客車廃車体訪問記 北海道編8

函館本線星置駅・余市駅付近2題を紹介する。

【札幌市手稲区】

記号番号不明  43.129983, 141.209908  1995年10月12日撮影  最寄り駅:星置 ラーメンチェーン山岡家手稲店の裏
正面屋根上に「レストラン MERRY TRAIN」という看板を付けている。既に店舗ではなく、事務所兼休憩室のようだったので内部調査はしていない。現車は『鉄道ピクトリアル』441号96頁①に写真があり、苗穂工場で試作したサロンカー「旅路」である。正面中央に消えかけたトレインマークが残っている。手前の展望室にはソファがあり、絨毯室、個室寝台が設備されていたそうである。これはその後アルファコンチネンタルに結実した。
『鉄道ピクトリアル』718号59頁②にも「旅路」の写真があり、それらの写真と現車を比較すると、正面にスカートが増設されたことがわかる。展望室窓と屋根部の境目のパイプは此処で付けたものである。
現車は、①によればスハ45 37、②ではスハ45 40と食い違っている。ところがスハ45 37は振内の保存車(本稿第5回【91151】)であり、スハ45 40は次項のラーメン店「そーらん」で利用ということになっている。他にスハフ42 509やスハ45 12という説もある。塗り替えをおこなったようで、各標記は無く、銘板も無かった。狭かったため写真は撮っていないが、画面奥の妻面に尾燈が無かった記憶がある。これも現存しない。どなたか、是非ご教示いただきたい。

この時はちょうど札幌に出張中で、会社のコンパクトカメラを借りて撮ったので日付が入っている。

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湯口先輩の瀬野八に便乗する

湯口先輩に遅れること5年でこれほど変わってしまったのです。

昭和39年2月と4月の撮影です。電化されて変わったことは、美観が天と地ほど悪くなったことは当然ですが、旅客列車が電化されて列車長の長い貨物列車だけが蒸機で残ったため大カーブで補機まで入れることが難しくなったことでした。2月は大雪に見舞われ、4月は架線工事にジャマされました。
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客車廃車体訪問記 北海道編7

小樽市内3題を紹介する。

【小樽市総合博物館前】

スハ43 717  43.211358, 141.002044 2016年7月13日撮影 小樽市総合博物館前 レストラントレノ
小樽市総合博物館前で「レストラントレノ」という屋号のイタリアンレストラン。スハ43は客席で厨房は隣のワフ29688。
◆スハ43 277(1953年新製 日支)→(1976年改造 五稜郭車セ)スハ43 717→1984年廃車。
スハ43 717はスハ43形のラストナンバーである。

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瀬野八本松1959年3月

憎っきネオパンSSのヴィネガー・シンドロームに関してはTSURUKAME氏が総括して下さったのでスルーし、シコシコ修整できた(修整不能も何コマかある)「せのはち」画面をご笑覧賜りたい。この10km区間を短靴で歩いたのだが、上りの機関車が盛大に散布する砂で、全く以て歩きにくく、再々靴に入った砂を排出せにゃならんかったのが未だに記憶に残る。恐らくは保線区が時折砂を撤去していたんじゃないか。何しろ枕木が埋まっていたのだから。

上の地図は当時のもので、今では沿線に家が立ち並び、かつては山陽本線と完全に並行していた国道2号線は、八本松側に4km程バイパスができてショートカットされ、その区間は山陽線と少し離れている。
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今年もサンタがやって来た

デジ青の画面にも雪が降りだして、平成29年もあと半月程度となりました。今年も広電のクリスマス電車が走るということで、INUBUSE氏と撮影に出かけました。昨年のクリスマス電車は広島駅、横川駅、西広島駅での短い折り返し時間を利用して、子供たちにプレゼントを配るという趣向でした。今年はそれに加えて、一般客も乗車できる日が設けられ、夕暮れ時から白島線を3往復します。まずは千田車庫を訪ね、許可を得て出発前のハノーバー電車238号の撮影から開始です。

平成29年12月15日 千田車庫にて飾り付けされて出発を待つ238号と1906号

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客車廃車体訪問記 北海道編6

石勝線沿線2題を紹介する。

【安平町鉄道記念館】

スハ45 25  42.877047, 141.806459  2017年8月15日撮影 安平町鉄道記念館
◆スハ45 25(1953年新製 日支)→1964年近代化改造 五稜郭工→1987年廃車。
追分駅裏手に安平町鉄道記念館があり、スハ45 25とワム80000が3両置いてある。駅裏とはいうものの駅には裏口がなく、徒歩なら少し遠回りして歩かなければならない。公園のようになっているが、12時過ぎなのに人っ子一人居ない。前の道路を通る自動車もなかった。

