名鉄850系

米手作市さんご紹介2017.12.22[91442]付け名岐鉄道850系の写真である。「なまず」の愛称の元となった正面飾り帯はこの時はなくなっていたが関先生の描かれた顔をよく留めていたように思う。1988年(昭和63年)に廃車された。

1972.09.11 犬山線徳重~大山寺 柏森行き2351+851←

客車廃車体訪問記 北海道編 補遺

客車廃車体訪問記 北海道編1【90822】で紹介した函館市ききょう幼稚園にあるオハ51 5004の現役時代に撮影したネガが出てきたので、本編の途中で補遺として紹介する。函館駅で1997年10月11日(土)撮影。

▲オハ51 5004  2-4位側 快速「海峡」(何号かメモしていない)の2号車。左の3号車は、カラオケルームカー オハフ50 5010である。

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C575に便乗させていただきます。

 C575 がC571に部品が提供されていたとはああ~知らなんだ。梅小路のC57はすべてがきれいに整備されていましたが、当時はC575は神様のように思っていた機関車でした。それでは私の持っているC575の写真をご覧ください。

たぶん、初めてのC575の写真だと思います。DRFC入会間もないころです。同じネガに新入会員コンパの写真がありました。

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速報 C575

米手作市様からのリクエストにお応えして、C575の写真を取り急ぎご紹介します。とは言え、「はよしてやぁ!」と言われそうでフィルムスキャンしているヒマがありませんので、簡易画像で失礼します。これでご勘弁を。

昭和45年 梅小路機関区にて 形式入りナンバープレートが輝く。  隣にはDF50が。

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名岐鉄道850系

昭和10年頃というと”流線型”が”流行”した時代でした。国鉄のモハ52系や京阪の1000系、阪急の250型など私には同じようなデザインにしか見えないのですが、現在でも車が同じような顔で売られているのと似ています。

客車廃車体訪問記 北海道編8

函館本線星置駅・余市駅付近2題を紹介する。

【札幌市手稲区】

記号番号不明  43.129983, 141.209908  1995年10月12日撮影  最寄り駅:星置 ラーメンチェーン山岡家手稲店の裏
正面屋根上に「レストラン MERRY TRAIN」という看板を付けている。既に店舗ではなく、事務所兼休憩室のようだったので内部調査はしていない。現車は『鉄道ピクトリアル』441号96頁①に写真があり、苗穂工場で試作したサロンカー「旅路」である。正面中央に消えかけたトレインマークが残っている。手前の展望室にはソファがあり、絨毯室、個室寝台が設備されていたそうである。これはその後アルファコンチネンタルに結実した。
『鉄道ピクトリアル』718号59頁②にも「旅路」の写真があり、それらの写真と現車を比較すると、正面にスカートが増設されたことがわかる。展望室窓と屋根部の境目のパイプは此処で付けたものである。
現車は、①によればスハ45 37、②ではスハ45 40と食い違っている。ところがスハ45 37は振内の保存車(本稿第5回【91151】)であり、スハ45 40は次項のラーメン店「そーらん」で利用ということになっている。他にスハフ42 509やスハ45 12という説もある。塗り替えをおこなったようで、各標記は無く、銘板も無かった。狭かったため写真は撮っていないが、画面奥の妻面に尾燈が無かった記憶がある。これも現存しない。どなたか、是非ご教示いただきたい。

この時はちょうど札幌に出張中で、会社のコンパクトカメラを借りて撮ったので日付が入っている。

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湯口先輩の瀬野八に便乗する

湯口先輩に遅れること5年でこれほど変わってしまったのです。

昭和39年2月と4月の撮影です。電化されて変わったことは、美観が天と地ほど悪くなったことは当然ですが、旅客列車が電化されて列車長の長い貨物列車だけが蒸機で残ったため大カーブで補機まで入れることが難しくなったことでした。2月は大雪に見舞われ、4月は架線工事にジャマされました。
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客車廃車体訪問記 北海道編7

小樽市内3題を紹介する。

【小樽市総合博物館前】

スハ43 717  43.211358, 141.002044 2016年7月13日撮影 小樽市総合博物館前 レストラントレノ
小樽市総合博物館前で「レストラントレノ」という屋号のイタリアンレストラン。スハ43は客席で厨房は隣のワフ29688。
◆スハ43 277(1953年新製 日支)→(1976年改造 五稜郭車セ)スハ43 717→1984年廃車。
スハ43 717はスハ43形のラストナンバーである。

