鉄道関連の土木遺産について

土木学会中国支部が創立70周年記念として今月発刊された「中国地方の選奨土木遺産」という冊子を取り寄せました。土木学会は毎年 全国で20件程度の 歴史的価値がある土木遺産を選んでいるらしく、中国地方分をくわしく解説した冊子でした。その表紙が山陰本線須佐ー宇田郷間にある惣郷川橋梁です。

私はこの橋を含む宇田郷駅周辺の海岸線が気に入って 何度か訪ね、蒸機、DF50,DCなどを撮影した思い出があります。童謡「汽車」の歌詞 「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと 思う間もなくトンネルの・・・・」のごとく まさに日本ののどかな風景がそこにあったからです。

この2枚は昭和49年1月5日の撮影です。ゆるい弧を描き、あたりの風景に溶け込んだこの橋が昭和6年に着工され、昭和8年2月の山陰本線全通の最後の難工事だったとは、全く知らず この冊子を見て知った次第です。平成13年に土木遺産として認定されています。

ということで、鉄道関連の歴史的遺産は各地に多く残されていますが、これらを訪ねる旅もまた一興と思う次第です。ちなみにこの中国地方分ではその他に 

(1)岡山市 岡山電軌も上を走る京橋 (2)山陽本線三石周辺のレンガ橋梁群(山陽鉄道の遺産)  (3)浜田市郊外の未成線(今福線)のコンクリートアーチ橋群 が登録されています。

では全国ではどうなのかと調べてみたところ、中国地方以外で18件の鉄道関連土木遺産が登録されていました。「阪急大宮駅と大宮・西院間の地下線路」「梅小路機関車庫」なども含まれています。興味のある方は「土木学会」のホームページですぐに調べられますので、見てください。

 

 

 

江若鉄道イベント 盛況のうちに閉幕しました

会員諸兄のご支援、ご協力のおかげで5日間のイベントは無事終了いたしました。毎日感動の場面があり、製作者冥利に尽きる展示会でした。また遠路にもかかわらず 多くの会員諸兄が浜大津に来て頂き、感謝申し上げます。さて 来場者へのアンケートを簡単に集計しましたので 概要をご報告しておきます。

1.来場者の年齢分布 (滋賀鉄道模型愛好会の運転会との併設での来場者です)

80歳以上   13名                                                                             70歳代    12名                                                                 60歳代    35名                                                                  50歳代    38名                                                                 40歳代    43名                                                                30歳代    22名                                                                20歳代     2名                                                                20歳未満   18名   計183名  

江若が廃止されたのは昭和44年で 42年前のことですから40歳代前半の人は生まれたばかり、40歳代後半の人は幼稚園から小学校低学年です。従って江若をかすかにでも覚えているのは50歳代以上と言えます。当然ですが「なつかしい」という感想は50歳代以上の多くの方が書いておられます。特筆すべきは80歳以上の方が車椅子やつえを頼りに会場に来ていただいたことです。60歳代以上の方は通学に利用していた方も多いようです。

2.来場者の住所は?

大津市内     99名                                                             滋賀県内     30名                                                             滋賀県外     55名  計184名                                                      県外では京都市30名、京都府下10名、大阪府下 6名、東京都 2名、最も遠い方は盛岡市(仕事で来ていた)の人でした。

3.イベントを何で知ったか?

大津市の広報         50名                                                             インターネット         15名                                                            新聞               60名 (京都新聞 21名、産経、読売各2名、毎日1名、なぜか福井新聞1名)                知らなかった。通りがかり  16名                                                      その他(知人・友人から 10名、チラシ 5名、テレビの広報 5名、大津線感謝祭のパンフ 3名  など)  

大津市の広報を見た大津市民が多かったが、京都新聞の影響も大きかった。

4.江若鉄道を知っているかどうか?

見たり、乗ったりしてよく知っている        88名                                            あったのは知っているが 詳しくは知らない   73名                                            知らなかった                     20名   計181名

江若鉄道の名前だけでも知っている人を含めれば161名と多く まだ忘れ去られていないのは喜ばしい。

自画自賛になりますが、特に中高年、高齢者の記述には 「感激した」「涙が出た」「年甲斐もなくはしゃいでしまった」「また来年も見たい」などのうれしいお言葉が多く見られました。

以上

あと1日! 江若鉄道再現模型運転会

当会K副会長 感涙にむせぶ
絶好調の江若鉄道再現模型運転会、小雨に見舞われた本日も、朝から来場者が引きも切らず、老若男女、家族連れから独り者まで、続々の来場となりました。
そんななか、午後まもなく、一人のご老婦人がお見えになり、袋から何やら取り出されたものは、なんと遺影でした。聞くと、数年前に亡くなられたご主人は、永く江若にお勤めだった方とのことで、本日は、江若の再現された姿を亡きご主人にも見せるため、遺影を持って来られたとのこと。
周りでこの話を聞いていた一同は、感動にひたり、なかでも、乙訓老人と同じく、ちょっとのことでは動じない、副会長さんも思わず、目頭を押さえられ涙した、という次第。
これほど左様に、来場者を感動と涙の渦に巻き込んだ江若鉄道再現模型運転会、残された日は、6日(日)一日のみ、まだの方はどうぞお見逃しなく!

