やっぱり蒸機が好き! 九州の蒸機 私鉄・専用線編 ③

貝島炭礦 大之浦炭砿専用線

私鉄・専用線の蒸機は、国鉄以上に忘れ去られた感がありますが、紫の1863さんらの暖かいコメントにも励まされて続けます。筑豊の中心部に貝島炭礦大之浦炭砿専用線がありました。長らく出炭を続け、閉山による蒸機の廃止は昭和50年代に入ってからで、九州では、国鉄にはすでに無く、最後の蒸機となりました。しかも蒸機は、コッペル、アルコと言った輸入機です。魅力一杯の貝島ですが、アプローチが問題でした。国鉄最寄り駅は、宮田線の終点、筑前宮田ですが、一日数本の閑散線、そこからさらに先とあっては使いづらく、雑誌を読んでも西鉄バスを推奨、網の目に張り巡らされた、複雑な西鉄バスの路線、しかも飯塚、直方からは直通は無く、乗り換えが必要と言う難関ルートでした。当時の乏しい資料を何度も読み解いて最寄りの「長井鶴」バス停に降り立ったのが、昭和43年3月のことでした。長井鶴のすぐ近くに貝島の六坑駅があり、機関区もあって運輸上の中心となっていた。ここから、国鉄筑前宮田駅までの専用線が、当時のメインの路線、石炭を満載した自社の石炭車を多く連ねた、先頭32号 後補機22号の列車。

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 やっぱり蒸機が好き! 九州の蒸機 私鉄・専用線編 ②

明治鉱業平山鉱業所のBタンク機

筑豊本線飯塚から上山田線が分岐していて、途中の臼井から南西の方に、専用線が延びていました。それが、明治鉱業平山鉱業所へ向かう約2キロの専用線でした。ここでの輸送は、直方区の9600が担当していて、国鉄の石炭車が、平山鉱から産出される石炭を牽いて、若松などの積出拠点へと向かっていました。

昭和43年3月、私は臼井で下車して、専用線の上を黙々と歩いて、終点の明治鉱業平山鉱業所に着きました。ここには、2両の蒸機、236、237が、構内の入換として、使われていました。プレートの独特の書体からも分かるように、もとは、八幡製鉄所の構内蒸機で、無骨な産業機でした。B型のタンク機 236、石炭ホッパーに石炭車を押し込み、積み込みが終わると、引き出して、待ち受ける9600に引き渡すのが仕事だった。全体が粉塵のせいなのか、グレーになっていて、前梁はオレンジの警戒色が塗られ、いかにも専用線の蒸機という感じだった。

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「エトセトラ」を追いかけて

山陽路の観光列車「エトセトラ」について、運行初日の様子などを3回に分けてご紹介しました。以前の「瀬戸内マリンビュー」時代は土・日・祝の呉線往復でしたが、「エトセトラ」に変身してからは、月・金も加わった上に尾道・宮島口間と運転区間も拡がり、上り・下りのルートも変わったので、撮影地点の幅が増えて、運転日は急に忙しくなりました。まずは呉線のシーンから。

令和2年10月23日 上り尾道行き 三原市 呉線沼田川橋梁にて

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 やっぱり蒸機が好き! 九州の蒸機 私鉄・専用線編 ①

豊国セメント苅田工場

ここで、ちょっと前のシリーズに戻します。「《区名板》で見る九州の蒸機」を掲載しましたが、もちろん全部が国鉄の蒸機で、考えたら、九州では私鉄・専用線にも、多くの蒸機が活躍していました。これらも紹介しないことには、シリーズも完結しません。とは言うものの、私鉄・専用線の蒸機は、国鉄よりも一歩先に姿を消していて、訪れた昭和40年代初頭では、その片鱗をのぞいたに過ぎません。とくに、石炭王国の筑豊には、地産地消とばかりに、多くの蒸機が専用線を走り回っていましたが、炭坑の閉山とともに蒸機も消えていきました。こんななかで、辛うじて残っていた専用線を訪ねることができました。日豊本線苅田駅には、山手側には、日本セメントの石灰岩の採掘専用線、海側には豊国セメントのセメント工場へ向かう専用線があり、採掘された原石は両線を通って工場へ送られた。その輸送を担っていたのが、豊国セメント苅田工場の2両のタンク蒸機だった。写真は、苅田駅構内の日本セメント専用線にやって来た5号機関車、距離標の1,634米は、専用線の終端境を示すものだろう。

