駅を旅する 〈11〉

長崎

長崎本線の終点、長崎である。

最初に訪れたとき、三角屋根に時計台を備えていた駅舎は三代目で、原爆被災から4年後の昭和24年にできたと言う。現在では、完全な終端式の駅となっているが、当初は、通過式の配線だった。その先に長崎港駅があり、もっと以前は旅客営業も行っていたが、訪れた当時は、貨物のみ扱っていた。

駅に隣接して長崎機関区、客貨車区があったが、当時は配置機関車がなく、鳥栖、早岐の機関車が出入りしていた。ターンテーブルの周りに扇形庫はなく、たいへん広々した機関区だった。

長崎港への貨物線は、昭和62年、国鉄民営化時に廃止され、平成12年には、現在の四代目駅舎が建設され、終端式の構造に改められた。

以前は、長崎始発の東京・大阪方面の優等列車が運転され、駅の格を高めていたが、平成20年に特急「あかつき」が廃止以後、すべて九州内のみの運転となっている。

また2022年開業予定の九州新幹線の長崎乗り入れに向けて、駅の立体化工事と周辺の整理事業が進行中で、もと長崎機関区・客貨車区、現在の長崎運輸センターの移転が焦点だったが、早岐駅と構内への移転が決定したと言う。

長崎IMG_0031sy▲鳥栖のところでも触れたように、昭和42年の訪問時、長崎本線の優等列車はDD51化されていたが、臨時列車はまだ鳥栖区のC60が牽いていた。長崎駅でも、C6026[鳥]の牽く大阪行き急行「第二玄海」の発車をとらえた。これを、鉄道ピクトリアルのトピックフォトに投稿したところ、初採用となった。高校2年生だった。嬉しくなって、学校へ持って行って、みんなに見せた。この号だけがボロボロになって、いまもその時の感動を伝えている。(昭和42年)長崎IMG_0033sy▲長崎駅前の風景。路面電車はバスに隠れてしまったが、その分、自動車が時代を語っている。その後に、付近にペディストリアンデッキが設置され、見通しが悪くなった。(昭和42年)

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part7 PG.SRAGI(スラギ製糖工場)

第6日目 8月1日 スラギ製糖工場

01_子供たち▲ ヤードの中を自転車3人乗りで、笑顔で走る仲良し3人組。兄弟なのでしょうかね。
東南アジアで訪問したタイ、ミャンマーやインドネシアではいつも笑顔が見られます。いずれも発展途上国です。発展していくとなぜか笑顔が消えていくようにも感じました。どうしてでしょうかね

今日は朝からスラギ製糖工場へと向かいます。ホテルからは約20キロ、8時前に到着しました。01_地図101_地図2[googlemap lat=”-6.925510900148495″ lng=”109.55952644348145″ align=”Left” width=”300px” height=”250px” zoom=”16″ type=”G_SATELLITE_MAP”]Pekalongan, Central Java, インドネシア[/googlemap]
▲ スラギ製糖工場は、スンバルハルジョ製糖工場のようにフィールドへと走行する路線は既に廃線となっていますが、現役蒸気機関車も多く、とても広いヤードが広がっています。私が見た中でも1番大きく、取扱い量も最大と思えました。

地図上のGoogleをクリックしていただきますと大きな地図になります。

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京都市電の移送完了

出張から帰ってきて、予約の歯医者へ行くため山陰線の高架下にさしかかったとき、金網にしがみついて写真を撮る不思議な男を見つけた。そこは永いこと下水工事をしていた旧山陰線線路跡で、現在は市電が7台保存された小屋がある。見たら、なんとトレーラーに乗せられた1600型と2000型が出発寸前ではないか!あわてて携帯を取りだしたが心許ない。
現場で撮影していたテッチャンに聞くと、新聞に竹田車庫へ移動して売店に改造するとでていたそうだ。以前報告した市電のたたき売りが始まったのだ。

すでに旧1型や500型、700型などは移動して、最後の二台だそうだ。ビューゲルは外されていたが、2000型の方向幕には、「ワンマンカー」「烏丸今出川」と往年の表示がくっきり。