西村さんは今日も来場者に丁寧な説明をされていた

江若運転会 いきなり絶好調

「江若鉄道再現模型運転会」、いよいよ本日29日(土)からオープンしました。事前の予告に加え、当日朝に地元紙で大きく紹介されたこともあって、開場直後から続々の人出です。
当時を懐かしむ江若OB、熱心に質問するご婦人、食い入るように見つめる子どもなどなど、会場は熱気に包まれました。少々のことでは動じない、あの乙訓老人をして、「つい涙ぐんだ」の言葉を漏らすほど、見るものに感動を与えました。まさに鉄道の持つ、限りない魅力でしょう。新聞社の取材も引きも切らず、ついには今季セ・リーグ優勝チームの親会社の新聞社まで駆けつける始末でした。
夕方、ようやく人並みは途絶えましたが、入りも入ったり、同館のイベントで最高の有料入場者を記録しました。製作者の西村さんも応対に大童でしたが、”この疲れは、快い疲れ”と言い残し、夜の巷に消え行ったのでありました。

京都新聞、産経新聞の紹介記事。取材に当たってもクローバー会のネットワークが発揮された

江若記事 お詫びをふたつ

江若運転会の様子を報告する前に、お詫びをふたつ。
〔15737〕でDC5連回送のダブレット授受通過を、「ひら」号回送とお伝えしましたが、本日、その写真に載っておられた元駅員氏に、再度、館の方が取材したところ、この回送は、「県立膳所高校の全校登山行事が比良山であり、その下山輸送のための回送」であるとの証言を得ました。「ひら」号回送ではありませんので訂正します。
改めて写真を見返すと、「ひら」の場合、回送時から「ひら」のヘッドマークを掲げていました。ここで、気になるのは、膳所高校なら、国鉄貨物線を通ってそのまま膳所まで行ったのかとも妄想しますが、やはり浜大津で乗り換え石坂線で戻ったのでしょうね。

「ひら」号の回送でなく、高校団体輸送の迎え回送でした

もうひとつの訂正は、〔15824〕の写真キャプションで、「鉄道模型雑誌の編集長」などと書きましたが、本日、ご本人から”編集長ちゃいまっせ、雇われ編集部員でっせ”と言われました。なにか、私の会社時代の哀歓をそのまま生き写すようで、思わず感じ入りました。謹んで訂正します。

「江若鉄道再現模型運転会」開場

いよいよ29日(土)からオープンです。前日まで行われた整備・試運転も完了、江若鉄道の車輌・駅が、ゆかりの地で40年ぶりに模型でよみがえります。江若に関する写真・資料も用意、さらに、大阪通信員さん、大津の86さんが隠匿・死蔵していた部品類も会場を飾ります。
西村さんが寝食を忘れてこの3年間打ち込んだ、入魂の「江若鉄道再現模型運転会」、余計な言葉はもう不要、この眼で確かめに浜大津へ!
会場:スカイプラザ浜大津6階(京阪浜大津駅と直結、琵琶湖側のビル内エレベーターで6階へ TEL 077-525-0022)
会期:10月29日(土)、30日(日)、11月3日(木・祝)、5日(土)、6日(日)の5日間

三井寺下駅の再現ゾーン。このリアリティは見ないことには分からない

鉄道模型雑誌の編集長みずから取材に。新聞社の取材も行われた

江若鉄道 懐かしの写真展&鉄道模型展まで、あと2日!

江若鉄道、懐かしの写真展&鉄道模型展まで、あと2日となりました。’68年度生 西村雅幸君の力作、50両の車両の模型展示展、同じく’68年度生 福田静二君の写真展が開催されます。今日は、搬入準備を行います。西村君は、三原の自宅から車に展示物を乗せて向かっておられます。開催日には、会員皆様方のご来場をお待ち申し上げております。



関西 新快速 物語 発刊のお知らせ

1冊の本が届いていました。開けると、’68年生福田静二君から、先輩は神足駅(現;長岡京近くでよく在来線の写真を撮っておられたので、新快速が走り出した頃の写真があれば使わして欲しいと依頼のあった、” 関西 新快速 物語 ” が入っていました。
幼少期より、そして通学時代には父親が国鉄マンでありましたので、大幅家族割引のある国鉄に乗っておりました。当時の神足駅は普通しか止まらない駅で、80系が高速で通過するのを見送っていました。見送る電車はその後113・115系、153系、117系、221系と変っていきましたが、この本を読んでいくと、その頃の自分自信を思い起こしてくれました。
この本は、福田君が編集協力されました。掲載写真は福田君以外に、DRFC-OBの佐竹保雄、鶴絋明両先輩、井原実氏も写真提供をされておられます。是非、本屋に立ち寄りの際はご覧ください。良ければ、お買い求めください。