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一週間前は雨だったのに、今日はいい天気 

 今日はいい天気だったので、ちょっと近くで。

 日本遺産になった龍田古道と亀の瀬、古代より重要な大和となにわを結ぶ交通路。 今は221系の電車が走り抜ける。

 写真の右側をかつては大阪鉄道の線路があったが地すべりで大和川の対岸に線路が付け替えられた。今でも右側の地中には地すべりで埋まってしまったトンネルがある。鉄道が開通する前は大和川を魚梁船(やなぶね)で物資を運んでいた。浅瀬のある亀の瀬では荷物を積み替えていたという。いまも電車の窓から、ちょっとした渓流になっているのが見られる。大阪天王寺から20分足らずでちょっとした旅行気分になるところである。

古い絵葉書が・・その3

前回の投稿が思わぬ不人気だったので、そのままもう少し置いておいて、次に進みます。併せて回答をお待ちしております。

古い絵葉書が・・その2

※今回の問題は簡単すぎて「馬鹿にするな!」と、誰も答えてくれなかったのだと分かりました。反省しております。答えを書いておきます。

⑭D51 653レ 1969.12 中央西線 落合川ー坂下

力闘

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 そろり、ゆっくり、活動再開  【8】

夕景求めて 近場でチョイ撮り 大阪編(2)

大阪は、近代的な都市景観も提供しながら、片や路面電車も走る街であり、鉄道写真の材料を多く提供してくれます。その阪堺線も近年はよく行きました。それこそ、電停ごとに、写材が転がっていると感じました。今回は、阪堺線の路面区間である、上町線「北畠」へ、夕景のチョイ撮りに出掛けました。大阪の歴史を感じさせる電停名ですが、ここへ行って初めて気が付いたことですが、すぐ近くに著名な公立高校があって、夕方になると、下校する高校生が電停に群がり、大挙して阪堺線に乗ります。自転車通学では無く、高校生にはあまり縁がないと思われる路面電車に乗り込む、ちょっと嬉しい光景に、阪堺線の明るい未来を見たような気持ちでした。この日は、まず関空へ行って、人の全くいない空港ターミナルを見学したあと、夕方、天王寺駅前から上町線で北畠に降り立つと、早くも高校生の乗降が始まっていた。

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 京都市電北野線に寄せて(3) まるごと特集「レイル」発売

北野線の話題が“デジ青”を賑わすのに合わせたように、北野線をまるごと特集した雑誌「レイル」が発売されましたのでご紹介します。特集発行のきっかけは、平安神宮に保存されているN電2号です。本欄でも、Wakuhiroさん連載の「重文指定」の記事のように、N電2号が、ことし9月30日付の官報で国の重要文化財に指定されました。路面電車としては初めてのことです。

北野線を開業した京都電鉄は、そのあと市営に吸収されたため資料が乏しく、また京電研究の第一人者だった当会顧問の大西友三郎さんも亡くなられて集められた資料も散逸し、その実態は解明されない部分も多かったのです。重文指定を機に、京都在住の趣味・研究者の協力で、不明部分を解明しようとなりました。路線の歴史的経緯、京都電鉄から京都市に引き継がれた車両の番号、改番、仕様の一覧表がまとめられました。車体や台車などの組立図も掲載され、いずれも初公開です。また写真については、ベテラン鉄道写真家の未発表の鮮明な写真で誌面を飾ったほか、私が保管していた写真も活用していただきました。原稿も有志で協力、クローバー会のネットワークが活かされた号となりました。主要書店で発売中です。

