。日本海縦貫線が全通したのが大正13年のこと、2年後には早くも神戸~青森間に寝台車、和食堂車を連結した急行列車が運転される。戦局の悪化に伴い、昭和18年に廃止されるが、戦後の昭和22年に、大阪~青森間の急行として復活を果たした。
その後、特急だけでなく、急行列車にも愛称を付けることになり、昭和25年10月ダイヤ改正から、この列車には「日本海」の愛称が与えられた。このダイヤ改正では、東海道・山陽本線を中心とした急行12本に「明星」「彗星」などの愛称が付けられた。当初の「日本海」は座席車のみだったが、のちに特2、2等寝台、食堂車が連結され、長距離急行らしい編成とはなるが、日本海縦貫線はまだ電化には程遠い状況で、青森までは23時間近くを要していた。
転機となったのが昭和36年10月改正で、日本海縦貫線では初の特急となる「白鳥」が誕生、有効時間帯の調整のため、「日本海」は時刻が大幅に変更され、さらに新津・新発田経由を改め、新潟にも立ち寄るようになり、大阪~新潟間のアクセスが向上した。その後も、電化の進展により、到達時間も次第に短縮されるようになるが、なにせ長距離を走り抜く客車列車、”遅くて汚い列車”のイメージが付きまとった。
  ▲新幹線開業直前の山科でとらえた、急行時代の「日本海」(昭和39年)
そして、昭和43年10月改正、日本海縦貫線に待望の寝台特急が新設される。列車名は「日本海」がスライドして使用され、従来の急行「日本海」は「きたぐに」に変更された。
車両は20系オール寝台の9両編成、翌年からは13両に増強される。牽引機は、大阪~米原EF65、米原~田村DE10、田村~金沢EF70、金沢~新津EF81、新津~秋田DD51、秋田~青森DD51だった。
  ▲特急となった初日の「日本海」を、福井国体のお召し撮影の途上、米原で写すことができた。交直接続はDE10が牽引、DE10としては初の特急牽引となった(昭和43年)▲▲田村以降の牽引はEF70だった
  ▲DD51に牽かれて奥羽本線を行く特急「日本海」。新設から1年間は20系の9両編成だった(白沢付近、昭和44年)  ▲雪煙を上げて羽越本線を疾走する(象潟付近、昭和46年)
昭和47年10月改正で、羽越本線の電化が完成、これで米原~田村間を除いてEL牽引になるとともに、大阪~米原間はEF58牽引に変更される。
昭和50年3月改正で米原経由から湖西線経由となり、客車も14系寝台車となった。季節臨の特急「日本海」1往復が14系座席車で増発され、昭和53年10月改正からは定期列車に格上げされた。この結果、「日本海1・4号」「日本海3・2号」の2往復体制となり、客車はそれぞれ24系25形、24系寝台車となっていた。
その後も改正のたびに、客車編成の移管、共通運用の変更、両数の増減などが行われる。JR化後の昭和63年3月、青函トンネルを含む津軽海峡線開業により、「日本海1・4号」は函館まで延長された。
  ▲米原~大阪間の直流区間は、当初EF65牽引だったが、途中で他のブルトレとともにEF58に変更された。(山崎付近、昭和50年)
  ▲「日本海」のEF58牽引は2年半続いた。大阪へ到着後、向日町運転所へ回送されるため、山崎では往復が撮影できた(山崎付近、昭和50年)  ▲京都駅を発車した「日本海」の後部ナハネフ20、20系の活躍は7年間続いた(昭和50年)

本日の185系(157系色)

犬伏です。

157系色の185系は昨日2月29日には「あかぎ1号、12号」の運用に入っていたようで、本日31日は上野1012着の「あかぎ6号」14連の前7両、上野1200発「草津5号」14連の後ろ7両の運用に入っていました。その折り返しの「草津6号」14連の前7両で上野に19:18到着し、上野2000発の「あかぎ3号」の後ろ7両の運用なりました。

上野駅の鴬谷寄りにある引上げ線で初めて見た姿はクモハ157の再現かと思うような姿でした。

手前OM05編成と157系色のOM08編成です。あかぎ6号と草津5号の合間に留置線で休み一旦引上げ線に入り折り返し上野駅16番線へ。

 

上野12:00発の草津5号、OM05+OM08編成の14連です。左は同時発車のスーパーひたちです。

鴬谷にて上に写真の後追いです。

草津6号です。OM08+OM05の14連です。鴬谷にて

違う色の連結部です。

3月3日は上州踊り子号に運用されますので、明日はどの運用になるか楽しみです。