中国鉄路のバイブル 『中国鉄道大全』 発行のご紹介

日頃、「デジ青」を見ていただいております阿部真之氏が、最新の中国鉄路を紹介した本を、10月18日に発行されました。昨日、発行元より早速に本が届きましたので、ご紹介させていただきます。本の名前は、『中国鉄道大全』です。

阿部氏は現在、广州に勤務お住いで、どちらかと言うと乗り鉄派で、時間があれば中国鉄路に乗車して各地を漫遊されておられます。それだけに最新情報については精通しておられ、中国鉄路を知る第一人者のお一人です。中国各地で見られ取材された、中身の濃い実体験談が、ぎっしりと満載されています。
長距離列車の旅、奥地に残る蒸気機関車、ナローゲージ地方鉄道、活躍中の車両、都市交通や鉄道博物館等々、もれなく紹介されています。これをお読みになられたら、読者も中国鉄路通になられます。この本は、中国鉄路のバイブルになると言っても過言ではありません。

この本、実はもっと早くに出版される予定でしたが、例の鉄道事故で掲載内容の変更を余儀なくされてずれ込んだそうです。掲載内容を読むと苦労の跡が分かります。
中国鉄路にご興味がおありの方は、是非買ってみてください。ご推薦申し上げます。

私も協力を依頼されて、写真を提供しております。
阿部氏のホームページは、中国鉄道倶楽部です。最新情報はこちらでもご覧できます。

▲ これがその本ですが、私の住む長岡京市のしょぼい本屋には売っていませんでした。大きな書店でないと取り扱いはないようです。

流された鉄橋の下の廃線跡 (3)

今回の台風で被害の大きかった新宮は、熊野川の河口であり、上流から筏を組んで運ばれてきた木材の集散地として栄えてきました。しかし、河口が三角州のため、水深が浅く、木材を搬出する港湾設備には恵まれませんでした。そこで、天然の良港を持つ、近隣の勝浦(現・紀伊勝浦)まで、鉄道で運搬する計画が持ち上がりました。

新宮市内の市田川を渡る混合列車。この区間は線路移設で廃棄された。

このように新宮鉄道は、木材輸送を目的として明治期に会社設立された。軽便鉄道法に基づいて、明治44年から建設工事が始められ、大正2年に新宮~勝浦間15.5kmが全通した。紀伊半島の鉄道の第一号であり、県都の和歌山でも、この時点で、南海鉄道、紀和鉄道(現・和歌山線)は開業していたものの、和歌山以南の現・紀勢本線は全く未開業の状態で、紀伊半島の先端で、文字通り陸の孤島として、鉄道開業したことは驚きに値する。
新宮鉄道のように、他の線と連絡しない鉄道線は明治期によく見られる。その多くは、石炭、鉱石、木材などを集散地へ運搬するための貨物輸送が主眼であった。開業後、客貨分離、ガソリンカーの導入など近代化にも着手した。勝浦からは、大阪商船の旅客船が大阪、神戸を結んだ。ところが国有鉄道による紀伊半島一周構想が持ち上がり、熊野市から新宮、勝浦を経て串本へ至る紀勢中線に計画の中に組み込まれた新宮鉄道は、昭和9年に国有化されることになった。ただ、国有化されたものの、紀勢本線は未開業で、他の線と連絡の無いことには変わりなく、新宮鉄道からの引継ぎ車両のほか、鉄道省から蒸機や客車が船送され、バッファ式連結器に取り替えて使用された。
その後、紀勢中線全通に向けて、改良工事が実施された。新宮付近は、大幅な移設が行われたほか、前回の廃トンネルや、前々回紹介の那智川橋梁もこの時の改良工事で廃棄されたものである。(終)

松林に沿って伸びる線路。現在もこの面影は残っている。

新宮駅構内。現在駅の駅前広場あたりにあった。(いずれも『目で見る熊野・新宮の百年』より転載)

流された鉄橋の下の廃線跡 (2)

前回は、新宮鉄道の知られざる橋脚・橋台跡を記しましたが、よく知られているのは、現・紀勢本線の那智~宇久井~紀伊佐野、三輪崎~新宮に寄り添うようにして残っている廃トンネル群です。ただ、いずれも車内から確認するのは困難で、やはり歩いて探索するしかありません。

