阪堺電車撮影会開催!

6月12日DRFC-OB クローバー会では、阪堺電車(阪堺電気軌道株式会社)の撮影会を開催いたしました。
当初参加者は3名のみで少し寂しいかなと思っていましたが、当日になって3名が飛び入り参加され、また丁度「第13回電車祭り」も開催されていまして、賑やかな撮影会となりました。


鉄ちゃんよりも親子連れが多く、いかにも大阪下町の庶民に根付いた路面電車です。

雨が降り出しましたので、浜寺公園駅まで乗車、沿線3ヶ所で撮影を楽しんだ後は皆そろっての懇親会を開催しました。
次回は、利用客が減ってきている「北タンゴ鉄道を応援する」撮影会を開催いたします。時期は、紅葉の秋を考えておりますので、今回参加されなかった皆様方も振るってのご参加をよろしくお願い申し上げます。

後ほど、デジタル青信号の表紙を飾っていただいております893-2さんから、飛びきりのお写真をご披露していただけるそうですのでお楽しみに!

建設型蒸気機関車、RZ24・RW24型客車 上海、中国鉄道発祥地に静態保存展示される!

5月18日から6月1日まで、14泊15日にて中国蒸気を訪ねて撮影旅行を楽しんできました、まだ旅行記を編集中ですので、その中で早くお伝えしたいホットなニュースをもう1つ投稿させていただきます。

このほど展示公開されます建設型蒸気機関車、RZ24・RW24型客車を先乗りで見て参りました。


▲ 江灣站を復元した構内に展示された建設型と旧車両2両。展示されてから間もないので、塗り立てでピカピカです。入口前には淞滬鉄路について何やら書いてありました。

第15日目 6月1日
この日は、最終日でした。地下鉄3号線江湾鎮駅近くに建設型が展示されていることを聞き、搭乗する前の帰りがけの駄賃に見に行ってみることにしました。下車後展示場所が不明でしたので、駅員に聞いてみましたが誰も知りません。駅前売店の店員に聞いても知りません。困ったなと思っていると、親切な店員は駅前に止まっている客待ちのバイクタクー運転手達を捕まえて聞いてくれています。そして、その中の一人が、地下鉄路線に平行して残っている廃線跡に沿って走って捜してみようと言ってくれました。
バイクにスーツケースとリックを積んで後部シートに乗って走り出しました。左右どちらに行くかカケでしたが、来る途中の3号線大柏樹駅近くで見つかりました。しかし、喜んで入場しようとすると、入口にいた3人の係員から制止させられました。外からは丸見えでも、まだ未公開だったのです。

引退したとはいえ現役中の仕事は広告代理店の営業マンです。仕事は断られてからが始まりで、この程度ではめげません。「私の趣味は鉄道写真を撮ることです。すばらしい蒸気機関車が展示されているのを聞き、日本から見に来ました。入場をさせてください。」と、手をあわせてにっこり笑顔で嘆願しますと、「わざわざ日本から来たのか!それなら仕方ない。」と許可が出ました。

▲ 展示場内には、いくつものモニュメントが設置されていました。

▲ 展示されている蒸気機関車は1988年大同機車廠製造の建設型8260号機。建設型は1957年から総数1558台が製造されましたが、この8260号機はその中でも一旦製造中止され、1980~1988年に改良されて423台製造された「建設B型」で、製造最終年の比較的新しい機関車です。
2両の客車は、1980年代に372両が輸入された東ドイツDWA社製。密閉式固定窓ですが、冷房電源は車軸ベルト式発電機から取っていて、停車中は冷房が効かなかったとか、真夏の長い停車はサウナだったでしょうね。

【中国で初めての鉄道】
中国で、初めて鉄路が開業されたのは、上海でした。上海~呉松間14.5キロ、762mmナローゲージ、1876年12月1日全線開通しましたが、西方列強による不当な建設だった為に、1877年10月清政府により、廃線させられました。

その後、この鉄路の旧路線3分の1を利用して、淞沪鉄路が、上海~炮台湾間16.09キロ、1898年8月5日に開業しました。この鉄路跡は、1997年4月に開通した上海地鉄明珠線(3号線)として今も利用されています。


▲ 左;呉淞鉄路、 右;淞沪鉄路

中国版新幹線の最新情報

お読みになられた方も多いかと思いますが、今日朝の朝日新聞に「最速鉄道 中国ブレーキ」の掲載がありました。これはすでに4月21日にデジ青に掲載させていただいた中国版新幹線のスピードダウンとVIP個室(コンパーメントの誤り記事)取りやめについてですが、大朝日新聞がこれほど遅いニュースを取り上げたのか不思議でなりません。