以前、交通局へ乗り込んで、局長さんに直談判したときの話では、交通局に金がないばかりに建設局の予算で運搬他、全てを依存しているため、10年間は公園で売店勤め公開するしかない。しかし、シートなど部品は交通局がしっかり保存するので安心してくれ、とのことだったが10年後には立派に復旧してもらいたい。そのためにも交通局が黒字化してほしいと思った。

来春には梅小路公園内に電池式のN電と、ハンバーガーやポップコーンを売る700型や500型が並ぶでしょう。

市電移動

八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part6 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

第5日目 7月31日 スンバルハルジョ製糖工場

00_こどもたち▲ 指令所前で集まってきた子供たち。昨年もいました美少女は、背が高くなり、一段と綺麗になっていました。一緒に連れてきているのは妹さんでしょうか、幼い子供の守りもできるいいお姉さんです。

06_ひつじ▲ 今日はもう1カット。バイク、自転車、大型車と頻繁に往来が多い道ですが、現れたヒツジさん。マイペースが僕の持ち味と悠然と横断していきます。シュガートレインが道路横に走る昼下がりの、のどかな光景でした。

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水島臨海鉄道の近況

JR東日本からキハ30など6両が入線したのが本年7月10日。猛暑続きだったため様子を見に行くのをためらっていたのですが、昨日(8月27日)久しぶりに水島に出向きました。もうひとつの目的は東水島線で貨物列車を撮ることでした。丁度12:00頃に西岡山からの3093レが水島から東水島線に入ってくるので 少し早めにロケハンしていると東水島からDD501の単機回送がやってきて、あわてて撮影。早朝に東水島に着いた3091レの機関車の回送なのか、試運転なのかは不明です。

DD501単機回送 東水島-水島間にて

DD501単機回送 東水島-水島間にて
 2人がデッキから身を乗り出したまま走り去った 

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1962吉田耕司です。

DRFC有志各位酷暑が続いていますが、皆さんお変わりありませんか。
小生、退職後ヒョンなことから「大津ジャズフェスティバル」に関わっています。
今年で5回目になるのですが、本年は10月19日(土)20日(日)の2日間、浜大津界隈の湖畔や屋外やストリート、またびわ湖ホールのような屋内など延べ34会場で各種ジャズのコンサートを開催いたします。(全会場入場無料、毎年5月3~4日にある「高槻ジャズストリート」と同じようなやり方です)

その広報活動の一環として、一昨年より京阪電車の協力を得て、石坂線の600型のラッピング電車を約1カ月間、大津の街中を走らせています。
(ご参考までに昨年度バージョンを添付いたします)
但し、貼り付け作業を外注するカネがないため、そのラッピング作業を我々「大津ジャズフェスティバル実行委員会」のメンバーでやらんとあかんのんです。

その作業を9月21日(土)、午前9時頃より石坂線錦織車庫にて行ないます。
(最寄駅:京阪石坂線「近江神宮前」)
プリントした120X90cmくらいのビニールシートを、継ぎ目を上手く合わしながら
何枚も何枚も貼り合わせていく作業で、特に技術や危険を伴うものではありませんが、 実行委員だけでは手が足りませんので、現在ボランティアを募集しています。
滅多に体験できることではありませんし、「ラッピング車両ってこうやるのか!」
を知るいい機会だと思いますので、もしお手すきの方はお助けいただけると非常にありがたい次第です。(但し 交通費自弁、謝礼なしです。すんまへん)朝9時頃から行ないますが、遅れて来られても全然問題ありません。車庫の一番奥で作業することになると思いますが、非常におおらかな車庫ですので、誰にことわることなく、いつでも誰でもどこまででも入ってこられます。
Gパン等の作業着、軍手、(暑いので)タオルやお茶、おにぎりなどのランチ
(近くにはコンビニもメシ屋もない)くらいを持ってお越しください。作業に要する時間は早ければ4時間くらい、遅くなれば7時間くらいです。(人足次第。人手は欲しいですが、得体の知れん「鉄」にまでは声をかけないでください)
保険の関係がありますので、行ってやろうという方(冷やかしも歓迎)は私にまでメール(yo-koji@maia.eonet.ne.jp)等でご連絡願います。
(なお、小雨なら決行しますが、荒天は順延です。ややこしい天侯の場合は私の携帯にご連絡を)
以上、よろしゅうに・・・!
(興味のある方はHPをご覧ください http://otsu-jazz.com/index.html