道路に転用された大狗子・小狗子トンネル。内部はコンクリートで巻かれている。

袖摺トンネルは煉瓦造りのポ-タルが残り、原型をとどめる。

那智~宇久井間にある大狗子・小狗子トンネルは、廃棄後、道路に転用され今も内部を通行可能で、現在の国道とも並行しているのでアプローチも容易である。宇久井~紀伊佐野にある袖摺トンネルは廃棄されたままだが、すぐ横を国道が通り、金網のすき間からトンネル跡にアプローチすることができる。
大変なのは、三輪崎~新宮間にある御手洗・稲荷山トンネルだ。現在線の横にあるものの、現在線は、切り立った海岸線ギリギリの狭隘部を走り、しかも途中にはトンネルがあって、探索者のマナーとしても、現在線のトンネルくぐりは避けたい。そこで、すぐ近くの熊野古道を歩き、見当を付けた付近から山林に入り、道なき道を藪漕ぎして、難行の末、ようやく廃トンネル跡に辿りついた。途中の密林の中を歩いていると、なぜか真新しいリュックが木のそばに置いてある。あたりを見渡しても人影らしきものは見えない。一瞬体が凍りついた。今でも、その持ち主がどうなったのか謎のままだ。
あと、以前は三輪崎駅付近は、痕跡がかなり残っていたが、付近に大型の商業施設が出来て、面影は残っていない。
また新宮駅付近は大きくルート変更された。当時の駅は、現在駅の正面あたりにあり、ここから途中の貨物駅を経由して海岸沿いへ直結していたが、現在は市街地を斜めに横切るルートに変更された。勝浦駅も現在の駅前広場あたり、構内も現在の勝浦町役場付近まで伸びていた。

人知れず眠る稲荷山トンネル。坑口の煉瓦が崩落し内部が露出している。

流された鉄橋の下の廃線跡 (1)

前回のシリーズで大震災のことに触れ、そのつながりで、思い出したことがあります。
奈良・和歌山県を襲った台風12号の被害から一ヵ月が経過しました。紀勢本線紀伊天満駅に近い那智川橋梁が増水で流失したことは、よくテレビでも報道されています。このため、今も紀伊勝浦~新宮間が不通のままです。
一人で気をもんでいるのは、この鉄橋のすぐ近くにある、新宮鉄道の橋脚、橋台の跡です。その跡がどうなっているのか、現場を写したテレビに目を凝らしても、確認することは出来ませんでした。

流失した那智川鉄橋(ネットより転載)

もう3年近く前の話になるが、出版社からの依頼を受け、新宮鉄道の廃線跡の調査に向かった。新宮鉄道とは、大正2年に開業した、現在の紀勢本線紀伊勝浦~新宮間の前身となる鉄道である。詳しい経緯は後述するとして、昭和9年に国有化され、昭和13年に線路付け替えなどの改良工事が完成している。旧線は廃棄されたため廃線跡が何ヵ所か残っている。
それらを求めて、紀伊勝浦から新宮へ向かっていた時のことだ。電車から何気に窓の外を見ると、川の中に橋脚らしきものが一瞬見えた。その日は、トンネル調査が主眼で、時間もなく戻ってきたが、どうも気になる。調べてみても、橋脚跡のことはどこにも書かれていない。見間違ったのかもしれないが、意を決し、その確認のために特急で往復してみた。

その場所は、紀伊天満駅から、新宮よりへ1kmほど歩いたところ、確かにそれは鉄道跡に違いなかった。川の中から橋脚の基部が顔を出している。片側には橋台も残っていることも判明、おそらく昭和13年の改良工事の際に廃棄されたものだろう。新宮鉄道の遺跡は、トンネル群は何度か発表されているが、那智川の橋脚・橋台については、私の知る限りでは発表は無かった。車窓からの偶然の発見を喜ぶとともに、フィールドワークの大切さを痛感したものだ。

那智川に顔を出した新宮鉄道の橋脚、水面下にもう一基見える。

左が流失した紀勢本線那智川橋梁、石造りの橋台跡も見える。

さよなら スカ色 113系

今年は、地元千葉の113系が最後の夏ということで、893-2さんもはるばる関西から足を運ばれましたが、先日、とうとうさよなら運転が実施されました。

その一部をご報告いたします。

定期列車から引退したあと、「ありがとう113系横須賀線の旅」ツアーがJR東日本横浜支社により企画され、9月18日(日)・19日(月)に幕張車両センター所属の113系116編成を使用した団体臨時列車が,東京→横須賀→大船→鎌倉車両センター→大船→横須賀→東京という行程で運転されました。

朝、早くから定番の田町駅東京寄りで待機し、撮影しました。

ちょっと物足りない長さですが、前面方向幕は、懐かしい横須賀線の表示で東海道線を南下していきました。

9月19日 田町駅にて

 