北京南~上海虹橋間を結ぶ1,318キロの京滬高速鉄道についての最新情報は、

①開業日は、更迭なった劉鉄道大臣が昨年12月に発表した6月中旬予定が、南京南駅工事遅延のため未発表状態になっています。

②しかし、7月1日に時刻大改正があるため 中国鉄道局としては何としても6月末での開業に持ちこみたいようです。

③豪華で高額運賃(1500元=約18,750円)が予想されているVIP車はコンパーメントを外して、フルフラットシートはそのままに1+2列で配置され運用になるようです。既に現地情報があります。また実際に見てきました。

④運用される車両は、16両編成のCRH380AとCRH380BLの2種です。最高速度300km/hで、約5時間で結ばれる予定です。

最速350km/h高速鉄道について、北京南~天津間の京津城際鉄道と杭州~上海虹桥間の滬杭高速鉄道は、そのまま高速走行を継続する予定です。

▲ 6月1日、上海虹桥駅で発車を待つCRH380BL。既に滬杭高速鉄道で運用についています。但しVIPフルフラットシート車(商務車)は、カーテンを下ろしたままで乗客を乗せていません。左上は、運転席真後ろにある展望車。5席のみの鉄ちゃん専用席です。開業時は両方とも是非に乗車したいものです。

また6月1日より切符を購入する際は、飛行機と同様に人民は身分証明書、 外国人はパスポートが必要となりました。これにより外国人は切符自動販売機では購入できず、窓口に並ばなければならなくなっています。
これは、横行するダフ屋撲滅を目的にしておりますが、反政府分子の鉄路乗車移動を規制する目的にもなっているといわれています。

がんばれ! ひたちなか海浜鉄道

5月1日に、ひたちなか海浜鉄道で、撮影会があり参加してきました。

ご存知かも知れませんが、ひたちなか海浜鉄道も東日本大震災で大きな被害を受け、全線で運転を見合わせており、7月開通を目指しての復旧工事が行われています。現在、代行バスによる輸送が行われています。

那珂湊駅の到着する代行バス 以前の茨城交通時代の鉄道車両同じ塗わけです。

今回は、被害が少なかった那珂湊駅構内を利用して、日ごろ営業運転しているときには、撮影できない7両の車両(現役の車両が8両いて、単行で使用したとしても、2両必要なので、車庫にいるのは、多くても6両となります。)集めての撮影会です。残念ながら、1両(キハ3710-01)は、阿字ヶ浦寄りで地震に遭遇し、那珂湊に回送できず参加できませんでしたが・・・

地震の被害が大きく自社線も不通という状況の中、このようなに催しを開催していただいた関係者の方のご英断に感謝します。

最初は、那珂湊駅一番線 阿字ヶ浦方 ミキ300-103+キハ3710-02+キハ37100-03 勝田方那珂湊駅三番線 阿字ヶ浦方 キハ205+キハ222+キハ2004+キハ2005と留置されていましたが、その後、入れ替えが行われ、6両並びが実現しました。

那珂湊の構内全線使用しての6両並びです。左からキハ3710-02  ミキ300-103  キハ2004  キハ2005  キハ205  キハ222

旧型気動車の並びです。準急色・急行色・一般色・旧一般色

那珂湊駅勝田方 左よりキハ2005  キハ2004  ミキ300-103  キハ37100-03

駅の裏の倉庫が崩れていたり、那珂湊の魚市場前の岸壁が一部海中に崩落していたり、傷跡は残っていますが、魚市場では、威勢のいい声も響いていますし、ちゃんと営業もしています。

那珂湊駅裏手の倉庫 中には山車が入っていました。元気な祭りが再開されることを祈ります。


那珂湊の魚市場前の岸壁

魚市場で買い込んだ格安な海産物を土産に、一日も早いひたちなか海浜鉄道の復旧と茨城県の復興を祈りながら、帰途につきました。

がんばれ ひたちなか海浜鉄道!