2012ラッピング電車

この記事は吉田耕司様からの命令で米手作市が投稿を代行いたしました。

駅を旅する 〈10〉

佐賀 

九州7県の県庁所在市なかで、佐賀は、格段に目立たない都市だ。人口規模も少なく、確たる観光資源もない。

駅も同様だ。佐賀線(昭和62年廃止)、唐津線が分岐するものの、それほど目玉の列車や車輌が撮れる訳でもない。私も、熊本以上に撮影点数は少なく、これと言った印象はないままに終わっている。佐賀には佐賀青年会館というユースホステルがあって、そこに一泊した際に撮った程度だった。佐賀IMG_0034sysy▲地上の佐賀駅2番ホームに到着した、佐世保発鳥栖行き426レ。C57124[早]牽引。現在、駅は高架化されている。この列車に乗って、前記の鳥栖機関区へ向かった。どこでも撮れる、特徴のない写真だが、美しく整備された早岐区のC57に朝陽が当たり、打ち水されたホーム、売店、佐賀らしい「サロンパス」の看板、背後の跨線橋、と当時の幹線の主要駅の風情が随所に出ていると私は思っている。(昭和42年)

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part 5 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

第4日目 7月30日 スンバルハルジョ製糖工場

00_集まってきた子供たち1▲ 14;33、指令所から集落へと向かう橋の上で撮影していましたら子供たちが撮って撮ってと集まってきました。元気が満ち溢れた子供たちです。こんな時代に戻りたらいいなあと思わずにはおられませんでした。

01_地図1昨夜からは宿をスンバルハルジョ製糖工場に近いペマラン(Pemalag)にあるRegina Hoteに移し、ここで3連泊します。そして今日もスンバルハルジョで1日を過ごします。朝は6時半過ぎの出発でした。

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風前の灯 三江線(続報)

私の思いが通じたのか 今朝の中国新聞も大きく扱ってくれていました。
IMG2_2

JR西日本は「山陰線の被害が大きく 三江線に手が回らない」とのコメントのようです。まさか「これ幸いとお荷物の切り捨てに走る腹では?」 は私の深読みが過ぎますか。

富士急行ロハ901→流山電鉄クハ53

7月23日【37790】「富士山麓電鉄モハ603」で関 三平氏は後ろに連結されている「ロハ901」についても触れておられるが、準特急氏より流山電鉄に譲渡後の画像をご提供いただいたので関連事項を含めて記述する。
【38044】「富士山麓電鉄モハ603→富士急行モハ3604」と重複する部分があるが、改めてロハ901について解説する。
青梅電気鉄道モハ100形モハ103として昭和3年川崎造船所で新製され、19年4月1日鉄道省買収時にモハ100形モハ103となった。(書類上は25年小糸車輌製となっている)
鉄道省買収後、青梅電気鉄道の電動車は機器配置が特殊であったこと等により、早い時期に電装解除され制御車化、この車両も19年11月には制御車となった。その後、五日市線で客車代用になり24年3月28日付で廃車となった。富士山麓電鉄が譲り受け、半室を2等車に改造してロハ300となり、25年10月の改番でロハ901となった。

44年3月流山電鉄に譲渡され、西武所沢工場で運転台を設置してクハ53となり、元京浜急行デハ400形の旧車体を利用して43年8月西武所沢工場で作られたモハ1101とMT編成を組んで活躍したが56年6月廃車になった。

クハ53+モハ1101/ (45-10-20)  準特急氏撮影
撮影場所は赤城台(現平和台)~鰭ヶ崎間と思われる。
s-70.10.20流山53+1101
s-70.10.20流山53+1101横

