京都駅八条口
高倉陸橋を渡った市電は、東海道・奈良線と新幹線に挟まれて西へ下り、すぐ90度曲がって、新幹線を潜って、竹田街道と合流し、「京都駅八条口」に到着します。このルートは、本欄でも米手さんから質問があったように、もともとは斜めに向かう線形でしたが、昭和39年開業の東海道新幹線の建設工事に伴い、道路とともに移設されて、現在でも見られるルートとなっています。
「京都駅八条口」には、東側に、元の京都電灯東九条発電所、京都市水道局、西側には、市バスの八条車庫がありました。車庫の一部には、市電乗務員の詰所、引込線も一本あって、乗務員の交代が行なわれ、車両も留置されていて、伏見・稲荷線の運輸上の要となっていたところでした。京都駅に八条口という名称が定着したのは、新幹線の開業後ですが、停留所名も、昭和39年に改称されています。以前は京都駅南口であり、開業時は、八条新道の名称でした。
▲“花電車”の700形が京都駅八条口に停車中、ここで乗務員の交代もあって、しばらく停車する。背後には京都タワーが見えて、京都駅に停車する0系新幹線の鼻もチラリと見える(以下、昭和45年3月)。