同志社大学鉄道同好会OB会             DRFCクローバー会 第3回総会開催

2011年4月23日、京都タワーホテルにて「DRFCクローバー会 第3回総会を開催いたしました。



▲ 総会前に、この春阪急電鉄に登場した「京とれいん」に梅田駅より嵐山まで乗車、トロッコ嵯峨駅にて全国では第2番目の規模を誇るジオラマ見学梅小路蒸気機関車館見学組と嵯峨野トロッコ列車乗車組に分かれて各自楽しみました。

DRFCクローバー会 第3回総会 内容】
16:00、東日本大震災で犠牲となった方々、および当会物故会員への黙祷に始まり、’68年度生福田静二の司会により総会が進行されました。議事内容および報告等につきましては下記の通りです。(敬称は省略します)

① 沖中会長よりご挨拶
DRFCクローバー会創設以来第1期、第2期と6年間にわたって会長を務めていましたが、このたび退任され後任としての新役員をご指名、参加会員全員から承認されました。

② 新役員のご紹介

会  長 ; ’64年度生 田野城 喬

副会長 ; ’65年度生 早川 昭文

副会長 ; ’66年度生 小林 純爾

事務局 ; ’67年度生 小西 啓文(広報およびHP管理)

事務局 ; ’68年度生 福田 静二(事業計画)

事務局 ; ’81年度生 原 克浩(庶務)

会  計 ; ’68年度生  井原 実

③ 東京支部設立について
東京地区に在住の会員が多いところから、新たに東京支部設立提案と東京支部長として早川副会長が推薦され、参加会員全員で承認されました。

④ 活動報告
第2期の活動報告が’81年度生 原 克浩よりありました。

⑤ 会計報告
第2期の会計報告が’68年度生 井原 実よりあり、参加会員全員で承認されました。会計報告書につきましては、不参加の方々には別途郵送いたします。

⑥ 会則改正提案並びに質疑応答
’66年度生 小林 純爾より会則改正提案があり質疑応答の結果、参加会員全員で承認されました。第3期以降の新会則につきましては、別途郵送いたします。

⑦ 新役員の挨拶
第3期より新役員となりました 会長;’64年度生 田野城 喬、事務局;’67年度生 小西 啓文(広報およびHP管理)より挨拶がありました。

⑧ 新年度における事業計画
第3期の事業計画につきまして、 ’67年度生福田静二より発表がありました。写真展は東京でも開催される予定です。会員皆様方のご応募をお願いします。詳しくは下記をクリックしてください。

総会につきましては、以上の通りです。


【懇親会】
総会後は全員で記念写真を撮り、引き続いて参加会員親睦を深めるための懇親会が開催され、久しぶりに参加となる、工藤、宮脇、大西、犬伏、西村、杉村、室山、名手、西尾より近況報告がありました。

【その他】
総会関係書類につきましては、DRFCクローバー会全員に後日郵送いたします。その中に会費未納の方々には、郵便振り替え用紙を同封いたしますので、速やかな手続きをお願いします。
また、DRFCクローバー会のホームページ「デジ青」への投稿促進を図るために未登録の方々にパスワード、IDの割当通知も同封いたします。会員方々、ふるっての投稿を願っております。
今年は、撮影会も計画しております。 詳細が決定しましたら、「デジ青」にて紹介いたしますので、こちらも参加ください。

「青信号」、ちょっといい話

「青信号」、と言ってもこの「デジタル元祖青信号」ではありません。
本家青信号たる、鉄道同好会創部以来、連綿と受け継がれている紙媒体の「青信号」、それも、特派員の現役時代、ガリ版と謄写版で格闘した手作りの青信号です。
もう何を書いたのか、当の本人ですら忘れてしまっている記事内容を、当会とは何の縁もない人が覚えていたことから話は始まります。
その人、某電鉄会社勤務のKさんは、当時の青信号に書かれた”おとぎ電車”の記事をはっきりと覚えていました。おとぎ電車とは、宇治川沿いをわずか10年の間だけ走った、発電所資材運搬用の軌道を使った遊覧用の鉄道です。
「青信号」に著したのは、いまは富山に幽閉されている、私の3年下のYさん、おとぎ電車の製造・運営に関わったYさんの伯父さんからの聞き書きを数ページに纏めたものでした。
EVE見学に来たKさんは、この記事が載った青信号を購入したものの、いつの間にやら行方不明。ただ、おとぎ電車の記事が載っていたことだけは、はっきりと覚えていたのです。
このたびKさんがおとぎ電車のことを季刊「レイル」に発表することになり、ぜひ青信号を参考にしたいと、出版社のMさんを通じて、私のところに依頼があったのです。
さっそくYさんに連絡し、転載の快諾をもらい、このたび発売された「レイル」78号に、記事の抜粋と地図が、青信号のクレジット入りで紹介されたのです。
改めて40年も前の青信号を見直すと、現在のものとは比べ物にならない、粗末な出来上がりですが、書かれた内容は埋もれてしまうどころか、ますますの輝きをもって、甦ってきたのです。Kさんが「初めて鉄道趣味紙に載った記念すべき記事」と称賛するように、とくに、おとぎ電車の場合、今まで発表された報告もほとんどなく、青信号の記事が端緒になったのです。
改めてこの記事を著したYさんに敬意を表するとともに、我々の著した紙・電子媒体の著作物が、広く鉄道趣味活動の向上に貢献していることを再認識した次第です。

▲いま発売の「レイル」78号と、貴重な参考文献となった「青信号」26号

<写真速報> クローバー会総会行われる!