クローバー会では、米手さんと私が、N電当時の思い出を担当。米手さんは、京都へ初めて写真店を開設された“千中”が賑やかだった思い出を、私は父に連れられて“天神さん”の日に見た、謎の駅舎について記述。左下の写真は、乙訓老人の千本中立売の写真、当時の賑やかさが伝わる、いい写真だ。

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 京都市電北野線に寄せて(2) 北野車庫付近を新旧対比

北野付近は、少し前には、母親の介護先があり、ほぼ毎日のように通っていたところでしたが、それも数年前に終了してからは、全く行っていませんでした。懐かしい思いで、商店街の一軒一軒を見て回り、柱に掲げられたN電の写真もじっくり見て回りました。この付近で先達が撮られた北野線の写真を、私も何点か所蔵しており、その新旧対比をしてみました。

北野商店街の柱に掲げられた北野線の写真、左は京福北野線の北野駅、右がN電北野線車庫。

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 京都市電北野線に寄せて(1) 車庫跡地「さよなら」展へ

京都市電北野線の北野車庫の跡地に建てられた、京都こども文化会館(愛称エンゼルハウス)が老朽化で閉鎖されることになり、10月18日、地元のきたの商店街による、一日限りのイベントが行われました。いつもお世話になっている、伏見チンチン電車の会の皆さんも、イベントに参加され、1/8のN電模型の運転、ペーパークラフト教室を出展され、私もお邪魔してきました。

昭和36年北野線の廃止によって、北野車庫も廃止され、跡地には、昭和57年に京都こども文化会館が建設されました。コンサートや催事が行われてきましたが、老朽化のため、11月13日限りでの閉館となったものです。イベントを主催された、きたの商店街は、千本中立売通~一条通の約400mに渡り100店舗が並ぶ商店街で、従来から、N電を模した商店街のロゴを作成したり、歩道にはN電の絵を埋め込んだりと、北野線の顕彰に努められてきました。今回の同館の閉鎖に当たり、商店街の柱にはN電当時の写真を飾ったり、商店街のホームページでも多くの写真を公開されています。

昭和36年まで北野線が走っていた中立売通に面した京都こども文化会館、こんな狭いところを、複線でN電が走っていたとは信じられない。 続きを読む

 そろり、ゆっくり、活動再開  【7】

夕景求めて 近場でチョイ撮り 大阪編(1)

近くの夕景撮影を続けます。つぎは大阪です。以前に掲載の阪急淀川鉄橋も同じですが、大阪らしい、ビル街バックのダイナミックな夕景が狙えます。今回は、何度か行っている京阪天満橋駅付近を採り上げました。天満橋~京橋で、淀屋橋行きと中之島行きが、線路別から方向別へ立体交差するところに、土佐堀通から大阪城方面に渡る歩行者・自転車専用の大坂橋があります。橋からの景観は大阪そのもので、大阪城天守閣、OBPビル群が望めますが、京阪電車も、梅田方面のビル街をバックにして、川の上で線路かが交差する、いかにも“水の都”らしい撮影が可能です。

大坂橋から、京阪天満橋駅へ向かって行く京阪電車を写す。ビル街の煌めきを撮るには、晴れた平日の日没直後が限定。大川周辺のライトアップも彩りを添える。

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今日は雨だった。それでも行ったよ!信貴山へ

 3月末に近鉄線ツアーを実施する予定であったがコロナ禍で中止となりました。やっと何とかみんなで何かできるようになりました。ところで、うまい具合に近鉄のお得やん切符「近鉄1dayおでかけきっぷ」があり、これを利用して何かすることになったのです 。さて、どうするものかと考えたところ、米手さん投稿の「昭和の電車 近鉄6200系」のコメントに元信貴山電鉄のデ5形がでてきました。そうだ!信貴山に行こう。廃線跡も、東ケーブルの保存車両も見ることができるし、西ケーブルにも乗れるのだ!ということで、久しぶりにみんなと電車に乗ったりして遊ぶことができる事になったのです。ところが、今度は「天は我々を見棄てたのか!」数日前からの天気予報によると雨が降るような怪しい天気のようです。こんな時はあたらない方がよいのですが、残念ながら大当たり。それでもめげずに信貴山へ。

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