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客車廃車体訪問記 北海道編5

日高本線沿線3題を紹介する。

【富内鉄道資料館】

オハフ33 1568(左)  スハ45 26(右)  42.782898, 142.219105  1998年9月13日撮影 穂別町 富内鉄道資料館
旧富内駅を活用した施設で、最近は「富内銀河ステーション」と称しているらしい。
旧貨物側線に留置されている客車の用途は、ライダーハウスだったらしいが、車内にはタイヤチューブが積まれていた。なにしろ駅舎は閉まっていて、周りに誰一人いなかったのでわからない。塗装は綺麗である。

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半世紀前の阪急神戸線(2)芦屋川-御影間、併せて今昔対比

芦屋川駅です。前回同様、青信号4号、高橋正雄先輩記述『京阪神急行神戸・宝塚線』を参考文献(*)として引用させて頂きました。
▼芦屋川駅、上り4連普通車最後部 1961年3月11日撮影
【920型920-924(M)、950型950-954】951は戦災復旧車で、以前より平シルであったが、車体は終戦直後の復旧であり完全な出来栄えでなく、更新工事で面目を一新した。通風器はガーランド式で中央一列。Tc車のパンタ取付台は撤去された。台車はこの920型のみ汽車会社のL-17(920型)、L-15(950型)である(*)。
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知多鉄道910形のちの返り咲きの姿

関先生の[90983]17.12.08付け知多鉄道デハ910形についてその表題を「知多鉄道デハ910形の成れの果て」としようと思った。先生のご説明の通りTC化されたり、木造車の機器を流用して再びMC化されたりして様々な変遷があったようであるが、最後はパノラマカー色、ミュージックホーンの特急車として使用されたので「成れの果て」よりも「返り咲き」にしてみた。

1972.9.11 名鉄瀬戸線尾張旭-三郷 2301+901← ▼

 

上と同一日、同一区間 特急905+2322 ▼

だるまさん いろいろ

井原殿の廃客車探索旅を驚きとともに楽しませて頂いています。さて客車の廃車体に比べてワムやワラのだるまさんは我が家近くの田んぼのなかで結構見かけますし、ワムやワラにカメラを向けることはまずありませんが、時にはこんなものに出くわすとついカメラを向けてしまいます。

平成29年4月16日 三原市本郷町にて

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客車廃車体訪問記 北海道編3

八雲町、せたな町2題を紹介する。

【八雲町の3扉車 他】

オハ51 5(左)  オハ51 41(右)  2017年5月4日撮影
函館本線八雲駅からせたな町へ抜ける道路沿いの、なんと個人の住宅として使用されている。3扉が特徴のオハ51 41と、2両のオハ51をそれぞれ半分よりやや長く切断した車体が分散して置いてある。切断した方が運搬費用が安いからであるが、41は搬入後再接合したが、残り2両は切断して長い方だけ搬入したと思われる。

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知多鉄道デハ910号

昔の電車は国鉄も私鉄も貫禄と気品がありましたね。
最近の電車は色を塗らないからピカピカで品がない。その上、顔が同じ(に見える)だから形式の違いがわからない。従っておもしろくない。電車ファンの皆様、ゴメンナサイ!

関先生!この当時の国電もお願いします。

客車廃車体訪問記 北海道編2

第1回に続き、道南いさりび鉄道(旧江差線)沿線2題を紹介する。

【ペンション宵の明星 2両】

スハフ44 9(左)  オエ61 50(右)  1997年8月10日撮影  41.746343, 140.601257(Googleマップから取得した緯度・経度の座標である。Googleマップで検索するとピンポイントで位置を特定できる。)

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展望ロマンスカーの本家本流7000形そろそろ引退か

2018年3月に小田急は代々木上原までの複々線を完成させダイヤの大幅改正が行われる。新型ロマンスカー70000形も発表され、1963年(昭和38年)製造の展望席付きロマンスカー3100形NSEの後継車として1980年(昭和55年)に登場した7000形LSEもそろそろ引退のうわさが出ている。関西を始め各地からこの本家本流を記録に留めたいと最近はファンも多い様だ。名鉄パノラマカーの引退の頃には特急運用から離脱して急行や各駅停車運用がほとんであったが、この7000形は特急ロマンスカーのまま最後を迎えると思われる。そこで私自身の最近の記録と撮影地として沿線の印象を述べてみたい。

新松田の西、酒匂川橋梁は小田急沿線では富士山を無難に入れることができる。10両急行編成全体が入るので以前異形式連結の時にも投稿した場所である。開成や渋沢付近でも富士山を入れて撮ることができる。

2012.02.20 7004 はこね7号 ▼

新松田-渋沢間は山間部の雄大な風景や山に登っての俯瞰撮影も可能であるが駅間距離が6.2kmもあるので徒歩では少し厳しい。小田急ではトップクラスの撮影地である。

2010.11.5 はこね15号 7804 ▼

東海大前から秦野に向かう大カーブで見上げる形になるが足回りがよく見えて流し撮りにも最適。この色は今は見られない。丹沢山系も見えていい撮影地で車でも行きやすいが俯瞰ができないのが残念である。