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瀬野八本松1959年3月

憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームに関してはTSURUKAME氏が総括して下さったのでスルーし、シコシコ修整できた(修整不能も何コマかある)「せのはち」画面をご笑覧賜りたい。この10km区間を短靴で歩いたのだが、上りの機関車が盛大に散布する砂で、全く以て歩きにくく、再々靴に入った砂を排出せにゃならんかったのが未だに記憶に残る。恐らくは保線区が時折砂を撤去していたんじゃないか。何しろ枕木が埋まっていたのだから。

上の地図は当時のもので、今では沿線に家が立ち並び、かつては山陽本線と完全に並行していた国道2号線は、八本松側に4km程バイパスができてショートカットされ、その区間は山陽線と少し離れている。
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今年もサンタがやって来た

デジ青の画面にも雪が降りだして、平成29年もあと半月程度となりました。今年も広電のクリスマス電車が走るということで、INUBUSE氏と撮影に出かけました。昨年のクリスマス電車は広島駅、横川駅、西広島駅での短い折り返し時間を利用して、子供たちにプレゼントを配るという趣向でした。今年はそれに加えて、一般客も乗車できる日が設けられ、夕暮れ時から白島線を3往復します。まずは千田車庫を訪ね、許可を得て出発前のハノーバー電車238号の撮影から開始です。

平成29年12月15日 千田車庫にて飾り付けされて出発を待つ238号と1906号

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客車廃車体訪問記 北海道編6

石勝線沿線2題を紹介する。

【安平町鉄道記念館】

スハ45 25  42.877047, 141.806459  2017年8月15日撮影 安平町鉄道記念館
◆スハ45 25(1953年新製 日支)→1964年近代化改造 五稜郭工→1987年廃車。
追分駅裏手に安平町鉄道記念館があり、スハ45 25とワム80000が3両置いてある。駅裏とはいうものの駅には裏口がなく、徒歩なら少し遠回りして歩かなければならない。公園のようになっているが、12時過ぎなのに人っ子一人居ない。前の道路を通る自動車もなかった。

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客車廃車体訪問記 北海道編5

日高本線沿線3題を紹介する。

【富内鉄道資料館】

オハフ33 1568(左)  スハ45 26(右)  42.782898, 142.219105  1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。

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半世紀前の阪急神戸線(2)芦屋川-御影間、併せて今昔対比

芦屋川駅です。前回同様、青信号4号、高橋正雄先輩記述『京阪神急行神戸・宝塚線』を参考文献(*)として引用させて頂きました。
▼芦屋川駅、上り4連普通車最後部 1961年3月11日撮影
【920型920-924(M)、950型950-954】951は戦災復旧車で、以前より平シルであったが、車体は終戦直後の復旧であり完全な出来栄えでなく、更新工事で面目を一新した。通風器はガーランド式で中央一列。Tc車のパンタ取付台は撤去された。台車はこの920型のみ汽車会社のL-17(920型)、L-15(950型)である(*)。
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知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼

だるまさん いろいろ

井原殿の廃客車探索旅を驚きとともに楽しませて頂いています。さて客車の廃車体に比べてワムやワラのだるまさんは我が家近くの田んぼのなかで結構見かけますし、ワムやワラにカメラを向けることはまずありませんが、時にはこんなものに出くわすとついカメラを向けてしまいます。

平成29年4月16日 三原市本郷町にて

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客車廃車体訪問記 北海道編3

八雲町、せたな町2題を紹介する。

【八雲町の3扉車 他】

オハ51 5(左)  オハ51 41(右)  2017年5月4日撮影
函館本線八雲駅からせたな町へ抜ける道路沿いの、なんと個人の住宅として使用されている。3扉が特徴のオハ51 41と、2両のオハ51をそれぞれ半分よりやや長く切断した車体が分散して置いてある。切断した方が運搬費用が安いからであるが、41は搬入後再接合したが、残り2両は切断して長い方だけ搬入したと思われる。

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知多鉄道デハ910号

昔の電車は国鉄も私鉄も貫禄と気品がありましたね。
最近の電車は色を塗らないからピカピカで品がない。その上、顔が同じ(に見える)だから形式の違いがわからない。従っておもしろくない。電車ファンの皆様、ゴメンナサイ!

関先生!この当時の国電もお願いします。

客車廃車体訪問記 北海道編2

第1回に続き、道南いさりび鉄道(旧江差線)沿線2題を紹介する。

【ペンション宵の明星 2両】

スハフ44 9(左)  オエ61 50(右)  1997年8月10日撮影  41.746343, 140.601257(Googleマップから取得した緯度・経度の座標である。Googleマップで検索するとピンポイントで位置を特定できる。)

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