続いて、「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、9月23日(金)に幕張車両センター所属の113系116編成と217編成を使用した団体臨時列車が,両国→総武本線経由→銚子→成田線経由→両国という行程で運転されました。

定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転でした。

当日は、ライフワークの鹿島貨物とともに撮影しましたが、成田線大戸~下総神崎の重田踏切には、お召し列車撮影のために集まったのでは!?と思うほどの5~60人の鉄が集まり、113系の最後の成田線運用を見送りました。

9月23日 成田線 大戸~下総神崎間 重田踏切

下総神崎での12分間の停車を利用して、車で先回りし、下総神崎~滑河間の松木作踏切でも撮影ができました。こちらは、25名ほどの方が別れを告げていました。

9月23日 成田線 下総神崎~滑河間 松木作踏切

 

一夜明けた9月24日(土)、再び「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、幕張車両センター所属の113系116編成が両国→外房線経由→館山→外房線経由→両国という行程で、217編成が両国→内房線経由→館山→内房線経由→両国という行程で運転されました。

当日は、早起きして、これまた定番の撮影地 下総中山駅で待機。両国への送り込みと本チャンの各2本が撮影できます。一番乗りでしたが、本チャンの頃には、相当な人数になっていました。

どうせ昨日と同じ定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転だろうと思っていたところ、最初の外房線用の送り込みを見て、びっくり!なんと「快速 白い砂」のヘッドマークをつけていました。じゃあ、次の内房線の送り込みは、「快速 青い海」だったりしてと、同好の士と待つこと一時間。217編成が本当に「快速 青い海」のヘッドマークをつけて現れました。

9月24日 下総中山駅

これで、最後と思っていましたが、昨日、千葉支社のホームページを見たところ、八王子支社の201系の廃車回送をかねた旅行商品を真似たのかどうかわかりませんが、10月15日(土)に津田沼から長野総合車両センターへの回送に客を乗せ、運転するとのことです。これが本当のお別れになりそうです。

上信電鉄 デキ3+スハフ42 2173

昨日、9月18日土曜日に群馬県の上信電鉄で、デキ3がJR東日本のスハフ42 2173を牽引して、高崎~下仁田間を往復しました。

これは、JRが行っている群馬デスティネーションキャンペーンの一環として開催された「ぐんまの中小私鉄フェア2011」ものです。

JR東日本からは、7両ある旧型客車のうち、スハフ42 2173とオハ47 2266が上信電鉄に貸し出され、オハ47は、「ぐんまの中小私鉄フェア2011」の会場となった上信電鉄 高崎駅構内に留置され展示されました。一方、スハフ42はデキ3に導かれ、上州路を下仁田まで往復しました。当日は、SL「レトロ碓氷」も運転されていましたので、群馬県内で2本の旧型客車が走りました。

最初にこの情報を聞いたとき、今から十数年前の西武E851が引退に際して、12系を借り入れ運転したことを思い出しました。

デキが旧型客車を牽引するということで、是非撮影に向かうべく、準備を整え、朝5時に起きて、いざ高崎へ。上信電鉄に乗り換え、運が良いのか悪いのか冷房が故障して、窓が全開できる車両に乗り込み、9時18分発の電車で下仁田へ。窓から外を見ると、南高崎~根小屋の鉄橋付近には、既に何人かがデキを待っていました。10時22分下仁田着。途中のセブンイレブンで糧食を補給し、歩いて20分程度の千平~下仁田間の撮影場所に到着。まだ、列車通過2時間半前ということもあり、数名が待っている程度でしたが、13時10分過ぎの通過時刻には、4~50名くらいに膨れ上がっていました。

てっきり、デキが重連で客車2両くらい引くのかと思っていましたが、デキ1は故障しており。旧型客車は、一両が高崎駅構内で展示に使用するとのことで、デキ+旧型客車1両という模型のような編成となりました。

折返しは、1時間弱ですので、反対側に異動し、待機。すこしづつ山影や高圧鉄塔の影が伸びてきましたが、何とかクリアし撮影できました。

また、歩いて下仁田まで出て、下仁田発14時48分の電車に乗り込みましたが、途中で撮影帰りのファンが大量に乗り込み、超満員に。電車は約4分ほど遅れて高崎に到着しました。

高崎では、16時まで開催されていた「ぐんまの中小私鉄フェア2011」に何とか間に合い、デキ3とスハフ42。車庫の中のデキ1。ED31 6を撮影することができ、帰途につきました。

「鉄道展―東北を旅して」              ひと・まち交流館 京都にて続いて開催

佐竹保雄さん写真展・津田雅司さん模型運転会、「鉄道展―東北を旅して」―被災者心の人生・模型列車で東北へ行こう―は7月22日~28日に山科のからしだね館にて開催されましたが、本日より市内中心部のひと・まち交流館 京都にて、続いて開催されます。
皆様方のご来場をお待ちしております。