〔参考〕クハ52+モハ101/ (45-10-20)  準特急氏撮影
クハ52は元西武鉄道クハ1213で昭和2年日本車両製、武蔵野鉄道モハ1321として新製された車両。
モハ101は元国鉄モハ107で昭和3年汽車会社製、南武鉄道モハ107として新製され、19年4月鉄道省に買収された。
s-70.10.20流山52+101
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2013年夏、台湾

近年、デカンショまつり号さんと数回に渡って台湾にご一緒させていただいたが、春先、準特急さんの台湾訪問記事に触発され、乗り鉄中心でなく台湾の風光明媚な景色を入れた写真を撮ってみたいと思っていた。デカンショまつり号さんと7月に台湾行きの準備を進めていたところ、準特急さんからも台湾にご一緒いただけると快諾を得、3人での台湾行きが実現することとなった。

EMU300型 汐止駅発車

EMU300型 汐止駅発車

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保存蒸機とその現役時代(11)

最近、何かとトラブルの多いJR北海道であるが、今回もその北海道の保存機関車とした。

まず、宗谷本線の和寒駅に近い郷土資料館恵み野ホール前に展示されているD51337。 晩年の北海道スタイルそのものである。↓

s-13.7.2和寒D51337

s-13.7.2和寒D51337説明板

この機関車は1966年9月6日稚内6時45分発324Dで旭川に向かう途中、和寒で撮影したものと思う。思うといういい加減な表現で恐縮であるが、和寒で6分停車の間に交換する321列車C5548を撮影しており、その時に側線にいたD51337[名寄]を撮影した記録メモがある。しかし、D51の写真にはターンテーブルが写っており、名寄で撮影した可能性もある。和寒にターンテーブルがあったのかどうか定かでない。現地のファンに確認を求めたが古い時代のことであり、名寄か和寒かは確認できていない。↓

s-66.9.6和寒D51337

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駅を旅する 〈9〉

熊本

鹿児島本線のちょうど中間に位置する熊本である。写し始めた昭和42年当時は、電化はここまで、以南は未電化だった。機関車の付け替えも行われ、賑わってはいたが、ここではあまり写してはいない。

今でこそ、駅舎や駅前は立派になったが、当時は、中心部からもはずれ、裏寂れた印象だった。宿泊するにしても、駅に降りると滞在することなく、市電に乗って中心部へ向かった。そして、なぜか、熊本へ行くと、雨ばかりに降られた。

いつも当掲示板で健筆を振るっておられる準特急さんのルーツは、熊本の郊外にあると言う。鳥栖といい、熊本といい、つくづく九州は、鉄道趣味界の偉人を輩出する地だと思う。

熊本IMG_0013sy▲小雨の熊本駅を発車する熊本発鹿児島行き。C6131[鹿]+客車6両。熊本以南の未電化区間は、優等列車こそDD51化されていたが、普通列車は全列車C60、C61が牽いていた。(昭和42年)熊本IMG_0015sy▲頭端式ホームからは、豊肥本線の列車も発着していた。旅客はDC化されていたが、朝夕のラッシュ時のみ、キューロクの牽く客車列車が残っていた。33‰の勾配を越えるため、重連となっていた。熊本発宮地行き729レ。39688[熊]+69616[熊]+オハニ61188ほか客車8両。 

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part4 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

第3日目 7月29日 スンバルハルジョ製糖工場 その2

07_元気なおばちゃま軍団▲ 集団での稲刈りを終えて帰宅される途中のおばちゃま軍団。子供たちに負けずと笑顔の歓迎です。親も子供も笑顔がいっぱいの国、それがインドネシアです。

05_ロケハン12▲ ピンク色が、今日我々が指令所からサトウキビの伐採場までロケハンと撮影で動き回った軌跡です。黄色がシュガートレインが走る鉄路です。かつてはもっとあったそうですが、運搬がトラックに代わって廃線になっています。GPSロガーを携帯されておられますO氏から提供していただいております。