3年に一度行われる、クローバー会の総会が、4月23日、京都タワーホテル6階会場において、おごそかに、かつ賑々しく開催されました。当日の雨をものともせず、全国から駆けつけた会員、その数約50名。
総会での決定・承認事項は、追って会員個別に連絡するとして、まずは当日の様子を、午前中に行われた乗車会・見学会とあわせて速報版で写真紹介しましょう(多数の閲覧があることを踏まえ、写真の選定に配慮しました)。
新しく広報担当を任命された、ぶんしゅうさんからの依頼を受け、代わってお知らせします。
▲午前中は阪急「京とれいん」で嵐山へ。トロッコ嵯峨駅で日本最大級のジオラマ見学、続いて梅小路蒸気機関車館ではC61の牽くスチーム号に乗り大満足。
▲京都タワーホテル会議室で行われた総会。新役員、会計報告、活動報告、事業計画などの報告が行われ、参加者で承認され、滞りなく終了した。
▲続いて同ホテル宴会場で懇親会が開かれた。新広報担当の司会のもと、新会長の挨拶、自己紹介・近況報告が行われ、和やかに始まった。
▲時が進むほど、酔うほどに、会場は騒乱状態に陥った。てんでバラバラに、語り、騒ぎ、久しぶりの会員同士の邂逅を心ゆくまで楽しんだのであった。
▲宴会のお開きは、恒例の三々七拍子、続いて東京支部長の万歳絶叫。ただ、祇園の石段下ではなかったため、支部長もやや不満足な様子だった。
▲遠く東京、名古屋、富山、広島から集まった会員も含めOB44名、プラス現役1名。全員大きな満足感を持って夜の街に消えたのであった。

京滬(北京~上海)高速鉄道 スピードダウン!

今年6月中旬開業予定の京滬高速鉄道について、昨日の現地報道原文はこちらによると、大幅な変更があリました。

① 最高速度380km/hで走行して北京~上海1318キロを4時間で結ぶ予定であったが、最高速度は300km/hに減速し、5時間運転とする。

② 編成車両で目玉だった飛行機の国際線ビジネスシート並みシェル式のVIPフラットシート車は、連結予定を今回取りやめにする。

といったショッキングなニュースです。理由としては、

① 走行スピードが320km/hをオーバーすると10km/h速度が上がるたびにエネルギーは倍増されてコスト高となるので、経済性を優先する。

② 飛行機と比べても高額運賃となり、庶民が利用できないので誰もが乗れるように庶民性を重視する。

こんなことは、初めから分かっていたのに開業直前で修正するとは何よりもメンツを重んじ、世界最高が大好きな国民性からはとても信じがたい報道ですが、どうやら本当のようです。
折角、380km/h走行の乗車を楽しみにしていましたが、 興味が激減しました。

最近まで500km/hを目指すと試運転を繰り返していましたのに、なぜに健全な運行への方向転換をしたのか不思議でなりません。一説によると最高幹部が更迭されたからとの推測が当たっているかも・・・・。

これからの中国鉄路の方向性に大きな変化がでてくるのは容易に想像できます。 今年は中国鉄路各地で高速鉄道の開業が相次ぎます。片っ端から乗車してのレポートを投稿させていただきます。よろしくお願いします。

北陸本線419系を送る

3月12日のJRダイヤ改正では、車両面の変動もありましたが、中でも印象的なのは、北陸本線で働いてきた419系電車の撤退です。
419系電車は、余剰となった交直両用の寝台・座席特急車両581・583系を、近郊化改造して登場したものです。改造コストを抑えるために、最小限の改造に留められ、寝台設備がそのまま残った室内や、特異な前面スタイルなど、国鉄末期の窮乏時代を象徴するような車両でした。画一化の進むJRにあって、唯一”ゲテモノ”と呼ぶにふさわしいスタイルです。ただ、乗ってみると、ゆったりした乗り心地や広々した座席に、特急時代の面影を十分に感じたもので、北陸へ行くと、好んで乗車したものでした。
419系は、金沢総合車両所に3両編成13本があり、敦賀以東の北陸本線で運用されていましたが、老朽化は否めず、2扉、狭い扉幅、定員の少なさも災いして、521系の増備によって、ダイヤ改正を機に定期運用からは撤退することになりました。