日時:8月9日(火)~15日(月) 11:00~16:00

場所:ひと・まち交流館 京都
URL;http://www.hitomachi-kyoto.jp/index.html

【バス】
市バス4,17,205号系統「河原町正面」下車
【電車】
京阪電車「清水五条」下車 徒歩8分
地下鉄烏丸線「五条」下車 徒歩10分

ひと・まち交流館京都 アクセス・交通

“市電の記憶、昭和の京都”展

地下鉄の御池駅ギャラリーで福田さんの写真展が開かれています。

今日の午後、市内へ出かける用事があったので足をのばしてみました。あいにくカメラを持っていなかったためお見せできないのが残念ですが上手くまとめられていて説明と写真の配置もよく、見やすいのがいいと感じました。この手の写真展は市電の車両に偏りがちなのがさすがは福田さん、湯口先輩を彷彿とさせるような人々と市電の係わりように目を向けた作品ばかりで懐かしさで長居をしてしまいました。その間、中年以上の見るから市電世代の方々が熱心に眺めたり、携帯で気に入りの作品を撮ったりメモをする人もいました。

少し残念なのは作者の年代による制約のせいでワンマン化後がほとんどで、ツーマン時代の写真があまり無かったのはやむを得ないことと納得しています。かなうならこの次は諸先輩も交えて戦後の市電写真を並べてみたらいいなと思いました。

御池ギャラリーはまもなく廃止されるそうです。黒字を求める余りどこでも金儲け用に作り替えるのでしょうか。おそらく最後の作品展になるでしょうから皆様もぜひ行って見てください。

8月2日~19日(金)※19日のみ13時閉場

中国版新幹線 追突転落事故発生!

7月23日現地時間20時34分(日本時間;21時34分)に浙江省温州付近にて中国版新幹線の追突衝突事故が発生し、多数の死傷者がでました。中国鉄路をこよなく愛する私としては真に残念な事故発生に深い悲しみを持って受けとめております。
不幸にして事故に遭遇され亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷されました方々のご回復を願っております。

事故の様子につきましては、昨日「鉄道展 東北を旅して」のイベントに参加帰宅してすぐに知りました。昨夜は現地サイトのニュースをインターネットで見ながら、釘付けでした。日本で報道された内容には誤報もありますので改めて整理させていただきます。

現地の最新情報についてはこちらへ。

【事故発生の状況】
事故発生時現場(杭深線永嘉と温州南)は豪雨で雷が響き、落雷停電となって約1300人満員の乗客を乗せたD3115次(杭州→福州南、CRH1Bの16両編成)が緊急停車中でした。そこに、約700人を乗せたD301次(北京南→福州、CRH2Eの16両編成)が追突しました。衝突後、D301次の先頭車16号車から13号車が高架線の側壁を飛び越えて地上に転落、13号車は地面に直角に激突しました。
事故現場はこちらです。

【安全設備】
高速専用線にはATP自動列車制御装置が採用されていますので、 先行列車が停車した場合は、停止させる機能を持っていますが、なぜか機能は発揮されず後続列車がそのまま激突しています。これからの調査により事故原因は解明されると思いますが、これまで言われてきた中国版新幹線の安全性への問題点が現実となった起こるべきして起こった人災事故ではないかとの推測がインターネット上には掲載されています。

【事故車両】

▲ D3115次に使用されているCRH1B(16両編成)、写真はCRH1(8両編成)。ボンバルディアから技術供与を受けた200km/h対応車で、全鋼製。寝台電車仕様のCRH1Eもあり、現在増産されています。今回046B編成が追突されました。


▲ D301次に使用されているCRH2E(16両編成)。「はやて」を寝台電車に設計変更して、京滬高速が開業する前は、北京南~上海虹橋の夜行として使用されていましたが、現在は、昼間運行となり軟座寝台は、6人コンパートメント普通車として運行されています。今回139編成が追突した側の加害車両です。

追突後、加害車両は空を舞って地面にたたきつけられたとの目撃者証言があります。尼崎の事故のように先頭車はぐしゃぐしゃに破壊されていて、事故の大きさが甚大だったことが分かります。
起こってはならない事故が発生し多くの人命が失われた事は、安全への軽視以外に考えられようがなく、これからどのような原因究明と対応策を講じられるかが問題です。

いよいよ開催 「鉄道展-東北を旅して」

クローバー会会員にはすでにご案内していますが、佐竹保雄さん写真展・津田雅司さん模型運転会「鉄道展-東北を旅して」が、いよいよ明日から、下記の日程・場所で開催されます。

7月22日(金)~28日(木) 11:00~16:00 (24日(日)休館)

