最終日の阪国(昭和50年5月)
“阪国(はんこく)”と総称された阪神電鉄併用軌道線、残っていた国道線(野田~上甲子園)、北大阪線(野田~天神橋筋六丁目)、甲子園線(上甲子園~浜甲子園)は、昭和50年5月5日を持って廃止されました。モータリゼーション化の渦に飲み込まれて、とくに国道線は、もはや路面電車としての体を成していなかったのが最大の理由です。しかし、甲子園線は、通勤・通学客、行楽客が終日あって、阪神本線からのフィーダー輸送として活用され、北大阪線も一定の利用者はありましたが、社会や会社のなかに、路面電車を残そうとする気持ちは、まだ芽生えていない、これもまた“昭和”の世代の考えでした。
▲阪国の最終日は、5月5日の“こどもの日”の祝日、全区間が乗車無料という大盤振る舞い、多くの人で終日賑わった(野田)。