かつては、9連編成の運用も存在した419系だが、改正前は2編成の6連が最高だった。しかも、平日朝の金沢~富山間の423M、422Mしかない。先日、最後のキハ28・58撮影で富山を訪れた際、6連をようやくとらえることができた。さすがに迫力はある。切妻のクモハ419とクハ418が顔を合わす併結部もなかなかの味わいであった。

3両という短編成化のため先頭車が不足、中間車のモハネ581、サハネ581を先頭車化改造した”食パン”と呼ばれる切妻顔のクモハ419、クハ418が生まれている。同様の改造は、東北、九州でも行われ、交流専用715系として使われていたが、以前に廃車となっており、419系のみが、581・583系として製造され40年以上経った今まで使用され続け、寝台・座席特急の時代より、はるかに長い間、北陸本線で使われた。

419系の前部には以前「タウントレイン」という愛称板が取り付けられていたが、2001年ごろに取り外された。短編成化した419系は、愛称どおり北陸本線のフリークェンシー化に大きな貢献をした。写真は田村付近の419系で、当時は米原までの運用もあり、京阪神からの新快速などとも顔を合わせていた。

少し前まで、北陸本線の419系が湖西線近江今津まで乗り入れていた。クハネ581改造のクハ419は、ほとんどが貫通扉も埋められたが、右のクハ419-13には貫通扉が残り、愛称表示器もそのまま残っていた。このD13編成は、一足先に2006年10月の敦賀直流化時に廃車されている。左の117系の福知山線色と呼ばれる、グリーン帯の117系もいつの間にか姿を消してしまった。

「雷鳥」を送る

このたびの震災で被災されました皆様に心からお見舞い申し上げ、投稿を再開させていただきます。

3月12日から九州新幹線の開業などに伴うJRのダイヤ改正が実施されました。関西でもかなりの変動があり、改正前日は最後となる列車の撮影に追われていました。なかでも、雷鳥」がついに消えることになり、昭和39年のデビュー以来、永年親しんだ愛称についに別れることになりました。

3月11日夕方、最終の金沢行き「雷鳥33号」を、私は京都駅0番ホームで迎えました。思い返せば、昭和39年12月25日、「雷鳥」運転開始のその日も、中学校3年生の私は、同じく京都駅1番ホーム(当時)で「雷鳥」を迎えたのでした。大阪駅で発車式があり、そのテープをボンネットに巻いたまま、京都駅に到着しました。ホーム端ギリギリに停車したため、いい写真を撮るために、事もあろうか、線路に降りて編成を写しました。少年が取った大胆な行動もまだ許された時代でした。撮影者もほんの2、3人だったと記憶しています。

ところが後日、悲惨な結末が訪れます。フィルムが入ったままのカメラが、電車の中で置き引きに遭ってしまったのです。そのフィルムには、梅小路のC51も写っており、返す返すも残念な出来事となりました。

その後に発売された「鉄道ピクトリアル」に、その日の同列車を、虎姫~河毛間でとらえたカラー口絵が載っているではありませんか。なんと、その撮影者が山科の人間国宝だったのです。その並外れた行動力には、改めて脱帽した次第です。 

最後の金沢行き「雷鳥33号」は、A1編成と呼ばれる、クハ481-323を先頭にした9両編成だった。多くの鉄男・鉄子の待ち受ける中、懐かしい国鉄色を夕陽に輝かせて入線してきた。京都駅から乗り込む乗客も多い。昭和39年、初日の「雷鳥」を写したのも、最終「雷鳥」を写したのも同じ京都駅のこのホームだった。鉄道趣味に捧げた47年の歳月の長さを思い返せずにはいられなかった。 

上記のように初日の写真は幻となってしまったが、その後、デビューまもない「雷鳥」を山科の大築堤でとらえた。481系は、大阪~富山間の「雷鳥」、名古屋~富山間の「しらさぎ」各1往復、スカートが赤のままで、交直車を示すヒゲも入れられていない元祖481系の姿。この時代はごく僅かで、のちに山陽本線へ481系が進出する際に、直流181系との識別のため、ヒゲが入れられる。 