14:30、昼食後、どんよりとしていた空も少し晴れてきて夕陽が期待できそうです。皆さんと相談した結果、夕陽の撮影スポットはBARONと決まりました。ただここにはDL8号機DL9号機が既に行っておりますので、改めてSL10号機をチャーターして向かうことになりました。

指令所に行ってみますとSL10号機BARONへと向かった後で急いで追いかけて途中からテンダーに乗り込みました。すると運転手からは、「運河沿いの本線走行は問題ないが、本線を分岐してから伐採場へと向かう支線の軌道状態が今年は悪い。昨年撮った最高の場所まで行くことはできない。どうしますか。」と、思わぬ申し出がありました。
今年は雨が多かったのか昨年と比べて蒸し暑く感じていました。路盤が柔らかくなっていて重量のある蒸気機関車走行には耐えられないようです。しかし本線では夕陽をバックに撮影できません。それでは少しだけでも支線に入線して夕陽がバックになるようにして欲しいと妥協案を出しました。運転手からは少しならOKだろうと了解が得られました。、

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駅を旅する 〈8〉

鳥栖

博多から特急に乗れば、今なら20分で鳥栖に着く。現在でも、鳥栖は長崎本線への乗換駅には変わりないものの、その後の列車体系の変化、新幹線の開業で、駅としての比重はうんと軽くなり、鉄道の街として、その名を馳せていた時代の面影は、もう見られない。

鳥栖は、鹿児島本線、長崎本線の分岐点に位置し、九州の鉄道網の中心的な位置にあった。駅に隣接して、鳥栖機関区、鳥栖操車場があり、四六時中、列車が出入りしていた。鹿児島本線、長崎本線が非電化の時代には、扇形庫が二つもあって、旅客用蒸機C59、C60、C61の基地として賑わった。九州の機関区の中でも、いちばん華やな機関区だったに違いない。

駅の東側にあった機関区、操車場は跡形もなくなり、いまはサッカーJ1のサガン鳥栖の本拠地・鳥栖スタジアムになっているのが、ホームからも分かる。それとは対照的に、西側の駅舎は、九州鉄道時代の駅舎を、改修を加えながらも大事に使い続けている。

さて、当会の人間国宝のお一人は、この鳥栖市で生を受けられたと聞く。毎日、水薬ばかり服用され、このたび、後期高齢者の仲間入りを果たされた。いずれ、出生の頃の思い出も、本欄で聞けるだろうと思っている。鳥栖IMG_0039sy▲鹿児島本線と長崎本線が別れる付近に、工事現場の詰所があって、勝手に2階まで上がって、俯瞰気味に大阪発長崎行き「第二玄海」、C6038[鳥]をとらえた。当時、長崎本線では、臨時列車牽引でC60の最後の活躍が見られた。翌年には、長崎本線の優等列車は、すべてDD51化される。(昭和42年)鳥栖IMG_0018sy▲東京発熊本行き「みずほ」、ED764[門]。「みずほ」は鳥栖を通過していた。九州ブルトレのなかで、その経緯もあって地味な印象があり、。ヘッドマークも地味で、モノクロで撮ると、肝心の愛称名がよく分からない。右側は鳥栖操車場が広がる。(昭和42年)

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八月だ、もっと熱くなろう! 2013年 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part3 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

第3日目 7月29日 スンバルハルジョ製糖工場 その1

00_子供たち▲ スンバルハルジョ製糖工場からフィールドへと向かう我々を乗せたシュガートレインに手を振る子供たち。仲のよい元気な子供たちの姿は沿線のあちこちで見受けられました。

01_朝焼け今日は2泊したテガールのBahari-innを早朝にチェックアウトしてスンバルハルジョ製糖工場へと向かいます。

ホテルの部屋からは朝焼けのスラメト山( 標高3,432m)が見えていました。目的地はこの裾野です。

朝6時半の出発、スンバルハルジョまでは約40キロ、約1時間強の道のりです。

01_地図_テガール→スンバルハルジョ

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