からしだね館 地下ホール (京都市営地下鉄東西線「小野」下車、1番出口から南へ1分 小野交差点の西南角)

設営日に当たる本日は朝から多くのクローバー会会員が訪れ、設備の搬入、レイアウトの調整、写真の展示などに汗を流し、夕方には準備完了、あとは来場者を迎えるまでになりました。ぜひ期間中にご来場いただき、写真・模型を通じて、美しかった東北を偲び、東北の一日も早い復興にお手伝いをしていただくよう、お願いいたします。

▲朝から準備に当たる会員達

▲N・HOのレイアウトには、東北ゆかりの列車が走る

さて、このイベントでは、クローバー会は後援団体として、鉄道グッズのチャリティコーナーの運営を任されました。会員の皆さんに理解を求めましたところ、多くの会員から、貴重品・ガラクタの中から選りすぐりの逸品を惜しげもなく放出していただきました。なんとその数約800アイテム! ほとんどが1点100円という超特価、売上は全額、東北復興に寄付いたします。

特派員も開催前に黙って買ってしまおうかと思ったほどの、お値打ち品の数々。早いもん勝ち、もちろんクローバー会会員でも買っていただけます。ぜひご来場ください。

▲会員の協力で実現した鉄道グッズコーナー

▲思わぬ貴重品も、ワンコインでOK

ドレミ電車って?

今日のネットニュースに「ドレミ電車がなくなる」との記事が出ていました。何のことやらと読んでみると次のような話でした。

関東の方たちには当たり前の話題でしょうが関西では知りませんでした。

>ドレミファ…と音階を奏でながら走る京浜急行電鉄(京急、東京~神奈川)の通称「歌う電車」が、車両の改造工事が終わり次第、姿を消すことになった。登場からわずか10年余り。人気ユニット「くるり」の曲「赤い電車」のモデルにもなった人気車両で、京急社内でも惜しむ声が上がっている。(大竹直樹)

 「ファ~ソラシ、ドレミファ~」。車体の下から不思議な音階を奏でながら電車が動き出す。音階の正体は、モーターを制御するインバーターから聞こえる“騒音”だ。平成10年に登場した2100形電車と、14年に登場した新1000形電車に搭載されている独シーメンス社製の装置で、鉄道ファンからは「ドレミファインバーター」と呼ばれ、親しまれている。

 女性客からも「音がかわいい」といった反響も寄せられているといい、「歌う電車の宣伝はしていないが、喜んでもらえるのはうれしい」と京急。登場当時、車掌をしていた京急広報課の飯島学主任(35)は「音にも愛着をもっていただき、お客さまが目を輝かせて眺めてくれるのがうれしい」と目を細める。

 音階のように聞こえるのは、偶然の産物ではない。「実は開発したドイツ人技術者の遊び心」と語るのは、シーメンス日本法人モビリティ事業部の庄司不二雄さん(60)。ソフトのプログラムを工夫することで音を出すことができ、ドイツの高速鉄道「ICE」の車両が米国内で試験走行した際は「アメリカ国歌も奏でた」という。

 だが、京急の車両に搭載されている装置は経年劣化のため、日本製インバーターへの置き換えが進み、「歌う電車」は年々減少。2100形は10編成のうち6編成がすでに改造された。残り4編成もあと1年程度で改造を終える見込みという。

 一方、新1000形も改造工事が進んでいる。残り8編成の改造時期は定まっていないが、数年以内に全車両の改造を終える見通しで、京急社内にも“歌わない電車”への改造を惜しむ声が上がっている。

 「歌う電車」に乗るにはどうしたらいいのか。京急によると、外観で判別するのは難しく「運次第」。ただ、片側に2カ所扉がある2100形の快特電車では1時間あたり1本の確率で「歌う電車」にめぐり会える可能性があるという。

 「歌う電車」を生み出したシーメンスの庄司さんは、「なくなってしまうのは寂しいが、新しい装置に置き換わるのは時代の趨勢(すうせい)なので仕方ない」と見守っている。

 京急は「すべての『歌う電車』がなくなる時期は未定だが、残すことは考えていないので、なくなるまでに楽しんでほしい」と話している。<

(以上:産経イザより転載)

井笠鉄道連載 その7 番外編

中国新聞の連載は6回で終了しましたが、番外編として あまり紹介されていないであろう井笠の車両たちのその後の様子などをご紹介して この連載の最後と致します。なお横着をしてアルバムに貼ってあるプリント写真をスキャンしましたので お見苦しい点はご容赦を。

笠岡駅構内の西側に県道34号線の跨線橋があり、その跨線橋の海側の高架下にホジ9が保存されていました(現在もあるかどうか未確認)。この2枚は昭和51年撮影ですが、その後昭和52年9月も同じ状態でした。高架下で雨がかかる心配はないので車体は比較的痛みは少なく 塗色もまずまずでしたが 窓ガラスや連結器もなく みすぼらしい姿でした。ちなみにこのホジ9は昭和6年梅鉢製。