その後、雪の北陸本線田村付近で珍しいカラーも写していた。スカートには60Hzを示すクリーム帯が入り、ヒゲも入れられている。同じシーンでモノクロで撮ったものを、「鉄道ピクトリアル」の写真コンクールに初めて応募したところ、佳作に入選したのも、今では懐かしい思い出だ。嬉しくて、掲載誌を高校でみんなに見せて回った。そのため、この号だけが今もボロボロの状態で在る。 

最終日の3月11日には、唯一残る489系ボンネット編成による修学旅行の集約臨が昼間に走った。最近は臨時で走ったとしても、前部愛称板が蛍光灯剥き出しのままで、サマにならないこと甚だしいが、今回は「臨時」がちゃんと入れられていた。何気に、京都駅2番ホームから、0番ホームへの入線をとらえたが、ほぼ同じ位置から、初期の「雷鳥」を撮っていたことが判った。京都駅は新駅舎建設の際、2本あった通過線を1本にして、1番ホームを張り出し拡幅し、同時に線路番線と一致させるため、1番ホームを0番ホームに改称している。京都駅の変わりようには驚かざるを得ないが、電車のスタイルはほとんど変わっていないことにも改めて再認識させられる。

 

乙訓の長老様、生還記念・神戸電鉄デニ11

放熱管の交換修理で入庫していた乙訓の長老が無事交換が済んで新製同様になって再配置されました。今後は“乙訓の兄ちゃん”と呼んではほしいとか・・・

それを祝して(先週は休刊日でした)久々に名画をご覧に入れましょう。

須磨の大老とご一緒に薀蓄をお願いいたします。

阪急202の初期写真、また発見

御大が発表されてからの後出しで恐縮ですが、こちらにも阪急202号の初期の写真がありました。こちらは、大阪の古老ファンのアルバムから複写させてもらった中にありました。
やぐらを組んだ上に宙に浮いた運転台、側扉もなく、どうやって乗務員は出入りしていたのでしょうか。
出自は、初代202の機器を利用しての昭和2年川崎兵庫製、昭和17年に、関さんの絵に見られるスタイルに改造されたようです。その後、昭和36年に作業員室を増設(関さん言うところの避難室)され、昭和43年の昇圧時には、作業員室が車体の半分近くまで拡張されました。その間に、3202、4202と改番されています。
末期は、昭和49年京都線に転属、昭和52年廃車とピク阪急特集には記載されており、関さんの記述とは異なります。

阪急202号

関さんのシリーズは、ますますマニアックになってきました。

こんなのを見たことがあるようなないような、でも前週の南海のデト11の兄弟とか。二回の改造後の姿だそうですから最初の形は、デトと同じだったのでしょうか?写真を持っている人は見せてください。でも持っているとすれば長老様か藤本さんぐらいかも。

JR西日本の柿の木

 JR西日本神戸線、立花駅西方500m付近。
一本の柿の木があり、実をいっぱいつけていました。2m程離れた別の木は、
フェンスの内側ですが、この木は、フェンスに接して外側でした。
でも、間違いなく敷地内で、JR西日本の柿の木です。
昨年末12月19日でした。

1月20日再訪しました。実はすっかり無くなっていました。
スズメや小鳥が頂戴したようです。

京沪高速铁路(北京~上海) 今年6月開業

遅くなりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。
本日の新聞にも掲載されておりますが、中国鉄路今年の目玉、首都北京と経済発展都市№1の上海を結ぶ「京沪高速铁路」全長1318キロの開業が 、昨日開催された全国鉄路会議の席上において、劉鉄道大臣より6月とすると正式発表が行われました。今までは、10月1日の国慶節開業が有力と言われていましたが、3ケ月以上の前倒し開業となります。1番乗りをしたいものです。

現在、北京(北京南)~上海間は、在来線を最短9時間59分(昼間)で走行していますが、「京沪高速铁路」では次世代高速車両のCRH380A、380Bを使用して、最高速度380km/h、所要時間約4時間、平均速度は何と330km/hで結びます。過去10年間に開業した中国の高速鉄路線は、全長8,358キロと世界最長で、2015年には16,000キロにもなります。そして中国鉄路の全営業キロは約12万キロと全盛期を迎えます。

昨年12月28日、海南島に東部幹線が開通し、島内初めての高速電車CRH1が最高速度200km/h走行を開始して海口~三亜間は90分(以前は最短3時間13分)で結ばれました。12月30日にはカシュガル(喀什)とホータン(和田)間488.27キロも延伸開通(当面は貨物扱いのみ)しました。今年1月11日には、 太中銀鉄路が開業し、全国ダイヤ改定が実施されます。中国鉄路の全線乗車を目指しておりますが、相次ぐ開業に追いつけません。