2011.01.22 はこね15号 7804 ▼

伊勢原の愛甲石田よりは比較的開けており丹沢山系も入れられる。ここも編成全体が見渡せるが意外と電線等が邪魔になるのでうまく処理したい。

2015.12.08 はこね15号 7804 ▼

 

開けた所では流し撮りも試みた。 なかなか腕が上がらない

2015.12.09 愛甲石田-伊勢原 はこね15号 ▼

 

これも以前5000系で投稿した場所で鶴巻温泉-伊勢原間の踏切で撮影。朝の早い時期に勝負すること。

2015.02.19 はこね6号 7000形▼

 

桜の時期に特徴ある先頭車だけをねらってみた。有名桜名所だが年々撮り難くなっている。

2014.04.02 座間-相武台前 7003 はこね6号 ▼

 

時間があまりない場合編成だけを狙うならここ。 お昼に来るはこね19号は確実に撮れるが複々線のため遅れると被ることがある。

2016.01.25 和泉多摩川 7000系 ▼

 

これも下手な流し撮り。和光大学のあたりは緑も多いが編成全体を入れるには工夫が必要。

2010.12.10 鶴川-玉川学園前 7801 はこね15号▼

 

初代展望ロマンスカー3100形の晩年の姿でこの日は雨だった

1999.06.19 秦野-東海大学前 新宿行き「さがみ」

故羽村 宏先輩の作品-京都市電運転系統図

最近、故羽村 宏先輩の阪急京都線の画像を投稿し、読者の皆様にご覧いただきましたが、その他の先輩諸氏から連絡が沢山ありました。それは、阪急の写真の他に、羽村先輩の有名な『京都市電運転系統図』も多くの人に見て貰ったらどうか、また、顔を知らない後輩に顔写真も載せて知って貰うのはどうか、とのことでした。

そこで、1961(昭和36)年10月14日発行、青信号8号掲載
『昭和14年7月 京都市電運転系統図』をご覧に入れます。
当時の謄写版印刷でカラー印刷は不可能。現在の標準輪転機印刷機などでもカラー印刷は困難な状況です。これは、予め謄写版印刷で印刷したモノクロ図の上に、黒を含め3色を用い、手書きで彩色したものです。青信号8号は何部印刷製本したのか判りませんが、兎に角発行部数分を彩色、8号に挿入製本されたものです。
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客車廃車体訪問記 北海道編1

2016年3月に急行「はまなす」が廃止されて、汽笛一声以来の定期客車列車の長い歴史が終わり、客車は「SLやまぐち号」や「ななつ星in九州」など臨時列車用と10両に満たない事業用車に残るだけになった。現役客車がこのような状況になり、6月にリタイアしたのを機に、各地に点在している旧国鉄・JRのリタイアした客車-廃車体-を撮影して回ろうと思い立った。廃車体は以前からぽつぽつ撮っていたが、まず北海道を制覇することにしてこの2年間、積雪のない時期に重点的に渡道し、現状ほぼ全車撮り終えたと思われるので発表したい。「ほぼ」というのは、廃車体の全容を完全には把握していないからで、小生の知り得た情報を全部確認したというだけのことである。この報告以外に廃車体の存在をご存じであれば是非ご教示いただきたい。

本題に入る前に、最新の新製客車に少し触れる。
近年客車の新製は大幅に減少し、今年の新製客車はJR北海道のマヤ35-1とJR西日本の35系くらいである。まずここでは趣味誌に紹介記事の少ないマヤ35-1をご覧にいれる。

右側がマヤ35-1札サウ  2017年8月13日撮影 札幌運転所  稲穂駅のホームから見える。
左側はマヤ34 2008札サウ で、日立1978年2月17日新製、2004年にリニューアルしたものの、40年近い歳月が経過しており、マヤ35が登場して来年交代するらしい。
マヤ35は同じく日立2017年5月17日製、今年のゴールデンウィーク後、遙々やって来た。窓・扉が異常に少なく(2-4位側も同様)、車体長は20.8mと少々長いが車高がいやに低いので余計細長く見える。これで定員10なので、内部はどうなっているのであろうか。マヤ34と違い中間台車が無く、積雪時でも検測可能だそうな。台車はN-TR35(総合車両製作所)と称する。

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もっと酷いビネガーシンドローム(2)

前回(1)と同じ車輌の山陽電車の119-118号です。撮影は、1961年2月19日。
被害が進み感光膜とベース(三酢酸セルロース、またはトリアセチルセルロース)の間に空気も入り、今にもベースから剥がれ落ちそうな酷い状態でしたが何とか修復し、過去に一度投稿の上、皆様のご覧に入れた事があります。
before
after