昭和46年4月1日に全線廃止後長らく くじ場車庫には多くの車両が保管されていました。駅の敷地は板囲いで立ち入り禁止になってはいましたが 入るのは容易で 荒れ果てた車庫内で撮影しました。廃止後5年の昭和51年の状況です。カラー写真は昭和60年12月30日撮影、 下津井電鉄下津井駅に留置されていたi井笠ホジ3。平成3年1月1日に全線廃止された下津井鉄道で レール撤去工事などで最後のご奉公をしたホジ3でした。

上の写真が旧くじ場駅本屋で 井笠観光開発㈱旅行案内所の看板は上がっていますが この日は無人でした。バスの待合所でもあります。塀の中に入ると荒れた車両が多く残っていたのですが、残念ながら車番を記録していません。一番奥がホジ8、ホワフ、ホハ、ホワフでしょう。

山陽本線備後赤坂駅北側の丘陵地帯に赤坂遊園という 田舎版「ひらかたパーク」があって 子供を連れてよく遊びに行ったものでした。この遊園地のなかに なぜか井笠鉄道の車両が多く保存されていました。上の写真の左側に写っているのがコッペル3号機です。実機にはなぜか「2」の表記があるのですが 実際の2号機は岡山の池田動物園に行っているのに、製番6535の3号機がなぜか2号機になっていたようです。コッペルのほかにホハ11、ホハ12、ホワフ5、ホト2が保存されていました。

これらの井笠保存車の外側にゲージ600mm?のこども列車があり 加藤の3Ton ? 機関車がSLらしく改造されて 周回していました。製造年や前歴など詳しいことは不明です。芦田川などの河川工事にでも使われていたものかと想像します。この遊園地はいつのまにか閉園されて この機関車もどこへ行ったのか不明です(一説には太陽保育園?に行った)。また井笠の車両たちの行く末も調べていません。

この遊園列車の駅舎として使われていたのが、井笠鉄道薬師駅で わざわざここへ移設したようです。駅名標は「ふくやま」となっていますが 多分山陽線福山駅の高架化で不要になった地上ホームにあったものを持ってきたのでしょう。

ホワ2

ホワフ5

井笠の9号機は珍しい経歴の機関車で 1910年ベルギーのCockerill製。 釜石製鉄所から移ってきて井笠9号となり、昭和36年に廃車。その後昭和43年に上記の笠岡跨線橋下に保存、昭和48年にはなんと京都 桃山城に展示され、今度は井原鉄道井原駅建設予定地に移されたという 現役引退後もあちこち引っ張りまわされたSLでした。ベルギー製の機関車は珍しいのですが、あちこち改造されて結局シリンダ回りだけが製造当初のものと言われているようです。次の写真は平成5年8月14日撮影ですが、井原鉄道開業に伴い また場所を移されて 駅の東の七日市公園に屋根なしの状態で保存されました。

 井原駅予定地にて

 七日市公園にて(H11,1,30)

コッペル製のSLは1,2,3,6,7号機の5両がありましたが 7号機は昭和45年にスクラップとして売られ、姫路市網干区北在家のパチンコ店「百万ドル」の駐車場に放置されていました。撮影は平成9年7月24日です。 サイドタンクとキャブに「ホリデー号」と書かれていますので何らかの使い方をされたあと お役ご免でこの駐車場の隅に放置されたのでしょう。由緒正しきコッペル機がこのような姿をさらしているのは つらいものがありました。サイドタンクには井笠の社紋や7の文字がリベット止めされて残っていました。

最後に 笠岡駅にあった1067mmと762mmの平面クロスをご紹介します。笠岡駅の線路配置が北から国鉄の貨物引き込み線、次いで井笠鉄道、そして国鉄本線となっていましたので 井笠の列車は必ず国鉄の貨物引き込み線を横切っていたわけです。そのため異ゲージの平面クロスがあったのです。撮影したのは昭和51年ですから 井笠の廃止後です。このクロッシング前後の井笠のレールは撤去されていましたが、国鉄の貨物線は生きていたので、この部分だけが元の姿で残っていたものと思います。このような場合の保安方式がどうなっていたのか 今頃になって興味が湧いてきますが どなたかご存じなら教えてください。市電などは別として 平面クロスを見る機会はほとんどなくなりましたが 余談ながら糸崎駅構内にも珍しい平面クロスがあったのですが写真に残しておらず 悔やんでいます。それは三菱三原から糸崎港に向かう1067と1435のデユアルゲージと日本セメントへの引込線(1067)とのクロッシングです。

とりとめのない番外編となりましたが、何かの参考になれば幸いです。以上