太中銀鉄路は、北京からウルムチ方面に向かう短絡線で、北京西からウルムチ行きのT69の所要時間は、約40時間から約8時間も短縮されます。2月末頃に中国の辺境に残るSLを訊ねてウルムチ方面に行く予定ですが、これでかなり行きやすくなりました。

早く身体を健康体に戻して、今年も早々に出かける予定です。それにしても行く所が増えました。

初撮りは、住吉詣で

新年のご祝詞を申し上げます。

さて、正月も3日になりますと、足は、自然と阪堺電車の住吉鳥居前へと向かいます。正月の臨時ダイヤで大増発された電車と、初詣客を絡めて撮るのです。去年と同じ撮り始めとなりました。

かつては乙訓老人が、住吉詣でを正月の日課にされていたことは有名な話です。今は、体力・気力の衰えから自重されているようですが、現地へ行けば、老人の気持ちはよく理解できます。

とにかく次から次と電車がやってきて、路面電車ファンでなくても、圧倒されます。初詣客もついつい写しています。

電車はどれも満員、普段は車ばかりに乗っている家族連れや若者も、初詣ばかりは、路面電車に乗り込みます。路面電車がこれほどまぶしく、頼もしく思えるのも、正月の阪堺電車ならではです。

定期的に一般運用に就く電車としては日本最古と言われるモ161形も大活躍。リバイバルカラー、雲形カラーなど、さまざまな塗色も楽しめる。

住吉交差点に立つと、四方から次つぎに電車が来る。豪快なクロッシング音を響かせて、昭和初期生まれの古豪が行き交う。今年は阪堺百周年の年でもある。

車内に注目のポスターが。今月15日から、阪堺は全線200円に値下げされる。現在は、大阪市内、堺市内のみ乗車が200円、両市をまたがると(大和川を越えると)290円だが、特に堺市内での乗客減が著しく、堺市の支援を受けて、値下げされることになった。昨年12月には、通勤定期も値下げされており、このデフレ化現象、乗客増につながるのか注目である。

中国の新幹線に豪華なCRH380B登場予定!

現在、滬杭高速鉄道を走る次世代の超高速列車CRH380Aが営業列車としては世界最速となる486.1km/hを達成したことは先日ご報告いたしましたが、このほど京滬高速鉄道用CRH380Bが新たに加わると発表がありました。

CRH380Aとの相違点は
①今までのCRHシリーズの動力分散式ではなく、TGV同様の両端が電動車の16両編成。
② 中間車14両は、1等車が3両、2等車10両、食堂車1両の編成。定員は1004人。
③目玉として、3両の1等車の内1両は、「はやぶさ」のグランクラス 以上のハイグレードシート(180度リクライニング・液晶TV付き)を設置。
④CRH380A、380Bとも来年2010年10月1日までに開業予定の上海~北京間京滬高速鉄道に使用予定。

以上が現地報道されている内容ですが、どうして今までの分散式を採用しなかったのか不思議ですね。先頭車はどんなフロントノーズになるのか楽しみです。
全長1,318キロを約4時間で走行する予定ですので、表定速度は300~330km/hにもなります。380km/hの連続走行が必要です。
「はやぶさ」のグランクラスにも驚きましたが、CRH380Bも飛行機のファーストクラス同様となると、是非とも乗車してみたいです。運賃ですが、2等が約600元(約7,500円)になるだろうとの推測が出ています。特等は3倍だと1,800元(約22,500円)ですが、車内サービスも国際線の飛行機並みに豪華車内食あり、アルコール飲み放題を含めての飲料サービスも実施されれば乗車する価値は充分あります。

489を流す

先週末のことになりますが、久しぶりに489系ボンネット編成が東海道線に姿を見せました。修学旅行の団体列車として金沢~大阪間を走ったものです。大阪行きの回送は、ぶんしゅうさんと山崎で待ち受けようとしていたところ、ダイヤを読み違えで寸前のところでアウト! 戻りの金沢行きを日没後の山崎駅で辛うじて写すことができました。

金沢総合車両所の489系ボンネット編成は、ことし3月改正で最後の定期運用「能登」から離脱しましたが、残った1編成は、特急の代走をしたり、団体列車で東京・大阪・京都へも来たり、予想外の活躍を続けています。
「臨時」表示ではありますが、ボンネットの姿、いいものです。自分自身が鉄道に目覚めた頃から走っている、50年間続くスタイルを見ると、つい鉄道少年だった時代のことを思い返したりします。
今まで489系ボンネット編成を、好んで撮りに行きましたが、時々、流し撮りをして楽しんでいます。流すことによってボンネット部がより強調され、DT32系台車の上に大きな車体が乗って、下回りがスコンと透けて見えるのが大好きです。
もちろんすべて成功するわけではなく、目も当てられない写真のほうが多いのですが、それだけに決まった時は快感です。撮りためた中からいくつかを紹介しましょう。

流し撮りの基本は、数を稼ぐことから始まる。一日10数往復も「雷鳥」が運転されていた時代、居住地近くの山崎~長岡京間には、流し撮りに適した真横から狙える区間がいくつかあり、よく自転車に乗って行ったものだ。「雷鳥」編成には、スカート部に切り欠きがあり、美観を損ねているが、真横なら、それも気にならない。この写真は、乗務員ドア付近は確かに止まっているが、アタマは流れてしまっている。斜めから撮る場合、止まるのは一点だけで、それをアタマに持ってくるのはなかなか難しい。

薄暮時に「しらさぎ」を流し撮りをする。露出の厳しい時間帯だけに、その低速シャッターがちょうど流し撮りに使える。北陸本線田村付近、バックは琵琶湖岸であり、空で抜くこともできる。当時、「しらさぎ」もボンネットだった。しかも「雷鳥」と違って、連結器カバーも付いたオリジナルのボンネットだ。前照灯を輝かせ、夕闇迫る湖東路を名古屋へ急ぐ姿である。

「能登」の廃止後も、今年の春は波動用として、ボンネットは、しばしば京都・大阪へ顔を見せた。ところが、ヘッドマークは良くて「臨時」、下手をすると、マークなしの蛍光灯むき出しの姿で、絵にならないこと夥しく、正面勝ちの撮影では全くサマにならない。そんな時、サイドからの流し撮りは有効な方法である。山崎付近でバックに緑を入れ、国鉄色が引き立つようにした。

ここで、流し撮りの方法をひとつ‥。カメラの流し方は、巷のハウツウどおり、腰を基点にして、上半身を振る抜く、野球のスイングと同じだ。つぎにシャッター速度だが、上ると成功率は高まるが、バックが流れない。私としては、確実に決めたいときは1/125S、成功率は低くなるがバックをより流したい場合は1/60S以下としている。それと、連続シャッターを使用する場合、高速ではなく、低速を選択している。高速連写だと、ほとんど幕が下りたままでファインダー視野から対象物が確認できないが、低速だと、幕の開閉の間にしっかり対象を眼で追うことができる。この春も、琵琶湖をバックに1/125Sで真横の編成を抜いてみた。

中国版新幹線 CRH380A 世界最高速度486.1km/hを記録!

祝「東北新幹線 八戸駅~新青森駅間の開業」

本日2010年12月4日、東北新幹線の延伸開業となりましたが、浮かれていてはいけません。昨日12月3日、中国鉄路では2011年開業予定の京滬高速鉄道(上海虹橋・上海~北京南)の一部完成した区間において、CRH380A編成が鉄輪式の営業用車両としては、世界最高速度の486.1km/hを記録しました。

これまでの鉄輪式の営業用車両としての最高速度は、今年9月28日に同じCRH380Aが滬杭高速鉄道で記録した416.6km/hでした。来年早々に500km/hへの挑戦を行うと発表されていましたので、今回は予行演習だろうと思います。
CRH380Aは、東北新幹線等で運行されている「はやて」E2系をベースに中国独自技術で開発したと発表されていまして、現在滬寧高速鉄道(上海虹橋・上海~南京)と滬杭高速鉄道(上海虹橋・上海~南京)で運用されています。
ちなみに鉄輪式のこれまでの最高速度は、TGVの574.8km/h(2007年)、日本では955系の443km/h、リニアでは581km/hですが、いずれも試験用車両でした。今回は、営業用車両が記録したことに大きな意義があります。日本の技術供与があったとはいえ立派な記録です。
京滬高速鉄道の営業運転では、380km/hで走行し北京~上海間(約1,300キロ)を4時間台で結ぶと言っておられますが、これで現実味を帯びてきました。将来的には500km/h運転を目指しますので、ひょっとしたら東京~名古屋間のリニアより早くに鉄輪式で500km/h運転をするかも・・。恐るべし中国鉄路となってきました。

CRH2からフロントノーズをロング化したCRH380A形。鉄道ファン必見の展望室もあります。昨日12月3日、武广高鐡(广州南~武漢)にも8編成が配置されました。